内 ゲバ
概要
また、
このように
また、さらに
内 ゲバの原因
主 な種類
代々木 系 (日本 共産党 系 )と新 左翼 系
中核 派 と革マル派
1960
1990
革労協 (解放 派 )と革マル派
革労協 の内内 ゲバ
1989
ブント各派 の内 ゲバ
革マル派 と他 党派
中核 派 と第 四 インター統一 書記 局 派
内 ゲバの歴史
1950年代
- 1950
年 (昭和 25年 ) -日本 共産党 が所感 派 と国際 派 に分裂 し、両派 のリンチが繰 り返 される。学生 運動 での初 めての内 ゲバとなっていく[4]。 - 1951
年 (昭和 26年 ) -東京 大学 で、国際 派 の学生 らが国際 派 内部 の反対 派 学生 らをリンチ[4][注 2]。 - 1952
年 ](昭和 27年 ) 6月 -全学 連 五 回 大会 で、所感 派 系 の学生 が国際 派 の反戦 学生 同盟 メンバーをリンチ。立 命 館 事件 [4]。
1960-67年
- 1961
年 (昭和 36年 )7月 -全学 連 第 17回 大会 で、革 共同 系 学生 (マル学 同 )と、ブント・解放 派 らつるや連合 の間 で乱闘 衝突 。学生 運動 史上 初 めての角材 を使用 した内 ゲバであり、セクト間 の武装 部隊 による本格 的 内 ゲバの初 めとなった[12]。 - 1963
年 (昭和 38年 )9月 11日 に起 きた清水谷 公園 乱闘 事件 では、同 公園 で、中核 派 、解放 派 ら連合 4派 250名 の集会 に革マル派 150名 が押 し掛 け、角材 で乱闘 した[13]。 - 1964
年 (昭和 39年 )7月 2日 -革マル派 の拠点 早大 に、中核 派 ・解放 派 ・構改派 の3派 が殴 りこみ[13]。7・2早大 事件 - 1966
年 (昭和 41年 )7月 4日 の全寮 連 第 八 回 大会 で、日 共 系 学生 と反日 共 系 学生 が大会 主導 権 を巡 って乱闘 が起 きた。日 共 系 学生 暴力 発動 の最初 であり、「あかつき行動 隊 」創設 につながった[注 3]。 同年 9月 3日 の社 青 同 東京 地本 九 三 事件 では、社 青 同 東京 地本 大会 で、大会 の主導 権 を巡 って解放 派 と協会 派 が乱闘 、協会 派 側 に百 人 を越 える負傷 者 をだす。
1967年 (昭和 42年 )
- 2
月 、3月 - 2月 28日 から3月 2日 にかけて、善隣 学生 会館 (現 、日 中 友好 会館 )で日本 共産党 系 と反日 共 系 ・華僑 学生 が衝突 。(善隣 学生 会館 事件 ) - 10月7
日 -法政大学 で、中核 派 が解放 派 の高橋 幸吉 などへリンチ。[14] - 10月8
日 -羽田 闘争 において中核 派 、解放 派 は内 ゲバに備 えて角材 とヘルメットで武装 する[15]。この武装 は現場 で対 機動 隊 に転化 され、初 めて機動 隊 を打 ち破 った。衝突 で、中核 派 の学生 山崎 博昭 が死亡 したことで、以来 、暴力 事件 は頻発 していった[16]。
1968年
1968
- 2
月 12日 -九大 教養 部 学 館 で中核 派 と社 青 同 解放 派 が乱闘 、1人 重傷 。[18] - 6月24
日 -法大 で、革 マルと中核 派 学生 が乱闘 。[18] - 7
月 20日 -反 帝 全学 連 大会 でブントと、解放 派 ・ML派 の両派 が乱闘 。[19] - 9月9
日 ~11日 法政大 で中核 派 と民 育 系 が乱闘 。[20] - 10月21
日 の国際 反戦 デーには新宿 事件 が発生 した[16]。 - 11月
- 12月
- 4
日 -早大 で解放 派 と革マル派 が乱闘 。[26] - 5
日 -東大 駒場 寮 で解放 派 と革マル派 がお互 いの拠点 を襲撃 しあう。[27] - 6
日 -東大 駒場 で解放 派 と革マル派 が内 ゲバ。[28] 10日 -東大 教養 学部 (駒場 )て革マル派 と解放 派 の対立 が激化 、駒場 寮 前 で約 200人 が衝突 、45人 が負傷 。[29]- 11
日 -警視庁 が東大 学 側 に警告 書 [30] - 13
日 -東大 教養 学部 で全共闘 と代々木 系 学生 ・有志 学生 が衝突 乱闘 。[31] - 14
日 上智大 で代々木 系 学生 と反 代々木 系 学生 が乱闘 。[32] - 16
日 - 17
日 -東大 駒場 で反 代々木 系 学生 間 でリンチ。[35] - 24
日 -東大 で全共闘 と民青 系 (代々木 系 )の学生 が乱闘 [36]
- 4
1968(
1969年 (昭和 44年 )
- 1
月 9日 -東大 闘争 勝利 総 決起 集会 後 、民青 系 と全共闘 が乱闘 、重軽傷 100人 余 。東大 闘争 での内 ゲバで火炎瓶 が初 めて使用 され、投 げ合 いになった[37]。翌 10日 、東大 駒場 で全共闘 と民青 が乱闘 。民青 は寮 の屋上 からピッチングマシンで投石 し、全共闘 側 は捕 まえた民青 を殴打 し、拷問 した[38]。10日 夜 から、東大 本郷 でも安田 講堂 を占拠 する全共闘 と民青 の間 で乱闘 [39]。 - 4
月 28日 -沖繩 デー事件 - 9月17
日 -中核 派 が埼玉大 の反戦 連合 を襲撃 [40]。翌 18日 、芝浦 工大 で反戦 連合 の学生 が中核 派 を襲撃 し、埼玉大 中核 派 学生 が死亡 。内 ゲバでの初 めての死者 となった[41]。 - 10月21
日 -国際 反戦 デー事件 - 11月16
日 ~17日 -佐藤 首相 訪米 阻止 闘争 で2500人 超 の逮捕 者 を出 した。 - 11月28
日 、日比谷 野外 音楽 堂 の集会 で、中核 派 、解放 派 ら八 派 と革マル派 が竹竿 や投石 で乱闘 した[42]。12月14日 にも、同 音楽 堂 での糟谷 君 虐殺 人民 葬 で同 八 派 に対 し革マル派 が襲撃 し、1500人 規模 の乱闘 で50人 が負傷 した[43]。
1969(
1970年 (昭和 45年 )
- 3月31
日 -赤軍 派 によるよど号 ハイジャック事件 - 5月22
日 -明治大学 商学部 十 一 号館 前 で学生 大会 参加 への呼 びかけを行 っていた代々木 系 の学部 自治 会 約 80人 に対 し、反対 する全共闘 系 の約 300人 が押 しかけて衝突 。乱闘 により数 人 が負傷 [45]。 - 5月30
日 - この日 までに警視庁 が都内 で把握 した内 ゲバが62件 (前年 同期 38件 )と増加 傾向 を見 せたことから、警視庁 は各 警察 署 に対 して「内 ゲバ警戒 報 」を発出 した[46]。 - 6月17
日 -早稲田大学 二 十 二 号館 前 で学生 集会 を開 こうとしていた代々木 系 の学生 約 200人 と大会 粉砕 を叫 ぶ革マル派 の学生 約 80人 が衝突 。3人 が負傷 [47] - 6
月 -豊島 公会堂 でのブント政治 集会 で各派 が内 ゲバ。[48] - 8
月 -中核 派 による東京 教育 大学生 リンチ殺人 事件 (海老原 事件 )。中核 派 と革マル派 との間 で最初 の殺人 事件 であり、事件 後 、革マル派 は『革命 的 暴力 とは何 か』(こぶし書房 、1971年 )を発表 した[49]。
1970(
1971年 (昭和 46年 )
- 4
月 28日 -日比谷公会堂 前 でブント各派 が乱闘 。[51] - 6月19
日 -沖縄 人民 党 ・民青 による革マル派 町田 宗 秀 死亡 事件 (琉大事件 、革マル派 は民青 によるリンチ殺害 とし、民青 は両派 衝突 の際 の事故死 としている) - 8
月 -京浜 安保 共闘 による印旛沼 事件 - 12月 - 1972
年 2月 -連合赤軍 による山岳 ベース事件 - 12月 -
革マル派 による関西大学 構内 内 ゲバ殺人 事件
1971(
1972年 (昭和 47年 )
- 11月 -
革マル派 による早稲田大 中核 派 シンパと疑 われた学生 内 ゲバ殺人 事件 (川口 大 三郎 事件 )
1972(
1973年 (昭和 48年 )
- 9月
- 15
日 -革マル派 が拠点 であった神奈川大学 の革労協 (社 青 同 解放 派 )を襲撃 。襲撃 自体 には成功 するが、革労協 がレポ活動 をしていた革マル派 東大 生 と革マル派 国際基督教大 生 を捕捉 し殺害 。神奈川大学 内 ゲバ殺人 事件 [52] - 17
日 -革マル派 と中核 派 が東京 鶯谷 駅 で集団 戦 。国電 鶯谷 駅 内 ゲバ事件 [53]
- 15
- 10
