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うず潮 (小説) - Wikipedia

うずしお (小説しょうせつ)

はやし芙美子ふみこ小説しょうせつ

うずしお』(うずしお)は、はやし芙美子ふみこ1947ねんに『毎日新聞まいにちしんぶん紙上しじょう発表はっぴょうした小説しょうせつはやし戦後せんご最初さいしょ新聞しんぶん小説しょうせつで、映画えいが、テレビドラマもされた。

戦争せんそうおっとくした高浜たかはま千代子ちよこは、5さいどもを神奈川かながわけん二宮にのみやまち託児たくじしょあづけて、東京とうきょうみの料理りょうりてんつとめる。そんな千代子ちよこしたうのは、岡山おかやま出身しゅっしんで、千代子ちよこあに戦争せんそうちゅう教師きょうしであったが、戦後せんご公職こうしょく追放ついほうけた)のおしであった杉本すぎもとである。京都きょうとあにいえでめぐりあった2人ふたりが、さまざまな困難こんなんかいながら、あたらしいあいをはぐくむ姿すがたを、2人ふたり周囲しゅうい人物じんぶつをからめながらえがいた作品さくひんである。

1952ねん11月6にち公開こうかい監督かんとく原研げんけんきち製作せいさく松竹しょうちく

キャスト(1952ねん

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1964ねん11月22にち公開こうかい監督かんとく斎藤さいとう武市たけいち製作せいさく日活にっかつ[1]

はやし芙美子ふみこ同名どうめい小説しょうせつではなく、1964ねんから1965ねんまで放送ほうそうされたNHK連続れんぞくテレビ小説しょうせつあさドラ)『うずしお』の映画えいが[1][2]はやし芙美子ふみこ原作げんさくとしてもクレジットされていない。県立けんりつ尾道おのみち高等こうとう女学校じょがっこう在学ざいがくはやしフミ子ふみこ青春せいしゅん時代じだいしぼった内容ないようとなっている[2]

吉永よしなが小百合さゆり浜田はまだ光夫みつお純愛じゅんあいコンビはマンネリズム問題もんだいになっていたが、前作ぜんさくあいをみつめて』が4おく5000まんえん興行こうぎょう収入しゅうにゅう[2]、その問題もんだいばし、沈滞ちんたい気味ぎみ日本にっぽん映画えいがかいにカツをれた[2]吉永よしなが浜田はまだのコンビはほんさくが28ほんとなる[2]

キャスト(1964ねん

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ラストシーンでフミ子ふみこ尾道おのみちから上京じょうきょうするため、広島ひろしまけん尾道おのみち舞台ぶたいであるが、尾道おのみち香川かがわけんいち週間しゅうかんロケおこなわれた[2]室内しつないシーンはすべ日活にっかつ撮影さつえいしょ香川かがわロケは、齋藤さいとう武市たけいち同年どうねん映画えいが鉄火場てっかばやぶり』で多度津たどつロケをしたさいに、ふる町並まちなみをり、大正たいしょうものをときは、多度津たどつ使つかいたいとおもったことによる[2]。ラストシーンは多度津たどつえき大正たいしょう時代じだい尾道おのみちえき仕立したてて撮影さつえいおこなわれた[2]。その高松たかまつ栗林公園りつりんこうえん志度しどまち鴨庄かもしょう小田おだげんさぬき)で香川かがわロケがおこなわれた[2]

尾道おのみちロケは『東京とうきょう物語ものがたり』のロケとしても有名ゆうめい浄土寺じょうどじ[2]つつ小学校しょうがっこう[2]千光寺せんこうじなどでロケがおこなわれた[1]

テレビドラマ

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武田たけだロマン劇場げきじょうばん

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1962ねん7がつ5にち同年どうねん7がつ12にちの2かいわたって、日本にほんテレビ系列けいれつの『武田たけだロマン劇場げきじょう』(武田薬品工業たけだやくひんこうぎょういちしゃ提供ていきょう木曜もくよう2230ふん - 2315ふん)で放送ほうそう

日本にほんテレビ系列けいれつ 武田たけだロマン劇場げきじょう
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
うずしお

