デジタル大辞泉だいじせん 「佐屋さた路ろ」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご さや‐じ〔‐ぢ〕【佐屋さた路ろ】 東海道とうかいどうの脇わき街道かいどうの一いち。七なな里さとの渡わたしの別べつルートで、熱田あつたから万場まんばまんば・佐屋さたを経へて木曽川きそがわを舟ふねで下くだり、桑名くわなに出でる道みち。 出典しゅってん 小学館しょうがくかんデジタル大辞泉だいじせんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい 「佐屋さた路ろ」の解説かいせつ 佐屋さた路ろさやじ 愛知あいち県けん:総論そうろん佐屋さた路ろ「地方ちほう古こ義ぎ」に寛永かんえい一いち一いち年ねん(一いち六ろく三さん四よん)三月さんがつ「佐屋さた路ろ御ご伝馬てんま所しょに被ひ仰おおせ付づけ候こう訳やく」とみえる東海道とうかいどうの脇わき往還おうかん。東海道とうかいどう宮みや(みや)宿やど(現げん名古屋なごや市し熱田あつた区く)で分わかれて陸路りくろをとり、尾頭おとう(おとう)町まち(現げん熱田あつた区く)で西行さいぎょうし、二里にりで岩塚いわつか(いわつか)宿やど(現げん中村なかむら区く)、一いち八はち町まちで万場まんば(まんば)宿やど(現げん中川なかがわ区く)、一いち里さと二に七なな町まちで神守かもり(かもり)宿やど(現げん津島つしま市し)、一いち里さと二に七なな町まちで佐屋さた宿やど(現げん海部かいふ郡ぐん)に至いたる。「佐屋さた海道かいどう」と呼称こしょうされながらも「佐屋さた路ろ」の文字もじが多おおく使つかわれるのは道中どうちゅう奉行ぶぎょう触さわのすべての宛先あてさきに「東海道とうかいどう品川しながわより守口もりぐち迄まで、但ただし佐屋さや路ろ共ども」と公儀こうぎが規定きていしたためであろう。 出典しゅってん 平凡社へいぼんしゃ「日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい」日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけいについて 情報じょうほう
日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ) 「佐屋さた路ろ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 佐屋さた路ろさやじ 「さやみち」、佐屋さた廻まわり(まわ)りともいう。近世きんせいの東海道とうかいどうの脇わき往還おうかん(わきおうかん)。熱田あつた(あつた)から伊勢いせ(いせ)湾わんの北岸ほくがんの岩塚いわつか、万場まんば(まんば)(以上いじょう名古屋なごや市し)、神守かもり(かもり)(愛知あいち県けん津つ島とう(つしま)市し)の3宿しゅくを経へて佐屋さた(同どう県けん愛あい西にし(あいさい)市し)に至いたり、そこの港みなとから木曽きそ(きそ)川かわの支流しりゅう佐屋さや川がわを3里り下くだって桑名くわな(くわな)(三重みえ県けん桑名くわな市し)に達たっする。全ぜん行程こうてい9里さと。1615年ねん(慶長けいちょう20)4月がつ、徳川とくがわ家康いえやすが大坂おおさか夏なつの陣じんに西上にしがみのときにも通行つうこうしたが、正規せいきの街道かいどうとなったのは1634年ねん(寛永かんえい11)。熱田あつた―桑名くわな間あいだの7里さとの渡海とかいを嫌きらう大名だいみょう・公家くげ(くげ)や庶民しょみんに利用りようされたが、宿駅しゅくえき施設しせつは本ほん街道かいどうよりは劣おとっていた。道中どうちゅう奉行ぶぎょう(ぶぎょう)の管轄かんかつ。1868年ねん(明治めいじ1)明治天皇めいじてんのうの東幸ひがしさいわいにも往復おうふくともこの道みちが利用りようされた。1872年ねん道どう換かわとなる。[山本やまもと光正みつまさ]『「佐屋さた路ろ宿やど村むら大概たいがい帳ちょう」(『近世きんせい交通こうつう史料しりょう集しゅう 5』所収しょしゅう・1971・吉川弘文館よしかわこうぶんかん)』▽『『佐屋さや町まち史し』全ぜん6巻かん(1976~92・佐屋さや町まち)』 出典しゅってん 小学館しょうがくかん 日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)について 情報じょうほう | 凡例はんれい
改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん 「佐屋さた路ろ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 佐屋さた路ろ (さやじ) 東海道とうかいどうの宮みや~桑名くわな宿やど間あいだの海上かいじょう七里しちり渡わたるの迂回うかい路ろ。佐屋さた海道かいどう,佐屋さたまわりともいう。宮宿みやじゅくから陸路りくろで岩塚いわつか・万場まんば・神守かもり・佐屋さたの4宿しゅくを経へるまで約やく5里り,さらに船路ふなじで木曾きそ川がわ筋すじを3里り下くだると桑名くわな宿やどに達たっする。1634年ねん(寛永かんえい11)に佐屋さたが宿駅しゅくえきとして公認こうにんされ,将軍しょうぐん徳川とくがわ家光いえみつが通行つうこうした。伊勢湾いせわんの風波ふうはの強つよい日ひにはこの迂回うかい路ろが利用りようされ,近世きんせい中期ちゅうき以降いこうは4宿しゅくとも50人にん・50疋の常備じょうび人馬じんばを有ゆうし,江戸えど幕府ばくふ道中どうちゅう奉行ぶぎょうの管轄かんかつとなった。執筆しっぴつ者しゃ:渡辺わたなべ 和敏かずとし 出典しゅってん 株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ「改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん」改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてんについて 情報じょうほう
