OMSBの音楽履歴書。

アーティストの音楽おんがく履歴りれきしょ だい44かい [バックナンバー]

OMSBのルーツをたどる

はじめてつくったビートはケータイのちゃくメロ、メインストリームもアングラもあいするMC / トラックメイカーの半生はんせい

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アーティストの音楽おんがく遍歴へんれき紐解ひもとくことで、音楽おんがく探求たんきゅうすることの面白おもしろさや、アーティストのあらたな魅力みりょくりにするこの企画きかく今回こんかいSIMI LABのMC / トラックメイカーで、ソロ活動かつどうやさまざまなアーティストの作品さくひんへの客演きゃくえんでも存在そんざいかんしめOMSBのルーツにせまる。

取材しゅざいぶん / 宮崎みやざきたかしふとし

有名ゆうめいじゃないアーティストを毎朝まいあさ紹介しょうかいしてた「saku saku」

アメリカのニュージャージーでまれて2さいくらいのときに日本にっぽんました。地元じもと神奈川かながわけん座間ざまってとこです。片親かたおや家庭かていで、かあちゃんはべいぐん基地きちはたらいてました。おれがすごいちっちゃいころからかあちゃんはいえとかくるまでヒップホップを爆音ばくおんでかけてましたね。Wreckx-N-Effectの「Rump Shaker」とかノトーリアス・B.I.G.の「Big Poppa」とか。当時とうじはマジでうるさいとおもってましたけど、爆音ばくおんでヒップホップを感覚かんかくはこのころ自然しぜんについたのかもしれません。アメリカにいたころれていた時代じだい空気くうきかんもなんとなく自分じぶんなかにはあって。だからヒップホップの世界せかいかん自然しぜんはいっていけたのかもっておもいますね。

3~4歳くらいの頃のOMSB。

3~4さいくらいのころのOMSB。

でもおれ自身じしん意識いしきてき音楽おんがくくようになったのはちゅう1くらいのころテレビ神奈川てれびかながわ(tvk)で平日へいじつあさ木村きむらカエラさんもMCをしていた音楽おんがく番組ばんぐみ「saku saku」が放送ほうそうされていて、毎朝まいあさ学校がっこうまえてたんですよ。あの番組ばんぐみって有名ゆうめいなアーティストだけじゃなくて、これかられそうなインディバンドとかも紹介しょうかいしてて、番組ばんぐみきっかけでHermann H.&The Pacemakersにハマった記憶きおくがあります。はじめてCDをったのもこのころで、宇多田うただヒカルさんの「traveling」をちゅう1のときにいました。普通ふつう流行はやってたけど、けてカッコよかったといまでもおもいます。ただ影響えいきょう云々うんぬんについてはたぶんないかな。だってこのころ自分じぶん将来しょうらいヒップホップをやるとはおもってなかったから(笑)。

でもおな時期じきにCDをった椎名しいな林檎りんごさんにはちょっと影響えいきょうけてるかもしれない。「本能ほんのう」とかも印象いんしょうてきでしたが「くき(STEM)~大名だいみょうゆうへん~」のミュージックビデオがすごく面白おもしろかったんですよ。ラーメンズの小林こばやし賢太郎けんたろうさんがてて、世界せかいかんってた。「こんな音楽おんがくがあるんだ!」っておもったのをおぼえています。そのあとにた「なんじもと 精液せいえき ぐりはな」ってアルバムがめちゃくちゃきで、この作品さくひんからクレジットもるようになりました。シングル単位たんいじゃなくアルバムの構成こうせいまで意識いしきするようになったのも、この作品さくひんがきっかけですね。

メインストリームもアングラもヒップホップは全部ぜんぶきだった

ニュー・ジャック・シティ」とか、ブラックムービーのビデオがわりといえにあったんですよ。かあちゃんは仕事しごといえにいないこともおおかったから、学校がっこうからかえってきたあと、よくそういうビデオをてたんですね。で、たししょう6のとき、2パックがてる「ジュース」をたんです。DJバトルのシーンとか、カウチにすわりながら仲間なかまはなしてる「EPMDはふるい」とかそういうなんでもないトークがマジでカッコよくて、「ジュース」をきっかけにDJをやってみたいとおもうようになりました。だけどまだガキだし、機材きざいたかくて。すう年間ねんかん、バイトでかねめて、16さいのときにCDJとミキサーをいました。

