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ケベック・シティー - Wikipedia

ケベック・シティー

カナダの都市とし
ケベック (ケベックしゅう)から転送てんそう

ケベック・シティーフランス語ふらんすご: Ville de Québec発音はつおん/kəˈbɛk/)は、カナダケベックしゅうにある都市としどうしゅう州都しゅうとであり、しゅうないではモントリオールいで人口じんこうおおい。2023ねん調査ちょうさによると人口じんこうは578,593にん[2]大都市だいとし圏内けんないでは800,296にんである。

ケベック・シティー
Ville de Québec
セントローレンス川とケベック市街
セントローレンスがわとケベック市街しがい
ケベック・シティーの市旗 ケベック・シティーの市章
はた あきら
愛称あいしょう : La Vieille Capitale
位置いち
ケベック・シティーの位置(ケベック州)の位置図
ケベック・シティーの位置いち(ケベックしゅう
位置いち
ケベック・シティーの位置(カナダ内)
ケベック・シティー
ケベック・シティー (カナダ)
ケベック・シティーの位置(ケベック州内)
ケベック・シティー
ケベック・シティー (ケベックしゅう)
ケベック・シティーの位置(ケベック・シティー内)
ケベック・シティー
ケベック・シティー (ケベック・シティー)
地図
座標ざひょう : 北緯ほくい4649ふん0びょう 西経せいけい7113ふん0びょう / 北緯ほくい46.81667 西経せいけい71.21667 / 46.81667; -71.21667
歴史れきし
定住ていじゅう開始かいし 1608ねん
行政ぎょうせい
くに カナダの旗 カナダ
 しゅう  ケベックしゅう
 行政ぎょうせい ケベック首都しゅと地域ちいき
  ケベック・シティー
市長しちょう ブルーノ・マルシャンフランス語ふらんすごばん
地理ちり
面積めんせき  
  市域しいき 485.77 km2
    陸上りくじょう   453.38 km2
  市街地しがいち 427.66 km2
  都市としけん 3,408.70 km2
標高ひょうこう 73 m (240 ft)
人口じんこう
人口じんこう 2016ねん[1]現在げんざい
  市域しいき 578,593にん
    人口じんこう密度みつど   1,173.2人ふたり/km2(3,039にん/mi2
  市街地しがいち 705,103にん
    市街地しがいち人口じんこう密度みつど   1,648にん/km2(4,270にん/mi2
  都市としけん 800,296にん
    都市としけん人口じんこう密度みつど   234.8にん/km2(608にん/mi2
  備考びこう カナダ国内こくない11
その
ひとしときおび 東部とうぶ標準時ひょうじゅんじ (UTC-5)
夏時間なつじかん 東部とうぶ夏時間なつじかん (UTC-4)
市外しがい局番きょくばん +1-418/581
公式こうしきウェブサイト : ville.quebec.qc.ca

セントローレンスがわが、ダイアモンドみさきと、対岸たいがんのレヴィとに接近せっきんした地点ちてんせばまっていることから、先住民せんじゅうみんアルゴンキンぞく言葉ことばで「かわせまくなっているところ」を意味いみする「ケベック」という名前なまえになった。市内しないきゅう市街しがいメキシコ以北いほくでは現存げんそんする唯一ゆいいつ城郭じょうかく都市としとなっており、1985ねんユネスコ世界せかい遺産いさんに「ケベックきゅう市街しがい歴史れきし地区ちく」として登録とうろくされた[3][4]。1608ねん設立せつりつされており、北米ほくべいうちもっとふる歴史れきし都市としひとつでもある[5]アメリカ文化ぶんか影響えいきょうつよ北米ほくべいフランス語ふらんすごけんにあたり、公用こうようフランス語ふらんすご、かつ人々ひとびと生活せいかつ様式ようしき文化ぶんかめんフランス文化ぶんかつよいという独自どくじせいはなつ。

ケベックしゅうとの区別くべつから一般いっぱんに「ケベック・シティー」、または「ヴィル・ド・ケベック」とばれる。フランス語ふらんすごではケベックしゅうは「le Québec」、ケベック・シティーをたんに「Québec」とび、区別くべつしている[6]

近世きんせい

編集へんしゅう
 
サミュエル・ド・シャンプラン

1534ねんから3にわたり、フランス国王こくおうフランソワ1せい派遣はけんされたジャック・カルティエが、スタダコナ(現在げんざいのケベック・シティー)に入植にゅうしょくこころみたが、当初とうしょはうまくかなかった。一方いっぽうで、ヨーロッパ漁業ぎょぎょう関係かんけいしゃがカナダで副業ふくぎょうとして毛皮けがわ取引とりひきおこなっていたことから、フランスは、毛皮けがわ取引とりひき占有せんゆうけんち、カナダに植民しょくみんてた。1600ねんピエール・ド・ショヴァンタドゥサック毛皮けがわ交易こうえきところて、のち占有せんゆうけんピエール・デュグアが、開拓かいたく移民いみんだんれてカナダへかった。このいちぎょう地理ちり学者がくしゃサミュエル・ド・シャンプランがいた。かれらの開拓かいたくした植民しょくみんは、ヌーベル・フランスばれることになる。

