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剣術とは (ケンジュツとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

剣術けんじゅつ単語たんご

336けん
ケンジュツ
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掲示板けいじばん

剣術けんじゅつとは、かたなけんもちいての戦闘せんとう技術ぎじゅつである。

西洋せいようけんじゅつ中国ちゅうごく剣術けんじゅつかたなじゅつ)、日本にっぽん剣術けんじゅつなど、くにによってかたなけんかたちちがえば剣術けんじゅつバリエーションおおいろどりだが、ほんこうではあるじ日本にっぽん剣術けんじゅつについて記述きじゅつする。

概要がいよう

日本にっぽんにおいては、日本にっぽんがたなあつか技術ぎじゅつである、とっていだろう。沖縄おきなわには中国ちゅうごくしき剣術けんじゅつ若干じゃっかんつたわっているようだが、ここでは除外じょがいする。本来ほんらい居合いあい、抜かたなじゅつふくめた概念がいねんだが、現在げんざいではたんに「剣術けんじゅつ」とった場合ばあい居合いあいふくまないことがおおい。通常つうじょうかたなしょう太刀たちもちいる場合ばあいいちかたな技術ぎじゅつとは区別くべつされて伝承でんしょうしている。

また、甲冑かっちゅう着用ちゃくよう前提ぜんていとした剣術けんじゅつを「かいしゃけんほう」または「かいしゃ剣術けんじゅつ」とび、ぎゃく甲冑かっちゅう着用ちゃくようしていない普段着ふだんぎ前提ぜんていとした剣術けんじゅつを「素肌すはだ剣術けんじゅつ」と分類ぶんるいすることもある。

ふるくは剣術けんじゅつのことを兵法ひょうほうぶこともあった。この兵法ひょうほうというのは、剣術けんじゅつだけでなく槍術そうじゅつ薙刀なぎなたじゅつゆみじゅつ格闘かくとうじゅつなどを内包ないほうした総合そうごう武術ぶじゅつであったが、そのなか剣術けんじゅつ兵法ひょうほう筆頭ひっとうとされたため、兵法ひょうほうといえばだいたい剣術けんじゅつゆびすこともおおかった。

兵法ひょうほう他者たしゃ教授きょうじゅするもの兵法ひょうほういえんだが、現代げんだいではそのような人々ひとびと剣豪けんごうぶこともおおい。

歴史れきし

古代こだい

すでかみだいかたなけんあり。これ利用りようみちもとむめんとするは人間にんげん通性つうせいである」

日本にっぽん剣道けんどうふみ」において、山田やまだ次郎じろうよしはこうべている。そのとおかたなけん存在そんざいする以上いじょう剣術けんじゅつもまた存在そんざいしたはずであり、剣術けんじゅつはじまりは大陸たいりくからあおどううつわつたわったときであろう。が、この時代じだい剣術けんじゅつについてはまったつたわっておらず詳細しょうさい不明ふめいである。

剣術けんじゅつ創成そうせい伝説でんせつ

現存げんそんする剣術けんじゅつりゅうおこりみなもとさかのぼっていくと、大体だいたい鹿島かしま太刀たちきょうはちりゅうく。鹿島かしま太刀たちはもはや実態じったいからず、きょうはちりゅういたっては実在じつざいすらあやしいとされているが、以下いか概略がいりゃくべる。

