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「杉 の木 」を御 神木 とする「春宮 」の主祭 神 は、神話 「国 譲 り」で「建 御 雷神 (たけみかづちのかみ)/建 御 雷 之 男神 (たけみかづちのおのかみ)」に敗 れて、「州 羽 の海 」に逃 げたとされる「大国 主神 (おおくにぬしのかみ)」次子 「建 御名 方 神 (たけみなかたのかみ)」の妃 神 「八坂 刀 賣 神 (やさかとめのかみ)」だが、「大国 主神 」長子 で出雲 系 の神 でありながら、娘 が「神武 天皇 」皇后 となって大和 朝廷 との縁 が深 い神 「八重 事代 主神 (やえことしろぬしのかみ)」が合祀 されている。
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その「下社 」の祭神 は、2月 から7月 まで「春宮 」に鎮 まり、8月 1日 の「御舟 祭 (おふねまつり)」で「秋 宮 」に遷座 して、翌年 2月 1日 「遷座 祭 」で再 び「春宮 」に帰 座 するという半年 ごとに遷座 する神 だ。
❖大鳥居 御影石 の大鳥居 (高 さ8.2m 柱 回 り2.1m)は、近隣 「万治 の石仏 (まんじのせきぶつ)」のい伝 えをもとに、同 じ石工 による1659(万 治 2)年 の建立 と推定 される一方 で、1675(延 宝 3)年 に大坂 の石工 により完成 したとの記録 もあるという。いづれにしても、約 350年 の時間 がつくり出 した気韻 を湛 える御影石 の大 鳥居 だ。

❖神楽 殿 「諏訪 大社 下社 春宮 」入口 の御影石 「大鳥居 」から、先 ず目 に入 る社殿 が「神楽 殿 」だ。その名称 のとおり雅楽 や舞 を奉納 するほか、祈願 も行 う建物 で、天和 年間 (1681~1684)の造営 といわれるが、その後 修 改築 が繰 り返 され、1936(昭和 11)年 に大 改修 されて現在 に至 っているという。同一 の図面 で建築 されたという「秋 宮 」よりは小 ぶりの建物 で、施 されている彫刻 も異 なっている。はじめ「出雲 大社 奉賛 会 」の指導 で作 られ、「御 柱 祭 」毎 に新 しく奉納 されているという重量 約 1トンになる「下社 秋 宮 」の大 注連縄 と同 じ様式 の注連縄 も、比較 するとかなり小 さいものになっている。
❖筒 粥 殿 「神楽 殿 」左 脇 に特殊 神事 「筒 粥 神事 (つつがゆしんじ)」の行 われる「筒 粥 殿 」がある。「筒 粥 神事 」は、各地 の神社 で祭礼 として行 われる「粥 占 (かゆうら/よねうら)」のひとつと言 われるが、起源 は中国 から伝 えられたものだという。

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なお、「筒 粥 神事 」はかつて「上社 本宮 」でも行 われていたというが、現在 は「筒 粥 殿 」遺構 が境内 に残 るだけだ。
❖御 柱 正式 には「式年 造営 御 柱 大祭 」といい、日本 三 大 奇 祭 のひとつとされる「御 柱 祭 」は、寅 と申 の年 に樅 の大木 を「御 柱 」として伐 り出 し、氏子 が各 地区 分担 して二 社 四宮 (「上社 本宮 」「上社 前 宮 」「下社 秋 宮 」「下社 春宮 」)へそれぞれ4本 ずつ曳行し、社殿 の四隅 に建 てる「諏訪 大社 」最大 の行事 だ。

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「下社 」の「御 柱 祭 」は、3年 前 から御 用材 選定 が始 まり、「八島 高原 」近 くの「東俣 」から曳 き出 す4月 10日 前後 の「山出 し」に次 いで、5月10日 前後 に「里 曳 き」が行 われるが、見 ごたえは何 と言 っても「男 見 るなら 七 年 に一 度 諏訪 の木 落 し」と言 われる最大 斜 度 約 45度 、長 さ約 100mの急坂 「木 落 し坂 」を、男 たちが「御 柱 」に跨 ったまま下 る圧巻 の「木 落 し」だろう。「平成 二 十 八 丙 申 年 」の次回 は「令 和 四 壬 寅 年 」の開催 になる。
❖結 びの杉 「神楽 殿 」手前 右 に、縁結 びのパワースポットと言 われる「結 びの杉 」がある。幹 の末 で二股 に分 かれているが、根元 でひとつになっていることから「結 びの杉 」と呼 ばれるという。

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