エスキモーとは単一 たんいつ の民族 みんぞく ではなく、大 おお きくはアラスカ北部 ほくぶ 以東 いとう に住 す むイヌイット (Inuit) 系 けい 民族 みんぞく (東部 とうぶ 集団 しゅうだん )とアラスカ中部 ちゅうぶ 以西 いせい のユピク (Yupik) 系 けい 民族 みんぞく (西部 せいぶ 集団 しゅうだん )に分 わ けられる。なおグリーンランドに住 す むのは学術 がくじゅつ 的 てき にはイヌイットであるが、現地 げんち ではカラーリット と呼 よ ばれている。
総 そう 人口 じんこう 約 やく 9万 まん 人 にん のうちグリーンランド住民 じゅうみん が最 もっと も多 おお く、4万 まん 1000人 にん 。アラスカ3万 まん 2000人 にん 。カナダ1万 まん 2000人 にん 。シベリア1200人 にん を数 かぞ える。
雪原 せつげん の照 で り返 がえ しから眼 め を保護 ほご するための遮光 しゃこう 器 き 。
雪 ゆき や氷 こおり で造 つく ったイグルー 等 ひとし に居住 きょじゅう し、魚 さかな や海獣 かいじゅう を捕 と って生計 せいけい をたて、カヤック やイヌぞり による移動 いどう 生活 せいかつ を送 おく る、というのが一般 いっぱん 的 てき なエスキモーの生活 せいかつ とされており、現在 げんざい でも定住 ていじゅう せずに移動 いどう 生活 せいかつ をする者 もの もいる。イグルーは移動 いどう するときに使 つか うもので、定住 ていじゅう のための住居 じゅうきょ ではない。
しかし近年 きんねん では、定住 ていじゅう して都市 とし 部 ぶ に住 す む者 もの が増 ふ えてきており、エスキモーの移動 いどう 生活 せいかつ は過去 かこ の物 もの となりつつある。
伝統 でんとう 的 てき なエスキモーでは、食生活 しょくせいかつ は狩猟 しゅりょう によって得 え た生肉 せいにく が中心 ちゅうしん であった。獲物 えもの は漁 りょう を中心 ちゅうしん とするエスキモーはアザラシ ・クジラ 等 ひとし 、また陸 りく での猟 りょう をするエスキモーはカリブー (トナカイ )である。生肉 せいにく の他 ほか には、ツンドラの原野 げんや に自生 じせい するコケモモ の実 み を食 しょく することもある。気候 きこう の性質 せいしつ 上 じょう 、穀物 こくもつ は食 た べず、カリブー、クジラ、アザラシの肉 にく だけを食 た べていた。
エスキモーたちと一緒 いっしょ に暮 く らした経験 けいけん を持 も つ探検 たんけん 家 か 、ヴィルヒャムル・ステファンソン は、食事 しょくじ 療法 りょうほう 、とりわけ、炭水化物 たんすいかぶつ が少 すく ない食事 しょくじ 療法 りょうほう に大 おお いに関心 かんしん を抱 だ いていた。1906年 ねん から1907年 ねん にかけて彼 かれ らと暮 く らしたステファンソンは、食事 しょくじ について、「全体 ぜんたい の90%が肉 にく と魚 さかな で構成 こうせい されている」と記録 きろく している。彼 かれ らの食事 しょくじ は「Zero Carb 」「No Carb 」(「炭水化物 たんすいかぶつ をほとんど含 ふく まない食事 しょくじ 」)と見 み なされるかもしれない(彼 かれ らが食 た べていた魚 さかな にはわずかな量 りょう のグリコーゲン (Glycogen )が含 ふく まれてはいたが、炭水化物 たんすいかぶつ の摂取 せっしゅ 量 りょう は全体 ぜんたい 的 てき にごく僅 わず かであった)。ステファンソンの仲間 なかま の探検 たんけん 家 か たちも、この食事 しょくじ 法 ほう で完全 かんぜん に健康 けんこう 体 たい であった。