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史記/卷048 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

史記しき/まき048

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 孔子こうし だいじゅうなな 史記しき
まきよんじゅうはち ちんわたる だいじゅうはち
外戚がいせき だいじゅうきゅう 

註釋ちゅうしゃくばん

维基百科 まいり维基百科ひゃっかなかてき陈胜吴广だい泽乡おこり
維基大典文言もんごん維基大典たいてんぶんちんまさるひろ

ちん勝者しょうしゃじょうひと也,わたるひろしゃなつひと也,叔。ちんわたる少時しょうじ,嘗與じんやといこう。輟耕壟上,悵恨久之ひさゆき,曰:「苟富貴ふうきあい忘。」やといしゃわらい而應曰:「わかため佣耕,なに富貴ふうき也?」ちんわたるふとしいき曰:「嗟乎,燕雀えんじゃくやす鴻鵠こうこくこころざし哉!」

せい元年がんねんなながつはつ閭左てきりょうきゅうひゃくにんたむろ大澤おおさわきょうちんまさるひろみな當行とうこうためたむろちょうかいてん大雨おおあめみち不通ふつうやめしつしつほうみなちんまさるひろ乃謀曰:「こんほろびまた,舉大けいまたとうこく乎?」ちんまさる曰:「天下てんかはたひさ矣。われせい少子しょうし也,不當ふとうりつとうだてしゃ公子こうし扶蘇。扶蘇以數諫故,上使じょうしがい將兵しょうへいいまある聞無ざいせいころせこれ百姓ひゃくしょう多聞たもん其賢,未知みち其死也。こうつばめためすわえはたかず有功ゆうこうあい士卒しそつすわえじん憐之。ある以為ある以為ほろびこんまこと以吾眾詐自稱じしょう公子こうし扶蘇、こうつばめため天下でんか唱,むべおうしゃ。」ひろ以為しか。乃行ぼく卜者ぼくしゃ其指,曰:「足下あしもとごとみななり有功ゆうこうしか足下あしもとぼくおに乎!」ちんまさる廣喜ひろきねんおに,曰:「此教我先われさき眾耳。」乃丹しょ帛曰「ちんまさるおう」,おけじんしょ罾魚腹中ふくちゅうそつかいぎょ烹食,とくぎょ腹中ふくちゅうしょかた以怪矣。また间令廣之ひろゆきしょつくりくさむらほこらちゅうよる篝火かがりびきつねよび曰「だいすわえきょうちんまさるおう」。そつみなよるおどろきこわだん卒中そっちゅう往往おうおうかたりみなゆびひねしょう

ひろ愛人あいじん士卒しそつためようしゃはたじょうよいこうすうことよくほろび,忿恚じょうれいはずかしめこれ,以激怒げきど其眾。じょうはてむちひろじょうけんていこうおこりだつ而殺じょうひね勝佐かつさ,并殺りょうじょう。召令ぞく曰:「おおやけとうぐうみなやめしつしつとう。藉第れい毋斬,而戍死者ししゃかたじゅうろくなな。且壯不死ふしそくやめそく舉大めいみみ王侯おうこうしょうしょうやすしゆうしゅ乎!」ぞくみな曰:「けい受命じゅめい。」乃詐稱さしょう公子こうし扶蘇、こうつばめしたがえみんよく也。袒右,たたえだいすわえためだん而盟,まつり以尉くびちんまさる自立じりつため將軍しょうぐんひろためじょうおさむ大澤おおさわきょうおさむ而攻蘄。蘄下,乃令はなれじんかずら嬰將へい徇蘄以東いとうおさむ銍、酇、、柘、譙皆下之したのくだりおさむへいいたりひねくるまろくななひゃくじょうせんあまりそつすうまんにんおさむひねちんまもるれいみな不在ふざいどくもりすすむあずかせん譙門ちゅうどるしょうまもりすすむ,乃入よりどころひね數日すうじつ號令ごうれい召三おい豪傑ごうけつあずかみな來會らいかいけいことさんろう豪傑ごうけつみな曰:「將軍しょうぐんけんするど無道むどう,誅暴しんふくりつすわえこく社稷しゃしょくこうむべためおう。」ちんわたる乃立ためおうごうためちょうすわえ

とう此時,しょぐんけんしん吏者,みなけい其長吏,ころせ以應ちんわたる。乃以くれ叔為かりおうかんしょしょう以西いせいげき滎陽。れいひねじん武臣ぶしんちょうみみひねあまり徇趙れいなんじかげじん鄧宗徇九ぐんとう此時,すわえへいすうせん人為じんい聚者,不可ふかかちすう

