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三池丸級貨客船 - Wikipedia

三池みいけまるきゅう貨客船かきゃくせん

三池みいけまるから転送てんそう

三池みいけまるきゅう貨客船かきゃくせん(みいけまるきゅうかきゃくせん)とは、かつて日本郵船にっぽんゆうせん所有しょゆうしていた貨客船かきゃくせんのクラスのひとつで、優秀ゆうしゅう船舶せんぱく建造けんぞう助成じょせい施設しせつ適用てきようけて三菱みつびし長崎造船所なかざきぞうせんじょで4せき建造けんぞう計画けいかくされたが、うち1せき建造けんぞう中止ちゅうしとなり、1941ねん昭和しょうわ16ねん)から1943ねん昭和しょうわ18ねん)にかけて3せき竣工しゅんこうした。しかし、竣工しゅんこう時期じき太平洋戦争たいへいようせんそう間近まぢかおよび開戦かいせんとなったため商業しょうぎょう航海こうかいおこなうことはかなわず、3せきすべてがちょう傭船ようせんなどとして運航うんこうされた。また、計画けいかく図面ずめんどお竣工しゅんこうしたのは1せきのみで、のこる2せき大幅おおはば簡略かんりゃくされた状態じょうたい竣工しゅんこうした。ぜんふね太平洋戦争たいへいようせんそう喪失そうしつし、戦後せんご残存ざんそんせんはない。

三池みいけまるきゅう貨客船かきゃくせん
三池みいけまる
基本きほん情報じょうほう
ふねしゅ 貨客船かきゃくせん
運用うんようしゃ 日本郵船にっぽんゆうせん
船舶せんぱく運営うんえいかい
 大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
建造けんぞうしょ 三菱みつびし長崎造船所なかざきぞうせんじょ
建造けんぞう 三池みいけまる:800まんえん建造けんぞう助成じょせいきんふくむ)
阿波あわまる:834まんえん建造けんぞう助成じょせいきんふくむ)
建造けんぞう期間きかん 1940ねん – 1943ねん
就航しゅうこう期間きかん 1941ねん – 1945ねん
計画けいかくすう 4せき (うち1せき中止ちゅうし)
建造けんぞうすう 3せき (すべ喪失そうしつ)
まえきゅう 氷川丸ひかわまるきゅう貨客船かきゃくせん
賀茂かもまるきゅう貨客船かきゃくせん航路こうろ就航しゅうこうせんとしてのまえきゅう
要目ようもく (三池みいけまる)
総トン数そうとんすう 11,738トン
載貨さいか重量じゅうりょう 9,082 トン
垂線すいせんあいだちょう 154.85 m
はば 20.00 m
喫水きっすい 12.60 m
しゅ機関きかん ディーゼル機関きかん 22じく
13,752 軸馬力じくばりき
速力そくりょく 20.6ノット
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ほんこうではおもに、建造けんぞう背景はいけい特徴とくちょう個々ここふねについて説明せつめいする。

建造けんぞうまでの背景はいけい

編集へんしゅう

日本にっぽん政府せいふ1937ねん昭和しょうわ12ねん)に優秀ゆうしゅう船舶せんぱく建造けんぞう助成じょせい施設しせつ施行しこうし、日本郵船にっぽんゆうせん逓信ていしんしょうから優秀ゆうしゅうせん建造けんぞう意向いこう打診だしんされ、船舶せんぱく改善かいぜんのために優秀ゆうしゅう船舶せんぱく建造けんぞう助成じょせい施設しせつによって7せき9まん4500トンの新造しんぞう優秀ゆうしゅう貨客船かきゃくせん建造けんぞうすることとなった[1]対象たいしょう欧州おうしゅう航路こうろ、シアトル航路こうろ南米なんべい西岸せいがん航路こうろおよび豪州ごうしゅう航路こうろかく就航しゅうこうせんで、欧州おうしゅう航路こうろけにはしん田丸たまるきゅう貨客船かきゃくせん建造けんぞうしてはいする予定よていであった。一方いっぽう、シアトル航路こうろ南米なんべい西岸せいがん航路こうろ豪州ごうしゅう航路こうろかんしては、優秀ゆうしゅうせん投入とうにゅう既存きそんせん振替ふりかえわせで船舶せんぱく改善かいぜんはかることとなったが、それにともなってりょう航路こうろ以外いがいでもだい規模きぼ振替ふりかえ予定よていされていた[1]当時とうじ、シアトル航路こうろ南米なんべい西岸せいがん航路こうろ豪州ごうしゅう航路こうろ就航しゅうこうせん以下いかのとおりであった(貨物かもつせんのぞく)。

