(Translated by https://www.hiragana.jp/)
エスキモー - Wikipedia

エスキモー

ツンドラ地帯ちたい先住民せんじゅうみんぞく

エスキモー英語えいご: Eskimo)は、北極圏ほっきょくけんシベリアごく東部とうぶアラスカカナダ北部ほくぶグリーンランドいたるまでのツンドラ地帯ちたい先住民せんじゅうみんぞくグループである。

エスキモー
Eskimo
居住きょじゅう地域ちいき
カナダの旗 カナダ 北部ほくぶ一帯いったい
ヌナブトじゅんしゅう
ヌナビク
ヌナツィアブト
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく アラスカしゅう
グリーンランドの旗 グリーンランド
ロシアの旗 ロシア シベリア北東ほくとう
言語げんご
エスキモー・アレウト語族ごぞく
宗教しゅうきょう
キリスト教きりすときょう
シャーマニズム
アニミズム

イヌイットの家族かぞく
(1917ねん雑誌ざっし"National Geographic Magazine"より)
イグルー内部ないぶ

かれらは元々もともと狩猟しゅりょう採集さいしゅう生活せいかつしゃらしをおくっており、にくさかなだけをべていたが、白人はくじんとの交易こうえきはじまって小麦粉こむぎこ砂糖さとうべるようになってから、肥満ひまん糖尿とうにょうびょうわずらうようになった[1]

カナダ政府せいふアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく政府せいふにより「保護ほごするべき集団しゅうだん」となされ、パターナリスティックあつかいをけている[2]

民族みんぞく 編集へんしゅう

エスキモーとは単一たんいつ民族みんぞくではなく、おおきくはアラスカ北部ほくぶ以東いとうイヌイット (Inuit) けい民族みんぞく東部とうぶ集団しゅうだん)とアラスカ中部ちゅうぶ以西いせいユピク (Yupik) けい民族みんぞく西部せいぶ集団しゅうだん)にけられる。なおグリーンランドにむのは学術がくじゅつてきにはイヌイットであるが、現地げんちではカラーリットばれている。

そう人口じんこうやく9まんにんのうちグリーンランド住民じゅうみんもっとおおく、4まん1000にん。アラスカ3まん2000にん。カナダ1まん2000にん。シベリア1200にんかぞえる。

生活せいかつ文化ぶんか 編集へんしゅう

 
雪原せつげんがえしから保護ほごするための遮光しゃこう

ゆきこおりつくったイグルーひとし居住きょじゅうし、さかな海獣かいじゅうって生計せいけいをたて、カヤックイヌぞりによる移動いどう生活せいかつおくる、というのが一般いっぱんてきなエスキモーの生活せいかつとされており、現在げんざいでも定住ていじゅうせずに移動いどう生活せいかつをするものもいる。イグルーは移動いどうするときに使つかうもので、定住ていじゅうのための住居じゅうきょではない。

しかし近年きんねんでは、定住ていじゅうして都市としものえてきており、エスキモーの移動いどう生活せいかつ過去かこものとなりつつある。

食生活しょくせいかつ 編集へんしゅう

伝統でんとうてきなエスキモーでは、食生活しょくせいかつ狩猟しゅりょうによって生肉せいにく中心ちゅうしんであった。獲物えものりょう中心ちゅうしんとするエスキモーはアザラシクジラひとし、またりくでのりょうをするエスキモーはカリブートナカイ)である。生肉せいにくほかには、ツンドラの原野げんや自生じせいするコケモモしょくすることもある。気候きこう性質せいしつじょう穀物こくもつべず、カリブー、クジラ、アザラシのにくだけをべていた。