なお、両者りょうしゃとも異説いせつあり。

鹿島かしま太刀たち
仁徳天皇にんとくてんのう時代じだいよん世紀せいきごろ)、くに眞人まさとなる人物じんぶつ鹿島かしま神宮じんぐう祭壇さいだんもうけていのり、かみみょうけんじゅつさずかった。これはのちに「鹿島かしま太刀たち」と呼称こしょうされ、日本にっぽん剣術けんじゅつみなもとりゅうとなった。
以上いじょう鹿島かしま太刀たち伝説でんせつである。ななにんかみかんによって伝承でんしょうされたため、「関東かんとうななりゅう鹿島かしまななりゅう)」とばれるようになったというはなしもある。ふるくは鹿島かしま神宮じんぐう代々だいだい伝承でんしょうされていたとされ、九州きゅうしゅうおもむ防人さきもりたちため伝授でんじゅされた、ともつたえられる。
きょうはちりゅう
平安へいあん時代じだい末期まっきおにいち法眼ほうげん(きいちほうげん)なる人物じんぶつ鞍馬あんばてらはちにんそう剣術けんじゅつつたえた。のちおとうとであるはちにんそうつたえた剣術けんじゅつきょうはちりゅうしょうするようになったという。
以上いじょうきょうはちりゅう伝説でんせつである。中条ちゅうじょうながれ鞍馬あんばりゅうはこのきょうはちりゅうみなもとりゅうとしている。なお、研究けんきゅうしゃによっては仏教ぶっきょうけい剣術けんじゅつとして、神道しんとうけい鹿島かしま太刀たちたいさせることがある。

中世ちゅうせい前期ぜんき平安へいあん時代じだい末期まっき鎌倉かまくら時代ときよ室町むろまち時代じだい初期しょき

平安へいあん時代じだい末期まっき平清盛たいらのきよもり輩出はいしゅつしたたいらによるたけいえ政権せいけん誕生たんじょうし、だいたいこのころから武士ぶし…いわゆるさむらい日本にっぽん実質じっしつてき支配しはいしゃそうとなったわけだが、この時代じだいもおそらく剣術けんじゅつ概念がいねんがあったとおもわれるが、どのようなものだったかはよくわかってない。

一般いっぱんてきには平安へいあん時代じだい鎌倉かまくら時代ときよでは、ゆみじゅつうまじゅつ、そして組討くみうちばれる格闘かくとうじゅつ重視じゅうししていたものの、剣術けんじゅつ軽視けいしされていたといわれる。これは、最初さいしょ武士ぶしいたるが、うまりこなしながらゆみ相手あいて射殺しゃさつすることを専門せんもんとしたゆみ騎兵きへいだったからでもある。

ただし、鎌倉かまくら幕府ばくふ公式こうしき記録きろくである『吾妻あづまきょう』には「ゆみけん武芸ぶげい」という言葉ことば登場とうじょうしており、すくなくとも鎌倉かまくら時代ときよでは、剣術けんじゅつ(?)がゆみじゅつなら武芸ぶげいとして認識にんしきされていたようではある。

この時期じき日本にっぽんがたなは、あるじに「かたな」と「太刀たち」があった。

まず「かたな」であるが、まぎらわしいことに、いまうところのナイフあらわしていた。別名べつめいとしてとげかたなまたはこしかたなばれることもおおかった。「かたな」はてきいになったときてきトドメをすときに使つかうものであり、せん手柄てがらげたあかしあかりとして、てきくび切断せつだんすることにも重宝ちょうほうされた。「かたな」の使用しようほう中世ちゅうせい全期ぜんきとおして変化へんかしていない。

つぎに「太刀たち」である。

これは大雑把おおざっぱえばながめの日本にっぽんがたなである。「太刀たち」は時期じきによって用途ようとがややことなり、平安へいあん時代じだい戦争せんそうでは、ゆみきたり、やむをうまからりたあとで、はじめて使用しようするような代物しろものであったが、後世こうせい較してあまり使つかわれなかったらしい。これが鎌倉かまくら時代ときようつると、うまりながら「太刀たち」でたたかことえる。これは戦争せんそう大掛おおがかりになったことで、正規せいき武士ぶしだけでは対応たいおう不可能ふかのうになったため、百姓ひゃくしょうがりのなんちゃって武士ぶしを、戦争せんそう参加さんかさせるようになったからとされる。鎌倉かまくら時代ときよでは平安へいあん時代じだいではマナー違反いはんとされたうまへの攻撃こうげき体当たいあたり攻撃こうげき使用しようされるようになった。

