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L-4Sロケット

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
L-4S
おおすみをげたラムダロケット・ランチャー(実物じつぶつ)と L-4Sロケット(同型どうけい)。国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかんうら展示てんじ
基本きほんデータ
運用うんようこく 日本の旗 日本にっぽん
開発かいはつしゃ 東京大学とうきょうだいがく宇宙うちゅう航空こうくう研究所けんきゅうじょ
運用うんよう機関きかん 東京大学とうきょうだいがく宇宙うちゅう航空こうくう研究所けんきゅうじょ
使用しよう期間きかん 1966ねん - 1970ねん
射場いば 鹿児島かごしま宇宙うちゅう空間くうかん観測かんそくしょ
すう 5かい(L-4Tをふくめず)(成功せいこう1かい
原型げんけい L-3Hロケット
発展はってんがた L-4SCロケット
公式こうしきページ 衛星えいせいげロケット L-4S-5
物理ぶつりてき特徴とくちょう
段数だんすう 4だん
ブースター 2
そう質量しつりょう 9.4 トン
全長ぜんちょう 16.5 m
直径ちょっけい 0.735 m(本体ほんたい部分ぶぶん
軌道きどう投入とうにゅう能力のうりょく
てい軌道きどう 26 kg(だい4だんモータ 15 kgをふくむ)
350km / やく31
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L-4Sロケット(ラムダ-4エスロケット)は東京大学とうきょうだいがく宇宙うちゅう航空こうくう研究所けんきゅうじょ以下いか東大とうだい)が日産自動車にっさんじどうしゃ宇宙うちゅう航空こうくう事業じぎょう以下いか日産にっさん)ととも開発かいはつし、日産にっさん製造せいぞう[1]東大とうだい運用うんようした日本にっぽんはつ人工じんこう衛星えいせいよう固体こたい燃料ねんりょうロケット1966ねんから1970ねんにかけて5げられ(1かい試験しけん)、5度目どめにして日本にっぽんはつ人工じんこう衛星えいせいおおすみ」の打上うちあげに成功せいこうした[2]。これによって日本にっぽんソ連それん、アメリカ、フランスにつづき、世界せかいで4番目ばんめ自国じこく能力のうりょくにより人工じんこう衛星えいせいげたくにとなった。

概要がいよう

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L-4Sロケットはラムダロケット一種いっしゅで、ミューロケット衛星えいせい軌道きどう投入とうにゅう技術ぎじゅつ開発かいはつするためのテストベッドとして計画けいかくされた[3]

けい4だん全段ぜんだん固体こたい推進すいしんざいロケットで、1だんにL753、2だんにL753のながさをみじかくしたものを、3だんにL500、4だんにL480Sをもちいた[2]。さらに2号機ごうき以降いこうは1だんに2補助ほじょブースターがけられている[4]

いまではかんがえられないが、L-4Sロケットは誘導ゆうどう制御せいぎょ装置そうちいていない、世界せかいはつ誘導ゆうどう衛星えいせいげロケットである。しかし、たんぐロケットをげても軌道きどうにはらない。なんらかの方法ほうほう機体きたい制御せいぎょし、地表ちひょうたい水平すいへいきをえなくては、衛星えいせい軌道きどう投入とうにゅうできないのである。これはけっして開発かいはつ能力のうりょくかったわけではなく、誘導ゆうどう装置そうちはミサイル開発かいはつつながる軍事ぐんじ技術ぎじゅつ転用てんよう可能かのうという指摘してき野党やとう日本にっぽん社会党しゃかいとうひとしからがり、開発かいはつ着手ちゃくしゅ時期じき大幅おおはばおくれたためである[5][6][7]。この代替だいたいさくとして、だい1だんだい2だん尾翼びよくによるそらりょくてき効果こうかで、だい2だんだい3だんはスピンモーターにより機体きたいをスピンさせて安定あんていたもち、だい3だん燃焼ねんしょう終了しゅうりょう分離ぶんり慣性かんせいにより放物線ほうぶつせん軌道きどう飛翔ひしょうちゅうに、だい3だんはレトロモーターで飛翔ひしょう経路けいろあとおとさせ[ちゅう 1]だい4だんはデスピンモータでスピンを停止ていし姿勢しせい制御せいぎょ装置そうちだい4だん水平すいへい姿勢しせい制御せいぎょ[ちゅう 2]、その、リスピンモーターでスピンをふたたけて、放物線ほうぶつせん頂点ちょうてんだい4だん燃焼ねんしょう開始かいしするという、非常ひじょうんだ方式ほうしきの「誘導ゆうどう重力じゅうりょくターン方式ほうしき」(重力じゅうりょくターン方式ほうしき#誘導ゆうどう重力じゅうりょくターン)で軌道きどう方法ほうほうることとなった。