エスキモーたちと一緒いっしょらした経験けいけん探検たんけんヴィルヒャムル・ステファンソンは、食事しょくじ療法りょうほう、とりわけ、炭水化物たんすいかぶつすくない食事しょくじ療法りょうほうおおいに関心かんしんいていた。1906ねんから1907ねんにかけてかれらとらしたステファンソンは、食事しょくじについて、「全体ぜんたいの90%がにくさかな構成こうせいされている」と記録きろくしている。かれらの食事しょくじは「Zero Carb」「No Carb」(「炭水化物たんすいかぶつをほとんどふくまない食事しょくじ」)となされるかもしれない(かれらがべていたさかなにはわずかなりょうグリコーゲン(Glycogen)がふくまれてはいたが、炭水化物たんすいかぶつ摂取せっしゅりょう全体ぜんたいてきにごくわずかであった)。ステファンソンの仲間なかま探検たんけんたちも、この食事しょくじほう完全かんぜん健康けんこうたいであった。エスキモーたちとのらしからすうねん、ステファンソンは、アメリカ自然しぜん博物館はくぶつかんからの要請ようせいで、同僚どうりょうのカーステン・アンダーソン(Karsten Anderson)とともにふたた北極ほっきょくおとずれた。2人ふたりのもとには「文明ぶんめいされた」食料しょくりょうが1ねんぶん補給ほきゅうされる予定よていであったが、2人ふたりはこれをやんわりとことわった。当初とうしょ計画けいかくは1年間ねんかんであったものが、最終さいしゅうてきには4年間ねんかん延長えんちょうされた。北極圏ほっきょくけんにいた2人ふたりがその4年間ねんかんべていたものは、とらえてころしてられた動物どうぶつにくさかなだけであった。4ねんわた肉食にくしょく生活せいかつおく過程かていで、2人ふたり身体しんたいには異常いじょう悪影響あくえいきょうられなかった。ウィリアム・バンティング(William Banting)とおなじく、炭水化物たんすいかぶつのみを制限せいげんし、身体しんたい本当ほんとう必要ひつようとしているものつづけた場合ばあい身体しんたい完全かんぜん機能きのうし、壮健そうけんさと細身ほそみ維持いじできることがあきらかとなった。「カロリー」については一切いっさい無視むしされた[3][4]

にくだけをべる食事しょくじほう続行ぞっこう可能かのうかどうかについての見解けんかいをステファンソンが報告ほうこくしたさいにはおおくの懐疑かいぎろんたが、のちにおこなわれた研究けんきゅう分析ぶんせきで、それは可能かのうであることが裏付うらづけられた[5]複数ふくすう研究けんきゅう結果けっかにより、イヌイットたちの食事しょくじほうは「ケトンしょく療法りょうほう」であることがしめされた。かれらはおもさかなにく煮込にこんでべており、ときにはさかななまべることもあった[6][7][8]

