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總持寺 - Wikipedia

總持寺そうじじ

横浜よこはま鶴見つるみにある仏教ぶっきょう寺院じいん

總持寺そうじじ(そうじじ)は、神奈川かながわけん横浜よこはま鶴見つるみ鶴見つるみ丁目ちょうめにある曹洞宗そうとうしゅう仏教ぶっきょう寺院じいん永平寺えいへいじなら日本にっぽん曹洞宗そうとうしゅう中心ちゅうしん寺院じいん大本山だいほんざん)である[1][2]。1911ねん石川いしかわけん鳳至ふげしぐん門前もんぜまちから現在地げんざいち移転いてん山号さんごうしょ嶽山たけやま(しょがくさん)[3]本尊ほんぞん釈迦如来しゃかにょらいてらもんななきりもん

總持寺そうじじ
だいどう(だいそどう)
所在地しょざいち 神奈川かながわけん横浜よこはま鶴見つるみ鶴見つるみ丁目ちょうめ1ばん1ごう
位置いち 北緯ほくい3530ふん25.16びょう 東経とうけい13940ふん17.25びょう / 北緯ほくい35.5069889 東経とうけい139.6714583 / 35.5069889; 139.6714583座標ざひょう: 北緯ほくい3530ふん25.16びょう 東経とうけい13940ふん17.25びょう / 北緯ほくい35.5069889 東経とうけい139.6714583 / 35.5069889; 139.6714583
山号さんごう しょ嶽山たけやま
宗旨しゅうし 曹洞宗そうとうしゅう
寺格じかく 大本山だいほんざん
本尊ほんぞん 釈迦如来しゃかにょらい
創建そうけんねん つて奈良なら時代じだい
開基かいき つて行基ぎょうき
中興ちゅうこうねん 移転いてん明治めいじ44ねん1911ねん
中興ちゅうこう 移転いてん石川いしかわもとわらわ
札所ふだしょとう 東海とうかいさんじゅうさん観音かんのん霊場れいじょう
鶴見つるみ七福神しちふくじん
京浜けいひんよん大本山だいほんざん
文化財ぶんかざい 絹本けんぽんちょしょく紹瑾和尚おしょうぞうかみほんちょしょくつつみばばたちぞう絹本けんぽんちょしょく前田まえだ利家としいえ夫人ふじんぞう刺繍ししゅう獅子吼ししくぶんだい法被はっぴ観音堂かんのんどう縁起えんぎ重要じゅうよう文化財ぶんかざい)ほか
公式こうしきサイト 曹洞宗そうとうしゅう大本山總持寺だいほんざんそうじじ
法人ほうじん番号ばんごう 3020005000313 ウィキデータを編集
總持寺の位置(横浜市内)
總持寺
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能登のとこく櫛比しっぴしょう現在げんざい石川いしかわけん輪島わじま)の真言しんごんりつむねきょういんしょたけ観音堂かんのんどう」が、「總持寺そうじじ」の前身ぜんしんである[4]。1321ねんげんとおる元年がんねん曹洞宗そうとうしゅう4せい瑩山紹瑾は、「しょたけ観音堂かんのんどう」への入院にゅういん住職じゅうしょくていけんからわれる。同年どうねんていけんより「しょたけ観音堂かんのんどう」を寄進きしんされ、寺号じごうを「總持寺そうじじ」、山号さんごうは「しょたけ観音堂かんのんどう」にちなみ「しょ嶽山たけやま」と改名かいめいぜんいんとする[4]。1322ねんげんとおる2ねん後醍醐天皇ごだいごてんのうより「曹洞たまものむらさき出世しゅっせだいいち道場どうじょう」の綸旨りんじけてかんてら大本山だいほんざんとなり、曹洞宗そうとうしゅう公称こうしょうする。住職じゅうしょくを5つの塔頭たっちゅうひろしぞういんみょうだかあん洞川どろがわあん伝法でんぼうあん如意にょいあん)からの輪番りんばんせいとなる。1615ねん元和がんわ元年がんねん徳川とくがわ幕府ばくふより法度はっとされ、永平寺えいへいじならんで大本山だいほんざんとなる。栴崖奕堂以降いこうどくじゅうせいとなる。1898ねん明治めいじ31ねん火災かさい焼失しょうしつする。