月 20日 革マル派 が中核 派 のアジトを襲撃 。中核 派 アジト襲撃 事件 。[54]
1973(
1974年 (昭和 49年 )
- 1
月 - 24
日 -東京 世田谷 区 で、中核 派 が、引 っ越 し作業 中 の革マル派 活動 家 とその友人 の東大 生 4人 を襲撃 、革マル派 とは無関係 だった友人 2人 (22歳 、21歳 )は鉄 パイプ等 で殴打 され、殺害 された[55][56][57]。この事件 を中核 派 は「偉大 なる戦果 」とし、「わがたたかう人民 は、暴力 革命 と革命 的 暴力 の鉄火 のなかで自己 を実現 し、自己 を清 めていく」との声明 を事件 後 に発表 、立花 隆 はこの声明 を「暴力 論 の一 つの極点 として、歴史 に残 る文書 になるだろう」としている。[58] - 24
日 -中核 派 が革マル派 神奈川大 生 (24歳 )を満員 の学生 食堂 内 で殺害 。止 めに入 った一般 学生 数 人 も負傷 。横浜国大 内 ゲバ殺人 事件 [59][60]
- 24
- 2
月 8日 -中核 派 が革マル派 だとして琉球大 生 (21歳 )を講義 中 の教室 内 で殺害 。琉球大学 内 ゲバ誤認 殺人 事件 [61][62] - 5月13
日 -革マル派 が中核 派 東京 都 特別 区 男性 職員 (37歳 )を、東京 都 千代田 区 の法政大学 から出 て国鉄 市ヶ谷 駅 に向 かう外濠 土手下 の路上 で襲 い殺害 。[63]殺 されたのは中核 派 東京 東部 地区 委員 長 (第 一 次 法政大 会戦 )。[64] - 6
月 - 9月
- 10月
- 12月1
日 -大阪 西 区 で、中核 派 数 人 が、革マル派 の元 高校 教諭 (30歳 )のアパートに侵入 、鉄 パイプやハンマーで殴打 し、殺害 。[70]
1974(
1975年 (昭和 50年 )
- 3
月 - 6
日 -東京 の路上 で、中核 派 が革マル派 幹部 (33歳 )を殺害 。革マル派 機関 紙 発行 責任 者 内 ゲバ殺人 事件 [71]。 - 14
日 -埼玉 のアパートで、革マル派 が中核 派 の最高 指導 者 (41歳 )を殺害 。中核 派 書記 長内 ゲバ殺人 事件 (本多 延 嘉 氏 )[72]。 20日 -東京 のマンションで、中核 派 が、革マル派 郵便 局員 2名 を(25歳 、28歳 )を殺害 [73]。- 27
日 -神奈川 の路上 で、中核 派 が革マル派 川崎 市役所 職員 (26歳 )を殺害 。川崎 市 女子 職員 内 ゲバ殺人 事件 。[74]。
- 6
- 4
月 - 5月
- 6
月 - 10月
1975(
1976年 (昭和 51年 )
1976(
1977年 (昭和 52年 )
- 2
月 -革マル派 による革労協 書記 長内 ゲバ殺人 事件 - 4
月 15日 の浦和 車両 放火 内 ゲバ殺人 事件 (浦和 市内 ゲバ殺人 事件 )では、浦和 市 内 の県道 上 において、革労協 が、革マル派 幹部 4人 をマイクロバスに閉 じ込 めて全員 を焼 き殺 した[44][87]。革マル派 らの乗車 するマイクロバスを、2台 の貨物 自動車 で前後 から襲 い、つるはし等 で車 の窓 ガラスを破壊 し、ガソリンを注 ぎ込 み、放火 するという手口 だった[44]。
1977
1978年 (昭和 53年 )
- 1978
年 (昭和 53年 )1月 27日 には、茨城 県 の水戸 市 と勝田 市 において、茨城大学 革マル派 学生 活動 家 の居宅 等 4箇所 を同時 に襲撃 した。窓 ガラス、出入口 等 を破壊 して侵入 し、就寝 中 の被害 者 の頭部 などを鈍器 で殴打 して3人 を殺害 、3人 に重軽傷 を負 わせた[50][88]。 - 2
月 10日 の大阪 市内 内 ゲバ殺人 事件 では、活動 家 1人 の居室 を,鉄 パイプ等 を所持 した5人 が襲撃 して殺害 した[88]。 - 9月30
日 の横浜国大 内 ゲバ殺人 事件 では、構内 にいた30数 人 を,対立 する20数 人 が襲撃 して鉄 パイプ等 による乱闘 となり,1人 が死亡 し,2人 が負傷 した[88]。
1979年 (昭和 54年 )
- 5月 -
中核 派 による津 市内 内 ゲバ殺人 事件 [90]。 - 11月 -
革マル派 が東京 、神奈川 の革労協 アジト3箇所 を襲撃 [90]。
1979(
1980年代
1980
- 1980
年 (昭和 55年 )9月 に発生 した、革労協 による東成 区 路上 内 ゲバ事件 では、盗難 車両 で相手 車両 をはさんで停車 させ、鉄 パイプに出刃包丁 を取 り付 けた凶器 で攻撃 した[92]。同年 10月 30日 の大田 区 南千束 路上 内 ゲバ殺人 事件 では、白昼 、南千束 の路上 で、武装 した中核 派 10数 人 が、東京工業大 生 ら革マル派 学生 5人 を鉄 パイプ,ハンマー等 で襲撃 し、全員 を殺害 した[93][94]。1980年 の内 ゲバ事犯 による死傷 者 数 40人 (うち死者 8人 )[93]。 - 1981
年 (昭和 56年 ) 7月 11日 、革労協 による7.11渋谷 区 本町 内 ゲバ殺人 事件 では、就寝 中 あるいは出勤 途上 の被害 者 を襲撃 し、頭部 や顔面 等 を鉄 パイプ等 でめった打 ちにして殺害 した[95][96]。1981年 の内 ゲバ事犯 による死傷 者 数 8人 、うち死者 2人 [96]。 - 1982
年 (昭和 57年 )2月 24日 の2.24荒川 区 南千住 内 ゲバ殺人 事件 では革労協 が、就寝 中 の革マル派 活動 家 の部屋 に押 し入 り、その頭部 を鉄 パイプ等 でめった打 ちにして殺害 した[97][98]。1982年 の内 ゲバ事犯 による死傷 者 数 8人 、うち死者 1人 [98]。 - 1983
年 (昭和 58年 )の内 ゲバ事犯 による負傷 者 数 5人 [99]。 - 1984
年 (昭和 59年 )、中核 派 が成田 闘争 での主導 権 をめぐって第 4インターに対 しテロを開始 した[100]。1984年 の内 ゲバ事犯 による負傷 者 数 12人 [99]。 - 1985
年 (昭和 60年 )2月 、革マル派 による和光大 事件 。革マル派 が中核 派 に対 し7年 ぶりに攻撃 姿勢 に転 じたとされる[101]。1985年 の内 ゲバ事犯 は中核 派 と革マル派 の間 で発生 し、負傷 者 数 は22人 だった[102]。 - 1986
年 (昭和 61年 )1月 20日 午前 10時 30分 頃 、京都大学 教養 部 A1号館 廊下 で、革マル派 が中核 派 で全学 連 副 委員 長 代行 の京大 生 (25歳 )を鉄 パイプ様 のもので頭部 を乱打 し、殺害 した(京都大学 教養 部 構内 内 ゲバ殺人 事件 )[103][104][105]。同年 9月 1日 、国鉄 分割 ・民営 化 にからんで、中核 派 が、革マル派 だとして国鉄 労組 幹部 を殺害 した(真 国労 大阪 地本 書記 長内 ゲバ殺人 事件 )[106][103]。1986年 の内 ゲバ事犯 による死傷 者 数 12人 (うち死者 2人 )[103] - 1987
年 (昭和 62年 )10月 30日 、赤羽 駅 で、革労協 が革マル派 だとしてJR東日本 社員 を襲撃 (JR東日本 赤羽 駅 構内 内 ゲバ事件 )[107]。1987年 の内 ゲバ事犯 による負傷 者 数 は4人 。いずれも国鉄 分割 ・民営 化 に絡 んで発生 した労組 幹部 等 に対 する路上 襲撃 事件 であった[108]。5年 ぶりに革労協 狭間 派 による革マル派 に対 する内 ゲバ事件 が発生 した[108]。 - 1988
年 (昭和 63年 )3月 、中核 派 が、革マル派 だとしてJR東日本 労組 高崎 地本 委員 長 を殺害 。1988年 の内 ゲバ事犯 による死傷 者 数 23人 、うち死者 1人 [109]。 - 1989
年 (昭和 64/平成 元年 )2月 8日 、中核 派 が、革マル派 だとしてJR労組 幹部 を殺害 (東鉄 労 水戸 地本 組織 部長 殺害 事件 )[110]。同年 6月 25日 、埼玉 県 川口 市 で革労協 狭間 派 が元 最高 幹部 を殺害 (革労協 元 幹部 内 ゲバ殺人 事件 )[111]。同年 12月 2日 、革労協 狭間 派 が、革マル派 だとしてJR組合 幹部 を殺害 [110]。1989年 の内 ゲバ事犯 による死者 3人 。いずれも新 東京 国際 空港 反対 闘争 に関連 する[112]。
1990年代
1990
- 1990