 
アビタシオン

かれらはまずアカディアはいり、そのげんノバスコシアしゅう西部せいぶのポートロイヤル(ポール・ロワイヤル、げんアナポリス・ロイヤル)にも入植にゅうしょくしたが、不発ふはつわった。1608ねんいちぎょうはケベックにアビタシオンばれる木造もくぞう建築けんちくぶつつくり、そこを交易こうえきしょとした。、「ヌーベル・フランスのちち」ともばれたシャンプランは、植民しょくみんをめぐる様々さまざま問題もんだいみ、奥地おくちへの探検たんけん奨励しょうれいした。その一人ひとりが、白人はくじんとしてはじめてペンシルベニアしゅう横断おうだんし、スペリオル発見はっけんしたエチエンヌ・ブルレである。シャンプラン自身じしんも1609ねんシャンプランみずうみ発見はっけんした。一方いっぽうで、キリスト教きりすときょう布教ふきょうおこなわれ、17世紀せいきなかばには、人口じんこうの4ぶんの1は、イエズスかい神父しんぷや、ウルスラ[よう曖昧あいまい回避かいひ]かい尼僧にそうといった聖職せいしょくしゃだった。 毛皮けがわ貿易ぼうえきは、一部いちぶ非合法ひごうほうしゃクーリュエ・ド・ボワ)の問題もんだいかかえながらもおおいにさかえ、のち女性じょせい入植にゅうしょくしてて、家庭かていいとな人々ひとびとえた。水路すいろなどのインフラストラクチャー整備せいびおこなわれ、農作物のうさくもつ生産せいさん増大ぞうだいした。

フランスがケベックの開拓かいたく発展はってんにいそしんでいたほぼおな時期じきイギリス北米ほくべい植民しょくみん建設けんせつちかられていた。オランダしたのちハドソンがわ経由けいゆ毛皮けがわ貿易ぼうえきおこなっており、ヌーベル・フランスにとって脅威きょういであった。とくにアカディアやニューファンドランドをめぐっての対立たいりつはげしくなり、やがてヨーロッパでのこくあいだこうそうが、植民しょくみんするようになって、1754ねんジョージ・ワシントンがヌーベル・フランスを攻撃こうげきし、そのヨーロッパのななねん戦争せんそう波及はきゅうするかたちで、北米ほくべいでのえいふつ衝突しょうとつこった。とくにイギリスでウィリアム・ピット政権せいけんにぎったころから、戦況せんきょうはイギリスに有利ゆうりすすみ、1758ねんイギリス海軍かいぐんはフランスを海上かいじょう封鎖ふうさして、ルイブール要塞ようさい壊滅かいめつてき打撃だげきあたえたのち1759ねんにはアブラハム平原へいげんたたか勝利しょうりおさめ、ついにヌーベル・フランスは、イギリスの統治とうちかれることとなった。北米ほくべい植民しょくみんでのえいふつたたかいは、「フレンチ・インディアン戦争せんそう」ともばれる。

近代きんだい

編集へんしゅう
 
ケベックのたたかい (1775ねん)

イギリス植民しょくみんとなったケベックに、今度こんどアメリカ独立どくりつ戦争せんそう革命かくめいぐんせた。ケベックは、アメリカから大陸たいりく会議かいぎ革命かくめい参加さんかびかけられたがおうじず、ついよく1775ねん独立どくりつ戦争せんそう口火くちびられた。革命かくめいぐんはモントリオールにつづいてケベックにもはいったが、長期ちょうきたたかいと兵站へいたん不足ふそくくわえ、1775ねん12月31にちたたかいで、司令しれいかんリチャード・モントゴメリー戦死せんししたうえに、イギリス艦隊かんたいのケベック接近せっきんで、革命かくめいぐん撤退てったいせざるをなかった。べいえい対決たいけつはそのつづき、結果けっかとして独立どくりつをよしとしないアメリカのロイヤリストがカナダに移住いじゅうしてきた。そのイギリスけいロイヤリスト中心ちゅうしんアッパー・カナダ、ケベックをふくむフランスけい中心ちゅうしんローワー・カナダかれてき、ケベックはローワー・カナダの首都しゅととなった。

1793ねん革命かくめいのフランスとイギリスのあいだふたた戦火せんかこり、1812ねんにはカナダとアメリカのあいだたたかいがはじまった。この戦争せんそうのち、イギリスけいがカナダにえ、ローワー・カナダとアッパー・カナダでそれぞれ反乱はんらんこったため、両者りょうしゃ連合れんごうおこなわれ、首都しゅとキングストンさだめられた。南北戦争なんぼくせんそう、カナダ併合へいごうろん再燃さいねんしたアメリカから植民しょくみんまもるため、連邦れんぽう検討けんとうされるようになり、1864ねん10月ケベックで「ケベック決議けつぎ」が採択さいたくされ、よく1867ねんには「カナダ自治領じちりょう(ドミニオン)」が誕生たんじょうする。また、西部せいぶへの開拓かいたくすすみ、ブリティッシュコロンビアしゅう大西洋たいせいようがん植民しょくみん連邦れんぽう参加さんかした。

