南 洲 翁 遺訓
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『 (なんしゅうおういくん) | ||
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1890 | ||
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ISBN 978-4-569-70417-3 ISBN 978-4-04-407201-8 ISBN 4-7868-0061-9 ISBN 4-569-66582-9 ISBN 4-00-331011-X ISBN 4-00-007265-X ISBN 978-4-404-03907-1 ISBN 978-4-88474-941-5 ISBN 978-4-89619-499-9 ほか | |
ウィキポータル | ||
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成立
『
薩摩 藩邸 焼 き討 ち事件
1867
東北 戦争
1868
旧 庄内 藩士 の鹿児島 訪問
1870
1889
三矢 本
1890
片 淵本
内容
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※ただし、
為政者 の基本 的 姿勢 と人材 登用
一 ()に廟堂 立 ちて ()を大政 為 すは天道 を行 ふものなれば、些 ()とも私 を ()みては挟 済 まぬもの也。いかにも心 を公平 に ()り、操 正道 を蹈 ()み、広 く賢人 を選挙 し、 ()く能 其 の職 に ()ふる任 人 を挙 げて政 柄 を執 らしむるは、即 ち天意 也。 ()れ夫 ()故 真 に賢人 と認 る以上 は、直 に我 が職 を譲 る程 ならでは ()はぬものぞ。叶 故 に何程 国家 に勲 労 有 るとも、其 の職 に任 へぬ人 を官職 を以 て賞 するは善 からぬことの第 一也 。官 は其 の人 を選 びて之 れを授 け、功 有 る者 には俸禄を以 て賞 し、之 れを ()し愛 置 くものぞと申 さるるに付 、然 らば『尚書 』 ()仲 虺之 誥 ()に「徳 懋 ()んなるは官 を懋んにし、功 懋んなるは賞 を懋んにする」と之 れ有 り、徳 と官 と相 ひ配 し、功 と賞 と相 ひ対 するは此の義 にて候 ひしやと請問 ()せしに、翁 ()として、欣然 其 の通 りぞと申 されき。二 賢人 百官 を ()べ、総 政権 一途 に帰 し、一 格 の国体 定 制 無 ければ ()縦令 人材 を登用 し、言 路 を開 き、衆 説 を容 るるとも、取捨 方向 無 く、事業 ()にして雑駁 成功 有 るべからず。昨 日出 でし命令 の、今日 忽 ち引 き易 ふると云 ふ様 なるも、皆 統轄 する所 一 ならずして、施政 の方針 一定 せざるの致 す所 也。三 政 の大体 は、文 を興 し、武 を振 ひ、農 を励 ますの三 つに在 り。其 の他 百般 の事務 は皆 此の三 つの物 を ()るの助 具 也。此の三 つの物 の中 に於 て、時 に従 ひ勢 に因 り、施行 先後 の順序 は有 れど、此の三 つの物 を後 にして他 を先 にするは更 に無 し。四 万民 の上 に位 する者 、己 を慎 み、品行 を正 しくし ()を驕奢 戒 め、節倹 を勉 め、職 事 に勤労 して人民 の標準 となり、下 民 其 の勤労 を気 の毒 に思 ふ様 ならでは、政令 は行 はれ難 し。