人々ひとびとしんうごかした真実しんじつひびき フジコ・ヘミングさんがいた人生じんせい賛歌さんか

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編集へんしゅう委員いいん吉田よしだ純子じゅんこ

 どこをおとずれても、このひとけるのは渇望かつぼうじる熱狂ねっきょうだった。そうだ、わたしはこういう音楽おんがくきたかったのだ――。

 それぞれの苦悩くのうかかえ、日常にちじょう懸命けんめいきるひとりひとりのひとむねへと、フジコさんの「ラ・カンパネラ(かね)」は祝福しゅくふくひびきをとどけた。

 そもそも「ラ・カンパネラ」といえば、華麗かれい超絶ちょうぜつ技巧ぎこう代名詞だいめいし。パガニーニのバイオリン協奏曲きょうそうきょくを、リストがピアノよう編曲へんきょくしたものだ。ロマン代表だいひょうする2人ふたりのヴィルトゥオーソ(名人めいじん)のわざ連携れんけいといってよく、コンクールなどで技巧ぎこうをアピールするとき演奏えんそうされるものという印象いんしょうつよい。

 わかひとたちがテクニックをほこり、刹那せつな(せつな)てきなブラボーをうばるために「利用りよう」しがちになるこのきょくを、フジコさんは滋味じみふか人生じんせい賛歌さんかにした。「技術ぎじゅつだけの音楽おんがくなんてないのよ」とでもうように、音量おんりょうほこらず、なにげない風情ふぜいできらきらとあたたかな高音こうおんはなった。

 フジコさんは1931年生ねんせいま…

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