年 (平成 2年 )の内 ゲバ事犯 による負傷 者 数 2人 [113] - 1991
年 (平成 3年 )の内 ゲバ事犯 による負傷 者 数 7人 [113] - 1992
年 (平成 4年 )の内 ゲバ事犯 による負傷 者 数 3人 [113] - 1993
年 (平成 5年 )の内 ゲバ事犯 による死傷 者 数 3人 、うち死者 1人 [113] - 1995
年 (平成 7年 )の内 ゲバ事犯 による負傷 者 数 4人 [114] - 1996
年 (平成 8年 )5月 14日 、神奈川 県 で、革労協 狭間 派 が革マル派 学生 を襲撃 し、1名 を殺害 [115]。1996年 の内 ゲバ事犯 による負傷 者 数 9人 、うち死者 1人 [114] - 1998
年 (平成 10年 )の内 ゲバ事犯 による負傷 者 数 8人 [114]
1999年 (平成 11年 )〜2004年 (平成 16年 ):革労協 現代 社 派 と革労協 赤 砦 社 派
- 1999
年 (平成 11年 )5月 -革労協 狭間 派 が現代 社 派 と赤 砦 社 派 に分裂 し、以降 殺人 を伴 う内 ゲバの応酬 を繰 り返 す。1999年 は3名 の活動 家 が殺害 された。[116]。1999年 の内 ゲバ事犯 による死傷 者 数 4人 、うち死者 3人 [117] - 2000
年 (平成 12年 )2月 -革労協 現代 社 派 と革労協 赤 砦 社 派 の内 ゲバで2名 が殺害 [116]。2000(平成 12年 )の内 ゲバ事犯 による死傷 者 数 13人 、うち死者 4人 [117]。 - 2001
年 (平成 13年 )5月 千葉 県 で、革労協 赤 砦 社 派 が革労協 現代 社 派 の活動 家 を殺害 [118]。 - 2004
年 (平成 16年 )6月 2日 -東京 の路上 で革労協 現代 社 派 が革労協 赤 砦 社 派 の活動 家 2名 を殺害 [119]。
一覧
内 ゲバ事件 の発生 件数 一覧
1968 | 85 | 0 | 700 | |
1969 | 308 | 2 | 1143 | |
1970 | 175 | 2 | 525 | |
1971 | 272 | 4 | 521 | |
1972 | 183 | 14 | 338 | |
1973 | 238 | 2 | 573 | |
1974 | 236 | 11 | 607 | |
1975 | 229 | 20 | 543 | |
1976 | 91 | 3 | 192 | |
1977 | 41 | 10 | 47 | |
1978 | 32 | 7 | 45 | |
1979 | 22 | 8 | 32 | |
1980 | 15 | 8 | 32 | |
1981 | 9 | 2 | 6 | |
1982 | 6 | 1 | 7 | |
1983 | 3 | 0 | 5 | |
1984 | 11 | 0 | 12 | |
1985 | 12 | 0 | 22 | |
1986 | 9 | 2 | 10 | |
1987 | 4 | 0 | 4 | |
1988 | 5 | 1 | 21 | |
1989 | 3 | 3 | 0 | |
1990 | 4 | 0 | 2 | |
1991 | 2 | 0 | 7 | |
1992 | 4 | 0 | 3 | |
1993 | 2 | 1 | 2 | |
1994 | 0 | 0 | 0 | |
1995 | 2 | 0 | 4 | |
1996 | 2 | 1 | 8 | |
1997 | 0 | 0 | 0 | |
1998 | 4 | 0 | 8 | |
1999 | 5 | 3 | 1 | |
2000 | 6 | 4 | 9 | ( |
主 な内 ゲバ殺人 事件 一覧
1969 |
1 | ||||
1969 |
1 | ||||
1970 |
1 | ||||
1971 |
1 | ||||
1971 |
1 | ||||
1971 |
2 | ||||
1971 〜1972 |
12 | ||||
1971 |
1 | ||||
1972 |
1 | ||||
1972 |
( |
1 | |||
1973 |
2 | ||||
1974 |
2 | ||||
1 | |||||
1974 |
( |
1 | |||
1974 |
1 | ||||
1974 |
( |
1 | アパート | ||
1974 |
1 | アパート | |||
1974 |
1 | ||||
1974 |
1 | ||||
1974 |
1 | ||||
1974 |
1 | アパート | |||
1975 |
1 | ||||
1975 |
1 | ||||
1975 |
1 | ||||
1975 |
1 | ||||
1975 |
2 | ||||
1975 |
2 | アパート | |||
1975 |
マル |
(ノンセクト) | 1 | マル | |
1975 |
3 | ||||
1975 |
2 | ||||
1975 |
1 | ||||
1975 |
1 | ||||
1975 |
2 | ||||
1975 |
1 | ||||
1975 |
1 | ||||
1975 |
1 | アパートで | |||
1976 |
1 | ||||
1977 |
1 | ||||
1977 |
4 | ||||
1977 |
1 | ||||
1978 |
3 | アジト4 | |||
1979 |
1 | ||||
1979 |
1 | ||||
1979 |
1 | [126] | |||
1979 |
( |
2 | |||
1979 |
1 | [126] | |||
1980 |
( |
1 | |||
1980 |
1 | ||||
1980 |
1 | [127] | |||
1980 |
5 | ||||
1981 |
1 | ||||
1982 |
1 | ||||
1986 |
1 | ||||
1986 |
1 | ||||
1988 |
1 | ||||
1989 |
( |
1 | |||
1989 |
JR |
JR |
1 | ||
1999 |
1 | 6/13 | |||
1999 |
1 | ||||
1999 |
1 | ||||
2000 |
1 | ||||
2000 |
1 | ||||
2000 |
1 | ||||
2000 |
1 | ||||
2001 |
1 | ||||
2004 |
2 | アジト |
その他
恋人 同士 でありながら中核 派 に属 した奥 浩平 と革マル派 のシンパとなった中原 素子 。愛 し合 っていた2人 だが、党派 の争 いが激化 していく中 で2人 の関係 も引 き裂 かれていく。それが理由 の一 つで奥 は自殺 する。彼 の遺稿 『青春 の墓標 』に描 かれた2人 の関係 は「学生 運動 のロミオとジュリエット」と呼 ばれた。中核 派 最高 幹部 陶山 健一 と、革マル派 幹部 鈴木 啓一 (森 茂 )は血 をわけた兄弟 。2人 そろって東大 に入学 し革 共同 に加盟 するが、分裂 後 はそれぞれ中核 派 と革マル派 に分 かれた。平成 9年 1月 の陶山 の葬儀 には鈴木 の姿 はなかった。- この
左翼 の内 ゲバから転 じて、政治 ・思想 分野 に限 らず同 じ組織 に属 する人間 同士 の対立 、不毛 な仲間割 れ全般 が「内 ゲバ」と呼 ばれるようになり、本来 用 いられた意味 の「ゲバルト」よりも広 く一般 に定着 した。
脚注
注釈
出典
- ^ 「
機動 隊 と乱闘 することを外 ゲパといった」(『全共闘 グラフィティ』p118) - ^
警備 警察 50年 - ^ 「
全学 連 第 五 回 大会 で、旧 中執 二 十 七 人 を追放 する、共産党 中央 支持 派 の玉井 新 執行 部 が誕生 するのだが、この大会 では、新 執行 部 系 所感 派 「人民 警官 隊 」による国際 派 の反戦 学 同系 活動 家 に対 するリンチ事件 が起 こっている。これは、反戦 学 同 が帝国 主義 の手先 であり、CIC(アメリカ陸軍 情報 部 〉のスパイだとして、十 数 人 を密室 に監禁 、リンチを加 えたもので、のちに、七 0年代 に入 って激化 するグ内 ゲバ事件 4 のはしりということができよう。」(高木 正幸 『全学 連 と全共闘 』) - ^ a b c d 「
