石井一孝

ミュージカルのはなしをしよう だい8かい [バックナンバー]

石井いしい一孝かずたか、ミュージカルの世界せかいにポップスきの異端いたん前編ぜんぺん

フレディ・マーキュリーになりたかった

3

124

この記事きじかんするナタリー公式こうしきアカウントの投稿とうこうが、SNSじょうでシェア / いいねされたかず合計ごうけいです。

  • 29 65
  • 30 シェア

きるためのたたかいから、1人ひとり人物じんぶつ生涯しょうがいえるようなこいときめてしまうほどの喪失そうしつ日常にちじょう風景ふうけいまで、さまざまなストーリーをドラマチックな楽曲がっきょくげ、ものしんげき世界せかいへとはこんでくれるミュージカル。そのきない魅力みりょくを、つくしゅとなるアーティストやクリエイターたちはどんなところにかんじているのだろうか。

このコラムでは、毎回まいかい1にんのアーティストにフィーチャーし、ミュージカルとの出会であいやこれまでの転機てんきのエピソードから、なぜミュージカルにかれ、かかわりつづけているのかをき、その奥深おくふかさをひもといていく。

だい8かい石井いしい一孝かずたかはなしく。石井いしいといえば、1994ねんのミュージカル「レ・ミゼラブル」マリウスやくでの鮮烈せんれつ登場とうじょうが、いまなおかたがれている。2さくのミュージカル出演しゅつえんとなったどうさくで、石井いしい当時とうじおか幸二郎こうじろうえんじるアンジョルラスとの“美形びけいうたうま”コンビとして話題わだいをさらった。以降いこう、ミュージカル俳優はいゆうとしての順風じゅんぷうまん舞台ぶたい出演しゅつえんつづいたが、そのうら石井いしいは、つね葛藤かっとうかかえていたという。

前編ぜんぺんでは石井いしいが、勉強べんきょうれた幼少ようしょうから、ミュージカル「ミス・サイゴン」のオーディションをけ、ゆめ現実げんじつあいだでもがいた時期じきえるまでのエピソードをかたってくれた。

取材しゅざいぶん / 大滝おおたき知里ちさと

ガリ勉がりべん少年しょうねん音楽おんがく目覚めざめる

おめかしした幼少期の石井。

おめかしした幼少ようしょう石井いしい

──音楽おんがくとの出会であいをおしえてください。

いえにピアノはあったんですけど、子供こどもころはピアノにれることはありませんでした。長男ちょうなんだからか、おや大学だいがくれさせようと、勉強べんきょうばかりさせられてて。でも、反抗はんこうすることもらなかったから、素直すなおれて、毎日まいにちじゅくくような子供こどもで。当時とうじ葛飾かつしかにはそんな小学生しょうがくせいはあまりいなくて、わりものだったんじゃないかな。ぼく自身じしん勉強べんきょうきらいではなかったので、よるおそくまでつくえにかじりついて、0ぎてからていましたね。

──音楽おんがくとは無縁むえん幼少ようしょうだったんですね。

小学しょうがく5年生ねんせいくらいから深夜しんやラジオをすんです。当時とうじテレビは一家いっかに1だいしかない時代じだいで、勉強べんきょう部屋へやにあったのはラジオだけ。それが唯一ゆいいつぼくなぐさめてくれる“勉強べんきょう以外いがいのもの”だった(笑)。ラジオからながれてくる音楽おんがくいて、「音楽おんがくっていな」とおもっていました。結局けっきょく受験じゅけんちて地元じもと公立こうりつ中学ちゅうがくくんですが、今度こんどはそこで学年がくねん上位じょうい成績せいせき優秀ゆうしゅうしゃになるんですよ、勉強べんきょうの“貯金ちょきん”があるから。すると、「おれ、できるな」なんて余裕よゆうて、なかひろられるようになったんです。当時とうじ、オフコースが全盛ぜんせい時代じだいで、同級生どうきゅうせいたちとうたうたったり、ハモったりしながら、「うたきだな、おれ歌手かしゅになろう!」って決心けっしんしました。

──まよいがないですね(笑)。

そして勉強べんきょうしからなかった中学生ちゅうがくせい音楽おんがく洗礼せんれいけることになるんです。高校こうこうはいって、フレディ・マーキュリーのこえいたときに、「世界せかいにはこんなにすごいこえひとがいるのか!」とまた衝撃しょうげきけて。ぼくきだったオフコースの小田おだ和正かずまささんもフレディも、ピアノをいてうたうたって、きょくひとだった。だから自分じぶんもそうなろうとおもいました。やがてその“あこがれのひと”に山下やました達郎たつおさんや桑田くわた佳祐けいすけさんがはいってくるんですが。ちなみにこの段階だんかいではまだ、舞台ぶたいの“ぶ”のにも出会であっていません。

幼稚園のお誕生日会で。1月生まれなので、うしろには雪だるまが。

幼稚園ようちえんのお誕生たんじょうかいで。1月まれなので、うしろにはゆきだるまが。

高校時代の石井。

高校こうこう時代じだい石井いしい

すすみちえた「ミス・サイゴン」のチラシ

──ではその“ぶ”のにはいつ出会であうのですか?