シアトル航路こうろ就航しゅうこう氷川丸ひかわまるきゅう貨客船かきゃくせんは3せきとも1930ねん昭和しょうわ5ねん)と比較的ひかくてきあたらしかったが、豪州ごうしゅう航路こうろ就航しゅうこうの3せき1908ねん明治めいじ41ねん)から1909ねん明治めいじ42ねん)に建造けんぞう船齢せんれい30ねんちょう、かつて欧州おうしゅう航路こうろいていた賀茂かもまるきゅう貨客船かきゃくせん構成こうせいされており、 南米なんべい西岸せいがん航路こうろ1926ねん大正たいしょう15ねん)3がつ東洋とうよう汽船きせん定期ていき航路こうろ部門ぶもん継承けいしょうし、1921ねん大正たいしょう10ねん)から1924ねん大正たいしょう13ねん)の建造けんぞうの4せき、「あんひろしまる」(9,534トン)「ぎんようまる」(8,613トン)「らくようまる」(9,418トン)「ぼくひろしまる」(8,619トン)が就航しゅうこう命令めいれい航路こうろ就航しゅうこうせんとしては速力そくりょくちて陳腐ちんぷはなはだしく、すであんひろしまる代替だいたい1930ねん昭和しょうわ5ねん)4がつたいらひろしまる(9,816 トン)を新造しんぞう就航しゅうこうさせ「ぎんようまる」をうたてはいし3せき体制たいせいとしていたがさらに「らくようまる」は1936ねん昭和しょうわ11ねん)2がつ受命じゅめい資格しかく喪失そうしつしており、「ぼくひろしまる」も1939ねん昭和しょうわ14ねん)5がつ資格しかくうしなうことになっていた[1]1939ねん昭和しょうわ14ねん)7がつ18にち太平洋たいへいようじょう火災かさいにより沈没ちんぼつ。)。氷川丸ひかわまるきゅう貨客船かきゃくせん自体じたいも、サンフランシスコ航路こうろ就航しゅうこう浅間あさままるきゅう貨客船かきゃくせんカナダ太平洋たいへいよう汽船きせん英語えいごばん貨客船かきゃくせんとの競争きょうそうくるしいたたかいをいられていた[4]。シアトル航路こうろ投入とうにゅう予定よてい優秀ゆうしゅうせんのスペックは「11,000トンきゅう速力そくりょく20ノット」で2せき建造けんぞう予定よてい豪州ごうしゅう航路こうろ投入とうにゅう予定よてい優秀ゆうしゅうせんのスペックは「11,500トンきゅう速力そくりょく20ノット」で、こちらも2せき建造けんぞう予定よていされていた[1]。この合計ごうけい4せき優秀ゆうしゅうせん三池みいけまるきゅう貨客船かきゃくせんである。ふねめいはいずれも日本郵船にっぽんゆうせんふねめいとしては代目だいめにあたる。1せきあたりの建造けんぞうコストはシアトル航路こうろけが800まんえんで、そのうち助成じょせいきんは2,196,000えんであった[5]豪州ごうしゅう航路こうろけは建造けんぞうコストが834まんえん、そのうちの助成じょせいきんは227まんえんであった[5]

一覧いちらん

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ふねめい 起工きこう 進水しんすい 竣工しゅんこう 出典しゅってん
三池みいけまる 1940ねん2がつ1にち 1941ねん4がつ12にち 1941ねん9がつ30にち [6]
三島みしままる安芸あきまる 1941ねん7がつ15にち 1942ねん5がつ15にち 1942ねん10がつ15にち [6]
阿波あわまる 1941ねん7がつ10日とおか 1942ねん8がつ24にち 1943ねん3がつ5にち [6]
安芸あきまる (1941ねん8がつ18にち起工きこう予定よてい (1941ねん11月建造けんぞう中止ちゅうし [4][5]