日本 の学生 運動 の内 ゲバは、日本 共産党 が一 九 五 O年 に所感 派 と国際 派 に分裂 し、両派 のテロリンチが繰 り返 されるというなかで最初 に発生 しています。五 二 年 六 月 に開催 された全学 連 五 回 大会 で、国際 派 の反戦 学生 同盟 メンバーが所感 派 系 の学生 にリンチされる事件 (立 命 館 事件 )がおこりました。お前 らは「帝国 主義 の手先 、CIAのスパイだ」というレッテル貼 りです。リンチを受 けた一人 である松本 忠明 は自殺 しましてるおた。しかしその前年 、東京 大学 では、国際 派 の武井 昭夫 らが「スパイ容疑 」で不破 哲三 らをリンチしていました。」(荒 岱介 2008, p. 187) - ^ 「36
年 (1961年 )に始 まった極左 暴力 集団 による内 ゲバの形態 は、47年 (1972年 )ころまでは、全学 連 大会 や学園 紛争 、大衆 運動 の中 でのトラブルや主導 権 争 いのため発生 した集団 遭遇 戦 が大半 を占 めていたが、48年 (1973年 )からは、被害 者 の再起 不能 や殺害 をねらった個人 「テロ」の様相 を深 めた。」(警察庁 1988) - ^
元々 「内 ゲバ」は、「党派 は違 えど、同 じ新 左翼 に属 する」とする立場 から、「左翼 の仁義 」と称 される一定 のルール(死者 は出 さない、警察 には介入 させない等 )に則 って行 われていた。しかし、「内 ゲバ」がエスカレートし死者 が続出 するような段階 になると、「内 ゲバ」を行 っている党派 はお互 いを「敵 対 集団 」「反 革命 」と規定 し、対立 党派 は「新 左翼 内部 」ではないと見 なすようになった。この段階 に至 った党派 は、対立 党派 への暴力 はもはや「内 ゲバ」ではないとし、「戦争 」と表現 する。 - ^ a b c
犯罪 白書 - ^ a b c d e f g h i
昭和 50年 警察 白書 第 7章 公安 の維持 3暴走 を続 ける極左 暴力 集団 - ^
昭和 48年 警察 白書 第 7章 公安 の維持 表 7-9内 ゲバ発生 状 況 (昭和 43~47年 ) - ^
謀略 粉砕 ・走狗 一掃 -革マル派 - ^ カクマル
批判 アーカイブ -中核 派 - ^ 「
業 をにやしたマル学 同 側 は、近 くの材木 屋 から大量 の角材 を買 ってきて、これで武装 して突撃 した。これが角材 が登場 したはじめての事件 であるとともに、セクト間 の武装 部隊 による本格 的 内 ゲバのはじめである。(略 )この角材 によるゲバを指導 したのが、マル学 同 に移行 した清水 丈夫 全学 連 書記 長 である。(略 )しばしば、今日 の殺 し合 いにまでエスカレートした内 ゲバが、どこからはじまったのかの議論 になると、結局 、このときの角材 使用 開始 にまで話 がさかのぼっていく。マル学 同 は、ほぼ全体 が革マル派 に移行 したが、清水 氏 は後 に中核 派 に移行 したので、この日 まで議論 をさかのぼらせても、互 いに相手 側 に責任 をなすりつけあうことになる。」(立花 隆 1975,上巻 ) - ^ a b
立花 隆 1975,上巻 - ^ 「10
月 6日 に日比谷公園 でおこなわれた全学 連 の統一 行動 で、やっかいな問題 が起 こったのだった。法大 処分 闘争 に関 する中核 派 のビラの中 で、ブントと解放 派 が批判 されていたのだが、これに怒 った解放 派 の全学 連 書記 局員 が中核 派 の書記 局員 ・丸山 淳 太郎 さんを殴 ってしまったのである。その場 はなんとかおさまったが、明 くる7日 のこと。8日 の行動 の打 ち合 わせで法政大学 に行 った解放 派 の書記 局員 ・渡木 繁 さんと高橋 孝吉 さんを中核 派 が拉致 し、長時間 のリンチをくわえる事態 になってしまったのである。大 闘争 の前日 に、三 派 全学 連 はとんでもないことになったわけだ。中央 大学 に集 まっていた社 学 同 や解放 派 は堂 の長椅子 を解体 してゲパ棒 を作 ると、法大 に押 しかけて抗議 し、解放 派 の書記 局員 を救出 した。双方 がゲパ棒 を押 し立 てての対峠 だったけれども、さいわい直接 の衝突 はなかった。」(荒 岱介 2008) - ^
高木 正幸 『全学 連 と全共闘 』 - ^ a b c d e f g h i j k
昭和 50年 犯罪 白書 ,第 3編 第 2章 第 3節 過激 派 集団 の犯罪 ,1975(昭和 50),法務省 - ^ テロ・ゲリラを
展開 し暴力 革命 を目指 す過激 派 『焦点 269号 、警備 警察 50年 』警察庁 平成 16年 - ^ a b c
毎日新聞社 1998 - ^ 「
前日 に続 き反 帝 全学 連 の主流 社 学 同 統一 派 と反 主流 の社 青 同 解放 、社 学 同 ML両派 が乱闘 し、全学 連 大会 流 れる」 - ^ 「9/11 3
日間 、中核 派 と民 育 系 が乱闘 した法大 で1000人 超 す一般 学生 が両派 を学内 から追 い出 し事態 収拾 」(毎日新聞社 1998) - ^ 「11/11
大学 統合 移転 で紛争 の静岡 大法 経 短大 学部 で、大学 占拠 をめぐり代々木 系 と反 代々木 系 学生 が乱闘 、40人 けが」(毎日新聞社 1998) - ^ 「『
大衆 団交 』貫徹 を要求 する全共闘 は全学 バリケード封鎖 を予告 し、これに反対 する白 共 系 学生 と乱闘 となり、約 70人 が負傷 。」「図書館 封鎖 で全学 封鎖 めざす全共闘 と代々木 系 が角材 で乱闘 」(毎日新聞社 1998) - ^ 「
教養 では代々木 ・反 代々木 の衝突 に教官 がスクラム組 み割 り込 んで拡大 を阻止 。」(毎日新聞社 1998) - ^ 「
図書館 前 (本郷 )で学生 5000人 と教官 800人 による提案 集会 が3時 間 余 開 かれるが、加藤 総長 代行 の発言 はたった3回 、しかも『なぜ、私 のいうことを聞 いてから議論 しようとしないのですか』がただ1回 ハッキリ聞 こえただけ。大学 当局 の『提案 集会 』に対 して全共闘 は『粉砕 』、日 共 系 は『阻止 』集会 で対抗 し加藤 代行 を奪 い合 ったため。流会 後 、両派 が衝突 を繰 り返 した」(毎日新聞社 1998) - ^
解放 派 の動員 力 低下 を、革マル派 は解放 派 を叩 き潰 すチャンスと見 た。一 九 六 八 年 十 一 月 もおしつまったある日 、「党派 折衝 」に名 を借 りて革 マルは早稲田 の解放 派 の主 だったメンバーを呼 び出 してテロを加 える計画 をたてた。組織 性 に欠 ける解放 派 は全学 のキャップだった浜口 竜太 (りゅうた)ひとりがのこのことあらわれ、テロでやられたのは浜口 一人 だった。早稲田 の解放 派 メンバーは早稲田 構内 に入 れない状態 になり、東大 駒場 の教職員 会館 を拠点 にして全国 動員 で革 マルとの武装 対峙 に入 った。(高原 駿 『沈黙 と軌跡 』) - ^ 『12・8
緑 会 のビラ』「ながらく早大 で第 1政経 自治 会 、文 連 、東大 闘争 等 をめぐり争 っていた革 マルと社 青 同 解 政派 」(毎日新聞社 1998) - ^ 『12・8
緑 会 のビラ』「革 マルと社 青 同 解 政派 は、一 昨夜 早大 で乱闘 を行 なった。これをめぐり5日 夜 10時 頃 東 C社 青 同 解放 派 約 70名 は駒場 寮 マル研 の(革マル派 の部屋 )を襲 い、洞田 某 を監禁 し、立 て看 に油 をかけて燃 やした。急 をきいた革 マル(早大 ・東大 etc)約 50人 は完全 武装 でかけつけ、社 思 研 (社 青 同 解放 派 の部屋 )を襲 った。この襲撃 で白 形 、松本 ら10人 近 くが負傷 し、うちひとりが脳 内 出血 の重傷 を負 った。」(毎日新聞社 1998) - ^ 「12/6
東大 教養 学部 駒場 寮 で社 青 同 解放 派 の部屋 に早大 等 の革マル派 とみられる学生 約 50人 が角材 ・白 ヘルメット姿 で押 しかけ乱闘 、止 めに入 った寮生 8人 が負傷 」(毎日新聞社 1998) - ^ 「
教養 学部 での反 代々木 系 革マル派 と社 青 同 解放 派 の学生 同士 の対立 激化 し、駒場 察前で200人 が衝突 」(毎日新聞社 1998) - ^ 「
警視庁 は田村 二郎 教養 学 部長 に対 し『今後 、衝突 があった場合 、大学 側 の要請 がなくても警官 を学内 に立 ち入 らせることもある』との警告 書 を渡 す」(毎日新聞社 1998) - ^ 「
東大 教養 学部 で全学 集会 への学生 代表 団 を選 ぶ代議員 大会 を開 こうとした全学 連行 動 委員 会 (代々木 系 )、一般 学生 有志 とこの大会 に反対 する全共闘 が構内 で衝突 、乱闘 で教官 ら23人 けが。午後 代々木 系 が他 大 生 含 む角材 持 った500人 の行動 隊 で守 りを固 め大会 を強行 し代表 選 ぶ。法学部 学生 大会 でスト解除 案 否決 」「6日 からの争 いで重軽傷 者 は計 128人 を超 えた。」(毎日新聞社 1998) - ^ 「