俳優はいゆうって、演劇えんげききだった(おかさいわい二郎じろうや、ミュージカルきだった(井上いのうえ芳雄よしおなど、だいなりしょうなり演劇えんげきあいのあるひとがなる職業しょくぎょうだから、ぼくなんかはかなりの不埒ふらちしゃだとおもいます。ぼく本当ほんとうにロックやポップス、Soul Musicがきで、シンガーソングライターになりたかったんです。だから、大学だいがく卒業そつぎょうした1990ねん当時とうじだい市場いちばだったにもかかわらず、就職しゅうしょくせず、三越みつこしのお中元ちゅうげんやお歳暮せいぼ配達はいたつをしていました。それで、カセットテープにうたんだものをレコード会社かいしゃおくるんですけど、どれも門前払もんぜんばらいだったんです。

そんな姿すがたかねた当時とうじ友人ゆうじんが「これもけてみたら?」とってきたのが、えんじしょくにヘリコプターがえがかれたチラシで。募集ぼしゅう要項ようこうてみると、カセットテープにんだうた履歴りれきしょおくるっていう、手順てじゅん一緒いっしょだったんですよね。おれは「ミュージカルってなに?」という状態じょうたいだったけど、ためしに応募おうぼしたらいち審査しんさとおって、外国がいこくじんまえで「ブイ・ドイ」をうたうことになった。よくわらないままガッツあふれるかんじでうたったら、「ファンタスティック!」とすごくほめてくれて。人前ひとまえうたって称賛しょうさんされるのがはじめてだったので、すごくうれしかったのをおぼえています。「この外国がいこくじんいやつだな」なんておもったりして(笑)。それが「ミス・サイゴン」のアラン・ブーブリルとクロード=ミッシェル・シェーンベルクだったという。

──“らない”ことがこうそうしたんですね。

まさに。それから、審査しんさいんに「2カ月かげつさん審査しんさがあるので、それまでにジャズダンスをならってきてください」とわれて。“ジャズダンス”という言葉ことばはじめてみみにした素人しろうとでした(笑)。最終さいしゅうのダンス審査しんさ帝国ていこく劇場げきじょうほん舞台ぶたいでやったんですが、ぼくは「アメリカン・ドリーム」のりを、まわりをチラチラながらおどっていたんです。その姿すがた石川いしかわぜんさんがおぼえてて、その、「最終さいしゅう審査しんさにすごくおどれないやつがいた」「まんいちかっていたらきっとうたがうまいんだろう」と仲間なかまないはなしてたらしいんです。そうしたら制作せいさく発表はっぴょうぼくがいて、「あー!」ってなったという(笑)。

──相当そうとう目立めだってたんですね(笑)。観劇かんげきをきっかけに演劇えんげきみち目指めざすのではなく、いきなり大型おおがたミュージカルのオーディションにいどむのは、めずらしいパターンです。

このじゅうすうねん尚美なおみミュージックカレッジ専門せんもん学校がっこう講師こうしをさせてもらっているんですが、ぼく経歴けいれきはあまり生徒せいとたちの参考さんこうにならないかもしれません(笑)。

1きりのつもりだった舞台ぶたい出演しゅつえん、なのに「He is Marius」

ミュージカル「レ・ミゼラブル」(1994年公演)より。(写真提供:東宝演劇部)

