lynch.|結成15周年に送る、中毒性を帯びた “究極”のアルバム

昨年さくねんまつ結成けっせい15周年しゅうねん節目ふしめむかえたlynch.が、やく1ねん8カ月かげつぶりとなる新作しんさくアルバム「ULTIMA」を完成かんせいさせた。“究極きゅうきょくてきなもの”“決定的けっていてきなもの”を意味いみするタイトルのとおり、まさにかれらを代表だいひょうする作品さくひんになりうる意欲いよくさく仕上しあがっている。このアルバムぞう発端ほったんとなったキーワードや、レコーディングの裏側うらがわおどろきのゲストアーティストの正体しょうたいなどをふくめ、5にんあらいざらいかたってもらった。

取材しゅざいぶん / 増田ますだ勇一ゆういち

節目ふしめ完成かんせいした自信じしんさく

──いまさくは、そもそもどのような作品さくひんぞう目指めざしてつくられたものなんでしょうか? ぼくは「これはあらたな原点げんてんのようなものをつくろうとした結果けっかなのかな?」とかんじたんですが。

あきらただし(Dr) おそらく作曲さっきょくしゃ葉月はづきゆうかい)にはそういった意識いしきはなかったはずだし、音楽おんがくてき明確めいかくなコンセプトというのはなかったとおもうんです。ただ自分じぶんたちがここにいたるまでに成長せいちょうしてきた自負じふはあったし、それをかたちにできないとはなしにならないとはおもっていて、それは実践じっせんできたかな、とおもってます。

明徳めいとく(B) 率直そっちょく最高さいこうのアルバムができたなとぼくおもっていて。新曲しんきょくのデモがおくられてくるたびにいつも「最高さいこう!」とおもったんですね。その段階だんかいで、めちゃくちゃいいアルバムになることはわかってたし、それをよりよいものにするために自分じぶんはどうすればいいか、というところに集中しゅうちゅうできたようにおもいます。

れいひさし(G) 葉月はづきからの「つぎのアルバムはこういうものにしましょう」という提案ていあんが、音楽おんがくてきなものではなく、あくまでイメージてきなものだったんです。サイバーパンク、きん未来みらいてきというような。それはいくつかの場面ばめんでの結論けつろんみちびすうえでのヒントにはなったんですけど、音楽おんがくてきなコンセプトは皆無かいむひとしかったんで、あきらじきったように、そこで自分じぶんたちがなにをするか、成長せいちょうをどうけいにするか、ということに集中しゅうちゅうしました。同時どうじに、一昨年いっさくねんなつにアルバム「Xlll」をして、その時点じてんでも“スケールかん”を念頭ねんとういていたんですけど、昨年さくねんのホールツアーをたことでそれを一層いっそう意識いしきするようになっていたし、おおきな会場かいじょうえる楽曲がっきょくつくること、それをさらにえるものにしていくことをかんがえながら制作せいさくんだつもりです。

悠介(G)

ゆうかい(G) “あらたな原点げんてん”という解釈かいしゃくとはむしろぎゃくかもしれないけど、ぼくなかでは、これを自分じぶんのミュージシャン人生じんせい最後さいごのアルバムにしてもいいかな、とってもいいくらいいのないものにできたという気持きもちがいまはあります。いままで後悔こうかいばかりしてきたわけではないですけど、作品さくひんがリリースされてからあらためていてみると「ああ、もうちょっとこうしておけばよかったかな」とか、そういうことが自分じぶんなか多々たたあって。今回こんかいはそういうことを一切いっさいなくそう、という心構こころがまえでした。とはいえ制作せいさく期間きかんれいによってさほどながいわけじゃないので、そのかぎられた時間じかんなかでいかにすればそういったてん解消かいしょうできるか、どうすれば自分じぶんがここでんでも「最後さいごにいいアルバムをつくれたな」とおもえるか……そんなことをかんがえてました。結果けっか今回こんかい本当ほんとう後悔こうかいのないものがつくれたとおもってます。

──素晴すばらしいことだとおもいます。さて葉月はづきさん、どうですか? そもそもの発想はっそうれいひさしさんの発言はつげんにもてきたサイバーパンク、きん未来みらいだったわけですか?

葉月はづき(Vo) 最初さいしょはコンセプトとしてそれをげていたようにおもいます。ただ、それにとらわれすぎてしまって、あんまりきょくができなかったんですよ。そこで「ああ、これはダメだな」とおもって、1かいわすれることにして。むしろ写真しゃしんやミュージックビデオ、言葉ことばえらびやきょくのタイトルといったところで、エッセンスてき使つかうことにしたんです。

──そもそもきん未来みらいという発想はっそうになったことにはなにかきっかけが?

葉月はづき ぼくいま、アニメの「AKIRA」にハマってまして(笑)。それをていてヒントになったというか、「こういうの、lynch.に似合にあいそうだなあ」とおもったんです。そういうコンセプトでやったことはなかったし、ヘビーなサウンドにもいそうだし、1かいやってみようと。ただ、それをおとにするとなると「シンセをやさないといけないのかな? そういうのはちょっとちがうなあ」となりまして。その手法しゅほうはすでにCrossfaithがやってるし、ぼくらがやることじゃないというか。だから途中とちゅうからは当初とうしょかかげていたコンセプトをにせずにきょくづくりをしてました。今回こんかい、ギターとベースのチューニングがいままでよりもさらに1おとがってるんですね。結果けっか、どこか機械きかいてきでメタリックなひびきになって、それ自体じたいになんか未来みらいかんがあるというか、普通ふつうじゃないかんじがするんです。そういうところはビジュアルてきなイメージとうまくマッチしたんじゃないかとおもう。

──つまり、いざ完成かんせいしてみたら当初とうしょのコンセプトにかさなるものに仕上しあがっていた?