より詳細しょうさい使用しようほうとして、てきあたまかぶとごとなぐりつけのう震盪しんとうこしたところをねらい、短刀たんとうトドメをすという手法しゅほうっていた。鎌倉かまくら時代ときよまでのかぶとなかクッションがなく、ちょく接頭せっとうにつけてこうむことおおかったため、このような戦術せんじゅつ有効ゆうこうであった。またかぶとをしっかり固定こていするようにこうむ武士ぶしすくなかったため、なぐった衝撃しょうげきかぶとげてしまい防備ぼうびさらしすこともあった。これ以外いがいにも鎌倉かまくら時代ときよまでのよろいカバーされていないところがおおく、ゆみねらうのはむずかしいが、ちかづいて太刀たちりつけるのは大変たいへん有効ゆうこうであった。

中世ちゅうせい後期こうき室町むろまち時代ときよ戦国せんごく時代じだい安土あづち桃山ももやま時代じだい

兵法ひょうほうさんだい源流げんりゅう

剣術けんじゅつりゅう成立せいりつはじめたのは、室町むろまち時代ときよとされている。この時期じききょうったなかでもとく後世こうせい多大ただいかげひびきあたえた三流さんりゅうを、兵法ひょうほうさんだいみなもとりゅうぶ。

ねんりゅう
ねんおもねわたる慈恩じおん相馬そうま四郎しろう義元よしもと)をながれとする。おさなころちちころされふつもんはいったねんおもねわたるは、敵討かたきうちをゆびしてけん修行しゅぎょうんだ。のち還俗げんぞくしてちちてきち、ふたたぜんもんはい慈恩じおんあらためめた。そのもろくにまわってひろめたのがねんりゅうである。
ねんりゅう系譜けいふ現在げんざいまでつづいているりゅうにはうまにわねんりゅうがある。この流儀りゅうぎはそのとおり、うえしゅううまにわ代々だいだいつたえられた(江戸えど時代じだいいちしつでんしたけど)剣術けんじゅつで、あしはばひろく、後足あとあし重心じゅうしんをかけ、まもりをあるじからだとした技法ぎほうつかう。
また、現在げんざい鹿島かしまかみりゅう技法ぎほうは、うまにわねんりゅうかげひびき多分たぶんけているともわれている。
神道しんとうりゅう
兵法ひょうほうさんだいみなもとりゅうにおける「神道しんとうりゅう」は、たん鹿島かしま香取かとりつたわっていた剣術けんじゅつことゆびすらしい。おそらくはうえべた鹿島かしま太刀たち(もしくは関東かんとうななりゅう)のみちみつるであろう。
とはいえ、めししのちょうとき神道しんとうながれけいかくりゅう開祖かいそとなっていることから、一般いっぱんには香取かとり神道しんとうりゅうのことだと解釈かいしゃくされることがおおい。この香取かとり神道しんとうりゅう現在げんざい香取かとりつたわっており、日本にっぽん剣術けんじゅつとしては異様いようながくみ太刀たち特徴とくちょうがある。くわしくは天真てんしん正伝せいでん香取かとり神道しんとうりゅうこう参照さんしょう
この神道しんとうりゅうからきょうった流儀りゅうぎは、鹿島かしましんとうながれ鹿島かしまかみつて直心ひたごころかげりゅうなどがある。
かげりゅう
わずとれたしんかげりゅうみなもとりゅうりゅうであるあいしまうつりときは、神宮じんぐう参篭さんろうし、蜘蛛くも霊夢れいむによって剣術けんじゅつ極意ごくいさとったとつたえられる。
ここからきょうった流儀りゅうぎは、なにくともしんかげりゅうである。そもそもかげりゅう上泉かみいずみ信綱のぶつなしんかげりゅう大成たいせいし、そこから多数たすうりゅうったというのが正確せいかくではないだろうか。しんかげりゅうべつ系統けいとうかげりゅうのこっているとは、寡聞かぶんにしてかない。
じゅんいきかげりゅう技法ぎほうがどのようなものだったかは現在げんざいつたわっていないが、しんかげりゅうの「つばめ」のいきおいほうかげりゅうかたちもとになっているとわれている。
なお、上泉かみいずみ信綱のぶつなは、
もろりゅうおくきわめ、かげりゅうにおいてべつ奇妙きみょう抽出ちゅうしゅつして、しんかげりゅうごうす」
のこしている。

