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ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボーン - Wikipedia

ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボン・イ・マルティネス=ボルディウスペイン: Luis Alfonso de Borbón y Martínez-Bordiú, 1974ねん4がつ25にち - )は、スペイン経営けいえいしゃ銀行ぎんこうフランス王位おうい請求せいきゅうしゃ

Luis Alfonso

ルイス・アルフォンソ
ルイス・アルフォンソ(2015ねん5がつ31にち
生誕せいたん (1974-04-25) 1974ねん4がつ25にち(50さい
スペインの旗 スペインマドリード
別名べつめい
宗教しゅうきょう キリスト教きりすときょうカトリック教会きょうかい
配偶はいぐうしゃ マリア・マルガリータ・バルガス・イ・サンタエージャ
子供こども
おや ちちカディスこうスペインばんアルフォンソ
ははだい2だいフランコおんなこうカルメン・マルティネス=ボルディウ
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ボルボンスペイン・ブルボン)の一族いちぞくで、レジティミストフランス語ふらんすご: légitimistes正統せいとう王朝おうちょう主義しゅぎしゃ)がブルボンあさのフランス王位おうい継承けいしょうしゃ主張しゅちょうしている。フランス王位おうい請求せいきゅうしゃとしてはフランスおうルイ20せいフランス語ふらんすご: Louis XX[1]アンジューこうルイ・ド・ブルボン(フランス語ふらんすご: Louis de Bourbon)の称号しょうごう使用しよう

フランスおうルイ14せいまごのスペイン国王こくおうフェリペ5せい子孫しそんにあたることが根拠こんきょになっているが、フェリペ5せいは1713ねんユトレヒト条約じょうやくでフランス王位おうい請求せいきゅうけん放棄ほうきしていることから、オルレアニストオルレアン王朝おうちょう)はかれをフランスおうとするのは適格てきかく主張しゅちょうしている[2]

スペインおうアルフォンソ13せい次男じなんセゴビアこうスペインばんハイメ・デ・ボルボン嫡流ちゃくりゅうまごであるが(げんスペイン王室おうしつはアルフォンソ13せいよんなん系譜けいふ)、セゴビアこう聴覚ちょうかく障害しょうがいのためにスペイン王位おうい継承けいしょうけん放棄ほうきしたため、ルイス・アルフォンソにスペインの王位おうい継承けいしょうけんはない。スペイン総統そうとうフランシスコ・フランコヴィクトリア女王じょおう子孫しそんでもある[3]

経歴けいれき

編集へんしゅう

1974ねん、スペインおうアルフォンソ13せい次男じなんセゴビアこうスペインばんハイメ・デ・ボルボン長男ちょうなんであるカディスこうスペインばんアルフォンソ・デ・ボルボン・イ・ダンピエレ次男じなんとしてマドリードまれた。ははであるだい2だいフランコおんな公爵こうしゃくドニャマリア・デル・カルメン・マルティネス=ボルディウ・イ・フランコ総統そうとうフランシスコ・フランコむすめカルメン・フランコむすめであり、したがってルイス・アルフォンソはフランコ総統そうとう曾孫そうそんにあたる。

1975ねん3がつ20日はつか、アンジューおおやけおよびセゴビアこうしょうしていた祖父そふハイメ(“フランスおうアンリ6せい”)の死去しきょにより、ちちアルフォンソが“フランスおうアルフォンス2せい”となり、同時どうじにアンジューこう称号しょうごう継承けいしょうした。ルイス・アルフォンソは1981ねん9月19にちちちからトゥーレーヌこうフランス語ふらんすごばんじょされ、1984ねん2がつ7にちあにフランシスコスペインばん自動車じどうしゃ事故じこ死去しきょしたため、わってブルボンおおやけ称号しょうごうびた。

1989ねん1がつ30にちちちアルフォンソがアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくコロラドしゅうのビーヴァー・クリークでのスキー事故じこにより死去しきょした。これをけて、ルイス・アルフォンソが正統せいとう支持しじするフランス王家おうけちょう“ルイ20せい”となり、アンジューこう称号しょうごう継承けいしょうした。ただしカディスこう称号しょうごうは、スペイン政府せいふ1987ねんに、世襲せしゅう称号しょうごうではなくこの称号しょうごうはスペイン王室おうしつのみにぞくすると主張しゅちょうしたため、もちいていない。

