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夏竦 - 维基百科,自由的百科全书 とべ转到内容ないよう

なつ

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なつ(985ねん—1051ねん),たかし江南こうなん西道さいどうしゅうとくやすけんひときたそう大臣だいじん

生平おいだいら

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養父やぶなつ廷皓[1]ため禁中きんちゅうさむらいきんいちにちなつ廷皓五更ごこう入朝にゅうちょう值農れきじゅういちがつ天氣てんきごくため嚴寒げんかんざいうえあさてき道路どうろ左側ひだりがわ瞥見べっけんゆうごう出生しゅっしょうひさてき嬰兒えいじ便びんひと拿蠟しょくあきら只見ただみ嬰兒えいじにしき繃文葆,插金釵子せき”,且是めいおとこ嬰。よしなつ廷皓とげ將男まさお嬰抱養育よういくそくなつ竦。こうなつ廷皓あずかちぎりじん交戰こうせん戰死せんしなつ竦得以以ちちかげとくかんうるうしゅう丹陽たんようおも簿[2]なつ竦“せい明敏めいびん好學こうがくけいひゃくいえ陰陽いんようりつれきそといたりふつろうこれしょ通曉つうぎょうため文章ぶんしょう典雅てんがうらら”。けいとくよんねん(1007ねんうるうがつなか賢良けんりょう方正ほうせい,授ひかり祿ろくてらすすむつうばんうてなしゅうこと,遷著作ちょさくろう召還しょうかん,遷秘書ひしょしょうすすむただししゅうけんいんどう編修へんしゅう國史こくしはん三司都磨勘司,遷みぎせいげんくるまこう亳州ため東都とうと留守るす推官おさむ起居ききょちゅうためたまきよしあきらおうみや判官ほうがんけんりょうけいれいみやかいれいかんごと,遷吏部員外いんがいろうせい誥。大中おおなかさちきゅうねん(1016ねんがつ,遷戶部とべつかさ員外いんがいろうけいれい宮成みやなり,遷れいろうちゅう[3]

てん元年がんねん(1017ねんじゅうがつすわねやもん左遷させん職方しょくかた員外いんがいろうしゅうことさんねん(1019ねん),ふくれい司郎しろうちゅう鄧州またじょうしゅうよんねん(1020ねんよんがつじょうしゅうだいひだるひらきくら救濟きゅうさい百姓ひゃくしょうつのとみ人出ひとであわ十餘萬斛以賑救之,かつよんじゅうろくまんくちきょううえ其事,たまものしょ褒獎,頗得百姓ひゃくしょう信任しんにんそうひとしむね即位そくい,遷戶部とべ司郎しろうちゅうことぶきやすひろしさんしゅうひろししゅう,勒令みこ1900いえかえのうなみ毀其淫祠いんしてんきよしさんねん(1025ねんなながつふくせい誥。はちがつ參與さんよしょうていちゃほうちょうはは打算ださん服喪ふくももと為景ためかげれいみや判官ほうがんはんしゅうけんいん九月くがつたてまつ使つかいちぎり,以父ぼつてきなんちからつぎねん(1026ねん),以左司郎しろうちゅうため召,ため翰林かんりん學士がくしどう勾當こうとうさんはんいんけん侍讀じどく學士がくししんかんいんまたけんりゅうかく學士がくしねん(1027ねん正月しょうがつはいみぎ諫議大夫たいふ樞密すうみつ副使ふくしがつたてまついのちおさむ真宗しんしゅう國史こくし》。じゅうがつためどうじんはりやいとけいさくじょろくねん(1028ねんさんがつ,遷きゅうごとちゅう。以邊備不可ふかはせ,屢陳もり禦之さくななねん(1029ねんがつはいまいり政事せいじさちげんかん使うるうがつ,請復ろくまた請復百官ひゃっかんてんたいおけ檢使けんしため宰相さいしょうりょえびすところはちがつ刑部おさかべさむらいろうふくため樞密すうみつ副使ふくし明道みょうどう元年がんねん(1032ねんじゅういちがつ,遷尚書しょうしょひだりすすむじんむね親政しんせい樞密院すうみついん中書ちゅうしょ門下もんかりょう大臣だいじんみなやめねん(1033ねんよんがつやめためれい尚書しょうしょじょうしゅうくだりあらため潁州なながつあおしゅうけんきょうひがしわざわいきずしゅうぐんからだりょうやすなで使けいゆう元年がんねん(1034ねんはちがつやめやすなで使刑部おさかべ尚書しょうしょねん(1035ねん),おうてんけん南京なんきん留守るすたからはじめ元年がんねん(1038ねんさんがつ,以戶部とべ尚書しょうしょにゅうためさんつかさ使

