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鳥越 貞敏[1][2](とりごえ さだとし、前名・金九郎[3][4]、1867年4月17日(慶応3年3月13日)[5] - 1925年(大正14年)2月9日[6][7])は、日本の政治家(貴族院議員[3][6][8]、福岡県会議員[1][9]、浮羽郡会議員[6])、福岡県多額納税者[8][10]、実業家。族籍は福岡県平民[3][5][8][11]。勲四等[6]。
鳥越貞蔵の長男[1][8]。祖先は橘諸兄より出た[12]。鎮守府将軍橘輔政の後胤であり数代出羽国鳥越山に城を築き住居する[12]。中世に至り九州に移り鳥越興膳は大庄屋となる[12]。父・貞蔵が益々家を興した[12]。
貞敏は田主丸中学校で修業し、後井上柳園を師として経史百家を学んだ[1]。1891年、家督相続と共に襲名して前名・金九郎を改めた[4]。諸会社銀行の創立にあずかり、その重役となったが、1897年(明治30年)9月29日、貴族院議員に任じ[13]、1904年(明治37年)9月29日に再任され[14][15]、政友会に属して[12]1911年(明治44年)9月28日まで2期在任した[7]。
吉井銀行頭取[3][5][8][11]、生葉共同乗馬会社、梅香社、吉井共同会、同保全社、朝日製粉各社長[3][5][8][11]、三池炭鉱取締役[4]、大成銀行監査役などをつとめた[5]。
仏教のために奉仕した[1]。謡曲、詩歌を得意とした[1]。住所は福岡県浮羽郡吉井町[8][10]。
- 鳥越家
- 親戚
- 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
- 人事興信所編『人事興信録 第2版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 交詢社『日本紳士録 第15版』交詢社、1910年。
- 小俣愨編『浮羽郡辞書』小俣愨、1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 本庄敏行『浮羽郡人物名鑑 郡制廃止記念』千代の倶楽部、1922年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。