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政治史 - Wikipedia

政治せいじ(せいじし、英語えいご:political history)とは、歴史れきしがくまたは政治せいじがく一部いちぶもんで、古今ここん政治せいじ歴史れきしてきアプローチで研究けんきゅうする社会しゃかい科学かがくいち分野ぶんやである。国内こくない政治せいじ政治せいじてき事実じじつあつかい、理念りねんてきめんあつか政治せいじ思想しそう政治せいじがく学問がくもんとしての変遷へんせんかす政治せいじがく対外たいがい関係かんけいあつか国際こくさい関係かんけいおよ外交がいこう政治せいじとは一線いっせんかくしている。

概要がいよう

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政治せいじがく発達はったつ独立どくりつせいとぼしかった時代じだいには政治せいじがく歴史れきしがく密接みっせつでその区別くべつけられていなかった。政治せいじがくとはいわゆる政治せいじ歴史れきしから理論りろん見出みいだすものであり、歴史れきしがくえば国王こくおう貴族きぞく将軍しょうぐんらの動向どうこうしるした政治せいじ歴史れきしであった。イギリスの初期しょき政治せいじ史家しかであるジョン・シーリーの「歴史れきし過去かこ政治せいじであり、政治せいじ現代げんだい歴史れきしである」がそれをよくしめしている。

日本にっぽんでは一般いっぱんてきには政治せいじがく歴史れきしてき部門ぶもんとしてあつかわれ、政治せいじ学科がっか法学部ほうがくぶなどで研究けんきゅう教育きょういくおこなわれる。また、文学部ぶんがくぶ史学しがくにおいてもおおくの分野ぶんや実際じっさいには政治せいじしょうされる内容ないようであるが、その一方いっぽうにおいて近代きんだい政治せいじげられることはすくなかった。一方いっぽう、イギリスのオックスフォおっくすふぉド大学どだいがくケンブリッジ大学けんぶりっじだいがくなどでは政治せいじ歴史れきし学部がくぶぞくし、政治せいじ学部がくぶ範疇はんちゅうにはふくまれていない。これは日本にっぽん近代きんだい政治せいじ行政ぎょうせい制度せいどおおくが欧米おうべいからの移入いにゅうであり、その理論りろん説明せつめいには政治せいじてき背景はいけい必要ひつようがあったのにたいして、欧米おうべいにおいてはそうした背景はいけいかったこと、政治せいじ学科がっか自体じたい元来がんらい歴史れきし学科がっかぞくしていた政治せいじ研究けんきゅう分野ぶんやのうち、歴史れきしてき部分ぶぶん独立どくりつして成立せいりつしたことがげられる。また、近代きんだい以前いぜん歴史れきししょおおくが支配しはい階層かいそうぞくしていた人々ひとびとによってかれていたケースがおおく、結果けっかてき政治せいじてき記事きじおおくをめることとなっていた。