補足ほそく

社会しゃかい背景はいけい

兵法ひょうほうさんだいみなもとりゅうまれた室町むろまち時代ときよ乱暴らんぼうにいうと、警察けいさつ存在そんざいしないも同然どうぜんで、法律ほうりつのうしていない。すべてのひとがそうではなかったが、教育きょういく機関きかんがなく、道徳どうとくしんひくくなりがちでもあったため、ためらいなく他人たにん暴力ぼうりょくふるい、ときには殺人さつじんもいとわないような野蛮やばんじんおおかった時代じだいである。

(ただし、室町むろまち時代ときよかぎったはなしではなく、鎌倉かまくら時代ときよ戦国せんごく時代じだいなど、中世ちゅうせい区分くぶんされる時代じだい全体ぜんたい傾向けいこうでもある。)

日常にちじょう生活せいかつうえであっても、強盗ごうとう現代げんだいよりもはるかおおく、ほそ口論こうろんから喧嘩けんかとなり、そのまま武器ぶきもちいた殺人さつじん行為こういいたることがちんしくなかったといわれる。そのため当時とうじ庶民しょみんであっても、強盗ごうとう殺人鬼さつじんきおそわれたり、窃盗せっとうにあったりしても、自分じぶんなんらかの対処たいしょ対策たいさくおこな必要ひつようがあった。

(具体ぐたいてきには、資産しさん余裕よゆうがあれば自前じまえ武装ぶそうととのえ、まずしければ強者きょうしゃまもってもらえるように、その配下はいかにつく、もしくはまちむらどう業者ぎょうしゃ組合くみあいてきなんらかの集団しゅうだん所属しょぞくするなどの様々さまざま手段しゅだんるのが、きるための基本きほんであった。)

平安へいあん時代じだい時代じだい段階だんかいですでに、武士ぶし公家くげなどのあいだでは強盗ごうとう刺客しかく襲撃しゅうげきそなえ、就寝しゅうしんまくらもと太刀たち習慣しゅうかん存在そんざいし、かたなけんるいはどちらかといえば合戦かっせんではなく、日常にちじょう生活せいかつうえ発生はっせいする強盗ごうとう喧嘩けんかため武器ぶきであるという認識にんしきつよかった。

また、鎌倉かまくら時代ときよ以降いこうから徐々じょじょに、僧侶そうりょ百姓ひゃくしょうのような武士ぶし階層かいそうであっても、自衛じえい所属しょぞくしている寺社じしゃあるいは、まちむら治安ちあん維持いじときには犯罪はんざいなどのため、日常にちじょうてきかたなけんなどの武器ぶき携帯けいたいするものえていった。(武士ぶし以外いがいもの武器ぶき携帯けいたいすることを禁止きんししたり、制限せいげんする法律ほうりつなん施行しこうされてるが、だれまもらなかったらしい。)

戦国せんごく時代じだいには、北畠きたばたけきょう徳川とくがわ家康いえやす足利あしかが義輝よしてるのように兵法ひょうほういえ誘致ゆうちして剣術けんじゅつなら武将ぶしょうあらわれたが、これは合戦かっせん使用しようするためではなく、ひらたもと護身ごしんじゅつのためだったという見方みかたもある。

剣術けんじゅつ護身ごしんようとして活躍かつやくしたれいとしては、戦国せんごく時代じだい初期しょき武将ぶしょうであった細川ほそかわ勝元かつもとは、友人ゆうじん愛人あいじん喧嘩けんかとなりあやうくころされそうになった経験けいけんを2経験けいけんしているが、剣術けんじゅつならっていたおかげでいずれの事態じたいも、どうにかけられたという逸話いつわもある。

素肌すはだ剣術けんじゅつかいしゃ剣術けんじゅつ

剣術けんじゅつ解説かいせつしょなどでは「戦国せんごく時代じだいまでは戦乱せんらんおおく、甲冑かっちゅう着用ちゃくよう前提ぜんていかいしゃけんほうあるじりゅうであったが、江戸えど時代じだいからは戦乱せんらんがなくなったことで甲冑かっちゅう着用ちゃくようすることがなくなった。そのため、素肌すはだ剣術けんじゅつあるじりゅうとなった。」とするのが一般いっぱんてきである。