ったのがCDJだったのは、ばかみたいにCDをってたからです。tvkの影響えいきょうはデカくて、あさに「saku saku」「ミュートマ(ミュージックトマト)」、深夜しんやに「Billboard TOP40」をていたら邦楽ほうがく洋楽ようがくもけっこう満遍まんべんなくMVがれた。日本にっぽんのバンドにハマると同時どうじに、エミネムの「Without Me」とかにも流行はやってたときにハマりましたね。ただ、これはおれ性格せいかくというか嗜好しこうなんですけど、みんながってるメジャーな音楽おんがくより、仲間なかまないおれしからないようなマイナーな音楽おんがくのほうがどちらかというときなんです。「え、らないの?」ってわれるとムカつく(笑)。だからtvkをつつ、タワレコの「bounce」ってフリーペーパーをすみからすみまでんで、になるCDはメインストリームからローカル、アンダーグラウンドまでなんでもっていてました。

高校こうこう厚木あつぎ定時ていじせいで、ヒップホップをひとがけっこうおおかったんです。おれ大好だいすきだけど、みんなメインストリームのヒップホップをいていて、ハードなかんじでもG-Unitとかイグジビットとか。おれがWu-Tang Clanの2ぐん、3ぐんのアーティストをいてると「くらくない?」とかわれてました(笑)。ウータンの荒廃こうはいてきなのにキャッチーな世界せかいかんきなんですよ。「Triumph」のMVなんてなんでもありってかんじだし。

らずにゲットしたスクリューにハマり、しゃべりかたもスローに

そういえば「bounce」の「G-SPOT RIDIN'」って連載れんさい大好だいすきでした。サウスとかギャングスタラップのディープなとこを紹介しょうかいしてて、その連載れんさいでDJスクリューの存在そんざいりました。当時とうじはスクリューのCDなんて簡単かんたん入手にゅうしゅできなかったから、最初さいしょはどういう音楽おんがく全然ぜんぜんわかんなかった。ただかあちゃんがべいぐん基地きちはたらいてたから、おれ基地きちないのCDショップにけて、そこには輸入ゆにゅうばん面白おもしろいのがいっぱいありましたね。日本にっぽんじゃえないやつがあったし、なによりタワレコとかより入荷にゅうかはやかった。で、おれ当時とうじめちゃ流行はやってたジュヴィナイルの「Slow Motion feat. Soulja Slim」がはいってるアルバムをいにったんですね。それをいえかえっていたら、なんかやたらテンポがおそい。よくるとジャケのいろとかデザインがっているものとちょっとちがうし、良品りょうひんだとおもってたんですけど、「G-SPOT RIDIN'」をんで、チョップド&スクリュード仕様しようばん自分じぶんらずにゲットしてたことに気付きづいたんです。それであらためてそのアルバムをなおしたら、なんかいいかんじだった(笑)。なんだかんだでおれもミーハーなんでしょうね。それからスクリューにめっちゃハマりました。むかしからドラッグは一切いっさいやらないけど、当時とうじはしゃべりかたおそくなってたとおもいます(笑)。

ヒップホップって、くにはもちろん地域ちいきやコミュニティによっても表現ひょうげんするおと全然ぜんぜんちがうじゃないですか。そこが面白おもしろかったんですよね。もちろんロックとかにもそういうのはあるとおもうけど、おれにとってはヒップホップが一番いちばんわかりやすくちがいをかんじることができた。そこがヒップホップにハマった一番いちばんのポイントです。