葉月はづき 結果けっか、そうなりましたね。きょくはそれぞれちがうし、アルバムの全体ぜんたいぞう見据みすえながらそこで必要ひつようとされるきょくつくっていくというかんじでもなかったんで、じつ今日きょうも「どういうアルバムか?」ってかれたらこまるなとおもってたんです(笑)。「現時点げんじてんでのベストをしただけです」としかいようがなくて。ただ、くせごとにはそれぞれテーマが明確めいかくにある。で、1つなに完成かんせいすると、こういうきょくがあるからこういうきょくしい、ならばこういうきょくも……というかんじでどんどんえていって。その結果けっか、こういうアルバムになったわけなんです。

lynch.(撮影:土屋良太)

遅効ちこうせいどくのような楽曲がっきょくぐん

──あたらしい領域りょういき目指めざすかのような方向ほうこう転換てんかんなどはないけれども、いろいろなめん自分じぶんたちのベストを更新こうしんすること。それが結果けっかてきにテーマになったようなところがあるともえそうですね。

葉月はづき そうですね。とにかく完全かんぜんなる「lynch.とはこういうバンド」というのをてたい、という願望がんぼうがあって。ようするにイメージもおともすべて合致がっちしたもの。「なんでこのおとなのに化粧けしょうしてるの?」とか「ヴィジュアルけいなのにこのおとなの?」とかそういうことじゃなくて、「このおとでこの。ああなるほど、これはもうあたらしいなにかだな」という作品さくひんしたかったんです。ただ、それを目指めざしてつくってはいるんですけど、実際じっさいにそうなったかどうかはききてがわわたってみないとわからない。ぼくとしては、lynch.をいたことのないひとたちがいたときに「なんだこれ? こういうあたらしいかたちがあるんだ?」というふうにってほしいという願望がんぼうとくつよいんですけど、実際じっさいにそこまでいけたかどうかの結論けつろんるのには時間じかんがかかるのかな、とおもっていて。

れいひさし たしかにぼく自身じしんも、これまでとまるでちがうものをつくっているという意識いしきはなく、15周年しゅうねんという節目ふしめとしでもあるなかで、いままでの経験けいけんをどれだけ整理せいりしてめるかをかんがえていたがします。実験じっけんてきをてらうというよりも、これまでのかさねをどうかすか。それが結果けっかてきにアルバムをよくするはずだとおもえたし、そもそもアルバムって、そうやって成長せいちょう過程かていせてくれるものでもありますよね。写真しゃしんのアルバムがそうであるように。だからある意味いみ、すごくアルバムらしいアルバムだなともおもう。

晁直(Dr)

あきらただし 結果けっかろんではあるんですけど、この「ULTIMA」をもって、おおくのひとたちのなかでlynch.という存在そんざい印象いんしょうくなるんじゃないかなとおもっていて。バンドりょくがよりつよくなっていくような楽曲がっきょくがそろってるともおもえる。たとえばラウドロックがわひとたちをていておもうのは、個人こじん個人こじんちからというよりバンドとしてのちからつよひとたちがおおいんじゃないかということなんですね。ぼくらもそれに匹敵ひってきする部分ぶぶんってるつもりだけど、それにくわえてちが武器ぶきがもう1つあるはずで。それがなにかを説明せつめいするのはむずかしいんだけど、そういった自分じぶんたちならではの部分ぶぶんをもっと理解りかいしてもらうためにも、この「ULTIMA」はいい宣伝せんでん材料ざいりょうになるんじゃないかなとおもう。

葉月はづき うん。瞬間しゅんかんにすべてをかっさらうような事態じたいにまではならないかもしれないけど、時間じかんをかけてこれが浸透しんとうしていけば、のちのちどくみたいにいてくるんじゃないかなというがするんですよ。いままでの作品さくひんくらべても、その要素ようそつよい。

──以前いぜん自分じぶんたちの歴史れきしかえりながら、「GALLOWS」(2014ねん)について「あの作品さくひん以前いぜん以降いこうとでけられるくらい重要じゅうよう位置付いちづけのものになった」という発言はつげんがあったと記憶きおくしています。それと同様どうように、いまからなんねんかあとに「あの『ULTIMA』をもってlynch.があらたななにかを確立かくりつした」とわれることになるのかもしれませんね。

葉月はづき うん。「GALLOWS」の場合ばあいは、即効そっこうせいがあったとおもうんです。とうのも、それははなったシーンがしぼられていたからで。あれは自分じぶんたちのファンにけてはなったものだったからこそ、ねらったところに一気いっき浸透しんとうしていった。だけどこのアルバムは、ねらってるのがそこじゃない。もちろんいまでもぼくらは「GALLOWS」からのながれのなかてきたものをつづきやってるんだけど、まわりのひとかせてあらたなかたち確立かくりつしたいというところがいまはあるわけです。従来じゅうらいのファンにとってのなにかをえるんじゃなくて。

れいひさし もっと広範囲こうはんいなものというか。

葉月はづき そう。だから時間じかんがかかるだろうな、とおもってるわけです。

つぎのページ »
類似るいじおそれない