然 るに ()の草創 ()に始 立 ちながら、家屋 を飾 り、衣服 を ()り、文 ()を美 妾 抱 へ、蓄財 を謀 りなば、維新 の功業 は遂 げられ ()也。間 敷 今 となりては、戊 辰 の義戦 も ()へに偏 私 を営 みたる姿 に成 り行 き、天下 に対 し戦死 者 に対 して面目 無 きぞとて、 ()りに頻 涙 を催 ()されける。五 或 る時 「幾 歴 辛酸 志 始 堅 。丈夫 玉砕 愧甎全 。一家遺事人知否。不為 児 孫 買 美田 。」との七 絶 を示 されて、若 し此の言 に違 ひなば、西郷 は言行 反 したりとて見限 られよと申 されける。六 人材 を採用 するに、君子 小人 の弁 酷 に過 ぐる時 は却て害 を引 き起 すもの也。其 の故 は、開闢 以来 世上 一般 十 に七 八 は小人 なれば、能 く小人 の情 を察 し、其 の長所 を取 り之 れを小職 に用 ゐ、其 の材 芸 を尽 さしむる也。東湖 先生 申 されしは「小人 程 才芸 有 りて用便 なれば、用 ゐざればならぬもの也。去 りとて長官 に居 ゑ重職 を授くれば、必 ず邦家 を覆 すものゆゑ、決 して上 には立 てられぬものぞ」と也。七 事大 小 と無 く、正道 を踏 み至誠 を推 し、一時 の詐 謀 を用 う可 からず。人 多 くは事 の ()ふる指 支 時 に臨 み、作 略 を用 て一旦 其 の指 支 を通 せば、跡 は時宜 次第 工夫 の出来 る様 に思 へども、作 略 の煩 ひ屹度 ()生 じ、事 必 ず敗 るるものぞ。正道 を以 て之 れを行 へば、目前 には迂遠 なる様 なれども、先 きに行 けば成功 は早 きもの也。二 〇何程 制度 方法 を論 ずるとも、其 の人 に非 ざれば行 はれ難 し。人 有 りて後 ち方法 の行 はるるものなれば、人 は第 一 の宝 にして、己 れ其 の人 に成 るの心懸 け肝要 なり。
為政者 がすすめる開化 政策
八 広 く各国 の制度 を採 り開明 に進 まんとならば、先 づ我 が国 の本体 を ()ゑ居 風教 を張 り、然 して後 ()かに徐 彼 の長所 を斟酌 するものぞ。 ()らずして否 猥 りに彼 れに倣ひなば、国体 は衰頽 し、風教 は ()して萎靡 ()す匡 救 可 からず、終 に彼 の制 を受くるに至 らんとす。九 忠孝 仁愛 教化 の道 は政事 の大本 にして、万世 に亘 り宇宙 に ()り弥 ()ふ易 可 からざるの要 道也 。道 は天地 自然 の物 なれば、西洋 と雖も決 して別 無 し。一 〇人智 を開発 するとは、愛国 忠孝 の心 を開 くなり。国 に尽 し家 に勤 むるの道 明 かならば、百般 の事業 は従 て進歩 す可 し。 ()は或 耳目 を開発 せんとて、電信 を懸 け、鉄道 を敷 き、蒸気 仕掛 けの器械 を造立 し、人 の耳目 を ()すれども、聳動 何故 電信 鉄道 の無 くて叶 はぬぞ欠 くべからざるものぞと云 ふ処 に目 を注 がず、猥 りに外国 の盛大 を羨 み、利害 得失 を論 ぜず、家屋 の構造 より玩弄 物 に至 る迄 、一 一 外国 を仰 ぎ、奢侈 の風 を長 じ、財用 を浪費 せば、国力 疲弊 し、人心 浮薄 に流 れ、結局 日本 身代 限 りの外 有 る間 敷 也。一 一 文明 とは道 の ()く普 行 はるるを賛 称 せる言 にして、宮室 の荘厳 、衣服 の美麗 、外観 の浮華 を言 ふには非 ず。世人 の唱ふる所 、何 が文明 やら、何 が野蛮 やら些 ()とも分 らぬぞ。