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2020年8月のブログ記事一覧-小さな旅を愉しむための情報PLUS
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ちいさなたびたのしむための情報じょうほうPLUS

生活せいかつけんでのちいさなたびたのしむために、らしの歴史れきしけた情報じょうほう発信はっしん目指めざします。

諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃ春宮とうぐう 社殿しゃでん神楽かぐら殿どの とうかゆ殿どの など)🙂😐😐主祭しゅさいしん八坂はっさかがたなうれしん」に「八重やえ事代ことしろ主神しゅしん」が合祀ごうしされる神社じんじゃ

2020-08-30 15:00:00 | 神社じんじゃ仏閣ぶっかく

諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃあきみや(すわたいしゃ しもしゃ あきみや)」から徒歩とほやく20ふん西にしに「砥川とがわ(とがわ)」がながれる「下諏訪しもすわまち大門おおもん」で、下社しもしゃ最初さいしょ遷座せんざとされるしずまるのが「諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃ春宮とうぐう(すわたいしゃ しもしゃ はるみや)」だ
◇ ◇ ◇
社殿しゃでんは、地元じもと宮大工みやだいく大隅おおすみりゅう柴宮しばみや伊藤いとうちょう左衛門さえもんのりじゅう(のりしげ)」(1747/のべとおる4ねん~1800/寛政かんせい12ねん)が「春宮とうぐう」を、立川たちかわりゅう初代しょだい立川たちかわかず四郎しろう(たてかわわしろう)とみとう(とみむね)」(1744/のべとおる元年がんねん~1807/文化ぶんか4ねん)が「あきみや」を、おな図面ずめんって、わざきそったといわれる。
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すぎ」を神木しんぼくとする「春宮とうぐう」の主祭しゅさいしんは、神話しんわくにゆずり」で「たて雷神らいじん(たけみかづちのかみ)/たてかみなり男神おかみ(たけみかづちのおのかみ)」にやぶれて、「しゅううみ」にげたとされる「大国たいこく主神しゅしん(おおくにぬしのかみ)」次子じしけん御名ぎょめいかたしん(たけみなかたのかみ)」のしん八坂はっさかがたなうれしん(やさかとめのかみ)」だが、「大国たいこく主神しゅしん長子ちょうし出雲いずもけいかみでありながら、むすめが「神武じんむ天皇てんのう皇后こうごうとなって大和やまと朝廷ちょうていとのえんふかかみ八重やえ事代ことしろ主神しゅしん(やえことしろぬしのかみ)」が合祀ごうしされている。
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その「下社しもしゃ」の祭神さいじんは、2がつから7がつまで「春宮とうぐう」にしずまり、8がつ1にちの「御舟みふねさい(おふねまつり)」で「あきみや」に遷座せんざして、翌年よくねん2がつ1にち遷座せんざさい」でふたたび「春宮とうぐう」にするという半年はんとしごとに遷座せんざするかみ
 ❖ 大鳥居おおとりい  御影石みかげいし大鳥居おおとりいたかさ8.2m はしらまわり2.1m)は、近隣きんりん万治まんじ石仏いしぼとけ(まんじのせきぶつ)」のいいつたえをもとに、おな石工せっこうによる1659(まん2)ねん建立こんりゅう推定すいていされる一方いっぽうで、1675(のべたから3)ねん大坂おおさか石工せっこうにより完成かんせいしたとの記録きろくもあるという。いづれにしても、やく350ねん時間じかんがつくりした気韻きいんたたえる御影石みかげいしだい鳥居とりいだ。