上智大 でバリケードを撤去 しようとする一般 学生 ・代々木 系 学生 とこれを阻止 しようとする反 代々木 系 学生 が乱闘 」(毎日新聞社 1998) - ^ 「
反 代々木 系 学生 同士 がまた衝突 、一部 は井 の頭線 駒場東 大前 駅 ホームでも乱闘 したため、機動 隊 が出動 し13人 逮捕 」(毎日新聞社 1998) - ^ 「
法政大 で反 代々木 系 と代々木 系 の学生 それぞれ200人 が投石 、殴 り合 い。反 代々木 系 50人 が飯田橋 駅 に逃 げ込 み、国電 ダイヤ乱 れる」(毎日新聞社 1998) - ^ 「
反 代々木 系 学生 聞の乱闘 が続 く東大 駒場 で翌 未明 にかけてリンチ事件 があり、2人 重体 、12人 けが」(毎日新聞社 1998) - ^ 「12/24
東大 医学部 学生 大会 に全共闘 が殴 り込 み代々木 系 の民主 化 行動 委 の学生 と乱闘 」(毎日新聞社 1998) - ^ 「
日 共 民青 はそれを阻止 せんとしゲバルト部隊 が派遣 されていた。集会 後 全共闘 は法 および経済学部 に突入 し、再 占拠 を企 てた。本郷 全体 でゲバルトになったのである。タ闇 の中 、教育 学 部屋 上 で民青 との問 に火炎 ピンの投 げ合 いになったのを思 い出 す。火炎 ビンは安田 講堂 内 ではこのとき既 に、多量 に作 られていたが、表 だって使用 されてはいなかった。(略 )バリケードを築 き、投石 し合 う中 、村松 はライターで布 切 れに火 をつけたウイスキーピンを投 げた。ガチャン、ボワ!と青 い炎 が広 がり、投 げつけられた民青 はワァ!と後方 に逃 げて行 った。追 いかける私 たち、そして再 び火炎 ビンが投 げられたが、今度 は不発 だった。途中 で火 が消 えてしまったのだ。それを拾 った暗闇 の中 の民青 は、火 をつけて逆 にこちらに投 げ返 した。放物線 を描 いて小 さな炎 が飛 んで来 て、それが私 の足許 に落 ちた。次 の瞬間 、ボワァと青 い炎 が私 の足許 に広 がった。「ワァ!」と思 わず飛 びのいた。「民 育 が火炎 ピン投 げんのか」と叫 ぶと、「そっちが投 げたんだろ」と聞の中 からい返 してきた。」(荒 岱介 2001) - ^ 「
民青 が翌日 代議員 大会 でスト解除 を決 談 しようとするのを粉砕 するためだ。(略 )民青 の代議員 大会 は寮 食堂 で開 かれるということで、寮 食 と明 、中 、北 寮 をめぐる攻防 になった。(略 )。明 寮 への突入 を試 みたが、屋上 からすさまじい勢 いで投石 され、眼 の前 でパタパタと人 が倒 れた。なんと日 共 民青 はピッチングマシンを持込 み、それで全 共 閥 系 の学生 めがけて発射 していたのである。ヒユン、ヒユンと瓦 を砕 いたとおもわれる石 が、すさまじいスピードでしかもカーブしながら飛 んできた。夜間 なので弾 は全 く見 えない。寮 の廊下 には畳 が積 み上 げられ、中 に突入 することもままならぬのだ。(略 )全共闘 側 は日大 全共闘 を中心 に捕 まえた民青 を拷問 した。ボコボコにぶん殴 ったあげく、南京袋 をかぶせ、紐 で縛 って引 っ張 り回 した。夜 は寒 かったのであちらこちらで机 や椅子 がこわされ焚 き火 がたかれたが、その火 の中 にまで引 っ張 り回 そうとするのを見 たときはたまげた。(略 )11日 に捕虜 交換 をしたが、民青 は戸板 にのせて持 っていくしかない人 もいた。」(荒 岱介 2001) - ^ 「
10日 夜 から日 共 民青 は安田 講堂 に対 しても攻撃 をかけ、これは占拠 中 の東大 全共闘 と支援 に駆 けつけた中 大会 中 闘 でしのいだが、リヤカーにピッチングマシンを積 んで撃 ちながら攻 めてきたという。法文 一 、二 号館 のバリケードがその結果 解除 された。この攻撃 は11日 午前 中 まで続 き、全共闘 側 は火炎 ピンを投 げて抵抗 した。本郷 にやってきたのは地区 民 (地域 の日 共 党員 ) で、1000名 はゆうにこえる大 部隊 だったという。」(荒 岱介 2001) - ^ 「
事件 の経緯 は、前夜 の9月 17日 から始 まる。中核 派 の全学 連 書記 局 と中心 メンバーたちが、バリケード封鎖 中 の埼玉大学 に襲撃 をかけた。理工学部 の親 反戦 連合 系 のボックスにあるヘルメットをかぶり、武器 を調達 したという。目標 はただ1人 、反戦 連合 のリーダーで元 中核 派 、天才 的 なアジテーションで人気 の高 いNだ。(略 )内部 を知 り尽 くしている滝沢 さんの手引 きによる襲撃 の前 に、彼 らは一気 に蹴 散 らされた。そこここで逃 げ遅 れた学生 が叩 きのめされる。中核 派 は標的 のNを確保 して、車 に押 し込 む。埼玉 の山中 に連行 する途中 、人違 いに気付 いたようだ。拉致 されたのは理工学部 のTだった。ひと気 の無 い山道 に放 り棄 てたらしい。その頃 、北浦和 キャンパスには、急 を聞 いて駆 け付 けた学生 たちが三々五々 集 っていた。当初 、襲撃 したのは革 マルだと思 われた。バリケードの破壊 は凄 まじかった。埼大中核 派 も、滝沢 さんを除 いて駆 け付 けて来 た。彼 らは何 も知 らされていない。襲撃 を許 さない、Tを何 としても取 り戻 す。意志 一致 が進 む。しかし後 から戻 って来 た学生 によって、「滝沢 がいた、中核 だ」という事 が明 らかになった。埼大中核 派 は、非難 を一身 に浴 びて弁明 する。「聞 いていない、事実 だとすれば自己 批判 する」。Tが拉致 された先 は、芝 工大 ・大宮 キャンパスだろうと目星 がついた。今 もこの瞬間 、Tはリンチに遭 っている。救出 に行 こう。志願 者 たちで行動 隊 を組織 する。(略 )熟睡 中 に、不意 を衝 かれた書記 局 や、芝 工大 中核 派 は追 い詰 められ、2階 から4人 が転落 した。その1人 、滝沢 さんが死 んだ。「内 ゲバによる最初 の死者 」だった。」『狂 おしく悩 ましく』元 中核 派 ・編集 局員 - ^
高橋 和己 『内 ゲバの論理 』「九 月 一 八 日 、『大学 立法 反対 などでバリケード封鎖 中 の芝浦 工大 で、同校 二 号館 にたてこもっていた反日 共 系 全学 闘 の学生 が、十 人 前後 の学生 に寝込 みを襲 われ、二 階 の窓 から落 とされ、うち一 人 がコンクリートの地面 にたたきつけられて死亡 、三 人 が重傷 を負 った』事件 である。事後 にあきらかになった事実 は、芝浦 工大 の二 号館 校舎 にたてこもっていたのは、革 マル、中核 、四 トロなど反 代々木 系 学生 。そして殺 された滝沢 紀昭 はじめ負傷 者 はすべて中核 系 学生 。襲撃 したのは、埼玉大学 において中核 派 と対立 していた反戦 連合 の学生 二 十 余 名 。襲 った理由 は埼玉大学 で中核 と反戦 連合 が対立 していて、前日 に内 ゲパがあり、反戦 連合 系 学生 一 人 が人質 として芝浦 工大 へ連行 されていて、その人質 の奪還 ないしは仕返 しのために襲撃 したものという。」 - ^ 「
双方 竹 ザオをふりまわし、投石 しあって大 乱戦 。負傷 者 十 数 人 がでた。」(立花 隆 1975,上巻 ) - ^ 「
双方 合 わせて1500人 が日曜日 の日比谷公園 を舞台 に、大 乱闘 をくり広 げ、50人 が負傷 」(立花 隆 1975,上巻 ) - ^ a b c
昭和 52年 犯罪 白書 ,第 一 編 第 1章 第 4節 過激 派 集団 の犯罪 ,1977(昭和 52),法務省 - ^
名 大 では学生 同士 乱闘 『朝日新聞 』1970年 (昭和 45年 )5月 31日 朝刊 12版 3面 - ^
警視庁 「内 ゲバ警戒 報 」出 す都内 では昨年 の倍 『朝日新聞 』1970年 (昭和 45年 )5月 31日 朝刊 12版 3面 - ^
早大 でまた内 ゲバ『朝日新聞 』1970年 (昭和 45年 )6月 17日 朝刊 12版 22面 - ^ 「
豊島 公会堂 で開 かれたブント政治 集会 では、叛旗 ・情況 派 ブロックとのゲバルト闘争 になった。三上 治 が演説 をしているさなか、会場 脇 の扉 から青竹 が次々 に運 び込 まれた。こちらも用意 していたので会場 の中央 でぶつかり合 った。パチンパチンと竹竿 で競 り合 うなかで、三上 が声 を張 り上 げて演説 していたのが印象 的 だ。」(荒 岱介 2001) - ^
