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ザ・ベンチャーズ - Wikipedia

ザ・ベンチャーズ

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのインストゥルメンタル・ロック・バンド

ザ・ベンチャーズ英語えいご: The Ventures)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく出身しゅっしんインストゥルメンタルロック・バンドである。1959ねんドン・ウィルソンボブ・ボーグルにより結成けっせいされ、メンバーチェンジをかさねつつ現在げんざい活動かつどうちゅうである。

ザ・ベンチャーズ
ひだりからボブ・ボーグル、ノーキー・エドワーズ、メル・テイラー、ドン・ウィルソン(1967ねん
基本きほん情報じょうほう
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく ワシントンしゅうタコマ
ジャンル
活動かつどう期間きかん 1959ねん -
レーベル
メンバー
きゅうメンバー

故郷こきょうアメリカではサーフ・サウンド元祖がんそとされ、また日本にっぽんにおいてはビートルズならび、日本にっぽんポップスロック多大ただい影響えいきょうあたえたバンドとされている[5][6]。 2008ねんにはロックの殿堂でんどうりをたした。代表だいひょうきょくには「いそがばまわれ(ウォーク・ドント・ラン)」「ダイアモンド・ヘッド」「10ばんがい殺人さつじん」「パイプライン」「キャラバン」「ハワイ・ファイブ・オー」など、おおくの既製きせいきょく中心ちゅうしんとしたものが有名ゆうめいである[7]

来歴らいれき

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1950年代ねんだい後半こうはん - 1960年代ねんだい

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1959ねん、ドン・ウィルソンとボブ・ボーグルのギタリスト2にんにより結成けっせい結成けっせいは「ジ・インパクツ」をて「ヴァーサトーンズ」と名乗なのっていたが、すでに使つかわれていたため、ドンの母親ははおやであるジョシーからの提案ていあんによって「ザ・ベンチャーズ」と名乗なのるようになる。当初とうしょ演奏えんそうスタイルは、リードギターとリズムギターをきょくによって交代こうたいするギターデュオで、ドラム、ベースなどはいなかった。結成けっせいまえの1958ねん、ドンは自動車じどうしゃのセールスマン、ボブは昼間ひるま建築けんちくぎょうをしていた。ボブがドンに仕事しごと紹介しょうかいし、一緒いっしょ仕事しごとをするようになり、よるにはナイトクラブに出演しゅつえんしてキャリアをみ、音楽おんがく関係かんけい人脈じんみゃくをきずきあげていく[8]。またこのころからすでフェンダーしゃせいジャズマスターストラトキャスターおも使用しようしていた[9]のちにベーシストにノーキー・エドワーズ、ドラマーに、のちべい空軍くうぐん大将たいしょうとなるジョージ・バビットをメンバーとしてむかれた。しかし、ジョージは当時とうじ未成年みせいねんでナイトクラブでの演奏えんそう許可きょかされずデビューまえ脱退だったいし、後任こうにんとしてホーウィー・ジョンソンが加入かにゅうする[10]。 デビューきょくは、ドン・ウィルソンの母親ははおや設立せつりつした「ブルー・ホライズン」レーベルからリリースした「ザ・リアル・マッコイ(The Real McCoy)/クッキーズ&コーク(Cookies & Coke)」である[11]つづく1960ねん発売はつばいの「きゅうがばまわれ(ウォーク・ドント・ラン)」でドラムは、スキップ・ムーアというクラブミュージシャンが担当たんとうし、ノーキーがベースをいている。地元じもとシアトルのラジオきょくがニュース番組ばんぐみのテーマきょくとして起用きようしたことからき、べいメジャーデビューをたす。またたビルボードのシングル・チャートだい2記録きろくした[12]。「きゅうがばまわれ(ウォーク・ドント・ラン)」は、メジャーレーベルのドルトン・レコードからさい発売はつばいされている[13]

1962ねん、ホーウィー・ジョンソンが交通こうつう事故じこい、脊椎せきつい損傷そんしょう原因げんいんわれている後遺症こういしょうでツアー同行どうこうむずかしくなり脱退だったい後任こうにんドラマーにメル・テイラーをむかえ1960年代ねんだい全盛期ぜんせいきの4にんそろった[14]。またメルが加入かにゅうするまえにリードギター担当たんとうがボブからノーキーになった。この交代こうたいは、もとバック・オウエンスのメンバーとしてすでにギタリストとしてのスタイルを完成かんせいさせていたノーキーにリードギターをまかせたほうがバンドの将来しょうらいにもいいだろうというボブの判断はんだんによるものだった。またボブがベースのたのしさや自由じゆうさに開眼かいがんしたことも理由りゆうひとつだった。ノーキーはのインタビューで「ボブがリードギターを担当たんとうしているのはせいぜいすうきょくだろう」と発言はつげんしている。デビューまえのスタジオ・ミュージシャンだったレオン・ラッセルが「テルスター」でオルガン[15]、「朝日あさひのあたるいえ」でオルガン・ソロ、「じゅうばんがい殺人さつじん」でアルト・サクソフォーンのおとレスリー・スピーカーから手法しゅほうもちいてソロを演奏えんそうした。この時期じき、ドラマーのメル・テイラーはハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスの1stシングルきょくかなしき闘牛とうぎゅう/the lonely bull」に参加さんかしている。セッション・ドラマーのハル・ブレイン自分じぶん演奏えんそうしたと自伝じでんなか主張しゅちょうしているが、それはどうタイトルのアルバム収録しゅうろくきょくほうである[16]

1962ねん5がつ、ドンとボブの2人ふたりオーストラリアニュージーランドアメリカ香港ほんこんフィリピンのツアーはつ来日らいにちし、東芝とうしば音楽おんがく工業こうぎょう(のちに東芝とうしばEMI)のイベントに参加さんかした。ウッドベースとドラムは日本人にっぽんじん担当たんとう。ボブの回想かいそうによると「べつわるいミュージシャンではなかったが、ビートの感覚かんかくちがっていた」。このときべいぐん基地きちへの慰問いもん演奏えんそうなどもおこなった記録きろくのこっている[17]同時どうじ来日らいにちしたのはのちともさくアルバムを発表はっぴょうするボビー・ヴィー、ジョー・アン・キャンベルだった[18][19]

ベンチャーズが日本にっぽん人気にんきたのは1965ねん1がつアストロノウツなどとのパッケージ・ツアーとしてドン、ボブ、ノーキー、メルの4にんおこなった2かい日本にっぽん公演こうえんからだった[20]彼等かれら専用せんようギターであるモズライトのギターを真空しんくうかんアンプにプラグ・インしてラウドかつ強烈きょうれつなサウンドをして、たちまち若者わかものたちたちをとりこにして一大いちだいエレキ・ブームこした。このとき東京とうきょう公演こうえん模様もようは『VENTURES IN JAPAN』として発売はつばいされた。すくなくとも2公演こうえん収録しゅうろくし、ベストなテイクをえらんでレコードとしたものである。レコードには採用さいようされなかったテイクを、一般いっぱん個人こじん客席きゃくせきから録音ろくおんしたもの存在そんざいしている[21][22]とくちがいがあったのが「ブルドッグ」でのブリッヂがい奏法そうほうによるアドリブ。そして予定よていがいにドン・ウィルソンがはじめてしまった「イエロー・ジャケット」の存在そんざい。ノーキーは困惑こんわくして、Aの開放かいほうつるつづけながらドン・ウィルソンのほうき、なんきょくくのかと確認かくにんしていたという成毛なるけしげるによる目撃もくげきだんのこっている。「ワイプアウト」と「キャラバン」はレコードに収録しゅうろくされたテイクと同一どういつであったが、「ワイプアウト」のだしのドラムソロがいち小節しょうせつながい。これはギターかベースによる雑音ざつおんはいっている部分ぶぶんを、レコードに収録しゅうろくするさいにカットしたからである。また、「キャラバン」がはじまる直前ちょくぜんのMCもまったちがっており、レコードに収録しゅうろくされているMCは別途べっとつくったもの使つかったことわかる。1月14にち)のリキスポーツパレスでの追加ついか公演こうえんは、よく15にちかね)にフジテレビで放送ほうそうされた。

1965ねん7がつから8がつにかけて、東芝とうしば音楽おんがく工業こうぎょう所属しょぞくする加山かやま雄三ゆうぞう複数ふくすうのTV番組ばんぐみ共演きょうえんし、加山かやまとの長年ながねんわた交友こうゆう関係かんけいのきっかけをつくった[23]。7月28にちの「はな椿つばきショウ スターの広場ひろば」に出演しゅつえん加山かやま雄三ゆうぞうはブラックサンドビーチを「ぼくが3にちまえにこの番組ばんぐみため作曲さっきょくした」とっている[24]。7月22にちから9がつ2にちにかけて、前座ぜんざれずにベンチャーズ単独たんどくで2ステージのコンサート・ツアーを全国ぜんこく28都市としにて実施じっし。この模様もようは、70mmシネマスコープで収録しゅうろくされ、1966ねん3がつ映画えいがあいすべきおと侵略しんりゃくしゃ』として全国ぜんこくロードショー公開こうかいされた。のちにソフトされて販売はんばいされたが、これはあくまでも「映画えいが」であり、おと映像えいぞうべつろくりである。録音ろくおんようのマイクがアンプのまえかれている「クルエル・シー」、「テルスター」、「ブルドッグ」にかんしては、撮影さつえい同時どうじ録音ろくおんした可能かのうせいがあるが、それを裏付うらづける資料しりょうとうのこっていない。東京とうきょう公演こうえんではグヤトーンのアンプが使つかわれたが、この映画えいがではアンプがうつらないアングルから撮影さつえいしたり、うつっている場合ばあいはオプチカル合成ごうせいによりくろつぶしてかくされて、グヤトーンのアンプは完全かんぜん排除はいじょされている。画面がめんみぎ、ノーキーとボブの太腿ふとももあたりに、アンプヘッドがくろつぶされた領域りょういき確認かくにん出来できる。(ワイプ・アウト、パイプライン、ダイアモンド・ヘッド)フェンダーのアンプがうつっている場面ばめんは、すべ観客かんきゃく状態じょうたい撮影さつえいされている。このとき東京とうきょう公演こうえん模様もようは『ALL ABOUT THE VENTURES』として発売はつばいされたが、複数ふくすう公演こうえん収録しゅうろくしてベストなテイクをえらんでレコードとしたものである。使用しようしたアンプと会場かいじょうことなることで、ギターとベースのおとひずみ具合ぐあいきょくによってちがっている。ドン・ウィルソンがうたう『かなしき街角まちかど』と『フィール・ソー・ファイン』は収録しゅうろくされなかった。8月1にちにはフジテレビの「日曜にちようこの劇場げきじょう」として『ベンチャーズ・ショウ』が放送ほうそうされた。内容ないよう東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかんあるいはサンケイホールでのコンサートであり、ドン・ウィルソンがうたう『かなしき街角まちかど』と『フィール・ソー・ファイン』、ビン・コンセプションのMC、花束はなたば贈呈ぞうてい場面ばめんふくめて、ほぼノーカットであった[25][26]事前じぜん録画ろくが収録しゅうろくされていたもの放送ほうそうであり、9月17にちさい放送ほうそうされている。8月25にち北海道ほっかいどう札幌さっぽろ中島なかじまスポーツセンターでのコンサートを、一般いっぱん個人こじん客席きゃくせきから録音ろくおんしたもの存在そんざいしている[27]おなじく7がつのサンケイホールでのコンサートを、一般いっぱん個人こじん客席きゃくせきから録音ろくおんしたもの存在そんざいしている[28]東京とうきょう公演こうえんではグヤトーンのアンプが使用しようされ、それ以外いがい地域ちいきではフェンダーのアンプが使用しようされた。くらべると音色ねいろちがいがくわかる。ザ・ベンチャーズが使用しようしたmosrite(モズライト)のギターは、すべての日本にっぽん公演こうえん終了しゅうりょうに、経緯けいい不明ふめいながら加山かやま雄三ゆうぞうわたり、映画えいが『エレキのわか大将たいしょう』で使用しようされた。おもなTV番組ばんぐみ出演しゅつえんは、7がつ23にちにフジテレビ『スターせんいち』、7がつ27にちにフジテレビ『ザ・ヒットパレード』[29]、7がつ28にちと8がつ4にちにフジテレビ『スターの広場ひろば[30][31][32]、8がつ9にちにフジテレビ『ミュージック・フェア65』。