ルイス・アルフォンソはリセ・フランセ・ド・マドリード英語えいごばんとおったのち大学だいがく経済けいざいがくまなび、BNPパリバマドリードに勤務きんむした。ははのいるフランスを定期ていきてきおとずれてはいるものの、もっぱらスペインでらしている。2003ねん11月にベネズエラ出身しゅっしんマリア・マルガリータ・バルガス・イ・サンタエージャ英語えいごばんとの婚約こんやく発表はっぴょうされ、よく2004ねん11月にドミニカ共和国どみにかきょうわこくラ・ロマーナ結婚式けっこんしきげた。しかし、スペイン国王こくおうフアン・カルロス1せいやスペイン王族おうぞくはこの結婚式けっこんしき出席しゅっせきしなかった。これはフアン・カルロス1せいが、自身じしん父方ちちかたしたがえおいにあたるルイス・アルフォンソがボルボン傍系ぼうけいげんスペイン王家おうけ系統けいとう嫡流ちゃくりゅうとする場合ばあい)にもかかわらず、アンジューこうおよびフランス王家おうけちょう称号しょうごう名乗なのっていることをこのんでいないのが理由りゆうわれている。ルイス・アルフォンソとマリア・マルガリータの2人ふたりは、2005ねんからベネズエラでらしていた。

ルイス・アルフォンソは、2006ねんははマリア・デル・カルメンの3度目どめ結婚式けっこんしき出席しゅっせきしなかった。これはかれが、ははセレブリティてき生活せいかつかんと、自身じしん尊敬そんけいするはは前夫ぜんふジャン=マリー・ロッシからの離婚りこんきらっていたからだとわれている。

2007ねん3月5にちむすめのエウヘニア(Eugenia)がまれた。エウヘニアは同年どうねん6がつにパリ駐在ちゅうざいローマ教皇きょうこうちょう外交がいこう使節しせつかん教皇きょうこう使節しせつフォルトゥナート・バルデッリ英語えいごばんから洗礼せんれいけた。フランスの正統せいとうはエウヘニアを王女おうじょウジェニー・ド・ブルボンEugénie de Bourbon殿下でんかとしてみとめているが、スペインではドニャ・エウヘニア・デ・ボルボン・イ・バルガス閣下かっかばれる。

2010ねん5月28にち双子ふたご息子むすこルイスLuis)とアルフォンソ(Alfonso)がまれた。双子ふたごは9月5にちサン・ピエトロだい聖堂せいどうで、教皇きょうこうそう代理だいりアンジェロ・コマストリ枢機卿すうききょうから洗礼せんれいけた。ルイス・アルフォンソは長男ちょうなんルイスをブルゴーニュこうに、次男じなんアルフォンソをベリーこうじょした。ルイスはドーファンルイ・ド・ブルボンとして正統せいとう主張しゅちょうする次代じだいのフランス王位おうい継承けいしょうしゃとなる。息子むすこたちはスペインにおいてそれぞれドンルイス・デ・ボルボン・イ・バルガスかく、ドン・アルフォンソ・デ・ボルボン・イ・バルガス閣下かっかばれる。2019ねん2がつ1にちだい4であるエンリケが誕生たんじょう。トゥーレーヌこうじょされた。

同年どうねん11がつ8にち正統せいとう組織そしきであるブルボン協会きょうかいへの関与かんよりやめ、あらたにアンジュー公爵こうしゃく協会きょうかいフランス語ふらんすごばん設立せつりつした。しかし2015ねんはいってどう協会きょうかい解散かいさんし、ふたたびブルボン協会きょうかい合流ごうりゅうした。

2014ねん8がつ25にちには、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくミズーリしゅうセントルイスから名誉めいよ市民しみん称号しょうごうおくられた。

2018ねん3がつ祖母そぼである初代しょだいフランコおんな公爵こうしゃくカルメン・フランコ死去しきょまで名誉めいよ議長ぎちょうつとめていたフランシスコ・フランコ財団ざいだんスペインばん名誉めいよ議長ぎちょう就任しゅうにんし、曾祖父そうそふのフランコ総統そうとうおとしめようとするペドロ・サンチェス政権せいけん反対はんたいしている[4]

フランス王位おうい請求せいきゅうしゃとして

編集へんしゅう
 
ブーヴィーヌのたたか800周年しゅうねん記念きねん式典しきてんで(2014ねん7がつ

1992ねん8がつ25にち、ルイス・アルフォンソはエーグ=モルトルイ9せい建設けんせつしたまち)の名誉めいよ町民ちょうみんごう当時とうじ町長ちょうちょうだったルネ・ジャノからおくられた[5]