 
ケベック入植にゅうしょく400周年しゅうねんいわバナー

連邦れんぽう結成けっせいノースウエストの反乱はんらんられるような地域ちいき主義しゅぎたかまり、またケベック議会ぎかいでも、イギリスに没収ぼっしゅうされたイエズスかい資産しさんへの補償ほしょうきんみとめ、ローマ教皇きょうこうがこれにからんだことから、国内こくないしゅうあいだにさまざまな亀裂きれつまれた。その首相しゅしょうウィルフリッド・ローリエが、国内こくない矛盾むじゅんかかえつつも、妥協だきょうさくにより、イギリスの植民しょくみんからの離脱りだつこころみた。その尽力じんりょくにより、すべての植民しょくみんがドミニオンとばれることになり、個別こべつ海軍かいぐん設立せつりつみとめられた。

20世紀せいきはいって移民いみん増加ぞうかし、また工業こうぎょうすすんで、ケベックしゅうもその一端いったんをになったが、カトリック教会きょうかい工業こうぎょうこのまず、実権じっけんはオンタリオしゅうにぎられていた。また、ローリエの退陣たいじんにより、それまでの譲歩じょうほさくが、アメリカ支配しはいにとってわられてった。だいいち大戦たいせん調整ちょうせいて、自立じりつみちすすむも、地域ちいき格差かくさ解消かいしょうされないままだい恐慌きょうこうだい大戦たいせん突入とつにゅうし、おもにヨーロッパにぐん軍艦ぐんかん派遣はけんしたが、真珠湾しんじゅわん攻撃こうげき以降いこうは、太平洋たいへいようがん危機ききかんあふられた。そんななか、ケベックで1943ねん8がつだい1かいケベック会談かいだん1944ねん9月だい2かいケベック会談かいだんの2かいわたべいえい首脳しゅのう会議かいぎひらかれ、当時とうじのキング首相しゅしょう列席れっせきするが、ホストやくつとめただけでわる。

現代げんだい

編集へんしゅう

だい大戦たいせん、カナダはアメリカとの緊密きんみつした。また、ニューファンドランド正式せいしき連邦れんぽう加盟かめいした。工業こうぎょうすすなか、「しずかなる革命かくめい」がこる。戦後せんご復興ふっこうからのこされたかんのあるケベックしゅうで、ときしゅう首相しゅしょうであるジャン・ルサージにより、独自どくじ経済けいざい政策せいさく教育きょういく改革かいかくこり、フランス・ナショナリズムが表面ひょうめんした。一方いっぽうでこのことでしゅうない亀裂きれつまれ、ベトナム戦争せんそうをめぐってたいべい関係かんけいもきしんだ。

1967ねんモントリオールでカナダ建国けんこく100周年しゅうねん記念きねんしたモントリオール万国博覧会ばんこくはくらんかいひらかれ、カナダとしての独自どくじせいがはぐくまれる一方いっぽうで、70年代ねんだい以後いご、ケベックの主権しゅけんとなえるこえたかまり、ケベック解放かいほう戦線せんせんによる「じゅうがつ危機きき」が発生はっせいする。1977ねんにはフランス語ふらんすご優先ゆうせん政策せいさくである「フランス語ふらんすご憲章けんしょう」が発布はっぷされた。また、カナダ連邦れんぽう政府せいふは、べい協調きょうちょう路線ろせんふたたるようになり、ケベックしゅう出身しゅっしんマルルーニー政権せいけんで、アメリカとカナダにメキシコをれたNAFTA調印ちょういんる。そのかたわら、ケベックの分離ぶんり独立どくりつ運動うんどうは、解決かいけつないまま21世紀せいき突入とつにゅうすることになった。

2008ねん入植にゅうしょく400ねんいわ記念きねん行事ぎょうじおこなわれた[7][8][9]

人口じんこう統計とうけい

編集へんしゅう

2016ねん統計とうけいによると市区しく人口じんこうは531,902人ふたり国内こくない11であるが、隣接りんせつするレヴィひとしふくめた都市としけん人口じんこうは800,296にんとカナダ7番目ばんめ規模きぼ都市としけんであり、トロントモントリオールバンクーバーオタワカルガリーエドモントンいで7番目ばんめおおきな都市としとなっている。1860年代ねんだいには市内しない人口じんこうの4わり英語えいご話者わしゃとなっていた時代じだいもあったが、現在げんざいではわずか1.5%にぎず、市民しみんの94.6%がフランス語ふらんすご母語ぼごとしている都市としである。おなじケベックしゅうないでも英語えいごひろ使つかわれるモントリオールとはことなる北米ほくべいもっともフランスしょくつよ都市としとなっている。市民しみんのうち英語えいご理解りかいすることができるのは3ぶんの1程度ていどにとどまり、観光かんこうのぞくと英語えいごつうじないことも一般いっぱんてきである。