1911ねん明治めいじ44ねん)、神奈川かながわけん横浜よこはま鶴見つるみ鶴見つるみ丁目ちょうめ現在地げんざいち移転いてん同年どうねん11月19にちひらかれた国際こくさいオリムピック大会たいかい選手せんしゅ予選よせんかいでは、10000mはしのスタート地点ちてんとなった[5]石川いしかわけん輪島わじま門前もんぜまちきゅう總持寺そうじじいん改称かいしょうされた。

境内けいだい

編集へんしゅう

敷地しきち面積めんせきやく50まんm2あり、横浜よこはま鶴見つるみ広域こういき避難ひなん場所ばしょの1つに指定していされている。境内けいだいには仏殿ぶつでんだいどうをはじめおおくの堂宇どううがあり、鶴見大学つるみだいがくなどの学校がっこう施設しせつもある。本尊ほんぞん釈迦如来しゃかにょらいぞう安置あんちする仏殿ぶつでんよりも、道元どうげん、瑩山紹瑾など歴代れきだい祖師そしまつだいどうほう規模きぼおおきいのが特色とくしょくである。

總持寺そうじじは、1911ねん明治めいじ44ねん)に石川いしかわけんから神奈川かながわけん移転いてんしてきた寺院じいんであるため堂宇どううだい部分ぶぶん近代きんだい建立こんりゅうであり、仏殿ぶつでんをはじめとする主要しゅよう建物たてものおおくは20世紀せいき前半ぜんはん大正たいしょう時代じだい昭和しょうわ時代じだい前期ぜんき)の本格ほんかくてき木造もくぞう建築けんちくである。

だいどう三門さんもんなどは太平洋戦争たいへいようせんそうのち建立こんりゅうされた鉄筋てっきんコンクリートづくりである。他所よそから總持寺そうじじ移築いちくされた建物たてものなかには、近世きんせい末期まっきのものも若干じゃっかんある。 1970ねん昭和しょうわ45ねん)3がつ6にちには火災かさいがあり、つねあきら殿どの焼失しょうしつする[6]2005ねん平成へいせい17ねん)に仏殿ぶつでんなど16けん建造けんぞうぶつ登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい登録とうろくされている。

境内けいだいには横浜よこはまこった鉄道てつどう事故じこである桜木町さくらぎちょう事故じこ1951ねん)と鶴見つるみ事故じこ1963ねん)の慰霊いれい建立こんりゅうされている。

太平洋戦争たいへいようせんそうちゅう東京とうきょう警備けいびぐん横浜よこはま警備けいびたいかれ、1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ終戦しゅうせん反対はんたい反乱はんらんこした。

 
三松みまつかく
 
参道さんどう三門さんもん
 
仏殿ぶつでん
 
こうせきだい(こうしゃくだい)
 
