(Translated by https://www.hiragana.jp/)
麻田陽春 - Wikipedia コンテンツにスキップ

麻田あさだ陽春ようしゅん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

麻田あさだ 陽春ようしゅん(あさだ の やす/ようしゅん、なま没年ぼつねんしょう[1])は、奈良なら時代じだいかんじん文人ぶんじん氏姓しせいこたえほんせい)のち麻田あさだれん浅田あさだれん)。百済くだらけい渡来とらいじん大山下おおやましもこたえ㶱春はつか。官位かんいそとしたがえ石見いわみまもる

経歴けいれき

[編集へんしゅう]

ひじりたけしあさ初頭しょとうかみひさし元年がんねん724ねんこたえほんせい)から麻田あさだれん改姓かいせいする(このとき位階いかいせいはちじょう)。天平てんぺい年間ねんかん初頭しょとうだいおさむ大典たいてんつとめ、天平てんぴょう2ねん730ねんだいおさむそち大伴旅人おおとものたびと大納言だいなごんにんぜられて帰京ききょうするにあたってひらかれたうたげにおいてんだ2しゅ[2]、および天平てんぴょう3ねん731ねん肥後ひごこく益城ましきぐん大伴おおともくましこり相撲すもう使つとめる国司こくししたがえじんとして上京じょうきょうする途上とじょう両親りょうしんのことを気遣きづかいながら病死びょうししたはなしつたいてんだ2しゅ[3]、のわせて4しゅ陽春ようしゅんによる和歌わか作品さくひんが『万葉集まんようしゅう』に採録さいろくされている。

天平てんぴょう11ねん739ねんそとしたがえじょせられる。ひじりたけしちょうまつ天平てんぴょう17ねん745ねん〕)以降いこう近江おうみまもる藤原仲麻呂ふじわらのなかまろえいして陽春ようしゅんんだ漢詩かんし五言ごごん)1しゅが『ふところふう』にられている。時期じき不明ふめいながら石見いわみまもるつとめ、享年きょうねん56でぼっした[4]

かんれき

[編集へんしゅう]

注記ちゅうきのないものは『ぞく日本にっぽん』による。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 上田うえだただしあきら津田つだ秀夫ひでお永原ながはらけい藤井ふじい松一しょういち藤原ふじわらあきら、『コンサイス日本人にっぽんじんめい辞典じてん だい5はん』、株式会社かぶしきがいしゃ三省堂さんせいどう、2009ねん 24ぺーじ
  2. ^ a b 万葉集まんようしゅうまき4-569,570
  3. ^ 万葉集まんようしゅうまき5-884,885
  4. ^ a b ふところふう
  5. ^ 大宰府だざいふ牒案」

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]