F-102 デルタダガー
アラスカ上空 じょうくう を飛行 ひこう するF-102A (1958年 ねん 1月 がつ )
YF-102
YF-102A
F-102 はジェネラル・ダイナミクス のコンベア 部門 ぶもん が開発 かいはつ し、1953年 ねん に初 はつ 飛行 ひこう しアメリカ空軍 くうぐん に制式 せいしき 採用 さいよう された戦闘 せんとう 機 き (要撃 ようげき 機 き )である[ 1] 。愛称 あいしょう はデルタダガー(Delta Dagger[ 2] )。
俗 ぞく にセンチュリーシリーズ と呼 よ ばれる一連 いちれん の機体 きたい のひとつである。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 直後 ちょくご に始 はじ まった冷戦 れいせん 下 した において、アメリカ空軍 くうぐん は北米 ほくべい 大陸 たいりく に来襲 らいしゅう すると想定 そうてい されたソ連 それん の核 かく 武装 ぶそう 爆 ばく 撃 げき 機 き を要撃 ようげき する目的 もくてき で、1949年 ねん から新型 しんがた 迎撃 げいげき 機 き の検討 けんとう に着手 ちゃくしゅ した。
1950年 ねん にMX1154として新型 しんがた 迎撃 げいげき 機 き の提案 ていあん 要求 ようきゅう が航空機 こうくうき メーカーで出 だ され、コンベア案 あん がF-102として採用 さいよう された。開発 かいはつ 契約 けいやく は1951年 ねん に結 むす ばれている。F-102の機体 きたい 形状 けいじょう はインテイク を胴体 どうたい 側面 そくめん に持 も つ単発 たんぱつ デルタ翼 つばさ 機 き で、垂直 すいちょく 尾翼 びよく も三角 みすみ 翼 つばさ と、前作 ぜんさく XF-92 に続 つづ き、ペーパークリップ作戦 さくせん によりアメリカにわたり、その後 ご コンベアに在籍 ざいせき していたドイツ 人 ひと 技術 ぎじゅつ 者 しゃ であるアレキサンダー・マルティン・リピッシュ のコンセプトが色濃 いろこ く発揮 はっき されている。
1951年 ねん 12月 にYF-102が正式 せいしき 発注 はっちゅう されたが、これは試作 しさく 機 き を表 あらわ すY記号 きごう がついているものの純粋 じゅんすい な試作 しさく 機 き をパスして、いきなり量産 りょうさん 準備 じゅんび 型 がた の生産 せいさん に入 はい る「クック・クレイギー・プラン 」方式 ほうしき で開発 かいはつ が急 いそ がれた。先 さき に生産 せいさん ラインを組 く み、スローペースで量産 りょうさん 準備 じゅんび 型 がた を製作 せいさく しつつ並行 へいこう してテストを行 おこな い、結果 けっか を本格 ほんかく 量産 りょうさん 型 がた にフィードバック することで開発 かいはつ 期間 きかん の大幅 おおはば 短縮 たんしゅく を目論 もくろ むものだったが、基本 きほん 設計 せっけい に問題 もんだい が発見 はっけん された場合 ばあい には、混乱 こんらん を招 まね くリスクがある。本 ほん 機 き の場合 ばあい は、ボマー・ギャップ の解消 かいしょう を早急 そうきゅう に行 おこな う目的 もくてき と、先行 せんこう して開発 かいはつ されたXF-92のデータが活用 かつよう できるため問題 もんだい は少 すく ないと考 かんが えられた。しかしながら後述 こうじゅつ の通 とお り、本 ほん 機 き はクック・クレイギー・プランの最悪 さいあく 例 れい になってしまった。