百科ひゃっか事典じてんマイペディア 「佐屋さた路ろ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 佐屋さた路ろ【さやじ】 東海道とうかいどうの尾張おわり国こく宮宿みやじゅく(現げん名古屋なごや市し)と伊勢いせ国こく桑名くわな宿やど間あいだは伊勢湾いせわんを海上うながみ渡わたる(七里しちり渡わたる)したが,風雨ふううなどの際さい,宮みやから佐屋さた宿やどまで陸路りくろをとり,佐屋さたから木曾きそ川がわを船路ふなじで桑名くわなに至いたった。この迂回うかい路ろを佐屋さや路ろといい,佐屋さた街道かいどう・佐屋さたまわりとも。佐屋さた宿やどまでの岩塚いわつか(いわつか)・万場まんば(まんば)・神守かもり(かもり)の3宿しゅくともに人馬じんば(各かく50)が常備じょうびされた。→関連かんれん項目こうもく宿やど村むら大概たいがい帳ちょう 出典しゅってん 株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ百科ひゃっか事典じてんマイペディアについて 情報じょうほう
山川やまかわ 日本にっぽん史し小しょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん 「佐屋さた路ろ」の解説かいせつ 佐屋さた路ろさやじ 東海道とうかいどうの熱田あつた(宮みや)と桑名くわなを結むすぶ海上かいじょうの七里しちり渡わたり(しちりのわたし)を迂回うかいする東海道とうかいどうの付属ふぞく街道かいどう。1634年ねん(寛永かんえい11)公許こうきょされ,のち道中どうちゅう奉行ぶぎょうの管轄かんかつ。宿やどとしては熱田あつたから西にしへ岩塚いわつか・万場まんば・神守かもり(かもり)・佐屋さたがあり,この間あいだの距離きょりは約やく6里さと。佐屋さたからは木曾きそ川がわを船ふねで桑名くわなと結むすぶ。1宿しゅくの立たて人馬じんばは50人にん・50疋。参勤交代さんきんこうたいの大名だいみょうの多おおくはこの街道かいどうを利用りようしたので,幕府ばくふの東海道とうかいどうへの触書ふれがきの大だい部分ぶぶんは「佐屋さた路ろ共ども」となっている。 出典しゅってん 山川やまかわ出版しゅっぱん社しゃ「山川やまかわ 日本にっぽん史し小しょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん」山川やまかわ 日本にっぽん史し小しょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱんについて 情報じょうほう
世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん(旧版きゅうばん)内うちの佐屋さた路ろの言及げんきゅう 【街道かいどう】より …それらの管理かんりは初期しょきには代官だいかんまた老中ろうじゅうなども関与かんよしていたが,1659年ねん(万まん治ち2)以降いこうは道中どうちゅう奉行ぶぎょうを置おいて専管せんかんさせた。道中どうちゅう奉行ぶぎょうの管理かんり下かにあったのは,東海道とうかいどう(品川しながわ~京都きょうと・大だい坂ざか),中山道なかせんどう(板橋いたばし~守山もりやま,次じの草津くさつで東海道とうかいどうとなる),日光にっこう道どう中ちゅう(千住せんじゅ~日光にっこう),奥州おうしゅう道どう中ちゅう(宇都宮うつのみや~白河しらかわ),甲州こうしゅう道どう中ちゅう(内藤ないとう新宿しんじゅく~上諏訪かみすわ,次じの下諏訪しもすわで中山道なかせんどうに結むすぶ)の五ご街道かいどうのほか,東海道とうかいどうと中山道なかせんどうを結むすぶ美濃みの路ろ(熱田あつた~垂井たるい),東海道とうかいどうの脇わき街道かいどうというべき佐屋さた路ろ(熱田あつた~桑名くわな),本坂ほんざか通どおり(浜松はままつ~御ご油あぶらまたは吉田よしだ),山崎やまざき通とおる(伏見ふしみ~山陽さんよう道どうの西宮にしのみや),中山道なかせんどうと日光にっこう道どう中ちゅうを結むすぶ例幣れいへい使し道どう(倉賀野くらがの~壬生みぶ(みぶ)通どおりの楡木たまのきへ),日光にっこう道どう中ちゅうの脇わき街道かいどうというべき日光にっこう御ご成道じょうどう(岩淵いわぶち~岩がん槻つきを経へて日光にっこう道どう中ちゅうの幸手さってへ),壬生みぶ(みぶ)通どおり(日光にっこう道どう中ちゅうの小山こやまから分わかれ,飯塚いいづか,壬生みぶ等ひとしを経へて日光にっこう道どう中ちゅうの今市いまいちへ)がある。また千住せんじゅから新宿しんじゅく(にいじゆく)・八幡はちまん(やわた)・松戸まつどを経へる水戸みと佐倉さくら道どうはこの3宿しゅくだけが道中どうちゅう奉行ぶぎょうの管轄かんかつであった。… ※「佐屋さた路ろ」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつの一部いちぶを掲載けいさいしています。 出典しゅってん|株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ「世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん(旧版きゅうばん)」