1966ねん加山かやまの「きみといつまでも」のカバーを日本にっぽん発表はっぴょう[33]。 3月20にちから31にちにかけて、東京とうきょう静岡しずおか福井ふくい富山とやま石川いしかわ神奈川かながわでコンサート・ツアーを実施じっしした。加山かやま雄三ゆうぞう経営けいえいかかわっていたパシフィックパーク茅ケ崎ちがさき宿泊しゅくはく場所ばしょとしてえらばれており、そこにあった「加山かやま雄三ゆうぞう&ザ・ランチャーズ」の練習れんしゅう部屋へやで、オフタイムには合同ごうどう練習れんしゅうかいおこなわれていた。このとき模様もようはザ・ランチャーズのサポートメンバーであったつつみ光生みつおによって録音ろくおんされていた[34]。4月7にちには日本にほんテレビ『ビッグ・ヒット・ショー』でベンチャーズと加山かやま雄三ゆうぞう&ザ・ランチャーズが共演きょうえん、これはパシフィック・パーク茅ヶ崎ちがさきでの収録しゅうろくであった。3月30にちにはフジテレビ『きエレキ合戦かっせん』にゲスト出演しゅつえんして「みつあじ」を演奏えんそうした[35]。そのおもなTV番組ばんぐみ出演しゅつえんは、3月23にちにフジテレビ『スターせんいち』、4がつ5にちにフジテレビ『ザ・ヒットパレード』、4がつ6にち再度さいどフジテレビ『きエレキ合戦かっせん』。この来日らいにちには公式こうしきライブレコーディングはおこなわれなかったが、東京とうきょう公演こうえん一般いっぱん個人こじん客席きゃくせきから録音ろくおんしたもの存在そんざいしている[36]

7がつには再度さいど来日らいにちし、前年ぜんねんなつ同様どうように9月まで全国ぜんこくコンサート・ツアーを実施じっしした。8月30にち釧路くしろ公演こうえんでメルが負傷ふしょうして演奏えんそう不能ふのうとなり、日本人にっぽんじんのクラブ・ドラマーが代役だいやくつとめた。息子むすこ急死きゅうしによりドンが一時いちじ帰国きこく数箇所すうかしょで、寺内てらうちタケシと、ブルー・ナイツの古賀こがみん也が代役だいやくつとめた。フジテレビ『きエレキ合戦かっせん』でベンチャーズ特集とくしゅう放送ほうそうされた。大磯おおいそロングビーチでの特別とくべつプログラムで一般いっぱん出場しゅつじょうしゃし、「みつあじ」「バットマン」「秘密ひみつ諜報ちょうほういん」「二人ふたり銀座ぎんざ」「キャラバン」を演奏えんそうした[37]。 「THE VENTURES on stage ENCORE!」が日本にっぽん実況じっきょう録音ろくおんばんとして発売はつばいされたが、スタジオ録音ろくおんされた音源おんげん歓声かんせいとうかぶせた疑似ぎじライブである。

1967ねん7がつ25にちから8がつ17にちにかけて全国ぜんこくコンサート・ツアーを実施じっしした。8月16にち東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかんでは、奥村おくむらチヨがゲスト出演しゅつえんして「北国きたぐにあおそら」をうたった。この公演こうえん模様もようは『THE VENTURES LIVE, AGAIN!』として発売はつばいされたが、すうきょくカットされただけでなく、『THE VENTURES on stage ENCORE!』とおな音源おんげん収録しゅうろくされているひとし、とてもおかしな内容ないようになってしまっていた。この公演こうえん模様もようはほぼ完全かんぜん内容ないようでテレビ放送ほうそうされており、オープニング・ナンバーはパイプラインであった[38]

ベンチャーズ歌謡かよう背景はいけい

編集へんしゅう

東芝とうしば音楽おんがく工業こうぎょうは5だいレコード会社かいしゃキングコロムビアビクターテイチクポリドール)に新興しんこうのレコード会社かいしゃで、当初とうしょ専属せんぞく作曲さっきょくがいなかった[39]

ベンチャーズ歌謡かようをプロデュースした[40]東芝とうしば音楽おんがく工業こうぎょう草野くさの浩二こうじによると、ベンチャーズは来日らいにち日本にっぽん歌謡かようきょくいて研究けんきゅうしたうえで、「こういうメロディをつくったからいてくれ」とんできた[39]。そのメロディ・ラインは「外国がいこくじんつくったとはおもえないほど日本人にっぽんじんこのみに合致がっちする歌謡かようきょく」だったため、日本語にほんご歌詞かしをつけるのを企図きとするようになる。

1966ねん、「GINZA LIGHTS」(銀座ぎんざあかり)はベンチャーズが銀座ぎんざ夜景やけいをイメージしていたものを、経緯けいい不明ふめいながら越路こしじ吹雪ふぶき東芝とうしば所属しょぞく)に提供ていきょうしたものであったが、きょくいた越路こしじは「これは自分じぶんうたうより、もっとわかひとうたったほうがいい」と青春せいしゅん映画えいがスターである和泉いずみ雅子まさこ山内やまうちけんきょくゆずり、「二人ふたり銀座ぎんざ」(和泉いずみ雅子まさこ&山内やまうちけん)としてリリースされ、だいヒット[23]作詞さくしえい六輔ろくすけ担当たんとう軽快けいかい曲調きょくちょうさわやかな歌声うたごえでミリオンセラーのだいヒットとなり、翌年よくねん二人ふたり主演しゅえん同名どうめい映画えいが製作せいさくされる。この成功せいこうにより、東芝とうしば所属しょぞく歌手かしゅきょく制作せいさくもベンチャーズに依頼いらいするようになる[23]。「二人ふたり銀座ぎんざ」には続編ぞくへん制作せいさくされ「東京とうきょうナイト」というきょくをベンチャーズが作曲さっきょくし、同名どうめい映画えいが和泉いずみ雅子まさこ&山内やまうちけん主演しゅえん制作せいさくされている。 なお、本来ほんらい岩谷いわたに時子ときこをつける予定よていだった[41]。1966ねん7がつに、ザ・ベンチャーズがきエレキ合戦かっせん出演しゅつえんしたさい審査しんさいん音楽おんがく評論ひょうろん福田ふくだ一郎いちろうが「二人ふたり銀座ぎんざ」は岩谷いわたに時子ときこいて加山かやま雄三ゆうぞううたうと予告よこくしていたが(twitterに投稿とうこうされた録音ろくおん結果けっかてきには日活にっかつ山内やまうちけん和泉いずみ雅子まさこコンビがうたった。

つづいて1967ねんには「北国きたぐにあおそら」(奥村おくむらチヨ)をリリース。

1968ねん、ノーキー・エドワーズが一度いちど脱退だったいし、後任こうにんギタリストにジェリー・マギーが加入かにゅうすると、より本格ほんかくてき日本にっぽんをテーマにした楽曲がっきょくつくはじめ、「京都きょうとこい」(1970ねん)、「京都きょうと慕情ぼじょう」(1970ねん)、「長崎ながさき慕情ぼじょう」(1971ねん)(いずれもなぎさゆう)、「あめ御堂筋みどうすじ」(1971ねん)(欧陽菲菲おうやんふぃふぃ[23][40]など、次々つぎつぎとヒットきょくされ、それらは「ベンチャーズ歌謡かよう」としょうされるようになった。その日本にっぽん情緒じょうちょゆたかな楽曲がっきょくは「アメリカじんにこんな日本にっぽんてききょくけるのか」と当時とうじ日本にっぽん音楽おんがく評論ひょうろんたちをおどろかせた[42]なかでも「京都きょうとこい」は(1970ねんだい12かい日本にっぽんレコード大賞たいしょう企画きかくしょう受賞じゅしょうしている[43]

1970年代ねんだい - 1990年代ねんだい

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1972ねん、ジェリー・マギーとメル・テイラーの脱退だったい、ノーキー・エドワーズが復帰ふっきし、メルの後任こうにんにはもとSHANGOのジョー・バリルが加入かにゅうした。脱退だったいしたジェリーとメルはあらたなバンド「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」を結成けっせいし、2005ねんよりベンチャーズの一員いちいんとなったボブ・スポルディングもどうバンドにてリズムギターを担当たんとうしており、よく1973ねんはつ来日らいにちたした。

1978ねん、ジョー・バリルがコカイン所持しょじうたがいで警視庁けいしちょう逮捕たいほされた[44]のち脱退だったい(解雇かいこ)。メル・テイラー&ザ・ダイナミックス解散かいさんてメル・テイラーが復帰ふっきし、ドン、ボブ、ノーキー、メルの4にんふたた勢揃せいぞろいする。その、ジェリー・マギーも復帰ふっきし、1984ねんにボブ・ボーグルが入院にゅういんしたため、その代役だいやくとしてリードギタリストであるジェリーとノーキーが交互こうごにツアーでベースを担当たんとうしていた。その、ノーキーがソロ活動かつどうとうのためにふたた脱退だったいし、以降いこうはジェリーがリードギターに専念せんねんするようになる。1991ねん大晦日おおみそかには、ドン、ボブ、ジェリー、メルの4にんだい42かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん出場しゅつじょうし、10ばんがい殺人さつじん、ダイアモンド・ヘッド、パイプラインの3きょく演奏えんそうした[45]