李元りげんひろしはん十二月じゅうにがつはいたてまつやすしぐん節度せつど使永興りょうごぐんけんうまあゆみぐん都部いちぶしょつつみ舉乾耀等しゅう軍馬ぐんば、涇原しんおおとりやすなで使ねん(1039ねん正月しょうがつこもささえいん外郎ういろうちょうのぼる宋朝そうちょう廷以ちょうのぼるためろくたく使、涇原しんおおとりやすなでかん六月ろくがつうえげん西にしひなごとなながつあらため涇州けん涇原しんおおとり緣邊えんぺん經略けいりゃくやすなで使、涇原ぐん都部いちぶしょかんじょう元年がんねん(1040ねんがつあらため忠武ただたけぐん節度せつど使ため陝西せんせい部署ぶしょけん經略けいりゃくやすなで使緣邊えんぺん招討使知永ちながきょうぐんけいれき元年がんねん(1041ねん正月しょうがつはいせん徽南いん使よんがつばん永興りょうごぐん五月ごがつまたみことのりしんたむろ鄜州[4]じんむね曾遷使もんおさむ討之さくなつ反對はんたいしんへい主張しゅちょうてき一旦いったん入寇にゅうこう,毋得あずかたたかえぜっ其賜其緣互市ごしすわ其斃也。しゃ以其げんためしかじゅうがつばん河中かわなか[5]

けいれきねん(1042ねん),あらため蔡州とき朝廷ちょうてい用兵ようへい西北せいほくりゅうたいらかずらふところさとあいつぎひとしそう悔不よう竦言,かん琦自陝西せんせいかえげん竦制これさくさんねん(1043ねんさんがつため戶部とべ尚書しょうしょ、召為くるる密使みっししゃ以竦おびえ于用へいこん而用のり使あたりはたこれ墮矣,とくやめやめこれなながつ亳州。竦上かえふし旌,ためれい尚書しょうしょよんねん(1044ねんじゅうがつせい殿どのだい學士がくし[6]ねん(1045ねんはちがつはいせん徽南いん使河陽かわよう三城みき節度せつど使九月くがつばん并州ろくねん(1046ねんがつはいどう中書ちゅうしょもん下平しもだいらあきらごとはん大名おおなけん北京ぺきん留守るすなながつばん并州。ななねん(1047ねんさんがつはいしょう。諫官、詆之やめあらためくるる密使みっし十二月じゅうにがつふう英國えいこくこうはちねん(1048ねんがつばん河南かなんけん西京にしぎょう留守るすすめらぎゆう元年がんねん(1049ねんなながつけんさむらいちゅうねん(1050ねんきゅうがつもちいまつあかりどうおん,受賜かさねころもかねたいうつわぬさ、勒鞍じゅうがつあらためたけやすしぐん節度せつど使じょしゅうだいとくちょうふみしんふうじていこくおおやけ[7]さんねん(1051ねんきゅうがつそつ[8]ねんろくじゅうななおくふとし中書ちゅうしょれいおくりなぶんそう[9][10]ねん(1053ねんなながつそうもとしゅう三封鄉洪長之原。

著作ちょさく

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しるゆうぶんそうしゅうさんじゅうろくかん[11]、《古文こぶん四聲しせいいんかん[12]

評價ひょうか

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なつ竦能ゆうやまぜいはちこしだん溪流けいりゅう燕尾えんびぶん宰相さいしょうしょう其詩,とくちょう於宋真宗しんしゅうしょうためかつら冠詞かんしじん”。なつ竦嫉けん妒能,曾進言しんげん於宋じんむね使つかい范仲淹とうけんしん貶,なみ反對はんたい新政しんせいためいしかい曾傚ほうかんいよいよ元和がんわ聖德せいとく頌》而賦《けいれき聖德せいとく》,ちょく斥夏竦奸にせさらはた其與こうわか並稱へいしょうため“妖孽”[13]

軼事いつじ

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ゆめけい筆談ひつだんなつ竦睡さとしへんたい寒冷かんれいなお如死じんとういたねむ醒後,必須ひっすもたれじんゆずる自己じこてき身體しんたい恢復かいふく溫度おんどりょうもとひさ才能さいのうゆか活動かつどう[14]

