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山岳戦 - Wikipedia

山岳さんがくせん(さんがくせん)は、山岳さんがく地域ちいきにおいておこなわれる作戦さくせん戦闘せんとうである。

だいいち世界せかい大戦たいせんなかイタリア陸軍りくぐん山岳さんがくへい1915ねん
イタリアの兵士へいしやまうえ火砲かほうげたときの様子ようす(1915ねん

概要がいよう

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山岳さんがくせんとは、山岳さんがく地帯ちたい高地こうちにおける野戦やせんである。山岳さんがくせん主役しゅやくは、山岳さんがくへいのようなけい歩兵ほへいである。

山岳さんがくせんでは車両しゃりょうるい使用しようおおきな制限せいげんけ、遮蔽しゃへいぶつ視界しかいしゃかい確保かくほ、さらに緊急きんきゅう白兵戦はくへいせんなどで優位ゆういになりやすい高台たかだい位置いちする緊要きんよう地形ちけい掩体陣地じんち拠点きょてんめぐたたかいがおおくなる。起伏きふくはげしく濃霧のうむ発生はっせいしやすい地形ちけいであるため、隊形たいけい視界しかいなどが混乱こんらんする場合ばあいがあり、さらにおも軍用ぐんよう装備そうびかついで高地こうち縦走じゅうそうするのは体力たいりょく消耗しょうもうはげしい。また、とく海抜かいばつすうせんmにのぼる地帯ちたいでは大気たいきちゅう酸素さんそ希薄きはくになるため呼吸こきゅう困難こんなんになりやすく高山病こうざんびょう危険きけんせいたかくなるため、任務にんむによっては特殊とくしゅ訓練くんれんほどこされた将兵しょうへい投入とうにゅうする必要ひつようがある。

また、高地こうちにおいては天候てんこう変化へんかはげしく、あめおお地域ちいきでは落雷らくらい土砂崩どしゃくずれ、寒冷かんれいではクレバス雪崩なだれなどにも注意ちゅういようする。

山岳さんがく地帯ちたいにおいては車両しゃりょう機動きどうりょくいちじるしく減衰げんすいする。狭隘きょうあい地形ちけいでは大型おおがた機材きざい運用うんようしにくいほか、アップダウンのおお地形ちけい整地せいちでは車体しゃたい乗員じょういんへの負荷ふかおおきく、きゅう加減かげんそく多用たようせざるをないため燃料ねんりょう消費しょうひおおくなる。一方いっぽうヘリコプター機動きどうりょく発揮はっきできるものの、天候てんこう悪化あっかよわいほか降着こうちゃく地点ちてん制限せいげんされる欠点けってんがある。また、固定こていつばさ比較ひかくした場合ばあい速力そくりょく搭載とうさいりょう燃費ねんぴ効率こうりつ航続こうぞく距離きょりおとり、とくに低空ていくう飛行ひこう場合ばあい対空たいくうミサイルまとになりやすい。

戦略せんりゃく

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高所こうしょるメリットとして、てきをいちはや発見はっけんでき、遠距離えんきょり兵器へいき有効ゆうこう射程しゃていばし、ぎゃくてき遠距離えんきょり兵器へいきとどかせるのに接近せっきん要求ようきゅうし、ものおとすことで接近せっきん妨害ぼうがいでき、おか稜線りょうせんなどにからだかくすことで被弾ひだん面積めんせきらすハルダウンおこなえ、てき必然ひつぜんてき弱点じゃくてんであるあたま車両しゃりょう上面うわつらさらすことになるなどがある。

また、ゴラン高原ごらんこうげんチベット高原こうげんなどは重要じゅうよう水源すいげんであり、これらの保全ほぜん国家こっか戦略せんりゃくとして重要じゅうようたかい。

紀元前きげんぜん500ねんごろにかれた兵法ひょうほうしょ孫子まごこ行軍こうぐんだいきゅうには、行軍こうぐんではたにとおり、敵陣てきじんより高所こうしょじんき、高所こうしょてきたたかわないようにといている[1]

山岳さんがくでのたたかいについて、中世ちゅうせいヨーロッパではスイスとのたたかいを想定そうていしたとき定義ていぎかたまった。これらの場所ばしょでは、当時とうじ主力しゅりょくであった騎兵きへいでは侵攻しんこうできず苦戦くせんいられることがえていた。1809ねんのチロル蜂起ほうきでは、山岳さんがくせんおおきな役割やくわりたした[2]