1996ねんなつ来日らいにちツアーちゅうにメル・テイラーが体調たいちょうくずしアメリカへ緊急きんきゅう帰国きこくしたが、それからわず10日とおか死去しきょザ・ナックのドラマーであったブルース・ゲイリーが代役だいやくつとめる。同年どうねん中野なかのサンプラザで追悼ついとう公演こうえんおこなわれ、後任こうにんとなるメル・テイラーの息子むすこリオン・テイラーの紹介しょうかいがなされ、すうきょく、ドラマーとして演奏えんそうし、以後いご現在げんざい在籍ざいせきしドラマーとして活動かつどうつづけている。

1998ねん赤坂あかさかBLITZにて開催かいさいされた「永遠えいえんのギターキッズ」にて、加山かやま雄三ゆうぞう、ハイパーランチャーズ、Dr.K Project、なかシゲヲと共演きょうえん。ドン、ボブ、ノーキー、ジェリー、リオンがおな舞台ぶたいち、歴史れきしてき共演きょうえんおこなった。なお、この公演こうえんの2にちには、山下やました達郎たつおもゲスト出演しゅつえんした。1999ねん以降いこうはジェリーがなつ、ノーキーがスペシャルゲストとしてふゆにそれぞれ日本にっぽん公演こうえんでリードギターを演奏えんそうするようになり、ノーキーが来日らいにちツアーを引退いんたいする2016ねんまでほぼ毎年まいとし夏期かき冬期とうき両方りょうほう来日らいにちしていた。

2000年代ねんだい - 2010年代ねんだい

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2004ねん日米にちべい交流こうりゅう150周年しゅうねん記念きねん外務がいむ大臣だいじんしょう受賞じゅしょう[46]し、ドン、ボブ、ノーキーが授賞じゅしょうしき参加さんか。2005ねんにボブ・ボーグルが体調たいちょう悪化あっかによりツアー参加さんかむずかしくなったため、ボブ・スポルディング(もとメル・テイラー&ザ・ダイナミックスのリズムギタリスト)がサポートメンバーとして加入かにゅうした。

2006ねんかれらの最初さいしょだいヒットきょくである「きゅうがばまわれ(ウォーク・ドント・ラン)」がグラミーの殿堂でんどうりをたし[47]、2008ねんにはロックの殿堂でんどう(The Rock and Roll Hall of Fame and Museum)りをたした[48]。ドン、ノーキー、リオン、ボブ・スポルディング、ジョン・ダリル(ジェリー・マギーの代理だいりとして出席しゅっせき)がニューヨーク・ウォルドルフ・アストリアホテルで開催かいさいされた授賞じゅしょうしき出演しゅつえんし、プレゼンターとしてベンチャーズの影響えいきょうけていたことを公言こうげんしたジョン・フォガティ登場とうじょう。フォガティの紹介しょうかいつづいてベンチャーズが登場とうじょうし、「きゅうがばまわれ(ウォーク・ドント・ラン)」を基本きほん編成へんせいの4にんで、「ハワイ・ファイブ・オー」をブラスセクションきで演奏えんそうした。

2009ねん結成けっせい50周年しゅうねんむかえ、同年どうねん6がつ14にちにボブ・ボーグルが死去しきょ[49]以後いごはボブ・スポルディングが後任こうにんとして正式せいしきメンバーとなった。2010ねんはる叙勲じょくんにてメンバーのうち5にん旭日きょくじつしょう綬章じゅしょう受章じゅしょう[50]

2014ねん結成けっせい55周年しゅうねんむかえたが、よく2015年度ねんど来日らいにちツアーをもって、結成けっせいメンバーであるドン・ウィルソンがツアーからの引退いんたい正式せいしき表明ひょうめい[51]同年どうねんのツアー最終さいしゅうにおいて、2016ねんからドンにわりボブ・スポルディングがリズムギターを担当たんとうし、ボブの息子むすこであるイアン・スポルディングをベーシストにむか活動かつどうしていくことが発表はっぴょうされた。 また、同年どうねんからボブとイアンのスポルディング親子おやこにリオン・テイラー、そして、前年ぜんねんからベンチャーズのサポートメンバーとしてアメリカ国内こくない活動かつどうしていたベーシスト、ルーク・グリフィンによるニューバンド「V-2」が活動かつどう開始かいし

2016ねん前年ぜんねんのドン・ウィルソンのツアー引退いんたいつづき、ノーキー・エドワーズも自身じしん高齢こうれい体力たいりょく低下ていかにより、同年どうねん来日らいにちツアーが最後さいご来日らいにちとなることを表明ひょうめいした。2017ねん8がつ来日らいにちツアーちゅうにジェリー・マギーが入院にゅういん。その連絡れんらくけ、「V-2」のメンバーであるルーク・グリフィンが急遽きゅうきょ来日らいにちし、ベースで7公演こうえんほどのこりの日本にっぽん公演こうえんはつ参加さんかしたことで、結成けっせい55周年しゅうねんジャパンツアーを無事ぶじえた。2018ねんにドン、ノーキーにつづき、ジェリーも自身じしん高齢こうれいのためツアー引退いんたい発表はっぴょう。それにともない、同年どうねん以降いこう来日らいにち公演こうえんは、昨年さくねん来日らいにちしジェリーのわりに日本にっぽんツアーにはつ参加さんかしたベーシストのルークを正式せいしきメンバーにむかえ、前述ぜんじゅつとおりである「V-2」のメンバーによるしん体制たいせいベンチャーズとして、7がつより来日らいにちツアーがあらたに開始かいしされた。同年どうねん3がつ12にちにノーキー・エドワーズが死去しきょ[11]

2019ねん結成けっせい60周年しゅうねんむかえた[52]が、同年どうねん10がつ12にちにジェリー・マギーが日本にっぽん死去しきょ[53][54]

2020年代ねんだい -

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2020ねんと2021ねん新型しんがたコロナウィルス影響えいきょうでアメリカからの入国にゅうこく制限せいげんされているため来日らいにちツアーが2022ねん以降いこう延期えんきとなる[55][56]

2022ねん1がつ22にち、リーダーのドン・ウィルソンが死去しきょ[57][58]。ドンの死去しきょにより、結成けっせいメンバーは全員ぜんいん故人こじんとなった。

ドン・ウィルソン死去しきょともない、バンドめい封印ふういんするのではと推測すいそく推察すいさつがなされたようだが、バンドめい継続けいぞくして名乗なの模様もよう

2022ねんはつ来日らいにちから60周年しゅうねんむかえるにあたり、またアメリカからのにゅう出国しゅっこく規制きせいゆるんだこともあり、記念きねんツアーを開催かいさいすることが決定けっていした。

2023ねんながらく招聘しょうへいもととなっていたM&Iカンパニー前年ぜんねんまつって閉業へいぎょう、その後任こうにんとなる招聘しょうへいさきまらなかったため、当年とうねん来日らいにち公演こうえん開催かいさいされないことが公式こうしき発表はっぴょうされた。

2024ねんあたらしい招聘しょうへいさき未決みけつのため、当年度とうねんど来日らいにち公演こうえん昨年さくねんつづ開催かいさいされない。

来日らいにち公演こうえんデータ

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1965ねん1がつ

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1965ねん1がつ
曜日ようび エリア1 エリア2 会場かいじょう
2 来日らいにち
3 東京とうきょう 新宿しんじゅく 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん
3 東京とうきょう 渋谷しぶや リキスポーツパレス
4 つき 東京とうきょう 渋谷しぶや リキスポーツパレス×2
5 大阪おおさか 大阪おおさか 大阪おおさかフェスティバルホール×2
6 みず 愛知あいちけん 名古屋なごや 愛知あいちけん体育館たいいくかん
7 東京とうきょう 千代田ちよだ サンケイホール
8 きむ 東京とうきょう 新宿しんじゅく 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん
8 きむ 神奈川かながわけん 横浜よこはま 横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん
9 東京とうきょう 渋谷しぶや リキスポーツパレス×2
10 東京とうきょう 新宿しんじゅく 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん×2
11 つき
12
13 みず 北海道ほっかいどう 札幌さっぽろ 札幌さっぽろ市民しみん会館かいかん
14 東京とうきょう 渋谷しぶや リキスポーツパレス

1965ねんなつ

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1965ねん7がつ24にち東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん

だい1

01.10ばんがい殺人さつじん 02.ペネトレイション 03.クルーエル・シー 04.ウォーク・イン・ザ・ルーム 05.朝日あさひのあたるいえ 06.ラップ・シティ 07.ゆめのマリナーごう 08.ピンク・パンサーのテーマ 09.サマータイム 10.イエロー・ジャケット 11.ラヴ・ポーションNo.9 12.かなしき街角まちかど(Vo:ドン) 13.ウォーク・ドント・ラン'64 14.キャラバン

だい2

15.ベンチャーズ・メドレー(LG:ボブ) ...........ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~子守こもり 16.かなしき闘牛とうぎゅう(LG:ボブ) 17.テルスター(LG:ボブ) 18.ドライヴィング・ギター 19.フィール・ソー・ファイン(Vo:ドン) 20.パイプライン 21.アウト・オブ・リミッツ 22.アパッチ 23.アイ・フィール・ファイン 24.サーフ・ライダー 25.ほしへの旅路たびじ 26.ブルドッグ 27.バンブル・ビー・ツイスト 28.ダイアモンド・ヘッド アンコール 29.ワイプ・アウト

1965ねん7がつ25にち東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん

だい1

01.クルーエル・シー 02.ペネトレイション 03.ウォーク・イン・ザ・ルーム 04.10ばんがい殺人さつじん 05.朝日あさひのあたるいえ 06.ラップ・シティ 07.ゆめのマリナーごう 08.ピンク・パンサーのテーマ 09.アウト・オブ・リミッツ 10.イエロー・ジャケット 11.ラヴ・ポーションNo.9 12.かなしき街角まちかど(Vo:ドン) 13.ウォーク・ドント・ラン'64 14.ワイプ・アウト

だい2

15.ベンチャーズ・メドレー(LG:ボブ) ...........ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~子守こもり 16.かなしき闘牛とうぎゅう(LG:ボブ) 17.テルスター(LG:ボブ) 18.ドライヴィング・ギター 19.フィール・ソー・ファイン(Vo:ドン) 20.パイプライン 21.アパッチ 22.アイ・フィール・ファイン 23.サーフ・ライダー 24.ブルドッグ 25.バンブル・ビー・ツイスト 26.ダイアモンド・ヘッド アンコール 27.キャラバン

1965ねん7がつ26にちつき東京とうきょうサンケイホール

だい1

01.クルーエル・シー 02.ペネトレイション 03.ウォーク・イン・ザ・ルーム 04.10ばんがい殺人さつじん 05.朝日あさひのあたるいえ 06.ラップ・シティ 07.ゆめのマリナーごう 08.ピンク・パンサーのテーマ 09.アウト・オブ・リミッツ 10.イエロー・ジャケット 11.ラヴ・ポーションNo.9 12.かなしき街角まちかど(Vo:ドン) 13.ウォーク・ドント・ラン'64 14.ワイプ・アウト