家族かぞく

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  • 曾祖そうそなつ昱,おくふと中書ちゅうしょれい尚書しょうしょれいすすむこくおおやけ
  • 曾祖母そうそぼちんしゅうこく太夫たゆうじん
  • なつ奐,おくふと中書ちゅうしょれい尚書しょうしょれいひとしこくおおやけ
  • 祖母そぼつばめこく太夫たゆうじん
  • 養父ようふなつ廷皓,おくたかし使ふとし中書ちゅうしょれい尚書しょうしょれいこくおおやけ
  • 養母ようぼもりえつこく太夫たゆうじん
  • つま:楊氏,さかえこく夫人ふじん
  • なつやすしみぎ諫議大夫たいふりゅうかく學士がくし
    • まごなつはくまごおわりかんひだり朝議ちょうぎ大夫たいふうえばしらこくかい稽縣開國かいこくしょく邑五ひゃくたまものむらさき金魚きんぎょぶくろ
    • まごなつはくきょうふとしつねてらふとししゅく
  • おんななつひとしことぶきぐんくんてきいん外郎ういろう賈守訥
  • おんななつてきこう祿ろくてらすすむ賈延ねん
  • 曾孫そうそんなつまことうけたまわろう
  • 曾孫そうそんなつ懌,うけたまわろう
  • 曾孫そうそんなつあつしひだりさむらいきん
  • 曾孫そうそんなつ忭,つかまつ
  • 曾孫そうそんなつつとむひだりさむらいきん
  • 曾孫そうそんなつ恢,江山えやまおも簿
  • 曾孫そうそんなつ忻,つかまつ
  • 曾孫そうそんなつ恮,胙城じょう
  • 曾孫そうそんなつ慬,つかまつ
  • 曾孫そうそんなつ慥,ふとしびょうときろう
  • 曾孫そうそんなつ忦,かりうけたまわつとむろう
  • 曾孫そうそんなつ
  • 曾孫そうそんなつふところ
  • 曾孫そうそんおんななつてきちょう
  • 曾孫そうそんおんななつてきあさ請郎龐元ちゅう
  • 曾孫そうそんおんななつてきたてまつろうはりみやび
  • 曾孫そうそんおんななつてきちょうなか
  • 曾孫そうそんおんななつてきちょうなか
  • 曾孫そうそんおんななつてきあさたてまつろうやく
  • 曾孫そうそんおんななつてきちょう叔盎
  • 曾孫そうそんおんななつてきみぎかん門衛もんえい將軍しょうぐんちょうなか
  • 曾孫そうそんおんななつてきぶんおもえ副使ふくしちょうれいむかし
  • 曾孫そうそんおんななつてきりつりつちょうなか
  • 曾孫そうそんおんななつ

延伸えんしん阅读

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[ざい维基すうすえ]