フェリペ5せいユトレヒト条約じょうやくでフランス王位おうい継承けいしょうけん放棄ほうきしたこと[6]は、レジティミストとオルレアニストあいだながらく論争ろんそうたねとなっている。レジティミストは、フランス王位おういサリカしき継承けいしょうほうしたがってさだめられており、いかなる条約じょうやくもフランスの王位おうい継承けいしょう干渉かんしょうすることはできないと主張しゅちょうしている。

1994ねん6がつ16にちルイ16せいアメリカ独立どくりつ戦争せんそう支援しえんしたことから、ブルボン家長かちょうとしてフランスのシンシナティ協会きょうかい正会員せいかいいんとなった。

2010ねん12月、フランス革命かくめいのちられたアンリ4せい頭部とうぶサン=ドニだい聖堂せいどう改葬かいそうするためにニコラ・サルコジ大統領だいとうりょう協力きょうりょくもとめて、一旦いったん了承りょうしょうされたが、政権せいけんわってフランソワ・オランド大統領だいとうりょうになると、これを却下きゃっかされた。

称号しょうごう

編集へんしゅう

現在げんざいルイス・アルフォンソがゆうしている称号しょうごうは、以下いかとおりである。

オルレアン支持しじするフランスおう、“フランスじんおうアンリ7せい”ともばれるパリはくけんフランスこうアンリ2004ねんに、アンジューこう称号しょうごうおいシャルル=フィリップあたえた。アンリはまた1987ねんから1989ねんに、正統せいとう支持しじするフランス王家おうけちょうであるルイス・アルフォンソが、オルレアン支持しじするフランス王家おうけちょうである自身じしん主張しゅちょうはんしてアンジューこうおよびフランス王家おうけちょう称号しょうごう名乗なのっていることとフランス王室おうしつ紋章もんしょう使用しようしていることは違法いほうであるとして、フランスの裁判所さいばんしょ提訴ていそした。法廷ほうていは、現在げんざいのフランスは王国おうこくでなく共和きょうわこくであり、このような訴訟そしょうはフランス共和きょうわこく関係かんけいなしとして、うったえを退しりぞけた。現在げんざい、アンジューこう称号しょうごうはルイス・アルフォンソとシャルル=フィリップとのあいだ競合きょうごう状態じょうたいにある。

フランス法務省ほうむしょうはルイス・アルフォンソを(スペイン王族おうぞくとして)“殿下でんか”のしょうんでいる。スペインでは“閣下かっか”とばれる。

現在げんざいのスペイン憲法けんぽうはフアン・カルロス1せい子孫しそんにのみ王位おうい継承けいしょうけんみとめており、ルイス・アルフォンソ一家いっか該当がいとうしない。ただし、もし王位おうい継承けいしょうけんしゃえた場合ばあいには議会ぎかいしん国王こくおう選定せんていするが、そのさいにルイス・アルフォンソやその特定とくていしゃ排除はいじょする規定きていがあるわけではない。フランコ主義しゅぎしゃなかには、ルイス・アルフォンソをしんのスペイン国王こくおうとして推戴すいたいするものもいる[7]

ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボーンの系譜けいふ
16. スペインおうアルフォンソ12せい
8. スペインおうアルフォンソ13せい
17. マリア・クリスティーナ・デ・アウストリア
4. セゴビアこうスペインばんハイメ・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグ
18. ヘンリー・オブ・バッテンバーグ
9. ビクトリア・エウヘニア・デ・バッテンベルグ
19. ベアトリス
2. カディスこうスペインばんアルフォンソ・デ・ボルボン・イ・ダンピエレ
20. 初代しょだいサン・ロレンツォ公爵こうしゃくリチャード・デ・ダンピエレ
10. 3だいサン・ロレンツォ公爵こうしゃくロゲル・デ・ダンピエレ
21. Jeanne Marie Carraby
5. エマヌエラ・デ・ダンピエレスペインばん
22. 初代しょだいポッジョ・スアーザ公爵こうしゃくエマヌエル・ルスポリ
11. ポッジョ・スアーザおんな公爵こうしゃくヴィットーリア・ルスポリ
23. Josephine Mary Beers-Curtis
1. ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボン
24.アンドレス・マルティネス・イ・コド・デ・グスマン
12. ホセ・マリア・マルティネス・イ・オルテガ
25. カタリナ・オルテガ・イ・トレド
6. 10代ビリャベルデこうクリストバル・マルティネス=ボルディウ
26. クリストバル・ボルディウ・イ・デ・プラット
13. 9だいビリャベルデおんなこうマリア・デ・ラ・オ・エスペランサ・ボルディウ・イ・バスカラン
27. マリア・デ・ラ・オ・デ・バスカラン・イ・レイナ
3. 2だいフランコおんなこうマリア・デル・カルメン・マルティネス=ボルディウ・イ・フランコ
28. ニコラス・フランコ・イ・サルガド=アラウホ
14. 総統そうとうフランシス・フランコ・イ・バアモンデ
29. マリア・デル・ピラール・バアモンデ・イ・パルド・デ・アンドラーデ
7. 初代しょだいフランコおんなこうカルメン・フランコ・イ・ポロ
30. フェリペ・ポロ・イ・フロレンス・デ・ベレテラ
15. 初代しょだいメイラスおんなきょうスペインばんマリア・デル・カルメン・ポロ・イ・マルティネス=バルデス
31. ラモナ・マルティネス・バルデス・イ・マルティネス=バルデス