だい2

15.ベンチャーズ・メドレー(LG:ボブ) ...........ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~子守こもり 16.かなしき闘牛とうぎゅう(LG:ボブ) 17.テルスター(LG:ボブ) 18.ドライヴィング・ギター 19.フィール・ソー・ファイン(Vo:ドン) 20.パイプライン 21.アパッチ 22.アイ・フィール・ファイン 23.サーフ・ライダー 24.ブルドッグ 25.バンブル・ビー・ツイスト 26.ダイアモンド・ヘッド アンコール 27.キャラバン

1965ねん8がつ25にちみず札幌さっぽろ 中島なかじまスポーツ・センター

だい1

01.クルーエル・シー 02.ペネトレイション 03.ブルドッグ 04.アイ・フィール・ファイン 05.朝日あさひのあたるいえ 06.ラップ・シティ 07.アウト・オブ・リミッツ 08.10ばんがい殺人さつじん 09.べサメ・ムーチョ・ツイスト 10.ラヴ・ポーションNo.9 11.かなしき街角まちかど(Vo:ドン) 12.ウォーク・ドント・ラン'64 13.ワイプ・アウト

だい2

14.ベンチャーズ・メドレー(LG:ボブ) ...........ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~子守こもり 15.かなしき闘牛とうぎゅう(LG:ボブ) 16.テルスター(LG:ボブ) 17.ドライヴィング・ギター 18.フィール・ソー・ファイン(Vo:ドン) 19.アパッチ 20.パイプライン 21.バンブル・ビー・ツイスト 22.ダイアモンド・ヘッド アンコール 23.キャラバン

1965ねん7がつ
曜日ようび エリア1 エリア2 会場かいじょう
21 みず 来日らいにち
22 東京とうきょう 豊島としま 池袋いけぶくろ東武とうぶデパートにてサインかい
23 きむ
24 東京とうきょう 新宿しんじゅく 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん×2
25 東京とうきょう 新宿しんじゅく 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん×2
26 つき 東京とうきょう 千代田ちよだ サンケイホール
27 東京とうきょう 千代田ちよだ サンケイホール
27 東京とうきょう 台東たいとう 台東たいとう体育館たいいくかん
28 みず 東京とうきょう 新宿しんじゅく フジテレビ ザ・ヒットパレードに出演しゅつえん
29 京都きょうと 京都きょうと 京都きょうと会館かいかん×2
30 きむ 京都きょうと 京都きょうと 京都きょうと会館かいかん×2
31 大分おおいたけん 別府べっぷ 別府べっぷ観光かんこう会館かいかん
1965ねん8がつ
曜日ようび エリア1 エリア2 会場かいじょう
1 福岡ふくおかけん 福岡ふくおか きゅうでん記念きねん体育館たいいくかん
2 つき 京都きょうと 京都きょうと 京都きょうと会館かいかん×2
3 兵庫ひょうごけん 神戸こうべ 神戸こうべ会館かいかん×2
4 みず 大阪おおさか 大阪おおさか 大阪おおさかフェスティバルホール×2
5
6 きむ 愛知あいちけん 名古屋なごや 名古屋なごや公会堂こうかいどう
7 東京とうきょう 東京とうきょう音協おんきょう例会れいかい×2
8 石川いしかわけん 金沢かなざわ 金沢かなざわ観光かんこう会館かいかん×2
9 つき 富山とやまけん 富山とやま 富山とやま公会堂こうかいどう
10 神奈川かながわけん 横浜よこはま 横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん
11 みず 神奈川かながわけん 葉山はやま 葉山はやまマリーナ
11 みず 神奈川かながわけん 平塚ひらつか 平塚ひらつか市民しみんセンター
12 静岡しずおかけん 浜松はままつ 浜松はままつ市民しみん会館かいかん
13 きむ 静岡しずおかけん 静岡しずおか 駿府すんぷ会館かいかん
14 群馬ぐんまけん 高崎たかさき 高崎たかさき音楽おんがくセンター
15 福島ふくしまけん 福島ふくしま 福島ふくしま県営けんえい体育館たいいくかん
16 つき
17 山形やまがたけん 山形やまがた 山形やまがた県民けんみん体育館たいいくかん
18 みず 宮城みやぎけん 仙台せんだい 仙台せんだい公会堂こうかいどう×2
19 秋田あきたけん 秋田あきた
20 きむ
21 北海道ほっかいどう 室蘭むろらん 室蘭むろらん文化ぶんかセンター
22 北海道ほっかいどう 旭川あさひかわ 旭川あさひかわ国際こくさい劇場げきじょう×2
23 つき 北海道ほっかいどう 帯広おびひろ 帯広おびひろ市民しみん会館かいかん
24 北海道ほっかいどう 釧路くしろ 釧路くしろ体育館たいいくかん
25 みず 北海道ほっかいどう 札幌さっぽろ 札幌さっぽろスポーツセンター
26 東京とうきょう 八王子はちおうじ 八王子はちおうじ市民しみん会館かいかん
27 きむ 東京とうきょう 新宿しんじゅく 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん×2
28 京都きょうと 京都きょうと 京都きょうと会館かいかん×2
29 広島ひろしまけん 広島ひろしま 広島ひろしま公会堂こうかいどう×2
30 つき 大阪おおさか きた サンケイホール×2
31 東京とうきょう 大田おおた 大田おおた区民くみん会館かいかん
1965ねん9がつ
曜日ようび エリア1 エリア2 会場かいじょう
1 みず 東京とうきょう 新宿しんじゅく 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん×2
2 神奈川かながわけん 川崎かわさき 川崎かわさき市民しみん会館かいかん
3 きむ 帰国きこく

1966ねん3がつ

編集へんしゅう

1966ねん3がつ20日はつか東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん

01.10ばんがい殺人さつじん 02.みつあじ 03.ラ・バンバ 04.わかさでゴー・ゴー 05.あおなぎさをぶっとばせ 06.テン・セカンス・トゥ・ヘヴン(パラダイス・ア・ゴー・ゴー) 07.カミン・ホーム・ベイビー 08.ナポレオン・ソロのテーマ 09.秘密ひみつ諜報ちょうほういん 10.ビートでOK 11.くんといつまでも 12.夜空よぞらほし 13.パイプライン アンコール 14.キャラバン

1966ねん3がつ
曜日ようび エリア1 エリア2 会場かいじょう
18 きむ 来日らいにち
19
20 東京とうきょう 新宿しんじゅく 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん×2
21 つき 東京とうきょう 新宿しんじゅく 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん×2
22
23 みず 静岡しずおかけん 静岡しずおか 駿府すんぷ会館かいかん
24 東京とうきょう 新宿しんじゅく 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん
25 きむ 福井ふくいけん 福井ふくい 福井ふくい体育館たいいくかん
26 富山とやまけん 富山とやま 富山とやま公会堂こうかいどう
27
28 つき 石川いしかわけん 金沢かなざわ 金沢かなざわ観光かんこう会館かいかん
29 神奈川かながわけん 横浜よこはま 横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん
30 みず 東京とうきょう 大田おおた 大田おおた公会堂こうかいどう
31 東京とうきょう 新宿しんじゅく 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん×2

1966ねんなつ

編集へんしゅう
1966ねん7がつ
曜日ようび エリア1 エリア2 会場かいじょう
13 みず 来日らいにち
14 台湾たいわん
15 きむ
16
17 さい来日らいにち
18 つき 東京とうきょう みなと ヒルトンホテル記者きしゃ会見かいけんレセプション
19 東京とうきょう テレビ出演しゅつえん
20 みず 東京とうきょう 渋谷しぶや 渋谷しぶや公会堂こうかいどう
21 新潟にいがたけん 新潟にいがた 新潟にいがた体育館たいいくかん
22 きむ 新潟にいがたけん 長岡ながおか 長岡ながおか厚生こうせい会館かいかん
23 山形やまがたけん 酒田さかた 酒田さかた市民しみん会館かいかん
24
25 つき 宮城みやぎけん 仙台せんだい スポーツ・センター
26 岡山おかやまけん 岡山おかやま
27 みず 兵庫ひょうごけん 姫路ひめじ
28 高知こうちけん 高知こうち 高知こうち県民けんみんホール
29 きむ 愛媛えひめけん 松山まつやま 愛媛えひめ県民けんみんホール
30 静岡しずおかけん 富士ふじ 吉原よしはら市民しみん会館かいかん×2
31 静岡しずおかけん 伊東いとう 観光かんこう会館かいかん×2
1966ねん8がつ
曜日ようび エリア1 エリア2 会場かいじょう
1 つき 愛知あいちけん 名古屋なごや 名古屋なごや公会堂こうかいどう
2 大阪おおさか 大阪おおさか 大阪おおさかフェスティバルホール
3 みず 静岡しずおかけん 静岡しずおか 駿府すんぷ会館かいかん×2
4 福岡ふくおかけん 北九州きたきゅうしゅう 北九州きたきゅうしゅう体育館たいいくかん
5 きむ 山口やまぐちけん 山口やまぐち 山口やまぐち体育館たいいくかん
6 島根しまねけん 出雲いずも 出雲いずも市民しみん会館かいかん
7 鳥取とっとりけん 米子よなご 米子よなご市民しみん会館かいかん
8 つき 熊本くまもとけん 熊本くまもと 熊本くまもと体育館たいいくかん×2
9 福岡ふくおかけん 大牟田おおむた 大牟田おおむた公会堂こうかいどう
10 みず 鹿児島かごしまけん 鹿児島かごしま 鹿児島かごしま体育館たいいくかん
11 福岡ふくおかけん 飯塚いいづか 飯塚いいづか嘉穂かほ劇場げきじょう
12 きむ 佐賀さがけん 唐津からつ 唐津からつ体育館たいいくかん
13 長崎ながさきけん 佐世保させぼ 佐世保させぼ体育館たいいくかん
14 長崎ながさきけん 長崎ながさき 長崎ながさき公会堂こうかいどう
15 つき 大分おおいたけん 別府べっぷ 別府べっぷ観光かんこう会館かいかん
16 宮崎みやざきけん 宮崎みやざき 宮崎みやざき体育館たいいくかん
17 みず 山口やまぐちけん 下関しものせき 下関しものせき体育館たいいくかん
18 山口やまぐちけん 岩国いわくに 岩国いわくに帝人ていじん会館かいかん
19 きむ 京都きょうと 京都きょうと 京都きょうと会館かいかん
20 京都きょうと 京都きょうと 京都きょうと会館かいかん
21
22 つき 富山とやまけん 高岡たかおか 高岡たかおか市民しみん会館かいかん
23 石川いしかわけん 小松こまつ 小松こまつ体育館たいいくかん
24 みず 福島ふくしまけん 福島ふくしま 福島ふくしま県民けんみん会館かいかん
25 北海道ほっかいどう 札幌さっぽろ 道新どうしんホール
26 きむ 北海道ほっかいどう 苫小牧とまこまい
27 北海道ほっかいどう 室蘭むろらん
28 青森あおもりけん 弘前ひろさき
29 つき 北海道ほっかいどう 帯広おびひろ
30 北海道ほっかいどう 釧路くしろ
31 みず 北海道ほっかいどう 旭川あさひかわ
1966ねん9がつ
曜日ようび エリア1 エリア2 会場かいじょう
1 神奈川かながわけん 横浜よこはま 横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん
2 きむ 兵庫ひょうごけん 神戸こうべ 神戸こうべ国際こくさい会館かいかん
3 東京とうきょう
4 東京とうきょう 渋谷しぶや 渋谷しぶや公会堂こうかいどう×2
5 つき 岩手いわてけん 盛岡もりおか 岩手いわて教育きょういく会館かいかん
6 青森あおもりけん 八戸はちのへ
7 みず
8
9 きむ 沖縄おきなわ
10 沖縄おきなわ
11 沖縄おきなわ