ミュージカル「レ・ミゼラブル」(1994ねん公演こうえん)より。(写真しゃしん提供ていきょう東宝とうほう演劇えんげき

──舞台ぶたいとの出会であいをて、石井いしいさんは大型おおがたミュージカル作品さくひん中心ちゅうしんかくやく次々つぎつぎえんじていきます。

「ミス・サイゴン」の公演こうえんちゅうにミュージカル「レ・ミゼラブル」のオーディションのはなしまわってきたんです。よくらなかったので、「ぼくけるとしたら何役なんやく?」とまわりの先輩せんぱいかたたずねたら「カズの年齢ねんれいならアンジョルラスかマリウスだ」と。アンジョルラスのほうがロックてきだというので「じゃあアンジョルラスでけようかな」なんておもいながら、当時とうじならっていたうた先生せんせい両方りょうほうやくうたかせると「『カフェ・ソング』のほうが圧倒的あっとうてき出来できい」とうので、「じゃあそっちにします」って、やっぱり不埒ふらちしゃでしたね(笑)。でも一生懸命いっしょうけんめい練習れんしゅうして、ジョン・ケアードのまえ精一杯せいいっぱいうたったら、ジョンが「He is Marius」としてくれたそうで、なんと合格ごうかくしたんです。半年はんとし今度こんど映画えいが「アラジン」のえオーディションがあるというのでけてみたら、これもかって。奇跡きせきですよね!

──きゅうかりはじめるものなんですね。

演劇えんげき女神めがみがほほんでくれてるとしかいようがなかったですね。じつは「ミス・サイゴン」がわったらまたバイト生活せいかつもどって、シンガーソングライターを目指めざそうとおもっていました。それがマリウス、アラジン、さらにはミュージカル「シンデレラ」で王子おうじさまというやくをもらい、3ねんさきまでの仕事しごとがレールをかれるようにまってしまった。とても幸運こううんなことだったのですが、下積したづみなく次々つぎつぎ舞台ぶたい出演しゅつえんすることになったのが、ぼくにとっての悲劇ひげきだったんです。

身体しんたいがバラバラになりそうだったじゅうだい後半こうはん

マリウス役を演じていた頃の石井。

マリウスやくえんじていたころ石井いしい

──どのようなことが大変たいへんだったんですか?

シンガーソングライターになりたいというつよいパッションをむねちながら、将来しょうらい俳優はいゆうとしてやっていこうというたしかな決意けついもなく、舞台ぶたいつづけるということへの葛藤かっとうですかね。そのころ大地だいち真央まおさんの舞台ぶたい「アイリーン」(1995ねん、1998ねん公演こうえん)に相手あいてやくとして出演しゅつえんさせてもらう機会きかいがあったのですが、真央まおさんに手取てど足取あしど演技えんぎおしえてもらって。「右手みぎて右足みぎあし一緒いっしょているようにえる」「カズちゃんはうたはうまいけど、もっとお芝居しばい勉強べんきょうしたほうがいいわよ」と熱心ねっしん指導しどうしてもらいました。なんとか稽古けいこえ、舞台ぶたい開幕かいまくしたんですが、真央まおさんのようなだいスターと共演きょうえんすると、身体しんたいのコントロールもままならないレベルの自分じぶんは、やはり「下手へただ」と新聞しんぶんひょうなどでかれるんですよね。それがすごくつらくて。演技えんぎ自体じたいぎらいじゃないけどノウハウがない、応援おうえんしてくれるファンの存在そんざいはありがたいのに「自分じぶんはこれでいいのだろうか」というまよいもあった。30さいまでは順風じゅんぷうまんのようにえる俳優はいゆう人生じんせいかげで、身体しんたいがバラバラになってしまいそうな時期じきでした。

──そのような状況じょうきょう打破だはするきっかけはなにだったのですか?

くやしくて、劇団げきだん民藝みんげい劇団昴げきだんすばる文学ぶんがくなど“新劇しんげき”の舞台ぶたいあししげかんって、自分じぶんなりに演技えんぎ勉強べんきょうをしはじめたんです。そこは、“芝居しばいこそ人生じんせい”という高度こうどなセリフじゅつった役者やくしゃばかりの世界せかいだったからです。自分じぶんなりにもっとうまくなりたいって必死ひっしだったんですね。またそのころ自分じぶん作曲さっきょくしたオリジナル楽曲がっきょくばかりを収録しゅうろくした1st CDを自主じしゅ制作せいさくしたんです。勝手かって歌手かしゅデビューしたんですよね(笑)。それで、ずっとぶたをしてきた「音楽おんがく世界せかいきたい」というしん解放かいほうしてあげたら、ストレスがなくなって。うまく物事ものごとまわるようになった。自分じぶんきるみち演技えんぎだけにしてしまっていたのが間違まちがいだったんですよね。俳優はいゆう活動かつどう歌手かしゅ活動かつどう、その“そくのわらじ”をいて人生じんせいあるはじめたらしん余裕よゆうてきて、ぎゃくに“舞台ぶたい自分じぶん”がこいしくなっちゃって(笑)。