かずら嬰至東城とうじょうたてじょうつよしためすわえおう。嬰後聞陳おうやめりついんころせじょうつよしかえほういたりひねひねおう誅殺ちゅうさつかずら嬰。ひねおうれいじんしゅうきた徇魏ひろかこえ滎陽。ゆかり為三ためぞう川守かわもりまもり滎陽,叔弗のうひねおうちょうこく豪傑ごうけつあずかけい以上いじょう蔡人ぼうくん蔡賜ためじょうはしらこく

しゅうぶんひね賢人けんじん也,嘗為こうつばめぐんことはるさるくんげん習兵,ひねおうあずかこれ將軍しょうぐんしるし西にしげきしんくだりおさむへいいたりせきくるませんじょうそつすうじゅうまんいたりおどけぐん焉。しんれいしょうあきら邯免酈山ひとやつさん子生こなじ,悉發以擊すわえ大軍たいぐんつきはいしゅうぶんはい走出はしりでせきとめ曹陽さんがつあきら邯追はいふくはし澠池じゅうにちあきら邯擊,大破たいはしゅうぶん剄,ぐんとげ不戰ふせん

武臣ぶしんいた邯鄲かんたん自立じりつためちょうおうひねあまりため大將軍だいしょうぐんちょうみみ、召騷ため左右さゆう丞相じょうしょうひねおういかけい武臣ぶしんとうしつよく誅之。はしらこく曰:「はたほろび而誅ちょう王將おうしょうしょうぞく,此生いちはた也。如因而立じりつ。」ひねおう乃遣使者ししゃちょう,而徙けい武臣ぶしんとうぞく宮中きゅうちゅう,而封みみちょう敖為成都せいとくんおもむきちょうへい亟入せきちょう王將おうしょうしょうしょうあずかはかりごと曰:「おうおうちょうすわえ也。すわえやめ誅秦,必加へい於趙。けい莫如毋西へい使つかい使きた徇燕以自廣也ひろなりちょうみなみよりどころ大河たいがきたゆうつばめだいすわえ雖勝しん敢制ちょうわかすわえかちしん,必重ちょうちょうじょうはた獘,以得こころざし於天。」ちょうおう以為しかいん西にしへい,而遣上谷うえたにそつかんひろ將兵しょうへいきた徇燕

つばめ貴人きじん豪傑ごうけついいかんひろ曰:「すわえやめたておうちょうまたやめりつおうつばめ雖小,またまんじょうくに也,ねがい將軍しょうぐんりつためつばめおう。」かんひろ曰:「こうははざいちょう不可ふか。」つばめじん曰:「ちょうかた西にしゆうはたみなみゆうすわえ,其力不能ふのうきん。且以すわえつよし敢害ちょう王將おうしょう相之あいのちょうどくやす敢害將軍しょうぐんいえ!」かんひろ以為しか,乃自立じりつためつばめおうきょすうがつちょうたてまつつばめおうはは及家ぞくつばめ

とう此之しょ將之まさゆき徇地しゃ不可ふかかちすうしゅうきた徇地いたり狄,狄人儋殺狄令,自立じりつためひとしおう,以齊反擊はんげきしゅうぐんかえいたりよくりつ甯陵くんとがめためおうときとがめざいひねおうしょとくやめじょうよくしょうあずかたてしゅうためおうしゅう肯。使者ししゃたんひねおう乃立甯陵くんとがめためおうこれこくしゅうそつ為相ためすけ

將軍しょうぐん臧等しょうあずかはかりごと曰:「周章しゅうしょうぐんやめやぶ矣,しんへい旦暮たんぼいたりわがかこえ滎陽じょうどるのうしんぐんいたり,必大敗たいはい如少のこへいそく以守,悉精へいむかえしんぐんこんかりおうおご不知ふち兵權へいけん不可ふかあずかけい誅之,ことおそれはい。」いんしょうあずか矯王れい以誅くれ叔,けんじ其首於陳おうひねおう使つかい使たまもの臧楚れいいんしるし使つかいためじょうはた臧乃使しょしょうとうもり滎陽じょう以精へい西にしむかえしんぐん於敖くらあずかたたかえ臧死,ぐんやぶあきら邯進へいげきとう滎陽やぶこれとう

じょうじん鄧說將兵しょうへいきょ郯,しょう邯別しょう擊破げきは,鄧說ぐんはしひね。铚人じょ將兵しょうへいきょもとしょう擊破げきはじょぐんみなはしひねひねおう誅鄧せつ