エスキモーたちとの暮 く らしから数 すう 年 ねん 後 ご 、ステファンソンは、アメリカ自然 しぜん 史 し 博物館 はくぶつかん からの要請 ようせい で、同僚 どうりょう のカーステン・アンダーソン(Karsten Anderson )とともに再 ふたた び北極 ほっきょく を訪 おとず れた。2人 ふたり のもとには「文明 ぶんめい 化 か された」食料 しょくりょう が1年 ねん 分 ぶん 補給 ほきゅう される予定 よてい であったが、2人 ふたり はこれをやんわりと断 ことわ った。当初 とうしょ の計画 けいかく は1年間 ねんかん であったものが、最終 さいしゅう 的 てき には4年間 ねんかん に延長 えんちょう された。北極圏 ほっきょくけん にいた2人 ふたり がその4年間 ねんかん で食 た べていたものは、捕 とら えて殺 ころ して得 え られた動物 どうぶつ の肉 にく と魚 さかな だけであった。4年 ねん に亘 わた る肉食 にくしょく 生活 せいかつ を送 おく る過程 かてい で、2人 ふたり の身体 しんたい には異常 いじょう も悪影響 あくえいきょう も見 み られなかった。ウィリアム・バンティング (William Banting )と同 おな じく、炭水化物 たんすいかぶつ のみを制限 せいげん し、身体 しんたい が本当 ほんとう に必要 ひつよう としている食 た べ物 もの を食 た べ続 つづ けた場合 ばあい 、身体 しんたい は完全 かんぜん に機能 きのう し、壮健 そうけん さと細身 ほそみ を維持 いじ できることが明 あき らかとなった。「カロリー」については一切 いっさい 無視 むし された[3] [4] 。
肉 にく だけを食 た べる食事 しょくじ 法 ほう が続行 ぞっこう 可能 かのう かどうかについての見解 けんかい をステファンソンが報告 ほうこく した際 さい には多 おお くの懐疑 かいぎ 論 ろん が出 で たが、のちに行 おこな われた研究 けんきゅう と分析 ぶんせき で、それは可能 かのう であることが裏付 うらづ けられた[5] 。複数 ふくすう の研究 けんきゅう 結果 けっか により、イヌイットたちの食事 しょくじ 法 ほう は「ケトン食 しょく 療法 りょうほう 」であることが示 しめ された。彼 かれ らは主 おも に魚 さかな や肉 にく を煮込 にこ んで食 た べており、時 とき には魚 さかな を生 なま で食 た べることもあった[6] [7] [8] 。
1928年 ねん 、ステファンソンとアンダーソンの2人 ふたり はニューヨークにあるベルヴュー病院 びょういん (Bellevue Hospital )に入院 にゅういん し、完全 かんぜん 肉食 にくしょく 生活 せいかつ が体 からだ に及 およ ぼす影響 えいきょう についての実験 じっけん 台 だい となった。実験 じっけん の期間 きかん は1年間 ねんかん であり、コーネル大学 だいがく のウジェーヌ・フロイド・デュボア(Eugene Floyd DuBois )が実験 じっけん を指揮 しき した。ステファンソンとアンダーソンの2人 ふたり は、注意深 ちゅういぶか く観察 かんさつ された実験 じっけん 室 しつ という設定 せってい で、最初 さいしょ の数 すう 週間 しゅうかん 、肉 にく だけを食 た べ続 つづ けても問題 もんだい 無 な いことを証明 しょうめい する研究 けんきゅう の着手 ちゃくしゅ に同意 どうい し、「食事 しょくじ における決 き まり事 ごと 」を確 たし かなものにするために観察 かんさつ 者 しゃ が付 つ いた。スコット・カトリップ(Scott Cutlip )による著書 ちょしょ 『The Unseen Power: Public Relations 』によれば、ペンドルトン・ダッドリー(Pendleton Dudley )がアメリカ食肉 しょくにく 協会 きょうかい (American Meat Institute )に対 たい して、この研究 けんきゅう に資金 しきん を提供 ていきょう してもらえないか、と説得 せっとく したという[9] 。