──中学ちゅうがく時代じだいおなじですね。

なにかやりたいことがあって、それがだれかに迷惑めいわくをかけないことで、状況じょうきょうゆるすなら、すこしずつでもチャレンジしてみるのがいとおもうんです。そうしないと自分じぶん自分じぶん人生じんせい満足まんぞくできない。ぼく場合ばあいはそこから人生じんせい歯車はぐるままわはじめました。ほどなくして宮本みやもともんさん演出えんしゅつのミュージカル「キャンディード」(2001ねん公演こうえん)でタイトルロールをになったときは、重責じゅうせきたのしんでえんじることができたし、35さいのときにジャン・バルジャンをえんじさせていただいたのが最大さいだい転機てんきに。あのときに「生涯しょうがい演劇えんげきおう。俳優はいゆうをやりつづけよう」と決心けっしんしました。

石井の1st CD「HEART & SOUL CAFE」ジャケット写真。

石井いしいの1st CD「HEART & SOUL CAFE」ジャケット写真しゃしん

前編ぜんぺんでは石井いしいあらしのようなミュージカルとの出会であい、そこからまれた葛藤かっとうかたってもらった。後編こうへんでは最年少さいねんしょういどんだジャン・バルジャンのやくづくりレシピ、ミュージカルとポップス両方りょうほう世界せかいきるかれならではのミュージカルの魅力みりょくをたっぷりとく。

プロフィール

1968ねん東京とうきょう葛飾かつしかまれ。俳優はいゆう。1992ねん、ミュージカル「ミス・サイゴン」でデビュー。1993ねん、ディズニーのアニメ映画えいが「アラジン」日本にっぽんばん歌唱かしょう担当たんとう。1994ねん、ミュージカル「レ・ミゼラブル」のマリウスやくばってきされ、以降いこう数々かずかずのミュージカルに出演しゅつえん。2010ねんだい35かい菊田きくた一夫かずお演劇えんげきしょう演劇えんげきしょう受賞じゅしょうおも出演しゅつえんさくにミュージカル「マイ・フェア・レディ」「蜘蛛くもおんなのキス ~KISS OF THE SPIDER WOMAN~」「さんじゅう」「シスター・アクト ~天使てんしにラブ・ソングを~」「スカーレット・ピンパーネル」「デスノート THE MUSICAL」舞台ぶたいに「ゆめ」、こまつ小林こばやし一茶いっさ」、「ハルシオン・デイズ」など。舞台ぶたい出演しゅつえん並行へいこうしてシンガーソングライターとしても活動かつどうし、コンサートやアルバム発表はっぴょう積極せっきょくてきおこなう。最新さいしんCDは「In The Scent Of Love ~Top Note~」。MonSTARS、おか幸二郎こうじろう曾我そが泰久やすひさ姿すがたがつあさと、みずうみがつわたる、AKANE LIV、麻生あそうかほさと南里なんり侑香ゆうか坂元さかもと健児けんじ渡辺わたなべ大輔だいすけなどに楽曲がっきょく提供ていきょう多数たすう。また、2018・2019ねんには自身じしん原案げんあん作曲さっきょく主演しゅえんつとめた一人ひとり芝居しばいミュージカルくんからのBirthday Card」上演じょうえん現在げんざいミュージカル「ロミオ&ジュリエット」にロレンス神父しんぷやく出演しゅつえんちゅう。6月27にちきし祐二ゆうじをゲストにむかえたなま配信はいしんコンサート「Forever Green」を開催かいさい。8・9がつミュージカル「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」、10月に夫婦ふうふ漫才まんざいひかえる。

バックナンバー

この記事きじ画像がぞうぜん7けん

読者どくしゃ反応はんのう

  • 3

さけたらこ @saketara

石井いしい一孝かずたか、ミュージカルの世界せかいにポップスきの異端いたん前編ぜんぺん) | ミュージカルのはなしをしよう だい8かい https://t.co/fyLwSae64L

コメントを(3けん

関連かんれん記事きじ

石井いしい一孝かずたかのほかの記事きじ

リンク

あなたにおすすめの記事きじ

このページは株式会社かぶしきがいしゃナターシャのステージナタリー編集へんしゅう作成さくせい配信はいしんしています。 石井いしい一孝かずたか最新さいしん情報じょうほうはリンクさきをごらんください。

ステージナタリーでは演劇えんげき・ダンス・ミュージカルなどの舞台ぶたい芸術げいじゅつのニュースを毎日まいにち配信はいしん上演じょうえん情報じょうほう公演こうえんレポート、記者きしゃ会見かいけんなど舞台ぶたいかんする幅広はばひろ情報じょうほうをおとどけします