 ❖ 神楽かぐら殿どの  「諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃ春宮とうぐう入口いりくち御影石みかげいし大鳥居おおとりい」から、はい社殿しゃでんが「神楽かぐら殿どの」だ。その名称めいしょうのとおり雅楽ががくまい奉納ほうのうするほか、祈願きがんおこな建物たてもので、天和てんわ年間ねんかん(1681~1684)の造営ぞうえいといわれるが、そのおさむ改築かいちくかえされ、1936(昭和しょうわ11)ねんだい改修かいしゅうされて現在げんざいいたっているという。同一どういつ図面ずめん建築けんちくされたという「あきみや」よりはぶりの建物たてもので、ほどこされている彫刻ちょうこくことなっている。はじめ「出雲いずも大社たいしゃ奉賛ほうさんかい」の指導しどうつくられ、「はしらさいごとあたらしく奉納ほうのうされているという重量じゅうりょうやく1トンになる「下社しもしゃあきみや」のだい注連縄しめなわおな様式ようしき注連縄しめなわも、比較ひかくするとかなりちいさいものになっている。
 ❖ とうかゆ殿どの  「神楽かぐら殿どのひだりわき特殊とくしゅ神事しんじつつかゆ神事しんじ(つつがゆしんじ)」のおこなわれる「つつかゆ殿どの」がある。「つつかゆ神事しんじ」は、各地かくち神社じんじゃ祭礼さいれいとしておこなわれる「かゆうらない(かゆうら/よねうら)」のひとつとわれるが、起源きげん中国ちゅうごくからつたえられたものだという。
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毎年まいとし、1がつ14にちよるから15にち早朝そうちょうにかけ、「つつかゆ殿どの」において、神職しんしょく江戸えど初期しょきのものという土間どま中央ちゅうおう囲炉裏いろりかこんで、べい小豆あずきあしつつれた大釜おおかまいちばんちゅう神事しんじだ。44ほんつつなかで43ほん農作物のうさくもつ43しゅ豊凶ほうきょうを、のこりの1ほんなかを、できたかゆ状態じょうたいうらなという。
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なお、「つつかゆ神事しんじ」はかつて「上社かみやしろ本宮ほんぐう」でもおこなわれていたというが、現在げんざいは「つつかゆ殿どの遺構いこう境内けいだいのこるだけだ。
 ❖ はしら  正式せいしきには「式年しきねん造営ぞうえいはしら大祭たいさい」といい、日本にっぽんさんだいさいのひとつとされるはしらさい」は、とらさるとしもみ大木たいぼくを「はしら」としてし、氏子うじこかく地区ちく分担ぶんたんしてしゃ四宮しのみや(「上社かみやしろ本宮ほんぐう」「上社かみやしろぜんみや」「下社しもしゃあきみや」「下社しもしゃ春宮とうぐう」)へそれぞれ4ほんずつ曳行し、社殿しゃでん四隅よすみてる「諏訪すわ大社たいしゃ最大さいだい行事ぎょうじだ。
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起源きげんについては諸説しょせつあるが、平安へいあん時代じだい桓武かんむ天皇てんのう時代じだい(781/てんおう元年がんねん~806/のべれき25ねん)の「はしらさい」の記録きろくのこされているという。縄文じょうもん時代じだい日本海にほんかいが、大陸たいりく列島れっとう文化ぶんか交流こうりゅうおおきな役割やくわりたしてまれた山陰やまかげから北陸ほくりくにかけての「日本海にほんかい文化ぶんかけん」で、かくをなした「出雲いずも」のかみ々との系譜けいふから、「日本海にほんかい文化ぶんかけん」の巨木きょぼく信仰しんこうが、「諏訪すわ大社たいしゃ」につながったというせつがあるという。
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下社しもしゃ」の「はしらさい」は、3ねんまえから用材ようざい選定せんていはじまり、「八島やじま高原こうげんちかくの「東俣ひがしまた」からす4がつ10にち前後ぜんこうの「山出やまだし」にいで、5月10にち前後ぜんこうに「さとき」がおこなわれるが、ごたえはなにっても「おとこるなら ななねんいち 諏訪すわおとし」とわれる最大さいだいはすやく45ながやく100mの急坂きゅうざかおとざか」を、おとこたちが「はしら」にまたがったままくだ圧巻あっかんの「おとし」だろう。「平成へいせいじゅうはちへいさるねん」の次回じかいは「れいよんみずのえとらねん」の開催かいさいになる。
 ❖ むすびのすぎ  「神楽かぐら殿どの手前てまえみぎに、縁結えんむすびのパワースポットとわれるむすびのすぎ」がある。みきすえ二股ふたまたかれているが、根元ねもとでひとつになっていることから「むすびのすぎ」とばれるという。

諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃ春宮とうぐう 社殿しゃでんぬさ拝殿はいでん ひがし宝殿ほうでん 西にし宝殿ほうでん)🙂😐😐祭神さいじんが「春宮とうぐう」「あきみや」を半年はんとしごと遷座せんざする神社じんじゃ

