元軍医総監の松本順が「海水浴場開設論」を打ち出し、1887年(明治20年)に大磯駅が開業すると、駅前の高台[10]に要人の避暑・避寒地として邸宅や別荘が多く建てられた。特に伊藤博文、吉田茂のそれは特に有名である。この他に山縣有朋や西園寺公望、大隈重信、陸奥宗光、岩崎弥之助、安田善次郎といった政財界要人の別荘が立ち並んだ。1907年(明治40年)頃の大磯には150戸以上の別荘があったと言われ、「政界の(あるいは湘南の)奥座敷」と称された[11]。
現在は、企業の保養所や研修所として利用されている所が多く、一般公開されているのはごく一部である。歴史的価値のある別荘の多くはマンション建設や宅地分譲などで姿を消しつつある。旧伊藤博文邸(滄浪閣)は西武から新たな企業に売却された。
現存する建物の多くは関東大震災(1923年)後の再建である。日本政府は2017年11月、大隈、伊藤、陸奥、西園寺邸などを「明治記念大磯庭園」として整備することを閣議決定した。明治改元150年記念ツアーでも人気が高かったが、老朽化した建物群をどう調査・保存するかが課題となっている[12]。
吉田茂の場合は首相退陣後、大磯にて隠棲生活を送った。晩年も政界への影響力を保持していた為、「大磯」は吉田茂を示す別称(政界用語)でもあり、国内外の要人来訪も相次いだ。吉田没後も1979年の日米首脳会談の会場となった。2009年に火災により全焼したが、寄付金により再建され、2017年4月1日に大磯町郷土資料館別館として公開された[13]。同年10月23日には、河野太郎外相と訪日したミクロネシア連邦大統領との懇談・夕食会場として使われた[14]。
人口は総数31,461。
男性:15,342
女性:16,119
世帯数は12,794(令和4年2月1日現在)
代 |
氏名 |
就任日 |
退任日
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初代 |
曽根田恭男 |
1954年(昭和29年)12月15日 |
1962年(昭和37年)12月14日
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2代 |
中島玄良 |
1962年(昭和37年)12月15日 |
1970年(昭和45年)12月14日
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3代 |
豊田由登 |
1970年(昭和45年)12月15日 |
1982年(昭和57年)12月14日
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4代 |
高島健二 |
1982年(昭和57年)12月15日 |
1990年(平成2年)12月14日
|
5代 |
石井宣和 |
1990年(平成2年)12月15日 |
1998年(平成10年)12月14日
|
6代 |
片野一雄 |
1998年(平成10年)12月15日 |
2002年(平成14年)12月14日
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7代 |
三澤龍夫 |
2002年(平成14年)12月15日 |
2006年(平成18年)12月14日
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8代 |
三好正則 |
2006年(平成18年)12月15日 |
2010年(平成22年)12月14日
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9代 |
中﨑久雄 |
2010年(平成22年)12月15日 |
2022年(令和4年)12月14日
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10代 |
池田東一郎 |
2022年(令和4年)12月15日 |
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- 1889年4月1日 市町村制施行により、神奈川県淘綾郡大磯町(大磯宿+西小磯村+高麗村+東小磯村)、国府村(生沢村+寺坂村+黒岩村+国府本郷村+虫窪村+国府新宿村+西窪村)が成立
- 1896年3月26日 淘綾郡が大住郡と合併、中郡に