住民じゅうみんはフランスけい中心ちゅうしんとした白人はくじん大半たいはんめているが、近年きんねんフランス語ふらんすごけん(レバノン、モロッコやアルジェリア、チュニジアのマグレブ諸国しょこく西にしアフリカが中心ちゅうしん)と中南米ちゅうなんべいからの移民いみん中心ちゅうしんれており白人はくじん人口じんこう割合わりあいは6.4%となっている。 アフリカけい人口じんこうは2.4̬%をめている。

ケッペンの気候きこう区分くぶんでは亜寒帯あかんたい湿潤しつじゅん気候きこう(Dfb)にぞくする[10]冬季とうき非常ひじょうさむゆきおおいのが特徴とくちょうで、4‐5がつまでゆきがちらつくこともある。夏季かき湿度しつどたかあめおおい。7、8がついちねんのうちのさいだんがつである。積雪せきせつりょう毎年まいとし3.5メートル前後ぜんこうといわれる[11]

ケベック・シティー (ケベック・ジャン・ルサージ国際こくさい空港くうこう)(1981−2010ねん平均へいきん)の気候きこう
つき 1がつ 2がつ 3がつ 4がつ 5月 6がつ 7がつ 8がつ 9月 10月 11月 12月 とし
最高さいこう気温きおん記録きろく °C°F 10.0
(50)
11.7
(53.1)
17.8
(64)
29.9
(85.8)
33.0
(91.4)
33.9
(93)
35.6
(96.1)
34.4
(93.9)
33.9
(93)
28.3
(82.9)
20.0
(68)
13.9
(57)
35.6
(96.1)
平均へいきん最高さいこう気温きおん °C°F −7.9
(17.8)
−5.6
(21.9)
0.2
(32.4)
8.3
(46.9)
17.0
(62.6)
22.3
(72.1)
25.0
(77)
23.6
(74.5)
17.9
(64.2)
11.1
(52)
2.9
(37.2)
−4.2
(24.4)
9.2
(48.6)
にち平均へいきん気温きおん °C°F −12.8
(9)
−10.6
(12.9)
−4.6
(23.7)
3.7
(38.7)
11.2
(52.2)
16.4
(61.5)
19.3
(66.7)
18.1
(64.6)
12.7
(54.9)
6.6
(43.9)
−0.7
(30.7)
−8.6
(16.5)
4.2
(39.6)
平均へいきん最低さいてい気温きおん °C°F −17.7
(0.1)
−15.6
(3.9)
−9.4
(15.1)
−1.0
(30.2)
5.4
(41.7)
10.5
(50.9)
13.5
(56.3)
12.5
(54.5)
7.5
(45.5)
2.0
(35.6)
−4.2
(24.4)
−12.8
(9)
−0.8
(30.6)
最低さいてい気温きおん記録きろく °C°F −35.4
(−31.7)
−36.1
(−33)
−30.0
(−22)
−18.9
(−2)
−7.8
(18)
−0.6
(30.9)
3.9
(39)
2.2
(36)
−4.8
(23.4)
−10.0
(14)
−24.0
(−11.2)
−32.3
(−26.1)
−36.1
(−33)
降水こうすいりょう mm (inch) 86.6
(3.409)
74.5
(2.933)
76.1
(2.996)
83.5
(3.287)
115.9
(4.563)
111.4
(4.386)
121.4
(4.78)
104.2
(4.102)
115.5
(4.547)
98.3
(3.87)
102.5
(4.035)
99.9
(3.933)
1,189.7
(46.839)
降雪こうせつりょう cm (inch) 71.9
(28.31)
63.6
(25.04)
46.4
(18.27)
13.2
(5.2)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
3.2
(1.26)
32.7
(12.87)
72.4
(28.5)
303.4
(119.45)
平均へいきん降雨こうう日数にっすう (≥0.2 mm) 3.0 2.4 4.7 10.4 15.3 13.4 13.5 13.4 13.4 14.1 10.1 4.5 118.2
平均へいきん降雪こうせつ日数にっすう (≥0.2 cm) 16.3 13.2 10.5 4.3 0.13 0.0 0.0 0.0 0.0 1.0 8.1 16.6 70.1
湿度しつど 67.8 64.6 60.7 55.9 51.6 56.0 59.1 59.1 61.8 63.1 70.4 73.2 61.9
平均へいきん月間げっかん日照ひでり時間じかん 98.9 121.2 152.0 170.6 211.1 234.7 252.3 232.0 163.0 122.0 76.6 81.9 1,916.3
出典しゅってん[12]
 
ケベック・シティーの行政ぎょうせいみぎから時計とけいまわりにボーポール()、ラ・シテ - リモワル(みどり)、レ・リヴィエール(オレンジ)、サント・フォワ - シルリー - カップ・ルージュ(むらさき)、ラ・オート・サン・シャルル(あお)、シャルルブール(あか

2007ねん12月8にち以降いこう市長しちょうはレジス・ラボームである。立法府りっぽうふである議会ぎかいは、都市としけん地区ちくと、小学校しょうがっこう高学年こうがくねん子供こどもたちによる議会ぎかいとがもうけられている[13]市議会しぎかい議員ぎいんは28めいである[14]