2020-08-29 16:00:00 | 神社じんじゃ仏閣ぶっかく


諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃあきみや(すわたいしゃ しもしゃ あきみや)」から徒歩とほやく20ふん西にしに「砥川とがわ(とがわ)」がながれる「下諏訪しもすわまち大門おおもん」で、下社しもしゃ最初さいしょ遷座せんざとされるしずまるのが「諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃ春宮とうぐう(すわたいしゃ しもしゃ はるみや)」だ。
◇ ◇ ◇
国道こくどう20号線ごうせん信号しんごう交差点こうさてん春宮とうぐう大門おおもん」から「大鳥居おおとりい」にいた道路どうろは、かつて「下社しもしゃ春宮とうぐう」の専用せんよう道路どうろであり「流鏑馬やぶさめ(やぶさめ)」の馬場ばばで、「御手洗みたらいがわ」にかる鎌倉かまくら時代じだい様式ようしきによる下馬げばきょう(げばばし)」は、「諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃ」でもっとふる室町むろまち時代じだい建物たてものだという。
◇ ◇ ◇
社殿しゃでんは、地元じもと宮大工みやだいく大隅おおすみりゅう柴宮しばみや伊藤いとうちょう左衛門さえもんのりじゅう(のりしげ)」(1747/のべとおる4ねん~1800/寛政かんせい12ねん)が「春宮とうぐう」を、立川たちかわりゅう初代しょだい立川たちかわかず四郎しろう(たてかわわしろう)とみとう(とみむね)」(1744/のべとおる元年がんねん~1807/文化ぶんか4ねん)が「あきみや」を、おな図面ずめんって、わざきそったといわれる。「上社かみやしろぜんみや以外いがいの「諏訪すわ大社たいしゃ」に本殿ほんでんはなく、原始げんし信仰しんこう姿すがたつたえるともわれるが、「春宮とうぐう」「あきみや」におおきさのちがいはあっても、同格どうかく両者りょうしゃ基本きほんてきおな構造こうぞうだ。
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すぎ」を神木しんぼくとする「春宮とうぐう」の主祭しゅさいしんは、神話しんわくにゆずり」で「たて雷神らいじん(たけみかづちのかみ)/たてかみなり男神おかみ(たけみかづちのおのかみ)」にやぶれて、「しゅううみ」にげたとされる「大国たいこく主神しゅしん(おおくにぬしのかみ)」次子じしで、「八重やえ事代ことしろ主神しゅしん(やえことしろぬしのかみ)」おとうとけん御名ぎょめいかたしん(たけみなかたのかみ)」のしん八坂はっさかがたなうれしん(やさかとめのかみ)」だが、「大国たいこく主神しゅしん長子ちょうし出雲いずもけいかみでありながら、むすめが「神武じんむ天皇てんのう皇后こうごうとなっている大和やまと朝廷ちょうていとのえんふかかみ八重やえ事代ことしろ主神しゅしん」が合祀ごうしされている。
◇ ◇ ◇
その下社しもしゃ」の祭神さいじんは、2がつから7がつまでは「春宮とうぐう」にしずまり、8がつ1にちの「御舟みふねさい(おふねまつり)」で「あきみや」に遷座せんざして、翌年よくねん2がつ1にち遷座せんざさい」でふたたび「春宮とうぐう」にするという半年はんとしごとに遷座せんざするかみだ。
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諏訪すわ明神みょうじん」の「われからだし、なんじもっからだす」なる宣布せんぷが、「神体しんたい大祝だいしゅく(おおほうり)」としたというが、「上社かみやしろ」の「諏訪すわ(すわ)」は室町むろまち祭政さいせい分離ぶんりがあり、惣領そうりょうは「上原うえはらしろ」で政治せいじを、大祝だいしゅくは「ぜんみや神殿しんでん(ごうどの)」で祭祀さいし掌握しょうあくしたが、のち両者りょうしゃあいだきたあらそいにじょうじて、下社しもしゃ大祝だいしゅく金刺かなざし(かなさし)」が惣領そうりょうはいるも、逆襲ぎゃくしゅうされて滅亡めつぼうしたという。以来いらい金刺かなざし」にわって「武居たけい(たけい)」からだいしゅくていたが、明治めいじ以降いこう氏族しぞく世襲せしゅう廃止はいしされ祭祀さいしにはかかわることがなくなって現在げんざいいたっているという。
 ❖ ぬさ拝殿はいでん  祭祀さいし拝礼はいれいおこなうための中央ちゅうおうじゅう楼門ろうもんづくりの社殿しゃでんを「ぬさ拝殿はいでん」、左右さゆうを「かた拝殿はいでん」という。1578(天正てんしょう6)ねんに「下馬げばきょう」とともに造営ぞうえいされた記録きろくがあるというが、1780(安永やすなが9)ねんつくられた現在げんざい建物たてものは、1983(昭和しょうわ58)ねんくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている
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完成かんせいへの顛末てんまつについては、諏訪すわぐん桑原くわはらむら現在げんざい諏訪すわまれの立川たちかわりゅう(たてかわりゅう)初代しょだい立川たちかわかず四郎しろうとみとう」が、「下社しもしゃあきみや社殿しゃでんうことをり、諏訪すわこおりひろしもん寺村てらむら現在げんざい諏訪すわまれの大隅おおすみ(おおすみ)りゅう柴宮しばみや伊藤いとうちょう左衛門さえもんのりじゅう」は、不足ふそくぶん自分じぶん建立こんりゅうのための寄付きふつのる「勧化かんげ(かんげ)」するとして、「下社しもしゃあきみや」とおな図面ずめんにより、採算さいさん度外視どがいししてったという。地元じもと代表だいひょうする大工だいく面目めんぼくをかけたきそいのなかで、華麗かれい彫刻ちょうこくほどこされた社殿しゃでん完成かんせいしたと、いまかたがれる。
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ぬさ拝殿はいでん(へいはいでん)」と「左右さゆうへん拝殿はいでん」の形式けいしきは、「諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろ本宮ほんぐう」の配置はいち類似るいじするが、参詣さんけいしゃ神前しんぜん奉献ほうけんする幣帛へいはく(へいはく)」をささげる社殿しゃでんぬさ殿どの」と、拝礼はいれいおこなうための社殿しゃでん拝殿はいでん」が、一棟ひとむね楼門ろうもん形式けいしきになっているのは「下社しもしゃ独自どくじ形式けいしきという。「左右さゆうへん拝殿はいでん」は「へんりゅう招屋づくり(かたながれまねきやづくり)」で、屋根やね正面しょうめんがわなが裏面りめんがわみじかくなっていてさんめんはなちだ。ぬさ拝殿はいでん正面しょうめんから上層じょうそうかってみずそら構成こうせいで、牡丹ぼたん獅子しし麒麟きりんりゅうづる様々さまざま彫刻ちょうこく配置はいちされる。内側うちがわけたには守護しゅごりゅうりょうわき羽目はめ雌雄しゆうにわとり欄干らんかんには獅子しし彫刻ちょうこくがあって、これもまた必見ひっけんといえる
 ❖ 東宝とうほう殿どの 西にし宝殿ほうでん  「諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃ春宮とうぐう」「ぬさ拝殿はいでんおくに、並列へいれつして「東宝とうほう殿どの」「西にし宝殿ほうでん」の2むねがある。「宝殿ほうでん」はさるとらねん6ねんごと式年しきねん造営ぞうえい交互こうごえられるので、それぞれ12ねんごとえられていることになるが、造営ぞうえい前年ぜんねん11がつごろから解体かいたい作業さぎょうはじめ、「はしらさと前夜ぜんや神霊しんれいうつす「かえ(せんざ)」のおこなっているという。ただ、現在げんざい新築しんちくではなく、一部いちぶ改築かいちくにとどまることがおおいという。
◇ ◇ ◇
しん宝殿ほうでん」にかえ神事しんじ宝殿ほうでん遷座せんざさい」は、かつては深夜しんやおこなわれたというやみなか神事しんじだが、現在げんざいは20ごろからかりをしておこなわれるという。なお、「本殿ほんでん」をもたない「諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃ春宮とうぐう」で、神木しんぼくすぎ近接きんせつしていただいている「宝殿ほうでん」に、参詣さんけいしゃ直接ちょくせつせっする機会きかいることはできない。