こうとうもん(むかいからもん)
  • 三松みまつせき(さんしょうかん)
總持寺そうじじ総門そうもん扁額へんがくには「三樹みきまつせき(さんじゅしょうかん)」とかれている。總持寺そうじじ中興ちゅうこうとされる石川いしかわわらわ禅師ぜんじ揮毫きごうした。總持寺そうじじいんがある能登のとに、りゅうかたちをしたさんほんまつがあったことに由来ゆらいする。建築けんちく様式ようしき高麗こうらいもんで、ぜんいん総門そうもんとしては特異とくいである。総門そうもんみぎおくにはしんいたやすしたしょ(しんとうあんげしょ)があり、左側ひだりがわには延命えんめい地蔵じぞうみことまつられている。
  • 三門みかど(さんもん)
1969ねん昭和しょうわ44ねん落成らくせいで、鉄筋てっきんコンクリートづくりでは日本一にっぽんいちおおきさをほこ[7]三門さんもん左右さゆうには金剛力士こんごうりきし仁王におうぞうかれ、もと横綱よこづなきたうみの15さい姿すがたをモデルにしたとつたえられる[8][9]三門さんもんろうじょうには、瑩山能登のと開山かいさんするにあたり三門さんもんろうじょう僧形そうぎょう観世音菩薩かんぜおんぼさつぞう地蔵じぞう菩薩ぼさつぞう安置あんちしたことにちな[7]観音かんのん地藏じぞうひかり菩薩ぼさつぞう十六羅漢じゅうろくらかんぞうおよび四天王してんのうぞうまつられる。三門さんもん正面しょうめん扁額へんがくには總持寺そうじじ山号さんごうしょ嶽山たけやま(しょがくさん)」とかれており、どくじゅう19せい岩本いわもと勝俊かつとし禅師ぜんじ揮毫きごうした。
  • 三松みまつかく
1990ねん平成へいせい2ねん竣工しゅんこう三門さんもんかって右側みぎがわにある切妻きりづまづく鉄筋てっきんコンクリートの建物たてもの地上ちじょう4かい地下ちか2かいひろさ9400平方へいほうメートル。まゆみ信徒しんと研修けんしゅう道場どうじょう各種かくしゅセレモニー会場かいじょうとなっており、宿泊しゅくはく施設しせつもある。名前なまえ由来ゆらい三松みまつせきおなじ。4かいにあるだい講堂こうどう正面しょうめんには釈迦如来しゃかにょらい坐像ざぞう木彫きぼりぞうだか0.87メートル)をまつる。
  • こうせきだい(こうしゃくだい)
そう受付うけつけ拝観はいかん墓地ぼち法要ほうよう参拝さんぱいとう受付うけつけおこなう。売店ばいてん休憩きゅうけいしょそなえる。なかにはおおきな「おしゃもじ」と「すりこぎ」がある。建物たてもの名称めいしょうの「こうせき」とは、「香気こうき充満じゅうまんしている世界せかい」のことで、経典きょうてん維摩けいこうせきひんによれば、そこに如来にょらいでもあるとされている。てんじて、禅門ぜんもんでは食事しょくじ調理ちょうりするところのくらいん(くいん)、庫裡くり(くり)を意味いみする(「くら」は、ものたくわえるくらのこと)。正面しょうめん玄関げんかん扁額へんがくは「こうせきだい」とかれ、どくじゅう3せい西にしゆうきよしさん禅師ぜんじ揮毫きごうした。日本にっぽん最大さいだいといわれる木彫きぼり大黒おおくろたかしてんまつられている。
  • 慈峰かく(じほうかく)
2006ねん平成へいせい18ねん)11月竣工しゅんこう本山もとやま移転いてんひゃく周年しゅうねん記念きねん事業じぎょうひとつとしててられ、総合そうごう寺務じむしつ機能きのうゆうする。1かい典座てんぞりょうちょくとしりょう布教ふきょう教化きょうか、2かいにはふくかんいんりょうなおことりょうろくごとりょうりょうがある。3・4かい東部とうぶやくりょう修行しゅぎょうそう部屋へやとなっている。