ケベックシティは隣接りんせつするレヴィひとし周辺しゅうへんふくめてケベックしゅうないでももっと保守ほしゅ主義しゅぎ支持しじされる地域ちいきで、連邦れんぽう議会ぎかい選挙せんきょではカナダ保守党ほしゅとう議席ぎせき獲得かくとくすることがおおくなっている。これは白人はくじん人口じんこう大半たいはんめるフランス語ふらんすごモノリンガルの官僚かんりょうてき行政ぎょうせい都市としという閉鎖へいさてき保守ほしゅてき要因よういんくわえ、人種じんしゅ文化ぶんか社会しゃかい左派さは牙城がじょうでカナダを代表だいひょうするエリート左派さは政治せいじしてきたしゅうない最大さいだい都市としモントリオールへの対抗心たいこうしんあらわれともわれている。しかしながら、2011ねん連邦れんぽう議会ぎかい選挙せんきょでは左派さはしん民主党みんしゅとう勝利しょうりしており、ときにケベックシティの政治せいじ風土ふうど特異とくい現象げんしょうとしてほうじられる。

かつては行政ぎょうせいが8あったが、その6になった[15]

経済けいざい

編集へんしゅう

1763ねんパリ条約じょうやくイギリス植民しょくみんとなったため、経済けいざいけんをイギリスけい移民いみん支配しはいされるようになり、フランスけいエリートの職業しょくぎょうは、医師いし弁護士べんごし代書だいしょじんみっつにほぼかぎられていた。そのえいふつ対立たいりつなかでも、経済けいざいてき惰弱だじゃく地位ちいあまんじざるをなかったが、この解決かいけつさくとしての経済けいざい自立じりつ戦略せんりゃく一環いっかんとして、1962ねん民間みんかん水力すいりょく発電はつでん会社かいしゃ買収ばいしゅうして、イドロケベック誕生たんじょうする。 このイドロケベックは、そののケベックしゅう全体ぜんたい経済けいざい産業さんぎょうおおいにウェイトをめ。ケベックの様々さまざま産業さんぎょう、ひいては金融きんゆう機関きかん設立せつりつにも貢献こうけんした。また、先端せんたん技術ぎじゅつ部門ぶもん開発かいはつ可能かのうとなった。いわゆるクリーンエネルギー、そして電力でんりょく輸出ゆしゅつ、そして電力でんりょく確保かくほによっての産業さんぎょう発達はったつ効果こうかおおきい。 金融きんゆう機関きかんとしては、ケベック貯蓄ちょちく投資とうし公庫こうこ(ケス・デポ)が注目ちゅうもくされる。ケベック州民しゅうみん年金ねんきん公共こうきょう保険ほけん元手もとでとなっている。元々もともとは、ケベックしゅう独自どくじ年金ねんきん計画けいかく導入どうにゅうによるものだが、1965ねん当時とうじレスター・B・ピアソン首相しゅしょう認可にんかしたためにみとめられた。中央ちゅうおう銀行ぎんこう役割やくわりたすこの金融きんゆう機関きかんもまた、ケベックの経済けいざい発展はってん一役ひとやくってた。また、1977ねんフランス語ふらんすご憲章けんしょうによるフランス語ふらんすごのみの公用こうようもこれに付随ふずいしている。しかし、これにより大手おおて企業きぎょうがケベックしゅうはなれるというマイナスの側面そくめんもあった[9]

2007ねん現在げんざいで、おなじケベックしゅうモントリオールえいふつバイリンガル人口じんこうおおいが、ケベック・シティーではフランス語ふらんすご人口じんこうほうおおく、英語えいご母語ぼごとする人口じんこうは、ケベック都市としけんやく1.5%である。[16][17]

現在げんざい、ケベック・シティーの雇用こようだい部分ぶぶん行政ぎょうせい機関きかん公共こうきょうサービス、そして旅行りょこうぎょう集中しゅうちゅうしている。州都しゅうととして、地域ちいき管理かんりとサービスセンターとしての利益りえきおおきい。しゅう政府せいふはケベック・シティーで一番いちばん雇用こようぬしである、2007ねん時点じてんで27,900にんしゅう政府せいふ仕事しごとをしている[18]2008ねん失業しつぎょうりつは4.5%で[19]しゅうの7.3%、カナダ全体ぜんたいでの6.6%よりもすくない[20]にハイテク関連かんれん製造せいぞうぎょうがある[21]製造せいぞうぎょう内訳うちわけ下記かきとおりである。

応用おうよう技術ぎじゅつ関連かんれん
 光学こうがく光通信ひかりつうしんまなべ電子でんし工学こうがくソフトウェアコンピュータサービス、地理ちり情報じょうほうがくビデオゲーム防衛ぼうえい関連かんれんセキュリティ
生命せいめい科学かがく健康けんこう科学かがく栄養えいようがく関連かんれん
バイオテクノロジー生体せいたい医学いがく医薬品いやくひん栄養えいよう補助ほじょ食品しょくひん機能きのうせい食品しょくひん農業のうぎょう食品しょくひん加工かこう
加工かこう原料げんりょう関連かんれん
プラスチック混合こんごう原料げんりょう木材もくざい加工かこう