予 嘗 ()て ()と或 人 議論 せしこと有 り、「西洋 は野蛮 じや」と云 ひしかば、「 ()な否 文明 ぞ」と争 ふ。「否 な否 な野蛮 ぢや」と畳 みかけしに、「何 とて ()れ夫 程 に申 すにや」と推 せしゆゑ、「実 に文明 ならば、未開 の国 に対 しなば、慈愛 を本 とし、懇 懇 説諭 して開明 に導 く可 きに、左 は無 くして未開 蒙昧 の国 に対 する程 むごく残忍 の事 を致 し己 れを利 するは野蛮 ぢや」と申 せしかば、其 の人口 を ()めて莟 言 無 かりきとて笑 はれける。一 二 西洋 の刑法 は専 ら懲戒 を主 として苛酷 を戒 め、人 を善良 に導 くに注意 深 し。故 に囚 獄中 の罪人 をも、如何 にも緩 るやかにして鑑 誠 となる可 き書籍 を与 へ、事 に因 りては親族 朋友 の面会 をも許 すと聞 けり。尤 も聖人 の刑 を設 けられしも、忠孝 仁愛 の心 より鰥寡 ()孤独 を愍 ()み、人 の罪 に陥 いるを恤 ()ひ給 ひしは深 けれども、実地 手 の届 きたる今 の西洋 の如 く有 りしにや、書籍 の上 には見 え渡 らず、実 に文明 ぢやと感 ずる也。
国 の財政 ・会計
一 三 租税 を薄 くして民 を ()にするは、裕 即 ち国力 を養成 する也。故 に国家 多端 にして財用 の足 らざるを苦 むとも、租税 の定 制 を確 守 し、上 を損 じて下 を ()たげぬもの也。虐 能 く古今 の事跡 を見 よ。道 の明 かならざる世 にして、財用 の不足 を苦 む時 は、必 ず ()の曲 知 小 慧 俗吏 を用 ゐ巧 みに聚斂 ()して一時 の欠乏 に給 するを、理 材 に長 ぜる良 臣 となし、手段 を以 て苛酷 に民 を虐 たげるゆゑ、人民 は苦悩 に堪 へ兼 ね、聚斂を逃んと、自然 譎詐 ()に狡猾 趣 き、上下 互 に欺 き、官民 ()と敵 讐成 り、終 に ()に分 崩 離 拆至 るにあらずや。一 四 会計 出納 は制度 の ()て由 立 つ所 ろ、百般 の事業 皆 是 れより生 じ、 ()経綸 中 の ()なれば、枢要 慎 まずはならぬ也。其 の大体 を申 さば、入 るを量 りて出 るを制 するの外 更 に他 の術数 無 し。一 歳 の入 るを以 て百般 の制限 を定 め、会計 を総理 する者 身 を以 て制 を守 り、定 制 を超 過 せしむ可 からず。 ()らずして否 時勢 に制 せられ、制限 を慢 ()にし、出 るを見 て入 るを計 りなば、民 の ()を膏血 絞 るの外 有 る ()也。間 敷 然 らば ()仮令 事業 は一旦 進歩 する如 く見 ゆるとも、国力 疲弊 して済 救 す可 からず。一 五 常備 の兵 数 も、亦 会計 の制限 に由 る、決 して無限 の虚勢 を張 る可 からず。兵 気 を鼓舞 して精兵 を仕立 てなば、兵 数 は寡 ()くとも、折衝 禦侮 ()共 に事欠 く間 敷 也。
外国 交際
一 六 節義 ()を廉恥 失 ひて、国 を維持 するの道 決 して有 らず、西洋 各国 同然 なり。上 に立 つ者 下 に臨 ()みて利 を争 ひ義 を忘るる時 は、下 皆 之 れに倣 ()ひ、人心 ()ち忽 財 利 に趨 ()り、卑吝 ()の情 日 日長 じ、節義 廉恥 の ()を志操 失 ひ、父子 兄弟 の間 も銭 財 を争 ひ、相 ひ讐視 ()するに至 る也。此 ()の如 く成 り行 かば、何 を以 て国家 を維持 す可 きぞ。