自分じぶんのリズムを表現ひょうげんすることのカッコよさに気付きづいた

めちゃがんばってCDJとミキサーをったはいいものの、そもそもスクラッチもできない機材きざいでしたし、おもったようにDJができなかったんですよ。でもそれから音楽おんがくをさらに意識いしきしてくようになって、そこからビートをつくってみたいとかんがえるようになりました。おれにとって最初さいしょはラップよりもビートが面白おもしろかった。RZAやプリモ(DJプレミア)をききこんでいくうちに、「そいつのドラムをつこと」「そいつのリズムがていること」のカッコよさに気付きづいたんです。メロディにはそんなに興味きょうみがなかったけど、不協和音ふきょうわおんとかネタをチョップしたときの不思議ふしぎ感覚かんかくきだった。当時とうじかあちゃんのケータイにちゃくメロをつく機能きのうがあって、それでんだおとはじめてつくったビートだとおもいます(笑)。自分じぶんのケータイはってなかったんで。

小学校1年生くらいの頃のOMSB。

小学校しょうがっこう1年生ねんせいくらいのころのOMSB。

あと高校こうこうころブックオフでクソゲーというかマイナーゲーをさがすのも趣味しゅみで、「BEAT PLANET MUSIC」というプレステのおとゲーをいました。全然ぜんぜんられてないんですが、そのゲームはぜんクリするとビートメイクやサンプリングができて、めちゃハマりました。ちゃくメロとか、このゲームとかがステップシーケンスだったので「拍子ひょうしのどこになにくとどういうものができるか」みたいなことがわかりはじめたんです。で、17さいのときにリズムマシンをって。サンプリングとかもできない、プリセットのおとげるだけの機材きざいだったけど、マジでめちゃくちゃハマりました。たぶんその機材きざいで500きょくくらいつくってるとおもう。もちろん完成かんせいのものもたくさんあるし、めちゃくちゃ粗削あらけずりだけど。便利べんり機材きざいがないなかで、あれこれこねくりまわして、自分じぶんなりの面白おもしろいビートをつくるって意味いみでは、ここらへんのながれがルーツかもしれません。

「SAG DOWN」でQNと運命うんめいてき出会であ

高校こうこう卒業そつぎょうしたあと、くるま免許めんきょ筆記ひっき試験場しけんじょう当時とうじそんなにゆうんでなかった友達ともだちで、ペルーじんのハーフのマブってやつと偶然ぐうぜんったんですよ。マブとなかがよかった共通きょうつう友達ともだちがいて、そいつはにいちゃんもヒップホップきでDJもやってて、MPCまでってたからりたりしてました。マブとそいつとは、のちにIDBってグループをんでちょっと活動かつどうしました。IDBはIn Door Boyzのりゃく基本きほんてきにみんなそういうタイプの人間にんげんなんですよ(笑)。あとマブはSD JUNKSTAおしえてくれて、SDPの自主じしゅ制作せいさくいまとなってはちょうレアなCDをっててかせてくれました。それからおれもめっちゃハマって、町田まちだのクラブでやってた主催しゅさいイベント「SAG DOWN」に毎回まいかい一緒いっしょったりしました。

「SAG DOWN」はすごかった。はいるにもちょうならばなきゃいけなくて、毎回まいかいハコがパンパンでした。そのれつならんでいるときに自分じぶんのイベントのフライヤーをくばってたやつがいて、それがQNだったんですよ。「今度こんどイベントやるからあそびにてよ」とはなしかけてくれて。実際じっさいにQNのイベントにって、「マジでてくれたんだ!」みたいなかんじでなかよくなりました。

QNの実家じっかによくまっていて、いつもいろんなやつがあつまってました。ヒップホップがきな友達ともだち友達ともだちみたいなかんじのやつらで、みんなが「自分じぶんでもなんかカマしてみたい」とおもってた。おれ最初さいしょDJとして活動かつどうしてたんですが、ある、QNのイベントでトラブルがあっておとまっちゃったことがあって。QNに「これから『SAG DOWN』でったフリースタイルヤバいやつがラップをカマします!」ってムチャぶりで無理むりやりステージにげられて、8小節しょうせつくらいフリースタイルをしたのがラップをはじめたきっかけです(笑)。