1967ねんなつ

編集へんしゅう

1967ねん7がつ25にち東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん

01.こいはちょっぴり 02.ブルー・シャトー(mosrite12げん:ノーキー) 03.ブラック・サンド・ビーチ 04.ウーリー・ブリー 05.ダイアモンド・ヘッド 06.二人ふたり銀座ぎんざ 07.サイケデリック・ドリーム 08.こいのハレルヤ 09.ハッピー・トゥゲザー 10.夕日ゆうひしずむ 11.ヴァイブレーションズ 12.なみだのギター 13.パイプライン アンコール 14.キャラバン

1967ねん8がつ16にちみず東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん

01.パイプライン 02.ブルー・シャトー(mosrite12げん:ノーキー) 03.ブラック・サンド・ビーチ 04.10ばんがい殺人さつじん 05.北国きたぐにあおそら(Vo:奥村おくむらチヨ) 06.こいはちょっぴり 07.二人ふたり銀座ぎんざ 08.ウーリー・ブリー 09.アパッチ 10.なみだのギター 11.みつあじ 12.ウォーク・ドント・ラン'64 13.ワイプ・アウト 14.ヴァイブレーションズ 15.夕日ゆうひしずむ 16.ダイアモンド・ヘッド アンコール 17.キャラバン

1967ねん7がつ
曜日ようび エリア1 エリア2 会場かいじょう
25 東京とうきょう 新宿しんじゅく 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん
26 みず 京都きょうと 京都きょうと 京都きょうと会館かいかん
27 京都きょうと 京都きょうと 京都きょうと会館かいかん×2
28 きむ 福岡ふくおかけん 福岡ふくおか きゅうでん記念きねん体育館たいいくかん
29 鹿児島かごしまけん 鹿児島かごしま 鹿児島かごしま体育館たいいくかん
30 岡山おかやまけん 岡山おかやま
31 つき 広島ひろしまけん 広島ひろしま
1967ねん8がつ
曜日ようび エリア1 エリア2 会場かいじょう
1
2 みず
3 神奈川かながわけん 横浜よこはま 横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん
4 きむ 愛知あいちけん 名古屋なごや 中日ちゅうにち劇場げきじょう
5
6 大阪おおさか 大阪おおさか フェスティバルホール
7 つき 北海道ほっかいどう 函館はこだて ともえ
8 北海道ほっかいどう
9 みず 北海道ほっかいどう
10
11 きむ 香川かがわけん 高松たかまつ
12 静岡しずおかけん 浜松はままつ
13 新潟にいがたけん 新潟にいがた
14 つき 長野ながのけん 長野ながの
15 長野ながのけん 松本まつもと
16 みず 東京とうきょう 新宿しんじゅく 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん
17 静岡しずおかけん 静岡しずおか 駿府すんぷ会館かいかん

評価ひょうか

編集へんしゅう

現在げんざい世界せかい各国かっこくにファンがおり、コピーバンドも多数たすう存在そんざいする。とく日本にっぽんでは老若男女ろうにゃくなんにょわず存在そんざいし、さらには子供こどものコピーバンドまでいるほどである。これは、日本にっぽんとの特別とくべつ関係かんけいあたえた影響えいきょうという観点かんてんから、日本にっぽん音楽おんがくになくてはならない存在そんざいとされる。かれらがアメリカ本国ほんごく一番いちばん人気にんきがあったのは1960年代ねんだいまでだが、日本にっぽんではなが人気にんきたもつづけている[59]米国べいこくのバンドではあるものの、インストゥルメンタルグループであり言語げんごかべえその明快めいかい楽曲がっきょくれられ、米国べいこく以上いじょう日本にっぽんのエレキギターブームやポップスシーンに影響えいきょうおよぼした。日本にっぽん発表はっぴょうされたレコードなどのそう売上うりあげは4000まんまいえる。現在げんざい定期ていきてき日本にっぽん公演こうえんおこなっている[60]。 1965ねんなつのステージは2構成こうせいのプログラム進行しんこうったが、1966ねん3がつ以降いこうしばらく1構成こうせいもどった。(1971ねんごろより2構成こうせいとなった)アンコールでは「キャラバン」が演奏えんそうされるのが恒例こうれいである。(1965ねん7がつ24にち東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかんとう一部いちぶ例外れいがいあり)さらにちょうしゃくのドラムソロと、ドラムスティックでベースのつるたたくパフォーマンスがおこなわれる。

  • リオン・テイラー (Leon Taylor、1955ねん9月23にち - ):テネシーしゅうジョンソンシティ出身しゅっしん。5代目だいめドラム。父親ちちおやであるメルが急逝きゅうせいした1996ねん中野なかのサンプラザにおける9がつ16にちのメル・テイラー追悼ついとう公演こうえん後任こうにんとして紹介しょうかいされ、すうきょく披露ひろう以降いこうちち後任こうにんとして正式せいしきメンバーとなる。ちなみにメルが死去しきょしたのち、96ねんのツアーでのメインドラムは、もとブルージーンズ竹田たけだ尚司しょうじ、そのもとナック(「マイ・シャローナ」)のブルース・ゲイリーが急遽きゅうきょつとめた。のち2人ふたりともメル・テイラー追悼ついとうアルバム「ワイルド・アゲインII」に参加さんかしている。2018ねんにジェリー・マギーのツアー引退いんたい、ベンチャーズの現役げんえき来日らいにちツアーメンバーとしては在籍ざいせきれき最長さいちょうとなった。
  • ボブ・スポルディング (Bob Spalding、1947ねん2がつ10日とおか - ):カリフォルニアしゅうサンバーナーディーノ出身しゅっしん。4代目だいめベース、4代目だいめリードギター、2代目だいめリズムギター。1981ねんよりスタジオ録音ろくおん参加さんかしていたことから、加入かにゅうねんも1981ねんとしてあつかわれている。2005ねん1がつ日本にっぽん公演こうえん以降いこう腰痛ようつう悪化あっか来日らいにち困難こんなんとなったボブ・ボーグルの代役だいやくとしてツアーに参加さんかし、2009ねん6がつにボーグルが死去しきょして以降いこう正式せいしきメンバーとなる。スタジオ録音ろくおんではリードギターのリズムギターを担当たんとうするケースもあり、メル・テイラーがベンチャーズを一時いちじはなれていたころ結成けっせいした「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」ではリズムギターを担当たんとうし、1973ねんには来日らいにちもしている。作曲さっきょくのほかアレンジなどでも現在げんざいのベンチャーズに多大ただい貢献こうけんをしており、"5にんのベンチャーズ"とばれている。2015ねんにツアーから引退いんたいしたドン・ウィルソンにわりリズムギターを担当たんとうするが、2018ねんにジェリー・マギーもツアー引退いんたい発表はっぴょうし、後任こうにんリードギターのいた。
  • イアン・スポルディング (Ian Spalding、1973ねん8がつ15にち - ):カリフォルニアしゅう出身しゅっしん。5代目だいめベース、3代目だいめリズムギター。ボブ・スポルディングの息子むすこであり、ちち影響えいきょうで9さいからギターをはじめ、高校こうこう時代じだいにはバンド活動かつどうおこない、2まいのアルバムをリリースしている。2007ねんからベンチャーズと活動かつどうともにし、レコーディングではリズムギター、ベース、キーボードを担当たんとうしている。2015ねんにドン・ウィルソンがツアーから引退いんたい、ベーシストとして正式せいしきメンバーとなり、2018ねんにはジェリー・マギーのツアー引退いんたいにより、リズムギターへ転向てんこう
  • ルーク・グリフィン (Luke Griffin、1978ねん3月25にち - ):バージニアしゅうノーフォーク出身しゅっしん。6代目だいめベース。2014ねんごろよりベンチャーズのサポートメンバーとしてアメリカ国内こくないのライヴに参加さんかしていた。それ以前いぜんにはテキサスしゅうのバンドで音楽おんがく活動かつどうおこなっていたが、ボブ&イアン・スポルディングの親子おやこ、リオン・テイラーらと結成けっせいしたバンド「V-2」のメンバーとしてたずさわって以降いこう、ベンチャーズのメンバーとりあうなかになった。2017ねんなつ日本にっぽんツアーでジェリー・マギーの入院にゅういん報告ほうこく急遽きゅうきょ来日らいにちし、ベースで日本にっぽん公演こうえんはつ参加さんかて、よく2018ねんにジェリー・マギーのツアー引退いんたい発表はっぴょう、ボブ・スポルディングがリードギター、息子むすこのイアンがリズムギターへ転向てんこうすることになり、ベーシストとして正式せいしき加入かにゅうすることが決定けっていした。また、2018ねん以降いこう来日らいにちツアーで2きょくほどリードギターも担当たんとう

