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新・古着屋総兵衛 - Wikipedia

しん古着ふるぎそう兵衛ひょうえ

しん古着ふるぎそう兵衛ひょうえ』(しん・ふるぎやそうべえ)は、佐伯さえきやすしえいによる日本にっぽん時代じだい小説しょうせつシリーズ。新潮しんちょう文庫ぶんこからろし刊行かんこうされている。徳間とくま文庫ぶんこから刊行かんこうされた『古着ふるぎそう兵衛ひょうえかげ始末しまつ』シリーズの続編ぞくへん前作ぜんさく古着ふるぎそう兵衛ひょうえかげ始末しまつ』シリーズが、2004ねん刊行かんこうされた11かん帰還きかん!」で「だい一部いちぶ りょう」となってから7ねんぶりのシリーズ再開さいかいである。前作ぜんさくは、最大さいだいてきである柳沢やなぎさわ吉保よしやす失脚しっきゃくし、海外かいがいとの交易こうえきによっておおきく雄飛ゆうひしていく主人公しゅじんこう・6代目だいめ大黒屋だいこくやそう兵衛ひょうえ勝頼かつせ姿すがたえがかれてわった。今回こんかいのシリーズは、それからやく100ねんときとおる和年かずとしあいだ舞台ぶたいとなる。登場とうじょう人物じんぶつ一新いっしんし、武家ぶけ社会しゃかい衰退すいたい矛盾むじゅんはじめた時代じだい活躍かつやくするかれらの姿すがたえがかれていくことになる。

ほんシリーズのだい1さくず」というサブタイトルは、佐伯さえき人間にんげんドックにはいっている最中さいちゅうおもいついたもので、このサブタイトルはシリーズをとおしてのメインテーマになると予感よかんしているという[1]。また、この『しん古着ふるぎそう兵衛ひょうえ』シリーズが、自身じしん最後さいごのシリーズぶつになるだろうともかたっている[2]

最終巻さいしゅうかん発売はつばいまえ佐伯さえきかたったことによると、幕府ばくふ権力けんりょくしゃ政治せいじでさえらない異国いこく情報じょうほうつ「商人しょうにん」のとんびさわ一族いちぞくこそが時代じだいうごかしていくということがメインテーマになっている。作品さくひん執筆しっぴつするにあたってつねに「現代げんだい」を意識いしきしており、またこの「しん」シリーズは意識いしきてきに「女性じょせい」の活躍かつやくひかりてたという[3]

時代じだいとおる2ねん1802ねん)、大黒屋だいこくや6代目だいめとんびさわそう兵衛ひょうえ勝頼かつせ活躍かつやくした元禄げんろく宝永ほうえい年間ねんかんから97ねん歳月さいげつぎていた。このとき、大黒屋だいこくや9代目だいめそう兵衛ひょうえ勝典かつのり労咳ろうがいわずらい、余命よめいいくばくもないとなっていた。嫡男ちゃくなん流行りゅうこうびょううしない、わかいころにみせ女中じょちゅうとのあいだにできた子供こどもとんびさわ一族いちぞくひきいるうつわでないことがあきらかとなり、一族いちぞく当主とうしゅ嫡流ちゃくりゅう途絶とだえるという、かつてない危機ききむかえようとしていた。後継こうけいしゃ問題もんだいあたまなやませる大黒屋だいこくや幹部かんぶたちに、やまいおかされた勝典かつのりは「ず」と一言いちげんげる。

この言葉ことば真意しんいたしかめることができずにいるうちに、勝典かつのりやまい進行しんこうし、ついにぼっすることとなる。一族いちぞくによる密葬みっそうのあと、みせ地下ちかにある大広間おおひろま後継こうけいしゃさだめるための会議かいぎつづける一番いちばん番頭ばんがしら信一郎しんいちろう長老ちょうろうたちのもとに、こんさか勝臣かつおみという若者わかものみせおとずれたことがつたえられる。それはかつてそう兵衛ひょうえ勝頼かつせが交趾をおとずれたさいに、現地げんちむすめとのあいだになした子孫しそんであった。それが真実しんじつであることをたしかめた信一郎しんいちろう長老ちょうろうたちは、そのうつわ見極みきわめたうえでとんびさわ一族いちぞくしん頭領とうりょうとしてむかれることをめる。故郷こきょうわれて日本にっぽん辿たどいた勝臣かつおみもまた、その提案ていあんれることを決意けついする。ここに大黒屋だいこくや10代目だいめとんびさわそう兵衛ひょうえ勝臣かつおみ誕生たんじょうし、今坂いまさか一族いちぞくくわえたあらたな大黒屋だいこくやまれることとなる。