三池みいけまる」と「三島みしままる」がシアトル航路こうろけ、「安芸あきまる」と「阿波あわまる」が豪州ごうしゅう航路こうろけである[4][5]建造けんぞう中止ちゅうしせんふくむ4せきのうち、3せきふねめい変更へんこうされていることについては「就役しゅうえき」の項目こうもく説明せつめいする。これに関連かんれんし、「安芸あきまる」については、予定よてい段階だんかいでのふねめいでの記述きじゅつでは斜体しゃたい使用しようする。

特徴とくちょう

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三池みいけまるきゅう貨客船かきゃくせんいちくちっても、実際じっさいにはシアトル航路こうろけの「三池みいけまる」と「三島みしままる」と豪州ごうしゅう航路こうろけの「安芸あきまる」と「阿波あわまる」とでは、船体せんたい形状けいじょうから内装ないそうからと相当そうとう相違そういてんがあった[4]。「三池みいけまる」と「三島みしままる」には一等いっとう船室せんしつがなかったが、これはサンフランシスコ航路こうろ投入とうにゅうされる予定よていであった橿原かしはらまるきゅう貨客船かきゃくせんとの差別さべつはかったためである[4]。「安芸あきまる」と「阿波あわまる」の就航しゅうこうする予定よていだった豪州ごうしゅう航路こうろオーストラリアへのメインルートであったため、「三池みいけまる」と「三島みしままる」にはない一等いっとう船室せんしつもうけられていた[4]

三池みいけまる」はげん設計せっけいどおりに完成かんせいしたが、「三島みしままるあらため「安芸あきまる」と「阿波あわまる」は、太平洋戦争たいへいようせんそう勃発ぼっぱつによる建造けんぞう促進そくしん資材しざい不足ふそくのため、上層じょうそう甲板かんぱんが1つ減少げんしょうして載貨さいか重量じゅうりょうげられるなど要目ようもくあらためたうえで竣工しゅんこうしたものの、はら設計せっけいながれをある程度ていどいでいたため、シアトル航路こうろけの「安芸あきまる」と豪州ごうしゅう航路こうろけの「阿波あわまる」とでは、艤装ぎそう簡略かんりゃくされたとはいえ、依然いぜんとして上部じょうぶ構造こうぞうぶつ相違そういてんられた[4][注釈ちゅうしゃく 1][注釈ちゅうしゃく 2]

就役しゅうえき

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上部じょうぶ構造こうぞう簡略かんりゃくされた「安芸あきまる

三池みいけまるきゅう貨客船かきゃくせん4せき予定よていどお竣工しゅんこうしたあかつきには、シアトル航路こうろ南米なんべい西岸せいがん航路こうろ豪州ごうしゅう航路こうろ就航しゅうこうせん以下いかのとおりになる予定よていであった[1]

  • シアトル航路こうろ:「三池みいけまる」、「三島みしままる」および氷川丸ひかわまるきゅう貨客船かきゃくせんのうちの1せき
  • 豪州ごうしゅう航路こうろ:「安芸あきまる」、「阿波あわまる
  • 南米なんべい西岸せいがん航路こうろ:シアトル航路こうろからうたてはいされた氷川丸ひかわまるきゅう貨客船かきゃくせん2せき、「たいらひろしまる

また、南米なんべい西岸せいがん航路こうろからはずれた「らくようまる」と「ぼくひろしまる」はボンベイ航路こうろうたてはいされ、どう航路こうろ就航しゅうこうせんのうちの、1913ねん大正たいしょう2ねん建造けんぞうの「あんひろしまる」(9,256トン)と1905ねん明治めいじ38ねん建造けんぞうの「丹後たんごまる」(6,893トン)の後継こうけいせんとなり、「丹後たんごまる」はだいさん船舶せんぱく改善かいぜん助成じょせい施設しせつ建造けんぞうされたAがた貨物かもつせん浅香あさかまる」(7,398トン)の解体かいたい見合みあせんとして解体かいたいされる予定よていであったが、のちに解体かいたいされた[7]。しかし、だい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつ日米にちべい関係かんけい悪化あっかは、以上いじょう予定よてい事実じじつじょう」にする結果けっかとなり、だいいちせん三池みいけまる」は昭和しょうわ16ねん9がつ30にち竣工しゅんこうしたものの、シアトル航路こうろ昭和しょうわ16ねん8がつ17にちの「平安へいあんまる」の横浜よこはまこう帰着きちゃくをもって休航きゅうこうとなっており[8]商業しょうぎょう航海こうかい機会きかいはついにあたえられず10がつ15にちづけ日本にっぽん陸軍りくぐんちょうやといされた[9]