徳川 氏 は将士 の猛 き心 を ()ぎて殺 世 を治 めしかども、今 は昔時 戦国 の ()より猛 士 猶 一層 ()き猛 心 を振 ひ起 さずば、万国 ()は対峙 成 る間 敷 也。普 仏 の戦 、仏 国 三 十 万 の兵 三 ヶ月 の ()糧食 有 て降伏 せしは、余 り ()に算盤 ()しき精 故 なりとて笑 はれき。一 七 正道 を踏 み国 を以 て斃 ()るるの精神 無 くば、外国 交際 は ()かる全 可 からず。彼 の強大 に畏縮 し、円滑 を主 として、曲 げて彼 の意 に順 従 する時 は、軽侮 を招 き、好 親 却 ()て破 れ、終 に彼 の制 を受るに至 らん。一 八 談 国事 に及 びし時 、 ()として慨然 申 されけるは、国 の ()せらるるに陵辱 当 りては ()縦令 国 を以 て斃 ()るるとも、正道 を践 ()み、義 を尽 すは政府 の本務 也。然 るに平日 ()金 穀 理財 の事 を議 するを聞 けば、如何 なる英雄 豪傑 かと見 ゆれども、血 の出 る事 に臨 めば、頭 を一 処 に集 め、唯 目前 の苟安 ()を ()るのみ、謀 戦 の一 字 を恐 れ、政府 の本務 を墜 ()しなば、商法 支配 所 と申 すものにて更 に政府 には非 ざる也。
天 と人 として踏 むべき道
一 九 古 より君臣 共 に己 れを足 れりとする世 に、 ()の治 功 上 りたるはあらず。自分 を足 れりとせざるより、下下 の言 もき入 るるもの也。己 れを足 れりとすれば、人 己 れの非 を言 へば ()ち忽 怒 るゆゑ、賢人 君子 は之 を助 けぬなり。二 一 道 は天地 自然 の道 なるゆゑ、講 学 の道 は敬天 愛人 を目的 とし、身 を修 するに ()を克己 以 て終始 せよ。己 れに ()つの克 ()は「極 功 毋意毋必毋固毋我 ()」と云 へり。総 じて人 は己 れに克 つを以 て成 り、自 ら愛 するを以 て敗 るるぞ。 ()く能 古今 の人物 を見 よ。事業 を創 起 する人 其 の事 大抵 十 に七 八 迄 は能 く成 し得 れども、残 り二 つを終 り迄 成 し得 る人 の ()れなるは、希 始 は能 く己 れを慎 み事 をも敬 する故 、功 も立 ち名 も ()はるるなり。顕 功 立 ち名 顕 はるるに随 ひ、いつしか自 ら愛 する心 起 り、 ()恐懼 戒慎 の意 ()み、弛 ()の驕 矜気 ()く漸 長 じ、其 の成 し得 たる事業 を ()み、負 苟 ()も我 が事 を仕 ()んとてまづき遂 仕事 に陥 いり、 ()に終 敗 るるものにて、皆 な自 ら招 く也。故 に己 れに克 ちて、睹 ()ず聞 かざる所 に戒慎 するもの也。二 二 己 に克 つに、事事物物 時 に臨 みて克 つ様 にては克 ち得 られぬなり。 ()て兼 ()を気象 以 て克 ち居 れよと也。二三 学 に志 す者 、規模 を宏大 にせずばある可 からず。去 りとて唯 ここにのみ ()すれば、偏倚 或 は身 を修 するに ()に疎 成 り行 くゆゑ、終始 己 れに克 ちて身 を修 する也。規模 を宏大 にして己 れに克 ち、男子 は人 を容 れ、人 に容 れられては済 まぬものと思 へよと、古語 を書 て授 けらる。
恢宏其志
気 者 。人 之 患。莫大 乎自私 自 吝 。安 於卑俗 。而不以古人 自 期 。