登場とうじょう人物じんぶつ

編集へんしゅう

大黒屋だいこくや

編集へんしゅう

とんびさわ一族いちぞく

編集へんしゅう
大黒屋だいこくや そう兵衛ひょうえ 勝頼かつせ(だいこくや そうべえ かつより)
大黒屋だいこくや6代目だいめ当主とうしゅ前作ぜんさく古着ふるぎそう兵衛ひょうえかげ始末しまつ』シリーズ主人公しゅじんこう大黒屋だいこくや中興ちゅうこうとして一族いちぞくうやまわれている。とおる17ねん1732ねん)2がつ14にち死去しきょ
大黒屋だいこくや そう兵衛ひょうえ 勝典かつのり(だいこくや そうべえ かつのり)
大黒屋だいこくや9代目だいめ当主とうしゅ物語ものがたり開始かいし時点じてんで36さい労咳ろうがいにかかり、1かんず』にて病死びょうし
大黒屋だいこくや そう兵衛ひょうえ 勝雄かつお
大黒屋だいこくや8代目だいめ当主とうしゅ勝典かつのりちち物語ものがたり開始かいし時点じてん故人こじん
こう輔(こうのすけ)
勝典かつのり嫡男ちゃくなん流行りゅうこうびょうにより、11さい死亡しぼう
由紀乃ゆきの
勝典かつのり内儀ないぎこう輔の死後しご精神せいしんわずら実家じっかかえる。
光蔵みつぞう(みつぞう)
大黒屋だいこくやだい番頭ばんがしら物語ものがたり開始かいし当時とうじ60さい
大黒屋だいこくやだい番頭ばんがしらは、代々だいだいにわ一角いっかく薬草やくそうそだてるという伝統でんとうがあり、光蔵みつぞうもそれにならって薬草やくそうえんつく手入ていれをしている。
信一郎しんいちろう
大黒屋だいこくや一番いちばん番頭ばんがしら琉球りゅうきゅう出身しゅっしんで、前作ぜんさく古着ふるぎそう兵衛ひょうえかげ始末しまつ』シリーズの一番いちばん番頭ばんがしら信之のぶゆきすけまごえい吉利よしとしせい決闘けっとうよう拳銃けんじゅう2ちょう使つかいこなす。祖父そふからそう兵衛ひょうえ勝頼かつせ仕込しこみのわざ素手すでたたか琉球りゅうきゅう武術ぶじゅつ仕込しこまれる。琉球りゅうきゅう武術ぶじゅつ腕前うでまえ達人たつじんきゅうで、また6代目だいめそう兵衛ひょうえ想起そうきさせるでん夢想むそうりゅうわざまえから「ろく代目だいめ仕込しこみ」の異名いみょうつ。
まいり次郎じろう
大黒屋だいこくやばん番頭ばんがしら
雄三郎ゆうさぶろう(ゆうざぶろう)
大黒屋だいこくやさんばん番頭ばんがしら
重吉しげよし(じゅうきち)
大黒屋だいこくやよんばん番頭ばんがしら
あん左衛門さえもん(やすざえもん)
駿府すんぷとんび沢村さわむら分家ぶんけ長老ちょうろう一族いちぞくさい長老ちょうろうで、物語ものがたり開始かいし当時とうじ77さい
仲蔵なかぞう(なかぞう)
大黒屋だいこくや琉球りゅうきゅうくびさとてんそう支配人しはいにん一番いちばん番頭ばんがしら信一郎しんいちろう実父じっぷ物語ものがたり開始かいし当時とうじ55さい
田之助たのすけ
大黒屋だいこくや手代てだい手足てあしながく、江戸えど駿府すんぷとんび沢村さわむらあいだを4昼夜ちゅうや往来おうらいするため、「はしり」の異名いみょうつ。
はなよし(かきち)
大黒屋だいこくや手代てだいふくはり使つかで、たたみはり急所きゅうしょわざにもける。
きゅう輔(きゅうすけ)
大黒屋だいこくや手代てだい身軽みがるで「ねこきゅう輔」の異名いみょうち、なわあつかいもたくみ。とんび沢村さわむらから奉公ほうこうてきた当初とうしょ江戸えどらしにれず、よるにはいてごしていたところ、大黒屋だいこくやねこだった先代せんだいのひなになぐさめられた。それ以来いらいかれもひなになつき、ひなもかれのちをついてくることがおおかったため「ねこつきのきゅう輔」とばれ、それがやがて「ねこきゅう輔」となった。この異名いみょうとは裏腹うらはら本当ほんとういぬき。
おりん
大黒屋だいこくや女中じょちゅうおくきを仕切しきっており、やまいした勝典かつのり世話せわまかされていた。年齢ねんれいは25さい物語ものがたり開始かいし当初とうしょ)。あん左衛門さえもんめいで、とんびさわ一族いちぞくなかでも美貌びぼうかしこさでられる。大黒屋だいこくや奉公ほうこうたのは13さいときで、当初とうしょからうつくしさと才気さいき評判ひょうばんとなり、「富沢とみざわまち小町こまち」の異名いみょうばれている。
銀次ぎんじ
大黒屋だいこくや小僧こぞうかぎなわ使つかう。
松吉まつよし
大黒屋だいこくや小僧こぞう
てんまつ(てんまつ)
大黒屋だいこくや小僧こぞう。6かんころしゃ』で手代てだい見習みならいに昇格しょうかく背丈せたけが5しゃく8すんやく176センチ)あり、同輩どうはいから「ひょろりのてんまつ」「ひょろまつ」とばれている。かんするどく、やみまぎれて尾行びこうすることが得意とくいながさ2しゃく5すんやく7.6センチ)のたたみはりたものをゆびあいだかくし、危機ききおちいったさいけた真似まねをしながら相手あいて油断ゆだんさせ、すきうかがって片手かたていて相手あいてかおなどにばしたはりてるわざ得意とくいとする。江戸えどそだちで、富沢とみざわ町内ちょうない古着ふるぎあきないをするおにろくとおつまを父母ちちははつ。おにろくとおつまは、情報じょうほう収集しゅうしゅうのためかついで行商ぎょうしょう任務にんむうこともある。のちあやなわ使つかいこなし、「代目だいめあやなわ小僧こぞう」を名乗なのることを勝臣かつおみゆるされる。
しおきち
船頭せんどう
坊主ぼうずけんづくり(ぼうずのごんぞう)
大黒屋だいこくやはこあたま坊主ぼうずあたまで、怪力かいりき大男おおおとこ
ざおしの武男たけお
けんづくり配下はいか
常五郎つねごろう(つねごろう)
とんび沢村さわむら若者わかものあたま
美吉みよし(よしきち)
とんび沢村さわむらわかしゅ
いたる
とんび沢村さわむらわかしゅ
ゆう恒蔵つねぞう(うどのつねぞう)
とんび沢村さわむらじょ長老ちょうろう1人ひとりで、久能山くのうざん衛士えじたばねる組頭くみがしらむら道場どうじょう師範代しはんだい1人ひとりで、とんび沢村さわむら四天王してんのう1人ひとり
根古屋ねごや仁助にすけ(じんすけ)
とんび沢村さわむらのこ戦闘せんとういん中核ちゅうかく四天王してんのう1人ひとり普段ふだん野菜やさいつくって江尻えじり府中ふちゅう旅籠はたごおろ仕事しごとをしている。
五右衛門ごえもん(ごえもん)
あん左衛門さえもん実弟じっていとんび沢村さわむら道場どうじょう師範しはんまかされている。
鍛冶たんやいね三郎さぶろう漁師りょうしきち
とんび沢村さわむら四天王してんのう恒蔵つねぞう仁助にすけとともにむら道場どうじょう師範代しはんだいをしている。
おしげ
とんび沢村さわむらむすめはつ登場とうじょうは15さい鍛冶屋かじや弥五郎やごろうむすめで、勝臣かつおみ人別にんべつ戸籍こせきじょうではいもうと
いちぞう(いちぞう)
深浦ふかうらふねかくしのはまちょうもとだい黒丸くろまるふね手代てだいだったが、事故じこ左足ひだりあしうしなったのちみずかのぞんでふねくだり、深浦ふかうらふねかくしで一族いちぞく下働したばたらきとして奉公ほうこうするようになった。あし不自由ふじゆうだが、うごきは機敏きびん
市蔵いちぞう
大黒屋だいこくや見習みならい番頭ばんがしら
まん次郎じろう
大黒屋だいこくや手代てだい
広一郎ひろいちろう(こういちろう)
弥生やよいまち古着ふるぎかしわや」のあるじ。「かしわや」は大黒屋だいこくや出先でさき機関きかんであり、地下ちか通路つうろ大黒屋だいこくやつながっている。
ひゃくぞう(ひゃくぞう)
古着ふるぎかつあきない。
ひな
大黒屋だいこくやねこであるくろねこ。6代目だいめそう兵衛ひょうえ以来いらい大黒屋だいこくやねこくろねこで、「ひな」と名付なづけることになっている。
さくら、甲斐かい信玄しんげん
大黒屋だいこくやっている甲斐かいいぬ内藤ないとう新宿しんじゅく古着ふるぎからゆずけてきたいぬで、さくらがめすであとの2とうゆう
こう
おりんの母親ははおや。おりんのまえ富沢とみざわまちおくきを仕切しきっていた。おりんにおくきのことをまかせてとんび沢村さわむら隠棲いんせいしていたが、大黒屋だいこくや今坂いまさか一族いちぞく加入かにゅうするのにともない、かれらに日本語にほんご漢字かんじおしえる師匠ししょう役割やくわりになうためふたたされる。
おりんのちちは、あん左衛門さえもん末弟ばっていうみ次郎じろう(かいじろう)。2人ふたり所帯じょたいとうとおもっていたがあん左衛門さえもん反対はんたいされ、うみ次郎じろうむらたところで始末しまつされたことになっていた。実際じっさいには、ものんだということにされて、越前えちぜんこく曹洞宗そうとうしゅう永平寺えいへいじ修業しゅうぎょうつづけている。
たけ七郎しちろう(ぶしちろう)
波乗なみのりのたけ七郎しちろう」の異名いみょうをとる若者わかもの
はな
よんばん番頭ばんがしら重吉しげよしすえいもうととんび沢村さわむらから江戸えど大黒屋だいこくやて、おく奉公ほうこう見習みならいとなる。
うみせい(かいせい)
信一郎しんいちろうとおりんの