SIMI LABの結成けっせいかんしては、当時とうじQNはべつのグループをやってて、おれはIDBにいたけどしょっちゅう一緒いっしょにいたんで「じゃあもう一緒いっしょにやっちゃおう」みたいなかんじ。その段階だんかいではMARIAやダン(DyyPRIDE)、ショウくん(Hi'Spec)はまだ合流ごうりゅうしていませんでした。最初さいしょメンバーにはカッコいいラッパーがいたけど、ヤンキーだからかすぐなくなっちゃって。それでクラブとかでなかよくなったいろんなやつをれてきたりけたりしてのこったのが、いまのSIMI LABです。そのころはズットズレテルズやKANDYTOWNのドカットカット(YUSHI)ともなかがよかった。ドカットはIORyohu、BSC、Dony(Joint)とBANKROLLというクルーもやっていて、おなじイベントにたりしてました。でもそのまえにクルーをやってるのをらずにSIMI LABにさそったら「はいる」とったので、メンバーにカウントしてた時期じきもありましたね。一瞬いっしゅんですが(笑)。おもえばおれはじめてラップを録音ろくおんしたのは、QNとYUSHIがきょくつくってるときだったんです。たまたま一緒いっしょにいて、おれはビートをつくるだけでなにもすることないからひまで、「おれもやってみよう」みたいな。ちなみにズットズレテルズのメンバーだった(オカモト)レイジやハマ(・オカモト)ちゃんともそのころからの友達ともだちです。

2012年に東京・新代田FEVERで開催された「SUMMIT meets FEVER Presents. "UNSUNG HEROES"」の様子。

2012ねん東京とうきょうしん代田だいだFEVERで開催かいさいされた「SUMMIT meets FEVER Presents. "UNSUNG HEROES"」の様子ようす

「SUMMIT meets FEVER Presents. "UNSUNG HEROES"」フライヤー

「SUMMIT meets FEVER Presents. "UNSUNG HEROES"」フライヤー

ありのままのざまをラップして、カッコいい。これってラッパーとして最強さいきょうだとおも

「SAG DOWN」ではもう1つ大事だいじ出会であいがあって。METEORさんがゲストライブをしにたことがあったんですよ。たしか1stアルバム「ごく分裂ぶんれつ」をしたタイミングです。そのライブからちょくちょくあそんでもらえて、バックDJをしてた時期じきもありました。そこからMETEORさんが2ndアルバム「DIAMOND」をして、そこに参加さんかさせてもらったあたりでSIMI LABのいまのメンバーではじめてきょくつくったんです。METEORさんに「おれらのビデオ、つくったんでてください!」とおくったら、SIMI LABの「WALKMAN」を速攻そっこうブログで紹介しょうかいしてくれた。当時とうじ日本語にほんごラップ界隈かいわいで、METEORさんのブログはものすごい影響えいきょうりょくがあったんですよね。この出来事できごとはデカかった。それこそこん所属しょぞくしてるSUMMITの代表だいひょう増田ますだたけ哉)さんや、P(PUNPEE)さんもMETEORさんのブログでおれらのことをってくれました。

増田ますださんは当時とうじまだFILE RECORDSではたらいてました。「WALKMAN」でおれらのことをつけてくれて、QNのソロきょく「Welcome 2 My Lab」のビデオを連絡れんらくをくれたんです。おれのビートもってくれていました。それからRAMB CAMPのリミックスのはなしってくれたり、QNのソロアルバム「THE SHELL」がまえからおれのソロをしたいってってくれたのをおぼえています。その時期じきくらいにツボイ(illicit Tsuboi)さんの存在そんざいりました。きっかけはDEXPISTOLSの「ヌンチャクJAZZ」ってきょく。キャンピー(Campanella)が参加さんかしてて、ツボイさんがリミックスとミックスもやっててめっちゃカッコよかったんです。そこから興味きょうみって、増田ますださん経由けいゆおれ作品さくひんのエンジニアをしていただけないかおねがいしました。あとそのちょっとまえにSIMI LABの1stアルバムのリリパをLIQUIDROOMでやったさいこえをかけていただいたこともあったんですよ。おれなんかを認識にんしきしてくれてるんだ!とおもいました。