この間 あいだ にアンダーソンには糖尿 とうにょう 病 びょう の症状 しょうじょう が発現 はつげん した。糖尿 とうにょう 病 びょう における病理 びょうり とは異 こと なり、この研究 けんきゅう の過程 かてい でアンダーソンの身体 しんたい に見 み られた糖尿 とうにょう 病 びょう の病状 びょうじょう の期間 きかん は4日間 にちかん であった。耐 たい 性 せい を調 しら べるためにブドウ糖 ぶどうとう 100gを投与 とうよ させたことと、肺炎 はいえん の発症 はっしょう はいずれも同 どう 時期 じき であった。この時 とき のアンダーソンは、水分 すいぶん と炭水化物 たんすいかぶつ が多 おお い食事 しょくじ を取 と っており、これを排除 はいじょ すると、糖尿 とうにょう 病 びょう の症状 しょうじょう は消滅 しょうめつ した[10] 。ステファンソンは、研究 けんきゅう 者 しゃ から「脂肪 しぼう が少 すく ない赤身 あかみ 肉 にく だけを食 た べる」よう依頼 いらい された。ステファンソンには脂肪 しぼう がほとんど無 な い肉 にく を食 た べ続 つづ けると2-3週間 しゅうかん 後 ご に健康 けんこう を損 そこ なった経験 けいけん があり、「脂肪 しぼう がほとんど無 な い肉 にく 」は「消化 しょうか 不良 ふりょう 」を引 ひ き起 お こす可能 かのう 性 せい がある、と指摘 してき した。この肉 にく を食 た べ続 つづ けて3日 にち 目 め 、ステファンソンは吐 は き気 け と下痢 げり に見舞 みま われ、そのあとに便秘 べんぴ が10日間 にちかん 続 つづ いた[11] 。早 はや い段階 だんかい で体調 たいちょう 不良 ふりょう に陥 おちい ったのは、自身 じしん が以前 いぜん に食 た べていたカリブー(トナカイ )の肉 にく と比 くら べて脂肪 しぼう が少 すく ない肉 にく を食 た べ続 つづ けたのが原因 げんいん である、とステファンソンは考 かんが えた[12] 。脂肪 しぼう が多 おお い肉 にく を食 た べるようにすると、2日 にち 以内 いない に身体 しんたい は完全 かんぜん に回復 かいふく した。最初 さいしょ の2日間 にちかん 、ステファンソンが取 と っていた食事 しょくじ は、脂肪 しぼう の摂取 せっしゅ 量 りょう が三 さん 分 ぶん の一 いち に減 へ っていた点 てん を除 のぞ けば、エスキモーが取 と っていた食事 しょくじ に近 ちか いものであった。タンパク質 たんぱくしつ の摂取 せっしゅ カロリーは全体 ぜんたい の45%を占 し めており、3日 にち 目 め には腸 ちょう に異常 いじょう が見 み え始 はじ めた。次 つぎ の2日間 にちかん でステファンソンはタンパク質 たんぱくしつ の摂取 せっしゅ 量 りょう を減 へ らし、脂肪 しぼう の摂取 せっしゅ 量 りょう を増 ふ やした。摂取 せっしゅ カロリーの約 やく 20%をタンパク質 たんぱくしつ で、残 のこ りの80%を脂肪 しぼう で占 し めるようにした。この2日間 にちかん での高 こう 脂肪 しぼう 食 しょく でステファンソンの腸 ちょう の状態 じょうたい は投薬 とうやく 無 な しで正常 せいじょう に戻 もど った。その後 ご 、ステファンソンはタンパク質 たんぱくしつ の1日 にち の摂取 せっしゅ カロリーが25%を超 こ えないようにした[11] 。2人 ふたり の身体 しんたい は健康 けんこう を保 たも ち、腸 ちょう も正常 せいじょう なままであった。