どくせん著者ちょしゃかすだい2大戦たいせん勝敗しょうはい本質ほんしつ ナチスの命運めいうんけた重点じゅうてんなき「バルバロッサ」作戦さくせん

著者ちょしゃフォロー
ブックマーク

記事きじをマイページに保存ほぞん
できます。
無料むりょう会員かいいん登録とうろくはこちら
はこちら

印刷いんさつページの表示ひょうじはログインが必要ひつようです。

無料むりょう会員かいいん登録とうろくはこちら

はこちら

縮小しゅくしょう
ヒトラーがたいせん決断けつだんをしたのはいつなのか(写真しゃしん:Ryhor Bruyeu/PIXTA)
だい2世界せかい大戦たいせんでドイツぐん運命うんめい逆転ぎゃくてんさせた「バルバロッサ」作戦さくせん現代げんだい史家しか大木おおきあつしは、このたたかいは「重点じゅうてんなき作戦さくせん」であったという。てきちから中心ちゅうしんこそが「重点じゅうてん」であり、そこをただしく判断はんだんし、たたくことは戦略せんりゃく作戦さくせん立案りつあん必須ひっす要件ようけんである。その重要じゅうようせいは、たとえばウクライナ侵略しんりゃく戦争せんそうなどが証明しょうめいしている。
しかしながら、「バルバロッサ作戦さくせん」では、その「重点じゅうてん」がめられなかった。それはなぜか。そしてそもそもヒトラーがたいせん決断けつだんをしたのはいつなのか。大木おおきあつし新著しんちょ勝敗しょうはい構造こうぞう』(祥伝社しょうでんしゃかん)より一部いちぶ抜粋ばっすい編集へんしゅうしておとどけする。

人格じんかくなき人間にんげん

戦争せんそうとはなにかを追求ついきゅうした名著めいちょ戦争せんそうろん』をものした、プロイセンの用兵ようへい思想家しそうかカール・フォン・クラウゼヴィッツは、「重点じゅうてん(シュヴェーアプンクト)」の概念がいねんもちいて、なに戦争せんそう勝敗しょうはいけっするファクターなのかを考察こうさつした。

クラウゼヴィッツによれば、てきのあらゆるちから活動かつどう中心ちゅうしんこそが重点じゅうてんであり、これを全力ぜんりょくたたかねばならない。てき軍隊ぐんたい重点じゅうてんであれば、それを撃滅げきめつし、党派とうはてき分裂ぶんれつしている国家こっかであれば、首都しゅと重点じゅうてんとなるから、これを占領せんりょうする。同盟どうめいこくたのみのじゃく小国しょうこくであれば、そのうしたてとなるくに派遣はけんする軍隊ぐんたい重点じゅうてんであるから、その主力しゅりょく撃破げきはしなければならないと、『戦争せんそうろん』にはしるされている。

この思想しそうはプロイセンから、同国どうこく中心ちゅうしん統一とういつされたドイツの軍隊ぐんたいがれた。だい1世界せかい大戦たいせんのタンネンベルク包囲ほうい殲滅せんめつせんめつせん大功たいこうげ、国民こくみんてき英雄えいゆうとなったパウル・フォン・ヒンデンブルク元帥げんすいなどは、「重点じゅうてんなき作戦さくせんは、人格じんかくなき人間にんげんおなじである」とまでっている。

関連かんれん記事きじ
トピックボードAD
キャリア・教育きょういく人気にんき記事きじ