じつ日本語にほんごラップにかんしては、かせきさいだぁさんとか90年代ねんだい作品さくひんもけっこういてはいたんですが、なぜかクレジットまでチェックできていなかったんです。でもツボイさんとの出会であいをきっかけにいろいろかえすと「あ、これツボイさんだったのか!」と気付きづかされることがしょっちゅうありました。日本語にほんごラップで一番いちばんきなかん(a.k.a. GAMI)さんの「しるべ~みちしるべ~」のミックスやプロデュースをやってるのもびっくりしましたね。それから「あ、ECDさんの作品さくひんもツボイさんがかかわってたのか」という発見はっけんも。ECDさんとはライブでなんかおいしたことがあったけど、寡黙かもくほう会話かいわ挨拶あいさつ二言にごんさんことくらいでした。でもカッコよかった。これはMETEORさんにもつうじることなんですが、ECDさんはめちゃくちゃ現実げんじつてきですよね。日本にっぽんらして、セルフボーストも悲哀ひあいもありのままにざまをラップしててカッコいい。これってラッパーとして最強さいきょうだとおもう。めちゃくちゃ影響えいきょうけてます。あとけっこうまえ赤坂あかさか見附みつけかどっかでやったはん原発げんぱつのイベントにさそわれて、ショートライブで参加さんかしたことがあったんです。そこにECDさんもいらしてて。ライブの声量せいりょう半端はんぱなかった。そのときもかるくご挨拶あいさつしただけだったんですが、そのあとにTwitterでおれについて「ニューヨークでビギーをたときをおもすような衝撃しょうげきけた」てきなことをいていただけて、すごくうれしかったですね。

なかがいいミュージシャンはおなじSUMMITのVaVaちゃんですね。一時期いちじきなApexを一緒いっしょにやりながらあーでもないこーでもないと毎日まいにちしゃべってて。VaVaちゃんは最初さいしょ印象いんしょうとしては、CreativeDrugStoreのたくさんいるメンバーの1人ひとりってかんじだったんですけど、三宅みやけ監督かんとくの「THE COCKPIT」で共演きょうえんしたのをきっかけに明確めいかく認識にんしきするようになったかんじです。とにかくいますね。最近さいきんはJ(JJJ)ともよくApexをやりますね。JJJとして活動かつどうするまえ名前なまえってたし、JJJが自主じしゅ制作せいさくしたトラックしゅう「ggg」がめっちゃきで、そこからおれの2ndアルバムに参加さんかしてもらったりしたけど、以降いこうしばらくは機会きかいすくなくて。そしたらVaVaちゃんとApexをやりはじめた時期じきくらいに「今日きょうはスペシャルゲストがてます」ってJをAPEXにんでくれて。そこからVaVaちゃんとおなじように、3にんでダベったりするようになりました。

音楽おんがく興味きょうみってからいままではこういうかんじですかね。もう履歴りれきしょなんてくことないとおもってたんで、オモロいすね。これをんでからおれきょくなおしてもらえれば、「あーこういうことだったのか」とおもうかもしれません。ありがとうございました。

OMSB(オムスビ)

神奈川かながわけん相模原さがみはら拠点きょてん活動かつどうするヒップホップクルー、SIMI LABのMC / トラックメイカー。SIMI LABは2009ねんまつにYouTubeで公開こうかいした「WALKMAN」のミュージックビデオが注目ちゅうもくび、これまで2まいのアルバムをリリース。DCPRGの2012ねんのアルバム「SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN USA」などへの客演きゃくえんでヒップホップシーンのみならず幅広はばひろ音楽おんがくファンに存在そんざいかんしめした。OMSBのソロ作品さくひんとしては2012ねんに1stアルバム「Mr. "All Bad" Jordan」、2015ねんに2ndアルバム「Think Good」を発表はっぴょうし、2022ねんに7ねんぶりとなる最新さいしんアルバム「ALONE」をリリース。2021ねんにはテレビアニメ「オッドタクシー」のげきともをPUNPEE、VaVaとともに担当たんとうした。

OMSB ONE MAN LIVE "KROOVI'23"

2023ねん3がつ10日とおかかね東京とうきょう WWW X

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SUMMIT @SUMMIT_info

ナタリー(@natalie_mu )にて、OMSB(@WAH_NAH_MICHEAL )のインタビューが公開こうかいされました。ぜひごらんください。

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