政治せいじ史学しがく発達はったつ

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政治せいじ成立せいりつは19世紀せいきのドイツにさかのぼるとわれている。当時とうじのドイツでは統一とういつ国家こっか樹立じゅりつうごきがさかんになり、国家こっかおよ権力けんりょく関係かんけい研究けんきゅうかんする研究けんきゅう積極せっきょくてきおこなわれた。そのなかでもレオポルト・フォン・ランケは、国家こっか個性こせいてき生命せいめい原理げんりつとともに個人こじん民族みんぞく緊密きんみつむすっているとかんがえ、厳密げんみつ史料しりょう検証けんしょううえ宗教しゅうきょう改革かいかく以後いご各国かっこく国家こっかおよ国民こくみん主眼しゅがんいた世界せかい著作ちょさくあらわした。後世こうせい政治せいじ史学しがくかれ研究けんきゅう手法しゅほう模範もはんとしたため、かれ近代きんだい歴史れきしがくであるとともに政治せいじ史学しがくかんがえられている。ランケのつぎヨハン・グスタフ・ドロイゼンハインリヒ・フォン・トライチュケハインリヒ・フォン・ジーベルあらわれてドイツ政治せいじ黄金おうごん時代じだいきずいた。トライチケは「国家こっかちからなり」とする国家こっかろん観念かんねんからオットー・フォン・ビスマルク統一とういつ政策せいさくやそのたいイギリス強硬きょうこう政策せいさく支持しじした。また、ランケの客観きゃっかん主義しゅぎ批判ひはんしたジーベルもしょうドイツ主義しゅぎ立場たちばから中央ちゅうおうとう批判ひはんとなえるなど、政治せいじ評論ひょうろんとしても影響えいきょうあたえた。そのけたハンス・デルブリュックフリードリヒ・マイネッケらによって史料しりょう批判ひはん厳密げんみつさが追究ついきゅうされて政治せいじ専門せんもん科学かがく貢献こうけんしたが、その一方いっぽう歴史れきしがく細分さいぶんまねき、斜陽しゃよう時代じだいむかえる。マイネッケは現実げんじつ可視かしてき事実じじつのみならず、背後はいごには理想りそう追求ついきゅうなどの精神せいしんてき要素ようそかせないとかんがえ、国家こっか生活せいかつにおける政治せいじ権力けんりょく研究けんきゅうふかめて政治せいじ研究けんきゅう再興さいこうつとめた。ナチス・ドイツによる圧迫あっぱくえたのち戦後せんごドイツ政治せいじがく基礎きそきずいた。マイネッケの没後ぼつご、ナチスの台頭たいとう近代きんだい後発こうはつこくであった「ドイツ特有とくゆうみち特殊とくしゅみち)」ととらえるかかをめぐって論争ろんそう発生はっせいした。

イギリスやアメリカでは、政治せいじ人間にんげん所為しょい還元かんげんさせてかんがえる立場たちばからはやくから政治せいじ伝記でんき編纂へんさんさかんであり、多角たかくてき政治せいじ研究けんきゅうおこなわれた。イギリスではイギリス帝国ていこく確立かくりつ歴史れきしろんじたジョン・シーリー、イギリスの帝国ていこく主義しゅぎたいする批判ひはんしゃとしての立場たちばから政治せいじ思想しそう外交がいこう視点してんから政治せいじろんじたジョージ・グーチなどがられ、アメリカではマルクス主義まるくすしゅぎしゃではないものの唯物ゆいぶつ主義しゅぎ研究けんきゅう手法しゅほうれてアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく憲法けんぽう制定せいてい過程かてい研究けんきゅうしたチャールズ・ビアードだい世界せかい大戦たいせん政治せいじ社会しゃかい科学かがくとの関係かんけい重視じゅうしする「ニュー・ポリティカル・ヒストリー」をとなえたサミュエル・ヘイズなどがいる。ただし、近年きんねんではアナール学派がくは影響えいきょうによって政治せいじをエリート・特権とっけん階級かいきゅう中心ちゅうしん主義しゅぎ批判ひはんする意見いけんされており、庶民しょみんなどの社会しゃかい末端まったん政治せいじがどうむすびついてきたかという観点かんてんからの研究けんきゅうすすめられている。

