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善寳寺 - Wikipedia

ぜんたからてら

山形やまがたけん鶴岡つるおかにある寺院じいん

ぜんたからてら(ぜんぽうじ)は、山形やまがたけん鶴岡つるおかにある曹洞宗そうとうしゅう寺院じいん山号さんごうりゅう澤山だくさん(りゅうたくさん)。本尊ほんぞん薬師やくし如来にょらい妙厳寺たえがんじ最乗寺さいじょうじなら曹洞宗そうとうしゅうさんだい祈祷きとうしょ

ぜんたからてら
善寳寺五重塔
ぜんたからてら五重塔ごじゅうのとう
所在地しょざいち 山形やまがたけん鶴岡つるおか下川しもかわ関根せきね100
位置いち 北緯ほくい3846ふん21.62びょう 東経とうけい13946ふん02.33びょう / 北緯ほくい38.7726722 東経とうけい139.7673139 / 38.7726722; 139.7673139座標ざひょう: 北緯ほくい3846ふん21.62びょう 東経とうけい13946ふん02.33びょう / 北緯ほくい38.7726722 東経とうけい139.7673139 / 38.7726722; 139.7673139
山号さんごう りゅう澤山だくさん
宗旨しゅうし 曹洞宗そうとうしゅう
本尊ほんぞん 薬師やくし如来にょらい
正式せいしきめい りゅう澤山さわやまよしたからてら
文化財ぶんかざい 王昭君おうしょうくん菱田ひしだ春草しゅんそうひつくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい
公式こうしきサイト 龍王りゅうおうみこと祈祷きとう道場どうじょうHP
法人ほうじん番号ばんごう 4390005004697 ウィキデータを編集
善寳寺の位置(山形県内)
善寳寺
ぜんたからてら
ぜんたからてら (山形やまがたけん)
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平安へいあん時代じだいてんけいからてんれき年間ねんかん(938ねん - 957ねんごろ天台宗てんだいしゅうみょうたちによって草庵そうあんむすばれ、龍華りゅうげてらんだものをはじまりとする[1]鎌倉かまくら時代ときよのべけい年間ねんかん(1308ねん - 1311ねん)、總持寺そうじじせい峨山韶碩が龍華りゅうげ寺跡てらあと教化きょうかれる[よう出典しゅってん]室町むろまち時代ときよえいとおる年間ねんかん(1429ねん - 1441ねん)、韶碩のななせいほうまご[よう出典しゅってん]曹洞宗そうとうしゅうそうたいねんきよし椿つばきがその遺志いししょどう復興ふっこうし、寺号じごうぜんたからてらあらためた[1]

姿すがたあらわした龍神りゅうじん龍宮りゅうぐうりゅうどうだい龍王りゅうおう戒道大龍おおたつおんな)が寺号じごうさづけ、寺内てらうち貝喰かいばみかくしたという伝承でんしょうのこ[2]龍神りゅうじん信仰しんこうてらとして航海こうかい安全あんぜん祈願きがんする海運かいうん関係かんけいしゃ大漁たいりょう祈願きがんする漁業ぎょぎょう関係かんけいしゃなどから全国ぜんこくてき信仰しんこうあつめる。

天保てんぽう4ねん1833ねん)に再建さいけんされた龍王りゅうおう殿どの安政あんせい2ねん1855ねん)に寄進きしんされた五百羅漢ごひゃくらかんどう文久ぶんきゅう2ねん1862ねん)に再建さいけんされた山門さんもん1883ねん明治めいじ16ねん)に建立こんりゅうされた五重塔ごじゅうのとうなどのしょどうのほか[2]菱田ひしだ春草しゅんそう王昭君おうしょうくん」(くに重要じゅうよう文化財ぶんかざい)などを保有ほゆうする。

1982ねんには、鶴岡つるおかだかせん教授きょうじゅ斉藤さいとう信義のぶよし住職じゅうしょく就任しゅうにんした。

また、1990ねん平成へいせい2ねんごろには、貝喰かいばみコイが「人面じんめんぎょ」として耳目じもくあつめた[3]