彼 かれ らの便 びん は小 ちい さく、匂 にお いも無 な かった。ステファンソンには歯肉 はにく 炎 えん があり、歯石 しせき の沈着 ちんちゃく が増加 ぞうか するも、実験 じっけん が終 お わるまでには消 き えていた。実験 じっけん 中 ちゅう のステファンソンの摂取 せっしゅ カロリーは2000~3100kcalで、そのうちの20%はタンパク質 たんぱくしつ であり、残 のこ りの80%は動物 どうぶつ 性 せい 脂肪 しぼう から得 え ていた[3] 。栄養素 えいようそ の1日 にち の摂取 せっしゅ 量 りょう については、タンパク質 たんぱくしつ は100-140g、脂肪 しぼう は200-300gで、炭水化物 たんすいかぶつ については7-12gであった[11] 。1929年 ねん に発表 はっぴょう された論文 ろんぶん では、この時 とき の臨床 りんしょう 研究 けんきゅう について詳述 しょうじゅつ されている[13] 。ステファンソンによれば、エスキモーたちは赤身 あかみ 肉 にく (タンパク質 たんぱくしつ )の摂取 せっしゅ を制限 せいげん し、余分 よぶん な赤身 あかみ 肉 にく は犬 いぬ に与 あた えて食 た べさせ、脂肪 しぼう を確保 かくほ して食 た べたという[14] 。
のちにアメリカの食 しょく 文化 ぶんか が流入 りゅうにゅう し、彼 かれ らが元々 もともと 取 と っていた食事 しょくじ 法 ほう は失 うしな われつつある。太陽光 たいようこう 線 せん の弱 よわ い北極圏 ほっきょくけん では、北欧 ほくおう に住 す むコーカソイド のように肌 はだ のメラニン色素 しきそ が薄 うす い人種 じんしゅ は太陽光 たいようこう 線 せん を多 おお く皮下 ひか に取 と り込 こ み、ビタミンD を体内 たいない で作 つく り出 だ していた。しかしながら、モンゴロイド であるエスキモーは色素 しきそ が濃 こ く太陽光 たいようこう 線 せん の皮下 ひか 取 と り込 こ み量 りょう が不足 ふそく しがちになるため、捕 とら えて殺 ころ して手 て に入 い れた動物 どうぶつ の生肉 せいにく と内臓 ないぞう を食 た べる必要 ひつよう があった。西洋 せいよう との交易 こうえき で小麦粉 こむぎこ と砂糖 さとう を食 た べ始 はじ めるようになった途端 とたん 、肥満 ひまん や糖尿 とうにょう 病 びょう を患 わずら うエスキモーが急増 きゅうぞう した[1] 。
グリーンランドに住 す むエスキモーには海鳥 うみどり の発酵 はっこう 物 ぶつ キビヤック を食 しょく する習慣 しゅうかん がある。乳酸菌 にゅうさんきん による発酵 はっこう で、微量 びりょう のビタミンC が生成 せいせい される。
1960年代 ねんだい 以降 いこう 、「動物 どうぶつ 性 せい 脂肪 しぼう を豊富 ほうふ に含 ふく む動物 どうぶつ 性 せい 食品 しょくひん は、健康 けんこう に悪影響 あくえいきょう を及 およ ぼす可能 かのう 性 せい がある」と言 い われるようになると、栄養 えいよう 学者 がくしゃ たちは、「動物 どうぶつ の肉 にく には、生命 せいめい 維持 いじ に欠 か かせない全 すべ ての必須 ひっす アミノ酸 あみのさん 、全 すべ ての必須 ひっす 脂肪酸 しぼうさん 、13種類 しゅるい ある必須 ひっす ビタミンのうちの12種類 しゅるい がたくさん含 ふく まれている」という栄養 えいよう 学 がく 上 じょう の事実 じじつ の指摘 してき を控 ひか えるようになった[1] 。ビタミンD とビタミンB12 の両方 りょうほう を含 ふく む食 た べ物 もの は「動物 どうぶつ 性 せい 食品 しょくひん だけ」 である[1] [15] 。動物 どうぶつ の肝臓 かんぞう は脂肪 しぼう であり、ビタミンA を筆頭 ひっとう にビタミンとミネラルを豊富 ほうふ に含 ふく む。ビタミンAは脂 あぶら 溶性 ようせい ビタミン の一種 いっしゅ であり、動物 どうぶつ 性 せい 脂肪 しぼう を初 はじ めとした食 た べ物 もの に含 ふく まれる脂肪 しぼう 分 ぶん を摂取 せっしゅ することで、ビタミンが身体 しんたい に吸収 きゅうしゅう されるのを助 たす ける。