ざい维基ぶん阅读此作しゃ作品さくひん
维基文库中的相关文本:そう·まき283》,出自しゅつじだつだっそうふみ

参考さんこう资料

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  1. ^ そうふみさくうけたまわあきら
  2. ^ みなみそう·おう,《だま》(まきちゅう):“なつえいこう其父さむらいきんめい廷皓。よし入朝にゅうちょうふゆがつもりかんどうひだりゆう嬰兒えいじ啼甚きゅうぶたしん生子おいご也。たてうまひとしょくにしき繃文葆,插金釵子せき,且男子だんし也。なついん攜去そだてこれ,竟不知ふちだれ氏子うじこ焉。ややなが,其父ぼつ王事おうじとくかんうるうしゅう丹陽たんようぬし簿。”
  3. ^ もと·だつだっひとし,《そうふみ》(まき283):“竦資せい明敏めいびん好學こうがくけいひゃくいえ陰陽いんようりつれきそといたりふつろうこれしょ通曉つうぎょうため文章ぶんしょう典雅てんがうらら。舉賢方正ほうせい,擢光祿ろくてらすすむつうばんうてなしゅう。召直しゅうけんいん為國ためくに編修へんしゅうかんはん三司都磨勘司,るい遷右せいげんみかどこう亳州,ため東京とうきょう留守るす推官。ひとしそうはつふうけいこくおおやけおうだんすうこと竦材,いのち教書きょうしょぜんどういくどうおさむ起居ききょちゅうためだま清昭きよあきおうみや判官ほうがんけんりょうけいれいみやかいしんかんごと,遷尚しょれい部員ぶいん外郎ういろうせい誥。なり,遷戶けいれい宮成みやなり,遷禮ろうちゅう。”
  4. ^ もと·だつだっひとし,《そうふみ》(まき283):“竦娶楊氏,楊亦こうひつ劄,ゆうかぎ距。及竦あらわ內寵,ひたあずか楊不諧,楊悍妒,そくあずかおとうと胄疏竦陰ごと,竊出訟之,また竦母あずか楊母しょう詬詈,偕訴開封かいふう以事聞,しただいおけ劾,左遷させん職方しょくかたいん外郎ういろうしゅうこうねん,徙鄧しゅうまた徙襄しゅうぞくとしひだる大發だいはつおおやけ廩,不足ふそく,竦又すすむりつしゅうだいせい使つかいあわとく萬斛ばんこくもちいぜんかつしゃよんじゅうあまりまんにんじんむね即位そくい,遷戶ろうちゅう,徙壽、やすひろしさんしゅうひろしぞくなおおにみこ覡惑みん,竦索ちゅうとくせんいえ,敕還農業のうぎょう,毀其淫祠いんし以聞。みことのりこう、浙以南いなん禁絕きんぜつ。竦材じゅつひときゅう進取しんしゅ交結,にんすうじゅつかたぶけがわ反覆はんぷくせい以為奸邪。とうふとしきさき臨朝,嘗上疏乞與おさむ真宗しんしゅう實錄じつろく》,ほうすんで而丁ははゆうせんいたり京師けいしちゅうひとちょうふところとくため內助,宰相さいしょうおう欽若まさよし竦,いん左右さゆうとげおこりふくせい誥,為景ためかげれい判官ほうがんはんしゅうけんいん,以左司郎しろうちゅうため翰林かんりん學士がくし勾當こうとうさんはんいんけん侍讀じどく學士がくしりゅうかく學士がくしまたけんやくけいじゅん文官ぶんかん。遷諫大夫たいふため樞密すうみつ副使ふくしおさむ國史こくし,遷給ごとちゅうはつ武臣ぶしん賞罰しょうばつ無法むほう,吏得高下こうげため奸,竦為しゅうまえしるため定例ていれいことみな按比而行。あらためさん政事せいじさちげんかん使增設ぞうせつ賢良けんりょうとうろくふく百官ひゃっかんてんたいおけ檢使けんしみな竦所はつあずか宰相さいしょうりょえびす簡不相能あいのうふくため樞密すうみつ副使ふくし,遷刑さむらいろうなりしん兵部ひょうぶひろしん尚書しょうしょひだりすすむふとしきさきくずれやめためれい尚書しょうしょじょうしゅうあらため潁州。きょうひがしこもひだる,徙青しゅうけんやすなで使。逾年,やめやすなで,遷刑尚書しょうしょ、徙應てんたからもとはつ,以戶尚書しょうしょにゅうためさんつかさ使ちょうもとひろしはんはいたてまつやすしぐん節度せつど使知永ちながきょうぐん,聽便宜べんぎ行事ぎょうじ。徙忠たけぐん節度せつど使涇州。かえはん永興りょうごぐんけん陝西せんせい經略けいりゃくやすなで招討,しんせん徽南いん使あずかひねちゅうろん兵事へいじごうみことのり徙屯鄜州。”
  5. ^ きたそう·おう,《なつぶんそうこう竦神どう》:“天子てんし使つかいといしょ以攻討之さく公乃きみのげん:「太平たいへい興國こうこくちゅうつぎ遷以きゅう蹙之へい,屢寇ついたちかたふとしそう嘗命つぎたかしとうなみ,旋亦こう而還。真宗しんしゅうよくやめせき中之なかのみんおもんみ戒邊吏嚴斥堠以備今元いまもとひろしりゃく有河あるが外之そとゆき貿易ぼうえきはなえびす,顧其ぜいしょうまん於繼遷也。雖然,其欲僭竊名號みょうごうしゃかなめ朝廷ちょうていみみ天下てんかひさし兵革へいかく,一旦遽議深討,しん未知みち其完けい也。ねがいれいしょしょうてきそく入寇にゅうこうきゅういれおさむたもて,毋得あずかたたかえかれすんでぜっ中原なかはらたまものまた其緣和市わいちすわまち其斃也。」しゃ咸以公言こうげんためしか,於是やめ分節ぶんせつせいばん河中かわなか。”
