Ultrix

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Ultrix
開発かいはつしゃ ディジタル・イクイップメント・コーポレーション
プログラミング言語げんご
OSの系統けいとう BSDUNIX(4.2BSD)
開発かいはつじょうきょう 終了しゅうりょう
最新さいしん安定あんていばん 4.5 / 1995ねん (29ねんまえ) (1995)
カーネル種別しゅべつ モノリシックカーネル
ライセンス プロプライエタリソフトウェア
先行せんこうひん UNIX/V7M
後続こうぞくひん OSF/1(Open Software Foundation 1)
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Ultrix正式せいしきには ULTRIX)は、ディジタル・イクイップメント・コーポレーション (DEC) が開発かいはつしたUNIXのブランドめいultrixラテン語らてんごで「復讐ふくしゅうしゃ」という意味いみであり、この名称めいしょうたんおとだけでえらばれた。

歴史れきし[編集へんしゅう]

UNIXの初期しょき開発かいはつはDECの製品せいひん(DEC PDP-7PDP-11システム)じょうおこなわれた。そのVAXシステムなどのDECせいコンピュータもUNIXを動作どうささせるプラットフォームとしては一般いっぱんてきであった。VAXへの最初さいしょ移植いしょくUNIX/32Vであり、1978ねん完成かんせいした(VAX自体じたいのリリースは1977ねん10月である)。しかし、DEC自身じしん独自どくじオペレーティングシステムVMS提供ていきょうしており、UNIXをみとめるには時間じかんがかかったのである。

社内しゃないにUNIXをむきっかけとして、Bill MunsonはDECないにUnix Engineering Group (UEG) をげた。当初とうしょのメンバーには、DECの顧客こきゃくサービス技術ぎじゅつ部門ぶもんのJerry BrennerとFred Canter、ケース・ウェスタン・リザーブ大学だいがくのBill Shannon、ベル研究所けんきゅうじょのArmando Stettnerらがいる。そののメンバーとしては、Joel Magid、Bill Doll、Jim Barclay らがDECない様々さまざまなマーケティング部門ぶもん製品せいひん管理かんり部門ぶもんからあつめられた。

Canterの指揮しきした、UEGチームはV7Mをリリースした。Version 7 Unix修正しゅうせいばんである。

BSD[編集へんしゅう]

ShannonとStettnerはUNIX/32VのCPUまわりやドライバサポートに当初とうしょんだが、もなくカリフォルニア大学だいがくバークレーこう4BSD開発かいはつグループとともはたらくことに集中しゅうちゅうするようになった。バークレーのビル・ジョイニューハンプシャーしゅうんで Shannon や Stettner と合流ごうりゅうし、UEGによるCPUまわりとドライバをふくめてBSDリリースをまとめ、最終さいしゅうてき開発かいはつとテストをDECの様々さまざまなシステム構成こうせいおこなった。また、3にんはVMS開発かいはつグループの使用しようしているメインのVAXでの最終さいしゅう評価ひょうかおこなった。翌朝よくあさ端末たんまつにUNIXのプロンプトが表示ひょうじされてもVMS開発かいはつしゃからはなんのコメントもなかったという。UEGのマシンで最初さいしょあたらしいUNIXが動作どうさし、4.5BSDとラベルをったテープをビル・ジョイがっていった。つぎのバージョンは5BSDになるとかんがえられていたが、大学だいがく弁護士べんごしは4.1BSDという名称めいしょうにすることをすすめた。4.1BSDが完成かんせいすると、ビル・ジョイはバークレーをめてサン・マイクロシステムズ設立せつりつかかわることになる。Bill Shannon ものちにニューハンプシャーをのちにしてサンに合流ごうりゅうした。

ちなみにUEGのメインのVAX (decvax) は UUCPUsenetネットワークの主要しゅようノードのひとつであった。米国べいこく西海岸にしかいがんのUCバークレー (ucbvax) と東海岸ひがしかいがんデューク大学だいがく (duke) の電子でんしメールネットニュースはじめてリアルタイムで接続せつぞくした。のちにネットニュースに圧縮あっしゅく機能きのう追加ついかされると、decvaxはヨーロッパ(アムステルダムのVrije Universiteit)やオーストラリア(メルボルン大学だいがく)にも接続せつぞくされ、すくなくとも1にちに2かい通信つうしんおこなった。

Armando StettnerはBill Dollとのばなしで、そろそろDECが自身じしん製品せいひんとしてVAXようUNIXを顧客こきゃくにリリースすべきであると提案ていあんした。Bill Munsonへの提案ていあんしょつくられ、かれはそれをケン・オルセン提案ていあんした。オルセンはUNIXのライセンスプレートをつかみ、だれかのむねをそれではたきながら「やろう」とったといわれている。Ultrixのはじまりである。

UNIXのライセンスプレートとは、Stettnerがつくった自動車じどうしゃナンバープレートじょうのプレートである。ニューハンプシャーしゅうには "Live Free or Die" というモットーがあり、ナンバープレートにはそれがかれていた。その言葉ことばとUNIXの精神せいしん類似るいじかんじて、Stettnerはそのようなプレートをつくったといわれている。かれはこれをUsenixくばっていた。