伝統 でんとう 的 てき な生活 せいかつ を営 いとな む者 もの もいるが、地球 ちきゅう 温暖 おんだん 化 か が進 すす んだ現在 げんざい では、氷上 ひかみ を移動 いどう すると氷 こおり が割 わ れる恐 おそ れがあるため、猟師 りょうし たちはアザラシ やシロイルカ から、内陸 ないりく 部 ぶ に生息 せいそく するカリブーに狙 ねら いを変 か えるようになった。こうして、現在 げんざい のエスキモー社会 しゃかい は海岸 かいがん から離 はな れて暮 く らすようになっている[16] 。
姥 うば 捨 す ての習慣 しゅうかん
編集 へんしゅう
また、かつては入手 にゅうしゅ が不安定 ふあんてい で極 きわ めて限 かぎ られた食料 しょくりょう による極限 きょくげん 的 てき 生活 せいかつ を送 おく っていたことから、生産 せいさん 労働 ろうどう に従事 じゅうじ できない老人 ろうじん や病人 びょうにん は遺棄 いき することが一般 いっぱん に行 おこな われていた。エスキモーは厳 きび しい気候 きこう の寒冷 かんれい 地 ち に居住 きょじゅう しており、過去 かこ においては常 つね に食糧 しょくりょう 不足 ふそく の状態 じょうたい にあった。そのため少 すく ない食料 しょくりょう を生産 せいさん 再生 さいせい 人口 じんこう にのみ振 ふ り分 わ け、高齢 こうれい 者 しゃ を棄 す てる習慣 しゅうかん があった。ただしこれは強制 きょうせい されるものではなく高齢 こうれい 者 しゃ はある年齢 ねんれい になると自 みずか らの意思 いし で家族 かぞく を離 はな れて死 し への旅路 たびじ に就 つ いた[17] 。親孝行 おやこうこう を最大 さいだい の道徳 どうとく とみなす東洋 とうよう 的 てき な儒教 じゅきょう 文化 ぶんか から見 み れば最大限 さいだいげん の悪行 あくぎょう のように受 う け止 と められる習慣 しゅうかん も、その厳 きび しい生活 せいかつ 環境 かんきょう ではやむを得 え ない選択 せんたく であった。現在 げんざい は人権 じんけん 上 じょう 及 およ び道義 どうぎ 上 じょう の問題 もんだい から姥 うば 捨 す ての習慣 しゅうかん は禁 きん じられており、行 おこな われていない。
客 きゃく へのもてなしとしての妻 つま の提供 ていきょう
編集 へんしゅう
エスキモーは客人 きゃくじん へのもてなしとして自分 じぶん の妻 つま を提供 ていきょう する習慣 しゅうかん があった。提供 ていきょう された男 おとこ が次 つぎ に客 きゃく をもてなす側 がわ になったときには、互酬性 せい の原則 げんそく によって、自分 じぶん の妻 つま を相手方 あいてがた に提供 ていきょう することを求 もと められた。客 きゃく は提供 ていきょう された妻 つま の容姿 ようし や年齢 ねんれい にかかわらず、受 う け入 い れることが求 もと められた[18] 。客 きゃく が自身 じしん にあてがわれた人妻 ひとづま との性行為 せいこうい を拒絶 きょぜつ することは男性 だんせい 間 あいだ の絶交 ぜっこう の意思 いし 表示 ひょうじ もしくは女性 じょせい への侮辱 ぶじょく とみなされた。