F-102の最 もっと も有名 ゆうめい な逸話 いつわ にエリアルール の初 はつ 採用 さいよう がある。YF-102の初号 しょごう 機 き は1953年 ねん 10月24日 にち に初 はつ 飛行 ひこう したが間 ま もなく墜落 ついらく し、開発 かいはつ は試作 しさく 2号機 ごうき の完成 かんせい まで遅延 ちえん した。YF-102は10機 き 製造 せいぞう され、各種 かくしゅ 試験 しけん ・改装 かいそう が行 おこな われたものの、音速 おんそく 領域 りょういき で衝撃波 しょうげきは の発生 はっせい により抵抗 ていこう が急増 きゅうぞう する抵抗 ていこう 発散 はっさん のため、風洞 ふうどう 試験 しけん の予測 よそく 通 どお り水平 すいへい 飛行 ひこう で音速 おんそく を超 こ える事 こと はできず、一時 いちじ は計画 けいかく 中止 ちゅうし も危 あや ぶまれた。
そのため11号機 ごうき (YF-102A)以降 いこう において、エンジンをP&W J57-P-11 (A/B推力 すいりょく :6,804kg)から同 どう P-23(7,258kg)に増強 ぞうきょう すると共 とも に、NACA ラングレー研究所 けんきゅうじょ のリチャード・ウィットカム (Richard T. Whitcomb )が発見 はっけん したばかりのエリアルール理論 りろん を基 もと に、抜本 ばっぽん 的 てき に改 あらため 設計 せっけい してようやく音速 おんそく を超 こ えることができた。機体 きたい の断 だん 面積 めんせき 変化 へんか を滑 なめ らかにすると抵抗 ていこう が減少 げんしょう するという単純 たんじゅん な法則 ほうそく で、機体 きたい の主翼 しゅよく 部 ぶ 取付 とりつけ 部 ぶ は断 だん 面積 めんせき が急増 きゅうぞう するので、これを相殺 そうさい するため胴体 どうたい 中央 ちゅうおう 部 ぶ のくびれと尾 お 部 ぶ の張 は り出 だ しを設 もう け、断 だん 面積 めんせき 勾配 こうばい をなだらかにするもので、その他 た にも胴体 どうたい 延長 えんちょう 、キャノピー変更 へんこう 、主翼 しゅよく の大 おお きな前 ぜん 縁 えん キャンバーと端 はし 部 ぶ 捻 ひね り上 あ げ等 とう 、別 べつ 機 き と言 い って良 よ いほど外観 がいかん が変更 へんこう された。
電子 でんし 装置 そうち の開発 かいはつ も遅延 ちえん し、新型 しんがた の火器 かき 管制 かんせい 装置 そうち MX1179の完成 かんせい は間 ま に合 あ わなかったため、当初 とうしょ はF-86D 由来 ゆらい のE-9(後 ご のMG-3)を装備 そうび している。MG-3は後 のち にMG-10に更新 こうしん されたほか、1960年代 ねんだい に入 はい るとSAGEシステム の整備 せいび に従 したが い、これとリンクし半 はん 自動的 じどうてき 要撃 ようげき が可能 かのう となっている。
YF-102Aは1954年 ねん 12月20日 にち に初 はつ 飛行 ひこう し、翌 よく 21日 にち には音速 おんそく 突破 とっぱ を果 はた したが、既 すで にマッハ2級 きゅう を目指 めざ したロッキード F-104 が同年 どうねん 2月 がつ に進 すすむ 空 そら した後 のち だった(実際 じっさい にマッハ2を突破 とっぱ するのは翌年 よくねん )。量産 りょうさん 型 がた のF-102Aは翌 よく 1955年 ねん から配備 はいび 開始 かいし されたが、クック・クレイギー・プランによって既 すで にYF-102用 よう の生産 せいさん 治 ち 具 ぐ が用意 ようい されてしまっており、F-102Aの量産 りょうさん に当 あた ってそれらの大半 たいはん を作 つく り直 なお さねばならず、多大 ただい な時間 じかん 的 てき ・金銭 きんせん 的 てき 浪費 ろうひ と資材 しざい の無駄 むだ をもたらした。
開放 かいほう 状態 じょうたい としたF-102のウェポンベイ側面 そくめん ベイにAIM-4Dミサイル、下面 かめん ベイにAIM-26ミサイルが搭載 とうさい されている。ベイドアの先端 せんたん 断面 だんめん にある3連 れん の孔 あな が2.75インチロケット弾 だん の発射 はっしゃ 孔 あな
