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全日本労働総同盟 - Wikipedia

全日本ぜんにほん労働ろうどうそう同盟どうめい

日本にっぽん労働ろうどう組合くみあいのナショナルセンター (1964-1987)

全日本ぜんにほん労働ろうどうそう同盟どうめい(ぜんにほんろうどうそうどうめい)

  1. 戦前せんぜん日本にっぽん存在そんざいした、労働ろうどう組合くみあいナショナルセンターひとつ。略称りゃくしょうちょんそう(ぜんそう)[1]
  2. 日本にっぽん労働ろうどう組合くみあいそう連合れんごうかい連合れんごう発足ほっそく以前いぜん日本にっぽん労働ろうどう組合くみあいのナショナルセンターのひとつ。略称りゃくしょう同盟どうめい(どうめい)[1]ほんこうにて記述きじゅつ
全日本ぜんにほん労働ろうどうそう同盟どうめい
同盟どうめい
設立せつりつ年月日ねんがっぴ 1964ねん11月11にち
解散かいさん年月日ねんがっぴ 1987ねん11月19にち
後継こうけい組織そしき 日本にっぽん労働ろうどう組合くみあいそう連合れんごうかい
友愛ゆうあい連絡れんらくかい
組織そしき形態けいたい ナショナルセンター
加盟かめい団体だんたいすう 30団体だんたい解散かいさん時点じてん
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
本部ほんぶ所在地しょざいち 105
東京とうきょうみなとしば2-20-12日本にっぽん労働ろうどう会館かいかん
加盟かめい組織そしき 国際こくさい自由じゆう労働ろうどう組合くみあいそう連盟れんめい
支持しじ政党せいとう 民社党みんしゃとう

沿革えんかく

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結成けっせい

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1964ねん11月11にち全日本ぜんにほん労働ろうどう組合くみあい会議かいぎ全労ぜんろう会議かいぎ)と全日本ぜんにほん労働ろうどうそう同盟どうめい組合くみあい会議かいぎ同盟どうめい会議かいぎ)と日本にっぽん労働ろうどう組合くみあいそう同盟どうめいそう同盟どうめい)が合流ごうりゅう全日本ぜんにほん労働ろうどうそう同盟どうめい結成けっせい大会たいかい九段会館くだんかいかんおこなわれた[2]。「自由じゆうにして民主みんしゅてき労働ろうどう組合くみあい」を旗印はたじるしに、政治せいじてきには民社党みんしゃとう支持しじし、日本にっぽん社会党しゃかいとう支持しじする左派さは路線ろせん日本にっぽん労働ろうどう組合くみあいそう評議ひょうぎかい総評そうひょう)と対抗たいこうした。

連合れんごうへの合流ごうりゅう

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一連いちれん労働ろうどう運動うんどう再編さいへん同盟どうめい路線ろせん沿ったもので、同盟どうめいけい連合れんごう主流しゅりゅうとなった。同盟どうめい連合れんごう結成けっせい左翼さよく共産きょうさん主義しゅぎけい排除はいじょみとめさせたため総評そうひょう解散かいさんし、「自由じゆうにして民主みんしゅてき労働ろうどう組合くみあい」の路線ろせん多数たすう連合れんごう合流ごうりゅうするか、戦闘せんとうてき階級かいきゅうてき労働ろうどう運動うんどう路線ろせんち、少数しょうすうであっても日本にっぽん共産党きょうさんとうけい全国ぜんこく労働ろうどう組合くみあいそう連合れんごう全労連ぜんろうれん)や社会党しゃかいとう左派さはけい全国ぜんこく労働ろうどう組合くみあい連絡れんらく協議きょうぎかい全労協ぜんろうきょう)で運動うんどう推進すいしんするか、どこにも加盟かめいせず中立ちゅうりつ組合くみあいとなるのか、いずれかをせまられた。

解散かいさん

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きゅう同盟どうめいはその友愛ゆうあい会議かいぎ友愛会ゆうあいかい友愛ゆうあい連絡れんらくかい後継こうけい団体だんたい名称めいしょう変更へんこうしながら存続そんぞくしていたが、2007ねん8がつ31にち友愛ゆうあい連絡れんらくかい解散かいさんをもって、きゅう同盟どうめい設立せつりつから43ねん歴史れきしまくろした。なお友愛ゆうあい連絡れんらくかいは、政策せいさく研究けんきゅうフォーラム(きゅう民主みんしゅ社会しゃかい主義しゅぎ研究けんきゅう会議かいぎ)・民社みんしゃ協会きょうかい核兵器かくへいき禁止きんし平和へいわ建設けんせつ国民こくみん会議かいぎ核禁会議かくきんかいぎ)への支援しえんおこなっていた。