1928ねん、ステファンソンとアンダーソンの2人ふたりはニューヨークにあるベルヴュー病院びょういん(Bellevue Hospital)に入院にゅういんし、完全かんぜん肉食にくしょく生活せいかつからだおよぼす影響えいきょうについての実験じっけんだいとなった。実験じっけん期間きかんは1年間ねんかんであり、コーネル大学だいがくのウジェーヌ・フロイド・デュボア(Eugene Floyd DuBois)が実験じっけん指揮しきした。ステファンソンとアンダーソンの2人ふたりは、注意深ちゅういぶか観察かんさつされた実験じっけんしつという設定せっていで、最初さいしょすう週間しゅうかんにくだけをつづけても問題もんだいいことを証明しょうめいする研究けんきゅう着手ちゃくしゅ同意どういし、「食事しょくじにおけるまりごと」をたしかなものにするために観察かんさつしゃいた。スコット・カトリップ(Scott Cutlip)による著書ちょしょThe Unseen Power: Public Relations』によれば、ペンドルトン・ダッドリー(Pendleton Dudley)がアメリカ食肉しょくにく協会きょうかい(American Meat Institute)にたいして、この研究けんきゅう資金しきん提供ていきょうしてもらえないか、と説得せっとくしたという[9]。このあいだにアンダーソンには糖尿とうにょうびょう症状しょうじょう発現はつげんした。糖尿とうにょうびょうにおける病理びょうりとはことなり、この研究けんきゅう過程かていでアンダーソンの身体しんたいられた糖尿とうにょうびょう病状びょうじょう期間きかんは4日間にちかんであった。たいせい調しらべるためにブドウ糖ぶどうとう100gを投与とうよさせたことと、肺炎はいえん発症はっしょうはいずれもどう時期じきであった。このときのアンダーソンは、水分すいぶん炭水化物たんすいかぶつおお食事しょくじっており、これを排除はいじょすると、糖尿とうにょうびょう症状しょうじょう消滅しょうめつした[10]。ステファンソンは、研究けんきゅうしゃから「脂肪しぼうすくない赤身あかみにくだけをべる」よう依頼いらいされた。ステファンソンには脂肪しぼうがほとんどにくつづけると2-3週間しゅうかん健康けんこうそこなった経験けいけんがあり、「脂肪しぼうがほとんどにく」は「消化しょうか不良ふりょう」をこす可能かのうせいがある、と指摘してきした。このにくつづけて3にち、ステファンソンは下痢げり見舞みまわれ、そのあとに便秘べんぴが10日間にちかんつづいた[11]はや段階だんかい体調たいちょう不良ふりょうおちいったのは、自身じしん以前いぜんべていたカリブー(トナカイ)のにくくらべて脂肪しぼうすくないにくつづけたのが原因げんいんである、とステファンソンはかんがえた[12]脂肪しぼうおおにくべるようにすると、2にち以内いない身体しんたい完全かんぜん回復かいふくした。最初さいしょの2日間にちかん、ステファンソンがっていた食事しょくじは、脂肪しぼう摂取せっしゅりょうさんぶんいちっていたてんのぞけば、エスキモーがっていた食事しょくじちかいものであった。タンパク質たんぱくしつ摂取せっしゅカロリーは全体ぜんたいの45%をめており、3にちにはちょう異常いじょうはじめた。つぎの2日間にちかんでステファンソンはタンパク質たんぱくしつ摂取せっしゅりょうらし、脂肪しぼう摂取せっしゅりょうやした。摂取せっしゅカロリーのやく20%をタンパク質たんぱくしつで、のこりの80%を脂肪しぼうめるようにした。この2日間にちかんでのこう脂肪しぼうしょくでステファンソンのちょう状態じょうたい投薬とうやくしで正常せいじょうもどった。その、ステファンソンはタンパク質たんぱくしつの1にち摂取せっしゅカロリーが25%をえないようにした[11]2人ふたり身体しんたい健康けんこうたもち、ちょう正常せいじょうなままであった。かれらの便びんちいさく、においもかった。ステファンソンには歯肉はにくえんがあり、歯石しせき沈着ちんちゃく増加ぞうかするも、実験じっけんわるまでにはえていた。実験じっけんちゅうのステファンソンの摂取せっしゅカロリーは2000~3100kcalで、そのうちの20%はタンパク質たんぱくしつであり、のこりの80%は動物どうぶつせい脂肪しぼうからていた[3]栄養素えいようその1にち摂取せっしゅりょうについては、タンパク質たんぱくしつは100-140g、脂肪しぼうは200-300gで、炭水化物たんすいかぶつについては7-12gであった[11]1929ねん発表はっぴょうされた論文ろんぶんでは、このとき臨床りんしょう研究けんきゅうについて詳述しょうじゅつされている[13]。ステファンソンによれば、エスキモーたちは赤身あかみにくタンパク質たんぱくしつ)の摂取せっしゅ制限せいげんし、余分よぶん赤身あかみにくいぬあたえてべさせ、脂肪しぼう確保かくほしてべたという[14]

のちにアメリカのしょく文化ぶんか流入りゅうにゅうし、かれらが元々もともとっていた食事しょくじほううしなわれつつある。太陽光たいようこうせんよわ北極圏ほっきょくけんでは、北欧ほくおうコーカソイドのようにはだのメラニン色素しきそうす人種じんしゅ太陽光たいようこうせんおお皮下ひかみ、ビタミンD体内たいないつくしていた。しかしながら、モンゴロイドであるエスキモーは色素しきそ太陽光たいようこうせん皮下ひかりょう不足ふそくしがちになるため、とらえてころしてれた動物どうぶつ生肉せいにく内臓ないぞうべる必要ひつようがあった。西洋せいようとの交易こうえき小麦粉こむぎこ砂糖さとうはじめるようになった途端とたん肥満ひまん糖尿とうにょうびょうわずらうエスキモーが急増きゅうぞうした[1]

グリーンランドにむエスキモーには海鳥うみどり発酵はっこうぶつキビヤックしょくする習慣しゅうかんがある。乳酸菌にゅうさんきんによる発酵はっこうで、微量びりょうビタミンC生成せいせいされる。