池城いけのじょう一族いちぞく

編集へんしゅう
池城いけのじょう だか(いけぐすく ともたか)
琉球りゅうきゅう池城いけのじょう一族いちぞくちょう
幸地こうち いたるだか(こうち たっこう)
だい黒丸くろまるふく船頭せんどうかじかたつとめる。のちにだい黒丸くろまる船長せんちょう就任しゅうにん
幸地こうち りゅうすけ(こうち りゅうすけ)
いたるだか末弟ばってい
金武かなたけ じんなな(きん じんしち)
だい黒丸くろまるしゅ船頭せんどう頭痛ずつうちで、天気てんきわりあたまいたむ。
金武かなたけ(きん)じん三郎さぶろう
だい黒丸くろまる水夫すいふあたまじんなな息子むすこ
みみからすけ
いけ城一じょういちぞく聴覚ちょうかくひとなんばいすぐれている。
阿呆あほうとりともおや(あほうどりのともちか)
いけ城一じょういちぞく。18さい。ヌンチャクの使つか

今坂いまさか一族いちぞく

編集へんしゅう
こんさか 勝臣かつおみ(かつおみ)
6代目だいめそう兵衛ひょうえ勝頼かつせ曾孫そうそん。交趾でのはグェン・ヴァン・キ。身長しんちょう6しゃく2すんやく188センチ)あまり。交趾をおとずれた勝頼かつよりと、当地とうちこん坂理さかりみぎ衛門えもん孫娘まごむすめソヒとのあいだまれたすべ(としふさ)のまごにあたる。今坂いまさか一族いちぞく嫡男ちゃくなん日本語にほんご習得しゅうとく義務付ぎむづけられていたため、日本語にほんご堪能たんのう
9代目だいめそう兵衛ひょうえ勝典かつのりから6にちかげななにち)に、そうとんびもんをつけたなつ羽織はおりけて大黒屋だいこくやあらわれる。やすみなみ政変せいへん父母ちちはは毒殺どくさつされ、イマサカごう一族いちぞくすべてを乗船じょうせんさせて日本にっぽんまで航海こうかいしてた。後継こうけいしゃ不在ふざいにより危機ききおちいったとんびさわ一族いちぞくしん当主とうしゅとしてむかれられ、当人とうにん熟慮じゅくりょすえそれをけ、大黒屋だいこくや10代目だいめとなる。
グェン・ヴァン・チ / 千恵ちえぞう
勝臣かつおみ従兄弟いとこ。イマサカごう航海こうかいかたふく船長せんちょう兼務けんむする。「千恵ちえくら」は和名わみょう
勝幸かつゆき(かつゆき)
勝臣かつおみおとうと
おふく
勝臣かつおみいもうと
ゆかり
勝臣かつおみ大叔母おおおば
こんさか 恭子きょうこ(いまさか きょうこ)
勝臣かつおみはは当初とうしょ勝臣かつおみちちちょうみぎ衛門えもん(ちょうえもん)とともに死亡しぼうしたとおもわれていたが、なんのがれ、えつみなみ一隅いちぐうひそんでいた。
うめ 香林こうばやし(ばい こうりん) / はやし 梅香ばいこう(はやし ばいこう)
今坂いまさか一族いちぞくとともに日本にっぽんわたってぼく。1しゃくやく30センチ)ほどのしろいあごひげをばした小柄こがら老人ろうじん柳沢やなぎさわ吉保よしやすとんびさわ一族いちぞくにかけたのろいにづく。はやし梅香ばいこうは、日本にっぽん定住ていじゅうする決意けついをしたさい改名かいめいしたもの。
グェン・ヴァン・フォン / えん ともすけ(ぐえん ばんのすけ)
イマサカごう船長せんちょう和名わみょう・「えん ともすけ」。
海風かいふうすけ(はんすけ)
イマサカごう水夫すいふあたま。「すけ」は和名わみょう
さかなきち(うおきち) / ウォッキ
ツロン河港かこうはたらいていた石工せっこう親方おやかた。ウォッキは交趾での名前なまえ
ふうきち(かぜきち)
今坂いまさか一族いちぞくもので、火薬かやくかたつとめる。異国いこく火薬かやくあつかいにけた人物じんぶつ