ひねおうはつだてりょうじんはたよしみ、铚人ただし緶符はなれじんしゅ雞石、おもんばかひとていぬのじょじんひのとやましとうみなとくおこり將兵しょうへいかこえ東海とうかいもりけい於郯。ひねおう聞,乃使武平たけひらくんほとりため將軍しょうぐんかん郯下ぐんはたよしみ受命じゅめいよしみ自立じりつためだい司馬しばあくぞく武平たけひらくんつげぐん吏曰:「武平たけひらくん年少ねんしょう不知ふち兵事へいじ,勿聽!」いん矯以王命おうめいころせ武平たけひらくんほとり

あきら邯已やぶじょげきひねはしらこくぼうくんあきら邯又しんへいげきひね西にしちょうぐんちんおういずるかんせんぐんやぶちょう

臘月ろうげつひねおうなんじかげかえいたり下城げじょうちち,其御そう賈殺以降いこうはたちんまさるそう碭,謚曰かくれおう

ひねおう涓人將軍しょうぐんりょしんためくらあたまぐんおこり新陽しんようおさむひねころせそう賈,ふく以陳ためすわえ

はつちんおういたるひねれい铚人そうとめ將兵しょうへいてい南陽なんようにゅうせきとめやめ徇南,聞陳おう南陽なんようふくためしんそうとめ不能ふのうにゅうせき,乃東いたりしん蔡,ぐうしんぐんそうとめ以軍くだしんはたつたえとめいたり咸陽,くるまきれとめ以徇。

はたよしみとう聞陳おうぐんやぶ出走しゅっそう,乃立けいこまためすわえおう,引兵ほうあずかよくげきしんぐんていすえ使つかい公孫こうそんけい使ひとしおうほしあずか并力俱進。ひとしおう曰:「聞陳おう戰敗せんぱい不知ふち其死せいすわえやす而立じりつおう!」公孫こうそんけい曰:「ひとし請楚而立じりつおうすわえ何故なぜ請齊而立じりつおう!且楚くびごととうれい於天。」誅殺ちゅうさつ公孫こうそんけい

はた左右さゆうこうふくおさむひね下之したのりょ將軍しょうぐんはしおさむへいふく聚。鄱盜とうくん黥布へいしょうおさむふくげきしん左右さゆうこうやぶこれ青波あおなみふく以陳ためすわえかいこうはりりつふところおうまごこころためすわえおう

ちんまさるおうろくがつやめためおうおうひね。其故じん嘗與いさおこうしゃ聞之,これひね,扣宮もん曰:「われよくわたる。」宮門きゅうもんれいよくばく自辯じべんすう,乃置,肯為どおりひねおうさえぎみち而呼わたるひねおう聞之,乃召あずか俱歸。にゅうみや殿しんがりとばりちょうきゃく曰:「おびただし頤!わたるためおう沈沈ちんちんしゃ!」すわえじんいいおおためおびただし天下てんかでんおびただしわたるためおうゆかりちんわたるはじめきゃく出入でいりいよいよえきはつ舒,げんひねおうじょうあるせつひねおう曰:「きゃく無知むち,顓妄言ぼうげんけい。」ひねおうこれしょひねおう故人こじんみな引去ひきさゆかりおやひね王者おうじゃひねおう以朱ぼうため中正ちゅうせいえびすたけため主司しゅし群臣ぐんしんしょしょう徇地,いたりれいしゃけい而罪,以苛察為ちゅう。其所不善ふぜんしゃどる吏,輒自治之はるゆきひねおう信用しんようしょしょう以其おや,此其所以ゆえんはい也。

ちんまさる雖已,其所おけほう王將おうしょうしょう竟亡しんゆかりわたるくびごと也。高祖こうそためちんわたるおけもりさんじゅういえ碭,いたりこんしょく

先生せんせい曰:地形ちけい險阻けんそ所以ゆえんためかた也;兵革へいかく刑法けいほう所以ゆえんため也。なおあし恃也。おっと先王せんおう仁義じんぎ為本ためもと,而以かたふさが文法ぶんぽうため枝葉えだはあにしか哉!われ聞賈せいたたえ曰:

はたたかしおおやけよりどころ殽函かたよう雍州君臣くんしん固守こしゅ,以窺しゅうしつゆう席卷せっけん天下でんかつつみ舉宇內,囊括四海しかい,并吞はちあらこれこころとう也,しょうくん,內立法度はっとつとむたがやせおさむもりせん備;がい連衡れんこう而鬬諸侯しょこう。於是しんじん拱手こうしゅ而取西河にしがわそと