1960年代ねんだい以降いこう、「動物どうぶつせい脂肪しぼう豊富ほうふふく動物どうぶつせい食品しょくひんは、健康けんこう悪影響あくえいきょうおよぼす可能かのうせいがある」とわれるようになると、栄養えいよう学者がくしゃたちは、「動物どうぶつにくには、生命せいめい維持いじかせないすべての必須ひっすアミノ酸あみのさんすべての必須ひっす脂肪酸しぼうさん、13種類しゅるいある必須ひっすビタミンのうちの12種類しゅるいがたくさんふくまれている」という栄養えいようがくじょう事実じじつ指摘してきひかえるようになった[1]ビタミンDビタミンB12両方りょうほうふくものは「動物どうぶつせい食品しょくひんだけ」である[1][15]動物どうぶつ肝臓かんぞう脂肪しぼうであり、ビタミンA筆頭ひっとうにビタミンとミネラルを豊富ほうふふくむ。ビタミンAはあぶら溶性ようせいビタミン一種いっしゅであり、動物どうぶつせい脂肪しぼうはじめとしたものふくまれる脂肪しぼうぶん摂取せっしゅすることで、ビタミンが身体しんたい吸収きゅうしゅうされるのをたすける。

伝統でんとうてき生活せいかついとなものもいるが、地球ちきゅう温暖おんだんすすんだ現在げんざいでは、氷上ひかみ移動いどうするとこおりれるおそれがあるため、猟師りょうしたちはアザラシシロイルカから、内陸ないりく生息せいそくするカリブーにねらいをえるようになった。こうして、現在げんざいのエスキモー社会しゃかい海岸かいがんからはなれてらすようになっている[16]

うばての習慣しゅうかん 編集へんしゅう

また、かつては入手にゅうしゅ不安定ふあんていきわめてかぎられた食料しょくりょうによる極限きょくげんてき生活せいかつおくっていたことから、生産せいさん労働ろうどう従事じゅうじできない老人ろうじん病人びょうにん遺棄いきすることが一般いっぱんおこなわれていた。エスキモーはきびしい気候きこう寒冷かんれい居住きょじゅうしており、過去かこにおいてはつね食糧しょくりょう不足ふそく状態じょうたいにあった。そのためすくない食料しょくりょう生産せいさん再生さいせい人口じんこうにのみけ、高齢こうれいしゃてる習慣しゅうかんがあった。ただしこれは強制きょうせいされるものではなく高齢こうれいしゃはある年齢ねんれいになるとみずからの意思いし家族かぞくはなれてへの旅路たびじいた[17]親孝行おやこうこう最大さいだい道徳どうとくとみなす東洋とうようてき儒教じゅきょう文化ぶんかかられば最大限さいだいげん悪行あくぎょうのようにめられる習慣しゅうかんも、そのきびしい生活せいかつ環境かんきょうではやむをない選択せんたくであった。現在げんざい人権じんけんじょうおよ道義どうぎじょう問題もんだいからうばての習慣しゅうかんきんじられており、おこなわれていない。

きゃくへのもてなしとしてのつま提供ていきょう 編集へんしゅう

エスキモーは客人きゃくじんへのもてなしとして自分じぶんつま提供ていきょうする習慣しゅうかんがあった。提供ていきょうされたおとこつぎきゃくをもてなすがわになったときには、互酬せい原則げんそくによって、自分じぶんつま相手方あいてがた提供ていきょうすることをもとめられた。きゃく提供ていきょうされたつま容姿ようし年齢ねんれいにかかわらず、れることがもとめられた[18]きゃく自身じしんにあてがわれた人妻ひとづまとの性行為せいこうい拒絶きょぜつすることは男性だんせいあいだ絶交ぜっこう意思いし表示ひょうじもしくは女性じょせいへの侮辱ぶじょくとみなされた。また当然とうぜん提供ていきょうされたつまきゃく男性だんせいあいだ一夜妻ひとよづまではおさまらず恋愛れんあい感情かんじょう芽生めばえ、場合ばあいによってはちにいた場合ばあいもありうる。この場合ばあいおとこ同士どうし究極きゅうきょくてき敵対てきたい関係かんけい発展はってんすることを回避かいひするために、きゃくおとこもとおっと慰謝いしゃりょう支払しはらい、名目めいもくじょうそのおとこ義兄弟ぎきょうだい契約けいやくあな兄弟きょうだいちぎ[19]むすぶことで平和へいわうら愛憎あいぞう問題もんだい解決かいけつするモーレスさだめられていた[20]。この習慣しゅうかん外国がいこくじんには非常ひじょう奇異きいなものにうつり、しばしば小説しょうせつ題材だいざいげられた[21][22]現在げんざいかれらのおおくはキリスト教徒きりすときょうとであり、福音ふくいんおしえにはんするので、このような習慣しゅうかんはなくなった。