また当然 とうぜん 、提供 ていきょう された妻 つま と客 きゃく の男性 だんせい 間 あいだ に一夜妻 ひとよづま ではおさまらず恋愛 れんあい 感情 かんじょう が芽生 めば え、場合 ばあい によっては駆 か け落 お ちに至 いた る場合 ばあい もありうる。この場合 ばあい 、男 おとこ 同士 どうし の究極 きゅうきょく 的 てき な敵対 てきたい 関係 かんけい に発展 はってん することを回避 かいひ するために、客 きゃく の男 おとこ は元 もと 夫 おっと に慰謝 いしゃ 料 りょう を支払 しはら い、名目 めいもく 上 じょう その男 おとこ と義兄弟 ぎきょうだい の契約 けいやく (穴 あな 兄弟 きょうだい の契 ちぎ り )[19] を結 むす ぶことで平和 へいわ 裏 うら に愛憎 あいぞう 問題 もんだい を解決 かいけつ するモーレス が定 さだ められていた[20] 。この習慣 しゅうかん は外国 がいこく 人 じん には非常 ひじょう に奇異 きい なものに映 うつ り、しばしば小説 しょうせつ の題材 だいざい に取 と り上 あ げられた[21] [22] 。現在 げんざい 、彼 かれ らの多 おお くはキリスト教徒 きりすときょうと であり、福音 ふくいん の教 おし えに反 はん するので、このような習慣 しゅうかん はなくなった。
人種 じんしゅ ・遺伝子 いでんし
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捕鯨 ほげい への圧力 あつりょく
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エスキモーには国際 こくさい 捕鯨 ほげい 委員 いいん 会 かい (IWC) から先住民 せんじゅうみん 生存 せいぞん 捕鯨 ほげい の枠 わく が認 みと められている。シベリアのエスキモーの住 す む地域 ちいき では食料 しょくりょう 事情 じじょう が悪 わる く捕鯨 ほげい は必要 ひつよう 不可欠 ふかけつ である。しかし先進 せんしん 国 こく からは伝統 でんとう 的 てき な方法 ほうほう での捕獲 ほかく を求 もと められており、環境 かんきょう 保護 ほご 団体 だんたい から捕鯨 ほげい そのものへの批判 ひはん がある。
一般 いっぱん に「エスキモー」または「イヌイット」という呼称 こしょう がよく用 もち いられる。だが、これらの呼称 こしょう は、現地 げんち 語 ご の本来 ほんらい の意味 いみ とは全 まった く異 こと なった解釈 かいしゃく から差別 さべつ 用語 ようご 若 も しくは置換 おきか え語 ご として使 つか われる場合 ばあい があり、語源 ごげん 俗解 ぞっかい の例 れい に挙 あ げられている。各 かく 呼称 こしょう の問題 もんだい 点 てん は、後述 こうじゅつ の通 とお りである。
「エスキモー」呼称 こしょう の問題 もんだい
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「エスキモー」という言葉 ことば は、アラスカエスキモーと居住 きょじゅう 域 いき が隣接 りんせつ していた亜 あ 極北 きょくほく のアルゴンキン系 けい インディアン の言葉 ことば で「かんじき の網 あみ を編 あ む」という意味 いみ である。これが、東 ひがし カナダに住 す むクリー族 ぞく の言葉 ことば で「生肉 せいにく を食 た べる者 もの 」を意味 いみ する語 かたり と誤 あやま って解釈 かいしゃく されたことから、「エスキモー」という呼称 こしょう はある時期 じき においてしばしば侮蔑 ぶべつ 的 てき に使用 しよう された。これには、生肉 せいにく を食 た べる行為 こうい (肉 にく や魚 さかな にはビタミン・ミネラルが豊富 ほうふ に含 ふく まれる)を野蛮 やばん であるとみなす人々 ひとびと の偏見 へんけん が背景 はいけい にある。