きゅうメンバー

  • ドン・ウィルソン (Don Wilson、1933ねん2がつ10日とおか - 2022ねん1がつ22にち):ワシントンしゅうタコマ出身しゅっしん[61]。リズムギター(結成けっせいメンバー)。ベンチャーズのリーダーである。2015ねん来日らいにち最後さいご日本にっぽんツアー参加さんか引退いんたい(ただし本国ほんごくでの活動かつどうやレコーディングとう継続けいぞくしていた)。2022ねん1がつ老衰ろうすいのため88さい死去しきょ
  • ボブ・ボーグル (Bob Bogle、1934ねん1がつ16にち - 2009ねん6月14にち):オクラホマしゅう[61]ワグナー出身しゅっしん初代しょだいリードギター(結成けっせいメンバー)、2代目だいめベース。2005ねん以降いこう腰痛ようつう療養りょうようのため日本にっぽんツアーには不参加ふさんか(ただしレコーディングだけは参加さんかしていた)。1997ねんホジキンリンパしゅ発病はつびょうから12ねんわた闘病とうびょう生活せいかつすえ、2009ねん6がつに75さい死去しきょ
  • ノーキー・エドワーズ (Nokie Edwards、1935ねん5月9にち - 2018ねん3月12にち ):オクラホマしゅうラホマ出身しゅっしん[62]初代しょだいベース、2代目だいめリードギター。張力ちょうりょくよわほそい「ライト・ゲージつる」を考案こうあん[63]し、チョーキング一般いっぱんてきなテクニックとして世界中せかいじゅう使用しようされるようになった功労こうろうしゃ。1960ねんごろ当初とうしょは「ウォーク・ドント・ラン」などのレコーディングにベースで参加さんかしていたが、のちにベーシストに転向てんこうしたボブ・ボーグルにわりリードギターに専念せんねんする。[968ねんいち脱退だったいするが1972ねん復帰ふっき、1984ねんまで活躍かつやくする。その再度さいど脱退だったいし、ソロ活動かつどうのみをおこなっていた時期じきもあったが、1999ねん以降いこう、レコーディングや毎年まいとし1がつ日本にっぽん公演こうえんなどにリード・ギター(ベンチャーズ・オリジナルメンバー)として参加さんかつづけている。なつ日本にっぽん公演こうえんではベンチャーズと行動こうどうべつにしており、ふゆ公演こうえん参加さんかしてもスペシャルゲストとして紹介しょうかいされているが、公式こうしきホームページではメンバーとして掲載けいさいされている。ドン・ウィルソンにつづき、2016ねん来日らいにち最後さいご日本にっぽんツアーを引退いんたいするが、2018ねん3がつ前年ぜんねんけた臀部でんぶ手術しゅじゅつ細菌さいきん感染かんせん合併症がっぺいしょうのため82さい死去しきょ
  • ジェリー・マギー (Gerry McGee、1937ねん11月17にち - 2019ねん10月12にち):ルイジアナしゅうユーニス出身しゅっしん[64]。3代目だいめリードギター、3代目だいめベース。デラニー&ボニー活動かつどうしたのち、ノーキー・エドワーズの後任こうにんとして1968ねん加入かにゅうするが、1972ねん脱退だったい。メル・テイラーやボブ・スポルディングらと「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」を結成けっせい解散かいさん、1980年代ねんだい前半ぜんはんごろベンチャーズに復帰ふっきし、1984ねん日本にっぽん公演こうえんではノーキーとアコースティックギターデュオ演奏えんそうをしたり、入院にゅういんしたボブにわってノーキーと交代こうたいでベースを演奏えんそうした。ノーキーが脱退だったいしたのちなつ日本にっぽん公演こうえん毎年まいとしリードギターを担当たんとうしており、ベンチャーズのメンバーとしての来日らいにち回数かいすうはノーキーよりもおおい。2013ねんからはノーキーにわりふゆのツアーにも参加さんか。2017ねんなつ来日らいにちツアーちゅう体調たいちょう不良ふりょう入院にゅういんし、高齢こうれいによる体力たいりょくおとろえを理由りゆう翌年よくねん以降いこう日本にっぽんツアーに参加さんかしないことが発表はっぴょうされた。2019ねん10がつにソロ・ツアーで2ねんぶりに来日らいにちしたが、心臓しんぞう発作ほっさたお東京とうきょううち病院びょういん緊急きんきゅう搬送はんそうされ、4にちに81さい死去しきょ
  • メル・テイラー (Mel Taylor、1933ねん9月24にち - 1996ねん8がつ11にち):ニューヨークしゅうブルックリン出身しゅっしん[64]。3代目だいめドラマーで、リオン・テイラーのちちである。1972ねんにソロ活動かつどう「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」結成けっせいのため脱退だったいしたが、1978ねん後半こうはんごろさい加入かにゅうした。1996ねん日本にっぽん公演こうえんちゅう体調たいちょう悪化あっかし、検査けんさ結果けっか肺癌はいがん発覚はっかくしたためアメリカへ緊急きんきゅう帰国きこくしたが、帰国きこくからわず10日とおかに62さい死去しきょする。
  • ジョージ・バビット (George T. Babbitt, Jr.、1942ねん6月22にち - ):ワシントンしゅうブレマートン出身しゅっしん初代しょだいドラマー。未成年みせいねんであったため、クラブなどでの活動かつどう出来できずに脱退だったい[65]。そのアメリカ空軍くうぐん大将たいしょうになる。1998ねん3がつ1にちにはアメリカ空軍くうぐん音楽おんがくたい英語えいごばんとともに、結成けっせい以来いらいやく40ねんぶりにベンチャーズの結成けっせいメンバーであるドン・ウィルソン、ボブ・ボーグルとふたた共演きょうえんした[66]
  • ホーウィー・ジョンソン (Howie Johnson、1935ねん - 1989ねん):ワシントンしゅう出身しゅっしん[67]。2代目だいめドラマー。在籍ざいせきちゅう交通こうつう事故じこ後遺症こういしょうのこったことからツアーへの参加さんかむずかしくなったため、1962ねん脱退だったい。その音楽おんがくビジネスから退しりぞいていたが、1989ねん死去しきょ
  • ジョー・バリル (Joe Barile、本名ほんみょうバリル・ギオパン・デュセッペ。1947ねん7がつ - ):イタリア出身しゅっしん幼少ようしょうにアメリカへ移住いじゅう。トミー・レイノルズが結成けっせいしたシャンゴ(Shango)というバンドで活動かつどうしたのちハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズからのさそいをって4代目だいめドラマーとして1973ねんから1978ねん来日らいにちツアー終了しゅうりょうまで在籍ざいせき。1978ねん来日らいにちツアーちゅうコカイン使用しよう発覚はっかく逮捕たいほされる(ただし起訴きそ処分しょぶんとなる)。このためイメージ悪化あっかけたかったメンバーはかれ解雇かいこ。その表立おもてだった音楽おんがく活動かつどうからはとおざかっていたが、1991ねんにリリースしたベンチャーズのCDアルバム『ふたりの海岸かいがん物語ものがたり(play SEASIDE STORY)』収録しゅうろくきょく「ウェイクアップ・ドリーム」などにパーカッション参加さんかしており、以後いご時々ときどきレコーディングに参加さんかしている。
  • ジョン・ダリル (John Durrill、1941ねん8がつ2にち - ):テキサスしゅうヒューストン出身しゅっしんもとファイヴ・アメリカンズのメンバー。初代しょだいキーボディストであるサンディ・リーの後任こうにんとして1969ねんから1972ねんまで在籍ざいせきし、1973ねんにメル・テイラー&ザ・ダイナミックスへの参加さんかて、その作曲さっきょく転向てんこう。2008ねんの「ロックの殿堂でんどう授賞じゅしょうしきに、不参加ふさんかだったジェリー・マギーの代理だいりとして久々ひさびさにベンチャーズと合流ごうりゅうした。
  • ビフ・ビンセント (Bif Vincent):4代目だいめキーボード奏者そうしゃとして1975ねんからよく1976ねんまで在籍ざいせき離脱りだつはスタジオミュージシャン、編曲へんきょく、レコーディングエンジニアなどで活躍かつやく。そのもベンチャーズと交流こうりゅうがあり、ビフが経営けいえいするレコーディング・スタジオでベンチャーズはレコーディングなどをおこなっている。
  • デイヴ・カー (Dave Carr、1943ねん8がつ4にち - 2011ねん7がつ14にち):イギリスロンドン出身しゅっしんもとザ・フォーチュンズのキーボーディスト。3代目だいめキーボード奏者そうしゃとして1973ねんからよく1974ねんまで参加さんかし、1974ねんにはメンバーとして来日らいにち。その作曲さっきょく編曲へんきょく、プロデューサーとして活躍かつやくする一方いっぽうベンチャーズとの交流こうりゅうつづき、レコーディングにも度々たびたび参加さんかしていたが、2011ねん心臓しんぞう発作ほっさによって死去しきょ
  • サンディ・リー (Sandy Lee、なま没年ぼつねんしょう):ジェリー・マギーとともに1968ねんから参加さんかしたはつ女性じょせいメンバーで初代しょだいキーボーディスト。1968年度ねんど来日らいにちツアーにも同行どうこうしていたが、健康けんこうじょう理由りゆうによりベンチャーズを脱退だったい1980年代ねんだい死去しきょのちに、在籍ざいせきちゅうドラッグ不法ふほう所持しょじ発覚はっかくしたため解雇かいこされていたことがあきらかになった。

このほか、1970年代ねんだいなかばころには、スーザン・シュレイバー、リーシャ・キャリー、ジョネル・カレンダーといった女性じょせいシンガーがツアーに参加さんかしたこともある。また、1984ねんのライヴではレア・アースやナイト・シティのギタリストだったポール・ウォーレンがボブ・ボーグルの代理だいり一時いちじてきにベースをいている。

メンバー変遷へんせん

編集へんしゅう

レコーディングでは無名むめいのスタジオ・ミュージシャンが多数たすうくわわり、たとえば「テルスター」ではキーボードが主要しゅようメロディーをり、「ダイアモンド・ヘッド」、「じゅうばんがい殺人さつじん」ではアルト・サックスエフェクト・ペダルレスリー・スピーカーかいしてシンセサイザー連想れんそうさせる音色ねいろたサウンドをくわえたり、きょくによっては女声じょせいコーラスを導入どうにゅうしたり、ブラスセクションやオーケストラを起用きようするなど、これらをサウンドめん主要しゅようアクセントにした。さらにはギターよりキーボード(当時とうじファルフィッサせい電子でんしオルガンなどが使つかわれていた)をリードパートに多用たようしたきょくおおく、その正式せいしきにキーボーディストをメンバーとしてくわえ5にん編成へんせいとなった時期じきもある[68](5にん体制たいせい時期じきは1968ねんから1972ねん前半ぜんはんおよび1974ねんから1976ねんである)。ステージじょうではリードギターとベースが途中とちゅう交代こうたいする場面ばめんもある(最初さいしょ演奏えんそうではボブ・ボーグルだけでなくドン・ウィルソンがリードギターを担当たんとうするなど、現在げんざいくらべて演奏えんそうめんやサウンドめんおおきくことなっている)。

最初さいしょのヒットシングルとなった「きゅうがばまわれ(ウォーク・ドント・ラン)」は、チェット・アトキンス自身じしんした「ギャロッピング奏法そうほう」をベース、メロディ、コードバッキングに分解ぶんかいし、それにドラムパートをくわロックンロールのリズムにせるといった初期しょきのベンチャーズの基本きほんてき演奏えんそうスタイルとなっている[69]