笠井 潔 、絓秀実 、外山 恒一 『対論 1968』集英社 新書 、2022年 、p.160-161. - ^ a b c d e f g h i
昭和 53年 犯罪 白書 ,第 二 節 過激 派 集団 の犯罪 ,2内 ゲバ事犯 ,1978(昭和 53),法務省 - ^ 「
七 一 年 の四 ・二 八 闘争 で、ブント内 分派 闘争 の決着 をつける展開 になっていった。当日 は250人 ぐらいの竹竿 部隊 が日比谷公園 前 で相互 対峠 し、集会 参加 者 が見守 るなか一斉 にゲバルトになった。最初 は(戦旗 派 と)赤軍 派 残党 や関西 派 を中心 にした二 一 ・一 八 ブントとの対決 だった。ゲバルトそのものは牛乳 ピンを投 げ、鉄 パイプを持 った迎撃 隊 を作 った私 たち(戦旗 派 )の勝 ちだった。竹竿 でのゲバルト戦 は、投石 や欽パイプには勝 てない。戦術 をエスカレートしたほうがいつも戦術 的 には有利 なのだ。つぎは息 をつく暇 もなく、叛旗 派 の竹竿 部隊 が私 たちの前 に立 ちはだかった。これも数 秒 で私 たちの完勝 だった。」(荒 岱介 2001) - ^ 「
反 帝 学 評 約 50人 が「9.15ミッドウェー母港 化 反対 闘争 」に向 けて前日 から拠点 校 の神奈川大学 に泊 まり込 んでいたところ、9月15日 午前 1時 45分 ごろ、革マル派 約 150人 がヘルメット、覆面 、鉄 パイプの武闘 スタイルでこれを襲撃 し、相互 に多 くの負傷 者 が出 た。この間 にあって、反 帝 学 評 約 20人 、レンタカーを使 って反 帝 学 評 の動向 を視察 していた革マル派 2人 を襲 い、鉄 パイプで殴 る、突 く、ける等 の暴行 を加 えて両 名 を殺害 し、現場 から5キロメートル離 れた浄水 場裏 に死体 を遺棄 した。」(警察庁 1974) - ^ 「9
月 17日 午前 7時 30分 ごろ、都下 国電 鶯谷 駅 構内 に中核 派 約 150人 が集合 していたところ、突然 鉄 パイプで武装 した革マル派 約 80人 がこれに襲 いかかった。このため、駅 構内 及 び線路 上 で乱闘 となり、山手 線 、京浜東北 線 の一部 が数 分間 電車 の運行 を中止 した。この間 、双方 合 わせて7人 が負傷 し、救急 車 で付近 の病院 へ収容 されたほか、ホームにいた乗客 が巻 き添 えになった。」(警察庁 1974) - ^ 「10
月 20日 午前 4時 ごろ、東京 、横浜 、京都 、大阪 の各地 で革マル派 約 200人 がいっせいに中核 派 のアジト12箇所 を鉄 パイプ、竹 ざお、木 槌 、ガスバーナー等 で襲撃 し、双方 合 わせて13人 が負傷 した。」(警察庁 1974) - ^ 「
世田谷 区 のアパート「ふく荘 」前 で引 っ越 し作業 中 、中核 派 と思 われる数 人 に鉄 パイプ等 で殴打 され同日 死亡 した。」(警察庁 1975) - ^
難 を逃 れたうちの1人 は後 の仏文 学者 石田 英 敬 だった。「革マル派 活動 家 石田 君 が、最近 中核 派 に狙 われているらしいと気 づき、住所 を変 えようとしていた。この日 、三 人 の友人 に手伝 ってもらって朝 から引越 し作業 をしていた。(略 )石田 君 は二 階 から飛 び降 りて夢中 で逃 げ、引 っ越 しの手伝 いにきていたもう一人 の友人 も逃 げたが、富山 隆 君 は逃 げる途中 でころんでしまった。そこを囲 まれてバール、鉄 パイプでメッタ打 ちにされた。また、二 階 にいた四宮 俊治 君 も逃 げられないでいる所 を踏 みこまれ、これまたメッタ打 ち。」立花 隆 1975 - ^ 「わたしは
引 っ越 しの当日 に運 良 く逃 げおおせた石田 英 敬 のことを考 えてみた。二十歳 の時点 で親友 の同級生 二 人 を目 の前 で殺害 され、かろうじて生 き延 びた石田 の心 の傷 と恐怖 を想像 すると、眩暈 のような感覚 に襲 われる気 がした。」(四方田 犬 彦 2009) - ^ 『
革 共同通信 』「一 ・二 四 の偉大 なる戦果 を実現 したわが同盟 と、そのもとに結集 するたたかう全 人民 の志気 はいよいよ高 まり、その精神 はいよいよ純潔 である。(略 )わがたたかう人民 は、暴力 革命 と革命 的 暴力 の鉄火 のなかで自己 を実現 し、自己 を清 めていくのである。」(立花 隆 1975,下巻 ) - ^ 「(
神奈川 )横浜国大 経済学部 食堂 内 で、中核 派 と思 われる数 人 に鉄 パイプ等 で殴打 され同日 死亡 した。」(警察庁 1975) - ^ 「
横浜国大 でも革マル派 活動 家 の矢崎 知二 君 が六 人 の中核 派 に襲撃 された。矢崎 君 は、おりからの昼食 時 で満員 の学生 食堂 に逃 げ込 んだ。しかし、そこで追 いつかれて引 き倒 された。そして、約 三 百 人 の学生 が遠巻 きに見守 るなかで、一人 が矢崎 君 の上 に馬 のりになって押 さえつけ、他 の二人 が一 メートルものバールをクワのようにふるって後頭部 を打 ちくだいたほか、全身 をメッタ打 ちにした。」(立花 隆 1975,下巻 ) - ^ 「(
沖縄 )教室 受講 中 乱入 してきた中核 派 と思 われる数 人 に人違 いされ、鉄 パイプ等 で殴打 され同日 死亡 した。」(警察庁 1975) - ^ 「
中核 派 の殺 し屋 八 人 は(略 )七 十 余 名 の学生 が講義 (物理 学 概説 )を受 けていた教養 Aの教室 に後方 から突如 として乱入 した。そして、『自治 委員 長 の安室 はいるか!安室 はどこだ!』とヒステリックに叫 び、(略 )その時 、一人 黒板 の方向 に走 って退避 せんとした比嘉 君 を、殺 し屋 どもはその顔 を何 ら確 かめることもなく『あれが、安室 だ!殺 れ!』と口 ぐちにわめきながら、バール、鉄 パイプなどの殺人 用 武器 をふりかざして、背後 から襲 いかかり、彼 、比嘉 君 の後頭部 に狙 いを定 めてメッタ打 ちにしたのである。 (『解放 』)」「二 ・八 は琉大カクマル幹部 安室 某 に対 する断固 たる制裁 として、またその革命 的 制裁 活動 に反動 的 敵対 をなしたカクマル分子 比嘉 某 の徹底的 せん滅 として圧倒的 にうちぬかれたのである。(中核 派 )」(立花 隆 1975,下巻 ) - ^ 「
中核 派 数 十 人 と法大 から出 たところを待 ち伏 せ中 の革マル派 に襲撃 され、鉄 パイプ等 で殴打 され翌日 死亡 した。」(警察庁 1975) - ^
立花 隆 「中核 vs革 マル」下巻 (講談社 文庫 )94ページ - ^ a b 「アパート
自室 で就寝 中 、乱入 してきた数 人 に鉄 パイプ等 で殴打 され翌日 死亡 した。」(警察庁 1975) - ^
立花 隆 「中核 vs革 マル」下巻 (講談社 文庫 )101ページ。同書 などを見 たところ、この時期 、法政大学 構内 で行 われた内 ゲバで死者 は出 ていない。5月13日 の死者 は、法政大 学外 の路上 。大学 側 の記録 にもない。 - ^ 「
守口 市 中央 観光 バス前 で、革マル派 数 人 に鉄 パイプで殴打 され、入院 中 2週間 後 に死亡 した。」(警察庁 1975) - ^ 「
品川 公会堂 付近 を歩行 中 、後方 から追 いかけてきた中核 派 数 人 に鉄 パイプで殴打 、同日 死亡 した。」(警察庁 1975) - ^ 「
代々木 駅 付近 を歩行 中 、後方 から革マル派 数 人 に鉄 パイプで殴打 され、同日 死亡 した。」(警察庁 1975) - ^ 「
西 区 のアパート自室 で就寝 中 、乱入 してきた中核 派 数 人 に鉄 パイプ、ハンマー等 で殴打 され、同日 死亡 した。」(警察庁 1975) - ^ 「
被害 者 ほか2人 が荷物 発送 作業 中 、車 2台 で追尾 してきた中核 派 数 人 に鉄 パイプで殴打 され、同日 1人 が死亡 した。」(警察庁 1976) - ^ 「アパート
自宅 で就寝 中 、鉄 パイプ、まさかり等 を持 って室内 に乱入 してきた革マル派 十 数 人 に頭部 等 を殴打 され、即死 した。」(警察庁 1976) - ^ 「マンション2
階 の自室 で就寝 中 、鉄 のはしごを利用 して室内 に侵入 してきた中核 派 数 人 に鉄 パイプ、バール、スコップ等 で殴打 され、1人 が即死 、1人 は翌々日 死亡 した。」(警察庁 1976) - ^ 「
