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ロックステディ - Wikipedia

ロックステディ

ジャマイカで流行りゅうこうしたポピュラー音楽おんがくのジャンル

ロックステディ(rocksteady)は、1966ねんから1968ねんあいだジャマイカ流行りゅうこうしたポピュラー音楽おんがく一種いっしゅスカ[1]レゲエ中間ちゅうかん時代じだい流行りゅうこうした。

ロックステディ
Rocksteady
様式ようしきてき起源きげん
文化ぶんかてき起源きげん 1960年代ねんだい中期ちゅうきジャマイカの旗 ジャマイカ
派生はせいジャンル レゲエ
融合ゆうごうジャンル
レゲエ・フュージョン
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歴史れきし 編集へんしゅう

黎明れいめい 編集へんしゅう

スカ時代じだいが1962ねんから1966ねんごろだったのにたいして、ロックステディの時代じだいみじかく、1966ねんから1968ねんごろまでだった[2]。この時期じきはジャマイカの音楽おんがく産業さんぎょうにとっても、おおきな発展はってんげた時代じだいだった。スカ時代じだいコクソン・ドッドデューク・リードだいサウンド・システム/レーベルが、より明確めいかく音楽おんがくビジネスをおこなうようになった。ロックステディの名前なまえは、アルトン・エリスきょく「ロックステディ」でうたわれたダンスのスタイルに由来ゆらいする。ロックステディの歌詞かし恋愛れんあいについてがおおく、ルードボーイについてうたわれたが、レゲエ台頭たいとうするにつれ、ラスタファリなどの歌詞かしへの変化へんかられた。

プロデューサーのデューク・リードは、スカの時代じだいにはライバルのコクソン・ドッドがスカタライツをプロデュースするなどしてスタジオ・ワンおおきくみずをあけられていたが、ロックステディの時代じだい到来とうらいをチャンスととらえた。かれトレジャー・アイル・レーベルから、アルトン・エリス[注釈ちゅうしゃく 1]の「ガール・アイヴ・ガット・ア・デイト」をリリースしヒットした。同様どうようテクニークス、シルバートーンズ、ジャマイカンズパラゴンズといったバンド録音ろくおんした。これらのバンドとのデューク・リードの仕事しごとは、ロックステディのうたサウンド確立かくりつするのをたすけた。デルロイ・ウィルソンボブ・アンディケン・ブース、フィリス・ディロン(ロックステディの女王じょおうとしてられる)などのソロシンガーたちをした。

デューク・リードによるミュージシャンのきによってコクソン・ドッドは一時いちじてき凋落ちょうらくする。しかし、キーボード奏者そうしゃジャッキー・ミットゥ中心ちゅうしんにしたハウスバンドの演奏えんそうで、アルトン・エリス(デューク・リードがわからふたたく)、ケン・ブース、デルロイ・ウィルソンらのきょくをレコーディングした。その一躍いちやく人気にんきグループとなったヘプトーンズもコクソンのしたでデビューした。ヘプトーンズの登場とうじょうによって、ふたただいサウンド・システム/レコード・レーベルは均衡きんこうたもたれた。

アルトン・エリスはかれのヒットきょく「ガール・アイヴ・ガット・ア・デイト」によってロックステディのちち一般いっぱんわれているが、最初さいしょのロックステディのシングルのほか候補こうほとしては、ホープトン・ルイスの「テイク・イット・イージー」、デリック・モーガンの「タファー・ザン・タフ」、ロイ・シャーリーの「ホールド・デム」がふくまれる。

全盛期ぜんせいき 編集へんしゅう

音楽おんがくビジネスが成長せいちょうするにしたがって、それまではジャズなどの音楽おんがく才能さいのうあふれた演奏えんそうめていたスカの時代じだいから、どう時期じきアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく音楽おんがく(ソウルやR&Bなど)におおくの影響えいきょうけたおな世代せだいのミュージシャンが輩出はいしゅつした。この時期じき重要じゅうようだったミュージシャンは、ギタリストリン・テイト、キーボード奏者そうしゃジャッキー・ミットゥ、ドラマーのウインストン・グレナン、ベースのジャッキー・ジャクソン、サックス奏者そうしゃトミー・マクックなどがいる。