かすみじょう手塚てづかじょうあと😐😐😐「平家ひらか物語ものがたり」でかたられる手塚てづか別当べっとう金刺かなざしひかりもり居城きょじょうあと

2020-08-28 03:00:00 | 神社じんじゃ仏閣ぶっかく


諏訪湖すわこ」を見下みおろす眺望ちょうぼうすぐれた「ホテル山王さんのうかく」(2017/平成へいせい29ねん3がつ31にち営業えいぎょう終了しゅうりょう跡地あとちは、当面とうめんということで「下社しもしゃあきみや参詣さんけいしゃよう無料むりょう駐車ちゅうしゃじょうになっているが、平安へいあん時代じだい末期まっき武将ぶしょうで「源義仲みなもとのよしなか」の挙兵きょへい参加さんかし、最後さいごまで義仲よしなかしたがったよんのうちの一人ひとり手塚てづか別当べっとう金刺かなざしひかりもり(てづか べっとう かなさし みつもり)」(しょう~1184/寿ことぶきひさし3ねん)の居城きょじょうあとともつたえられる。
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現地げんちで「城主じょうしゅこうもりは、木曽きそ義仲よしなかしたがい、寿ことぶきひさしねん(1183ねん義仲よしなかうし奇襲きしゅう戦法せんぽう有名ゆうめい倶利伽羅峠くりからとうげ合戦かっせん源氏げんじかた参戦さんせん。つづく加賀かが篠原しのはらせんでは、敗走はいそうする平家へいけぐんなかにあって、ただいちふみとどまって奮戦ふんせんする武将ぶしょう斉藤さいとう別当べっとうみのるもり一騎打いっきうちにおよんだ。 この古式こしきのっとった見事みごと一騎打いっきうちは、武士ぶしどうかんとされ、のうじつもり』の題材だいざいとなっていまつたえられている。」と案内あんないされる。
◇ ◇ ◇
参考さんこう平家ひらか物語ものがたり木曾きそ最期さいご〉 ともえ、そのなかはいり、御田みたはちろうならべ、むずとつてとし、わがつたるくら前輪ぜんりんけてちつともうごかさず、くびねじきりつてててんげり。そののぐすてて、東国とうごくほうちぞく。手塚てづか太郎たろう討死うちじにす。手塚てづか別当べっとうちにけり。
 ❖ 諏訪すわ大明神だいみょうじん大祝だいしゅく 金刺かなざしもりきよしぞう  平安へいあん時代じだい後期こうき武将ぶしょう金刺かなざしもりきよし(かなさしもりずみ)」(なま没年ぼつねんしょう)は、また「諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃ」の最高さいこう神職しんしょく大祝だいしゅく(おおほうり)」で、「平家ひらか物語ものがたり」やのう歌舞伎かぶきなどで武士ぶしどうかんかたられる「手塚てづかひかりもり」がおとうとだ。
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自身じしん平家へいけ家人かじんでもあったことから、「みなもと頼朝よりとも(みなもと の よりとも)」(1147/久安ひさやす3ねん~1199/たてひさ10ねん)にとらえられ処刑しょけいされようとしたが、城南寺じょうなんてらりゅう流鏑馬やぶさめ達人たつじんで、そのすぐれた技量ぎりょうによって赦免しゃめんされ、のちに「みなもと頼朝よりとも側近そっきん御家人ごけにんとなり、護身ごしんやくつとめたり流鏑馬やぶさめまとはじめなどの儀式ぎしき活躍かつやくしたつたえられる。

諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃあきみや 境内けいだいしゃ摂社せっしゃ 末社まっしゃ)😐😐😐そこけた柄杓ひしゃく奉納ほうのうしての安産あんざん祈願きがん信仰しんこうあつめる境内けいだい末社まっしゃの「子安こやすしゃ」など

2020-08-25 20:00:00 | 神社じんじゃ仏閣ぶっかく
長野ながのけん下諏訪しもすわまち」のきゅう中山道なかせんどうきゅう甲州こうしゅう街道かいどう分岐ぶんきしずまりまします「諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃあきみや(すわたいしゃ しもしゃ あきみや)」は、「下社しもしゃ春宮とうぐう(しもしゃ はるみや)」(諏訪すわぐん下諏訪しもすわまち)、「上社かみやしろ本宮もとみや(かみしゃ ほんみや)」(諏訪すわ)、「上社かみやしろぜんみや(かみしゃ まえみや)」(茅野ちの)とともに、けん御名ぎょめいかたしん(たけみなかたのかみ)」とそのしん八坂はっさかがたなうれしん(やさかとめのかみ)」を主祭しゅさいしんとする諏訪すわ大社たいしゃ」のよん箇所かしょ境内けいだいのひとつで、全国ぜんこくいちまんしゃえるとわれる「諏訪すわ神社じんじゃ」のそう本社ほんしゃだ。
◇ ◇ ◇
下社しもしゃあきみや」の境内けいだいしゃには、本社ほんしゃ祭神さいじん縁故えんこふかかみまつり、本社ほんしゃ末社まっしゃ中間ちゅうかんくらいするえだみや摂社せっしゃと、本社ほんしゃ付属ふぞく摂社せっしゃ社格しゃかくえだみや末社まっしゃもうけられている。


 ❖ 若宮わかみやしゃ すめらぎ大神宮だいじんぐうしゃ 稲荷いなりしゃ  「みぎへん拝殿はいでんわきあきみや境内けいだいしゃ3しゃならぶが、中央ちゅうおうのややおおきいしゃ摂社せっしゃ若宮わかみやしゃ(わかみやしゃ)」だ。祭神さいじんは「けん御名ぎょめいかた彦神別命べつめい(たけみなかたひこがみわけのみこと)」「伊豆いずゆういのち(いづはやをのみこと)」「妻科つましなうりいのち(つましなひめのみこと)」「いけ生神うるかみ(いけのおのかみ)」「須波すなみわか彦神(すわわかひこのかみ)」「片倉かたくらあたりいのち(かたくらべのみこと)」「たでしん(たてしなのかみ)」「はちきねいのち(やきねのみこと)」「うちけんしん(うちあがたのかみ)」「そとけんしん(そとあがたのかみ)」「だいけんしん(おほあがたのかみ)」「岐萩いのち(おきはぎのみこと)」「つま岐萩いのち(つまぎはぎのみこと)」で、「お諏訪すわさま(けん御名ぎょめいかたしん)」の御子みこしんじゅうさんはしらまつり、例祭れいさいが1がつ1にち毎月まいつき1にちだという。
◇ ◇ ◇
また、かってみぎ末社まっしゃすめらぎ大神宮だいじんぐうしゃ(こうたいじんぐうしゃ)」で、「弉諾みこと(いざなぎのみこと)」のむすめ太陽たいようしん皇祖こうそしんとして伊勢神宮いせじんぐう内宮ないくうまつられている日本にっぽん神話しんわ最高さいこうしんてんあきら大神おおがみ(あまてらすおほみかみ)」と、「弉諾みこと」のまご五穀ごこくをつかさどる女神めがみゆたか受大しん(とようけのおほかみ)」まつり、例祭れいさいが10月17にちだという。
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かって末社まっしゃ稲荷いなりしゃ(いなりしゃ)」で、日本にっぽん神話しんわ登場とうじょうする穀物こくもつしん「宇迦たましいしん(うかのみたまのかみ)/くらいねたましいいのち(うかのみたまのみこと)」宮中きゅうちゅう平安へいあんまもかみ大宮おおみやうりしん(おおみやのめのかみ)」と、日本にっぽん神話しんわ登場とうじょうする国津くにつしん佐田さた彦神(さたひこのかみ)」まつり、例祭れいさいは4がつ9にちだという。