  • まちおおとりかん(たいほうかん)
1915ねん大正たいしょう4ねん竣工しゅんこう。1923ねん大正たいしょう12ねん)に関東大震災かんとうだいしんさい玄関げんかんのぞ倒壊とうかい。1957ねん昭和しょうわ32ねん)に東京とうきょう千駄ヶ谷せんだがや尾張おわり徳川とくがわきゅう書院しょいん移築いちく總持寺そうじじ迎賓館げいひんかん
  • 紫雲臺しうんだい(しうんたい)
總持寺そうじじ住持じゅうじ禅師ぜんじ表方おもてかたたけあいだ宗門しゅうもん僧侶そうりょ全国ぜんこくまゆみ信徒しんとしたしくしょうする大書たいしょいん紫雲臺しうんだいは、禅師ぜんじ尊称そんしょうにもなっている。正面しょうめん玄関げんかん扁額へんがくには「紫雲臺しうんだい」とかれ、どくじゅう3せい西にしゆうきよしやま禅師ぜんじ揮毫きごうした。書院しょいん区画くかくするふすまおよび板戸いたどには、1920ねん大正たいしょう9ねん)から1921ねん大正たいしょう10ねん)にかけて制作せいさくされた水墨すいぼく彩色さいしきえがかれる。紫雲臺しうんだいめんする日本にっぽん庭園ていえん紫雲しうんにわ(しうんてい)は、ひろやく500つぼ(1650平方へいほうメートル)の池泉いけいずみ回遊かいゆうしき庭園ていえんである。1915ねん大正たいしょう4ねん)に茶道さどう松尾まつおりゅう9せい半古はんこときむね宗匠そうしょうさくにわしたとつたえられる。その一隅いちぐうには茶室ちゃしつ・倚松あんがある。
  • 倚松あん(いしょうあん)
  • さむらいきょくとべりゅうしつ】(じきょく)
  • だいどう
1965ねん昭和しょうわ40ねん竣工しゅんこう仏殿ぶつでんかってみぎ位置いちする。たかさ36メートル、内部ないぶせんじょうきのだい建築けんちく本山もとやま開祖かいそふとし瑩山禅師ぜんじ高祖こうそ道元どうげん禅師ぜんじ峨山禅師ぜんじをはじめとして、歴代れきだいしょ禅師ぜんじいただきしょう安置あんちし、あわせてしょみことぱいをも奉祀ほうしする霊場れいじょうだい堂地どうち客殿きゃくでんとなっており、瑞応ずいおう殿でんばれている。
  • 霊殿れいでん(ごれいでん)
  • 仏殿ぶつでん
1915ねん大正たいしょう4ねん)に竣工しゅんこう本尊ほんぞん釈迦如来しゃかにょらいぞう安置あんちする。
  • ひかりどう(ほうこうどう)
  • 鐘鼓しょうころう(しょうくろう)
  • しゅうりょう(しゅりょう)
  • だい僧堂そうどう(だいそうどう)
1937ねん昭和しょうわ12ねん竣工しゅんこう)。設計せっけい伊東いとう忠太ちゅうた[10]
  • 嫡々ちゃくちゃくあん(てきてきあん)(きゅう宝物殿ほうもつでん
  • たまうさぎもん(ぎょくともん)
  • ちゅうすずめもん(ちゅうじゃくもん)
  • 金鶏きんけいもん(きんけいもん)
  • ひゃくあいだ廊下ろうか(ひゃっけんろうか)
  • こうとうもん(むかいからもん)
  • だい駐車ちゅうしゃじょう(だいちゅうしゃじょう)
  • うめひさしあん(ばいじゅあん)
  • 穴熊あなぐま稲荷いなり(あなぐまいなり)
  • だい梵鐘ぼんしょう(だいぼんしょう)
  • さん寶殿ほうでん(さんぼうでん)

