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奄美群島 - Wikipedia

奄美あまみ群島ぐんとう

南西諸島なんせいしょとううち薩南諸島しょとう南部なんぶにある島嶼とうしょぐん

奄美あまみ群島ぐんとう(あまみぐんとう)は、南西諸島なんせいしょとううち薩南諸島しょとう南部なんぶにある島嶼とうしょぐんである。行政ぎょうせい区分くぶんとしては、鹿児島かごしまけん奄美あまみ大島おおしまぐんぞくする[4]ながやく200km、そう面積めんせきやく1250km2[5]全域ぜんいき亜熱帯あねったいせいみなみ日本にっぽん気候きこうぞくし、めずらしい固有こゆうしゅ多数たすう生息せいそくする。

奄美あまみ群島ぐんとう
奄美あまみ群島ぐんとう
地理ちり
場所ばしょ 太平洋たいへいよう
座標ざひょう 北緯ほくい2816ふん 東経とうけい12921ふん / 北緯ほくい28.267 東経とうけい129.350 / 28.267; 129.350 (奄美あまみ大島おおしま)座標ざひょう: 北緯ほくい2816ふん 東経とうけい12921ふん / 北緯ほくい28.267 東経とうけい129.350 / 28.267; 129.350 (奄美あまみ大島おおしま)
諸島しょとう 薩南諸島しょとう
しますう 56[1]
主要しゅようしま 奄美あまみ大島おおしま徳之島とくのしま沖永良部島おきのえらぶしま加計呂麻島かけろまとう喜界島きかいじま与論島よろんとう
面積めんせき 1,231.47 km2 (475.47 sq mi)
最高さいこう標高ひょうこう 694 m (2277 ft)[2]
最高峰さいこうほう 湯湾岳ゆわんだけ[2]
行政ぎょうせい
都道府県とどうふけん 鹿児島かごしまけん
市町村しちょうそん

奄美あまみ

大島おおしまぐん
大和やまとむら
宇検うけんむら
瀬戸内せとうちまち
龍郷たつごうまち
喜界きかいまち
徳之島とくのしままち
天城あまぎまち
伊仙いせんまち
和泊わどまりまち
知名ちなまち
与論よろんまち
最大さいだい都市とし 奄美あまみ人口じんこう42,235にん
人口じんこう統計とうけい
人口じんこう 104,346にん[3]
人口じんこう密度みつど 84.7 /km2 (219.4 /sq mi)
言語げんご 日本語にほんご琉球りゅうきゅう(奄美あまみ方言ほうげんなど)
追加ついか情報じょうほう
時間じかんたい
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奄美あまみ群島ぐんとう(薩南諸島しょとう南部なんぶ

有人ゆうじんとうには、奄美あまみ大島おおしま喜界島きかいじま加計呂麻島かけろまとう請島うけじま与路島よこじま徳之島とくのしま沖永良部島おきのえらぶしま与論島よろんとうの8つがあり、そう人口じんこうやく10まんにん中心ちゅうしん都市とし奄美あまみ大島おおしま奄美あまみ名瀬なぜ。かつては奄美諸島あまみしょとう(あまみしょとう)の呼称こしょうもちいられていた。

概要がいよう

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鹿児島かごしまから奄美あまみ大島おおしままではやく370km、北東ほくとうはし奄美あまみ大島おおしま)から南西なんせいはし与論島よろんとう)まではやく200km、与論島よろんとうから沖縄おきなわとう辺戸岬へどみさきまではやく25km(那覇なはまではやく120km)。

名称めいしょう

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はじめて文献ぶんけんじょうあらわれたのは『日本書紀にほんしょきひとし明天めいてんすめらぎ3ねん657ねんじょうの「うみしま」。682ねんには「おもね麻弥まやじん」、714ねんには『ぞく日本にっぽん』に「奄美あまみ」の表記ひょうきがある。

ながらく「奄美あまみ諸島しょとう」、「奄美あまみ群島ぐんとう」と2とおりの呼称こしょうがあり、国土こくど地理ちりいん前者ぜんしゃを、法令ほうれい海上保安庁かいじょうほあんちょう海洋かいよう情報じょうほう後者こうしゃもちいてきたが[6][ちゅう 1]2010ねん平成へいせい22ねん2がつ15にち国土こくど地理ちりいん海上保安庁かいじょうほあんちょう海洋かいよう情報じょうほうによって構成こうせいされる地名ちめいとう統一とういつかんする連絡れんらく協議きょうぎかいは「奄美あまみ群島ぐんとう」を決定けってい地名ちめい採用さいようした[7]

