1992ねんバルセロナ五輪ごりん柔道じゅうどう男子だんし71キロきゅうきんメダルを獲得かくとくした古賀こが稔彦としひこ(こが・としひこ)さんが24にち死去しきょした。53さいだった。古賀こがさんが女子じょし柔道じゅうどうそう監督かんとくつとめる環太平洋かんたいへいようだい岡山おかやま)があきらかにした。関係かんけいしゃによると、古賀こがさんは、がんの治療ちりょうちゅうだった。

 古賀こがさんはソウル、バルセロナ、アトランタ五輪ごりんに3大会たいかい連続れんぞく出場しゅつじょう日本にっぽん選手せんしゅだん主将しゅしょうつとめたバルセロナ五輪ごりんでは、大会たいかい開幕かいまく直前ちょくぜんひだりひざ靱帯じんたいじんたい損傷そんしょうたいけがをったが、決勝けっしょうでハンガリー選手せんしゅだい接戦せっせんすえやぶって優勝ゆうしょうした。96ねんアトランタ五輪ごりんでも78キロきゅうぎんメダルを獲得かくとくした。

 世界せかい選手権せんしゅけんでも89、91、95ねん優勝ゆうしょう小柄こがらからだからあじするどわざし、あざやかな背負しょげで「平成へいせい三四郎さんしろう」とばれた。現役げんえき引退いんたい川崎かわさきで「古賀こがじゅく」をひらくなど柔道じゅうどう普及ふきゅう尽力じんりょくしていた。2004ねんアテネ、08ねん北京ぺきんりょう五輪ごりん柔道じゅうどう女子じょし63キロきゅうきんメダルにかがやいた谷本たにもとあゆみみのるさんもそだてた。

 

普段ふだん柔道じゅうどう試合しあいなんてこともないのに

五輪ごりん開催かいさいちゅうだけはにわかかファンになるひとおおいとおもいます。

日本にっぽんのお家芸いえげいともわれる柔道じゅうどうは1ほんちをめてくれると気分きぶんもスカッとしますよね。

でも世界中せかいじゅうひろまった柔道じゅうどうはポイントをかせいで勝敗しょうはいめる競技きょうぎになった。

平成へいせい三四郎さんしろう」こと古賀こが稔彦としひこさんも得意とくい背負しょげであざやかにめてくれる柔道じゅうどうでした。

くるまのラジオでいた訃報ふほうにショックをけましたよ。

五輪ごりんでメダルを獲得かくとくしてから めしえるようになった選手せんしゅおおい。

アスリートにとっては人生じんせい転機てんきとなるオリンピック

東京とうきょう五輪ごりん応援おうえんしましょう。