柘植つげしゅう

編集へんしゅう
柘植つげ はじめ(つげ そうぶ)
柘植つげしゅう頭領とうりょうとんびさわ一族いちぞく合流ごうりゅう信一郎しんいちろうとともにじゅん長老ちょうろうとしての身分みぶんあたえられる。
柘植つげ みつるそう(つげ みつむね)
むね嫡男ちゃくなん登場とうじょう、27さい
しん 次郎じろうしん 三郎さぶろう信楽しがらき 助太郎すけたろう
柘植つげしゅう若者わかものたち。それぞれ20さい、18さい、17さい
だいなごん / せいかい(しょうすけ)
柘植つげ一族いちぞくもとそだてられた孤児こじもと加太かだとうげ放置ほうちされていた赤子あかごで、くびにかけたおまもりのなかに「だいなごん」とかれたさつがあったことから、だいなごんのばれてきた。おまもぶくろなかには、もと幕府ばくふじゅつかた同心どうしん佐々木ささき五雄いつおいちせいかいかれた薄紙うすがみ火薬かやく作成さくせいほうしるしたかみとともにれられている。
柘植つげ一族いちぞく大黒屋だいこくや配下はいかにつくことになったのち大黒屋だいこくや一員いちいんとなるべく、本名ほんみょうせいかい名乗なの小僧こぞうとして修業しゅうぎょうはじめる。
佐々木ささき五雄いつお寛政かんせい改革かいかくおこなわれていた時分じぶんに、与力よりきよしばんへいみぎ衛門えもんつま小夜さよかれい、江戸えど出奔しゅっぽんしたが、その消息しょうそく不明ふめいとなっていた。

その大黒屋だいこくやむかれられた人物じんぶつ

編集へんしゅう
ちゅうきち / 忠吉ただよし
湯島天神ゆしまてんじんおこもをしている少年しょうねんてんまつ私淑ししゅくし、大黒屋だいこくや密偵みっていのような役割やくわりたす。だい5かん『○にじゅう』にて、とんびさわ一族いちぞくむかれられ、大黒屋だいこくや一員いちいんとなることがまる。
北郷きたごう かげきち(きたごう かげよし)
薩摩さつまはん目付めつけ配下はいか密偵みってい外城とじょう道之みちゆきとう奄美あまみ群島ぐんとう出身しゅっしんとんびさわ一族いちぞくらえられ、ころぶ(寝返ねがえる)。
りゅう吾郎ごろう(りゅうごろう)、らい一郎いちろう(きいちろう)
3代目だいめ大黒屋だいこくやのころから、大黒屋だいこくや代々だいだい出入でいりする大工だいくいえ棟梁とうりょうと、その息子むすこだい9かん『たそがれ歌麿うたまろ』にて、大黒屋だいこくや地下ちかにあるふねかくしの存在そんざい気付きづいたことがきっかけで、とんびさわ一族いちぞくむかれられる。
加納かのう 恭一郎きょういちろう(かのう きょういちろう)
外科げか専門せんもんとする蘭方らんぽうちちてん蘭方らんぽう加納かのうげんはく(かのう げんぱく)。
すけ(とびすけ)
美濃みの近江おうみ国境こっきょうにある伊吹山いぶきやま縄張なわばりにしてきた伊吹いぶきしゅう若者わかものくろ伊吹いぶきりゅう鎖鎌くさりがま使つか
本郷ほんごう丹後たんごもり康秀やすひで(ほんごう たんごのかみ やすひで)
7000せき直参じきさん旗本はたもと御側おそばしゅつとめ、当代とうだい将軍しょうぐん徳川とくがわ家斉いえなり寵愛ちょうあいけている。しろひょう中奥なかおく大奥おおおく勢力せいりょく実力じつりょくしゃとんびさわ一族いちぞく対立たいりつし、薩摩さつまはん結託けったくして暗躍あんやくするが、日光にっこう霊廟れいびょう勝臣かつおみたれる。
鶴間つるま もと兵衛ひょうえ(つるま もとべえ)
康秀やすひで用人ようにん
きゅう条文じょうぶんおんな(くじょう あやめ)
五摂家ごせっけの1つ・きゅうじょうむすめ本郷ほんごう康秀やすひで死後しごかげにんく。