三島みしままる」、「安芸あきまる」および「阿波あわまる」は、世界せかい情勢じょうせい影響えいきょうおおいに流転るてんかさねることとなる。この3せきは「三池みいけまる」から1ねんおくれで建造けんぞう開始かいしされたが、「安芸あきまる」は、建造けんぞう船台せんだいとなっていた三菱みつびし長崎造船所なかざきぞうせんじょだいさん船台せんだい日本にっぽん海軍かいぐん指定していとなって昭和しょうわ16ねん11月に建造けんぞう中止ちゅうしとなり、解体かいたい処分しょぶんとなった[4]。「三島みしままる」は豪州ごうしゅう航路こうろけに変更へんこううえ、「安芸あきまる」と改名かいめいした[10]三菱みつびし長崎ながさき建造けんぞう番号ばんごう771ばんせんの「阿波あわまる」は、建造けんぞう番号ばんごうが「安芸あきまる」のものであった770ばんせんえられて建造けんぞうつづけられることとなり、771ばんせんもと770ばんせんの「安芸あきまる」にられたうえ、前述ぜんじゅつ建造けんぞう中止ちゅうしのため欠番けつばんとなった[4]改名かいめい建造けんぞう番号ばんごうえの意図いとははっきりしないが[4]、このことは三池みいけまるきゅう貨客船かきゃくせんかんする日本にっぽん書籍しょせき記述きじゅつ一部いちぶ混乱こんらんあたえている[注釈ちゅうしゃく 3]。「安芸あきまる」と「阿波あわまる」も竣工しゅんこう船舶せんぱく運営うんえいかい使用しようせんおよび陸軍りくぐんちょう傭船ようせんとなった。「三池みいけまる」および「安芸あきまる」は1944ねん昭和しょうわ19ねん)に沈没ちんぼつし、「阿波あわまる」はのちにみどりじゅうせんとなった[注釈ちゅうしゃく 4]が、1945ねん昭和しょうわ20ねん)4がつ1にちのいわゆる阿波あわまる事件じけん沈没ちんぼつした。