固定 こてい 機銃 きじゅう はなく、通常 つうじょう 弾頭 だんとう 型 がた AIM-4 ファルコン 空 そら 対空 たいくう ミサイル又 るまた は核弾頭 かくだんとう 型 がた AIM-26Aファルコン (最大 さいだい 6発 はつ )を機体 きたい 下部 かぶ 左右 さゆう 側面 そくめん および下面 かめん の3つのウェポンベイ に搭載 とうさい し、Mk4 FFAR マイティ・マウス 2.75インチ空 そら 対空 たいくう ロケット弾 だん 24発 はつ をウェポンベイの扉 とびら を兼用 けんよう する発射 はっしゃ 機 き [ 3] に搭載 とうさい できた。後 ご のF-106 とは異 こと なり、F-102には核弾頭 かくだんとう のAIR-2 ジニー の搭載 とうさい 能力 のうりょく は無 な かった。
F-102はデルタ翼 つばさ 特有 とくゆう の広大 こうだい な機内 きない スペースにより燃料 ねんりょう 搭載 とうさい 量 りょう が多 おお く、超 ちょう 音速 おんそく 機 き としては空中 くうちゅう 給油 きゅうゆ の援助 えんじょ なしでも滞空 たいくう 時間 じかん が長 なが く哨戒 しょうかい 任務 にんむ には適 てき していたが、依然 いぜん アンダーパワーで加速 かそく 性 せい ・上昇 じょうしょう 力 りょく に劣 おと り、また当時 とうじ の電子 でんし 機器 きき の耐 たい G性 せい の低 ひく さから機動 きどう に強 つよ い制約 せいやく があり、対 たい 戦闘 せんとう 機 き 戦闘 せんとう は回避 かいひ するよう厳命 げんめい されていた。
F-102の低 てい 性能 せいのう は空軍 くうぐん を失望 しつぼう させ、より性能 せいのう の優 すぐ れた要撃 ようげき 機 き の開発 かいはつ が急務 きゅうむ となった。新型 しんがた の火器 かき 管制 かんせい 装置 そうち MX1179を搭載 とうさい し、空 そら 力 りょく 的 てき 改良 かいりょう とパワーアップも加 くわ えた改良 かいりょう 型 がた :F-102B計画 けいかく は、1956年 ねん にF-106 として制式 せいしき 採用 さいよう された。しかし非常 ひじょう に高価 こうか であったため、F-106配備 はいび 数 すう は340機 き に留 とど まった。そのため空軍 くうぐん は、元来 がんらい は別 べつ 目的 もくてき の機体 きたい であったF-101 戦闘 せんとう 機 き を、補完 ほかん 目的 もくてき の要撃 ようげき 機 き として制式 せいしき 採用 さいよう している。
TF-102A サイドバイサイド配置 はいち のコックピットにより機首 きしゅ が太 ふと くなっている
また練習 れんしゅう 機 き 型 かた TF-102Aも111機 き が製造 せいぞう された。当時 とうじ 、F-86D、F-89 、F-94 といった全天候 ぜんてんこう 戦闘 せんとう 機 き の訓練 くんれん にはT-33 とレーダーを装備 そうび したB-25 が使 つか われていたが、ジェット機 じぇっとき への移行 いこう とアビオニクスの操作 そうさ の訓練 くんれん を別々 べつべつ に行 おこな う非 ひ 効率 こうりつ が指摘 してき されていたこと、またそれらのパイロットを将来 しょうらい 的 てき にF-102に移行 いこう させるためには、米 べい 空軍 くうぐん では実用 じつよう 機 き が本 ほん 機 き しか存在 そんざい しないデルタ翼 つばさ の離着陸 りちゃくりく 時 じ の高 こう AOA などの操縦 そうじゅう 特性 とくせい を教育 きょういく する必要 ひつよう 性 せい から、二 に 重 じゅう 操縦 そうじゅう 装置 そうち を持 も ち、教官 きょうかん と訓練 くんれん 生 せい との意思 いし 疎通 そつう の容易 ようい なサイドバイサイド配置 はいち の本 ほん 機 き が開発 かいはつ された。同様 どうよう にサイドバイサイド配置 はいち を採用 さいよう した超 ちょう 音速 おんそく 戦闘 せんとう 機 き の練習 れんしゅう 機 き 型 がた にはイギリス のライトニング の例 れい がある。