ヴィルヒャムル・ステファンソンは北極 ほっきょく に住 す む彼 かれ らの元 もと を訪 おとず れ、一緒 いっしょ に暮 く らした経験 けいけん がある。彼 かれ が生 い きていたころは普通 ふつう に「エスキモー」と呼 よ ばれており、差別 さべつ 用語 ようご でもなんでもなかった。1913年 ねん に出版 しゅっぱん されたステファンソンによる著書 ちょしょ の題名 だいめい は『My Life with the Eskimo 』(『エスキモーとの暮 く らし』)である。
「イヌイット」呼称 こしょう の問題 もんだい
編集 へんしゅう
カナダでは1970年代 ねんだい ごろから「エスキモー」を差別 さべつ 用語 ようご と位置付 いちづ け[注 ちゅう 1] 、彼 かれ ら自身 じしん の言葉 ことば で「人々 ひとびと 」を意味 いみ する「イヌイット 」[注 ちゅう 2] が代 か わりに使用 しよう されている。現在 げんざい では「イヌイット」という呼称 こしょう は、本来 ほんらい 「人々 ひとびと 」を意味 いみ する言葉 ことば ではなかったとされている。先住民 せんじゅうみん 運動 うんどう の高 たか まりの中 なか で、これまで他者 たしゃ から「エスキモー」と呼 よ ばれてきた集団 しゅうだん が自 みずか らを指 さ す呼称 こしょう が必要 ひつよう となり、「イヌイット」という言葉 ことば を採用 さいよう したためである[24] 。
「イヌイット」は、本来 ほんらい 北方 ほっぽう 民族 みんぞく のうち最大 さいだい 数 すう を占 し めているカナダのバフィン島 とう やグリーンランド 方面 ほうめん に住 す む集団 しゅうだん (東部 とうぶ 集団 しゅうだん )についての呼称 こしょう である。イヌイット以外 いがい の集団 しゅうだん への呼称 こしょう について、正確 せいかく を期 き す場合 ばあい には、アラスカエスキモーは「イヌピアット 」(Inupiat)、シベリア やセントローレンス島 とう に住 す む集団 しゅうだん は「ユピク 」(Yupik) と呼 よ ぶ。このため、北方 ほっぽう 民族 みんぞく の総称 そうしょう としての「エスキモー」を単純 たんじゅん に「イヌイット」に置 お き換 か えると、置 お き換 か えの結果 けっか としての「イヌイット」なのか、原意 げんい の「イヌイット」なのか区別 くべつ できなくなる。
またそれ以前 いぜん に、シベリアやアラスカのイヌピアット(アラスカエスキモー)やユピクを、別 べつ の語族 ごぞく 集団 しゅうだん の呼称 こしょう である「イヌイット」の名 な で呼 よ ぶことは明 あき らかな間違 まちが いである[25] 。合衆国 がっしゅうこく の団体 だんたい 「Expansionist Party of the United States」は、その公式 こうしき サイトで、「エスキモー」の呼称 こしょう について、「アラスカとシベリアで唯一 ゆいいつ の正 ただ しい用語 ようご である」としており、「エスキモーはその名 な をまったく恥 は じていない。エスキモーでない者 もの たちは、犯罪 はんざい を意図 いと するわけでもないのなら、いたずらに非 ひ 英語 えいご の婉曲 えんきょく 表現 ひょうげん で彼 かれ らを威嚇 いかく すべきではない」としている[26] 。
^ この主張 しゅちょう 自体 じたい は1920年代 ねんだい から既 すで に存在 そんざい していた。
^ 彼 かれ らの言語 げんご に促音 そくおん は存在 そんざい しないので「イヌイト」のほうがより正確 せいかく である。
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