古人 を期 するの意 を請問 ()せしに、尭 舜 を以 て手本 とし、孔 夫子 を教師 とせよとぞ。二 四 道 は天地 自然 の物 にして、人 は之 れを行 ふものなれば、天 を敬 するを目的 とす。天 は人 も我 も同一 に愛 し給 ふゆゑ、我 を愛 する心 を以 て人 を愛 する也。二 五 人 を相手 にせず、天 を相手 にせよ。天 を相手 にして、己 れを尽 て人 を咎 めず、我 が誠 の足 らざるを尋 ぬ可 し。二 六 己 れを愛 するは善 からぬことの第 一也 。修業 の出来 ぬも、事 の成 らぬも、過 を改 むることの出来 ぬも、功 に ()り伐 ()の驕 謾生 ずるも、皆 自 ら愛 するが為 なれば、決 して己 れを愛 せぬもの也。二 七 過 ちを改 むるに、自 ら過 つたとさへ思 ひ付 かば、夫 れにて善 し、其 の事 をば棄 て顧 みず、直 に一 歩 踏 み出 す可 し。過 を悔 しく思 ひ、取 り繕 はんとて心配 するは、譬 へば茶碗 を割 り、其 の欠 けを集 め合 せ見 るも同 にて、詮 もなきこと也。二 八 道 を行 ふには尊卑 貴 賤の差別 無 し。摘 んで言 へば、尭 舜 は天下 に王 として万 機 の政事 を執 り給 へども、其 の職 とする所 は教師 也。孔 夫子 は魯国を始 め、何方 へも用 ゐられず、屡々 困 厄 に逢ひ、匹夫 にて世 を終 へ給 ひしかども、三 千 の徒 皆 な道 を行 ひし也。二 九 道 を行 ふ者 は、固 より ()に逢ふものなれば、困 厄 如何 なる艱難 の地 に立 つとも、事 の成否 身 の死生 抔 ()に、少 しも関係 せぬもの也。事 には上手 下手 有 り、物 には出来 る人 出来 ざる人 有 るより、自然 心 を動 す人 も有 れども、人 は道 を行 ふものゆゑ、道 を踏 むには上手 下手 も無 く、出来 ざる人 も無 し。故 に ()ら只管 道 を行 ひ道 を楽 み、若 し艱難 に逢ふて之 れを凌 がんとならば、 ()弥 弥 道 を行 ひ道 を楽 む可 し。予 壮年 より艱難 と云 ふ艱難 に罹 りしゆゑ、今 はどんな事 に出会 ふとも、動揺 は致 すまじ、夫 れだけは仕合 せ也。追加 二 漢学 を成 せる者 は、弥 漢籍 に就て道 を学 ぶべし。道 は天地 自然 の物 、東西 の別 なし、苟 も当時 万国 対峙 の形勢 を知 らんと欲 せば、春秋 左 氏 伝 を熟読 し、助 くるに孫子 を以 てすべし。当時 の形勢 と略 ぼ大差 なかるべし。
聖賢 ・士 大夫 あるいは君子
三 〇命 ちもいらず、名 もいらず、官位 も金 もいらぬ人 は、仕 抹に困 るもの也。此の仕 抹に困 る人 ならでは、艱難 を共 にして国家 の大業 は成 し得 られぬなり。去 れども、个様 ()の人 は、凡俗 の眼 には見 得 られぬぞと申 さるるに付 き、孟子 に、「天下 の広 居 に居 り、天下 の正 位 に立 ち、天下 の大道 を行 ふ、志 を得 れば民 と之 れに由 り、志 を得 ざれば独 り其 の道 を行 ふ、富貴 も淫 すること能 はず、貧 賤も移 すこと能 はず、威武 も屈 すること能 はず」と云 ひしは、今 仰 せられし如 きの人物 にやと問 ひしかば、いかにも其 の通 り、道 に立 ちたる人 ならでは彼 の気象 は出 ぬ也。三 一 道 を行 ふ者 は、天下 挙 て毀 ()るも足 らざるとせず、天下 挙 て誉 るも足 れりとせざるは、自 ら信 ずるの厚 きが故 也。其 の工夫 は、韓 文 公 が伯 夷 の頌を熟読 して会得 せよ。三 二 道 に志 す者 は、偉業 を貴 ばぬもの也。司馬 温 公 は ()にて閨 中 語 りし言 も、人 に対 して言 ふべからざる事 無 しと申 されたり。独 を慎 むの学 推 ()て知 る可 し。人 の意表 に出 て一時 の快適 を好 むは、未熟 の事 なり、戒む可 し。