なお、類似るいじする区分くぶんとして奄美あまみ地方ちほう(あまみちほう)が存在そんざいするが、こちらは奄美あまみ群島ぐんとう区域くいきに吐噶喇列島れっとうくわえたもので、自治体じちたいとしては奄美あまみ群島ぐんとうの12市町村しちょうそん鹿児島かごしまぐん十島としまむら相当そうとうする[8]

島嶼とうしょ

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画像がぞう 名称めいしょう 面積めんせき
(km2)
人口じんこう
(ひと)
最高さいこう標高ひょうこう
(m)
最高峰さいこうほう 座標ざひょう
  奄美あまみ大島おおしま 712.35 73,000 694 湯湾岳ゆわんだけ 北緯ほくい2819ふん35びょう 東経とうけい12922ふん29びょう / 北緯ほくい28.32639 東経とうけい129.37472 / 28.32639; 129.37472 (奄美あまみ大島おおしま)
  喜界島きかいじま 56.93 6,628 214.0 北緯ほくい2919ふん01びょう 東経とうけい12956ふん22びょう / 北緯ほくい29.31694 東経とうけい129.93944 / 29.31694; 129.93944 (喜界島きかいじま)
  加計呂麻島かけろまとう 77.39 1600 314 北緯ほくい2807ふん29びょう 東経とうけい12914ふん41びょう / 北緯ほくい28.12472 東経とうけい129.24472 / 28.12472; 129.24472 (加計呂麻島かけろまとう)
  与路島よこじま 9.35 140 297 大勝山たいしょうさん 北緯ほくい2722ふん08びょう 東経とうけい12834ふん00びょう / 北緯ほくい27.36889 東経とうけい128.56667 / 27.36889; 128.56667 (与路島よこじま)
  請島うけじま 13.35 200 400 大山おおやま 北緯ほくい2801ふん38びょう 東経とうけい12914ふん22びょう / 北緯ほくい28.02722 東経とうけい129.23944 / 28.02722; 129.23944 (請島うけじま)
  徳之島とくのしま 247.77 21,824 645 井之川いのかわたけし 北緯ほくい2749ふん12びょう 東経とうけい12855ふん56びょう / 北緯ほくい27.82000 東経とうけい128.93222 / 27.82000; 128.93222 (徳之島とくのしま)
  沖永良部島おきのえらぶしま 93.63 11,994 246.0 大山おおやま 北緯ほくい2722ふん08びょう 東経とうけい12834ふん00びょう / 北緯ほくい27.36889 東経とうけい128.56667 / 27.36889; 128.56667 (沖永良部島おきのえらぶしま)
  与論島よろんとう 20.8 5,119 98 北緯ほくい2722ふん08びょう 東経とうけい12834ふん00びょう / 北緯ほくい27.36889 東経とうけい128.56667 / 27.36889; 128.56667 (与論島よろんとう)
  枝手久島えだてくじま
  須子茂離すこもばなれ
  江仁屋離島えにやばなれじま
  夕離ゆうばなれ
木山島きやまじま
ふしないぜん座標ざひょうしめした地図ちず - OSM
ふしないぜん座標ざひょう出力しゅつりょく - KML

なお、徳之島とくのしま西方せいほう65キロメートルに位置いちする硫黄鳥島いおうとりしま沖縄おきなわけん島尻しまじりぐん久米島くめじままち)は、国土こくど地理ちりいんでは奄美あまみ群島ぐんとうふくめないが、海上保安庁かいじょうほあんちょう作成さくせい水路すいろにおいては奄美あまみ群島ぐんとう分類ぶんるいされている[9]

社会しゃかい

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奄美あまみ群島ぐんとう文化ぶんか鹿児島かごしまけん大隅おおすみ諸島しょとう以北いほくくらべると、沖縄おきなわけんちかおな琉球りゅうきゅう文化ぶんかけんにもぞくしている。奄美あまみ大島おおしまから与論島よろんとうに、南下なんかするにしたがって琉球りゅうきゅう文化ぶんか色彩しきさいくなっていく。ただし、奄美あまみ群島ぐんとうつたわる風習ふうしゅうなかには、沖縄おきなわけんとも本土ほんどともことなる奄美あまみ独自どくじのものや沖縄おきなわけんより本土ほんどちかいものもすくなからずあり、方言ほうげんにもむかし大和言葉やまとことば発音はつおんなどがのこっている。