 ❖ 鹿島かしましゃ 子安こやすしゃ 賀茂かも上下じょうげしゃ など  「あきみや二之にのはしら手前てまえに、あきみや境内けいだいしゃ末社まっしゃ4しゃならんでいる。かって左端ひだりはし独立どくりつしたしゃは、祭神さいじん国津くにつしん大国たいこく主神しゅしん(おおくにぬしのかみ)」にくにゆずりをさせた雷神らいじんけんしん武神ぶしんたてかみなり男神おかみ(たけみかづちのおのかみ)/たけづちいのち(たけみかづちのみこと)」末社まっしゃ鹿島かしましゃ(かしましゃ)」で、例祭れいさいは9月1にちだ。
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そのみぎ末社まっしゃ子安こやすしゃ(こやすしゃ)」は、祭神さいじんけん御名ぎょめいかたしん」(諏訪すわ大神おおがみ)のははしん高志こうしぬまかわひめいのち(こしのぬなかわひめのみこと)」で、例祭れいさいは12月22にちになる。同社どうしゃは、妊娠にんしん5かげついぬに、みずかるけるようにおさんらくにというねがいで、そこけた柄杓ひしゃく安産あんざん祈願きがん柄杓ひしゃくとして奉納ほうのうし、安産あんざん健康けんこうどもの誕生たんじょういのしゃだ。ふるくから縁結えんむすび・安産あんざん子育こそだての守護神しゅごじん「お子安こやすさま」としたしまれてたという。もとより「けん御名ぎょめいかたしん諏訪すわ大神おおがみ)」はじゅうさんはしら(いいつたえによっては最大さいだいじゅうさんはしら)の御子みこしんもうけたとされ、ふるくからさづけの信仰しんこうがある神社じんじゃで、「下社しもしゃあきみや」「上社かみやしろ本宮ほんぐう」において、午前ごぜん9から午後ごご4まで、祈祷きとうけているという。
◇ ◇ ◇
いでみぎ末社まっしゃ賀茂かも上下じょうげしゃ(かもかみしもしゃ)」祭神さいじんは、「上賀茂かみがも」がかみなりけるほどのちからつという賀茂かも一族いちぞくかみ賀茂かもべつ雷神らいじん(かもわけいかづちのかみ)」、「下鴨しもがも」が賀茂かもべつ雷神らいじん」のははしんたまひめいのち(たまよりひめのみこと)」と「賀茂かもべつ雷神らいじん」の外祖父がいそふで、神武じんむ東征とうせいさいに「はち咫烏(やたがらす/やたのからす)」へと姿すがたえて、その先導せんどうをつとめたという「けんかく身命しんめい(たけつぬみのみこと)」で、例祭れいさいは5月15にちだ。
◇ ◇ ◇
みぎはし末社まっしゃ八坂はっさかしゃ(やさかしゃ)」祭神さいじんは、出雲いずも神話しんわ祖神そしんもと戔鳴みこと(すさのをのみこと)」と、戔鳴みことの8にんはちはしら御子みこしん(やはしらのみこがみ)」、「はち岐大へび(やまたのおろち)」の生贄いけにえになるところをもと戔鳴みこと」にたすけられそのつまとなった「稲田いなだひめいのち(くしいなだひめのみこと)」で、例祭れいさいが6がつ15にちだ。
 ❖ 八幡やはたしゃ  「下社しもしゃあきみや」の鳥居とりいかって右手みぎて参詣さんけいしゃよう無料むりょう駐車ちゅうしゃじょうかこまれた小高こだか土地とち末社まっしゃ八幡やはたしゃ(はちまんしゃ)」がある。武神ぶしんだい15だい 応神天皇おうじんてんのう(おうじんてんのう)/いみな 誉田ほんだべつみこと(ほむたわけのみこと)」とそのははいき長足ちょうそくひめいのち(おきながたらしひめのみこと)」およびうり大神おおがみ(ひめおおみかみ)」を、「八幡やはた三神みかみ」としてまつっているという。学問がくもんかみとしてしたしまれる「菅原すがわら道真みちざね」を祭神さいじんとする「天満宮てんまんぐう(てんまんぐう)」、さらにみずかみこう龗神(たかおかみのかみ)」をまつる「貴船きふねしゃ(きふねしゃ)」と「御室おむろしゃ(みむろしゃ)」が、明治めいじ合祀ごうしされたという。
 ❖ あきみや恵比寿えびすしゃ  「下社しもしゃあきみや」の鳥居とりいかって右手みぎて参詣さんけいしゃよう無料むりょう駐車ちゅうしゃじょうかこまれた小高こだか土地とち末社まっしゃあきみや恵比寿えびすしゃがある。祭神さいじんは、諏訪すわ大神おおがみけん御名ぎょめいかたしん(たけみなかたのかみ)」のちちしん大国たいこく主神しゅしん(おおくにぬしのかみ)」あにしん事代ことしろ主神しゅしん(ことしろぬしのかみ)」で、民間みんかんではのう漁業ぎょぎょうしょう工業こうぎょう発展はってん神徳しんとくあらたかなふくかみ大黒おおくろさま」「えびすさま」として信仰しんこうあついが、「けん御名ぎょめいかたしん諏訪すわ大神おおがみ)」とも縁故えんこふかいとして、「大国たいこく主神しゅしん(だいこくさま)」を主祭しゅさいしんとしてまつる「出雲いずも大社たいしゃ」(島根しまねけん出雲いずも)と、「えびすさま」のそう本社ほんしゃ美保みほ神社じんじゃ」(島根しまねけん松江まつえ)から分霊ぶんれいけ、1948(昭和しょうわ23)ねん11月20にち鎮座ちんざさいおこなわれたという。春季しゅんきれい大祭たいさいは4がつ20日はつか秋季しゅうきれい大祭たいさいは11月20にちおこなわれる。

諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃあきみや 社殿しゃでん神楽かぐら殿どの 獅子じし狛犬こまいぬ 神饌しんせんしょ など)🙂😐😐清水しみず多嘉たかしめせ獅子しし狛犬こまいぬぞう」をしたがえる神楽かぐら殿どの際立きわだ神社じんじゃ

2020-08-23 15:00:00 | 神社じんじゃ仏閣ぶっかく
長野ながのけん下諏訪しもすわまち」のきゅう中山道なかせんどう」ときゅう甲州こうしゅう街道かいどう分岐ぶんき位置いちする「諏訪すわ大社たいしゃ(すわたいしゃ)下社しもしゃ(しもしゃ)あきみや(あきみや)」は、「下社しもしゃ(しもしゃ)春宮とうぐう(はるみや)」(諏訪すわぐん下諏訪しもすわまち)、「上社かみやしろ(かみしゃ)本宮もとみや(ほんみや)」(諏訪すわ)、「上社かみやしろ(かみしゃ)ぜんみや(まえみや)」(茅野ちの)とともに、よんヶ所かしょしずまりまします「諏訪すわ大社たいしゃ」のひとつで、全国ぜんこくいちまんしゃえるとわれる「諏訪すわ神社じんじゃ」のそう本社ほんしゃだ。
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「お諏訪すわさま/諏訪すわ大明神だいみょうじん」ともばれる「諏訪すわ大社たいしゃ」は、「国津くにつしん(くにつかみ)」の「大国たいこく主神しゅしん(おおくにぬしのかみ)」次子じしけん御名ぎょめいかたしん(たけみなかたのかみ)」と、そのしん八坂はっさかがたなうれしん(やさかとめのかみ)」が主祭しゅさいしんで、下社しもしゃ」は「八坂はっさかがたなうれしん」をまつり、のちに「大国たいこく主神しゅしん長子ちょうし八重やえ事代ことしろ主神しゅしん(やえことしろぬしのかみ)」がはいまつされたという。
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ここ下社しもしゃあきみや」の祭神さいじんは、徒歩とほやく20ふんにある「下社しもしゃ春宮とうぐう」とのあいだ半年はんとしごと遷座せんざされ、「あきみや」から「春宮とうぐう」へ遷座せんざする「遷座せんざさい(せんざさい)」は2がつ1にちに、「春宮とうぐう」から「あきみや」へ遷座せんざする「御舟みふねさい(おふねまつり)」は8がつ1にちおこなわれる
 ❖ 神楽かぐら殿どの  「ぬさ拝殿はいでん(へいはいでん)」まえさんぽう切妻きりづまづくりの「神楽かぐら殿どの(かぐらでん)」は、宮大工みやだいく立川たちかわかず四郎しろう代目だいめとみあきら(たてかわわしろう とみまさ)」(1744/のべとおる元年がんねん~1807/文化ぶんか4ねん)によって、1835(天保てんぽう6)ねん上棟じょうとうされ、1983(昭和しょうわ58)ねんくにの「重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していけた社殿しゃでんだ。
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そのりょうそでしたがえたたかさ1.7メートルという青銅せいどうせいおもねぞう獅子しし)」「うんぞう狛犬こまいぬ)」と、とらさるとしおこなわれる「はしらさいごとに、あたらしく奉納ほうのうされるというだい注連縄しめなわによって、「神楽かぐら殿どの」は存在そんざいかんをより際立きわだたせているとえるが、だい注連縄しめなわはじめ「出雲いずも大社たいしゃ奉賛ほうさんかい」の指導しどうつくられたもので、重量じゅうりょうやく1トンにもなるという。
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神楽かぐら殿どの」とは、その名前なまえのとおり神前しんぜん神楽かぐら奉納ほうのうするための建物たてものだが、すくない彫刻ちょうこくもちいられたふとざいは、規模きぼおおきさと質実しつじつ荘重そうちょう印象いんしょうをよんで、瀟洒しょうしゃ印象いんしょうをよぶ「ぬさ拝殿はいでん」とこう対照たいしょう存在そんざいし、たがいをたてっている。