胴体 どうたい 前部 ぜんぶ を再 さい 設計 せっけい したこと、キャノピー形状 けいじょう の問題 もんだい から発生 はっせい したバフェッティング対策 たいさく としてボーテックスジェネレータを付加 ふか したこと、さらには練習 れんしゅう 機 き としての用途 ようと を満 み たすために速度 そくど よりも視界 しかい の改善 かいぜん を図 はか ったことなどから最高 さいこう 速度 そくど は高度 こうど 3万 まん 8000フィートでマッハ0.97となったが、浅 あさ くダイブをかけることで音速 おんそく を突破 とっぱ できた。水平 すいへい 飛行 ひこう で音速 おんそく を突破 とっぱ できなかった事 こと は、当時 とうじ としては致命 ちめい 的 てき な問題 もんだい とみなされたため、当初 とうしょ の目論 もくろ みである実用 じつよう 戦闘 せんとう 機 き との兼務 けんむ は放棄 ほうき され、単座 たんざ 型 がた と同 おな じアビオニクスは搭載 とうさい せず、慣熟 かんじゅく 飛行 ひこう の訓練 くんれん のみに用 もち いられる事 こと となり、F-102A装備 そうび の飛行 ひこう 隊 たい あたり2機 き のTF-102Aが配備 はいび された。また、同 おな じコンベア社 しゃ 製 せい でデルタ翼 つばさ のB-58ハスラー の乗員 じょういん の訓練 くんれん にも使用 しよう された。
F-102は、1955年 ねん より量産 りょうさん 開始 かいし され、総計 そうけい 879機 き が生産 せいさん された。アメリカ空軍 くうぐん においては、当初 とうしょ は北米 ほくべい 大陸 たいりく 防空 ぼうくう が主 しゅ 任務 にんむ であった。
1959年 ねん から後継 こうけい 機 き であるF-106の配備 はいび が始 はじ まったため、F-102のアメリカ本土 ほんど 外 がい への配備 はいび を開始 かいし した。西 にし ドイツ 、オランダ のNATO 諸国 しょこく や、日本 にっぽん の横田 よこた 基地 きち 、板付 いたづけ 基地 きち 、三沢 みさわ 基地 きち などに展開 てんかい している。なおその際 さい には、旧式 きゅうしき となったF-86Dが、同盟 どうめい 諸国 しょこく に供与 きょうよ されている。
日本 にっぽん では、在 ざい 日米 にちべい 軍 ぐん 基地 きち (横田 よこた ・板付 いたづけ ・三沢 みさわ )に、1960(昭和 しょうわ 35)年 ねん からF-102Aが配備 はいび され、まだ作戦 さくせん 能力 のうりょく の低 ひく かった航空 こうくう 自衛隊 じえいたい をサポートする形 かたち で日本 にっぽん の空 そら の護 まも りに就 つ いた。
しかしF-104J「スターファイター」の導入 どうにゅう ・配備 はいび で航空 こうくう 自衛隊 じえいたい の対 たい 領空 りょうくう 侵犯 しんぱん 措置 そち (スクランブル)能力 のうりょく は著 いちじる しく向上 こうじょう し、在 ざい 日米 にちべい 軍 ぐん が日本 にっぽん の防空 ぼうくう に就 つ く必要 ひつよう 性 せい が薄 うす れていき、さらに、国防総省 こくぼうそうしょう のロバート・マクナマラ長官 ちょうかん が打 う ち出 だ していた国防 こくぼう 費 ひ 削減 さくげん 策 さく も影響 えいきょう し、F-102Aの日本 にっぽん 撤退 てったい が決定 けってい 。結果 けっか 、1965(昭和 しょうわ 40)年 ねん までにF-102Aは日本 にっぽん の空 そら から姿 すがた を消 け した。
なお、この撤退 てったい の際 さい 、在 ざい 日米 にちべい 軍 ぐん から航空 こうくう 自衛隊 じえいたい に、余剰 よじょう 化 か したF-102Aを75機 き まとめて97億 おく 円 えん と格安 かくやす で売却 ばいきゃく することが持 も ち掛 か けられたが、断 ことわ っている。