行動こうどう略歴りゃくれき

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三池みいけまる 1941ねん10がつ15にち 日本にっぽん陸軍りくぐんちょうやとい[9]
1941ねん12月8にち タイりょうナコン・スリタムラート上陸じょうりく作戦さくせん[11][12]
1942ねん1がつ31にち アンボン上陸じょうりく作戦さくせん[11][13]
1942ねん2がつ17にちおよび20日はつか クーパン上陸じょうりく作戦さくせん[11][13]
1944ねん4がつ6にち ひがしまつごう船団せんだん往航おうこう館山たてやま出港しゅっこう[14][15]
1944ねん4がつ24にち パラオちゃく[14][15]
1944ねん4がつ26にち ひがしまつごう船団せんだん復航ふっこう):パラオ出港しゅっこう[14][16]
1944ねん4がつ27にち アメリカ潜水せんすいかんトリガー」の雷撃らいげきにより損傷そんしょう火災かさい発生はっせい航行こうこう不能ふのう[17][18]
1944ねん4がつ29にち 沈没ちんぼつ推定すいてい[19][20]
安芸あきまる 1942ねん10がつ24にち 船舶せんぱく運営うんえいかい使用しようせん[21]
1943ねん2がつ1にち 日本にっぽん陸軍りくぐんちょうやとい[21]
1943ねん11月3にちから16にち ヒ14船団せんだん[22]
1944ねん2がつ26にち まつ輸送ゆそうだいじゅうきゅう師団しだん輸送ゆそう):宇品うじな出港しゅっこう[23]
1944ねん2がつ29にち アメリカ潜水せんすいかんトラウト」の雷撃らいげきにより船首せんしゅ部分ぶぶん損傷そんしょう[23]
1944ねん7がつ13にち ヒ69船団せんだん[24]
1944ねん7がつ20日はつか マニラ、ヒ69船団せんだんから分離ぶんり[24]
1944ねん7がつ24にち ヒ68船団せんだん加入かにゅう、マニラ出港しゅっこう[25]
1944ねん7がつ26にち アメリカ潜水せんすいかんクレヴァル」の雷撃らいげきにより沈没ちんぼつ[10][26]
阿波あわまる 1943ねん3がつ10日とおか 船舶せんぱく運営うんえいかい使用しようせん[27]
1943ねん7がつ19にちから8がつ1にち ヒ03船団せんだん[28]
1943ねん11月3にちから16にち ヒ14船団せんだん[22]
1944ねん2がつ1にちから11にち ヒ41船団せんだん[29]
1944ねん3がつ11にちから25にち ヒ48船団せんだん[30]
1944ねん5がつ13にちから27にち ヒ63船団せんだん[31]
1944ねん6がつ17にちから26にち ヒ66船団せんだん[32]
1944ねん8がつ10日とおか ヒ71船団せんだん伊万里湾いまりわん出港しゅっこう[33]
1944ねん8がつ19にち アメリカ潜水せんすいかんラッシャー」の雷撃らいげきにより損傷そんしょう[34][35]
1944ねん8がつ26にち マニラ[35]
1944ねん9がつ1にち 昭南しょうなん(シンガポール)ちゃく[36]
1944ねん12月26にちから1945ねん1がつ13にち ヒ84船団せんだん[37]
1945ねん2がつ17にちから4がつ1にち みどりじゅうせん
1945ねん4がつ1にち アメリカ潜水せんすいかんクイーンフィッシュ」の雷撃らいげきにより沈没ちんぼつ阿波あわまる事件じけん)。