しかし、剣術けんじゅつ達人たつじんにまつわる逸話いつわ合戦かっせんではなく、ひらたとき集中しゅうちゅうしていること、合戦かっせんでなくとも治安ちあんわるゆえ偶発ぐうはつてききず沙汰ざた日常にちじょうてき発生はっせいしていたこと、実際じっさい護身ごしんよう剣術けんじゅつまな武将ぶしょう存在そんざいしたことなどの理由りゆうから、戦乱せんらんであっても、戦時せんじ時間じかんたいよりもひらたどき時間じかんたいながいこともふくめて、戦乱せんらんでも素肌すはだ剣術けんじゅつあるじりゅうだったのではないか?という異説いせつもある。

剣術けんじゅつ流派りゅうは一覧いちらん

現在げんざいつたわるりゅうとしては、以下いかりゅうがある。

ながれなかでもぶんしているものや、はいれてくなったもの、統合とうごうしたものなど、それ以外いがいにもおおくのりゅう存在そんざいしている。

さんだい源流げんりゅう

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剣術けんじゅつ

108 ななしのよっしん
2023/07/31(月)げつ 14:09:41 ID: qgWHXH1CDh
戦闘せんとう危惧きぐされるなら男手おとこでをかきあつめ、すじちからゆるかぎりでリーチながいものをってくるだろ
これは軍制ぐんせいとか戦法せんぽうとかったミームではなく、ホモ・サピエンスほんのう問題もんだいだよ
ホモ・サピエンスほんのうてき徒党ととうみたがり、そしてほんのうてき長物ちょうぶつちたがる習性しゅうせいがある

実際じっさいどんなかたなをどんな剣豪けんごうにぎろうが、竹槍たけやりってかこっちまえばなん意味いみもないし

なにひゃくひと隊列たいれつ形成けいせいするなら、そりゃあ高度こうど訓練くんれん必要ひつようだろうがね
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109 ななしのよっしん
2023/07/31(月)げつ 18:21:18 ID: hdNv6EYmfp
紛争ふんそうこうそう火種ひだねがくすぶっていても、てきがどこから襲撃しゅうげきしてくるのか、だれてきになるのかわからん

男手おとこであつめて長物ちょうぶつ用意よういしては理想りそうだけど、本格ほんかくてき会戦かいせんはともかく、小競こぜいやむら落・寺社じしゃ同士どうしこうそう突発とっぱつてきなので、つねたと竹槍たけやりでも長物ちょうぶつあるいて多数たすううごまわるのは現実げんじつてきではない

戦国せんごく時代じだいむら落であれば、わざわざ竹槍たけやりたよらんでもこうそうそなえて本式ほんしき(?)のやりそれなりにあったんだろうが、当時とうじやりそれなりにながさもおもさもあるし、地形ちけいてきけてないまわしになんがある。竹槍たけやり強度きょうどてきながいものは用意よういできない

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110 ななしのよっしん
2023/07/31(月)げつ 20:37:01 ID: qgWHXH1CDh
かたな肌身はだみはなさず携行けいこうできるって前提ぜんていってないか?
はたけ仕事しごとれる農民のうみんあさからばんまでおびかたなしっぱなしってのはがあるだろう

人間にんげんらしている土地とちならば、それなりのやりまわせる程度ていどにはひらかれているもんだ
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111 ななしのよっしん
2023/08/05(土) 20:58:55 ID: hdNv6EYmfp
室町むろまち戦国せんごく時代じだい農民のうみんむらはたけ仕事しごと専念せんねんする役割やくわりったもの
となりむらとうなどの外敵がいてき襲撃しゅうげきそなえて警備けいびをしたり、となりむら食料しょくりょう強奪ごうだつしたり、といったみのるちから行使こうし担当たんとうするもの、そしてゆびしるべしゃそうかれて役割やくわり分担ぶんたんをしていた。