歴代れきだい住持じゅうじ

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  • 開山かいさん 瑩山紹瑾ふつ慈禅 ひろとく圓明えんめい國師こくし つねすみ大師だいし) 1268ねん - 1325ねん
  • だい2せい 峨山韶碩だいげんむね猷國) 1275ねん - 1365ねん

じゅう塔頭たっちゅういん住持じゅうじ一定いってい期間きかん交替こうたい輪番りんばんせいとなる)

どくじゅうだい3せい以前いぜん能登のと總持寺そうじじ

  • だい1せい しょたけ奕堂(1870ねん - 1879ねん栴崖奕堂 ひろずみ慈徳禅師ぜんじ) 1805ねん - 1879ねん
  • だい2せい 畔上うねがみ楳仙(1880ねん - 1901ねん大岡おおおか楳仙 ほうくもひろしぶた禅師ぜんじ) 1825ねん - 1901ねん
  • だい3せい 西にしゆうきよしさん(1901ねん - 1905ねんきよしやま瑾英 直心ひたごころきよしこく禅師ぜんじ) 1821ねん - 1910ねん
  • だい4せい 石川いしかわわらわ(1905ねん - 1920ねん牧牛ぼくぎゅうもとわらわ 大圓だいえんげん致禅) 1841ねん - 1920ねん
  • だい5せい しん井石いせきぜん(1920ねん - ?としきよしえいせきぜん だいかん禅師ぜんじ) 1864ねん - 1927ねん
  • だい6せい 杉本すぎもとみちさん(?とし - 1929ねんげんこうどうやま おうまことたい禅師ぜんじ) 1847ねん - 1929ねん
  • だい7せい 秋野あきの孝道たかみち(1929ねん - ?としだいしのぶ孝道たかみち だまあきらえんどおり禅師ぜんじ) 1857ねん - 1934ねん
  • だい8せい 栗山くりやまやすしおん(?とし - 1935ねんかみなり澍泰おと さとし同行どうこうさとし禅師ぜんじ) 1860ねん - 1937ねん
  • だい9せい 伊藤いとうみちうみ(1935ねん - 1940ねん天祐てんゆうどううみ 無辺むへん光照みつてる禅師ぜんじ) 1874ねん - 1940ねん
  • だい10せい 鈴木すずき天山あまやま(1940ねん - 1941ねん白龍はくりゅう天山あまやま みつでん慈性禅師ぜんじ) 1863ねん - 1941ねん
  • だい11せい 大森おおもりぜん(1941ねんかつりゅうぜん戒) 1871ねん - 1947ねん
  • だい12せい 高階たかしな瓏仙(1941ねん - ?とし玉堂きょくどう瓏仙 大鑑たいかんどうこう禅師ぜんじ) 1876ねん - 1968ねん
  • だい13せい 福山ふくやまかいたま(?とし - 1943ねんたからくもかいたま とくげんこう禅師ぜんじ) 1881ねん - 1943ねん
  • だい14せい 久我くがあつしりつ(1943ねん実山さねやまあつしりつ) 1861ねん - 1943ねん
  • だい15せい 佐川さがわげんつね(1943ねん - 1944ねんくんやまげんつね) 1866ねん - 1944ねん
  • だい16せい 熊澤くまさわやすしぜん(1944ねんがくたいぜん 大光たいこう圓心えんしん禅師ぜんじ) 1873ねん - 1968ねん
  • だい17せい 渡辺わたなべげんむね(1944ねん - 1957ねんほんぎょうげんむね えんかん昧禅) 1869ねん - 1963ねん
  • だい18せい みねさとし(1957ねん - 1967ねん、瑩堂さとしえんおういたりどう禅師ぜんじ) 1879ねん - 1967ねん
  • だい19せい 岩本いわもと勝俊かつとし(1967ねん - ?とし絶海ぜっかい勝俊かつとし せいおう天眞てんしん禅師ぜんじ) 1891ねん - 1979ねん
  • だい20せい 乙川おとがわ瑾映(?とし - 1982ねん形山かたちやま瑾映 ふつかい真光しんこう禅師ぜんじ) 1902ねん - 1982ねん
  • だい21せい 梅田うめだ信隆のぶたか(1982ねん - 1996ねんかいひかり信隆のぶたか みなもとひろしそう禅師ぜんじ)1906ねん - 2000ねん
  • だい22せい 成田なりたかおるずい(1996ねん - 1998ねん得道とくどうよしずい だいたまきただしおう禅師ぜんじ) 1905ねん - 1998ねん
  • だい23せい 板橋いたばしきょうむね(1998ねん - 2002ねん雲海うんかいきょうむね 閑月そく禅師ぜんじ) 1927ねん - 2020ねん
  • だい24せい 大道おおみちあきらせん(2002ねん - 2011ねんだいかなえあきらせん 慈峰えいかん禅師ぜんじ) 1917ねん - 2011ねん
  • だい25せい 江川えがわ辰三たつぞう(2011ねん - 2021ねんとおるげんたつさん 大寛だいかんおう禅師ぜんじ) 1928ねん - 2021ねん
  • だい26せい 石附いしづきあまねぎょう(2021ねん - 、ほうくもしゅうこう こうじゅんどうけい禅師ぜんじ) 1937ねん -

文化財ぶんかざい

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ひさげばばたちぞう高麗こうらい時代じだい

重要じゅうよう文化財ぶんかざい

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重要じゅうよう文化財ぶんかざいは、以下いかとおりである。

登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい

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登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざいは、以下いかとおりである。

  • 三松みまつせき総門そうもん
  • こうとうもん
  • こうせきだい
  • だい僧堂そうどう
  • ひゃくあいだ廊下ろうかおよもん
  • 仏殿ぶつでん
  • まちおおとりかん
  • 紫雲台しうんだい
  • 霊殿れいでん
  • とら嘯窟
  • ひかりどう
  • 鐘鼓しょうころう
  • しゅうりょう
  • ひかり観音かんのん(ひかりかんのん)台座だいざ
  • 鐘楼しゅろう
  • さん宝殿ほうでん