要目ようもく一覧いちらん

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ふねめい 総トン数そうとんすう/ (載貨さいか重量じゅうりょうトン数とんすう) 全長ぜんちょう/垂線すいせんあいだちょう かたはば かたふか おも/馬力ばりき最大さいだい 最大さいだい速力そくりょく 旅客りょかく定員ていいん 備考びこう出典しゅってん
三池みいけまる 11,738 トン
(9,082トン)
154.85 m Lpp 20.00 m 12.60 m 三菱みつびしMSがた ディーゼル機関きかん22じく
13,752 馬力ばりき
20.6 ノット とう:100めい
さんとう:136めい
[38]
安芸あきまる 11,409 トン
(10,422.86トン)
155.13 m Lpp 20.00 m 12.60 m 三菱みつびしMSがた ディーゼル機関きかん22じく
15,713 馬力ばりき
20.7 ノット 一等いっとう:37めい [39]
阿波あわまる 11,249 トン
(10,918.8トン)
154.97 m Lpp 20.20 m 12.60 m 三菱みつびしMSがた ディーゼル機関きかん22じく
16,141 馬力ばりき
20.8 ノット 一等いっとう:97めい予定よてい
さんとう:140めい予定よてい
臨時りんじ船客せんきゃく:100めい予定よてい
一等いっとう:37めい竣工しゅんこう
[4][40]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 安芸あきまる」の写真しゃしんを「阿波あわまる」のイメージ画像がぞうとして使用しようするれいもあるが(#郵船ゆうせんせん時下じか p.180)、厳格げんかく意味いみでは間違まちがいとなる。
  2. ^ 阿波あわまる」の船影せんえいについては、英語えいごばんen:MV Awa Maru (1943)」に掲載けいさい画像がぞう参照さんしょう
  3. ^ 参考さんこう文献ぶんけんちゅう、「正解せいかい」のものと「あいだちがい」のものにけると、以下いかのとおりである。
    正解せいかい
    安芸あきまる昭和しょうわじゅうろくねんなながつ長崎造船所なかざきぞうせんじょにおいてシアトル航路こうろよう貨客船かきゃくせんとして起工きこうされ、ふねめい三島みしままる予定よていされていたが、時局じきょく要請ようせい途中とちゅうから阿波あわまる同型どうけい豪州ごうしゅう航路こうろよう貨客船かきゃくせん変更へんこうされ、ふねめい安芸あきまる変更へんこうされた。」(#郵船ゆうせん戦時せんじじょう p.750)
    「N.Y.K. の三島みしままるとして発注はっちゅうされたがのち改名かいめいし、安藝あきまるとして竣工しゅんこう。」(#郵船ゆうせん100ねん p.273)
    当初とうしょ三島みしままる命名めいめい予定よていだったが、建造けんぞう途中とちゅう豪州ごうしゅうせんよう変更へんこうされ、ふねめい安藝あきまるとなった。」(#日本にっぽん客船きゃくせん1 p.44)
    三島みしままる安藝あきまる」(#三浦みうら p.206)
    当初とうしょ三島みしままるとして建造けんぞう 途中とちゅう安藝あきまる変更へんこう以下いかりゃく)」(#松井まつい (2006) p.25)
    あいだちがい」
    三池みいけまる安芸あきまる北米ほくべいシアトルせん阿波あわまるともう1せき三島みしままる豪州ごうしゅうせん使用しよう予定よていであったが、(中略ちゅうりゃく)なお三島みしままる建造けんぞう中止ちゅうしされた。(#山高やまたか p.235)
    他方たほう豪州ごうしゅうせん阿波あわまる(1まん1249そうトン)とシアトルせん三池みいけまる(1まん1738そうトン)と安芸あきまる(1まん1409そうトン)の2せきは、太平洋戦争たいへいようせんそうまえから戦中せんちゅうにかけて一応いちおう竣工しゅんこうしたものの(ただし豪州ごうしゅうせんようのほかの1せき三島みしままる建造けんぞう中止ちゅうし)(以下いかりゃく)」(#日本郵船にっぽんゆうせん株式会社かぶしきがいしゃひゃくねん p.333)
    豪州ごうしゅう航路こうろ阿波あわまる建造けんぞう834まんえん建造けんぞう助成じょせい227まんえん安芸あきまる同月どうげつ起工きこうされて竣工しゅんこう昭和しょうわ18ねん3がつとなっている。姉妹しまいせん三島みしままる昭和しょうわ16ねん8がつ18にち起工きこう予定よていであったが(以下いかりゃく)」(#正岡まさおか p.19)
    あいだちがい」の傾向けいこうとしては、「建造けんぞう中止ちゅうしになったのは豪州ごうしゅう航路こうろけの「三島みしままる」という誤認ごにん共通きょうつうしている。なお、「「阿波あわまる」の姉妹しまいせん建造けんぞう中止ちゅうしになった」という観点かんてんではすべて「正解せいかい」である。
  4. ^ 英語えいごばんen:MV Awa Maru (1943)」の掲載けいさい画像がぞうは、この状態じょうたいの「阿波あわまる」をしめすものである。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e #日本郵船にっぽんゆうせん株式会社かぶしきがいしゃひゃくねん p.332
  2. ^ #日本郵船にっぽんゆうせん株式会社かぶしきがいしゃひゃくねん p.341
  3. ^ a b #日本郵船にっぽんゆうせん株式会社かぶしきがいしゃひゃくねん p.343
  4. ^ a b c d e f g h i j k #まる船隊せんたい
  5. ^ a b c d #正岡まさおか p.19
  6. ^ a b c #創業そうぎょうひゃくねん長崎造船所なかざきぞうせんじょ pp.560-561
  7. ^ #日本郵船にっぽんゆうせん株式会社かぶしきがいしゃひゃくねん pp.331-332
  8. ^ #日本郵船にっぽんゆうせん株式会社かぶしきがいしゃひゃくねん p.381
  9. ^ a b #郵船ゆうせん戦時せんじじょう p.629
  10. ^ a b #郵船ゆうせん戦時せんじじょう p.750
  11. ^ a b c #郵船ゆうせん戦時せんじじょう p.626
  12. ^ #こまみや (1987) p.27
  13. ^ a b #こまみや (1987) p.29
  14. ^ a b c #郵船ゆうせん戦時せんじじょう p.627
  15. ^ a b #こまみや (1987) p.158
  16. ^ #こまみや (1987) p.165
  17. ^ #郵船ゆうせん戦時せんじじょう pp.627-628
  18. ^ #こまみや (1987) pp.165-166
  19. ^ #郵船ゆうせん戦時せんじじょう p.628
  20. ^ #こまみや (1987) p.166
  21. ^ a b #郵船ゆうせん戦時せんじじょう p.751
  22. ^ a b #こまみや (1987) p.102
  23. ^ a b #こまみや (1987) p.147
  24. ^ a b #こまみや (1987) pp.210-211
  25. ^ #こまみや (1987) p.212
  26. ^ #こまみや (1987) p.213
  27. ^ #郵船ゆうせんせん時下じか p.190
  28. ^ #こまみや (1987) pp.77-78
  29. ^ #こまみや (1987) p.134
  30. ^ #こまみや (1987) pp.149-150
  31. ^ #こまみや (1987) p.173
  32. ^ #こまみや (1987) p.194
  33. ^ #こまみや (1987) p.225
  34. ^ Chapter VI: 1944” (英語えいご). The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II. HyperWar. 2012ねん11月20にち閲覧えつらん
  35. ^ a b #こまみや (1987) p.227
  36. ^ #こまみや (1987) p.228
  37. ^ #こまみや (1987) p.313
  38. ^ #日本にっぽん汽船きせん名簿めいぼ三池みいけまる
  39. ^ #日本にっぽん汽船きせん名簿めいぼ安芸あきまる
  40. ^ #日本にっぽん汽船きせん名簿めいぼ阿波あわまる