幕府ばくふ関係かんけいしゃ

編集へんしゅう
まこと(ただこ)
11だい将軍しょうぐん徳川とくがわ家斉いえなり正室せいしつしげひめ薩摩さつまはん藩主はんしゅ島津しまつ重豪しげひでむすめ
牧野まきの 備前びぜんもり ちゅうせい(まきの びぜんのかみ ただきよ)
老中ろうじゅう1人ひとり越後えちご長岡ながおかはんの9代目だいめ藩主はんしゅで、さんめいくん1人ひとりとして名高なだかい。
本庄ほんじょう豊後ぶんご守義もりよしおや(ほんじょうぶんごのかみよしちか)
大目おおめづけ物語ものがたり開始かいし当初とうしょ35さい代々だいだい大目おおめづけしょくいてきた家柄いえがらで、当代とうだい義親よしちか道中どうちゅう奉行ぶぎょう兼帯けんたいする大目おおめづけ首席しゅせき地位ちいにある。6代目だいめそう兵衛ひょうえ勝頼かつせ以来いらい大黒屋だいこくやとは100年余ねんよにわたる親戚しんせきいをしてきた、大黒屋だいこくや強力きょうりょく味方みかたであり理解りかいしゃでもある。
石出いしで帯刀たいとう
牢屋ろうや奉行ぶぎょう
牧野まきのただしせい
江戸えど幕府ばくふ老中ろうじゅう越後えちご長岡ながおかはん藩主はんしゅ京都きょうと所司代しょしだいつとめていた当時とうじきゅう条文じょうぶんおんなふかなかになるが、牧野まきの出世しゅっせのぞ野心やしん幕府ばくふ朝廷ちょうていのためにならないとみなされ、えんられる。

町奉行まちぶぎょうしょ

編集へんしゅう
根岸ねぎし肥前ひぜんもり鎮衛(ねぎしひぜんのかみしずもり)
みなみ町奉行まちぶぎょう大黒屋だいこくやとの会談かいだんとおし、古着ふるぎ大市おおいち開催かいさい許可きょかする。
うち たいぞう(たいぞう)
みなみ町奉行まちぶぎょうしょうち与力よりき昼行灯ひるあんどん陰口かげぐちたたかれるが、根岸ねぎし鎮衛の懐刀ふところがたなつとめるもの
鈴木すずき 主税ちから(すずき ちから)
北町きたまち奉行ぶぎょうしょていまちまわ同心どうしん大黒屋だいこくや代々だいだい出入でい役人やくにん
小吉こよし
かやまち(よしちょう)の親分おやぶん」としたわれる、大黒屋だいこくや出入でいりの御用聞ごようきき。
沢村さわむら 伝兵衛でんべえ
みなみ町奉行まちぶぎょうしょ市中しちゅう取締とりしまり諸色しょしきかけ同心どうしんもと牢屋ろうや同心どうしんやく罪人ざいにん打擲ちょうちゃくするやく)で、一撃いちげきらくりゅう居合いあつか
土井どい けんすすむ(どい ごんのじょう)
みなみ町奉行まちぶぎょうしょ市中しちゅう取締とりしまり諸色しょしきかけ与力よりき薩摩さつまはん手先てさきとなり、大黒屋だいこくやあきないを妨害ぼうがいするが、とんびさわ一族いちぞくにより始末しまつされる。
池辺いけべ さんろう
みなみ町奉行まちぶぎょうしょ市中しちゅう取締とりしまり諸色しょしきかけ同心どうしん土井どい配下はいか
井上いのうえ 正美まさみ(まさみ)
みなみ町奉行まちぶぎょうしょていまちまわ同心どうしん沢村さわむら伝兵衛でんべえとは幼馴染おさななじみ親友しんゆう