ケベック・シティーは683,000にん市場いちばつ。これはケベックしゅうではだい2、カナダ国内こくないではだい7規模きぼである [22]

教育きょういく

編集へんしゅう
 
ラヴァル大学だいがく

だい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつ移民いみん増加ぞうか高学歴こうがくれきなどにより、ケベックしゅう学校がっこう教育きょういく改革かいかく必要ひつようせいてくるようになった。カトリック教会きょうかい改正かいせい要求ようきゅうや、教育きょういく機会きかい均等きんとう世俗せぞく教育きょういく行政ぎょうせい教育きょういくぜいさい検討けんとう教員きょういん養成ようせいなどの報告ほうこくしょもとに、1960ねん抜本ばっぽんてき改革かいかくのための調査ちょうさ委員いいんかいパラン審議しんぎかい)が設立せつりつされ、1963ねんには、聖職せいしょくしゃもとでカトリックとプロテスタントかれていた教育きょういく世俗せぞく一本いっぽんがはかられた。これにより、ケベックしゅうまったあたらしい公立こうりつ学校がっこう制度せいど誕生たんじょうした。また、私立しりつ学校がっこう補助ほじょきん制度せいど見直みなおしもおこなわれた。 1977ねんにはフランス語ふらんすご憲章けんしょうにより、公用こうようフランス語ふらんすごのみとなったため、英語えいごけい学校がっこうまなぶには様々さまざま条件じょうけんけられるようになった。現在げんざい、ケベック・シティー市内しないにある大学だいがく下記かきとおりである。

これ以外いがいにも市内しないには、フランソワ・クサビエ・カルノーカレッジメリシーカレッジがある。またサン=ルイ・アカデミーはじめとする私立しりつ学校がっこうも6こうある[23]。 ケベックしゅうでは小学校しょうがっこうが6ねん普通ふつう教育きょういく中等ちゅうとう学校がっこうが5ねんで、高校こうこう2ねん段階だんかい中等ちゅうとう教育きょういくわる。そのは、CÉGEPセジェップ(Collège d'enseignement général et professionnel)とばれる、大学だいがく進学しんがく準備じゅんび教育きょういく機関きかんがあり、一般いっぱん教養きょうよう課程かてい2ねん、または、技術ぎじゅつしゃ養成ようせい目的もくてき技術ぎじゅつ専門せんもん課程かてい3ねんのいずれかをえらぶ。大学だいがく専門せんもん課程かていのみとなる。ケベック・シティーにはセジェップ・ド・ラビティビ=テミスカマング(Cégep de l'Abitibi-Témiscamingue)がある[9]

 
ケベックの夜景やけい

文化ぶんか観光かんこう

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ケベックしゅう議事堂ぎじどう

建築けんちく

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シャトー・フロンテナックオテル・デュー病院びょういん三位一体さんみいったいせい公会こうかい教会きょうかいノートルダムだい聖堂せいどう、ウルスラかい修道院しゅうどういんロワイヤル広場ひろば旧港きゅうみなと地区ちくなど、歴史れきし地区ちくふくめ、古典こてんてき重厚じゅうこう建築けんちくぶつ有名ゆうめいである。 市内しない建築けんちくには、11のことなる様式ようしきがみられる。

  1. クラシカル・リバイバル(1790-1820)
  2. ネオ・クラシシズム(1820-1850)
  3. ネオ・ゴシック(1850-1860)
  4. ネオ・イタリアン・ルネッサンス(1860-1880)
  5. ネオ・フレンチ・ルネッサンス(セカンド・エンパイア)
  6. ネオ・バロック(1890-1920)
  7. エクレクティシズム(ハイ・ビクトリア)
  8. シャトー・スタイル(シャトー・イン・ザ・ロワール)
  9. ボー・アール・スタイル
  10. アール・デコ(1925ねん以降いこう
  11. インターナショナル・スタイル(1930-1965)[24]

ケベックしゅう議事堂ぎじどうは、このなかのネオ・フレンチ・ルネッサンス様式ようしき代表だいひょうかくである。4つのつばさ(よく)からはば100メートル、たかさ52メートルの建築けんちくぶつで、1877ねんから9年間ねんかんをかけて完成かんせいした[6]

しょく文化ぶんか

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プーティン

城塞じょうさいした、アンティークのみせならとおりをけると旧港きゅうみなと市場いちばがある。ここはファーマーズマーケットで、メープルシロップワイン試食ししょく試飲しいん出来できる。フランス文化ぶんかけんらしくフォアグラ様々さまざま野菜やさいもある。 伝統でんとう料理りょうりすレストランもある。ケベック開拓かいたく時代じだいおもわせる、りの獲物えもの使つかったミートパイに、様々さまざまフルーツソースをかけたものや、メープルタルトなどである。また、ケベックしゅう発祥はっしょう料理りょうりとして、フライドポテトチーズグレービーをかけたプーティンがあり、カナダではマクドナルドのメニューにもある人気にんきものである[25][26][27]