トリニダードとうまれのリン・テイトはアレンジ才能さいのうあふれ、1962ねんにジャマイカに移住いじゅうし、1968ねんにカナダに移住いじゅうするまでの期間きかんメントカリプソ影響えいきょうけたギター演奏えんそうがロックステディのゆるリズムにマッチした。

ジャッキー・ミットゥは、スカタライツに参加さんかし、1965ねんのオリジナル・スカタライツ解散かいさんはコクソン・ドッドのしたでソウル・ブラザース(のちにソウル・ベンダーズ)を結成けっせい。スタジオ・ワンさんのロックステディのきょくつくった。

1960年代ねんだい後半こうはんに、いくつかの要素ようそがロックステディからレゲエへと発展はってんさせた。変化へんかひとつの要因よういんには、ロックステディのアレンジのかぎにぎっていたジャッキー・ミットゥやリン・テイトがカナダに移住いじゅうするなど、おおくの音楽家おんがくかがジャマイカをはなれたことがげられる。また、ジャマイカのスタジオ技術ぎじゅつ近代きんだいにより、音質おんしつ録音ろくおんのスタイルに顕著けんちょ効果こうかがあった。ベースのパターンはより複雑ふくざつで、サウンドのなかでも目立めだつようになり、ピアノ電子でんしオルガンってわられた。ホーンをれない傾向けいこうつよまり、リズムギターはますますパーカッシブに、ドラムはより正確せいかく複雑ふくざつなスタイルに変化へんかした。

1970年代ねんだい初期しょきには、ラスタファリ運動うんどういきおいをして、楽曲がっきょくはそれまでの恋愛れんあいについてよりも、黒人こくじんとしての自覚じかく政治せいじたいする抗議こうぎ、あるいは大麻たいまジャーたたえる内容ないようえてきた。ロックステディは、ジャマイカのポピュラー音楽おんがくなかでは短命たんめいであったが、この時期じきからリディム使つかいまわしというジャマイカ音楽おんがく特有とくゆう音楽おんがく手法しゅほうまれ、アルトン・エリスの「マッド・マッド」のリディムはのちイエローマン「ズングズンググズングゼン」に流用りゅうようされ、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくヒップホップもクールハークがつたえたDJの手法しゅほうから発展はってんしていった。ジャマイカの音楽おんがく欧米おうべい音楽おんがくでも、もともとはロックステディでつくられたおおくのベースラインが引用いんようされつづけており、のちつづくレゲエとそのダンスホールレゲエにも多大ただい影響えいきょうあたえている。

音楽おんがくてき特徴とくちょう 編集へんしゅう

ロックステディのダンスは、初期しょき躍動やくどうてきスカのダンスにくらべてゆるやかなスタイルである。ロックステデイは、よりゆっくりしたテンポ管楽器かんがっき使用しよう減少げんしょう、ベースの役割やくわり変容へんようにおいてスカとことなっている。スカでは、ベースパートはウォーキング・ベースとばれるスタイルで均等きんとうよんふん音符おんぷプレイする傾向けいこうがあるが、ロックステディにおいては、ベース部分ぶぶんはしばしばギターリフかさねられて、メロディアスで反復はんぷくせいのあるリフをもちい、シンコペーション強調きょうちょうして演奏えんそうされた。

ロックステディの時代じだいには、コーラスグループ活躍かつやくした。ウェイラーズ、ゲイラッズ、トゥーツ&ザ・メイタルズ[注釈ちゅうしゃく 2]パラゴンズメロディアンズ、カールトン&ザ・シューズ、テクニークスといったジャマイカのコーラスグループは、しばしばアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくリズム・アンド・ブルースソウルミュージックのヒットきょくをカバーした。いずれも三位一体さんみいったい思想しそう影響えいきょうから3人組にんぐみのコーラスグループであり、どう時期じきアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく流行りゅうこうしたソウルのコーラスグループ(たとえばインプレッションズなど)を参考さんこうにして、うつくしいハーモニーでかせるスタイルをとっている。

ルードボーイ 編集へんしゅう

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ 「ロックステディ」のヒットで有名ゆうめいな「ミスター・ソウル・オブ・ジャマイカ」。ホーテンス・エリスも歌手かしゅである。
  2. ^ 「ドゥ・ザ・レゲエ」や「モンキーマン」などのきょくられている。

出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ http://jamaicansmusic.com/learn/origins/ska
  2. ^ Rocksteady: The Roots of Reggae”. BBC. 2011ねん10がつ28にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク 編集へんしゅう