被害 者 が川崎 市役所 裏 出入口 から外 に出 てきたところ、鉄 パイプを所持 して待 ち構 えていた中核 派 3人 に頭部 等 を殴打 され、同日 死亡 した。」(警察庁 1976) - ^ 「
被害 者 が喫茶店 内 で電話 中 、店内 に乱入 してきた中核 派 3人 に鉄 パイプで頭部 等 を殴打 され、同日 死亡 した。」(警察 視 庁 1976) - ^ 「
被害 者 が喫茶店 内 で飲食 中 、店内 に乱入 してきた中核 派 7,8人 に鉄 パイプで頭部 等 を殴打 され、1人 が同日 、1人 が翌日 死亡 した。」(警察庁 1976) - ^ 「
被害 者 を含 む4人 がアパートで就寝 中 、室内 に乱入 してきた中核 派 数 人 に頭部 等 を殴打 され、1人 が同日 死亡 した。」(警察庁 1976) - ^ 「
被害 者 を含 む岡山大 ノンセクト約 60人 が、岡山大 オルグのためマイクロバスで乗 り込 んできたマル青 同 約 30人 と対 じ中 、マル青 同 が、マイクロバスを突込んできたためれき死 した。」(警察庁 1976) - ^ 「
革マル派 30数 人 が大阪市立大 教養 部 内 に入 り、芝生 でたむろしていたところ、中核 派 約 40人 に鉄 パイプ等 で襲撃 され、2人 が同日 、1人 は翌日 死亡 した。」(警察庁 1976) - ^ 「
路上 を通行 中 、中核 派 3人 に襲 われて、鉄 パイプで頭部 等 を殴打 され、翌日 死亡 した。」(警察庁 1976) - ^ 「
被害 者 を含 む反 帝 学 評 系 10数 人 が、歌手 加藤 登紀子 の別荘 に就寝 中 、室内 に乱入 してきた革マル派 (人数 不 詳 )に鉄 パイプで頭部 等 を殴打 され、1人 が同日 死亡 した。」(警察庁 1976) - ^ 『
昭和 51年 警察 白書 』「被害 者 が東大 教養 学部 生協 食堂 前 で情 宣 活動 中 、反 帝 学 評 系 十 数 人 に襲 われて、鉄 パイプ等 で殴打 され、同日 死亡 した。」 - ^
殺害 された学生 は後 の仏文 学者 石田 英 敬 の駒場 寮 同室 。石田 英 敬 は、この2年 前 に目 の前 でやはり革マル派 の友人 を殺害 されている。「石田 は私 の知 らなかったいくつかの事実 を教 えてくれた。駒場 寮 では同室 にもう一人 、梅田 順彦 という学生 がいたが、彼 もまた1975年 10月 に大学 の学生 会館 の前 で社 青 同 の手 で頭蓋骨 を割 られ、惨殺 されたこと。」(四方田 犬 彦 2009) - ^
後 に劇 作家 となる野田 秀樹 はこの事件 を至近 距離 で目撃 しており、後 の NODA・MAP 『贋作 ・罪 と罰 』などに大 きな影響 を与 えている - ^ “『
贋作 ・罪 と罰 』 -賄 いエッセイ -野田 地図 ”. www.nodamap.com. 2022年 2月 23日 閲覧 。 - ^
女性 活動 家 に逮捕 状 所沢 の内 ゲバ殺人 事件 『朝日新聞 』1976年 (昭和 51年 )4月 2日 夕刊 、3版 、11面 - ^ [「
浦和 市内 ゲバ殺人 事件 」(4月 )は、革労協 が革マル派 の自動車 を前後 からはさみ打 ちにして停車 させた上 、金網 付 の窓 ガラスをつるはし、鉄 パイプ等 で破壊 して車内 にガソリンをまき、発煙 筒 を投 げ込 んで炎上 させ、乗車 していた4人 全員 を焼 殺 するという極 めて凶悪 、残忍 な事件 であった。」(『昭和 53年 警察 白書 』) - ^ a b c d
昭和 54年 犯罪 白書 ,第 一 編 第 二 章 第 一節 3,過激 派 集団 の犯罪 ,2内 ゲバ事犯 ,1979(昭和 54),法務省 - ^
警察庁 1988図 1-3内 ゲバ事件 の発生 状 況 (昭和 53~62年 ) - ^ a b 「54
年 の内 ゲバ事件 も、中核 派 による「津 市内 内 ゲバ殺人 事件 」(5月 、三重 )や革マル派 による東京 、神奈川 の革労協 アジト3箇所 に対 する同時 内 ゲバ事件 (11月)にみられるように、多 くは事前 の綿密 な調査 活動 を踏 まえて、巧妙 な攻撃 を加 えるという極 めて計画 的 な犯行 であった。」(『昭和 55年 警察 白書 』) - ^ a b
昭和 55年 犯罪 白書 ,第 一 編 第 二 章 第 一節 3/2内 ゲバ事犯 ,1980(昭和 55) - ^ 「
革労協 による「東成 区 路上 内 ゲバ事件 」(9月 、大阪 )では、盗難 車両 を使 って相手 車両 を前後 からはさみ撃 ちにして停車 させた上 、鉄 パイプの先端 に出刃包丁 を取 り付 けた凶器 で攻撃 したことなどにみられるように、計画 的 で極 めて凶悪 、残忍 なものであった。」(『昭和 56年 警察 白書 』) - ^ a b
昭和 56年 犯罪 白書 ,第 一 編 第 二 章 第 2節 /2内 ゲバ事犯 ,1981(昭和 56年 ) - ^ 「55
年 10月 30日 白昼 、南千束 の路上 において、東京工業大 生 ら5人 が、待 ち伏 せしていたスキー帽 やヘルメット着用 の集団 にハンマーや鉄 パイプ等 で乱打 され、頭蓋骨 骨折 等 により5人 全員 即死 した。この事件 では、あらかじめ現場 付近 の電話 線 が切断 され、逃走 用 等 に盗難 車 2台 が使 われた。事件 について、中核 派 は、「我 が革命 軍 は…カクマルジャックの集団 を捕捉 し…壊滅 的 打撃 を与 えた」などと犯行 を自認 した(東京 )。」(警察庁 1988) - ^ 「
革労協 による「7.11渋谷 区 本町 内 ゲバ殺人 事件 」にみられるように、綿密 、周到 な事前 調査 の後 、被害 者 が居住 するアパート付近 の電話 線 を切断 の上 、被害 者 の居室 のドアや窓 を破壊 して侵入 し、就寝 中 の被害 者 の頭部 、顔面 等 を鉄 パイプで乱打 して殺害 するといった凶悪 、残忍 なものであった。」『昭和 57年 警察 白書 』 - ^ a b
昭和 57年 犯罪 白書 ,第 一 編 第 二 章 第 4節 2,1982(昭和 57年 ) - ^ 「
革労協 による「2.24荒川 区 南千住 内 ゲバ殺人 事件 」は、事前 に調査 した上 、付近 の電話 線 を切断 した後 、ドアを破壊 して侵入 し、就寝 中 の被害 者 の頭部 を鉄 パイプ様 の物 で乱打 して殺害 するといった凶悪 、残忍 なものであった。」『昭和 58年 警察 白書 』 - ^ a b
昭和 58年 犯罪 白書 ,第 一 編 第 二 章 第 3節 ,1983(昭和 58年 ) - ^ a b
昭和 60年 犯罪 白書 ,第 一 編 第 二 章 第 6節 2,1985(昭和 60年 ) - ^ 「
昭和 59年 の内 ゲバの特徴 は、中核 派 が成田 闘争 での主導 権 掌握 をねらい第 4インター日本 支部 活動 家 に対 して行 ったものが多 かったこと、大学 構内 で3件 の内 ゲバ事件 が発生 するなど大学 自治 会 の主導 権 をめぐっての対立 動向 が目立 ったことである。」(『昭和 60年 警察 白書 』) - ^ 「60
年 の内 ゲバ事件 は、中核 派 が「新 たな対 カクマル10年 戦争 」を標 ぼうしていることや、革マル派 が中核 派 に対 し7年 ぶりに攻撃 姿勢 に転 じたことから、すべて両派 の間 で引 き起 こされ、そのうち4件 は、革マル派 が攻撃 したものであった。また、12件 の内 ゲバ事件 のうち6件 は、学園 での主導 権 争 いがその原因 とみられる。」(『昭和 61年 警察 白書 』) - ^
昭和 61年 犯罪 白書 ,第 一 編 第 二 章 第 5節 3,1986(昭和 61年 ) - ^ a b c
昭和 62年 犯罪 白書 ,第 一 編 第 二 章 第 7節 3,1987(昭和 62年 ) - ^ 「61
年 1月 20日 白昼 、京都 大学 教養 部 構内 において、中核 派 の全学 連 副 委員 長 代行 が、待 ち伏 せしていた集団 に鉄 パイプ様 のもので頭部 を乱打 され、脳 ざ傷 等 により死亡 した。革マル派 は、「中核 派 『軍団 』の敵対 を完全 に粉砕 した」などと犯行 を自認 した(京都 )。」(警察庁 1988) - ^ 「1