 ❖ おもねぞう獅子ししうんぞう狛犬こまいぬ)  「神楽かぐら殿どの正面しょうめんりょうわきしたがう「獅子しし狛犬こまいぬぞう」は、諏訪すわぐん原村はらむら出身しゅっしんで「日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん」「文化ぶんか功労こうろうしゃ」の清水しみず多嘉たかしめせ(しみず たかし)」(1897/明治めいじ30ねん7がつ27にち~1981/昭和しょうわ56ねん5がつ5にち)による1960(昭和しょうわ35)ねん制作せいさく作品さくひんだという。
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同氏どうしは、近代きんだい彫刻ちょうこくちちといわれる「François-Auguste-René Rodin(フランソワ オーギュスト ルネ ロダン)」(1840ねん11月12にち~1917ねん11月17にち)の助手じょしゅをつとめ、後継こうけいしゃされたフランスの彫刻ちょうこく「Antoine Bourdelle(アントワーヌ ブールデル)」(1861ねん10がつ30にち~1929ねん10がつ1にち)に師事しじし、戦後せんご具象ぐしょう彫刻ちょうこくをリードした一人ひとりといわれている彫刻ちょうこくで、「諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃあきみや」の「獅子しし狛犬こまいぬぞう」を、皮相ひそう形式けいしきうにぎない「獅子しし狛犬こまいぬ」がおおあふれるなかで、生命せいめい躍動やくどうかんあふれ気迫きはくみなぎるべつ次元じげん作品さくひん仕上しあ奉献ほうけんしている。
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空想くうそうじょう守護しゅごじゅうぞう」は、神聖しんせい場所ばしょ邪気じゃきからまも魔除まよけけの役割やくわりをもつが、かってみぎかくがなくくちひらいているのが「おもね(あ)ぞう」の「獅子しし(しし)」、ひだりかくがあって(かくがないものもおおい)くちじているのが「うん(うん)ぞう」の「狛犬こまいぬ(こまいぬ)」だ。現在げんざいは「獅子しし狛犬こまいぬ」という呼称こしょうえて、両者りょうしゃわせて魔除まよけけのためにかれるぞうこばめけん(こまいぬ)」から、たんに「狛犬こまいぬ」といういいかた定着ていちゃくしてているが、「狛犬こまいぬ」とはあくまでも空想くうそうじょう動物どうぶつで「いぬ」ではない。
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起源きげん古代こだいオリエントの「スフィンクス」までさかのぼるといわれるが、ガンダーラを経由けいゆして中国ちゅうごくはいり、遣唐使けんとうし我国わがくにかえって、たい獅子ししぞう寺院じいん山門さんもん仁王におうぞう影響えいきょうけ、平安へいあん時代じだいまでに「獅子しし狛犬こまいぬ」という独自どくじの「阿吽あうん形式けいしきわったのではないかとわれている。ちなみに沖縄おきなわの「シーサー」は、「獅子しし」を沖縄おきなわ発音はつおんした伝説でんせつししで、災厄さいやくをもたらす悪霊あくりょうはら魔除まよけけとされている。
 ❖ 神饌しんせんしょ  「神楽かぐら殿どの右手みぎてにある「授与じゅよしょひだりとなり建物たてものが「神饌しんせん(しんせん)しょ」で、神前しんぜんそなえる供物くもつのことで「饌(みけ)」「にえ(みにえ)」ともいわれる神饌しんせん」を調理ちょうり格納かくのうするところをいうかたりだ。
 ❖ さざれせき  本来ほんらい意味いみは「小石こいし」だが、「石灰せっかいしつかくつぶてがん(せっかいしつかくれきがん)」についても「さざれせき」とばれて、「きみ」にうたわれる。炭酸たんさんしお鉱物こうぶつ雨水あまみずなどにし、コンクリートじょうかたまることで、すみつぶて同士どうし結合けつごうした石灰岩せっかいがんかくつぶて堆積岩たいせきがんだ。
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いわおじょうになった「石灰せっかいしつかくつぶてがん」は、「北野きたの天満宮てんまんぐう」(京都きょうと上京かみぎょう)など、各地かくち社寺しゃじ注連縄しめなわかざりなどをほどこかざられているが、ここ「下社しもしゃあきみや」の「さざれせき」もそのひとつだ。
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きみ」のなかでは、ちいさないしおおきないしになり、さらにこけむすというなが歳月さいげつ比喩ひゆてき表現ひょうげん使つかわれているが、おも産出さんしゅつ伊吹山いぶきやま」(岐阜ぎふけん滋賀しがけん県境けんきょう)の登山とざんこうの「さざれせき公園こうえん」(岐阜ぎふけん揖斐川いびがわまち)には、歌詞かし由来ゆらい岐阜ぎふけん天然記念物てんねんきねんぶつ「さざれせき」がある。