薩摩さつまはん

編集へんしゅう
島津しまつ重豪しげひで(しまづ しげひで)
薩摩さつまはん8代目だいめ当主とうしゅ
秩父ちちぶ (ちちぶ ときやす)
薩摩さつまはん家老がろう
つよすねかんむりづくり(こわすねのかんぞう)
薩摩さつまはんいそ飛脚びきゃくはん京屋きょうやじき江戸えど藩邸はんていむすやく
おにこう兵衛ひょうえ(おにぐちのにへえ)
かんむりづくり弟分おとうとぶん外城とじょう(とじょう)しゅう1人ひとりで、開聞岳かいもんだけ西麓にしふもとはままれた。5しゃくたない小柄こがらからだをどのような場所ばしょにもまぎませ、薩摩さつま江戸えどあいだ20日はつかあまりはしはしちから持主もちぬし
ゆだいくりの虎次とらじ(ゆだいくりのとらじ)
かんむりづくり末弟ばっていぶん兵衛ひょうえ同様どうよう身分みぶんひく外城とじょうしゅもの。6しゃくえる長身ちょうしんで、半開はんびらきのくちはしからゆだい(よだれ)がいつもしだれている。その痩身そうしんからは予想よそうもつかない怪力かいりき持主もちぬしで、よだれらしたかお油断ゆだんした相手あいてりょううでけてほねまでくだく。
伊集院いじゅういん かんぶつ(いじゅういん けんもつ)
薩摩さつまはん京屋きょうやじきめの目付めつけ
嘉隆よしたか(ザーロン)
えつ南国なんごく阮王あさ初代しょだい皇帝こうてい本名ほんみょう、阮福うつ
川端かわばた 次郎じろう兵衛ひょうえ
えつみなみ在住ざいじゅう和人わじんそう兵衛ひょうえ勝臣かつおみとは旧知きゅうちなか
川端かわばた 太郎たろう / ノイ・ティエン・ニヤット
次郎じろう兵衛ひょうえ嫡子ちゃくし
桂川かつらがわはじめしゅうこくみず(かつらがわ ほしゅう くにあきら)
蘭医らんい徳川とくがわ将軍家しょうぐんけおく医師いしつとめる。そう兵衛ひょうえ勝典かつのり診察しんさつし、労咳ろうがい診断しんだんする。そのも、勝典かつのり間際まぎわまで治療ちりょうほどこす。
こう
もと大黒屋だいこくやおくきの女中じょちゅう勝典かつのりとのあいだ男子だんしをもうけるが、8代目だいめそう兵衛ひょうえ勘気かんきれ、解雇かいこされる。現在げんざいは、やくざ稼業かぎょう荷揚にあ人足ひとあしくちにゅう稼業かぎょうそくのわらじを安房あわせんぞう情婦じょうふとなり、深川ふかがわ櫓下やぐらしたにある女郎じょろう角一かくいちろう(かどいちろう)」のおんなぬしおさまっている。
かつゆたか(かつとよ)
勝典かつのりとおこうとのあいだまれた
三井みつい八郎はちろうみぎ衛門えもんこうきよし
呉服ごふくしょう三井みつい越後屋えちごや当代とうだい
万屋よろずやまつみぎ衛門えもん
江戸えど古着ふるぎしょう代表だいひょうである年寄としより1人ひとり
ぼうじょう 麻子あさこ(ぼうじょう あさこ)
南蛮なんばん骨董こっとうしょういとな女性じょせい中納言ちゅうなごんぼうじょう出身しゅっしんで、『古着ふるぎそう兵衛ひょうえ』シリーズに登場とうじょうしたぼうじょう崇子たかこ子孫しそん
ぼうじょう 桜子さくらこ(ぼうじょう さくらこ)
ぼうじょう麻子あさこむすめ物語ものがたり開始かいし時点じてんで18さい南蛮なんばん骨董こっとうしょう仕事しごとがせるため、京都きょうと修行しゅぎょうされていた。父親ちちおや松平まつだいら伊豆いずまもるじょうかん
ぼうじょう 公望きんもち(ぼうじょう きんもち)
ぼうじょう当主とうしゅくらい中納言ちゅうなごん今上きんじょう天皇てんのう近習きんじゅつとめる。
すなむら
14さい本郷ほんごう陪臣ばいしんむすめ
賀茂かも ねむ(かも かすい)
大黒屋だいこくやのろやみ祈祷きとうおこなっている陰陽いんよう柳沢やなぎさわ吉保よしやすいのちくだされた初代しょだい賀茂かもねむからかぞえて4代目だいめ
くろ(りこく)
大黒屋だいこくやのろやみ祈祷きとうおこなっている風水ふうすい
中村なかむら うた(なかむら うたじ) / さと(さとじ)
本郷ほんごう康秀やすひでのおりの陰間かげま本名ほんみょうさと本郷ほんごう康秀やすひで日光にっこう代参だいさん随行ずいこうさせられ、殺害さつがいされそうになるが勝臣かつおみすくわれる。その役者やくしゃになるため中村なかむら修行しゅぎょうむ。
御蔵おぐら冶右衛門えもん(みくらややえもん)
そう兵衛ひょうえ勝頼かつせだいから大黒屋だいこくや取引とりひきをしている加賀かが豪商ごうしょう当代とうだいの冶右衛門えもんは11代目だいめ
ぜに兵衛ひょうえ(ぜにやごへえ)
加賀かがはん御用ごよう商人しょうにん
川端かわばた次郎じろう兵衛ひょうえ
ホイアン日本人にっぽんじんまちらす和人わじん妖術ようじゅつ。グェン・ヴァン・キ(今坂いまさか勝臣かつおみ)の生存せいぞんった今坂いまさか一族いちぞく政敵せいてきによって、日本にっぽんおくまれた。
ダン・ゴック・タイン
グェン・ヴァン・キ(今坂いまさか勝臣かつおみ)の幼馴染おさななじみ。ツロンに在住ざいじゅうしていたイギリスじんで、グェンとは、ともにまな将来しょうらいゆめかたったなか。タイン没落ぼつらく、ツロンから退去たいきょしていたが、やすみなみ政変せいへんにツロンに帰国きこくレピアーけんつか
樫山かしやま まごろく(かしやま)
長岡ながおかはん藩士はんし中屋敷なかやしき寄合よりあいぐみ用人ようにんはんよご仕事しごとつとめる。
小此木おこのぎ 平四郎へいしろう(おこのぎ)
長岡ながおかはん藩士はんし真影しんえいりゅう免許皆伝めんきょかいでん腕前うでまえで、日置ひおきりゅうゆき弓術きゅうじゅつ達人たつじんでもある。ばんしゅつとめていたが、樫山かしやま抜擢ばってきされて、中屋敷なかやしきづけとなる。
筑後ちくご 平十郎へいじゅうろう(ちくご へいじゅうろう)
西国さいこく筑前ちくぜん秋月しゅうげつはんもと藩士はんしせきりゅう免許皆伝めんきょかいでん腕前うでまえ
とんびさわ一族いちぞく(とびさわいちぞく)
初代しょだい将軍しょうぐん徳川とくがわ家康いえやすより、徳川とくがわ幕府ばくふかげからまもかく旗本はたもととしてのにんあたえられた一族いちぞく江戸えど時代じだい初期しょき開発かいはつはじまったばかりで治安ちあんわる無法者むほうもの跋扈ばっこする江戸えどを、助命じょめいえにそこに巣食すく夜盗やとうたち一掃いっそうしたとんびさわしげるもと子孫しそん。その千代田ちよだじょう鬼門きもんにあたる古着ふるぎしょう権利けんりともかげ旗本はたもととしての任務にんむさづけられ、家康いえやす死後しごはその最初さいしょ埋葬まいそうである久能山くのうざんかくざとをつくり、徳川とくがわ幕府ばくふ聖地せいちまも任務にんむあたえられた。
ぜんシリーズの主人公しゅじんこう・6代目だいめそう兵衛ひょうえ勝頼かつせ中興ちゅうこうとし、かく旗本はたもととしてちからたくわえた。しかし、勝頼かつせ海外かいがい渡航とこう帰国きこくしたことで幕府ばくふをつけられ、以来いらい公儀こうぎによる監視かんしそそがれるようになった。そして勝頼かつせ死後しご大黒屋だいこくや度々どど幕府ばくふはいり、そのたび勢力せいりょくがれてきた。また、ながらく実戦じっせんからとおざかっていたため、せんらないものえた。
とんびさわ一族いちぞくは、直系ちょっけい男子だんしによって継承けいしょうされてきて、7代目だいめ勝成かつなり、8代目だいめ勝雄かつお、9代目だいめ勝典かつのりつづいたが、勝典かつのり跡継あとつぎをのこさないままんだため、嫡流ちゃくりゅう途絶とだえることとなった。
大黒屋だいこくや当主とうしゅのぞんだとき、はなれにある当主とうしゅ座敷ざしきから地下ちか大広間おおひろまうつされ、そこでむかえることとなっており、亡骸なきがら久能山くのうざんとんび沢村さわむらうつ江戸えど大黒屋だいこくやそう兵衛ひょうえれいまるかげななにち一族いちぞく後継こうけいしゃ臨終りんじゅうのこってれいをおまもりするならわしとなっている。