1961年 ねん からはタイ王国 おうこく に進出 しんしゅつ し、アメリカ空軍 くうぐん がベトナム戦争 せんそう 初期 しょき に運用 うんよう した戦闘 せんとう 機 き として、1962年 ねん から1970年 ねん に掛 か けてベトナムにおける空 そら 対空 たいくう 戦闘 せんとう に投入 とうにゅう され若干 じゃっかん の損失 そんしつ を出 だ している、また地上 ちじょう 攻撃 こうげき にも使用 しよう された。なおF-106については生産 せいさん 数 すう が限 かぎ られた事 こと から、F-102のような本土 ほんど 外 がい 配備 はいび はほとんどなされなかった。
旧態 きゅうたい 化 か した1969年 ねん 以降 いこう は、ギリシャ空軍 くうぐん とトルコ空軍 くうぐん にも供与 きょうよ されている。トルコ空軍 くうぐん のF-102は1974年 ねん のキプロス島 とう 侵攻 しんこう 作戦 さくせん 中 なか に起 お きたギリシャ空軍 くうぐん との戦闘 せんとう で、2機 き のF-5 戦闘 せんとう 機 き を撃墜 げきつい する戦果 せんか をあげている(ギリシャ空軍 くうぐん のF-102の戦果 せんか の記録 きろく は無 な い)。
航空 こうくう 宇宙 うちゅう 防衛 ぼうえい 軍団 ぐんだん から1960年代 ねんだい 後半 こうはん より順次 じゅんじ 退役 たいえき し、1970年 ねん までに全 ぜん 機 き 退役 たいえき した。以降 いこう は空軍 くうぐん 州兵 しゅうへい において1976年 ねん まで運用 うんよう されている。第 だい 43代 だい アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 大統領 だいとうりょう ジョージ・W・ブッシュ がテキサス空軍 くうぐん 州兵 しゅうへい のパイロット時代 じだい (1968年 ねん から1973年 ねん )に、ベトナム戦争 せんそう への招集 しょうしゅう を不当 ふとう に免 まぬか れていた疑惑 ぎわく でスキャンダルになっているが、その時 とき に搭乗 とうじょう していた機体 きたい が本 ほん 機 き であった。
アメリカ空軍 くうぐん 所属 しょぞく 機 き は、用 よう 廃 はい 後 ご 200機 き 以上 いじょう がPQM-102A無人 むじん 標的 ひょうてき 機 き に改造 かいぞう され、1970年代 ねんだい を通 つう じ消尽 しょうじん された。
日活 にっかつ 製作 せいさく 映画 えいが 「日本 にっぽん 列島 れっとう 」42:45から貴重 きちょう な日本 にっぽん 上空 じょうくう 飛行 ひこう シーンがみれる。
YF-102 - 初期 しょき 試作 しさく 機 き
YF-102A - 改良 かいりょう 型 がた 試作 しさく 機 き
F-102A - 単座 たんざ 全天候 ぜんてんこう 要撃 ようげき 機 き 。889機 き 生産 せいさん 。
TF-102A - 複 ふく 座 ざ 訓練 くんれん 機 き 。111機 き 生産 せいさん 。
F-102B - F-106A デルタダート の開発 かいはつ 初期 しょき の名称 めいしょう 。
QF-102A - 複 ふく 座 ざ 有人 ゆうじん 標的 ひょうてき ドローン(F-102Aから改造 かいぞう )
PQM-102A - 無人 むじん 標的 ひょうてき ドローン。1973年 ねん 以降 いこう 、200機 き 以上 いじょう がF-102Aから改造 かいぞう 。
PQM-102B - 無人 むじん 標的 ひょうてき ドローン
F-102 透過 とうか 図 ず
F-102A 三面 さんめん 図 ず
出典 しゅってん : The Great Book of Fighters[ 4]
諸 しょ 元 もと
乗員 じょういん : 1
全長 ぜんちょう : 20.83 m (68 ft 4 in)
全高 ぜんこう : 6.45 m (21 ft 2 in)
翼 つばさ 幅 はば : 11.61 m(38 ft 1 in)
翼 つばさ 面積 めんせき : 64.57 m2 (695 ft2 )
空虚 くうきょ 重量 じゅうりょう : 8,777 kg (19,350 lb)