2010ねん五十嵐いがらし卓三たくぞうが42せい住職じゅうしょく就任しゅうにん

2016ねんみょうたち上人しょうにん生誕せいたん1150ねんさいわせ、はつ龍王りゅうおう殿どのみことたいのご開帳かいちょう挙行きょこうする。

2017ねんみょうたち上人しょうにん木像もくぞう遷座せんざ開眼かいがん法要ほうよう挙行きょこうする。作成さくせいきょう仏師ぶっし櫻井さくらいさとしさん

文化財ぶんかざい

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王昭君おうしょうくん 菱田ひしだ春草しゅんそうひつ
 
龍王りゅうおう殿どの

重要じゅうよう文化財ぶんかざい

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明治めいじ時代じだい日本にっぽん画家がか菱田ひしだ春草しゅんそう代表だいひょうさく。1902ねん明治めいじ35ねんだい12かい絵画かいが共進きょうしんかい日本にっぽん絵画かいが協会きょうかい日本にっぽん美術びじゅついん連合れんごう絵画かいが共進きょうしんかい)に出品しゅっぴんし、銀牌ぎんぱいだい1せき作品さくひん中国ちゅうごく前漢ぜんかん時代じだい王昭君おうしょうくん故事こじ題材だいざいにしている。東京とうきょう美術びじゅつ学校がっこうしょくわれた岡倉おかくら天心てんしん姿すがたおうあきらくんかさわせているとの見方みかたもある[4]東京とうきょう国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかん寄託きたく

登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい

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2015ねん平成へいせい27ねん)11月17にち以下いかの6むね登録とうろくされた。