言語げんご 編集へんしゅう

エスキモー・アレウト語族ごぞくぞくする以下いか言語げんごはなす。

人種じんしゅ遺伝子いでんし 編集へんしゅう

エスキモーはおもモンゴロイドであるがANE系統けいとう(コーカソイド)から遺伝いでんてき浮動ふどうけている。これはおおくのアメリカ先住民せんじゅうみん同様どうようであるが割合わりあいことなる。アメリカ先住民せんじゅうみんくらべエスキモーはモンゴロイド遺伝子いでんしおおい。エスキモーにこう頻度ひんどにみられる遺伝子いでんしハプログループQ (Y染色せんしょくたい)であり[23]、これはアメリカ先住民せんじゅうみんひろこう頻度ひんど系統けいとうである。

捕鯨ほげいへの圧力あつりょく 編集へんしゅう

エスキモーには国際こくさい捕鯨ほげい委員いいんかい (IWC) から先住民せんじゅうみん生存せいぞん捕鯨ほげいわくみとめられている。シベリアのエスキモーの地域ちいきでは食料しょくりょう事情じじょうわる捕鯨ほげい必要ひつよう不可欠ふかけつである。しかし先進せんしんこくからは伝統でんとうてき方法ほうほうでの捕獲ほかくもとめられており、環境かんきょう保護ほご団体だんたいから捕鯨ほげいそのものへの批判ひはんがある。

呼称こしょう 編集へんしゅう

一般いっぱんに「エスキモー」または「イヌイット」という呼称こしょうがよくもちいられる。だが、これらの呼称こしょうは、現地げんち本来ほんらい意味いみとはまったことなった解釈かいしゃくから差別さべつ用語ようごしくは置換おきかとして使つかわれる場合ばあいがあり、語源ごげん俗解ぞっかいれいげられている。かく呼称こしょう問題もんだいてんは、後述こうじゅつとおりである。

「エスキモー」呼称こしょう問題もんだい 編集へんしゅう

「エスキモー」という言葉ことばは、アラスカエスキモーと居住きょじゅういき隣接りんせつしていた極北きょくほくアルゴンキンけいインディアン言葉ことばで「かんじきあみむ」という意味いみである。これが、ひがしカナダにクリーぞく言葉ことばで「生肉せいにくべるもの」を意味いみするかたりあやまって解釈かいしゃくされたことから、「エスキモー」という呼称こしょうはある時期じきにおいてしばしば侮蔑ぶべつてき使用しようされた。これには、生肉せいにくべる行為こういにくさかなにはビタミン・ミネラルが豊富ほうふふくまれる)を野蛮やばんであるとみなす人々ひとびと偏見へんけん背景はいけいにある。

ヴィルヒャムル・ステファンソンは北極ほっきょくかれらのもとおとずれ、一緒いっしょらした経験けいけんがある。かれきていたころは普通ふつうに「エスキモー」とばれており、差別さべつ用語ようごでもなんでもなかった。1913ねん出版しゅっぱんされたステファンソンによる著書ちょしょ題名だいめいは『My Life with the Eskimo』(『エスキモーとのらし』)である。