参考さんこう文献ぶんけん

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印刷物いんさつぶつ

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  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター(公式こうしき防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
    • Ref.C08050081000『昭和しょうわじゅうなな年版ねんばん 日本にっぽん汽船きせん名簿めいぼ 内地ないち 朝鮮ちょうせん 台湾たいわん 関東かんとうしゅう 其一(うえ)』、34ぺーじ 
    • Ref.C08050083000『昭和しょうわじゅうはち年版ねんばん 日本にっぽん汽船きせん名簿めいぼ 内地ないち 朝鮮ちょうせん 台湾たいわん 関東かんとうしゅう 其一(うえ)』、34ぺーじ 
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  • 木俣きまたしげるろうてき潜水せんすいかん攻撃こうげき朝日あさひソノラマ、1989ねんISBN 4-257-17218-5 
  • 野間のまひさし山田やまだ廸生『世界せかい艦船かんせん別冊べっさつ 日本にっぽん客船きゃくせん1 1868~1945海人あましゃ、1991ねんISBN 4-905551-38-2 
  • 野間のまひさし豪華ごうか客船きゃくせん文化ぶんか』NTT出版しゅっぱん、1993ねんISBN 4-87188-210-1 
  • 三浦みうら昭男あきおきた太平洋たいへいよう定期ていき客船きゃくせん出版しゅっぱん協同きょうどうしゃ、1995ねんISBN 4-87970-051-7 
  • ロジャー・ディングマン ちょ日本郵船にっぽんゆうせん歴史れきし資料しりょうかんかんやくへん阿波あわまる撃沈げきちん 太平洋戦争たいへいようせんそう日米にちべい関係かんけい川村かわむら孝治こうじわけ)、成山なりやまどう書店しょてん、2000ねんISBN 4-425-94611-1 
  • 正岡まさおかかつただし日本にっぽん海軍かいぐん特設とくせつ艦船かんせん正史せいし」『戦前せんぜん船舶せんぱくだい104ごう戦前せんぜん船舶せんぱく研究けんきゅうかい、2004ねん、92-240ぺーじ 
  • はやしひろし作表さくひょう)、戦前せんぜん船舶せんぱく研究けんきゅうかい資料しりょう提供ていきょう)「特設とくせつ艦船かんせん原簿げんぼ/日本にっぽん海軍かいぐん徴用ちょうよう船舶せんぱく原簿げんぼ」『戦前せんぜん船舶せんぱくだい104ごう戦前せんぜん船舶せんぱく研究けんきゅうかい、2004ねん、92-240ぺーじ 
  • 松井まつい邦夫くにお日本にっぽん商船しょうせんふねめいこう海文堂かいぶんどう出版しゅっぱん、2006ねんISBN 4-303-12330-7 

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