連続れんぞくテレビ小説しょうせつばん

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うずしお
ジャンル ドラマ
原作げんさく はやし芙美子ふみこ
脚本きゃくほん 田中たなか澄江すみえ
出演しゅつえんしゃ はやし美智子みちこ
日高ひだか澄子すみこ
永野ながの達雄たつお
大塚おおつか国夫くにお
津川つがわ雅彦まさひこ
ナレーター 白坂しらさか道子みちこ
時代じだい設定せってい 大正たいしょう11ねんから昭和しょうわ26ねん[3]
製作せいさく
制作せいさく NHK大阪おおさか
放送ほうそう
放送ほうそうこく地域ちいき  日本にっぽん
放送ほうそう期間きかん1964ねん4がつ6にち - 1965ねん4がつ3にち
放送ほうそう時間じかん月曜げつよう - 土曜どよう 8:15 - 8:30
放送ほうそうわく連続れんぞくテレビ小説しょうせつ
放送ほうそうぶん15ふん
回数かいすう310
番組ばんぐみ年表ねんぴょう
前作ぜんさくあかつき
つぎさくたまゆら
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1964ねん4がつ6にちから1965ねん4がつ3にちまで放送ほうそうされたNHK連続れんぞくテレビ小説しょうせつだい4さく[4]ぜん310かい[5]

解説かいせつ

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少女しょうじょまずしい生活せいかつにもへこたれず、あかるくきていくヒロインの生涯しょうがいえがいた。原作げんさくはやし芙美子ふみこの「うずしお」「放浪ほうろう」など[5]

無名むめい新人しんじん単独たんどくヒロインに起用きようした最初さいしょ作品さくひん[5][6]であり、このとしだけNHK大阪おおさか放送ほうそうきょく制作せいさくした作品さくひんである[ちゅう 1]

視聴しちょうりつ記録きろくされている最初さいしょあさドラでもあり、初回しょかい視聴しちょうりつは23.2%、放送ほうそう期間きかん平均へいきん視聴しちょうりつは30.2%、最高さいこう視聴しちょうりつは47.8%である(関東かんとう地区ちくビデオリサーチ調しらべ)[7]

NHKにはだい309だい310最終さいしゅうばなし)の映像えいぞう現存げんそんする。

NHK 連続れんぞくテレビ小説しょうせつ
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
あかつき
(1963年度ねんど
うずしお
(1964年度ねんど
たまゆら
(1965年度ねんど

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ この当時とうじ東京放送とうきょうほうそうきょく1964ねん東京とうきょうオリンピック中継ちゅうけい放送ほうそうのため、ドラマを制作せいさくするため余裕よゆうがなかったことや、前年ぜんねんの1963ねん大阪放送おおさかほうそうきょく新館しんかん落成らくせいでテレビスタジオがととのったことなどが理由りゆうとしてげられている[6]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c うずしお | 映画えいが | 日活にっかつ
  2. ^ a b c d e f g h i j k 特別とくべつグラフ カメラでった『うずしお』ロケのいち週間しゅうかん」『近代きんだい映画えいが』1965ねん1がつごう 12–19ぺーじ近代映画社きんだいえいがしゃ 
  3. ^ NHK 連続れんぞくテレビ小説しょうせつ視聴しちょうしゃ −“あさドラ”はどうられているか −” (PDF). メディア研究けんきゅう. NHK放送ほうそう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ. p. 147 (2020ねん1がつ30にち). 2024ねん7がつ12にち閲覧えつらん(「付表ふひょう1 NHK 連続れんぞくテレビ小説しょうせつ作品さくひん一覧いちらんひょう】」153ぺーじかたちゅう3 白坂しらさか道子みちこ〉)
  4. ^ a b c 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい へんNHK年鑑ねんかん'65日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい、1965ねん10がつ25にち、163ぺーじNDLJP:2474362/114https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2474362 
  5. ^ a b c d だい4さく「うずしお”. あさドラ100. NHK. 2024ねん7がつ12にち閲覧えつらん
  6. ^ a b ❷Ⅰ 1 さくむすめわたし』から14 さく鳩子はとこうみ』まで(1961~ 1974)” (PDF). メディア研究けんきゅう. NHK放送ほうそう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ. p. 9 (2020ねん1がつ30にち). 2024ねん7がつ12にち閲覧えつらん
  7. ^ NHK 連続れんぞくテレビ小説しょうせつ視聴しちょうしゃ −“あさドラ”はどうられているか −” (PDF). メディア研究けんきゅう. NHK放送ほうそう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ. p. 146 (2020ねん1がつ30にち). 2024ねん7がつ12にち閲覧えつらん(「付表ふひょう1 NHK 連続れんぞくテレビ小説しょうせつ作品さくひん一覧いちらんひょう】」の152ぺーじの4)
  8. ^ はやし美智子みちこ - NHK人物じんぶつろく

外部がいぶリンク

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