関係かんけい教育きょういく機関きかん

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仏教ぶっきょうけい学校がっこう運営うんえいする学校がっこう法人ほうじんそう学園がくえん傘下さんかち、鶴見大学つるみだいがく山内さんないく。

墓所はかしょがある著名ちょめいじん(50おとじゅん

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交通こうつうアクセス

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曹洞宗そうとうしゅう總和そうわかい

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總持寺そうじじ護持ごじする總持寺そうじじの「總和そうわかい」がある。永平寺えいへいじの「有道ありみちかい」となら曹洞宗そうとうしゅう二分にぶんする。總和そうわかい本部ほんぶは、東京とうきょうみなと愛宕あたご2-3-4大本山總持寺だいほんざんそうじじ出張所しゅっちょうしょないかれる[11]同地どうちにはつて叟院がある[12]

後援こうえん

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とう寺院じいんは、みずからが所在しょざいする横浜よこはま本拠ほんきょ活動かつどうしているプロサッカークラブ「横浜よこはまF・マリノス」への支援しえん組織そしきひとつ「横浜よこはまF・マリノス法人ほうじんかい」の会員かいいんとなっており〔2013ねん5がつ15にち現在げんざい“ゴールドメンバー”会員かいいん[13]、F・マリノスのシーズンちゅう必勝ひっしょう祈願きがんとう寺院じいんいておこなっている[14]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 広辞苑こうじえんだいろくはん総持寺そうじじ
  2. ^ 大辞林だいじりんだいさんはん総持寺そうじじ」 - コトバンク
  3. ^ 岩波いわなみ仏教ぶっきょう辞典じてんだいはん、p.634「総持寺そうじじ」。
  4. ^ a b 総持寺そうじじ概要がいよう大本山總持寺だいほんざんそうじじひらきそう”. 曹洞宗そうとうしゅう大本山總持寺だいほんざんそうじじ. 2011ねん1がつ17にち閲覧えつらん
  5. ^ 川本かわもと信正のぶまさ本会ほんかい創立そうりつ」『日本にっぽん体育たいいく協会きょうかいじゅうねん日本にっぽん体育たいいく協会きょうかい、1963ねん10がつ1にち、19-20ぺーじ 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:65002514
  6. ^ 広告こうこくらん出火しゅっかび)『朝日新聞あさひしんぶん昭和しょうわ45ねん(1970ねん)3がつ7にち朝刊ちょうかん、12はん、15めん
  7. ^ a b 別冊べっさつ太陽たいよう 日本にっぽんのこころ 197 道元どうげん』(平凡社へいぼんしゃ、2016 ねん、P. 134)
  8. ^ 大相撲おおずもうコラムしゅう大相撲おおずもうあんなこと・こんなこと)仁王におうぞうのモデルになったもと横綱よこづな”. 2005ねん1がつ22にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん10がつ10日とおか閲覧えつらん
  9. ^ なみだながまいうみはげまし きたうみ理事りじちょうの“かみ対応たいおう” 〈週刊しゅうかん朝日あさひ”. AERA dot. (アエラドット) (20151203T070000+0900). 2021ねん1がつ17にち閲覧えつらん
  10. ^ 伝統でんとう日本にっぽん紀行きこう
  11. ^ 曹洞宗そうとうしゅう總和そうわかい > 總和そうわかいについて > 会則かいそく
  12. ^ 曹洞ぜんナビー寺院じいん検索けんさく曹洞宗そうとうしゅう公式こうしき 寺院じいんポータルサイト > つて叟院
  13. ^ 法人ほうじんかい 横浜よこはまF・マリノス 公式こうしきサイト”. 横浜よこはまF・マリノス. 2011ねん4がつ9にち閲覧えつらん
  14. ^ 横浜よこはま必勝ひっしょう祈願きがん木村きむら監督かんとくがVのちか - 日刊にっかんスポーツWebばん(nikkansports.com)2009ねん1がつ27にち掲載けいさい記事きじ

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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