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ジョン・ヘンリー・ニューマン - Wikipedia

ジョン・ヘンリー・ニューマン

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ジョン・ヘンリー・ニューマン(John Henry Newman, 1801ねん2がつ21にち - 1890ねん8がつ11にち)は、19世紀せいきイングランド神学しんがくしゃで、イングランド国教こっきょうかい司祭しさいからカトリック改宗かいしゅうして枢機卿すうききょうとなった人物じんぶつである。2010ねん9がつれつぶくされぶくしゃ、2019ねん10がつ聖人せいじん認定にんていされた。

ジョン・ヘンリー・ニューマン
枢機卿すうききょう
ジョン・ヘンリー・ニューマン(ジョン・エヴァレット・ミレーさく
聖職せいしょく
枢機卿すうききょう任命にんめい 1879ねん5月12にち
個人こじん情報じょうほう
出生しゅっしょう 1801ねん2がつ21にち
イギリスの旗 イギリスロンドン
死去しきょ 1890ねん8がつ11にち
イギリスの旗 イギリス、エッジバストン
紋章もんしょう ジョン・ヘンリー・ニューマンの紋章
聖人せいじん
記念きねん 10月9にち(カトリック教会きょうかい
8がつ11にち(イングランド国教こっきょうかい
崇敬すうけい教派きょうは カトリック教会きょうかい
イングランド国教こっきょうかい
称号しょうごう 聖人せいじん
れつぶく 2010ねん9月19にち
イギリスの旗 イギリス、コフトン・パーク
れつぶく決定けっていしゃ ベネディクト16せい
列聖れっせい 2019ねん10月13にち
バチカンの旗 バチカン サン・ピエトロ広場ひろば
列聖れっせい決定けっていしゃ フランシスコ
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経歴けいれき

ロンドンまれる。オックスフォードイングランド国教こっきょうかい司祭しさいつとめていたが、イタリア旅行りょこうから帰国きこく1845ねんにカトリック教会きょうかい改宗かいしゅう最終さいしゅうてきには枢機卿すうききょうになった。当時とうじオックスフォおっくすふぉド大学どだいがくでは宗教しゅうきょうかんしてはげしい論争ろんそうひろげられており(オックスフォード運動うんどう)、フランス革命かくめい影響えいきょうけた啓蒙けいもう思想しそうたいし、保守ほしゅ反発はんぱつしていた。ニューマンもその一人ひとりであったが、神学しんがく研究けんきゅうすすめているうち、カトリック教会きょうかいかれるようになり、改宗かいしゅうするにいたった。だい1バチカンこう会議かいぎさいにも、ニューマンは教皇きょうこう不可ふか謬説全面ぜんめんてき擁護ようごした。

せい公会こうかいにおいて信徒しんと役割やくわり重視じゅうしされていたのにたいし、カトリック教会きょうかいにおける信徒しんと地位ちいひくさと教育きょういくのなさに愕然がくぜんとしたニューマンは、「教会きょうかい聖職せいしょくしゃ信徒しんととの共同きょうどうたいである」との信念しんねんから、信徒しんとたいする尊敬そんけい理解りかいしめし、教育きょういくのある信徒しんと重要じゅうようせいをことあるごとにいた。こうしたニューマンのかんがえはだい2バチカンこう会議かいぎ理念りねん先駆せんくともるものであったが、当時とうじおおくの非難ひなん批判ひはんった[1]

1991ねんにはその業績ぎょうせきとなえて尊者そんじゃとして認定にんていされており、2010ねん9月の教皇きょうこうベネディクト16せい英国えいこく公式こうしき訪問ほうもん[2]さいれつぶくされた[3]教皇きょうこうベネディクト16せいれつぶくしき説教せっきょうにおいて、ニューマンの信徒しんと教育きょういくろんについて指摘してきしている[1]

2019ねん7がつ1にち、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿すうききょうふくむ5めいぶくしゃ列聖れっせい決定けっていした。教皇きょうこうフランシスコは、5めいぶくしゃ列聖れっせいしきを10月13にちおこなうことを発表はっぴょうした[4]

2019ねん10がつ13にち、バチカン・サン・ピエトロ広場ひろばぶくしゃ4にんとも列聖れっせいされた[5]

著書ちょしょ

国教こっきょうかい時代じだい

  • Arians of the Fourth Century (1833ねん
  • Tracts for the Times (1833ねん - 1841ねん
  • British Critic (1836ねん - 1842ねん
  • On the Prophetical Office of the Church (1837ねん
  • Lectures on Justification (1838ねん
  • Parochial and Plain Sermons (1834ねん - 1843ねん
  • Select Treatises of St. Athanasius (1842ねん、1844ねん
  • Lives of the English Saints (1843ねん - 1844ねん
  • Essays on Miracles (1826ねん - 1843ねん
  • Oxford University Sermons (1843ねん
  • Sermons on Subjects of the Day (1843ねん

カトリック改宗かいしゅう

  • Essay on the Development of Christian Doctrine (1845ねん
  • Retractation of Anti-Catholic Statements (1845ねん
  • Loss and Gain小説しょうせつ、1848ねん
  • Faith and Prejudice and Other Sermons
  • Discourses to Mixed Congregations (1849ねん
  • Difficulties of Anglicans (1850ねん
  • Present Position of Catholics in England (1851ねん
  • Idea of a University (1852ねん、1858ねん
  • Cathedra Sempiterna (1852ねん
  • Callista小説しょうせつ、1855ねん
  • The Rambler編集へんしゅう、1859ねん - 1860ねん
  • Apologia Pro Vita Sua (1866ねん、1865ねん
  • Letter to Dr. Pusey (1865ねん
  • The Dream of Gerontius (1865ねん) - これをテクストとして、エドワード・エルガーオラトリオゲロンティアスのゆめ』を作曲さっきょくした(1900ねん初演しょえん)。
  • An Essay in Aid of a Grammar of Assent (1870ねん[6]
  • Sermons Preached on Various Occasions (1874ねん
  • Letter to the Duke of Norfolk (1875ねん
  • Five Letters (1875ねん
  • Sermon Notes (1849ねん - 1878ねん
  • Select Treatises of St. Athanasius (1881ねん
  • On the Inspiration of Scripture (1884ねん
  • Development of Religious Error (1885ねん
  • Grammar of Assent

日本語にほんごやく

  • 『ニューマン枢機卿すうききょう黙想もくそういのり』 長倉ながくら禮子あやこやく解説かいせつ知泉ちせんしょかん、2013ねん
  • 聖母せいぼマリア だいのエバ』 日本にっぽんニューマン協会きょうかいへんやくきょうともしゃ、2013ねん
  • しんしんかたりかける ニューマン説教せっきょうせん日本にっぽんニューマン協会きょうかいやく中央ちゅうおう出版しゅっぱんしゃ、1991ねん
  • 大学だいがくなにまなぶか』ピーター・ミルワードへん田中たなか秀人ひでとやく大修館書店たいしゅうかんしょてん、1983ねん

評伝ひょうでん研究けんきゅう

  • オーウェン・チャドウィック『ニューマン』 川中かわなかなほやく、コンパクト評伝ひょうでんシリーズ:きょうぶんかん、1995ねん
  • 長倉ながくら禮子あやこ『ジョン・ヘンリ・ニューマンの文学ぶんがく思想しそう知泉ちせんしょかん、2011ねん
  • 川中かわなかなほ『J・H・ニューマン研究けんきゅうきょうともしゃ、2015ねん 

脚注きゃくちゅう

外部がいぶリンク