月 20日 午前 10時 30分 頃 、教養 部 A1号館 廊下 で教育 学部 3回生 で、中核 派 の活動 家 、福嶋 慎一郎 さん(25)が、革マル派 に襲 われ殺害 された。福嶋 さんはC代 大 の情 宣 でクラス入 りに向 かう途中 であった。これに対 し、学生 からの糾弾 の声 が上 がっている。中核 派 は、声明 を出 し「反 革命 カクマル、この憎 しみで余 りある日 帝 ・中曽根 の手先 ファシストどもは、わが中核 派 のほこる京大 生 、全学 連 副 委員 長 代行 の福嶋 慎一郎 同志 を虐殺 するという、絶対 に許 すことのできない凶行 をおかした。わが、革 共同 中核 派 は、満身 に燃 えたぎる憤怒 と憎悪 を持 って、この白色 テロルを徹底 弾劾 し、血 の復讐 を徹底的 に全面 的 に貫徹 することを宣言 する」また、同 学会 、文学部 学友 会 、経済学部 同好 会 など11団体 連名 で、「革マル派 による1.20福嶋 君 殺害 を糾弾 する」という声明 を出 している。民 学 同 もビラで「殺人 行為 を満身 の怒 りを持 って糾弾 する。殺人 グループは、自治 会 運動 内部 の自治 破壊 者 として追放 されねばならない」と述 べた。一方 、民青 系 学生 諸君 は、「内 ゲバ殺人 」キャンペーンを展開 。「大学 の内 ゲバの戦場 化 を許 すな」「暴力 学生 は大学 から出 てゆけ」「大学 当局 は責任 ある態度 をとれ」と主張 して、弾圧 を要請 している。警察 は、事件 を口実 に、1月 20日 に尚 賢 館 、21日 に熊野 寮 を不当 捜査 した。 」(『京都 大学 新聞 1986年 2月 1日 号 』) - ^ 「9
月 1日 未明 、埼玉 、大阪 、兵庫 の3府県 6箇所 において、真 国労 幹部 等 がヘルメット、鉄 パイプ等 で武装 した数 人 の男 に襲撃 され、真 国労 大阪 地本 書記 長 が死亡 したほか、8人 が重軽傷 を負 った。事件 は、あらかじめ電話 線 を切断 して窓 等 から被害 者 宅 に侵入 し、被害 者 に手錠 をかけた上 で、凶器 で乱打 するなどの残忍 なものであったが、「国鉄 分割 ・民営 化 絶対 阻止 」を叫 ぶ中核 派 は、機関 紙 で「9月 1日 、…反 革命 カクマル分子 を…徹底 せん滅 した」などと犯行 を自認 している。」(『昭和 62年 警察 白書 』) - ^ 「62
年 10月 30日 朝 、JR東日本 赤羽 駅 構内 において、出勤 途上 のJR東日本 の職員 が、マスク、帽子 等 を着用 した集団 にハンマーや鉄 パイプ等 で乱打 され、頭蓋骨 や両足 を骨折 するなどの重傷 を負 った。この事件 は、人通 りの多 い出勤 時間 帯 の駅 通路 で待 ち伏 せた上 での大胆 な犯行 で、最初 から頭部 を重点 に攻撃 し、背広 姿 等 の目立 たない服装 で人込 みに紛 れて逃走 するという極 めて計画 的 なものであった。革労協 狭間 派 は、「反 革命 革 マル…を徹底 せん滅 し、再起 不可能 状態 を強制 した…」などと犯行 を自認 した(東京 )。(警察庁 1988) - ^ a b
昭和 63年 犯罪 白書 ,第 一 編 第 二 章 第 7節 3,1988(昭和 63年 ) - ^
平成 元年 犯罪 白書 ,第 一 編 第 二 章 第 7節 3,1989(平成 元年 ) - ^ a b 「
中核 派 は、平成 元年 2月 8日 に「東鉄 労 水戸 地本 組織 部長 殺害 事件 」を、革労協 狭間 派 は、6月25日 に「革労協 狭間 派 元 最高 幹部 殺害 事件 」、12月2日 に「JR総連 総務 部長 殺害 事件 」をそれぞれ引 き起 こした。これらの事件 は、被害 者 を路上 で待 ち伏 せしたり、就寝 中 を襲撃 したもので、いずれもハンマー、バール等 の武器 を用 いて多数 で全身 を殴打 するという残忍 な殺人 事件 であった。」『平成 2年 警察 白書 』 - ^ 「
革労協 狭間 派 は、闘争 方針 や戦術 をめぐり、ここ数 年来 内部 抗 争 を続 けていたが、6月25日 未明 、埼玉 県 川口 市内 において、主流 派 の路線 に反対 する元 最高 幹部 (43)の居宅 を多数 で襲撃 し、ら致 した上 、撲殺 し、茨城 県 下 の路上 に放置 するという極 めて悪質 な内 ゲバ事件 を引 き起 こした(埼玉 、茨城 )。」『平成 2年 警察 白書 』 - ^
平成 2年 犯罪 白書 ,第 一 編 第 二 章 第 7節 3,1990(平成 2年 ) - ^ a b c d
平成 6年 犯罪 白書 ,第 3編 第 6章 第 3節 2,1994(平成 6年 ) - ^ a b c
平成 11年 犯罪 白書 ,第 4編 第 7章 第 5節 2,1999(平成 11年 ) - ^ 「
革労協 狭間 派 は、8年 (略 )5月 14日 、神奈川 県内 の私立 大学 キャンパス周辺 において、革マル派 系 全学 連 学生 等 に対 する内 ゲバ事件 を引 き起 こし、1人 を死亡 させた。」(『平成 9年 警察 白書 』) - ^ a b 「
革労協 狭間 派 は、5月に狭間 嘉明 を中心 とするグループ(以下 「主流 派 」という。)と山田 茂樹 を中心 とするグループ(以下 「反 主流 派 」という。)に分裂 した。両派 は,その後 ,双方 が切 り崩 しや引 き戻 しをねらった主導 権 争 いを展開 する中 で、11年 中 、5件 の内 ゲバ事件 を引 き起 こし,活動 家 3人 が死亡 ,1人 が重傷 を負 った。12年 に入 っても,両派 は機関 紙 等 で攻撃 主張 を強 め,12年 2月 には3件 の内 ゲバ事件 を相次 いで引 き起 こし、活動 家 2人 が死亡 、2人 が負傷 した。」(『平成 12年 警察 白書 』) - ^ a b
平成 13年 犯罪 白書 ,第 1編 第 2章 第 4節 2,2001(平成 13年 ) - ^ 「5
月 、千葉 県内 において,主流 派 幹部 活動 家 が反 主流 派 非 公然 活動 家 とみられる数 人 の者 に襲撃 され死亡 する事件 が発生 した。」(『平成 14年 警察 白書 』) - ^ 「16
年 6月 2日 早朝 、東京 都内 の路上 で革労協 反 主流 派 活動 家 3人 が4、5人 の男 に鉄棒 等 で襲撃 され2人 が死亡 、1人 が軽傷 を負 うという内 ゲバ容疑 事件 が発生 した。」(『平成 16年 警察 白書 』) - ^ a b
警察 白書 - ^ 『
連合赤軍 あさま山荘 人質 事件 』58頁 警察 文化 協会 1973年 - ^
日本 革命 的 共産 主義 者 同盟 政治 組織 局 編 『革マル派 の二 〇年 』解放 社 1983年 - ^ 『
埼玉 年鑑 昭和 52年版 本編 』36頁 埼玉新聞社 1976年 - ^ 「
所沢 の内 ゲバ殺人 革マル派 の犯行 と断定 女性 活動 家 を手配 」『埼玉 新聞 』昭和 51年 (1976年 )4月 3日 、9頁 - ^
岩手 県 警察 史 編 さん委員 会 編 『岩手 県 警察 史 第 3巻 』1257頁 岩手 県 警察 本部 1996年 - ^ a b c d
国民 政治 年鑑 編集 委員 会 編 『国民 政治 年鑑 1980年版 』561-567頁 日本 社会党 中央 本部 機関 紙 局 1980年 - ^
国民 政治 年鑑 編集 委員 会 編 『国民 政治 年鑑 1981年版 』601頁 日本 社会党 中央 本部 機関 紙 局 1981年 - ^
国民 政治 年鑑 編集 委員 会 編 『国民 政治 年鑑 1982年版 』606頁 日本 社会党 中央 本部 機関 紙 局 1982年 - ^
国民 政治 年鑑 編集 委員 会 編 『国民 政治 年鑑 1983年版 』638-639頁 日本 社会党 中央 本部 機関 紙 局 1983年
参考
立花 隆 『中核 vs革 マル』講談社 、1975年 。鈴木 邦男 『公安 化 するニッポン』 WAVE出版 小西 誠 ほか共著 『検証 内 ゲバ PART1、PART2』社会 批評社 毎日新聞社 『1968年 (毎日 ムック―シリーズ20世紀 の記憶 )』1998年 。ISBN 978-4620791111。荒 岱介『破天荒 伝 ―ある叛乱 世代 の遍歴 』太田出版 、2001年 。ISBN 978-4872335620。荒 岱介『新 左翼 とは何 だったのか』幻冬舎 、2008年 。ISBN 978-4344980679。四方田 犬 彦『歳月 の鉛 』工作 舎 、2009年 。ISBN 978-4875024194。警察庁 『警察 白書 』警察庁 『昭和 49年 警察 白書 』(レポート)、1974年 。警察庁 『昭和 50年 警察 白書 』(レポート)、1975年 。警察庁 『昭和 51年 警察 白書 』(レポート)、1976年 。表 7-2昭和 50年 の内 ゲバによる死亡 事案 警察庁 『昭和 63年 警察 白書 』(レポート)、1988年 。