最初さいしょのリリース[編集へんしゅう]

最初さいしょのUltrix-32は4.2BSDベースで、System Vからいくつかの機能きのうみ、1984ねんにリリースされた。その目的もくてきはDEC自身じしんがVAXようUNIXをサポートすることにあった。また、decvaxをUUCP/ネットニュースで使つかっていた経験けいけんかして、いくつか改造かいぞうくわえられた。のちにUltrix-32はDECnetをサポートし、DEC LATなどのDEC独自どくじのプロトコルもサポートすることになった。コンピュータ・クラスターはサポートしなかった。そのすぐにV7Mをベースとした製品せいひん提供ていきょうした。AT&Tのライセンス規定きていにより、DEC(も他社たしゃも)バイナリのみを配布はいふすることしかできなかった。したがって、様々さまざま構成こうせいわせた設定せっていができるように柔軟じゅうなん設定せってい機能きのう追加ついかすることにちからそそがれた。

のちにDECは3つのプラットフォームけにUNIXを提供ていきょうした。PDP-11様々さまざまなOSがすでにあり、その1つとして)、VAX(2つの主要しゅようOSの1つとして)、そしてDECの最初さいしょRISCシステムであるDECstationワークステーションとDECsystemサーバである(唯一ゆいいつのOSとしてUltrixが使つかわれた)。DECstation はMIPSアーキテクチャのプロセッサを使用しようしたもので、Alphaではない。

本来ほんらいUltrix-11Ultrix-32 というようにプラットフォームごと名称めいしょうちがっていたが、PDP-11が使つかわれなくなるとたんUltrix としてられるようになった。Buglix とか Scrofulix中傷ちゅうしょうされることもあった。MIPSはんUltrixがリリースされると、VAXばんとのちがいをしめすためVAX/ULTRIXとRISC/ULRTIXとばれるようになった。技術ぎじゅつてき重点じゅうてんはサポータビリティと信頼しんらいせい向上こうじょうかれ、CPUやデバイスドライバサポートの改良かいりょう(これはバークレーにもおくられた)、ハードウェア故障こしょうサポートと復旧ふっきゅうエラーメッセージ改善かいぜんなど、様々さまざま改良かいりょうほどこされた。Ultrix-32には4.3BSDの機能きのうDECnetTCP/IPSMTPなどが追加ついかされていった。

UltrixにはSystem Vのプロセスあいだ通信つうしん (IPC) 機能きのう名前なまえつきパイプ、メッセージ、セマフォ共有きょうゆうメモリ)も実装じっそうされた。SVR4がサンとAT&Tの共同きょうどう開発かいはつによって1986ねんすえ開発かいはつされ、これにはBSDの機能きのうれられたわけだが、DECはぎゃくにSystem Vの機能きのうをBSDにれたのである(UNIX戦争せんそう参照さんしょう)。

VAXのワークステーションけに Ultrix-32 はUWS (Ultrix Workstation Software) とばれるデスクトップ環境かんきょうっていた。これはX Window Systemもとづくものである。のちにX11ベースとなりDECwindowsとばれるようになったが、UWSにせたルック・アンド・フィールが使つかわれた。その、DECwindowsには Motif のルック・アンド・フィールも追加ついかされた。

UltrixはVAXやDECsystemのマルチプロセッサシステムじょう動作どうさした。カーネル対称たいしょうがたマルチプロセッシングをサポートしていたが、完全かんぜんマルチスレッドではなかった。一部いちぶのタスクは特定とくていのCPUでのみ動作どうさした(処理しょりなど)。これは当時とうじほかSMP実装じっそうSunOSなど)とはことなる。このように Ultrix は他社たしゃ比較ひかくしてUNIXの最新さいしん機能きのうをサポートするのがおそかった(たとえば、共有きょうゆうライブラリ最後さいごまでサポートされず、4.3BSDのシステムコール数学すうがくライブラリなどのライブラリのサポートもおそかった)。また、様々さまざま問題もんだいなやまされ、とくにファイルシステムは不安定ふあんていだった(4.3BSDのファイルシステムにかんする修正しゅうせいれられなかった)。

最後さいごのリリース[編集へんしゅう]

OSFへの関与かんよ一環いっかんで、DECは Ultrix-32 を OSF/1えた。これはAlphaベースのシステムが登場とうじょうするすこまえにリリースされた。OSF/1はMachベースのカーネルを使つかい、Ultrixにはない様々さまざま機能きのうそなえていた。UEG(当時とうじは Ultrix Engineering Group)は OSF/1ベースの Digital Unix(Tru64 UNIX) がDECのハードウェアじょう動作どうさするよう信頼しんらいせい保守ほしゅせい重視じゅうししつつ開発かいはつをおこなった。

Ultrixの最後さいごのメジャーリリースは1995ねんのバージョン4.5であり、DECstationとVAXけである。そのY2Kパッチがいくつかている。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]