大黒屋だいこくや
江戸えど富沢とみざわまちみせかまえる古着ふるぎとんびさわ一族いちぞくひょうかおである古着ふるぎしょうとしての拠点きょてんで、琉球りゅうきゅうくびさとにも支店してんがある。にわなかはなれがあり、そこをおもそう兵衛ひょうえまいとしている。みせ地下ちかには大広間おおひろましつらえてあり、一族いちぞく集会しゅうかい武芸ぶげい鍛錬たんれんのために使用しようされている。この大広間おおひろまあるじはなれや内蔵ないぞうからつうずる秘密ひみつ階段かいだんかられるほかみせまえながれるにゅうほりかる栄橋さかえばし石垣いしがき一部いちぶからふねかくしにふねれることも出来できる。
かげ
かく旗本はたもとであるとんびさわ一族いちぞくに、かげ御用ごようめいずる存在そんざい連絡れんらくをつけるときには、初代しょだいかげ”である本多ほんだ正純まさずみ通称つうしょうである「弥八やはちろう」のからとった「やはち」のくず文字もじしるされたぶんとどけられる。6代目だいめそう兵衛ひょうえ勝頼かつせ海外かいがい渡航とこうよりかえってからは、“かげ”からの連絡れんらくながらく途絶とだえていた。
いけ城一じょういちぞく(いけぐすくいちぞく)
琉球りゅうきゅうまう一族いちぞく大黒屋だいこくや琉球りゅうきゅうくびさと支店してんかまえたことと6代目だいめそう兵衛ひょうえ琉球りゅうきゅう訪問ほうもんをきっかけにとんびさわ一族いちぞくとの親交しんこうはじまり、この時代じだいいたるまできずなによってかた結束けっそくしている。
今坂いまさか一族いちぞく
交趾(ベトナム)のツロンでやすみなみ政庁せいちょう重職じゅうしょく名家めいか先祖せんぞ日本にっぽん西国さいこく大名だいみょうつかえていたが、当地とうちながいてそこにってきてきた。政変せいへんによりくにわれ、のこった一族いちぞくすべてをイマサカごうせて日本にっぽんにまで渡航とこうしてきた。
一族いちぞくおとこたちすぐれた戦士せんしとしてきたえられており、いしゆみあつかいにもながじている。
柘植つげしゅう(つげしゅう)
本能寺ほんのうじへんのち徳川とくがわ家康いえやす伊賀越いがごえを援けた伊賀いがしゅう一族いちぞく家康いえやす東国とうごくりに随身ずいじんせず、伊賀いがさとのこったものたちの末裔まつえいで、山間さんかんひそみながらまずしいらしをつづけてきた。
五機内摂津高木助直
信一郎しんいちろう祖父そふ信之のぶゆきすけからゆずられたかたな刃渡はわたり2しゃく4すん3ふん
らい国長くにおさ(らいくになが)
そう兵衛ひょうえ勝頼かつせが、ソヒとのあいだまれたそうに、そうとんび紋付もんつきなつ羽織はおりともおくった脇差わきざし刃渡はわたり1しゃく6すん2ふんやく50センチメートル)。くきには、「らい国長くにおさ」のめいわきに「ほうり勝頼かつより誕辰たんしん」ときざまれている。
三池みいけのりふとし光世みつよ(みいけでんたみつよ)
とんびさわしげるもと徳川とくがわ家康いえやすから拝領はいりょうしたかたな大黒屋だいこくや10代目だいめ就任しゅうにんとも勝臣かつおみわたされる。
だいさんだい黒丸くろまる
大黒屋だいこくや琉球りゅうきゅうくびさとてん所蔵しょぞう檣帆せん異国いこくとの交易こうえきのために使用しようされる。6代目だいめそう兵衛ひょうえ勝頼かつせ時代じだい名残なごりのあるふねで、ぜんシリーズに登場とうじょうしただい黒丸くろまるからかぞえて3代目だいめたる。和船わせんの2700せきまれ、前後ぜんご帆柱ほばしらに2まいずつのれる。かじ固定こていがたこうから梶棒かじぼうにより操舵そうだする。舳先へさき補助ほじょ船尾せんびたてふくけい6まい帆柱ほばしらからよこけた縮小しゅくしょう固定こていされ、拡帆のさい水夫すいふ縄梯子なわばしごがってよこけたからなわいてひろげる。
海賊かいぞくなどに遭遇そうぐうしたさいそなえとして、うえ甲板かんぱん一層いっそうだけほう甲板かんぱんもうけ、18ポンド艦上かんじょうほうを4もんずつけい8もん装備そうびしている。
イマサカごう
今坂いまさか所有しょゆうのガレオンがたさん檣巨だい帆船はんせん。イギリスではバークかたばれる3ほん帆柱ほばしら帆船はんせんやすみなみ政変せいへんでツロンのわれた一族いちぞく150すうにんせて日本にっぽんにまで到達とうたつした。
舳先へさきにはとんびさわ一族いちぞく紋章もんしょうでもあるそうとんびぞうえてあり、舳先へさきから船尾せんびまで200しゃくやく60メートル)以上いじょう船幅せんぷくは60しゃく以上いじょう
自衛じえいのため、ほう甲板かんぱんが3そう設置せっちされ、うえほうれつ甲板かんぱんに12もんずつりょうふなばた主力しゅりょくほうである24ポンドほう装備そうびされている。ほかにもたん砲身ほうしん巨大きょだいカロネードほう2もん、12ポンドほうなどけい66もん装備そうびしている。砲弾ほうだんも、ぶどう砲弾ほうだん短銃たんじゅう銃弾じゅうだんめた散弾さんだん、2つにれた砲弾ほうだんくさりむすばれたまま敵艦てきかん破壊はかいするくさりだんなどが用意よういされている。
深浦ふかうらふねかく
だい黒丸くろまる停泊ていはくさせるため、深浦ふかうらわんつくられた大黒屋だいこくや拠点きょてん。6代目だいめそう兵衛ひょうえ勝頼かつせ交易こうえき資金しきんとうじ、その死後しごも7代目だいめ勝成かつなり、8代目だいめ勝雄かつお工事こうじいで完成かんせいさせた。
はま一帯いったい船着場ふなつきば造船ぞうせんじょう物産ぶっさんぞう7つをもうけ、その背後はいご一族いちぞく頭領とうりょう逗留とうりゅうするためのそう兵衛ひょうえかんしょうするしろかんつ。物産ぶっさんぞうには琉球りゅうきゅうくびさとてんあつめられた異国いこく品々しなじなはこみ、小分こわけにして富沢とみざわまち内蔵ないぞう移送いそうされる。そう兵衛ひょうえかんみなともん山門さんもんち、やく57000つぼ敷地しきち周囲しゅういほりいている。長屋ながや設置せっちされ、とんびさわ一族いちぞく池城いけのじょう一族いちぞくものがそこに常駐じょうちゅうしている。
宝永ほうえいよんねんだい難破なんぱ
そう兵衛ひょうえ勝頼かつせっただい黒丸くろまるが、南蛮なんばん帆船はんせんカディスごう交戦こうせんし、船体せんたいだい打撃だげきけてその行方ゆくえった事件じけんぜんシリーズ『難破なんぱ!』より)。宝永ほうえい4ねん1707ねん)の出来事できごとで、当主とうしゅ長期間ちょうきかん不在ふざいとなっただい事件じけんとして、とんびさわ一族いちぞくあいだかたがれている。
とんびさわ一族いちぞく戦記せんき
とんびさわ一族いちぞくたたかいの歴史れきし記録きろくしたしょ初代しょだいだい番頭ばんがしらとんびさわただしみぎ衛門えもん(しょうえもん)にはじまって、大黒屋だいこくやだい番頭ばんがしら代々だいだいつづけてきたもので、物語ものがたり開始かいし時点じてんで37かんたっしている。
決闘けっとうよう拳銃けんじゅう
そう兵衛ひょうえ勝臣かつおみ所持しょじする、象嵌ぞうがんほどこされた八角はっかくすべり銃身じゅうしん拳銃けんじゅう。イギリス商人しょうにんからおくられたもので、もと貴族きぞくもの
しん十文字じゅうもんじ船団せんだん
薩摩さつまはん交易こうえきせん警護けいごするための武装ぶそう船団せんだん。100ねんまえ大黒屋だいこくやとの海戦かいせん敗北はいぼくしたことをまえ、オランダの帆船はんせん長所ちょうしょ利点りてんれた和船わせん結成けっせいされている。和洋折衷わようせっちゅうだい帆船はんせん薩摩さつままる旗艦きかんとし、7せき構成こうせいされる。
薩摩さつままる
檣縦がた帆船はんせん。3000せきえる大船おおぶねで、24ポンドほう左右さゆうりょうふなばたに7もんずつ装備そうび