観光かんこう

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プチ・シャンプラン地区ちく
 
勝利しょうりのノートルダム教会きょうかい
 
戦場せんじょう公園こうえん
 
ウィンターカーニバルのマスコット、ボノム

観光かんこう名所めいしょとしては、つぎのような場所ばしょげられる。世界せかい遺産いさん史跡しせきは、きゅう市街しがいとローワータウンにおおい。

きゅう市街しがい (ヴィユー・ケベック、オールド・ケベック)

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ラ・シタデル(La Citadelle)
えいふつななねん戦争せんそう最後さいご舞台ぶたいである「ケベック要塞ようさい」で、ディアマンみさきうえつ。カナダで唯一ゆいいつフランス語ふらんすご指揮しきおこなわれるだい22連隊れんたい駐屯ちゅうとん衛兵えいへい交代こうたい有名ゆうめい
ノートルダムだい聖堂せいどう(Basilique-cathédrale Notre-Dame de Québec)
ケベック大司教だいしきょう所在地しょざいちであり、新大陸しんたいりく最初さいしょ建設けんせつされた聖堂せいどうで、フランス統治とうち時代じだい宝物ほうもつ数多かずおお保管ほかんされている。
シャトー・フロンテナック(Château Frontenac)
セントローレンスがわの、岸辺きしべ高台たかだいにある老舗しにせホテルで、ケベック・シティーのランドマークてき存在そんざい
ダルム(アルム)広場ひろば(Place d'Armes)
きゅう市街しがい中心ちゅうしん位置いちし、サミュエル・ド・シャンプランのぞうがある。
北米ほくべい博物館はくぶつかん(Musée de l'Amérique francophone)
芸術げいじゅつ科学かがく関連かんれん事物じぶつおさめた博物館はくぶつかん元々もともとは、1663ねん建設けんせつされたケベック神学校しんがっこう(Séminaire de Québec)の建物たてもので、神学校しんがっこうはそのきゅうラヴァル大学だいがくとなった。ハーバード大学だいがく先立さきだつこと1ねんの、きたアメリカ最古さいこ大学だいがくである。
テラス・デュフラン(Terrasse Dufferin)
シャトー・フロンテナックからはじまる板敷いたじきの歩道ほどうで、やく700mの距離きょりがあり、総督そうとく散歩道さんぽみちへとつながっている。セントローレンスがわ周辺しゅうへんや、シャトー・フロンテナックをながめるのにうってつけの場所ばしょである。なつには大道芸だいどうげいじんげい披露ひろうされる。

ローワー・タウン (Basse-ville)

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プチ・シャンプラン地区ちく(Petit Champlain)
再興さいこうされた地区ちくで、石畳いしだたみみちつづいている。ブティック工芸こうげいひんみせレストランなどがならび、活気かっきのある地区ちくである。テラス・デュフランへのケーブルカーている。
ロワイヤル広場ひろば(Place Royale)
ルイ14せい胸像きょうぞうちいさな広場ひろば。かつてアビタシオンがてられ、ケベック入植にゅうしょくいしずえきずいたである。交易こうえきしょから、のち商業しょうぎょう中心ちゅうしんとなった。勝利しょうりのノートルダム教会きょうかい(Notre-Dame-des-Victoires)がつ。
文明ぶんめい博物館はくぶつかん(Musée de la civilisation)
1988ねん開館かいかん文化ぶんか人類じんるいがく博物館はくぶつかん

アッパー・タウン(Haute-ville)

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ケベックしゅう議事堂ぎじどう(L'Assemblée nationale du Québec, 直訳ちょくやく:ケベック国会こっかい
1886ねん建築けんちくネオ・フレンチ・ルネッサンス様式ようしきで、尖塔せんとうたかさは50mである。カナダかたじょう不可欠ふかけつ存在そんざいである。
戦場せんじょう公園こうえん(Parc des Champs-de-Bataille)
アブラハム平原へいげんたたかられるアブラハムの平原へいげん(Plaines d'Abraham)がある場所ばしょである。いま国立こくりつ公園こうえんとなっていて、学問がくもんからレジャーまで様々さまざま用途ようと使用しようされている。マーテローとうジャンヌ・ダルク庭園ていえんなどもある。
ケベック国立こくりつ美術館びじゅつかん(Musée national des beaux-arts du Québec)
戦場せんじょう公園こうえんいちかくにある美術館びじゅつかん

郊外こうがいにはオルレアンとうモンモランシーたきサンタンヌ・ド・ボープレ聖堂せいどうがある。

ウィンター・カーニバル (Carnaval de Québec)