三 三 平日 道 を蹈まざる人 は、事 に臨 みて狼狽 し、処分 の出来 ぬもの也。譬 へば近隣 に出火 有 らんに、平生 処分 有 る者 は動揺 せずして、取 仕 抺も能 く出来 るなり。平日 処分 無 き者 は、唯 狼狽 して、なかなか取 仕 抺どころには之 れ無 きぞ。夫 れも同 じにて、平生 道 を蹈み居 る者 に非 れば、事 に臨 みて策 は出来 ぬもの也。予 先年 出陣 の日 、兵士 に向 ひ、我 が備への整 不整 を、唯 味方 の目 を以 て見 ず、敵 の心 に成 りて一 つ衝て見 よ、夫 れは第 一 の備ぞと申 せしとぞ。三 四 作 略 は平日 致 さぬものぞ。作 略 を以 てやりたる事 は、其 の跡 を見 れば善 からざること判然 にして、必 ず悔 い有 る也。唯 戦 に臨 みて作 略 無 くばあるべからず。併し平日 作 略 を用 れば、戦 に臨 みて作 略 は出来 ぬものぞ。孔明 は平日 作 略 を致 さぬゆゑ、あの通 り奇計 を行 はれたるぞ。予 嘗 て東京 を引 きし時 、弟 へ向 ひ、是迄 少 しも作 略 をやりたる事 有 らぬゆゑ、跡 は聊 か濁 るまじ、夫 れ ()けは丈 見 れと申 せしとぞ。三五 人 を籠絡 して陰 に事 を謀 る者 は、好 し其 の事 を成 し得 るとも、慧眼 より之 れを見 れば、醜状 著 るしきぞ。人 に推 すに公平 至誠 を以 てせよ。公平 ならざれば英雄 の心 は決 して攬られぬもの也。三 六 聖賢 に成 らんと欲 する志 無 く、古人 の事跡 を見 、迚 ()も企 て及 ばぬと云 ふ様 なる心 ならば、戦 に臨 みて逃るより猶 ほ卑怯 なり。朱子 も白刃 を見 て逃る者 はどうもならぬと云 はれたり。誠意 を以 て聖賢 の書 を読 み、其 の処分 せられたる心 を身 に体 し心 に験 する修業 致 さず、唯 个様 ()の言 个様の事 と云 ふのみを知 りたるとも、何 の詮無 きもの也。予 今日 人 の論 を聞 くに、何程 尤 もに論 ずるとも、処分 に心 行 き渡 らず、唯 口舌 の上 のみならば、少 しも感 ずる心 之 れ無 し。真 に其 の処分 有 る人 を見 れば、実 に感 じ入 る也。聖賢 の書 を空 く読 むのみならば、譬 へば人 の剣術 を傍観 するも同 じにて、少 しも自分 に得心 出来 ず。自分 に得心 出来 ずば、万 一 立 ち合 へと申 されし時 逃るより外 有 る間 敷 也。三 七 天下 後世 迄 も信仰 悦服 せらるるものは、只 是 れ一 箇の真誠 也。古 へより父 の仇 を討 ちし人 、其 の ()ず麗 挙 て数 へ難 き中 に、独 り曽我 の兄弟 のみ、今 に至 りて児童 婦女子 迄 も知 らざる者 の有 らざるは、衆 に秀 でて、誠 の篤 き故 也。誠 ならずして世 に誉 らるるは、僥倖 の誉 也。誠 篤 ければ、縦令 当時 知 る人 無 くとも、後世 必 ず知己 有 るもの也。三 八 世人 の唱ふる機会 とは、多 くは僥倖 の仕 当 てたるを言 ふ。真 の機会 は、理 を尽 して行 ひ、勢 を審 かにして動 くと云 ふに在 り。平日 国 天下 を憂 ふる誠心 厚 からずして、只 時 のはづみに乗 じて成 し得 たる事業 は、決 して永続 せぬものぞ。三 九 今 の人 、才識 有 れば事業 は心 次第 に成 さるるものと思 へども、才 に任 せて為 す事 は、危 くして見 て居 られぬものぞ。体 有 りてこそ用 は行 はるるなり。肥後 の長岡 先生 の如 き君子 は、今 は似 たる人 をも見 ることならぬ様 になりたりとて嘆息 なされ、古語 を書 て授 けらる。