このなか常時じょうじたいかたなしていたのは警備けいび&みのるちから行使こうしまかされていたそう人々ひとびとゆびしるべしゃそう一応いちおういっとくとかれらは百姓ひゃくしょう身分みぶんであって、武士ぶし階級かいきゅうではない

流石さすが全員ぜんいんおびかたなしていたわけはないが、近世きんせいならともかく、中世ちゅうせい農民のうみんはたけ仕事しごとれていたという認識にんしきはけっこうふる

安心あんしんして農民のうみん全員ぜんいんはたけ仕事しごと専念せんねんできるようになったのは、自力じりき救済きゅうさいふうしお是正ぜせいされはじめた安土あづち桃山ももやま時代じだい~江戸えど時代じだいから
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112 ななしのよっしん
2023/08/09(水)すい 17:30:05 ID: qgWHXH1CDh
専門せんもんてき戦闘せんとう従事じゅうじするならなおのことポンかたなしばをする意味いみはないだろ、2m程度ていど物見ものみやりもあるのに
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113 ななしのよっしん
2023/08/11(金)きん 17:04:23 ID: hdNv6EYmfp
かたなかかわるのは手軽てがるだからなのと、とうどきひとあいだにとってやり自体じたいはこびがメンドイから

となりむらこうそうになったときりょうあるじがわ中立ちゅうりつむら仲裁ちゅうさい調停ちょうてい
してくれたときやり抗争こうそう使つかうと自分じぶんたちに不利ふりになる裁定さいていをもらうこともあったらしい

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114 ななしのよっしん
2023/08/11(金)きん 23:30:49 ID: qgWHXH1CDh
いえやりりにひまもないぐらいの絶望ぜつぼうてき危難きなん予測よそくされる状況じょうきょうで、専任せんにん戦闘せんとういんやりあるのをいのちをかけて面倒臭めんどうくさがってるのか
そのくせかたな携行けいこうにはなん文句もんくもないどころかマメ訓練くんれんして先祖せんぞ伝来でんらいりゅう子々孫々ししそんそん継承けいしょうしてると

やりほう調停ちょうていおもあつかわれんのってやりほう武器ぶきとしてはるかかに価値かちたかいという共通きょうつう認識にんしきがあったあかしひだりじゃんね
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115 ななしのよっしん
2023/08/12(土) 04:41:51 ID: hdNv6EYmfp
なんやかんややりっていったほうがいい状況じょうきょうおおかったとおもわれる場面ばめんもあったんだろうし、個人こじんもあったんだろうが

中世ちゅうせい人間にんげん百姓ひゃくしょうでもひるあいだっからさけんでるような人種じんしゅおおかった
んで、教育きょういく機関きかんがないこともふくめてなおのことキレやすくてせっかちだったらしいから、面倒めんどうささよりも手軽てがるさを重視じゅうししたんだろ

あとおれ先祖せんぞ代々だいだいりゅういでるなんていってないよ

 
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116 ななしのよっしん
2023/08/12(土) 07:26:50 ID: hdNv6EYmfp
かたなけんにこだわることにかんしては文化ぶんかてき部分ぶぶんもあるし、かたなはあるけどやりいえいてないというパターンもある

がいじゅう駆除くじょのためにゆみ戦国せんごく時代じだい後半こうはんてつほうくわわる)が農民のうみん必須ひっすみちだったというはなしもあるんでやりよりもゆみほうおおかったんじゃねえかな
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117 ななしのよっしん
2024/04/27(土) 15:15:22 ID: pKnFn8Wq8d
https://www.youtube.com/watch?v=S84ZlsVK46k&ab_channel=%E5%8F%A4%E6%AD%A6%E9%81%93%E6%B5%85%E5%B1%B1%E4%B8%80%E4%BC%9D%E4%BC%9A-Asayamaichidenkai-exit
5:12~
いちつてかいせき先生せんせいがすごくいことをってくれた。
武道ぶどうをやっているひとには必見ひっけんだとおもう。
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急上昇きゅうじょうしょうワードあらため

2024/05/31(金)きん2000ふん 現在げんざい

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