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城塞 - Wikipedia

城塞じょうさい

都市とし付属ふぞくするしろとりで
城砦じょうさいから転送てんそう

城塞じょうさい(じょうさい、英語えいご: citadel[1])とは、都市としまち一角いっかくてられた要塞ようさいす。しろともぶ。都市とし支配しはいしゃ武力ぶりょく集団しゅうだん堅固けんご防護ぼうごする目的もくてきてられる。支配しはいしゃ居住きょじゅうするしろかんねることもおおい。日本にっぽんうところの「しろ」にたる。

アレッポの城塞じょうさい
ブダペストゲッレールトのおかつ「ツィタデッラ
マラガ城塞じょうさい(アルカサバ)

城塞じょうさいは、城郭じょうかく都市とし全体ぜんたいかこんでまも城壁じょうへきかべ)とはことなり、都市とし一角いっかくつ。城塞じょうさいには都市とし支配しはいしゃ軍隊ぐんたい政治せいじ王侯おうこう貴族きぞく)を収納しゅうのうし、外敵がいてきや、もし都市とし住民じゅうみんたちから攻撃こうげきけた場合ばあいに、その攻撃こうげきからもまも目的もくてきつ。

古代こだい中世ちゅうせい城塞じょうさい

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古代こだいギリシアでは、城塞じょうさいぐん指揮しきするおかアクロポリス)のうえきずかれ、ポリス人々ひとびとらしの重要じゅうよう一部いちぶであった。武器ぶき食糧しょくりょうたくわえ、戦乱せんらんときには避難ひなんおよび篭城ろうじょう場所ばしょとなり、平時へいじには神殿しんでん王宮おうきゅうとなっていた。

中世ちゅうせいヨーロッパでは城塞じょうさいは、城郭じょうかく都市とし防衛ぼうえいぐん最後さいご防衛ぼうえいする場所ばしょで、都市とし陥落かんらく防衛ぼうえいがわ都市とし一角いっかく城塞じょうさいてこもり、いざとなれば背後はいご田園でんえん丘陵きゅうりょうげられるようになっていた。

大砲たいほう発達はったつともなってりょう堡式城壁じょうへき研究けんきゅうすすみ、とう堡塁ほうるい都市としかこんで防衛ぼうえいするようになると、城塞じょうさいもその重要じゅうよう役割やくわりめるようになった。城塞じょうさい城壁じょうへきりょう堡群の内部ないぶかれることもあったが、経済けいざい活動かつどう場所ばしょ確保かくほのために外郭がいかく一部いちぶをなすよう配置はいちされることがおおかった。てき城郭じょうかくほか部分ぶぶん攻撃こうげきくわえるような場合ばあいでも、城塞じょうさい最強さいきょう拠点きょてんとして最後さいご防衛ぼうえいせんとなることが期待きたいされた。

アラビアでは城塞じょうさいカスバ(qasbah, قصب)とんだ。アルジェリアなどでは城壁じょうへきかこまれた迷路めいろのようなきゅう市街しがいがカスバとばれたほか、スペインではイスラム教徒きょうとのこした城塞じょうさい(カスバ)をアルカサバ(Al Cazaba:"Al"はアラビア定冠詞ていかんし)とんだ。アルカサバはバダホス最大さいだいのものがあるほか、グラナダアルハンブラ宮殿きゅうでん一部いちぶマラガメリダにもアルカサバはのこっている。

ロシアでは城塞じょうさいは「クレムリ」(クレムリン)とばれ、中世ちゅうせいのロシアのかく都市としにはクレムリが設置せっちされていた。現存げんそんするものでは、ノヴゴロドニジニ・ノヴゴロドアストラハンなどのクレムリンが代表だいひょうてきなものだが、なかでもモスクワクレムリンカザンクレムリンはよくられている。

城塞じょうさいれい

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1714ねん建設けんせつされたバルセロナだい規模きぼ城塞じょうさい「シウタデリャ」は、スペイン中央ちゅうおう政府せいふたい17世紀せいき18世紀せいきにかけてかえ反乱はんらんこしたカタルーニャじん処罰しょばつ統制とうせいするために、商業しょうぎょう地区ちく半分はんぶんこわしててられた。19世紀せいき政治せいじてき雰囲気ふんいき自由じゆうになると、バルセロナ市民しみん城塞じょうさいこわし、中央ちゅうおう公園こうえんシウタデリャ公園こうえん転用てんようした。

おなじようなれいハンガリーブダペストゲッレールト(Gellért)のおかつ「ツィタデッラ」(Citadella)にもられ、1848ねんから1849ねんハプスブルク支配しはいたいこった反乱はんらんハンガリー革命かくめい)を教訓きょうくんとして市民しみん威圧いあつするために1851ねん建設けんせつされたが、現在げんざい公園こうえん一部いちぶである。

カナダケベックシティケベック城塞じょうさい(ラ・シタデル)きずかれて以来いらい200ねん以上いじょうち、えいふつあいだ戦場せんじょうとなった歴史れきしゆうするが、現役げんえき軍用ぐんよう使つかわれる北米ほくべい最大さいだい城塞じょうさいであり、フランス語ふらんすごおこなわれる衛兵えいへい交代こうたい有名ゆうめいである。

海事かいじ用語ようご「シタデル」

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軍艦ぐんかんでもとく戦艦せんかん司令塔しれいとうや、砲塔ほうとう機関きかんなどのような重要じゅうよう部分ぶぶんだけに集中しゅうちゅうてき装甲そうこうほどこ防禦ぼうぎょ形式けいしきは、城塞じょうさいになぞらえ「シタデル」とばれることがある。これはなるべく排水はいすいりょうすくないままにかん生存せいぞんせいをあげるための分厚ぶあつ甲板かんぱん防御ぼうぎょほどこすアイデアであり、おも排水はいすいりょうおおきくなかったぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんもちいられた。日本にっぽんではいしゆみきゅう戦艦せんかん超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかんもちいられる場合ばあいはシタデルとは区別くべつ集中しゅうちゅう防御ぼうぎょ方式ほうしきしょうする。海外かいがいでは区別くべつしない。

また、商用しょうよう船舶せんぱくでも海賊かいぞく襲撃しゅうげき避難ひなんさき篭城ろうじょうさきとなる、強固きょうこ防壁ぼうへきかこまれた安全あんぜん部屋へや用意よういするようになっており、この部屋へや区画くかくが「シタデル」とばれることがある。


脚注きゃくちゅう

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  1. ^ citadelシタデル)のかたりは、シティ(city)とおなラテン語らてんご語源ごげん(civis、「市民しみん」)をち、都市とし中核ちゅうかく意味いみ起源きげんである。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Sidney Toy (1985). Castles: Their Construction and History . Courier Dover. ISBN 0-486-24898-4.