こうこうすんでぼつめぐみぶんおうたけおうあきらおうこうむぎょういんのこさくみなみかんちゅう西にし舉巴しょくひがしわりあぶら腴之おさむ要害ようがいぐん諸侯しょこう恐懼きょうくかいめい而謀じゃくしんあいちん重寶ちょうほう肥饒ひじょう,以致天下でんか合從がっしょうしめ交,そうあずかためいちとう此之ひとしゆうはじめ嘗,ちょうゆう平原へいげんすわえ有春ありはるさる有信ありのぶりょう:此四くんしゃみな明知めいち而忠しんじ寬厚かんこう而愛じんみことけん而重やくしたがえ連衡れんこうけんかんつばめちょうそうまもる中山なかやま眾。於是六國之士有甯越、じょしょうはたもり赫之ぞく為之ためゆきはかりごとひとしあきらしゅう聚、ちん軫、邵滑、ろうなる、翟景、厲、らくあつしどおり其意,おこりまご臏、おびりょうおう廖、れん頗、ちょうおごこれりんせい其兵。嘗以什倍ひゃくまんこれおおせせき而攻しんしんじんひらきせき而延てき,九國之師遁逃而不敢進。はたほろびのこ鏃之,而天かたやめこま矣。於是したがえやくはいそうわり而賂しんはたゆう余力よりょく而制其獘,ついほろび逐北,ふくしかばねひゃくまん流血りゅうけつ漂櫓,いんじょう便びんおさむわり天下でんか分裂ぶんれつ山河さんがつよしこく請服,弱國じゃっこく入朝にゅうちょう

ほどこせ及孝ぶんおうそうじょうおうとおるこく日淺ひあさ國家こっか無事ぶじ。及至はじめすめらぎ,奮ろくせいれつちょうさく而御宇內,吞しゅう而亡諸侯しょこうくつ至尊しそん而制ろくごう敲樸以鞭むち天下でんか四海しかいみなみひゃくえつこれ,以為かつらりんぞうぐん,百越之君俛首系頸,いのち吏。乃使こうむ恬北筑長じょう而守はんませ,卻匈やつななひゃくあまりさとえびすじん敢南而牧また敢貫ゆみ而報怨。於是はい先王せんおうみち,燔百げん,以愚黔首。墮名じょうころせごうしゅんおさむ天下でんかへい聚之咸陽,銷鋒鍉,以為きんじんじゅう,以弱天下でんかみんしかこう踐華ためじょういんかわためよりどころおくたけしろ,臨不測ふそく谿以ためかたはた勁弩,まもり要害ようがいしょしんしんせいそつちんとしへい誰何すいか天下てんかやめじょうはじめすめらぎしん以為せきちゅうかた金城きんじょう千里せんり子孫しそん帝王ていおうまんせいこれぎょう也。

はじめすめらぎすんでぼつ余威よい於殊ぞくしか而陳わたる牖繩くるる之子ゆきこ,甿隸これにん,而遷徙之也。ざいのう及中じんゆうなかぼく翟之けんとうしゅ、猗頓富也とみや。躡足ぎょうあいだ,俛仰仟佰ちゅうりつやめこれそつはたすうひゃくこれ眾,てん而攻しんためへい,揭竿ため天下てんかくもかいひびきおう,贏糧而景したがえ山東さんとうつよししゅんとげ并起而亡しんぞく矣。

且天しょうじゃく也;雍州,殽函かた自若じじゃく也。ちんわたるこれみこと於齊おさいすわえつばめちょうかんそうまもる中山なかやまきみ也;鉏耰とげ矜,銛於戟長鎩也;てき戍之眾,儔於九國之師也;深謀遠慮しんぼうえんりょ行軍こうぐん用兵ようへいみち及鄉也。しか成敗せいばい異變いへん功業こうぎょう相反あいはん也。嘗試使さん東之ひがしのこくあずかちんわたるちょう絜大,けんりょうりょくのり不可ふか同年どうねん而語矣。しか而秦以區。致まんじょうこれけんそもそもはちしゅう而朝同列どうれつひゃく有余ゆうよねん矣。しかこうろくごうため,殽函ためみや。一夫作難而七廟隳,人手ひとでため天下でんかわらいしゃなに也?仁義じんぎほどこせ,而攻もりいきおい也。