  • 龍王りゅうおう殿どの
ぜんたからてら開山かいさんたいねんきよし椿つばき禅師ぜんじぶんやすさんねん(1446ねん創建そうけんつたえられる。げん建物たてもの天保てんぽうよんねん(1833ねん再建さいけんされた。當山とうざん守護しゅごりょうだい龍王りゅうおうみこと祭祀さいしするととも開山かいさんどうをもあわせている。亀甲きっこう葺としょうするはちむね造形ぞうけいしき銅板どうばん屋根やねうみなみ「うねり」をかたどり、またのきぐみにはなみこいしゃちくも草花くさばなといったもの多様たようはいされた荘厳そうごん建築けんちく
  • 五重塔ごじゅうのとう
魚鱗ぎょりん一切いっさいだい供養くようとうとして明治めいじじゅうろくねん(1883ねん)、さんじゅう三世中興月圓禅山和尚の発願ほつがんにより建立こんりゅう着手ちゃくしゅじゅうねん明治めいじじゅうろくねん(1893ねんさんじゅう四世別傳禅法和尚代に落成らくせいたかさんじゅうはちメートルあまりそうけやきづくり、どう板葺いたぶきの大塔おおとう内陣ないじん壇上だんじょう佛体ぶったい正面しょうめん釈迦如来しゃかにょらい東方とうほうおもねしゅく如来にょらい西方にしかた阿弥陀如来あみだにょらい南方みなかたたからまさる如来にょらい中央ちゅうおう金色きんいろ円柱えんちゅうは「大日如来だいにちにょらい」をしてふつしゅ智慧ちえ五智ごち」をあらわしている。外部がいぶには西遊せいゆうられる三蔵さんぞう法師ほうしふかすな大将たいしょう、また十二神じゅうにしんしょう四方しほうまれている。
  • 五百羅漢ごひゃくらかんどう
安政あんせいねん(1855ねんさんじゅう二世月巖不傳和尚代に落成らくせいあか瓦葺かわらぶき入母屋いりもやだい屋根やねにて内部ないぶ空間くうかんかしたそうけやきづくりの伽藍がらん内陣ないじん正面しょうめんには「釈迦如来しゃかにょらい」、かってみぎに「文殊もんじゅ菩薩ぼさつ」、ひだりに「普賢菩薩ふげんぼさつ」をはいした「釈迦三尊しゃかさんぞん」を安置あんち。そのまえにはじゅうだい弟子でし佛像ぶつぞうと、ろくにん弟子でしくわえて「十六羅漢じゅうろくらかん」とび、さらよんひゃくはちじゅうよんにんくわえて、古来こらいよりひとしのぶ「五百羅漢ごひゃくらかんさま」とわれる。北海道ほっかいどう松前まさきぐん豪商ごうしょうより寄進きしんされた。当時とうじ北前きたまえせん航路こうろによる交流こうりゅう繁栄はんえいしのばれる。
  • 山門さんもん
文久ぶんきゅうねん(1862ねんさんじゅう三世中興月圓禅山和尚代に再建さいけんそうけやきづくり、どう板葺いたぶきの重厚じゅうこうじゅうもんろうじょうには正面しょうめんに「宝冠ほうかん釈迦如来しゃかにょらい」、りょうわきには「十六羅漢じゅうろくらかん」を安置あんち上部じょうぶたかかかげられている「りゅう澤山だくさん」のだい扁額へんがく郷土きょうど傑僧けっそうきょうきよしろうたまご和尚おしょう揮毫きごう。まただいみことてんである「毘沙門天びしゃもんてん」をみぎに「韋駄みことてんひだりはいし、土地とち建物たてもの守護しゅごほうしょくつねてんもとむるために安置あんちされている。正面しょうめんおよはつじゅう内部ないぶにはものあふれるようにはいされており、とく正面しょうめん円柱えんちゅう後方こうほうりょう唐獅子からじし棟梁とうりょうとそのおとうとわざきそった力作りきさくとされている。
  • 総門そうもん
信仰しんこう道場みちばよしたからてらへのだいいち関門かんもん安政あんせいさんねん(1856ねんさんじゅう二世月巖不傳和尚代に再建さいけんされた。ゆか石敷せきふざいけやき彩色さいしきほどこされていない。十二支じゅうにしほか立体りったいてき彫刻ちょうこく装飾そうしょくされているよんきゃくもんかって右側みぎがわ上層じょうそうにはなみ宝珠ほうしゅのみのかしりがある。りゅうっている「宝珠ほうしゅ」は「如意宝珠にょいほうじゅ」でねがごとかなうといわれている。
  • 龍華りゅうげあん
このあん名称めいしょう龍華りゅうげ」はぜんたからてら前身ぜんしんである「龍華りゅうげてら」に由来ゆらいする。明治めいじじゅうさんねん(1880ねん)、現在地げんざいちさんじゅう三世中興月圓禅山和尚代に再建さいけんされた。本尊ほんぞん観音かんのん菩薩ぼさつで、内陣ないじん天井てんじょうには棟梁とうりょう天井てんじょうまでかかわったとされる雲龍うんりゅうえがかれている。

交通こうつう

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 歴史れきし”. りゅう澤山さわやまよしたからてら (2010ねん11月4にち). 2011ねん12月15にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 紹介しょうかいページ”. りゅう澤山さわやまよしたからてら (2011ねん3がつ16にち). 2011ねん12月15にち閲覧えつらん
  3. ^ ぜんたからてら”. 山形やまがたけん庄内しょうない地域ちいき観光かんこう情報じょうほうデータベース. 2011ねん12月15にち閲覧えつらん
  4. ^ しん指定してい文化財ぶんかざい」『月刊げっかん文化財ぶんかざい』225ごうだいいち法規ほうき、1982ねん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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  1. ^ ぜんたからてら鉄道てつどう記念きねんかん きゅう駅舎えきしゃ 解体かいたい祈祷きとう龍王りゅうおうみこと祈祷きとう道場みちば よしたからてら(2022ねん7がつ23にち閲覧えつらん