アンプ内蔵ないぞうあるいはそとけのリヴァーブをフルにし低音ていおんつるをスライドさせて、トレモロ・ピッキングをおこな「トレモロ・グリスダウン」奏法そうほう日本にっぽんでは一般いっぱんてき「テケテケ」ばれる。しかし開祖かいそはキング・オブ・サーフ・ギターとうたわれるディック・デイルであり、ベンチャーズがしたわけではない)とともに、「ダイアモンド・ヘッド」、「パイプライン」(これを題材だいざいにしたのが映画えいがもされた芦原あしはらすなお原作げんさくの『青春せいしゅんデンデケデケデケ』)、「10ばんがい殺人さつじん」、「いそがばまわれ '64(ウォーク・ドント・ラン '64)」、「キャラバン」など、数々かずかず名演めいえんした。ベンチャーズは最初さいしょサーフ・ミュージック演奏えんそうしたバンドともわれている[70]。1965ねん1がつ、7~9がつ、1966ねん3がつ、7~9がつ来日らいにち公演こうえんでは、「トレモロ・グリスダウン」奏法そうほうにアンプ内蔵ないぞうおよそとけのリヴァーブは使用しようしていない。

2代目だいめのリード・ギタリスト(初期しょきはベーシスト)であるノーキー・エドワーズは2かい来日らいにち公演こうえん(1965ねん1がつ)(4にんのフルメンバーとしてははつ来日らいにち)で「電気でんきギター王様おうさま」と紹介しょうかいされ、天才てんさいてき卓越たくえつしたテクニックはおおくの日本人にっぽんじんギタリストたち影響えいきょうあたえた。かれはカントリー・ピッキング(親指おやゆび人差ひとさゆびでピックを固定こていし、中指なかゆび薬指くすりゆび同時どうじ利用りようするゆび奏法そうほう)を基本きほんとしたテクニックで、トレモロアームをアクセントとして使用しようし、モズライトギターのこう出力しゅつりょくピックアップをかしたラウドで金属きんぞくてきなサウンドをつくしていた。とくに1965ねん1がつ来日らいにち録音ろくおんおさめた「VENTURES IN JAPAN」の「ドライヴィング・ギター」の強烈きょうれつなアームダウンと、「ブルドッグ」のブリッヂがい奏法そうほうによるソロはモズライトギターならではのサウンドである。そのかれは1980年代ねんだいにベンチャーズを脱退だったい(2度目どめ脱退だったい)し、ソロ活動かつどう中心ちゅうしんとなっているが、公式こうしきホームページでは脱退だったいあつかいにはなっておらず、実際じっさい本国ほんごくではなんか、ノーキーがベンチャーズに参加さんかして活動かつどうしている。近年きんねんは、オリジナルモデルのギターをもちい、よりカントリースタイルを意識いしきした演奏えんそうとなっており音色ねいろもソフトなものとなっている。

1968ねんにノーキーが1度目どめ脱退だったいをし、3代目だいめリード・ギタリストとして加入かにゅうしたのがジェリー・マギーである。ジェリーはエミルー・ハリスエルビス・プレスリー、デラニー&ボニー、モンキーズなど多数たすうレコーディングセッションなどで経験けいけんんでたスタジオ・ミュージシャンである[71]。ジェリーのサムピックを使用しようした奏法そうほう(ノーキーも1972ねん復帰ふっきしたときからレコーディングやステージでサムピックを使用しようするようになった)やかれ出身しゅっしんルイジアナをルーツとした南部なんぶいろつよいソウルフルなサウンドが特徴とくちょうてきである。「朝日あさひのあたるいえ」は、ベンチャーズが1960年代ねんだいからもともとレパートリーとしているが、1980年代ねんだいにジェリーがさい加入かにゅうしたのちのステージではかれ独特どくとくのアドリブによるブルージーなサウンドが、あらたなかせどころとなっている。そのは、ちゅう音域おんいきをブーストさせる回路かいろきのフェンダー・ストラトキャスターをもちいており、きょくによってブーストのかかり具合ぐあいほろ調整ちょうせいして、音色ねいろにバリエーションをたせる工夫くふうをしている。

ディスコグラフィ

編集へんしゅう

おもなアルバム

編集へんしゅう
  • Walk Don't Run(1960ねん11月)
  • The Ventures(1961ねん6がつ
  • Another Smash(1961ねん9がつ
  • The Colorful Ventures(1961ねん10がつ
  • Twist With The Ventures(1962ねん1がつ
  • Twist Party Vol.2(1962ねん5がつ
  • Mashed Potatoes And Gravy(1962ねん8がつ
  • Going To The Ventures Dance Party(1962ねん11月)
  • The Ventures Play Telstar/The Lonely Bull AND Others(1963ねん1がつ
  • Surfing(1963ねん5がつ
  • Bobby Vee Meets The Ventures(1963ねん4がつ)※Caravan 収録しゅうろく(ノーキー・エドワーズばん
  • Play The Country Classics(1963ねん6がつ
  • Let's Go(1963ねん8がつ)※Wipe Out 収録しゅうろく
  • The Ventures in Space(1964ねん1がつ
  • The Fabulous Ventures(1964ねん6がつ
  • Walk Don't Run Vol. 2(1964ねん10がつ
  • Knock Me Out!(1965ねん2がつ
  • The Ventures On Stage(1965ねん6がつ
  • Ventures in Japan(1965ねん8がつ
  • A Go Go(1965ねん9がつ
  • The Ventures Christmas Album(1965ねん11月)
  • Where The Action Is(1966ねん2がつ
  • All About The Ventures(1966ねん3がつ)※邦題ほうだい:Ventures in Japan だいしゅう
  • Batman Theme(1966ねん3がつ
  • Go With The Ventures(1966ねん6がつ
  • Wild Things(1966ねん9がつ
  • The Ventures On Stage Encore!(1967ねん1がつ
  • Guitar Freak Out(1967ねん2がつ
  • Super Psychedelics(1967ねん6がつ
  • Golden Greats BY THE VENTURES(1967ねん9がつ
  • $1,000,000 Weekend(1967ねん11月)
  • The Ventures Live Again!(1968ねん1がつ
  • Flights Of Fantasy(1968ねん5がつ
  • The Horse(1968ねん8がつ
  • The Ventures in TOKYO'68(1968ねん12がつ
  • Underground Fire(1969ねん1がつ
  • Hawaii Five-0(1969ねん5がつ
  • Swamp Rock(1969ねん12がつ
  • More Golden Greats & Others(1970ねん3がつ
  • The Ventures 10th Anniversary Album(1970ねん3がつ
  • Live! The Ventures(1970ねん10がつ
  • New Testament(1971ねん4がつ
  • The Ventures on Stage '71(1971ねん11月)
  • Theme From Shaft(1972ねん1がつ
  • Joy-Ventures Play The Classics(1972ねん3がつ
  • Rock And Roll Forever(1972ねん9がつ
  • The Ventures on Stage '72(1972ねん11月)
  • The Ventures Only Hits!(1973ねん3がつ)※邦題ほうだい:グループ結成けっせい15周年しゅうねんアルバム!「西暦せいれき2001ねん」という邦題ほうだいけられた。
  • The Ventures on Stage '73(1973ねん9がつ)※来日らいにち公演こうえんちゅうにリリースし話題わだいとなる。
  • The Ventures The Jim Croce Song Book(1974ねん4がつ
  • The Ventures Play The Carpenters(1974ねん6がつ
  • The Ventures on Stage '74(1974ねん10がつ
  • Rocky Road(1976ねん3がつ)※ラリー・カールトントム・スコットキム・カーンズ、ウィルトン・フェルダー、デニス・ウィリアムスひとし参加さんか
  • 裕也ゆうや Meets The Ventures(1975ねん10がつ20日はつか)※内田うちだ裕也ゆうや参加さんかしたヴォーカル・アルバム。インストルメンタルばんが『Hollywood Metal Dinamic Sound 3000』という題名だいめい海外かいがい発売はつばいされる。
  • Hollywood Metal Dinamic Sound 3000(1975ねん)※「朝日あさひのあたるいえ」のアコースティックばんなど貴重きちょう音源おんげん満載まんさい。『裕也ゆうや Meets The Venures』のインストルメンタルばん収録しゅうろく国内こくない発売はつばい
  • The Ventures on Stage '75(1975ねん)※大阪おおさかフェスティバルホール札幌さっぽろ厚生こうせい年金ねんきん会館かいかんげんニトリ文化ぶんかホール)で収録しゅうろく音質おんしつにこだわった最高さいこうのライヴアルバムとひょうされている。
  • The Ventures on Stage '76(1976ねん12がつ)※渋谷しぶや公会堂こうかいどう
  • T.V. THEMES(1977ねん
  • The Ventures on Stage '77(1977ねん11月)
  • Surfing U.S.A. '78(1978ねん
  • The Ventures on Stage '78(1978ねん10がつ
  • Latin Album(1979ねん3がつ
  • The Ventures Original Four(1979ねん11月)- はつレコーディング2きょく(太陽たいよう彼方かなたに、そら終列車しゅうれっしゃ)以外いがいさいレコーディング
  • Chameleon(1980ねん6がつ21にち)※坂本さかもと龍一りゅういち細野ほその晴臣はるおみ高橋たかはしユキヒロ竹田たけだ和夫かずおひとしきょく提供ていきょうし、糸井いといしげるさとがアルバムめい曲名きょくめい担当たんとうする。
  • 60's Pop(1981ねん3がつ
  • The Ventures Super Live'80(1980ねん9がつ
  • The Ventures Greatest Hits(1980ねん
  • Live in L.A.(1981ねん
  • Tokyo Callin'(1981ねん8がつ1にち)
  • Pops In Japan'81(1981ねん8がつ1にち)
  • NASA 25th Anniversary Album(1983ねん6がつ
  • ORANGE SISTERS with The Ventures(1983ねん
  • ORIGINAL MEMBER LIVE ´1984(1984ねん)※ノーキー・エドワーズとジェリー・マギー共演きょうえん
  • PLAY SOUTHERN ALL STARS(1990ねん 6がつ30にち
  • LIVE IN JAPAN1990(1990ねん12月12にち
  • PLAY SEASIDE STORY(1991ねん6がつ14にち
  • PLAY MAJOR MOTION PICTURE(1991ねん7がつ26にち
  • SAY YES(1992ねん5がつ20日はつか
  • FLYIN’HIGH(1992ねん6がつ24にち
  • プレイ・だいヒット決定けっていばん(1993ねん7がつ7にち
  • '93 IN JAPAN(1993ねん12月14にち
  • POPS A LA CARTE(1995ねん6がつ16にち
  • WILD AGAIN(1996ねん6がつ12にち
  • WILD AGAIN II - Tribute to Mel Taylor - (1997ねん6がつ18にち
  • WILD AGAIN CONCERT‘97(1998ねん6がつ17にち
  • WALK DON'T RUN 2000(1999ねん5がつ19にち
  • V−GOLD(1999ねん5がつ19にち)※デビューからの既存きそんきょくさい録音ろくおんしたアルバム。
  • PLAY RUNAWAY(1999ねん6がつ17にち)※全曲ぜんきょく1960年代ねんだい〜90年代ねんだい録音ろくおんされたドン・ウィルソンによるボーカルのきょくあつめたアルバム。
  • SPACE 2001(1999ねん6がつ17にち
  • "V−GOLD"LIVE!(1999ねん12月17にち
  • V−GOLD Ⅱ(2000ねん6がつ21にち)※デビューからの既存きそんきょくさい録音ろくおんしただいだん
  • ACOUSTIC ROCK(2000ねん6がつ21にち
  • THE VENTUERS IN JAPAN LIVE 2000(2000ねん12月20にち
  • V−GOLD Ⅲ(2001ねん5がつ16にち)※デビューからの既存きそんきょくさい録音ろくおんしただいさんだん
  • PLAY SOUTHERN ALL STARS 〜 TSUNAMI(2001ねん5がつ16にち
  • 60'S ROCKIN' CHRISTMAS(2001ねん)※ノーキー&ジェリーの共演きょうえん。ドン・ウィルソンのヴォーカルも収録しゅうろく(「京都きょうと慕情ぼじょう」のクリスマスばん
  • V−GOLD LIVE Ⅱ(2001ねん11月21にち
  • HYPER V−GOLD(2002ねん5がつ16にち)※デビューからの既存きそんきょくさい録音ろくおんしただい4だん
  • LIVE IN SEATTLE U.S.A(2002ねん12月18にち
  • Surfin To Baja(2003ねん
  • YOUR HIT PARADE 60s(2003ねん6がつ18にち
  • IN JAPAN LIVE 2002(2003ねん6がつ18にち
  • THE VENTUERS SUMMER & WINTER LIVE(2004ねん
  • DELUXE DOUBLE(2005ねん)※1960年代ねんだいと1990年代ねんだい日本にっぽん公演こうえんのDVD付属ふぞくの2まいぐみベストばん
  • YOUR HIT PARADE Ⅱ(2006ねん6がつ21にち
  • LIVE IN TOKYO 2006(2007ねん6がつ20日はつか
  • ゴー・ゴー・ベンチャーズ(2007ねん)※あたらしくレコーディングした「ダイアモンド・ヘッド収録しゅうろくと、1960年代ねんだいと1990年代ねんだい日本にっぽん公演こうえんのDVD付属ふぞくの2まいぐみベストばん
  • 50周年しゅうねん記念きねんライブ!(2009ねん6がつ17にち
  • ROCKY! THE VENTURES!(2007ねん6がつ27にち
  • プレイ 加山かやま雄三ゆうぞう(2009ねん6がつ17にち
  • IN MY LIFE(2010ねん7がつ7にち
  • 60's ROCKIN‘CHRISTMAS(2010ねん11月3にち)※1965ねんの「The Ventures Christmas Album」のさいろくバージョン。
  • アリガト ジャパン! ドン・ウィルソン・スペシャル・ボックス(2015ねん)※ドン・ウィルソンの来日らいにちツアー引退いんたい記念きねんしてつくられた5まいぐみベストばん発表はっぴょうきょく収録しゅうろく
  • IN JAPAN LIVE 2010(2011ねん5がつ18にち
  • HITS & NEW(2016ねん)※新曲しんきょく5きょく追加ついかしたベストばん
  • Here We Go Again(2018ねん)※げんメンバーのラインナップによるはつのオリジナルアルバム。2まいきゅうメンバーによるベストばん付属ふぞく
  • LIVE AT DARYL'S HOUSE CLUB(2019ねん6がつ19にち)※げんメンバーでのはつのライブばん
  • おもなシングル

