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平安丸 - Wikipedia

平安へいあんまる(へいあんまる)は、かつて日本郵船にっぽんゆうせん所有しょゆう運航うんこうしていた貨客船かきゃくせん[2]貨客船かきゃくせん氷川丸ひかわまる」の姉妹しまいせんで、太平洋戦争たいへいようせんそうでは日本にっぽん海軍かいぐん徴用ちょうようされて特設とくせつ潜水せんすい母艦ぼかんとなった[3]。1944ねん昭和しょうわ19ねん)2がつ18にちトラックとう空襲くうしゅう沈没ちんぼつした[4]

平安へいあんまる
平安へいあんまる
基本きほん情報じょうほう
ふねしゅ 貨客船かきゃくせん
クラス 氷川丸ひかわまるきゅう貨客船かきゃくせん
船籍せんせき 大日本帝国の旗 大日本帝国だいにっぽんていこく
所有しょゆうしゃ 日本郵船にっぽんゆうせん
運用うんようしゃ 日本郵船にっぽんゆうせん
 大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
建造けんぞうしょ 大阪おおさか鐵工てっこうしょ
母港ぼこう 東京とうきょうこう/東京とうきょう
姉妹しまいせん 氷川丸ひかわまる
日枝ひえまる
建造けんぞう 665まんえん当時とうじ
信号しんごう JGZC
IMO番号ばんごう 36813(※船舶せんぱく番号ばんごう
建造けんぞう期間きかん 494にち
就航しゅうこう期間きかん 4,835にち
経歴けいれき
起工きこう 1929ねん6月19にち
進水しんすい 1930ねん4がつ16にち
竣工しゅんこう 1930ねん11月24にち
就航しゅうこう 1930ねん12月18にち
除籍じょせき 1944ねん3月31にち
最後さいご 1944ねん2がつ18にち被弾ひだん沈没ちんぼつトラックとう空襲くうしゅう
要目ようもく
総トン数そうとんすう 11,616トン(1930ねん
11,614トン(1931ねん
じゅんトン数とんすう 6,788トン(1930ねん
6,833トン(1931ねん
載貨さいか重量じゅうりょう 10,382トン
排水はいすいりょう 不明ふめい
全長ぜんちょう 163.3m
登録とうろくちょう 155.44m
垂線すいせんあいだちょう 155.91m
かたはば 20.12m
かたふか 12.50m
たか 29.26m(水面すいめんからマスト最上さいじょうはしまで)
12.19m(水面すいめんから船橋ふなばし煙突えんとつ最上さいじょうはしまで)
11.88m(水面すいめんから船橋ふなばし後方こうほうデリックポスト最上さいじょうはしまで)
9.75m(水面すいめんから後部こうぶ船倉ふなぐらようデリック最上さいじょうはしまで)
喫水きっすい 9.2m
しゅ機関きかん B&Wせいディーゼル機関きかん 2
推進すいしん 2じく
最大さいだい出力しゅつりょく 13,404BHP
ていかく出力しゅつりょく 11,000BHP
最大さいだい速力そくりょく 18.0ノット
航海こうかい速力そくりょく 15.0ノット
航続こうぞく距離きょり 15ノットで18,700うみさと
旅客りょかく定員ていいん 一等いっとう:76めい
とう:69めい
さんとう:185めい
1941ねん10月3にち徴用ちょうよう
たかさはべい海軍かいぐん識別しきべつひょう[1]より(フィート表記ひょうき)。
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平安へいあんまる
1943ねん6がつほろむしろおき停泊ていはくする平安へいあんまる171
基本きほん情報じょうほう
かんしゅ 特設とくせつ潜水せんすい母艦ぼかん
かんれき
就役しゅうえき 1942ねん2がつ15にち海軍かいぐんせき編入へんにゅう
連合れんごう艦隊かんたいだいろく艦隊かんたいだい8潜水せんすい戦隊せんたい/横須賀よこすか鎮守ちんじゅ所管しょかん
要目ようもく
へいそう 開戦かいせん
15cmほう4もん
きゅうさんしき13mm機銃きじゅう連装れんそう24もん
110cm探照灯たんしょうとう1
90cm探照灯たんしょうとう1
三米半測距儀1
最終さいしゅう
じゅうねんしき12cm高角こうかくほう2もん
きゅうろくしき25mm連装れんそう機銃きじゅう24もん
きゅうさんしき13mm機銃きじゅう連装れんそう24もん
装甲そうこう なし
レーダー 最終さいしゅう
E27がた電波でんぱ探知たんち2
ソナー 最終さいしゅう
仮称かしょうさんしき水中すいちゅう聴音ちょうおん1
徴用ちょうようさい変更へんこうされた要目ようもくのみ表記ひょうき
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なお、1951ねんに2代目だいめたる貨物かもつせん平安へいあんまる」が建造けんぞうされているが、ほんこうでは1代目だいめ貨客船かきゃくせんについて解説かいせつする。

概要がいよう

編集へんしゅう

平安へいあんまる」は氷川丸ひかわまるきゅう最終さいしゅうせんである[5]大阪おおさか鐵工てっこうしょ桜島さくらじま工場こうじょうで1929ねん昭和しょうわ4ねん)6がつ19にち起工きこうした。1930ねん昭和しょうわ5ねん)4がつ16にち進水しんすいする[注釈ちゅうしゃく 1]。11月24にち竣工しゅんこうした。船橋ふなばしには平安へいあん神宮じんぐうまつ[7]氷川丸ひかわまるきゅう3せき氷川丸ひかわまる横浜よこはま船渠せんきょ》、日枝ひえまる横浜よこはま船渠せんきょ》、平安へいあんまる)は頭文字かしらもじ『H』を神社じんじゃめい氷川神社ひかわじんじゃ東京とうきょう千代田ちよだ日枝ひえ神社じんじゃ平安へいあん神宮じんぐう)に由来ゆらいしている[7]本船ほんせんは12月18にち香港ほんこん出港しゅっこうし、シアトル航路こうろ就航しゅうこうした。ふねは665まんえん当時とうじ)であった。

1941ねん昭和しょうわ16ねん)8がつ4にち日米にちべい関係かんけい悪化あっかにより、本船ほんせんそらせんのままシアトルを出港しゅっこう[8]横浜よこはまこうもどった。翌月よくげつから在留ざいりゅう法人ほうじんげを各地かくちったおな航路こうろいていた姉妹しまいせんたちとはちがい、これが戦前せんぜんのシアトル航路こうろ最終さいしゅう航海こうかいとなった。

同年どうねん10がつ3にち日本にっぽん海軍かいぐん徴用ちょうようされ、16にちづけ横須賀よこすか鎮守ちんじゅ所属しょぞく特設とくせつ潜水せんすい母艦ぼかんとなる。15にちから真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきをまたいだ12月30にちまで三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう神戸造船所こうべぞうせんしょ艤装ぎそう工事こうじけた。工事こうじちゅうの12月20にちだいろく艦隊かんたい隷下れいかだいいち潜水せんすい戦隊せんたい付属ふぞく潜水せんすい母艦ぼかんとなった。工事こうじにより15センチほう連装れんそうじゅうさんみりめーとる高角こうかく機銃きじゅう、そのはか距儀や探照燈たんしょうとうなどが装備そうびされた。31にちから1942ねん昭和しょうわ17ねん)2がつ17にちまで輸送ゆそう任務にんむとして、クェゼリン環礁かんしょうとのあいだ往復おうふく。3月16にちから18にちまでにかけて横須賀よこすか移動いどう停泊ていはくちゅうの7がつ14にちだいいち潜水せんすい戦隊せんたい旗艦きかんとなる。「平安へいあんまる」は補給ほきゅうよう魚雷ぎょらい弾薬だんやく搭載とうさいし、8がつ18にち横須賀よこすか出航しゅっこう。24にちにトラック泊地はくち到着とうちゃくしている。12月25にちからはトラックとラバウルのあいだ往復おうふくした。

1943ねん昭和しょうわ18ねん中旬ちゅうじゅん、「平安へいあんまる」はトラックを出航しゅっこうし、5月4にち横須賀よこすか到着とうちゃく。5月12にち連合れんごうぐんアッツとう来襲らいしゅうしてアッツとうたたかいがはじまった[9]同日どうじつ連合れんごう艦隊かんたいだいいち潜水せんすい戦隊せんたい司令しれいだい艦隊かんたい北方ほっぽう部隊ぶたい)の指揮しきれ、あいだもなく「平安へいあんまる」にも同様どうようしたれいがあった[10][11]アリューシャン方面ほうめんたたかでも、日本にっぽんぐん潜水せんすいかん作戦さくせん従事じゅうじしていた[12]。「平安へいあんまる」はだいいち潜水せんすい戦隊せんたい司令しれいかん古宇田こうだ武郎たけお少将しょうしょう旗艦きかんとして27にち横須賀よこすか出航しゅっこう[13]航海こうかいちゅうの29にちにアッツとう守備しゅびたい玉砕ぎょくさいした[14]。6月2にちほろむしろ到着とうちゃくする[15]。アッツとう失陥しっかん日本にっぽん海軍かいぐん潜水せんすいかんキスカとうへの輸送ゆそう作戦さくせん従事じゅうじしていた[16]ほろむしろ停泊ていはく[15][17]どう方面ほうめん潜水せんすいかん作戦さくせんや、7がつのキスカ撤退てったい計画けいかく[18]「ケごう作戦さくせん」に従事じゅうじする[19]ほろむしろでは2板倉いたくらひかり艦長かんちょううみ転落てんらくするさわぎがあり、これにづいた「平安へいあんまる」は「イカニサレシヤ」との信号しんごうおくる。2は艦長かんちょううみ転落てんらくしたことをごまかすため、「おぼれしゃ救助きゅうじょ訓練くんれん実施じっしセリ。作業さぎょう完了かんりょう異状いじょうナシ」と返信へんしんしてきた。作戦さくせん終了しゅうりょう原隊げんたい復帰ふっきれいされる[20]。8月14にち横須賀よこすか帰還きかんした。同地どうち修理しゅうり実施じっししている[21]

9がつ上旬じょうじゅん連合れんごう艦隊かんたい日本にっぽん陸軍りくぐん南東なんとう方面ほうめん派遣はけんする輸送ゆそう作戦さくせん発動はつどうした[22]。9月15にちづけだいいち潜水せんすい戦隊せんたい司令しれいかん古宇田こうだ武郎たけお少将しょうしょう指揮しきかんとするひのとごう輸送ゆそう部隊ぶたい平安へいあんまる護国ごこくまる清澄きよすみまる秋津あきつしままきなみやまくもひびき)を編成へんせいした[23][24]。「平安へいあんまる」が旗艦きかんであった[注釈ちゅうしゃく 2]中国ちゅうごく大陸たいりくささえ派遣はけんぐん隷下れいかにあっただいじゅうなな師団しだん酒井さかいやすし中将ちゅうじょう)を[26]南東なんとう方面ほうめん輸送ゆそうする作戦さくせんである[27]

9月16にち、「秋津あきつしゅう」および「ひびき」をれて横須賀よこすか出航しゅっこうする[28]20日はつか上海しゃんはい到着とうちゃくした[注釈ちゅうしゃく 3]同地どうち特設とくせつ巡洋艦じゅんようかん清澄せいちょうまる」(国際こくさい汽船きせん、8,613トン)、特設とくせつ巡洋艦じゅんようかん護国ごこくまる」(大阪おおさか商船しょうせん、10,438トン)、水上すいじょう母艦ぼかん秋津あきつしゅう[30]旅団りょだんちょう乗艦じょうかん)や護衛ごえい駆逐くちくかん3せきまきなみやまくもひびき)ともに船団せんだん[31]、9月24にち上海しゃんはい出撃しゅつげき[32][33][34]10月2にちひのとごう輸送ゆそう船団せんだんはトラック即日そくじつ出発しゅっぱつする[35][36]5にちひのとごう輸送ゆそう船団せんだん損害そんがいなくラバウル進出しんしゅつ[37]陸軍りくぐん将兵しょうへい輸送ゆそう物件ぶっけん揚陸ようりくする[38]よく6にち、ラバウルを出発しゅっぱつした[30]航行こうこうちゅう空襲くうしゅうをうけ「清澄きよすみまる」が至近しきんだん戦死せんし1めいしたが、かん異状いじょうはなかった[30]輸送ゆそう船団せんだん9にちにトラックに帰投きとうして任務にんむ終了しゅうりょう[30]解散かいさんした[39][40]

10月14にち駆逐くちくかん朝凪あさなぎ」の護衛ごえい[41]、トラックはつ横須賀よこすかきのだい4014かぶと船団せんだんくわわって出航しゅっこうする[42]。21にち横須賀よこすか到着とうちゃくした[41]。23にちから11月7にちまで改装かいそうける。おおやけためし、14にち海防かいぼうかん隠岐おき」に護衛ごえいされ[43]横須賀よこすかはつトラックにむかうゆきふう以下いかだい3115船団せんだんくわわって横須賀よこすか出航しゅっこう[44]。19にちてき潜水せんすいかん遭遇そうぐうするが、「隠岐おき」がたいせん戦闘せんとうをおこなって撃退げきたいした[45]。24にちだい3115船団せんだん部隊ぶたいはトラックに到着とうちゃくした[46]以降いこう沈没ちんぼつするまでトラックをはなれず、潜水せんすいかん補給ほきゅう物資ぶっし供給きょうきゅうつづけた。

1944ねん昭和しょうわ19ねん)1がつもトラック泊地はくち碇泊ていはくした[注釈ちゅうしゃく 4]。 1月15にちづけだいいち潜水せんすい戦隊せんたいかいたいされ、所属しょぞく潜水せんすいかんおよび「平安へいあんまる」はだいろく艦隊かんたいじきりつとなった[49][50]。 2月15にち太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんよりだいろく艦隊かんたい旗艦きかんつとめていた練習れんしゅう巡洋艦じゅんようかん香取かとり」が海上かいじょう護衛ごえいそう司令しれい編入へんにゅうされ[51]、「平安へいあんまる」があらたなだいろく艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん高木たかぎ武雄たけお中将ちゅうじょう)の旗艦きかんとなった[4]。 2月17にち[52]アメリカ海軍かいぐんだい58任務にんむ部隊ぶたいによるトラックとう空襲くうしゅう[53]日本にっぽん海軍かいぐんは「香取かとり沈没ちんぼつなどだい損害そんがいける[54][55]停泊ていはくちゅうの「平安へいあんまる」も襲撃しゅうげきけ、左舷さげん船尾せんび直撃ちょくげきだん1はつ至近しきんだんすうはつ推進すいしん破損はそんし、ろくばん船倉ふなぐら浸水しんすいしたが乗員じょういん必死ひっし排水はいすい応急おうきゅう修理しゅうり残存ざんそんした。よく18にち空襲くうしゅう左舷さげん中央ちゅうおう直撃ちょくげきだん2はつ魚雷ぎょらい1ほんけ、ちゅう甲板かんぱんした甲板かんぱん機械きかいしつ一部いちぶ破壊はかいされ火災かさい発生はっせい総員そういん退去たいきょとなり、930ふん転覆てんぷく沈没ちんぼつした。炎上えんじょうして放棄ほうきされた「平安へいあんまる」にとどめの魚雷ぎょらい命中めいちゅうさせたのは、正規せいき空母くうぼバンカー・ヒル」から飛来ひらいしたアヴェンジャー艦上かんじょう攻撃こうげきだったという。だいろく艦隊かんたい司令しれいだい85潜水せんすいかん基地きちたい移転いてんした[56]同年どうねん3がつ31にち除籍じょせきおよかいやとい

現在げんざい夏島なつしま(デュブロンとう)の北西ほくせい水深すいしん36mの地点ちてん右舷うげんうえにして横転おうてん状態じょうたいしずんでおり、原型げんけいをとどめている。船倉ふなぐらには魚雷ぎょらい潜望鏡せんぼうきょうなどがある。

艦長かんちょう

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  • 原田はらだ文一ぶんいち 大佐たいさ:1941ねん10がつ15にち[57] - 1942ねん11がつ10日とおか
  • せき本織もとおりじょ 大佐たいさ:1942ねん11がつ10日とおか[58] - 1943ねん11月1にち
  • 玉城たまき利治としはる 大佐たいさ:1943ねん11月1にち[59] - 1944ねん3がつ16にち[60]

創作そうさく作品さくひんへの登場とうじょう

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 今年ことしじゅうがつじゅうななにち横濱よこはま鹿島かしまつてじゅういち日間にちかん航海こうかいでシアトルにはいはず日本郵船にっぽんゆうせん會社かいしゃシアトル航路こうろだいさんせん平安へいあんまる本日ほんじつ無事ぶじ進水しんすいしきくだりつたむね當地とうち支店してん入電にゅうでんありたるゆかり[6]記事きじおわり)
  2. ^ 横田よこたみのる中佐ちゅうさもと26艦長かんちょう)は、だいいち潜水せんすい戦隊せんたい参謀さんぼうとしてほん作戦さくせん参加さんかした[25]
  3. ^ 護国ごこくまる」と「やまくも」は9月18にち[29]、「清澄きよすみまる」と「まきなみ」は9月19にち上海しゃんはい到着とうちゃくした[24]
  4. ^ 1がつ15にち訓練くんれん部隊ぶたいであるだいじゅういち潜水せんすい戦隊せんたい編入へんにゅうされたとされるが、だいじゅういち潜水せんすい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっしでは「平安へいあんまる」が所属しょぞくした記録きろくはない[47][48]

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ Hikawa_Maru_class
  2. ^ 海運かいうんかい競爭きょうそうに備ふべく すなみなと航路こうろ改善かいぜんする郵船ゆうせん 新造しんぞう客船きゃくせん就航しゅうこう来年らいねんろくがつから”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nyū Yōku Shinpō, 1929.12.07. pp. 04. 2024ねん2がつ23にち閲覧えつらん
  3. ^ 氷川丸ひかわまるさん姉妹しまい 平安へいあんまる戦争せんそう 西太平洋にしたいへいよう撃沈げきちん 水中すいちゅう写真しゃしん横浜よこはま公開こうかい”. 神奈川かながわ新聞しんぶん. 横浜よこはまみなと新聞しんぶん (2018ねん3がつ5にち). 2024ねん2がつ24にち閲覧えつらんカナロコ by 神奈川かながわ新聞しんぶん
  4. ^ a b 戦史せんし叢書そうしょ98 1979, pp. 290–294トラック空襲くうしゅう作戦さくせん(挿図そうずだいじゅうろく参照さんしょう)
  5. ^ 郵船ゆうせん理想りそう實現じつげんし 優秀ゆうしゅうせんきゅうせき就航しゅうこう 最終さいしゅう建造けんぞう平安へいあんまる 本日ほんじつ横濱よこはまはつすなみなと”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nichibei Shinbun, 1930.12.27. pp. 03. 2024ねん2がつ23にち閲覧えつらん
  6. ^ 平安へいあんまる進水しんすい”. Hoji Shinbun Digital Collection. Shin Sekai, 1930.04.16. pp. 06. 2024ねん2がつ23にち閲覧えつらん
  7. ^ a b #三菱みつびし、2016ぺーじふねめい由来ゆらい埼玉さいたまけん氷川神社ひかわじんじゃ
  8. ^ 平安へいあんまる左様さようナラ!! 問題もんだいとなつたろくまんせんえん證書しょうしょ”. Hoji Shinbun Digital Collection. Taihoku Nippō, 1941.08.05. pp. 05. 2024ねん2がつ23にち閲覧えつらん
  9. ^ #S18.04~06経過けいか概要がいよう p.6(昭和しょうわ18ねん5がつ12にちこう)
  10. ^ 戦史せんし叢書そうしょ98 1979, p. 242.
  11. ^ #だい艦隊かんたい日誌にっし(3) p.35(昭和しょうわ18ねん5がつ)〔 別紙べっしだい
  12. ^ 戦史せんし叢書そうしょ98 1979, pp. 238–239べいぐんのアッツとうらいおさむ
  13. ^ 戦史せんし叢書そうしょ98 1979, p. 240.
  14. ^ #S18.04~06経過けいか概要がいよう p.9(昭和しょうわ18ねん5がつ29にち)
  15. ^ a b #だい艦隊かんたい日誌にっし(3) p.41(昭和しょうわ18ねん6がつ)〔 其ノよん
  16. ^ #S18.04~06経過けいか概要がいよう p.11(昭和しょうわ18ねん6がつ)〔 九日ここのか連日れんじつ7Sg 12Sgノ潜水せんすいかん使用しようシ「キスカ」輸送ゆそう作戰さくせん實施じっしちゅう
  17. ^ #だい艦隊かんたい日誌にっし(3) p.47(昭和しょうわ18ねん7がつ)〔 其ノよん
  18. ^ #S18.07~09経過けいか概要がいよう pp.3-4(昭和しょうわ18ねん7がつ11にち)
  19. ^ 戦史せんし叢書そうしょ98 1979, pp. 239–251キスカ撤収てっしゅう作戦さくせん
  20. ^ 戦史せんし叢書そうしょ98 1979, p. 251.
  21. ^ 戦史せんし叢書そうしょ98 1979, p. 262.
  22. ^ 戦史せんし叢書そうしょ62 1973, pp. 436a-438だいじゅうなな師団しだん南東なんとう方面ほうめんへの派遣はけん
  23. ^ #S18.08護国ごこくまる日誌にっし(2) pp.14-15〔 GF司令しれい長官ちょうかん(あてりゃく)GF機密きみつだいいちよんばんでん GFしんじでんれいさくだいろくきゅうきゅうごう』 〕
  24. ^ a b #S1806二水にすいせん日誌にっし(3) p.7〔(2)だいさんじゅういち驅逐くちくたい(りゃく)まきなみ舞鶴まいづるざいリテ修理しゅうり整備せいびちゅうところじゅうにち完成かんせい同日どうじつYBヨリじょカレGFでんれいさくだいさんきゅうきゅうごうひのとごう輸送ゆそう部隊ぶたい編入へんにゅう(GF附属ふぞく)舞鶴まいづるはつ途中とちゅう清澄せいちょうまる合同ごうどう護衛ごえいじゅうきゅうにち淞着じゅうよんにちどう部隊ぶたい護衛ごえい「トラツク」ニこう上海しゃんはいはつ
  25. ^ 佐藤さとう艦長かんちょうたち続篇ぞくへん 1984, p. 171.
  26. ^ 戦史せんし叢書そうしょ96 1976, p. 337参考さんこう だいじゅうなな師団しだん
  27. ^ 戦史せんし叢書そうしょ79 1975, p. 392ささえ方面ほうめん艦隊かんたい海上かいじょう交通こうつう保護ほご作戦さくせん
  28. ^ #S18.08護国ごこくまる日誌にっし(2) pp.18-20(運輸うんゆ機密きみつだい081812ばんでん)、どう資料しりょう pp.21-24(よこ機密きみつだい111345ばんでん)、どう資料しりょう pp.31-32〔 1SS司令しれいかんあてりゃく)1SS機密きみつだいいちろくいちさんばんでん はついちせんせん司令しれいかん平安へいあんまる秋津あきつしまひびき 上海しゃんはいこう横須賀よこすかはつ無電むでん
  29. ^ #S18.08護国ごこくまる日誌にっし(2) pp.34-35
  30. ^ a b c d 戦史せんし叢書そうしょ96 1976, p. 356.
  31. ^ #S18.08護国ごこくまる日誌にっし(2) p.5〔 よん(天候てんこうりゃく)|いちいちきゅうトラツクニこう上海しゃんはい出港しゅっこう/いち大戰たいせん山沖やまおき假泊かはく/さん一五五旗艦平安丸假泊着|(りゃく)いち ちょう二號輸送部隊大戰山沖假泊地ニ集結しゅうけつ完了かんりょう 艦船かんせん番號ばんごう いち平安へいあんまる ほんかん さん清澄きよすみまる よん秋津あきつしゅう まき ろくやまくも ななひびき
  32. ^ #木俣きまたけいじゅんp.497
  33. ^ #S1806二水にすいせん日誌にっし(3) p.13〔(よん)麾下きか艦船かんせん部隊ぶたい行動こうどう
  34. ^ #S1806二水にすいせん日誌にっし(3) p.94〔 よん(天候てんこうりゃく)まきなみひのとごう輸送ゆそう部隊ぶたい護衛ごえい「トラツク」ニこう上海しゃんはいはつ
  35. ^ #S18.08護国ごこくまる日誌にっし(3)p.3(いち 作戰さくせん経過けいか概要がいよう 昭和しょうわじゅうはちねんじゅうがつ 護國ごこくまる)〔10がつ2にち
  36. ^ #S1806二水にすいせん日誌にっし(4) pp.6-7〔(2)だいさんじゅういち驅逐くちくたい(大波おおなみ長波ちょうはりゃく)まきなみ=ひのとごう輸送ゆそう部隊ぶたいトシテにち「トラツク」ちゃく即日そくじつはつにち「ラバウル」ちゃく任務にんむ終了しゅうりょうろくにちどうはつきゅうにち「トラツク」ちゃくじゅうじゅうさん大波おおなみどもてきせん掃蕩そうとう攻撃こうげきじゅうななにち以降いこう「ブラウン」大鳥おおどりとう方面ほうめん行動こうどう大波おおなみどう爾後じご「トラツク」ニテ待機たいき
  37. ^ 戦史せんし叢書そうしょ96 1976, pp. 355–357ろく だいじゅうなな師団しだん進出しんしゅつ輸送ゆそうだいいち輸送ゆそう(T2ごう輸送ゆそう)
  38. ^ #S18.08護国ごこくまる日誌にっし(3)p.4(いち 作戰さくせん経過けいか概要がいよう 昭和しょうわじゅうはちねんじゅうがつ 護國ごこくまる)〔10がつ5にち~6にち〕、#S1806二水にすいせん日誌にっし(4) p.75〔 (天候てんこうりゃく)たまはち〇〇くれ/まきなみななさん〇「ラバウル」ちゃく(りゃく)まきなみひのとごう輸送ゆそう部隊ぶたい護衛ごえい「ラバウル」
  39. ^ #S18.08護国ごこくまる日誌にっし(3)p.6(いち 作戰さくせん経過けいか概要がいよう 昭和しょうわじゅうはちねんじゅうがつ 護國ごこくまる)〔10がつ9にち
  40. ^ #S1806二水にすいせん日誌にっし(4) p.77〔 きゅう(天候てんこうりゃく)まきなみなな〇「トラツク」ちゃく/しまふう白露しらつゆいちさん「トラツク」ちゃく/五月雨さみだれきゅうきゅう「ラバウル」ちゃく|2sdじゅんせんわざごうかい/まきなみひのとごう輸送ゆそう部隊ぶたい護衛ごえい「トラツク」ちゃく/しまふう冲鷹ヲ護衛ごえい「トラツク」ちゃく/まきなみひのとごう輸送ゆそう作戰さくせん終了しゅうりょう「トラツク」
  41. ^ a b #S16.12だいよん根拠地こんきょちたい日誌にっし(4) p.27〔 朝凪あさなぎ平安へいあんまる|トラツク ― 横須賀よこすかいちよん二一にいちいち|(空欄くうらん) 〕、どう資料しりょう p.32(昭和しょうわ18ねん)〔 じゅうがつちゅう麾下きか艦船かんせん部隊ぶたい行動こうどう だい海上かいじょう護衛ごえいたい司令しれい
  42. ^ #S16.12だいよん根拠地こんきょちたい日誌にっし(4) p.34〔 いちよんよんいちよんかぶとさんよんろく朝凪あさなぎ|トラツク ― 横須賀よこすかいちよん.〇|(以下いか空欄くうらん) 〕
  43. ^ #S17.04うみまもる日誌にっし(5) p.9〔 隠岐おき平安へいあんまる横須賀よこすか トラツク|いちよん 二三にさんさん
  44. ^ #S17.04うみまもる日誌にっし(5) pp.23-24(経過けいか概要がいよう)〔 なな隠岐おきけいようまる平安へいあんまる 伊良湖いらこゆきふう)ヲ護衛ごえいいちよん〇〇トラツクニこう横須賀よこすかはつ
  45. ^ #S17.04うみまもる日誌にっし(5) pp.28-29(昭和しょうわ18ねん11月19にち経過けいか概要がいよう
  46. ^ #S17.04うみまもる日誌にっし(5) pp.33-34(昭和しょうわ18ねん11月23にち経過けいか概要がいよう)〔 ろく隠岐おき けいようまる 平安へいあんまる 伊良湖いらこ(ゆきふう)ヲ護衞ごえいいちトラツク帰投きとう
  47. ^ #だい11潜水せんすい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(1) pp.30-31(昭和しょうわ18ねん)〔 じゅうがつちゅう麾下きか艦船かんせん行動こうどうひょう
  48. ^ #だい11潜水せんすい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(2) p.5(昭和しょうわ19ねん)〔 がつちゅう麾下きか艦船かんせん行動こうどうひょう
  49. ^ 戦史せんし叢書そうしょ98 1979, pp. 281–283先遣せんけん部隊ぶたい概況がいきょう
  50. ^ 戦史せんし叢書そうしょ98 1979, pp. 288–290昭和しょうわじゅうきゅうねんがつころにおける潜水せんすい部隊ぶたい概況がいきょう
  51. ^ #S18.11海上かいじょう護衛ごえいそう司令しれい日誌にっし(1) p.52(昭和しょうわ19ねん2がつ)(作戰さくせん經過けいか概要がいよう)〔 いちてき攻略こうりゃく部隊ぶたい「グリン」しま上陸じょうりく開始かいし香取かとりとうそう司令しれい部隊ぶたい編入へんにゅうセラル 〕
  52. ^ #S18.11海上かいじょう護衛ごえいそう司令しれい日誌にっし(1) pp.41-42〔 (イ)敵情てきじょう
  53. ^ 戦史せんし叢書そうしょ62 1973, pp. 620–621トラックの空襲くうしゅうによる被害ひがい
  54. ^ 昭和しょうわ19ねん1がつ経過けいか概要がいよう昭和しょうわ19ねん3がつ経過けいか概要がいよう」、昭和しょうわ16.12~20.9 だい世界せかい大戦たいせん略歴りゃくれき(おつ)だい1ごう(主要しゅよう作戦さくせん概要がいよう)(防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C16120622500 
  55. ^ #S18.11海上かいじょう護衛ごえいそう司令しれい日誌にっし(1) p.53(昭和しょうわ19ねん2がつ)(作戰さくせん經過けいか概要がいよう)〔 いちななてき機動きどう部隊ぶたい「トラツク」ニ來襲らいしゅう(Bろく-はち、Aはち、Cいちさん、D15)|香取かとり だいよん驅逐くちくたいあらしまいふう)及あか城丸しろまるとうりつヰ「トラツク」出撃しゅつげき直後ちょくごどう北口きたぐち附近ふきんニ於テてき飛行機ひこうきやく〇〇來襲らいしゅうヲ受ケだい火災かさいなまとげ沈没ちんぼつ 〕(註:だい4駆逐くちくたい野分のわけまいふう
  56. ^ 戦史せんし叢書そうしょ98 1979, p. 291.
  57. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい728ごう 昭和しょうわ16ねん10がつ15にち」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072082800 
  58. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい982ごう 昭和しょうわ17ねん11がつ10日とおか」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072088000 
  59. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい1253ごう 昭和しょうわ18ねん11月1にち」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072094200 
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参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター(公式こうしき防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
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    • 昭和しょうわ18ねん12月1にち昭和しょうわ20ねん6がつ15にち だい11潜水せんすい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(1)』。Ref.C08030128800。 
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    • 昭和しょうわ18ねん8がつ1にち昭和しょうわ18ねん11月30にち 特設とくせつ巡洋艦じゅんようかん護国ごこくまる戦時せんじ日誌にっし 南海なんかい守備しゅびたい輸送ゆそう ひのと2.4ごう輸送ゆそう(3)』。Ref.C08030654100。 
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  • 海軍かいぐん編集へんしゅう委員いいんかい海軍かいぐんだいじゅういちかん しょう艦艇かんてい 特務とくむ艦艇かんてい 雑役ざつえきせん 特設とくせつ艦船かんせん』1981ねん
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  • 海人あましゃ世界せかい艦船かんせん』1997ねん6がつごう No.525
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  • ノンフィクション作家さっか佐藤さとう和正かずまさ艦長かんちょうたちの太平洋戦争たいへいようせんそう 続篇ぞくへん 17にん艦長かんちょうかたった勝者しょうしゃ条件じょうけん光人みつひとしゃ、1984ねん4がつISBN 4-7698-0231-5 
  • 船舶せんぱく技術ぎじゅつ協会きょうかいふね科学かがく』1980ねん1がつごう だい33かんだい1ごう
  • 戦没せんぼつせん記録きろくするかいられざる戦没せんぼつせん記録きろくうえ)』1995ねん8がつ
  • 日本郵船にっぽんゆうせん株式会社かぶしきがいしゃななつのうみいち世紀せいき 日本郵船にっぽんゆうせん創業そうぎょう100周年しゅうねん記念きねん船舶せんぱく写真しゃしんしゅう』1985ねん
  • 福井ふくい静夫しずお写真しゃしん日本にっぽん海軍かいぐんぜん艦艇かんてい』1994ねん2がつ
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<2> 昭和しょうわじゅうななねんろくがつ以降いこうだい62かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1973ねん2がつ 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 中國ちゅうごく方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<2> 昭和しょうわじゅうさんねんよんがつ以降いこうだい79かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1975ねん1がつ 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 南東なんとう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<3> とう撤収てっしゅうだい96かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1976ねん8がつ 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 潜水せんすいかんだい98かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1979ねん6がつ 
  • 三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ横浜よこはま製作所せいさくしょだい3 貨客船かきゃくせん氷川丸ひかわまる」」『20でつづるせん生涯しょうがい』三菱重工業株式会社横浜製作所総務勤労課、2013ねん8がつ 

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