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トルネ谷 - Wikipedia

トルネだに(トルネたに)はスウェーデンフィンランド国境こっきょう付近ふきんにあるたに

トルネがわ位置いち

ボスニアわんなかながれるトルネがわにちなんで命名めいめいされた。トルネだにせっしている都市としには、ハパランダ英語えいごばんトルニオユリトルニオ英語えいごばんパヤラ英語えいごばんなどがある。これらの都市としぐんをトルネダーレン(Tornedalen)とう。

トルネがわムオニオがわ英語えいごばん浸食しんしょく作用さようによってたに非常ひじょうおおきくなっている。北部ほくぶ地域ちいきではパルサ英語えいごばんしゅう氷河ひょうが地形ちけいひろがり、一帯いったいには泥炭でいたんボグフェンフラーク英語えいごばんなどの湿地しっちおよびツンドラ小川おがわ淡水たんすいみずうみヒメカンバなどの山岳さんがく地帯ちたいカバノキ森林しんりんおお[1][2]南部なんぶくとチャミズゴケ英語えいごばんスゲミズドクサ英語えいごばんえる草地くさちおよびトウヒぞくマツぞくなどの森林しんりんおおくなる[3][4]

生物せいぶつ北極ほっきょく地域ちいき寒帯かんたいまたは亜寒帯あかんたい生息せいそくしゅおおい。鳥類ちょうるいエリマキシギオオジュリンツメナガホオジロアカエリヒレアシシギヨーロッパムナグロヒドリガモキンクロハジロカワアイサオオハクチョウヒシクイミコアイサハヤブサイヌワシコチョウゲンボウハイイロチュウヒミサゴキョクアジサシホオジロガモなどがられ、とくカモるい渉禽類しょうきんるいわたどりおおい。哺乳類ほにゅうるいオオカミクズリホッキョクギツネなどが生息せいそくしており、ヒグマオオヤマネコユーラシアカワウソられる。河川かせんなかにはブラウントラウトホッキョクイワナ英語えいごばんなどのバルト海ばるとかいサケるいなどが繁殖はんしょくおこなう。一帯いったいにはトナカイ放牧ほうぼくおこなサーミじんおおんでおり、ラムサール条約じょうやく登録とうろくおお[2][3][4][5][6][7][8]

1809ねん以前いぜんはスウェーデンとフィンランドのりょうぞく地域ちいきだった。

フィンランドがロシア帝国ていこく侵略しんりゃくされたときに、はじめてスウェーデンとの国境こっきょうかれて分断ぶんだんされた。ロシア侵略しんりゃく20世紀せいきまでトルネたに周辺しゅうへん住民じゅうみんフィンランド母語ぼごとしているものおおかったが、その学校がっこう教育きょういく普及ふきゅうなどの影響えいきょうによりスウェーデン主流しゅりゅうになった。

フランスによる一大いちだい測地そくち測量そくりょう事業じぎょう

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トルニオ教会きょうかい教会きょうかいとう尖塔せんとうは、モーペルテュイらの測量そくりょう目標もくひょうぶつのひとつとして使つかわれた。教会きょうかい1686ねんにMatti Joosepinpoika Härmäにより建立こんりゅうされた。

1736ねんから1737ねんにかけて、フランス科学かがくアカデミー地球ちきゅう形状けいじょう測定そくていするための測量そくりょう事業じぎょう挙行きょこうした。測量そくりょう遠征えんせいたいのうちいちたい赤道あかみち付近ふきん測量そくりょうおこなうためペルー現在げんざいエクアドル)へ、もういちたい北極圏ほっきょくけん付近ふきん測量そくりょうおこなうためトルネだに派遣はけんされた。

トルネたに測量そくりょうたいピエール・ルイ・モーペルテュイひきいることとなり、スウェーデンの代表だいひょうとして、アンデルス・セルシウスいちたいくわわった。いちたいは1736ねん6がつ19にちにトルニオりし、翌年よくねんの6がつ10日とおかにフランスへの帰路きろった。かれらは緯度いど1相当そうとうする子午線しごせんちょうをおおよそ111kmともとめた。測量そくりょうした子午線しごせん南端なんたんはトルニオ教会きょうかい教会きょうかいとう北端ほくたんはキッティスヴァーラのおかであった[9]子午線しごせんちょう測定そくてい結果けっか、モーペルテュイいちぎょう地球ちきゅう形状けいじょうについて、アイザック・ニュートン予想よそうしたとおり、ごく方向ほうこう扁平へんぺいしたひらただまであることを証明しょうめいすることができた。

このときの旅程りょてい様子ようすしるしたモーペルテュイと測量そくりょうたい一員いちいんであったレジノー・ウーティエ書物しょもつ[10][11]には、18世紀せいき当時とうじラップランドにおける自然しぜん文化ぶんかについてのおおくの記述きじゅつがあり、おおくの旅行りょこうしゃをトルネだにへといざなうものとなっている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Tavvavuoma | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2017ねん4がつ6にち). 2023ねん4がつ19にち閲覧えつらん
  2. ^ a b Pirttimysvuoma | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2017ねん7がつ13にち). 2023ねん4がつ19にち閲覧えつらん
  3. ^ a b Sotkavuoma Mires | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2005ねん1がつ1にち). 2023ねん4がつ19にち閲覧えつらん
  4. ^ a b Teuravuoma - Kivijärvenvuoma Mires | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2005ねん1がつ1にち). 2023ねん4がつ19にち閲覧えつらん
  5. ^ Lätäseno-Hietajoki Mires | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2005ねん1がつ1にち). 2023ねん4がつ19にち閲覧えつらん
  6. ^ Mannavuoma | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2017ねん10がつ14にち). 2023ねん4がつ19にち閲覧えつらん
  7. ^ Vasikkavuoma | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2017ねん4がつ6にち). 2023ねん4がつ19にち閲覧えつらん
  8. ^ Kainuunkylä Islands | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2005ねん1がつ1にち). 2023ねん4がつ19にち閲覧えつらん
  9. ^ 小惑星しょうわくせいキッティスヴァーラはこのときの測量そくりょう作業さぎょう選定せんてい場所ばしょちなんでそのがつけられた。
  10. ^ Maupertuis, P. L. (1738): La figure de la terre: déterminée par les observations de Messieurs de Maupertuis, Clairaut, Camus, Le Monnier, de l'Académie royale des Sciences, & de M. l'abbe Outhier, correspondant de la même académie, accompagnés de M. Celsius, professeur d'astronomie a Upsal, faites par ordre du Roy au cercle polaire, De l'Imprimerie Royale, Paris
  11. ^ Outhier, R. (1744): Journal d'un voyage au Nord: en 1736 et 1737, De l'Imprimerie De Jean-Baptiste Coignard, Parisおよ同書どうしょ掲載けいさいされた挿絵さしえ[1]復刻ふっこくばん: Nabu Press (2010), ISBN 9781142718312

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク