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日枝丸 - Wikipedia

日枝ひえまる(ひえまる)は、かつて日本郵船にっぽんゆうせん保有ほゆうしていた貨客船かきゃくせんである。氷川丸ひかわまるきゅうの2ばんせんとして建造けんぞうされた。ふねめい日枝ひえ神社じんじゃ東京とうきょう千代田ちよだ)に[3]

日枝ひえまる
日枝ひえまる
基本きほん情報じょうほう
ふねしゅ 貨客船かきゃくせん
クラス 氷川丸ひかわまるきゅう貨客船かきゃくせん
船籍せんせき 大日本帝国の旗 大日本帝国だいにっぽんていこく
所有しょゆうしゃ 日本郵船にっぽんゆうせん
運用うんようしゃ 日本郵船にっぽんゆうせん
 大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
建造けんぞうしょ 横浜よこはま船渠せんきょ
母港ぼこう 東京とうきょうこう/東京とうきょう
姉妹しまいせん 氷川丸ひかわまる
平安へいあんまる
信号しんごう JGYC
IMO番号ばんごう 36219(※船舶せんぱく番号ばんごう
建造けんぞう期間きかん 433にち
就航しゅうこう期間きかん 4,856にち
経歴けいれき
起工きこう 1929ねん5月25にち
進水しんすい 1930ねん2がつ12にち
竣工しゅんこう 1930ねん7がつ31にち
就航しゅうこう 1930ねん
除籍じょせき 1944ねん1がつ5にち
最後さいご 1943ねん11月17にちかみなり沈没ちんぼつ
要目ようもく
総トン数そうとんすう 11,621トン
じゅんトン数とんすう 6,787トン(1930ねん
6,818トン(1931ねん
載貨さいか重量じゅうりょう 10,397トン
排水はいすいりょう 不明ふめい
全長ぜんちょう 163.3m
登録とうろくちょう 156.2m(1930ねん
155.9m(1931ねん
垂線すいせんあいだちょう 155.91m
かたはば 20.12m
かたふか 12.50m
たか 29.26m(水面すいめんからマスト最上さいじょうはしまで)
12.19m(水面すいめんから船橋ふなばし煙突えんとつ最上さいじょうはしまで)
11.88m(水面すいめんから船橋ふなばし後方こうほうデリックポスト最上さいじょうはしまで)
9.75m(水面すいめんから後部こうぶ船倉ふなぐらようデリック最上さいじょうはしまで)
しゅ機関きかん B&Wせいディーゼル機関きかん 2
推進すいしん 2じく
最大さいだい出力しゅつりょく 13,112BHP
ていかく出力しゅつりょく 11,000BHP
最大さいだい速力そくりょく 18.0ノット
航海こうかい速力そくりょく 15.0ノット
航続こうぞく距離きょり 15ノットで18,700うみさと
旅客りょかく定員ていいん 一等いっとう:58めい
とう:64めい
さんとう:186めい
1941ねん11月26にち徴用ちょうよう
たかさはべい海軍かいぐん識別しきべつひょう[1]より(フィート表記ひょうき)。
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日枝ひえまる
基本きほん情報じょうほう
かんしゅ 特設とくせつ潜水せんすい母艦ぼかん
特設とくせつ運送うんそうせん
かんれき
就役しゅうえき 1942ねん2がつ15にち海軍かいぐんせき編入へんにゅう
連合れんごう艦隊かんたいだいろく艦隊かんたいだい8潜水せんすい戦隊せんたい/横須賀よこすか鎮守ちんじゅ所管しょかん
要目ようもく
へいそう 15cmほう[2]4もん
きゅうさんしき13mm機銃きじゅう連装れんそう24もん
110cm探照灯たんしょうとう1
90cm探照灯たんしょうとう1
三米半測距儀1
装甲そうこう なし
徴用ちょうようさい変更へんこうされた要目ようもくのみ表記ひょうき
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戦前せんぜんシアトル航路こうろ就航しゅうこうした。だい世界せかい大戦たいせんにおける太平洋戦争たいへいようせんそうでは日本にっぽん海軍かいぐん徴用ちょうようされ、特設とくせつ潜水せんすい母艦ぼかんとして行動こうどうした。1943ねん昭和しょうわ18ねん)10がつ1にちづけ特設とくせつ運送うんそうかん指定していされる[4]。11月17にち[5]アメリカ海軍かいぐん潜水せんすいかんドラム」より魚雷ぎょらい攻撃こうげきけて沈没ちんぼつした。

ふねれき

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シアトル航路こうろ

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日本郵船にっぽんゆうせん北米ほくべいシアトル航路こうろ強化きょうかするため、1まん1000トンきゅう貨客船かきゃくせん3せき建造けんぞう決定けっていし、浅間あさままるがた秩父ちちぶまる」を建造けんぞうちゅう横浜よこはま船渠せんきょは2せき建造けんぞう受注じゅちゅうした[6]。これが「氷川丸ひかわまる」と「日枝ひえまる」である[6]船橋ふなばしには東京とうきょう千代田ちよだ日枝ひえ神社じんじゃまつ[3]。「氷川丸ひかわまる」、「日枝ひえまる」、「秩父ちちぶまる」はならんで同時どうじ建造けんぞうされた[7]。また氷川丸ひかわまるきゅう3せき氷川丸ひかわまる日枝ひえまる平安へいあんまる)は頭文字かしらもじ『H』を神社じんじゃめい氷川神社ひかわじんじゃ日枝ひえ神社じんじゃ平安へいあん神宮じんぐう)に由来ゆらいしている[3]1930ねん昭和しょうわ5ねん)7がつ横浜よこはま船渠せんきょ竣工しゅんこうシアトル航路こうろ就航しゅうこうした。どう航路こうろグレート・ノーザン鉄道てつどう日本郵船にっぽんゆうせん提携ていけいにより1896ねん明治めいじ29ねん開設かいせつされた航路こうろで、当時とうじ人口じんこう6000にんだったシアトルは「ノーザングレート鉄道てつどうちち、NYK(日本郵船にっぽんゆうせん)をはは」として目覚めざましい発展はってんげ60まん都市としになった。[8]

就航しゅうこう、往行では生糸きいと日本にっぽんちゃ綿めん製品せいひん玩具おもちゃなどをはこび,復航ふっこう屑鉄くずてつどう亜鉛あえん,ニッケル、牛皮ぎゅうひ航空機こうくうきよう特殊とくしゅ木材もくざいなどを運搬うんぱんした[9]

爆破ばくは未遂みすい事件じけん

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1938ねん昭和しょうわ13ねん)、ささえ事変じへん影響えいきょうでアメリカやカナダのたいにち感情かんじょう悪化あっかしていた。同年どうねん1がつ20日はつか[注釈ちゅうしゃく 1]シアトル港内こうない停泊ていはくしていた「日枝ひえまる」に爆破ばくは未遂みすい事件じけん発生はっせいした。

港内こうない桟橋さんばし他人たにんふくかかえた挙動きょどう不審ふしんおとこ警察けいさつ職務しょくむ質問しつもんしたところ、「日枝ひえまる」にばくだん仕掛しかけるためにうみはいった主犯しゅはんおとこっているむね供述きょうじゅつをした。付近ふきん海面かいめん捜索そうさくした結果けっか主犯しゅはんおとこ水死すいしたいダイナマイト300ほん時限じげん装置そうち設置せっちしたいかだつかった。時限じげん装置そうちはなぜか予定よてい時刻じこくの30ふんまえまっていた。低温ていおんうみ凍死とうししていた主犯しゅはんかくおとこは、カナダ ビクトリア在住ざいじゅうの29さい大学だいがく講師こうしであることが判明はんめいした。共犯きょうはんおとこくわしい事情じじょうらず、共産きょうさん主義しゅぎしゃ中国ちゅうごく機関きかんによる関与かんようたがわれたが、結局けっきょく背後はいご関係かんけい不明ふめい[10]その不安ふあんかかえながらシアトル航路こうろ維持いじされた[8]

戦争せんそう

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1941ねん昭和しょうわ16ねん)7がつABCD包囲ほういもう関連かんれんして連合れんごうこく陣営じんえいアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくイギリス帝国ていこくカナダなど)がたいにち資産しさん凍結とうけつったためシアトル航路こうろは8がつ日米にちべい関係かんけい悪化あっかから閉鎖へいさ休止きゅうしされた。本船ほんせんは9月から11がつまでえいしるしひがしアフリカらんしるし在留ざいりゅう邦人ほうじんげのための特別とくべつ航海こうかいについた[11]。11月下旬げじゅん、「日枝ひえまる」と「高千穂たかちほまる」は相次あいついで神戸こうべこう到着とうちゃくする[注釈ちゅうしゃく 2]。つづいて海軍かいぐん徴用ちょうようされ、太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせん直前ちょくぜんの12月7にちマーシャル諸島しょとうクェゼリンとう軍需ぐんじゅ物資ぶっし輸送ゆそうした[8]

1942ねん昭和しょうわ17ねん2がつ15にちづけ特設とくせつ潜水せんすい母艦ぼかんさだめられ横須賀よこすか鎮守ちんじゅ所管しょかんとなる[13]。4月に特設とくせつ潜水せんすい母艦ぼかんへの改装かいそう終了しゅうりょうし、だいろく艦隊かんたい隷下れいかだいはち潜水せんすい戦隊せんたい母艦ぼかんとなった[8]1943ねん昭和しょうわ18ねん)7がつにはインド洋いんどよううえで、ドイツかうどく潜水せんすいかん8」に補給ほきゅうおこなった。

1943ねん昭和しょうわ18ねん)10がつ1にち特設とくせつ潜水せんすい母艦ぼかんさだめをかれ[14]特設とくせつ運送うんそうせん雑用ざつようせん)となる。横須賀よこすか鎮守ちんじゅ府所ふどころかん[15]どう時期じき連合れんごう艦隊かんたいだいじゅうよん戦隊せんたい那珂なか五十鈴いすず司令しれいかん伊藤いとう賢三けんぞう少将しょうしょうそう指揮しきかんとするTよんごう輸送ゆそう部隊ぶたい編成へんせいした[16][注釈ちゅうしゃく 3]中国ちゅうごく駐屯ちゅうとんしていた日本にっぽん陸軍りくぐんだい17師団しだん師団しだんちょう酒井さかいやすし陸軍りくぐん中将ちゅうじょう)を、南東なんとう方面ほうめん輸送ゆそうする任務にんむである[18]だい4駆逐くちくたい司令しれい杉浦すぎうらよしみじゅう大佐たいさ指揮しきかんとするだいさん輸送ゆそうたい野分のわけまいふう日枝ひえまる粟田あわたまる)が編成へんせいされた[19]

10がつ10日とおかだいさん輸送ゆそうたいはトラック泊地はくち出発しゅっぱつ、10月17にち上海しゃんはい到着とうちゃくした[20][注釈ちゅうしゃく 4]20日はつか出発しゅっぱつしてラバウルにかうが、22にち宮古島みやこじま北方ほっぽう海域かいいきにおいて[22]、「粟田あわたまる」がアメリカ潜水せんすいかんグレイバック」に撃沈げきちんされる[23]生存せいぞんしゃ救出きゅうしゅつだいさん輸送ゆそうたい目的もくてきをトラック泊地はくち変更へんこうし、30にち到着とうちゃくした[21]。トラック泊地はくちひのとよんごう輸送ゆそう部隊ぶたい編成へんせい変更へんこうがおこなわれ、だいさん輸送ゆそうたい野分のわけまいふうやまくも日枝ひえまるほか2せき)となる[24]。 11月3にちだいさん輸送ゆそうたいはトラック泊地はくち出発しゅっぱつしたが[25]、4にち夕刻ゆうこくてき潜水せんすいかんより雷撃らいげきけて「日枝ひえまる」が魚雷ぎょらい自爆じばく損傷そんしょう最大さいだい発揮はっき速力そくりょく12ノットとなる[26]。そのB-24触接しょくせつされたり、幾度いくど潜水せんすいかんらしきものと遭遇そうぐう、トラック泊地はくちかえした[注釈ちゅうしゃく 5]

11月7にちにトラック到着とうちゃく、ふたたび輸送ゆそう部隊ぶたい編成へんせい変更へんこうがあった[28]南東なんとう方面ほうめん部隊ぶたい編入へんにゅうされたひのとよんごう輸送ゆそう部隊ぶたいまいふう野分のわけやまくも日枝ひえまる)は、9にちにトラック泊地はくち出発しゅっぱつした[注釈ちゅうしゃく 6]11月12にち、「日枝ひえまる」はニューブリテンとうラバウル到着とうちゃくして任務にんむえた[22]どう方面ほうめん進出しんしゅつしただいじゅうなな師団しだんは、だいさん水雷すいらい戦隊せんたい駆逐くちくかんによるねずみ輸送ゆそうなどによって各地かくち展開てんかいした[30]。 「日枝ひえまる」はマニラからラバウル陸軍りくぐん部隊ぶたい輸送ゆそうしたのちトラックとうかっていた[8]11月17にち昼前ひるまえアメリカ潜水せんすいかんドラム」に発見はっけんされ、「ドラム」はラバウル北西ほくせい300うみさと北緯ほくい0148ふん 東経とうけい14824ふん / 北緯ほくい1.800 東経とうけい148.400 / 1.800; 148.400で1440ふんに4ほん魚雷ぎょらい発射はっしゃうち1ほん命中めいちゅうした[31]護衛ごえい駆潜艇くせんてい2せき爆雷ばくらい攻撃こうげきをおこなったが[注釈ちゅうしゃく 7]、「ドラム」はった。 「日枝ひえまる」はやく4あいだ沈没ちんぼつしたが、生存せいぞんしゃ救援きゅうえんにかけつけた「名古屋なごやまる」に収容しゅうようされる[33]乗船じょうせんしゃ全員ぜんいん救助きゅうじょされ、トラックとう上陸じょうりくした[8]たすかった乗員じょういんけい空母くうぼ冲鷹」に便乗びんじょうして内地ないちかったが、同艦どうかんは12月3にちから4にちにかけてアメリカ潜水せんすいかんセイルフィッシュ」の魚雷ぎょらい攻撃こうげきにより沈没ちんぼつする[注釈ちゅうしゃく 8]。「日枝ひえまる乗組のりくみいん21めいちゅう20めい戦死せんしした[8]

1944ねん昭和しょうわ19ねん)1がつ5にち除籍じょせきかいやとい[35]

艦長かんちょうとう

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艦長かんちょう
  • 篠田しのだ清彦きよひこ 大佐たいさ:1942ねん2がつ15にち[36] - 1942ねん12月28にち
  • 有馬ありまただし 大佐たいさ:1942ねん12月28にち[37] - 1943ねん8がつ16にち
  • 原田はらだ文一ぶんいち 大佐たいさ:1943ねん8がつ16にち[38] - 1943ねん10がつ1にち
指揮しきかん
  • 原田はらだ文一ぶんいち 大佐たいさ:1943ねん10がつ1にち - 1943ねん10がつ5にち
  • 富田とみたけん四郎しろう 大佐たいさ:1943ねん10がつ5にち[39] - 1944ねん2がつ29にち[40]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 昭和しょうわ12ねん11月との資料しりょうもあるが[8]、ここでは外務省がいむしょう資料しりょう[10]したが
  2. ^ 母國ぼこくふところかえる 日枝ひえまる 高千穂たかちほまる[12] 先立さきだちつて南方みなかたらんしるしおよびアフリカ、西南せいなんアジア、印度いんど、ビルマ各地かくち使つかいひした日枝ひえまる高千穂たかちほまる兩船りょうせんはこれら各地かくちにおける不法ふほう反日はんにち態度たいど決然けつぜん歸國きこくする邦人ほうじん多數たすうじゅういちがつじゅういちにちじゅうさんにちあいついで神戸こうべ歸港きこうした(以下いかりゃく
  3. ^ よんごう輸送ゆそう部隊ぶたい任務にんむ報告ほうこく いち任務にんむ[17](イ)GFでんれいさくだいななさんはちごう(GFキデいちなな〇(じゅうがつ))ニリTよんごう輸送ゆそう部隊ぶたいトシテだいじゅうよん戰隊せんたい多摩たま木曽きそだいよん駆逐くちくたい護國ごこくまる清澄せいちょうまる日枝ひえまる粟田あわたまる指揮しきシ、上海しゃんはいヨリ南東なんとう方面ほうめん轉進てんしん陸軍りくぐんだいじゅうなな師団しだんノ「ラバウル」だい輸送ゆそうにんズ(以下いかりゃく
  4. ^ (3)だいさん輸送ゆそうたい[21] だいよん駆逐くちくたい野分のわけまいふう日枝ひえまる粟田あわたまるじゅうにちろく〇〇「トラツク」はつじゅうななにちいちよんさん上海しゃんはい繋留けいりゅう搭載とうさい物件ぶっけんりゃくだいさん輸送ゆそうたいじゅうにちいちよん〇〇上海しゃんはいはつ じゅうにちさんよんはち基準きじゅん針路しんろいち速力そくりょくいちよん.五節之字運動航行中二六度四九分北一二五度三分東ニ於テあわ田丸たまるてき潜水せんすいかん雷撃らいげきヲ受ケよんほん命中めいちゅう沈没ちんぼつ まいふうちょく爆雷ばくらい攻撃こうげきヲナセルがい 野分のわけまいふうさがせしんじ掃蕩そうとうセルモ手懸てかけナシ効果こうか不明ふめいきゅうよんあわ田丸たまる生存せいぞんしゃ全部ぜんぶ収容しゅうようえだまる護衛ごえい「ラバウル」ニこうフ/粟田あわたまる生存せいぞんしゃ 海軍かいぐんじゅん士官しかん以上いじょう さんめい 下士官かしかんへいはちめい 陸軍りくぐんじゅん士官しかん以上いじょうめい 下士官かしかんへいなないちめい/GFキデはちろくよん(じゅうがつ))ニだいさん輸送ゆそうたいハ「ラバウル」直行ちょっこう予定よてい変更へんこうはちはちさんふんきたいちよんふんひがし附近ふきんヨリ変更へんこう「トラツク」ニこうさんじゅうにちはちさん〇「トラツク」ちゃく 
  5. ^ 中略ちゅうりゃく[27] だいさん輸送ゆそうたいGFでんれいさくだいななはちよんごう及T四號輸信電令作第二號ニよん野分のわけまいふうやまくも日枝ひえまるにちまる神風かみかぜまる さんにちよんさん〇PTはつ南下なんかちゅうよんにちいちろくよんてきB-24いち交戰こうせん撃退げきたい被害ひがいナシ、四日よっかいちななきゅうてきせん雷撃らいげきヲ受ケ、うち一本いっぽん日枝ひえまる附近ふきんニテ自爆じばく日枝ひえ丸中まるなかあいだ軸受じくうけろく損傷そんしょうセルモとく速力そくりょくじゅうせつ よんにち〇〇行動こうどう予定よてい変更へんこう北西方きたにしかた反轉はんてん にち〇九三五神風丸敵潜望鏡ヲはつまいふう爆雷ばくらい攻撃こうげきくだり広範囲こうはんい多量たりょう湧出ゆうしゅつ効果こうかがい確実かくじつろくにちはちいち五更ごこう行動こうどう予定よてい変更へんこうPTニこうフ ななにちいちいち〇〇PT以下いかりゃく
  6. ^ (ヘ)GFでんれいさくだいななきゅうごう(GFキデ〇はちいちよん)ニはちにちいちよんよんごう輸送ゆそう部隊ぶたいひだりつう改編かいへんNTBニ編入へんにゅうサル[29]中略ちゅうりゃく改編かいへんよんごう輸送ゆそう部隊ぶたい(よん日枝ひえまる)NTBでんれいさくだいいちはちごう(NTBキデ〇はちいちよんなな)ニきゅうにちよんさん〇「ラバウル」ニこうケ「トラツク」はつ以下いかりゃく
  7. ^ 昭和しょうわ18ねん11月17にち記事きじ[32]いちいちよん せんきゅうせんさん護衞ごえいちゅう日枝ひえまる北緯ほくいいちよんふん東経とうけいいちよんはちさんふんニテ雷撃らいげきヲ受ケ航行こうこう不能ふのうちょく爆雷ばくらい攻撃こうげき実施じっしいち効果こうか確実かくじつ 日枝ひえまるいちななさん沈没ちんぼつ
  8. ^ (昭和しょうわ18ねん12がつ)[34]〔 3|2310|八丈島はちじょうじまノE180′ニテ冲鷹ハてき(潜水せんすいかん)ノ雷撃らいげきヲ受ク| |前部ぜんぶ魚雷ぎょらい×1命中めいちゅう航行こうこう自由じゆう 瑞鳳ずいほうくもたか摩耶まや、7dg、うらふうどうこう トラツクヨリ横須賀よこすか回航かいこうちゅう 横浜よこはまヨリさわふうたてそら(飛行機ひこうき)ヲちゅう 4にち早朝そうちょうさい雷撃らいげきヲ受ク 0845/4沈没ちんぼつ

出典しゅってん

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  1. ^ Hikawa_Maru_class
  2. ^ 四十糎口径四一式十五糎砲照準演習機装備図・にちえだまるよんじゅう口径こうけい毘式じゅうせんちめーとるほう兼用けんよう/40口径こうけい41ねんしき15せんちめーとるほう  照準しょうじゅん演習えんしゅう装備そうび」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.A03032236200 
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  5. ^ #まもる1811 p.12〔 (なな)管区かんくない被害ひがい船舶せんぱく調査ちょうさひょう(含特設とくせつ艦船かんせんじゅういちがついちにちいたりじゅういちがつさんじゅうにち
  6. ^ a b #三菱みつびし、2014ぺーじ『「秩父ちちぶまる」につづき、2せき客船きゃくせん受注じゅちゅう
  7. ^ #三菱みつびし、2016ぺーじ3、5つの船台せんだい建造けんぞうすす昭和しょうわ4ねん6がつ19にち風景ふうけい(写真しゃしん)』
  8. ^ a b c d e f g h 竹野たけの2008, p.175ff
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  10. ^ a b 昭和しょうわ13ねん/1.にちえだまる爆破ばくは事件じけん」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.B10074487800 
  11. ^ にちえいりょう国民こくみんの引揚にかんする了解りょうかいなみ在留ざいりゅう邦人ほうじん引揚のため船舶せんぱく派遣はけんけん」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C04014856900 
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  15. ^ 昭和しょうわ18ねん10がつ1にちづけ ないれいだい2041ごう」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12070181100 
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  17. ^ #S18.04だいじゅうよん戦隊せんたい日誌にっし(4) p.2
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  19. ^ #S18.04だいじゅうよん戦隊せんたい日誌にっし(4) p.3(軍隊ぐんたい区分くぶん)〔 (いち)上海しゃんはいいたり「トラツク」〔 だいさん輸送ゆそうたい本職ほんしょくよん司令しれいだいよん駆逐くちくたい野分のわけまいふう日枝ひえまる粟田あわたまるだいさん輸送ゆそう 〕、どう資料しりょう p.4(軍隊ぐんたい区分くぶん)〔 ()「トラツク」いたり「ラバウル」〔 だいさん輸送ゆそうたい本職ほんしょくよん司令しれいだいよん駆逐くちくたい日枝ひえまるだいさん輸送ゆそう
  20. ^ 戦史せんし叢書そうしょ58 1972, pp. 228–229だいじゅうなな師団しだんのラバウル進出しんしゅつ
  21. ^ a b #S18.04だいじゅうよん戦隊せんたい日誌にっし(4) pp.14-15
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  23. ^ #S18.10護衛ごえいたいせん p.7(昭和しょうわ18ねん10がつ)〔 22|0348|あわ田丸たまる(7397tGF)ハ沖縄おきなわ西方せいほう140′ニテてき(潜水せんすいかん)ノ雷撃らいげきヲ受ク|(空欄くうらん)|沈没ちんぼつ 17師団しだん一部いちぶひがし舩ニアリ 〕
  24. ^ #S18.04だいじゅうよん戦隊せんたい日誌にっし(4) p.17(軍隊ぐんたい区分くぶん)〔 部隊ぶたいめいだい輸送ゆそうたい指揮しきかん本職ほんしょく兵力へいりょくだいじゅうよん戦隊せんたい護国ごこくまる清澄きよすみまるじゅうなな(うらふういそふう)|だい輸送ゆそう 〕〔 だいさん輸送ゆそうたい| よん司令しれいよん野分のわけまいふうやまくもにちまる神風かみかぜまる日枝ひえまるだいさん輸送ゆそう
  25. ^ #S18.04だいじゅうよん戦隊せんたい日誌にっし(5) pp.25-26(作戦さくせん経過けいか概要がいよう、11月3にち~4にち
  26. ^ #S18.04だいじゅうよん戦隊せんたい日誌にっし(4) pp.25-26〔 (2)だいさん輸送ゆそうたい
  27. ^ #S18.04だいじゅうよん戦隊せんたい日誌にっし(5) p.10
  28. ^ #S18.04だいじゅうよん戦隊せんたい日誌にっし(5) p.19〔 ななにちいちいち〇〇 だいさん輸送ゆそうPT 〕〔 はちつき|Tよんごう輸送ゆそう部隊ぶたい改編かいへん だいじゅうよん戰隊せんたい護國ごこくまる 清澄きよすみまる原隊げんたいふく皈 〕
  29. ^ #S18.04だいじゅうよん戦隊せんたい日誌にっし(4) pp.26-27
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  35. ^ 昭和しょうわ19ねん1がつ5にちづけ ないれいだい54ごう」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12070198400 
  36. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい812ごう 昭和しょうわ17ねん2がつ16にち」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072084200 
  37. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい1022ごう 昭和しょうわ17ねん12月31にち」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072088700 
  38. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい1194ごう 昭和しょうわ18ねん8がつ18にち」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072092500 
  39. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい1234ごう 昭和しょうわ18ねん10がつ7にち」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072093700 
  40. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい1351ごう 昭和しょうわ19ねん3がつ1にち」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072096300 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター(公式こうしき防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
    • Ref.C08030052500『昭和しょうわ18ねん4がつ1にち昭和しょうわ18ねん11月15にち だい14戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(4)』。 
    • Ref.C08030052600『昭和しょうわ18ねん4がつ1にち昭和しょうわ18ねん11月15にち だい14戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(5)』。 
    • Ref.C08030101400『昭和しょうわ18ねん6がつ14にち昭和しょうわ18ねん11月11にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(5)』。 
    • Ref.C08030142900『昭和しょうわじゅうはちねんじゅういちがついちにちいたり昭和しょうわじゅうはちねんじゅういちがつさんじゅうにち だい二海上護衛隊司令部戦時日誌』。 
    • Ref.C16120658600『「昭和しょうわ18ねん10がつ」、昭和しょうわ16.12~昭和しょうわ18.12 だい東亜とうあ戦争せんそう経過けいか概要がいよう(護衛ごえいたいせん関係かんけい)の1(防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)』。 
    • Ref.C16120658700『「昭和しょうわ18ねん11月」、昭和しょうわ16.12~昭和しょうわ18.12 だい東亜とうあ戦争せんそう経過けいか概要がいよう(護衛ごえいたいせん関係かんけい)の1(防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)』。 
    • Ref.C16120658800『「昭和しょうわ18ねん12がつ」、昭和しょうわ16.12~昭和しょうわ18.12 だい東亜とうあ戦争せんそう経過けいか概要がいよう(護衛ごえいたいせん関係かんけい)の1(防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)』。 
  • 竹野たけの弘之ひろゆき豪華ごうか客船きゃくせん悲劇ひげき海文堂かいぶんどう出版しゅっぱん、2008ねん ISBN 978-4-303-63446-9
  • 日本郵船にっぽんゆうせん戦時せんじふね編纂へんさん委員いいんかい日本郵船にっぽんゆうせん戦時せんじふねじょう日本郵船にっぽんゆうせん、1971ねん
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 南太平洋みなみたいへいよう陸軍りくぐん作戦さくせん<3> ムンダ・サラモアだい40かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1970ねん12月。 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 南太平洋みなみたいへいよう陸軍りくぐん作戦さくせん<4> フィンシハーヘン・ツルブ・タロキナだい58かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1972ねん8がつ 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<2> 昭和しょうわじゅうななねんろくがつ以降いこうだい62かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1973ねん2がつ 
  • 三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ横浜よこはま製作所せいさくしょだい3 貨客船かきゃくせん氷川丸ひかわまる」」『20でつづるせん生涯しょうがい』三菱重工業株式会社横浜製作所総務勤労課、2013ねん8がつ 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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