奄美あまみ群島ぐんとう伝統でんとうてきはなされてきた奄美あまみ(奄美あまみ方言ほうげん)は、言語げんご学的がくてきには琉球りゅうきゅう諸語しょごぞくする。しまごと、地域ちいきごとの方言ほうげんおおきく、喜界島きかいじま方言ほうげん奄美あまみ大島おおしま北部ほくぶ方言ほうげん奄美あまみ大島おおしま南部なんぶ方言ほうげん徳之島とくのしま方言ほうげん沖永良部島おきのえらぶしま方言ほうげん与論島よろんとう方言ほうげんとに分類ぶんるいされる。日本語にほんごしん方言ほうげんについては全体ぜんたいとして標準ひょうじゅんをベースにしつつ鹿児島かごしまけん所属しょぞくとしての薩隅方言ほうげん影響えいきょう、さらに関西かんさいべん影響えいきょうられ、沖縄おきなわけんしん方言ほうげんウチナーヤマトグチ)とはちがうものになっている。また奄美あまみ群島ぐんとう場合ばあい島嶼とうしょごとにしん方言ほうげん発達はったつする傾向けいこうにある(ただし相互そうご影響えいきょうはある)。

三味線しゃみせんチヂン使つかってうたわれるシマうたはちがつおどなどの伝統でんとう行事ぎょうじともなおどり、稲作いなさく中心ちゅうしんとした年間ねんかんサイクルでおこなわれる伝統でんとう行事ぎょうじなつ正月しょうがつのアラセツ、シバサシ、ドンガなど)は琉球りゅうきゅうとも薩摩さつまともことなる文化ぶんかである。

奄美あまみ群島ぐんとうしょく文化ぶんか奄美あまみ料理りょうりは、歴史れきしてき経緯けいいから沖縄おきなわ料理りょうり薩摩さつま料理りょうりとの共通きょうつうてんおおい。名物めいぶつ料理りょうりとしてはにわとりめしあぶらぞうめん蘇鉄そてつ味噌みそ使つかったまめ味噌みそなどがあり、奄美あまみ黒糖こくとう焼酎しょうちゅうみきがじゃまめなどが名産めいさんひんとしてられる。

奄美あまみ群島ぐんとうでは元々もともと最初さいしょからってわざけあう「相撲すもう」に分類ぶんるいされる「シマジマ(しま相撲すもう)」が相撲すもう主流しゅりゅうであったが、1800年代ねんだい前半ぜんはん対戦たいせん相手あいてはな立合たちあい、くみしゅきをしつつわざう「立合たちあ相撲すもう」に分類ぶんるいされる現在げんざい大和やまと相撲すもうおこなわれていたことが、薩摩さつま藩士はんし名越なごやたすくみなもとふとし(1818ねん-1881ねん)のあらわした『南島なんとう雑話ざつわ』に記録きろくされている[10]

教育きょういく

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大学だいがく短期大学たんきだいがくといった高等こうとう教育きょういく機関きかんは、存在そんざいしない。