運用 うんよう 時 じ 重量 じゅうりょう : 11,100 kg (24,500 lb)
最大 さいだい 離陸 りりく 重量 じゅうりょう : 14,300 kg (31,500 lb)
動力 どうりょく : P&W J57-P-25 アフターバーナー 付 づけ ターボジェット
ドライ推力 すいりょく : 52.0 kN (11,700 lbf) × 1
アフターバーナー 使用 しよう 時 じ 推力 すいりょく : 76.5 kN (17,200 lbf) × 1
内部 ないぶ 燃料 ねんりょう 容量 ようりょう : 4,107 L (1,085 US gal )
外部 がいぶ 燃料 ねんりょう 容量 ようりょう : 815 L (215 US gal )外部 がいぶ 増 ぞう 槽 そう × 2
性能 せいのう
最大 さいだい 速度 そくど : 1,304 km/h (704 kt) (12,190 m(40,000 ft)時 じ )
航続 こうぞく 距離 きょり : 2,175 km (1,170 nm)
実用 じつよう 上昇 じょうしょう 限度 げんど : 16,300 m (53,400 ft)
上昇 じょうしょう 率 りつ : 66 m/s (13,000 ft/min)
翼 つばさ 面 めん 荷重 かじゅう : 172 kg/m2 (35 lb/ft2 )
推力 すいりょく 重量 じゅうりょう 比 ひ : 0.70
武装 ぶそう
『海底 かいてい 軍艦 ぐんかん 』
国連 こくれん 軍 ぐん 所属 しょぞく 機 き として2機 き 登場 とうじょう 。ムウ帝国 ていこく からの攻撃 こうげき を警戒 けいかい すべく出撃 しゅつげき する。
^ a b c U.S. Air Force. “Convair F-102A Delta Dagger ”. 2020年 ねん 2月 がつ 16日 にち 閲覧 えつらん 。
^ ただしこの愛称 あいしょう は配備 はいび からかなり後 のち に付 つ けられたため浸透 しんとう せず、非公式 ひこうしき な愛称 あいしょう である「デュース 」(型番 かたばん の2に由来 ゆらい )の方 ほう が広 ひろ く用 もち いられていた。
^ ウェポンベイドアに1枚 まい あたり3基 き のロケット弾 だん 発射 はっしゃ 筒 とう が内蔵 ないぞう されており、ドアは4枚 まい あるため合計 ごうけい 12基 き の発射 はっしゃ 筒 とう が備 そな えられている。1基 き の発射 はっしゃ 筒 とう には縦列 じゅうれつ に2発 はつ のロケット弾 だん を装弾 そうだん し、総数 そうすう 24発 はつ を搭載 とうさい する。発射 はっしゃ 筒 とう の中央 ちゅうおう には開閉 かいへい 式 しき の隔壁 かくへき と発射 はっしゃ 炎 えん 排気 はいき 口 こう が設 もう けられ、前後 ぜんご のロケット弾 だん を分離 ぶんり していた。
^ Green, William and Gordon Swanborough. The Great Book of Fighters . St. Paul, Minnesota: MBI Publishing, 2001. ISBN 0-7603-1194-3 .
コンベアF-102デルタダガー(世界 せかい の傑作 けっさく 機 き No.81)文 ぶん 林堂 はやしどう 2000年 ねん ISBN 9784893190789
ミリタリーエアクラフト 1994年 ねん 1月 がつ 号 ごう 「アメリカ空軍 くうぐん 戦闘 せんとう 機 き 1945-1993」 P.68 デルタ出版 しゅっぱん
航空 こうくう ファン別冊 べっさつ No.32 アメリカ軍用 ぐんよう 機 き 1945~1986 空軍 くうぐん 編 へん 文 ぶん 林堂 はやしどう 雑誌 ざっし コード 03344-8 1986年 ねん
追撃 ついげき 機 き (P)戦闘 せんとう 機 き (F)複 ふく 座 ざ 追撃 ついげき 機 き (PB)多 た 座 ざ 戦闘 せんとう 機 き (FM)
三軍 さんぐん 統一 とういつ 命名 めいめい 法 ほう 施行 しこう 前 まえ の戦闘 せんとう 機 き