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1894ねんよりつづカーニバル1955ねん現在げんざいのようなかたちになった。毎年まいとし2がつに17日間にちかん日程にっていおこなわれ、まちちゅう様々さまざまなイベントにわく。オープニングをかざゆき彫刻ちょうこくは、世界中せかいじゅうから50ちかいチームが参加さんかして、「自由じゆう」をテーマに作品さくひん発表はっぴょうする。なか結氷けっぴょうしたセントローレンスがわおこなわれるカヌーレースやいぬぞりレースイグルーばれるイヌイットこおりいえこおりしろゆう園地えんちもある。また、ゆき女王じょおうえらばれパレードおこなわれる。世界せかい最大さいだいふゆまつりともわれる[28][29][30][6]

 
キャピタルズの試合しあい

交通こうつう

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ケベックのおも道路どうろ
 
ケベックきょう入口いりくち
 
VIA鉄道てつどうパレえき
 
フェリーとセントローレンスがわ

道路どうろはし

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ケベック・シティーをはしおも道路どうろとしては、オンタリオしゅうからモントリオールを経由けいゆしてつながる40号線ごうせんみなみびる20号線ごうせんぎゃくみなみからびる73号線ごうせんに、ひがしほうからびる138号線ごうせんがある。この道路どうろはケベック東方とうほうシャルルボワから440号線ごうせんとなり、ケベック・シティーの中心ちゅうしんがいつらぬいている。 また、市内しないおもはしには、ケベックきょう(Pont de Québec)、ピエール・ラポルトきょう(Pont Pierre-Laporte)そしてオルレアンとうきょう(Pont de l'Île-Orléans)がある[35][36]

空港くうこう

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中心ちゅうしんから西にし13キロの地点ちてんケベック・ジャン・ルサージ国際こくさい空港くうこうIATA:YQB)があり、トロントから直行ちょっこうで1あいだはん経由けいゆ便びん利用りようすると2あいだ10ぶんのフライトである。オタワからは1あいだ45ふんモントリオールからは45ふんである。日本にっぽんからはエア・カナダJALANAやアメリカの航空こうくう会社かいしゃ便びんがあるが、直行ちょっこう便びんはない[37]

鉄道てつどう

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VIA鉄道てつどう利用りようすると、モントリオールから3あいだ、オタワから7あいだ、トロントから9あいだ[6]。ケベック・シティーの中央ちゅうおうえきパレえき(la Gare du Palais)である[37]

長距離ちょうきょりバス

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モントリオールから長距離ちょうきょりバス利用りようすると、やく3あいだ到着とうちゃくする。オルレアンエクスプレス、インターカーがある[37]

公共こうきょう交通こうつう機関きかん

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  • バス

市内しないバスはRTCによって運行うんこうされている。レヴィをはじめ、市内しない各所かくしょからセントローレンスがわ対岸たいがんかうフェリーている[37][38]。また、ベロバスとばれる、自転車じてんしゃ機能きのうつバスもある[39]

  • トラム/LRT

1865ねんから1948ねんまでは路面ろめん電車でんしゃはしっていたが廃止はいしされた。地下鉄ちかてつ区間くかんふくLRTとなるケベック・トラムフランス語ふらんすごばん整備せいびすすんでおり、2024ねん建設けんせつ開始かいし2029ねん開通かいつう予定よていとなっている。

  • クルーズ

モントリオールからケベック・シティーへの、朝食ちょうしょく昼食ちゅうしょくきのクルーズもある。あさにモントリオールをて、夕刻ゆうこく到着とうちゃくする[40]

姉妹しまい都市とし

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出典しゅってん

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  1. ^ Census Profile, 2016 Census Québec, Ville [Census subdivision, Quebec and Québec, Territoire équivalent [Census division], Quebec]”. 2019ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  2. ^ Estimations de la population des municipalités de 25 000 habitants et plus, Québec, 1ᵉʳ juillet 2001 à 2023” (フランス語ふらんすご). 2024ねん9がつ9にち閲覧えつらん
  3. ^ "Historic District of Old Québec". World Heritage; UNESCO. Retrieved January 12, 2009.
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  16. ^ Morrin Centre. "Anglos in Québec". Literary and Historical Society of Quebec. http://www.morrin.org/pages/anglos.php. Retrieved March 15, 2007.
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  26. ^ 開拓かいたく時代じだいあじわう〜ケベックの伝統でんとう料理りょうりレストラン〜 |centre des media |La Commission cannadienne du tourisme
  27. ^ ケベックしゅう発祥はっしょうのカナダの特有とくゆうものは・・・?? 「名物めいぶつ料理りょうりプーティーン!!」
  28. ^ JITA tourisim assistance
  29. ^ 世界せかいのカーニバル
  30. ^ Quebec Winter Carnival | CBC Archives
  31. ^ カナダ留学りゅうがく留学生りゅうがくせい人気にんきまち情報じょうほう 〜 Apprez(アプレ)アメリカ留学りゅうがく、イギリス留学りゅうがく、オーストラリア留学りゅうがく、カナダ留学りゅうがく、ニュージーランド留学りゅうがく、アイルランド留学りゅうがく
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  39. ^ RTC-VéloBus
  40. ^ Croisières AML offers a cruise from Montreal to quebec City aboard the Cavalier Maxim

外部がいぶリンク

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公式こうしき

観光かんこう

その