誘導ゆうどう重力じゅうりょくターン方式ほうしき」での「んだ」いちれいげると、デスピンモーターがある。一旦いったん点火てんかをすると燃焼ねんしょう中断ちゅうだんできない固体こたいロケットによって、ロケット本体ほんたいのスピンをめるため、デスピンモーターはスピン方向ほうこうはんスピン方向ほうこう両方りょうほうにノズルをっている。デスピンモーターは、燃焼ねんしょう直後ちょくごにははんスピン方向ほうこうのノズルのみに燃焼ねんしょう経路けいろひらきスピン停止ていしため噴射ふんしゃおこなうが、スピン停止ていし検知けんちするとスピン方向ほうこうのノズルにも燃焼ねんしょう経路けいろひらき、相対そうたい推力すいりょくを0にする。この技術ぎじゅつは、宇宙研うちゅうけん衛星えいせいげロケットに採用さいようされるロール制御せいぎょモーター「SMRC」に結実けつじつする。

重量じゅうりょう9.4tと、理論りろんじょう可能かのうなだけでなく実際じっさい人工じんこう衛星えいせいげたロケットとしては、2018ねん1がついたるまで、歴史れきしじょうもっと小型こがた軽量けいりょうであった。

このおおきさを下回したまわ衛星えいせいげロケットの計画けいかくはいくつかられていたが、日本にっぽんではSS-520ロケットによる軌道きどう投入とうにゅう計画けいかく具体ぐたいすすんでいた。2017ねん1がつげには失敗しっぱいしたものの、2018ねん2がつ3にちさい挑戦ちょうせん[8]。SS-520ロケット5号機ごうきが、おもやく3kgのちょう小型こがた衛星えいせいTRICOM-1Rこと「たすき」[9]軌道きどうせ、実際じっさい人工じんこう衛星えいせいげた史上しじょう最小さいしょうのロケットとしてギネス世界せかい記録きろく認定にんていされた[10]

打上うちあ記録きろく

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打上うちあげはすべ鹿児島かごしま宇宙うちゅう空間くうかん観測かんそくしょからおこなわれた。ここでは試験しけんのL-4Tのげもあわせてしるす。

名称めいしょう 打上うちあ日時にちじ
(GMT)
成否せいひ 積荷つみに 重量じゅうりょう(kg) 衛星えいせい軌道きどう
きん-遠地点えんちてん
軌道きどう傾斜けいしゃかく
結果けっか
1号機ごうき 1966ねん9がつ26にち
02:58
失敗しっぱい おおすみ同型どうけい 26 だい3だん燃焼ねんしょうちゅう軌道きどうがずれ、デスピンモーターが作動さどうしなくなったことから、姿勢しせい制御せいぎょができなくなり軌道きどう投入とうにゅう失敗しっぱい
2号機ごうき 1966ねん12がつ20日はつか
02:20
失敗しっぱい おおすみ同型どうけい 26 だい4だん点火てんかにより、軌道きどう投入とうにゅう失敗しっぱい
3号機ごうき 1967ねん4がつ13にち 失敗しっぱい おおすみ同型どうけい 25 だい3だん点火てんかにより、軌道きどう投入とうにゅう失敗しっぱい
L-4T 1969ねん9がつ3にち - なし 人工じんこう衛星えいせい搭載とうさいしておらず、これまでの不具合ふぐあい改良かいりょうした結果けっか確認かくにんする目的もくてきで、だい4だん推進すいしんやくりょうらして打上うちあげがおこなわれた[4]