「イヌイット」呼称こしょう問題もんだい 編集へんしゅう

カナダでは1970年代ねんだいごろから「エスキモー」を差別さべつ用語ようご位置付いちづ[ちゅう 1]かれ自身じしん言葉ことばで「人々ひとびと」を意味いみする「イヌイット[ちゅう 2]わりに使用しようされている。現在げんざいでは「イヌイット」という呼称こしょうは、本来ほんらい人々ひとびと」を意味いみする言葉ことばではなかったとされている。先住民せんじゅうみん運動うんどうたかまりのなかで、これまで他者たしゃから「エスキモー」とばれてきた集団しゅうだんみずからを呼称こしょう必要ひつようとなり、「イヌイット」という言葉ことば採用さいようしたためである[24]

「イヌイット」は、本来ほんらい北方ほっぽう民族みんぞくのうち最大さいだいすうめているカナダのバフィンとうグリーンランド方面ほうめん集団しゅうだん東部とうぶ集団しゅうだん)についての呼称こしょうである。イヌイット以外いがい集団しゅうだんへの呼称こしょうについて、正確せいかく場合ばあいには、アラスカエスキモーは「イヌピアット」(Inupiat)、シベリアセントローレンスとう集団しゅうだんは「ユピク」(Yupik) とぶ。このため、北方ほっぽう民族みんぞく総称そうしょうとしての「エスキモー」を単純たんじゅんに「イヌイット」にえると、えの結果けっかとしての「イヌイット」なのか、原意げんいの「イヌイット」なのか区別くべつできなくなる。

またそれ以前いぜんに、シベリアやアラスカのイヌピアット(アラスカエスキモー)やユピクを、べつ語族ごぞく集団しゅうだん呼称こしょうである「イヌイット」のぶことはあきらかな間違まちがいである[25]合衆国がっしゅうこく団体だんたい「Expansionist Party of the United States」は、その公式こうしきサイトで、「エスキモー」の呼称こしょうについて、「アラスカとシベリアで唯一ゆいいつただしい用語ようごである」としており、「エスキモーはそのをまったくじていない。エスキモーでないものたちは、犯罪はんざい意図いとするわけでもないのなら、いたずらに英語えいご婉曲えんきょく表現ひょうげんかれらを威嚇いかくすべきではない」としている[26]

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ この主張しゅちょう自体じたい1920年代ねんだいからすで存在そんざいしていた。
  2. ^ かれらの言語げんご促音そくおん存在そんざいしないので「イヌイト」のほうがより正確せいかくである。