夫 天下 非 誠 不動 。非才 不治 。誠之 至 者 。其動也速。才 之 周 者 。其治也広。才 与 誠 合 。然 後事 可 成 。
四 〇翁 に従 て犬 を駆 り兎 を追 ひ、山谷 を跋渉 して終日 猟 り暮 し、一 田 家 に投宿 し、浴 終 りて心 神 いと爽快 に見 えさせ給 ひ、悠然 として申 されけるは、君子 の心 は常 に斯の如 くにこそ有 らんと思 ふなりと。四 一 身 を修 し己 れを正 して、君子 の体 を具 ふるとも、処分 の出来 ぬ人 ならば、木偶 人 も同然 なり。譬 へば数 十 人 の客 不意 に入 り来 んに、仮令 何程 饗応 したく思 ふとも、兼 て器具 調度 の備無 ければ、唯 心配 するのみにて、取 賄 ふ可 き様 有間 敷 ぞ。常 に備あれば、幾 人 なりとも、数 に応 じて賄 はるる也。夫 れ故 平日 の用意 は肝腎 ぞとて、古語 を書 て賜 りき。
文 非 鉛槧 也。必有処 事 之 才 。武 非 剣 楯 也。必有料 敵 之 智 。才智 之 所在 一 焉而巳 。
追加 一 事 に当 り思慮 の乏 しきを憂 ふること勿れ。凡 そ思慮 は平生 黙坐 靜思 の際 に於 てすべし。有事 の時 に至 り、十 に八 九 は履行 せらるるものなり。事 に当 り卒爾 に思慮 することは、譬 へば臥床 ()の夢寐 中 、奇策 妙案 を得 るが如 きも、明朝 起床 の時 に至 れば、無用 の妄想 に類 すること多 し。
書誌 情報
初 版本
西郷 隆盛 述 著 、三矢 藤太郎 編輯 兼 発行 人 編 『南 洲 翁 遺訓 』副島 種臣 序文 、秀 英 社 、1890年 1月 18日 。
近代 デジタルライブラリー所蔵 書籍
西郷 隆盛 著 、楢崎 隆 存 編 『南 洲 遺稿 』北尾 禹三郎 、大阪 、1877年 12月。NDLJP:894346。 -西郷 の漢詩 を収録 。西郷 隆盛 著 、土居 十郎 編 『南 洲 翁 遺訓 』阪本 武雄 、広島 、1891年 4月 。NDLJP:781425。- 『
南 洲 翁 遺訓 』安江 国太郎 、島根 県 大森 村 、1893年 10月 。NDLJP:781424。 片淵 琢 編 『西郷 南 洲 遺訓 』木内 天民 書 、研 学会 、東京 、1896年 2月 。NDLJP:781415。西郷 隆盛 (南 洲 )手抄 、臼田 石楠 述 『言 志 録 講話 附録 西郷 南 洲 翁 遺訓 』東亜 堂 、東京 、1910年 8月 。NDLJP:756229/123。中根 卓弥 編 『ポケット南 洲 翁 遺訓 』中根 卓弥 、東京 、1910年 11月。NDLJP:757972。西郷 隆盛 著 、珍書 頒布 会 編 『与 人 役 間 切 横目 役 大体 南 洲 翁 遺訓 』珍書 頒布 会 、鹿児島 、1916年 9月 。NDLJP:1183086。浜田 正夫 編 『西郷 南 洲 先生 遺訓 』浜田 正夫 、大阪 、1926年 9月 22日 。NDLJP:925300。- 『
西郷 南 洲 翁 遺訓 及遺文 』西郷 南 洲 先生 五 十 年 記念 会 、長崎 、1926年 9月 24日 。NDLJP:921183。
脚注
参考 文献
西郷 隆盛 『西郷 隆盛 「南 洲 翁 遺訓 」』猪飼 隆明 訳 ・解説 、角川 学芸 出版 〈角川 ソフィア文庫 ビギナーズ日本 の思想 〉、2007年 4月 。ISBN 978-4-04-407201-8。新版 2017年 稲 盛 和夫 『人生 の王道 西郷 南 洲 の教 えに学 ぶ』日経 BP社 、2007年 9月 25日 。ISBN 978-4-8222-4499-6。- 『