1700ねん - 1721ねん、スウェーデンでおこなわれただい北方ほっぽう戦争せんそうにはスキー導入どうにゅうされ、徐々じょじょ山岳さんがく部隊ぶたい導入どうにゅうされた。日本にっぽんにおいては、1902ねん八甲田山はっこうださんゆきちゅう行軍こうぐん遭難そうなん事件じけんけて、神戸こうべ在住ざいじゅうのスウェーデン・ノルウェー総領事そうりょうじピーター・オッテセンからスキーと説明せつめいしょおくられ、日本にっぽん山岳さんがく部隊ぶたいれられる[3]

アルプス山脈あるぷすさんみゃく周辺しゅうへん国々くにぐには、だいいち世界せかい大戦たいせんだい世界せかい大戦たいせんなかロープウェー建設けんせつする資材しざいしし分割ぶんかつしてせられるようにしたもので短期間たんきかん建築けんちくして移動いどうするシステムを開発かいはつし、イタリアじんによるものだけで2,000ほんのロープウェイが施設しせつされ、兵士へいし物資ぶっし傷病しょうびょうへい移送いそう使用しようされた(だいいち世界せかい大戦たいせんちゅう軍用ぐんようロープウェー英語えいごばん)。

だいいち世界せかい大戦たいせんのイタリアでは、幾度いくど山岳さんがくせんおこなわれたが、そのなかでも戦中せんちゅう最高さいこう高度こうど山岳さんがくせんサン・マッテオのたたか英語えいごばん標高ひょうこう3,678m であった[4]

また、近代きんだい史上しじょうもっと高地こうちでの戦闘せんとうは、1999ねんカールギル紛争ふんそう英語えいごばんでの標高ひょうこう5,485mであった[5]

山岳さんがく部隊ぶたい

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登攀とうはん訓練くんれんちゅうドイツ連邦れんぽう陸軍りくぐん山岳さんがくへい

山岳さんがくせん展開てんかいするための部隊ぶたいである。高度こうど登山とざん技術ぎじゅつサバイバルじゅつそなえる。また、じゅう装備そうびおお携行けいこうできないため、山岳さんがくへい自身じしん戦闘せんとう能力のうりょくたよらざるをず、空挺くうてい部隊ぶたい海兵かいへいたいなら精鋭せいえい歩兵ほへいである。

大陸たいりく国家こっかは、山岳さんがく自然しぜん国境こっきょうになっている場合ばあいおおいため、だい規模きぼ山岳さんがく部隊ぶたいゆうしていることおおい。とりたてヨーロッパでは、伝統でんとうある山岳さんがく部隊ぶたいおお編成へんせいされている。

山岳さんがくせん展開てんかいされた戦争せんそう紛争ふんそう

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山岳さんがくせん得意とくいとする部隊ぶたい

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出典しゅってん

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  1. ^    (中国ちゅうごく) 孫子まごこ兵法ひょうほう, ウィキソースより閲覧えつらん 
  2. ^ PBS - Napoleon: Napoleon at War”. www.pbs.org. 2020ねん1がつ26にち閲覧えつらん
  3. ^ 中浦なかうらあきらいたり日本にっぽんスキーの発祥はっしょう前史ぜんしについての文献ぶんけんてき研究けんきゅう」『北海道大学ほっかいどうだいがく大学院だいがくいん教育きょういくがく研究けんきゅう紀要きようだい84かん北海道大学ほっかいどうだいがく大学院だいがくいん、2001ねん、85-106ぺーじdoi:10.14943/b.edu.84.85ISSN 13457543NAID 120000970808 
  4. ^ Udalrico Fantelli; Giuseppe Magrin (2008). Battaglie per il San Matteo. Le battaglie più alte della storia. Alpinia. ISBN 88-87584-34-6
  5. ^ War in Kargil – The CCC's summary on the war”. web.archive.org. 2023ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  6. ^ 沖縄おきなわ県警けんけい国境こっきょう離島りとう警備けいびたい新設しんせつ尖閣せんかく不法ふほう上陸じょうりく即応そくおう 自衛隊じえいたい連携れんけい不安ふあんも”. 産経新聞さんけいしんぶん. (2020ねん4がつ1にち). https://web.archive.org/web/20200402130121/https://special.sankei.com/a/society/article/20200401/0003.html 2020ねん11月12にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく

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