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Ardisson, Thierry, Louis XX: Contre-enquête sur la monarchie, 1986. ISBN 978-2855653341.
  2. ^ Opfell, Olga S. (2001). Royalty Who Wait: The 21 Heads of Formerly Regnant Houses of Europe. McFarland & Company. ISBN 978-0-7864-0901-3 
  3. ^ Eilers, Marlene A. Queen Victoria's Descendants. Princess Beatrice. Rosvall Royal Books, Falkoping, Sweden, 1997. pp. 166, 181; ISBN 91-630-5964-9
  4. ^ “Luis Alfonso de Borbón becomes ‘king’ of the Franco faithful”. エル・パイス. (2018ねん9がつ20日はつか). https://elpais.com/elpais/2018/09/19/inenglish/1537358338_305064.amp.html 2021ねん4がつ11にち閲覧えつらん 
  5. ^ Aigues-Mortes : le prince Louis de Bourbon célèbre Saint Louisフランス語ふらんすご
  6. ^ ユトレヒト条約じょうやく(1713)(歴史れきし文書ぶんしょ邦訳ほうやくプロジェクト)”. 2014ねん7がつ14にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2007ねん11月15にち閲覧えつらん
  7. ^ “"Eres nuestro rey": por qué los ultras aclaman a Luis Alfonso en plena crisis en Zarzuela”. EL ESPAÑOLスペインばん. (2018ねん7がつ17にち). https://www.elespanol.com/reportajes/20180717/ultras-aclaman-luis-alfonso-plena-crisis-zarzuela/322968775_0.html 2019ねん12月26にち閲覧えつらん 

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • Thierry Ardisson. Louis XX. Contre-enquête sur la monarchie., Olivier Orban, 1986, ISBN 2-85565-334-7
  • Jean Foyer, Titre et armes du prince Louis de Bourbon, Diffusion-Université-Culture, 1990.
  • Apezarena, José. Luis Alfonso de Borbón: Un príncipe a la espera. Forthcoming.
  • Cassani Pironti, Fabio. "Bref crayon généalogique de S.A.R. la Princesse Marie-Marguerite, Duchesse d'Anjou, née Vargas Santaella", Le Lien Légitimiste, n. 16, 2007.
  • Opfell, Olga S. H.R.H. Louis-Alphonse, Prince of Bourbon, Duke of Anjou: Royal House of France (House of Bourbon), Royalty Who Wait: The 21 Heads of Formerly Regnant Houses of Europe. Jefferson: McFarland & Company, Inc., Publishers, 2001. 11-32.
ルイス・アルフォンソ
カペーいえ分家ぶんけ

1974ねん4がつ25にち - 存命ぞんめいちゅう

フランスの爵位しゃくい
先代せんだい
アルフォンソ2せい
アンジューこう
1989ねん1がつ30にち現在げんざい
現職げんしょく
推定すいてい相続そうぞくじん
ブルゴーニュこうルイ
先代せんだい
フランソワ・ド・ブルボンスペインばん
ブルボンおおやけ
1984ねん9がつ27にち現在げんざい
新設しんせつ トゥーレーヌこうフランス語ふらんすごばん
1981ねん9がつ19にち – 1984ねん9がつ27にち
アンリフランス語ふらんすごばん付与ふよ
請求せいきゅう称号しょうごう
先代せんだい
アルフォンソ2せい
— 名目めいもくじょう —
フランスおうナバラ王らおう
正統せいとう王朝おうちょう主張しゅちょうによる
1989ねん1がつ30にち現在げんざい
継承けいしょう失敗しっぱい理由りゆう
1830ねんのブルボンあさ廃止はいし
現職げんしょく
推定すいてい相続そうぞくじん
ブルゴーニュこうルイ