西郷 南 洲 遺訓 』桑畑 正樹 現代 語 訳 、致知出版 社 〈いつか読 んでみたかった日本 の名著 シリーズ3〉、2012年 9月 。ISBN 978-4-88474-978-1。 西郷 隆盛 、乃木 希典 『西郷 隆盛 /乃木 希典 』新学社 〈近代 浪漫 派 文庫 3〉、2006年 4月 。ISBN 4-7868-0061-9。西郷 南 洲 著 、寺田 一清 編 『西郷 南 洲 のことば素読 用 西郷 南 洲 翁 の言葉 を音読 する』登 龍 館 (出版 )明徳 出版 社 (発売 )〈サムライスピリット 7〉、2012年 5月 。ISBN 978-4-89619-499-9。頭山 満 『頭山 満 言 志 録 』書肆 心 水 、2006年 1月 30日 。ISBN 4-902854-12-0。頭山 満 述 著 、『大 西郷 遺訓 』出版 委員 会 編 『大 西郷 遺訓 立 雲 頭山 満 先生 講評 』K&Kプレス、2006年 2月 。ISBN 4-906674-29-1。長尾 剛 『話 し言葉 で読 める「西郷 南 洲 翁 遺訓 」無事 は有事 のごとく、有事 は無事 のごとく』PHP研究所 、2005年 12月1日 。ISBN 4-569-66582-9。林 房雄 編 訳 編 『現代 語 訳 大 西郷 遺訓 今 こそ求 められるリーダーの鑑 』渡部 昇一 解説 、新人物往来社 〈新人 物 文庫 は-3-1〉、2010年 9月 7日 。ISBN 978-4-404-03907-1。西郷 隆盛 著 、松浦 光 修 編 訳 編 『[新訳 ]南 洲 翁 遺訓 西郷 隆盛 が遺 した「敬天 愛人 」の教 え』PHP研究所 、2008年 12月19日 。ISBN 978-4-569-70417-3。西郷 隆盛 著 、山田 済 斎 編 『西郷 南 洲 遺訓 附 手抄 言 志 録 及遺文 』岩波書店 〈岩波 文庫 青 101-1〉、1939年 2月 2日 。ISBN 4-00-331011-X。西郷 隆盛 著 、山田 済 斎 編 『西郷 南 洲 遺訓 附 手抄 言 志 録 及遺文 』岩波書店 〈ワイド版 岩波 文庫 〉、2006年 1月 17日 。ISBN 4-00-007265-X。
渡邉 五郎 三郎 『南 洲 翁 遺訓 の人間 学 』致知出版 社 、2005年 7月 。ISBN 4-88474-717-8。渡邉 五郎 三郎 『「西郷 南 洲 手抄 言 志 録 」を読 む人間 的 器量 の磨 き方 』致知出版 社 、2011年 9月 。ISBN 978-4-88474-941-5。渡部 昇一 『「南 洲 翁 遺訓 」を読 む わが西郷 隆盛 論 』致知出版 社 、1996年 11月。ISBN 4-88474-502-7。
関連 項目
外部 リンク
- 『
遺訓 』:旧 字 旧 仮名 -青空 文庫 西郷 隆盛 南 洲 翁 遺訓 集 /敬天 愛人 フォーラム21- 「
南 洲 翁 遺訓 」の原文 と現代 語 訳 を掲載 している。原文 は振 り仮名 つきである。
- 「
西郷 南 洲 顕彰 館 南 洲 翁 遺訓 の講究 -荘内 南 洲 会 - 「
資料 の頒布 」で遺訓 を頒布 している。
- 「
西郷 隆盛 :南 洲 翁 遺訓 |要約 ・解説 ・本文 (一部 ) -日本 文学 ガイド雑感 ・南 洲 翁 遺訓 のこと遺訓 の背景 と内容 を簡潔 に紹介 している。