- 1952年4月1日 国府村に町制施行、国府町に
- 1954年12月1日 大磯町と国府町が合併、新たに大磯町が発足
- 大磯(おおいそ) - 旧大磯町
- 高麗(こま) - 旧高麗村
- 東町(ひがしちょう)
- 大磯(おおいそ) - 旧大磯宿
- 東小磯(ひがし-こいそ) - 旧東小磯村
- 西小磯(にし-こいそ) - 旧西小磯村
- 山王町(さんのうちょう)
- 長者(ちょうじゃ)
- 国府(こくふ) - 旧国府町 (国府村)
- 寺坂(てらさか) - 旧寺坂村
- 生沢(いくさわ)- 旧生沢村
- 黒岩(くろいわ) - 旧黒岩村
- 西窪(にしくぼ) - 旧西窪村
- 虫窪(むしくぼ) - 旧虫窪村
- 国府本郷(こくふ-ほんごう) - 旧国府本郷村
- 国府新宿(こくふ-しんしゅく) - 旧国府新宿村
- 2023年神奈川県議会議員選挙
- 選挙区:大磯町・二宮町選挙区
- 定数:1人
- 執行日:2023年4月9日
- 当日有権者数:51,349人
- 投票率:40.78%
候補者名 |
当落 |
年齢 |
党派名 |
新旧別 |
得票数
|
吉川諭 |
当 |
40 |
無所属 |
新 |
10,481票
|
盛宏明 |
落 |
38 |
自由民主党 |
新 |
9,941票
|
- 2019年神奈川県議会議員選挙
- 選挙区:大磯町・二宮町選挙区
- 定数:1人
- 執行日:2019年4月7日
候補者名 |
当落 |
年齢 |
所属党派 |
新旧別 |
得票数 |
備考
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池田東一郎 |
当 |
57 |
無所属 |
現 |
無投票 |
2022年11月18日に辞職
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- 小諸市(長野県)
- 中津川市(岐阜県)
- 旧山口村は中山道の馬籠宿のあった村であり、馬籠出身の作家島崎藤村が大磯で没した。また小諸も藤村が27歳から33歳まで居住し、藤村文学の基礎を築いた地であることから、藤村の生誕100年となった1973年に一市一町一村で文学姉妹都市の盟約が結ばれた。なお旧山口村が2005年に中津川市に編入された際に改めて盟約が交わされている[15][16]。
- 幼稚園
- 大磯町立大磯幼稚園
- 私立こいそ幼稚園[注釈 1]
- 大磯町立たかとり幼稚園
- 幼保連携型認定こども園
- 小学校
- 中学校
- 高等学校
- 大学
- ホール・集会場
- 大磯町立生涯学習館
- 図書館
- 博物館
- 体育施設
- 保育園
- サンキッズ大磯
- 大磯町立国府保育園
- 小規模保育施設
- 児童養護施設
- 児童自立支援施設
- 神奈川県立おおいそ学園(町立国府小学校・国府中学校生沢分校を園内に設置)
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集
相模トラフ沿いで発生すると考えられている相模トラフ巨大地震を想定した対策が検討されている。2015年3月、津波浸水想定検討部会による将来的な津波浸水予測が発表され、大磯町で17mの津波が襲う可能性を指摘され、ハザードマップの早急な見直しが図られている現状にある[22]。
- 郵便番号は以下の通りとなっている。2006年10月2日に変更。
- ラッカセイは渡辺慶次郎が1871年横浜で落花生の種を譲り受け、大磯の畑で栽培されたのが日本で最初と言われている。花は咲いたが何も実を結ばないので、こんなものと足蹴りしたら地中から出てきて地下結実性であることが判明した。経済栽培に向けて、販売先の確保のため、地元旅館に試食を依頼したが「客は喜んだが、座敷が汚されて困る」と断られた逸話が残っている。その後、明治10年に0.4リットル袋入りにて横浜の駄菓子屋に売り込んだところ、盛況となり、経済栽培への見通しがたち、全国へ普及していった。
- 「大磯砂」とは、貝殻や珊瑚のかけら等で構成される小粒の海産砂利の総称であり、以前は大磯海岸で採取されたものが水槽用に流通していたため、その名残でそう呼ばれている。現在は、採取が禁止されており、神奈川の大磯海岸で採れた砂利ではなく輸入物がほとんどである。
- ^ 2012年4月に旧小磯幼稚園を町から学校法人小磯学園に移管。