2017ねんから2018ねんにかけて民進党みんしんとう分裂ぶんれつすると、きゅう総評そうひょうけい労組ろうそ組織そしきない議員ぎいん大半たいはん立憲りっけん民主党みんしゅとう移籍いせきしたのにたいし、きゅう同盟どうめいけい労組ろうそ組織そしきない議員ぎいん民進党みんしんとう法的ほうてき継承けいしょうするかたち結成けっせいされた国民こくみん民主党みんしゅとう参加さんかした。その、2020ねん国民こくみん民主党みんしゅとう一部いちぶ立憲りっけん民主党みんしゅとう合流ごうりゅうしたしん立憲りっけん民主党みんしゅとうとその合流ごうりゅう参加さんかしなかった議員ぎいん所属しょぞくするしん国民こくみん民主党みんしゅとう分裂ぶんれつしたさいは、かく労働ろうどう組合くみあいによって支持しじかれた。

政策せいさく

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  1. 労使ろうし協調きょうちょう
  2. ちょん国民こくみん中産ちゅうさん階級かいきゅう
  3. 左右さゆう全体ぜんたい主義しゅぎ反対はんたいする。

1と2は、従来じゅうらい労使ろうし対立たいりつ路線ろせんではなく、労働ろうどうしゃ使用しようしゃ協調きょうちょうして企業きぎょう繁栄はんえいさせればパイがえ、労働ろうどうしゃぶんえるものとかんがえてのことだった。使用しようしゃ労働ろうどう運動うんどう譲歩じょうほしなければ自分じぶんくびめることに気付きづいており、利潤りじゅん公平こうへい分配ぶんぱいつとめた。結果けっかとしてあつみのある新中しんなかあいだそう成立せいりつし、いちおくそう中流ちゅうりゅうばれる現象げんしょう出現しゅつげんした。自衛隊じえいたい原発げんぱつ容認ようにんする姿勢しせいり、これらとの関係かんけいふか金属きんぞく自動車じどうしゃ電力でんりょく繊維せんいなどの産業さんぎょう労働ろうどう組合くみあい中心ちゅうしんとなっていた。

3については、右翼うよく全体ぜんたい主義しゅぎよりも左翼さよく全体ぜんたい主義しゅぎとの対決たいけつ姿勢しせいつよめ、国内こくないにあっては日本にっぽん共産党きょうさんとう打倒だとうのため自由民主党じゆうみんしゅとう共闘きょうとうし、開発かいはつ独裁どくさい標榜ひょうぼう国民こくみんへの弾圧だんあつ強行きょうこうした韓国かんこくぼく正煕せいき政権せいけんや、チリピノチェト政権せいけん積極せっきょくてき評価ひょうかした。

総評そうひょうソ連それん主導しゅどう世界せかい労連ろうれんへの加盟かめい躊躇ちゅうちょする一方いっぽうで、同盟どうめい資本しほん主義しゅぎ国家こっかぐん組合くみあい構成こうせいされる国際自由労連こくさいじゆうろうれん加盟かめいした。

加盟かめい組合くみあい

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解散かいさん時点じてん加盟かめい組合くみあい[3]総評そうひょう官公労かんこうろうおもだったのにたいし、同盟どうめい民間みんかん労組ろうそ主体しゅたいであった。

歴代れきだい会長かいちょう

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 全日本ぜんにほん労働ろうどうそう同盟どうめい. コトバンクより2021ねん10がつ7にち閲覧えつらん
  2. ^ 戦後せんご20ねん写真しゃしんしゅう共同通信社きょうどうつうしんしゃ、1965ねん8がつ1にち
  3. ^ 法政大学ほうせいだいがく大原おおはらしゃけん 1987ねん同盟どうめい組織そしきじょうきょう日本にっぽん労働ろうどう年鑑ねんかん だい58しゅう 240〕
  4. ^ 同盟どうめい三菱自工みつびしじこう労組ろうそ全日本ぜんにほん労働ろうどうそう同盟どうめい三菱自動車工業みつびしじどうしゃこうぎょう労働ろうどう組合くみあい)[ろう]1970.8.18 - 法政大学ほうせいだいがく大原おおはら社会しゃかい問題もんだい研究所けんきゅうじょ

関連かんれん項目こうもく

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