その一方いっぽうにおいて19世紀せいきからたかまってきたマルクス主義まるくすしゅぎ歴史れきしがくにおいて、政治せいじ否定ひていてきにとらえられてきた。なぜならマルクス主義まるくすしゅぎにおいては歴史れきしには法則ほうそくせいがあり、政治せいじ国家こっか経済けいざいという土台どだい上部じょうぶ構造こうぞうぎず社会しゃかい発展はってん生産せいさんりょく生産せいさん関係かんけい解明かいめいによってすべ説明せつめいできるため、経済けいざい社会しゃかい経済けいざいがあれば政治せいじ不要ふようであるというかんがかたである。ただし、上部じょうぶ構造こうぞうろん定義ていぎ解釈かいしゃくには様々さまざま見解けんかいがあり、上部じょうぶ構造こうぞう政治せいじ国家こっか)の個々ここ要素ようそ歴史れきし研究けんきゅう生産せいさんりょく生産せいさん関係かんけい解明かいめいにはかせないとする立場たちばから結果けっかてきマルクス主義まるくすしゅぎ歴史れきしがく立場たちばから政治せいじ史学しがくおこなわれることになった。さら社会しゃかい主義しゅぎ革命かくめい指導しどうしゃ関係かんけいなどの研究けんきゅうおこなわれている。日本にっぽんにおいても昭和しょうわにおいて後発こうはつ資本しほん主義しゅぎこくとしての日本にっぽん近代きんだい過程かていおくれとゆがみに帝国ていこく主義しゅぎ軍国ぐんこく主義しゅぎ原因げんいんもとめるうごきが活発かっぱつした。だが、高度こうど経済けいざい成長せいちょう以後いご階級かいきゅう闘争とうそう史観しかんに捉われた結果けっか人々ひとびと意識いしき変容へんよう対応たいおうできずベルリンのかべ崩壊ほうかいよってだい打撃だげきこうむることになる。

一方いっぽう日本にっぽんにおいては政治せいじがく自体じたい天皇てんのうせい絶対ぜったい主義しゅぎ擁護ようごするための公法こうほうがく国家こっかがくの婢女でしかなく、しかも近代きんだい国家こっか自体じたい外来がいらい概念がいねんであったことから、これを補完ほかんするために政治せいじ重視じゅうしされた。しかも、当時とうじ日本にっぽん歴史れきしがく実質じっしつ皇族こうぞく公家くげ武家ぶけ中心ちゅうしんとした政治せいじ史学しがくでありながら、その実証じっしょう主義しゅぎてき学術がくじゅつ態度たいど明治維新めいじいしんさかいとした国家こっか体制たいせい根本こんぽんてきちがいから、近代きんだい以後いご政治せいじあつかわれなかった(近代きんだい以後いご政治せいじ積極せっきょくてきげられるのはだい世界せかい大戦たいせん明治めいじ憲法けんぽう体制たいせい終焉しゅうえんである)。日本にっぽん政治せいじ基礎きそきずいた人々ひとびと――小野塚おのづか喜平きへい吉野よしの作造さくぞうおか義武よしたけはやししげる信夫しのぶ清三郎せいさぶろうなどが政治せいじがく系統けいとう人々ひとびとであったこともそれとふか関係かんけいしている。戦後せんごには遠山とおやま茂樹しげき井上いのうえきよし代表だいひょうされるマルクス主義まるくすしゅぎ歴史れきしがくけい学者がくしゃ活躍かつやくした時期じきもあったが、一方いっぽう政治せいじ過程かてい分析ぶんせきのための政治せいじ学理がくりろんかして時間じかんてき継起けいき実態じったいてき構造こうぞう一元化いちげんか目指めざす「歴史れきし政治せいじがく」を主張しゅちょうした篠原しのはらはじめ業績ぎょうせきたか評価ひょうかされている。

内容ないよう

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など。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 半田はんだ輝雄てるお政治せいじ」(『社会しゃかい科学かがくだい事典じてん 11』(鹿島かしま研究所けんきゅうじょ出版しゅっぱんかい、1974ねんISBN 978-4-306-09162-7
  • 広実ひろみいむ太郎たろう政治せいじ」(『世界せかい歴史れきしだい事典じてん 11』(教育きょういく出版しゅっぱんセンター、1991ねんISBN 978-4-7632-4010-1
  • 山口やまぐちじょう政治せいじ」(『歴史れきしがく事典じてん 6 歴史れきしがく方法ほうほう』(弘文こうぶんどう、1998ねんISBN 978-4-335-21036-5

関連かんれん項目こうもく

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