3だん残留ざんりゅう推力すいりょくによってだい4だん追突ついとつし、姿勢しせいみだれは調整ちょうせいできたが、だい4だん点火てんか時間じかんおおきくくるうという不具合ふぐあい発生はっせい

4号機ごうき 1969ねん9がつ22にち
02:10
失敗しっぱい おおすみ同型どうけい 26 3だんはなに4だん接触せっしょくし、4だん姿勢しせいシステムが故障こしょう
5号機ごうき 1970ねん2がつ11にち
04:25
成功せいこう おおすみ 12[よう説明せつめい] きん337 km
とお5,151 km
傾斜けいしゃかく31.0
日本にっぽんはつ衛星えいせい軌道きどう投入とうにゅう成功せいこう
引用いんよう資料しりょう[2][4]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ このときだい3だんだい4だん慣性かんせい飛行ひこうおこなっているので、そのままだとだい3だん残留ざんりゅう推力すいりょくだい3だんだい4だん衝突しょうとつする
  2. ^ このとき、ロケットは燃焼ねんしょうしていないので「誘導ゆうどう」ではなく「姿勢しせい制御せいぎょ」である

出典しゅってん

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  1. ^ NISSAN HERITAGE COLLECTION online【その】プリンス自動車じどうしゃ工業こうぎょう小史しょうし”. 日産自動車にっさんじどうしゃ. 2011ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c Lambda 4S”. Encyclopedia Astronautica. 2011ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  3. ^ 衛星えいせいげロケット L-4S-5”. ISAS. 2017ねん9がつ12にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c L-4Sがたロケット -文部もんぶ科学かがくしょう
  5. ^ 1960ねん4がつ14にちだい34かい参議院さんぎいん内閣ないかく委員いいんかいだい19ごう 社会党しゃかいとう矢嶋やじま三義みつよしがロケット研究けんきゅう軍事ぐんじ転用てんよう可能かのうせいについて懸念けねん表明ひょうめい
  6. ^ 1961ねん4がつ18にちだい38かい衆議院しゅうぎいん科学かがく技術ぎじゅつ振興しんこう対策たいさく特別とくべつ委員いいんかいだい11ごう 糸川いとかわ英夫ひでおがラムダへ誘導ゆうどう装置そうち搭載とうさいすることを示唆しさ
  7. ^ 1965ねん2がつ17にちだい48かい衆議院しゅうぎいん科学かがく技術ぎじゅつ振興しんこう対策たいさく特別とくべつ委員いいんかいだい5ごう 社会党しゃかいとう田中たなか武夫たけおからラムダのIRBM転用てんよう可能かのうせいについて質問しつもん
  8. ^ SS-520 5号機ごうきによるちょう小型こがた衛星えいせい打上うちあ実証じっしょう実験じっけん予定よていについて』(プレスリリース)JAXA、2018ねん1がつ19にちhttps://www.jaxa.jp/press/2018/01/20180119_ss-520-5_j.htmldate=2018-01-22閲覧えつらん 
  9. ^ ちょう小型こがた衛星えいせい愛称あいしょうは「たすき」 宇宙うちゅうかって、たすきつなぐおも”. ハフィントンポスト (2018ねん2がつ3にち). 2018ねん2がつ4にち閲覧えつらん
  10. ^ SS-520 5号機ごうきがギネス世界せかい記録きろく(R)に認定にんていされました』(プレスリリース)JAXA、2018ねん4がつ27にちhttps://www.jaxa.jp/press/2018/04/20180427_guinness_j.html2018ねん5がつ23にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく

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