  6. ^ もと·だつだっひとし,《そうふみ》(まき283):“徙蔡しゅうけいれきちゅう,召為くるる密使みっし。諫官、交章ろん:「竦在陝西せんせいかしこ懦不肯盡力じんりょくまいろんごとただしれつ眾人げんいたり敕使臨督,はじめひねじゅうさく。嘗出じゅんあたりおけさむらい婢中ぐんちょういく致軍へんげんひろし嘗募とく竦首しゃあずかぜにさんせんためぞく輕侮けいぶ如此。こんふくようへんはたからだかい矣。且竦はさみいつわりにんすう,奸邪かたぶけけわしあずかりょえびす簡不相能あいのうえびす簡畏其為じん肯引ため同列どうれつすんで退すさ,乃薦以釋宿やど憾。陛下へいか孜孜しし政事せいじしゅようふところいつわり不忠ふちゅうしんなに以求?」かい竦已いたりこくもんげんしゃろんやめ,請不れいいれ。諫官あまりやすしまたげん:「竦累ひょう引疾,及聞召用,そくけんえき而馳。わかはやけつ,竦必けんもとめめんたい,敘恩感泣かんきゅうふくゆう左右さゆう為之ためゆきのりせい聽惑矣。」あきらるいじょう即日そくじつみことのり竦歸鎮,竦亦請還ぶし。徙知亳州,あらため授吏尚書しょうしょとしちゅうせい殿どの學士がくし。”
  7. ^ もと·だつだっひとし,《そうふみ》(まき283):“竦之及國もん也,みかどふうだん疏示すんでいたり亳州,上書うわがき萬言まんげん自辯じべんふくはいせん徽南いん使河陽かわよう三城みき節度せつど使はん并州。請復おけ宦者ためはしうまうけたまわ受。明年みょうねんはいどう中書ちゅうしょもん下平しもだいらあきらごとはん大名おおなまた明年みょうねん,召入ため宰相さいしょうせい,而諫かんふくごと:「大臣だいじん和則かずのり政事せいじおさむ,竦前ざいかんちゅうあずかちゅう論議ろんぎごう不可ふか使どもごと。」とげあらためくるる密使みっしふう英國えいこくこう。請析河北かほくためよんおやごとかんよるにゅう禁中きんちゅうほしためみだれりょうすめらぎじょうしゃみなすわ逐,どく楊懷さとくだかんりょうにゅう內都如故。げんしゃ以為竦結ふところさとし而曲ひさしかい京師けいし同日どうじつくも而震しゃみかどかたすわ便殿びんでんおもむき召翰りん學士がくしはりかたたいらいたるいい曰:「なつ竦奸よこしま,以致天變てんぺん如此,むべこれ。」やめ河南かなんいく,赴本鎮,けんさむらいちゅうきょうあかりどう,徙武やすしぐん節度せつど使しんていこくおおやけすず賚與輔臣とう。”
  8. ^ みなみそう·,《ぞくどおりかん長編ちょうへん》(まき171):“おつたけやすし節度せつど使けんさむらいちゅうなつ竦卒。”
  9. ^ みなみそう·,《ぞくどおりかん長編ちょうへん》(まき171):“おくふと中書ちゅうしょれいたまものおくりな文獻ぶんけんせい誥王洙當くさせいふうじかえ其目曰:「臣下しんか不當ふとうあずか僖祖どうおくりな。」とげあらため曰文ただしどうれいいん司馬しばひかりげんおくりなしゃごく於文ただし,竦何人なんにん,乃得此諡?はんこうこうりゅうたかしげん:「おくりなしゃ有司ゆうしこと也。竦奸よこしま,而陛おくりな以正,おうほう,且侵しんかん。」ひかり疏再じょうたかし疏三じょうみことのりためさらおくりな曰文そう。”
  10. ^ みなみそう·おうしょう,《東都とうとことりゃく》(まき54):“としろくじゅうななおくふと中書ちゅうしょれいたまものおくりな曰文ただしこうこう以竦ぎょうおうおくりなあらため曰文そう。”
  11. ^ きよし·えいきのひとし,《四庫全書總目提要》(まき152):“《ぶんそうしゅう》•さんじゅうろくかん永樂えいらく大典たいてんほんそうなつ竦撰。”
  12. ^ もと·われおか,《がくいにしえへん》:“なつ竦《古文こぶん四聲しせいいんかん(竦,たかししゅうとくやすじんくるる密使みっし)。”
  13. ^ みなみそう·おう,《だま》(まきちゅう):“いしかいさくけいれき聖德せいとく》以斥なつえいこう高文たかふみそうこう曰:“おもんみ竦、わか訥,いち妖一孽。”聞夏えいおおやけさくしょうよるはしたい諫官いえ,一夕作乘馬為之斃。所以ゆえんだんあきら交上,えいこう竟貼あさあらためじょくるる密使みっしえん此與かいためふかかたき。”
  14. ^ みなみそう·沈括,《ゆめけい筆談ひつだん》(まき9):“なつぶんそうせいごう侈,稟賦於人:ざいねむそくひや而僵,一如いちにょ逝者;すんでさとし,須令じんゆたかりょう久方ひさかた能動のうどう。”

參考さんこう書目しょもく

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