作品さくひんリスト

編集へんしゅう
  1. ず(2011ねん1がつ28にち発売はつばいISBN 978-4-10-138046-9
  2. ひゃくねんのろい(2011ねん9がつ28にち発売はつばいISBN 978-4-10-138047-6
  3. 日光にっこう代参だいさん2012ねん2がつ28にち発売はつばいISBN 978-4-10-138048-3
  4. みなみかじを(2012ねん7がつ28にち発売はつばいISBN 978-4-10-138049-0
  5. ○にじゅう(2012ねん11月28にち発売はつばいISBN 978-4-10-138050-6
  6. ころしゃ(2013ねん5がつ27にち発売はつばいISBN 978-4-10-138051-3
  7. 騒乱そうらん(2013ねん11月28にち発売はつばいISBN 978-4-10-138052-0
  8. やすみなみから刺客しかく(2014ねん5がつ28にち発売はつばいISBN 978-4-10-138053-7
  9. たそがれ歌麿うたまろ(2014ねん11月28にち発売はつばいISBN 978-4-10-138054-4
  10. 異国いこくかげ(2015ねん5がつ28にち発売はつばいISBN 978-4-10-138055-1
  11. はちしゅう探訪たんぼう(2015ねん11月28にち発売はつばいISBN 978-4-10-138056-8
  12. い(2016ねん5がつ28にち発売はつばいISBN 978-4-10-138057-5
  13. とらむ(2016ねん11月28にち発売はつばいISBN 978-4-10-138058-2
  14. にらみ(2017ねん5がつ27にち発売はつばいISBN 978-4-10-138059-9
  15. 故郷こきょうはなきや(2017ねん12月23にち発売はつばいISBN 978-4-10-138060-5
  16. 敦盛あつもりおくり(2018ねん5がつ27にち発売はつばいISBN 978-4-10-138061-2
  17. いざかえりなん(2018ねん11月28にち発売はつばいISBN 978-4-10-138062-9
  18. のぼくにへ(2019ねん5がつ29にち発売はつばいISBN 978-4-10-138063-6

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう
  • 児玉こだまきよし - とうシリーズのファンであり、新潮しんちょう文庫ぶんこ発行はっこうしょう冊子さっししん古着ふるぎそう兵衛ひょうえ」の無料むりょう配布はいふしょう冊子さっしそう兵衛ひょうえ見参けんざん!」において2010ねん11月に佐伯さえき対談たいだんしている。

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ 単行本たんこうぼん1かんのあとがきより。
  2. ^ 単行本たんこうぼん1かんおびより。
  3. ^ 単行本たんこうぼん18かん解説かいせつより。

外部がいぶリンク

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