従来の政治任用ポストであった政務次官は、権限も小さく役割も不明確であったため、「省庁の盲腸」と揶揄され軽んじられてきた[要出典]。1999年の国会審議活性化法により、国会における政府委員制度及び政務次官が廃止され、副大臣と大臣政務官が新たに設置された。副大臣には、適材適所の実力者を登用して国会答弁に当たらせることが期待された。また法律上の根拠がなかった政務次官会議に代えて、同法第9条に基づく副大臣会議を創設、権威付けと実質的な省庁間の政策調整が行われることも期された。
副大臣・大臣政務官制度への移行が議論されていた第2次橋本内閣・小渕内閣においては、重要官庁の政務次官に閣僚経験者を充てる試み(高村正彦・外務政務次官、谷垣禎一・大蔵政務次官、町村信孝・外務政務次官など)がなされるなど、新制度の効果的な活用が期待されていた。
小渕第2次改造内閣は1999年(平成11年)、官僚主導から政治家主導への政治の転換を目的とした中央省庁再編に伴い、併せて国会議員の議員数を10年間で25%削減することで連立政権とも合意し、また、自由民主党は第145回国会衆議院に「政府委員制度の廃止及び副大臣等の設置等に関する法律案」及び「国会審議の活性化及び政治主導の政策決定システムの確立に関する法律案」の2件を提出した[2]。民主党はこれに対し、民営化や規制の緩和・撤廃、民間委託、地方への権限移譲など、大胆な改革が必要であり無謀な定員削減であることや、行政の持つ専門知識が国会から排除されかねないとして撤回の動議を発議し[3]、これにより自由民主党はその後の7月13日、前者の法案を撤回し取り下げた。
一方、「国会審議の活性化及び政治主導の政策決定システムの確立に関する法律案」は参議院において社会民主党の反論は行われたが[4]、7月に成立して結果的に政府委員制度廃止が決定した[注釈 2]。
これにより2001年(平成13年)1月、政務次官制度が廃止され、副大臣・大臣政務官の制度に改組された。
しかしながら、新制度が導入された後の閣僚人事においては、若手の抜擢や民間人の起用などが注目された小泉内閣下においても、副大臣・大臣政務官人事については、派閥順送り・年功序列型の慣行がほぼ踏襲されるなど、大きな変化が見られないとする評価もなされた。
続く安倍内閣においては派閥の推薦をそのまま受け入れるのではなく、推薦リストをもとに総理や党幹部が決定するというスタイルがとられた。
一方、福田改造内閣では高市早苗(経済産業)と鴨下一郎(厚生労働)が、第2次安倍内閣では小渕優子(財務)、鈴木俊一(外務)、上川陽子(総務)の3名が、閣僚経験者ながら副大臣に起用されるなど新しい方向での模索もなされている。
国務大臣の決裁が必要な書類は副大臣による事前の決裁が必要とされ[6]、鳩山由紀夫内閣以降の民主党政権下では政務三役会議の設置などにより副大臣の地位は格段に強まり[7]、高級官僚たちは相手が副大臣であっても跪いて「大臣」と呼ぶほどであった[8]。
2023年のニューデリーG20(英語版)に外務大臣の代わりに外務副大臣が出席したことは、多くの国際的メディアから非難された[9]。
- ^ 国務大臣と同様に国会議員以外からの登用も可能であるが、これまでのところ例はない。
- ^ 政府委員制度は、国会において国務大臣を補佐する行政部の職員を、内閣が両議院議長の承認を得て政府委員として任命する制度[5]。