出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ a b c d Taubes, Gary (2010). Why We Get Fat. New York City: Alfred A. Knopf. ISBN 978-0-307-27270-6 
  2. ^ Kathleen S. Fine-Dare, Kathleen Sue Fine-Dare 2002 Grave injustice: the American Indian Repatriation Movement and NAGPRA
  3. ^ a b Groves, PhD, Barry (2002ねん). “WILLIAM BANTING: The Father of the Low-Carbohydrate Diet”. Second Opinions. 2007ねん12月26にち閲覧えつらん
  4. ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Corpulence" . Encyclopædia Britannica (英語えいご). Vol. 7 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 192–193.
  5. ^ Fediuk, Karen. 2000 Vitamin C in the Inuit diet: past and present. MA Thesis, School of Dietetics and Human Nutrition, McGill University 5–7; 95. Retrieved on: December 8, 2007.
  6. ^ Peter Heinbecker (1928). “Studies on the Metabolism of Eskimos” (PDF). J. Biol. Chem. 80 (2): 461–475. http://www.jbc.org/content/80/2/461 2014ねん4がつ7にち閲覧えつらん. 
  7. ^ A.C. Corcoran; M. Rabinowitch (1937). “A Study of the Blood Lipoids and Blood Protein in Canadian Eastern Arctic Eskimos”. Biochem. J. 31 (3): 343–348. doi:10.1042/bj0310343. PMC 1266943. PMID 16746345. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1266943/. 
  8. ^ Kang-Jey Ho; Belma Mikkelson; Lena A. Lewis; Sheldon A. Feldman & C. Bruce Taylor (1972). “Alaskan Arctic Eskimo: responses to a customary high fat diet”. Am J Clin Nutr 25 (8): 737–745. doi:10.1093/ajcn/25.8.737. PMID 5046723. 
  9. ^ Cutlip, Scott (1994). The Unseen Power: Public Relations. London: Routledge. pp. 101. ISBN 0805814655 
  10. ^ Tolstoi, Edward (June 20, 1929). “THE EFFECT OF AN EXCLUSIVE MEAT DIET LASTING ONE YEAR ON THE CARBOHYDRATE TOLERANCE OF TWO NORMAL MEN.”. J. Biol. Chem. (83): 747–752. http://www.jbc.org/content/83/3/747.full.pdf 2015ねん12月16にち閲覧えつらん. 
  11. ^ a b c “Clinical Calorimetry: XLV. Prolonged Meat Diets With A Study Of Kidney Function And Ketosis” (PDF). J. Biol. Chem. 87 (3): 651–668. (February 13, 1930). http://www.jbc.org/content/87/3/651.full.pdf+html 2015ねん12月16にち閲覧えつらん. "“During the first 2 days [Stefansson’s] diet approximated that of the Eskimos, as reported by Krogh and Krogh, except that he took only one-third as much fat. The protein accounted for 45 per cent of his food calories. The intestinal disturbance began on the 3rd day of this diet. During the next 2 days he took much less protein and more fat so that he received about 20 percent of his calories from protein and 80 percent from fat. In these two days his intestinal condition became normal without medication. Thereafter the protein calories did not exceed 25 per cent of the total for more than 1 day at a time.”" 
  12. ^ Stefansson, Vilhjalmur (1935ねん12がつ). “Adventures in Diet Part 2 (Harper's Monthly Magazine)”. 2021ねん1がつ7にち閲覧えつらん
  13. ^ THE EFFECTS ON HUMAN BEINGS OF A TWELVE MONTHS' EXCLUSIVE MEAT DIET BASED ON INTENSIVE CLINICAL AND LABORATORY STUDIES ON TWO ARCTIC EXPLORERS LIVING UNDER AVERAGE CONDITIONS IN A NEW YORK CLIMATEJAMA. 1929;93(1):20-22. doi:10.1001/jama.1929.02710010026005
  14. ^ Stefansson V. The friendly arctic. The MacMillan Co, NY. 1921
  15. ^ Potentially Missing Vitamins in the Vegan and Vegetarian Diet”. mdrnyu.org. 2020ねん11月19にち閲覧えつらん
  16. ^ Clément SABOURIN (2014ねん12月22にち). 南下なんかするホッキョクグマ急増きゅうぞう温暖おんだん北極圏ほっきょくけん異変いへん カナダ”. AFPBB News. https://www.afpbb.com/articles/-/3034903 2014ねん12月22にち閲覧えつらん 
  17. ^ Eskimos - Old Age”. Revelations - The Initial Journey. Cloud 9 Screen Entertainment Group.. 2018ねん12月29にち閲覧えつらん
  18. ^ 祖父江そふえ孝男たかお1972『アラスカ・エスキモー』社会しゃかい思想しそうしゃなどが参考さんこう
  19. ^ hole brothers[1]
  20. ^ 平山ひらやま朝治あさじ2003「人間にんげん社会しゃかい精神せいしん起源きげん」『東京家政学院とうきょうかせいがくいん筑波つくば女子じょし大学だいがく紀要きよう』7:165ff.…etc.
  21. ^ ハンス・リューシュ世界せかい頂点ちょうてん[よう文献ぶんけん特定とくてい詳細しょうさい情報じょうほう]
  22. ^ 新田にった次郎じろうアラスカ物語ものがたり[よう文献ぶんけん特定とくてい詳細しょうさい情報じょうほう]
  23. ^ Zegura, Stephen L. et al 2004, High-Resolution SNPs and Microsatellite Haplotypes Point to a Single, Recent Entry of Native American Y Chromosomes into the Americas
  24. ^ スチュアート・ヘンリ「民族みんぞく呼称こしょうとイメージ―「イヌイト」の創成そうせいとイメージ操作そうさ」『民族みんぞくがく研究けんきゅうだい63かん2ごう1998ねん9月
  25. ^ 『The American Heritage, Dictionary of the English Language, Fourth Edition』(by Houghton Mifflin Company, Published by Houghton Mifflin Company. 2000)
  26. ^ 『expansionistparty.org』("Eskimo" vs. "Inuit")[よう文献ぶんけん特定とくてい詳細しょうさい情報じょうほう]

外部がいぶリンク 編集へんしゅう