    編集へんしゅう
    • いそがばまわ(ウォーク・ドント・ラン)(1960ねん) - 全米ぜんべい2
    • パーフィディア(1960ねん) - 全米ぜんべい15
    • 子守こもりうた(1961ねん) - 全米ぜんべい69
    • ラム・バンク・シャッシュ(1961ねん) - 全米ぜんべい29
    • ブルー・ムーン(1961ねん) - 全米ぜんべい54
    • シルヴァー・シティ(1961ねん
    • ブルー・ムーン(1961ねん
    • イエロー・ジャケット(1961ねん
    • インスタント・マッシュト(1962ねん
    • ロリータ・ヤ・ヤ(1962ねん
    • 2000パウンド・ビー(パート1&2)(1962ねん) - 全米ぜんべい92
    • エル・クンバンチェロ(1963ねん?)
    • ナインス・ウェーヴ(1963ねん
    • ザ・サベージ(1963ねん
    • ほしへの旅路たびじ(1963ねん
    • 逃亡とうぼうしゃ(1963ねん)- アメリカでは「スクラッチン」、日本にっぽんでは「クルーエル・シー」のカップリング。
    • クルーエル・シー(1964ねん) - 日本にっぽんのみAめんで、アメリカでは「きゅうがばまわれ '64」のBめん
    • いそがばまわれ '64(ウォーク・ドント・ラン '64)(1964ねん) - 全米ぜんべい8
    • 10ばんがい殺人さつじん(1964ねん) - 全米ぜんべい35
    • ダイアモンド・ヘッド(1965ねん) - 全米ぜんべい70という結果けっかだったが、日本にっぽんではベンチャーズきょくなかもっと人気にんきたかきょく日本にっぽんばんシングルのカップリングは「朝日あさひのあたるいえ」、どうアメリカばんは「ロンリー・ガール」。
    • スウィンギン・クリーパー(1965ねん
    • パラダイス・ア・ゴー・ゴー(1965ねん
    • ジェミニ(1965ねん
    • たのしいそりすべり(1965ねん)- アメリカのみシングルカット。
    • パイプライン(1965ねん) - 日本にっぽんのみのシングルカットで、アメリカではシングル発売はつばい
    • キャラバン(1965ねん) - 日本にっぽんのみのシングルカットで、アメリカではシングル発売はつばい
    • 秘密ひみつ諜報ちょうほういん(1966ねん) - 全米ぜんべい54
    • ブルー・スター(1966ねん) - 全米ぜんべい120
    • 二人ふたり銀座ぎんざ(1966ねん) - アメリカでは「Ginza Lights」というタイトルで、「Arabesque」のBめんとして発表はっぴょうされたきょく和泉いずみ雅子まさこ山内やまうちけん歌唱かしょうでヒット。日本にっぽんばんシングルのBめんは「きりの8マイル」(エイト・マイルズ・ハイと曲名きょくめい表記ひょうきされたものもあり)。
    • ペネトレイション(1966ねん
    • あおなぎさをぶっとばせ(1967ねん) - 日本にっぽんのみAめんで、アメリカでは「Theme From 'The Wild Angels'」のBめん
    • ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー(1967ねん
    • こい散歩道さんぽみち(1968ねん
    • フライト・オブ・ファンタジー(1968ねん
    • ウォーク・ドント・ラン'68~ダンス天国てんごく(1968ねん
    • ハワイ・ファイブ・オー(1968ねん) - 全米ぜんべい4
    • なつこい(1969ねん) - 全米ぜんべい83
    • 京都きょうとこい(1970ねん
    • ジャガーのテーマ(1970ねん
    • ストアフロント・ロイヤー(1971ねん
    • インディアン・サン(1971ねん
    • さすらいのギター(1971ねん) - 日本にっぽんのみのシングルカットで、アメリカではシングル発売はつばい
    • くろいジャガーのテーマ(1971ねん
    • ジョイ(1971ねん

    ベンチャーズ歌謡かよう

    編集へんしゅう
    • 1966ねん
      • 二人ふたり銀座ぎんざ - Ginza Lights - (和泉いずみ雅子まさこ山内やまうちけん) - 「Ginza Lights」として作曲さっきょくされ、日本語にほんご歌詞かしがついた。
    • 1967ねん
    • 1970ねん
    • 1971ねん
    • 1972ねん
      • 北国きたぐにわかれ - Don't Leave Me - (三枝さえぐさマモル)
      • あめあめ港町みなとちょう - Stormy Night - (桐山きりやま和子かずこ
      • ひとりゆく さすらいたび - Endless Journey - (青木あおきリカ&アルファード)
      • 明日あしたはしる - Electric Monsoon - (里見さとみひろし一番いちばんほし
      • あのひといま札幌さっぽろ - Bondlero - (しゅあきら
      • マジックナイト - Magic Night - (しゅあきら
      • 回転かいてん木馬もくば - Prima Vera - (まきようユミ
    • 1973ねん
      • そよかぜ世界せかい - (須藤すとうとし
    • 1976ねん
    • 1992ねん
      • なつうみよりきよ - Speeding Throufapace - (オリーブ)
      • 共犯きょうはんしゃ - Hollywood Punk - (玲奈れいな
      • 六本木ろっぽんぎストーリー - Midnight Lights - (LILIKO
      • さよならをわないで - (エミー・ジャクソン
    • 1993ねん
      • ふうわらう - Until the End - (鈴木すずき幸治こうじ[72][73]

    NHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん出場しゅつじょうれき

    編集へんしゅう
    年度ねんど/放送ほうそうかい かい 曲目きょくもく
    1991ねん平成へいせい3ねん)/だい42かい はつ 10ばんがい殺人さつじん-ダイアモンド・ヘッド-パイプライン

    脚注きゃくちゅう

    編集へんしゅう
    1. ^ Bush, John. The Ventures Biography - オールミュージック. 2021ねん5がつ16にち閲覧えつらん
    2. ^ Lacitis, Erik (2010ねん6がつ29にち). “Tacoma band The Ventures receives award from emperor of Japan”. The Seattle Times. Seattle TImes Company. 2024ねん5がつ28にち閲覧えつらん
    3. ^ Rosenberg, Stuart (2009). Rock and Roll and the American Landscape: The Birth of an Industry and the Expansion of the Popular Culture, 1955-1969. Bloomington, Indiana: iUniverse. p. 55. ISBN 978-1440164583 
    4. ^ Kielty, Martin (2018ねん3がつ13にち). “Ventures Guitarist Nokie Edwards Dead at 82”. Ultimate Classic Rock. 2024ねん5がつ28にち閲覧えつらん
    5. ^ The Ventures: still rocking after 50 years”. Japan Times. Japan Times. 2018ねん9がつ12にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。12 September 2018閲覧えつらん
    6. ^ Influences Ventures official site
    7. ^ K&K 1995, p. 120-131.
    8. ^ K&K 1995, p. 19-24.
    9. ^ K&K 1995, p. 139.
    10. ^ K&K 1995, p. 24-32.
    11. ^ a b The Ventures AllMusic
    12. ^ K&K 1995, p. 32-36.
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    参考さんこう文献ぶんけん

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    外部がいぶリンク

    編集へんしゅう