奄美あまみ大島おおしまでは2004ねんより鹿児島大学かごしまだいがく法文学部ほうぶんがくぶ大学院だいがくいんがサテライト教室きょうしつを、奄美あまみ中央ちゅうおう公民館こうみんかん金久かねく地区ちく分館ぶんかん3かいにて開講かいこうしている[11]鹿児島大学かごしまだいがく大学院だいがくいんより教授きょうじゅ派遣はけんされ、集中しゅうちゅう講義こうぎ形式けいしき一部いちぶはインターネットによる中継ちゅうけい画像がぞう)で授業じゅぎょうおこなわれている。事務じむいんを1めい同館どうかん3かい事務じむしつ常駐じょうちゅうさせている。詳細しょうさいは、奄美あまみ市役所しやくしょける。大学だいがくそつであれば科目かもくとう履修りしゅうせいになることができ、鹿児島大学かごしまだいがく大学院だいがくいん単位たんい取得しゅとくできる。また徳之島とくのしまでも2007ねんから開講かいこうされ、徳之島とくのしままち亀津かめつ生涯しょうがい学習がくしゅうセンターにて授業じゅぎょうおこなわれている。こちらは初年度しょねんど奄美あまみ大島おおしまからのインターネットの中継ちゅうけい画像がぞうによる授業じゅぎょうおおかったが、2008年度ねんどからは徳之島とくのしま開講かいこうされる授業じゅぎょうえた(どちらのしま開講かいこうするかは科目かもくごとの受講じゅこうせい人数にんずうによる)。ただし2007年度ねんどまでは文部もんぶ科学かがくしょう助成じょせいがあったため受講じゅこう可能かのう科目かもくすうおおかったが、2008年度ねんどからはそれがくなったためにサテライト教室きょうしつ受講じゅこう可能かのう科目かもく大幅おおはばってしまった。科目かもくは「奄美あまみざした講座こうざ」が提示ていじされており、受講じゅこうせいはそれぞれのしま社会しゃかいじんであるため授業じゅぎょう風景ふうけい教授きょうじゅ一方いっぽうてき講義こうぎするよりも、教授きょうじゅ学生がくせいとの双方向そうほうこうのやりとりがさかんで和気藹々わきあいあいとしている。このサテライト教室きょうしつから鹿児島大学かごしまだいがく大学院だいがくいんすすんだ生徒せいとが3めいいる(2006年度ねんど現在げんざい)。

過去かこには1891ねんから1894ねんにかけて設置せっちされていた鹿児島かごしま師範しはん学校がっこう教員きょういん養成ようせい講習こうしゅう分教場ぶんきょうじょうや、べいぐん占領せんりょう統治とうちしたの1952ねんから1953ねんにかけて設置せっちされていた琉球大学りゅうきゅうだいがく大島おおしま分校ぶんこう存在そんざいした。

高校こうこう卒業そつぎょう専門せんもん学校がっこうとしては、奄美あまみ名瀬なぜ奄美あまみ看護かんご福祉ふくし専門せんもん学校がっこう奄美あまみ情報処理じょうほうしょり専門せんもん学校がっこうがある。

マスメディア

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放送ほうそう

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テレビ放送ほうそう、AM放送ほうそう中継ちゅうけいきょく設置せっちされている。FM放送ほうそうNHK中継ちゅうけいきょくコミュニティ放送ほうそうきょくあまみエフエム ディ!ウェイヴ奄美あまみ大和やまとむら放送ほうそうエリア)・せとうちラジオ放送ほうそう[ちゅう 2]瀬戸内せとうちまち)・エフエムたつごう龍郷たつごうまち)・エフエムうけん宇検うけんむら)で、鹿児島かごしまけん対象たいしょう地域ちいきとするエフエム鹿児島かごしま中継ちゅうけいきょく設置せっちしていない[ちゅう 3]

新聞しんぶん

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地域ちいき新聞しんぶんしゃとして南海なんかい日日ひにち新聞しんぶん奄美あまみ新聞しんぶんがある。

全国ぜんこく西日本にしにほん新聞しんぶんブロック)においても、新聞しんぶんしゃによるが、鹿児島かごしまけん宮崎みやざきけんさらには熊本くまもとけんなどのテレビめんせることがある。

なお全国ぜんこく県域けんいき地方紙ちほうし2については、現在げんざい本土ほんどみなみ日本にっぽんのみ鹿児島かごしま福岡ふくおか北九州きたきゅうしゅう)から空輸くうゆ船便せんびんでの輸送ゆそう必要ひつようである都合つごうで、朝刊ちょうかん配達はいたつはやいところでもひる前後ぜんこう、ところによっては夕方ゆうがた本土ほんど夕刊ゆうかん配達はいたつされる時間じかん)か翌朝よくあさになることもある。そのため、産経新聞さんけいしんぶん[ちゅう 4]のぞく、鹿児島かごしまけんけの新聞しんぶんには、発行はっこう当日とうじつ翌日よくじつ新聞しんぶん休刊きゅうかん翌々日よくよくじつも)の鹿児島かごしま県内けんないのテレビ番組ばんぐみひょう収録しゅうろくされている。また沖縄おきなわけんの3きょく視聴しちょうできる地域ちいきもあり、みなみ日本にっぽん新聞しんぶん朝刊ちょうかん奄美あまみ地域ちいきでは夕刊ゆうかん配達はいたつされていなかったが2009ねん2がつ夕刊ゆうかん廃刊はいかん)の「だい2テレビぺーじ」に、沖縄おきなわの3きょく翌日よくじつ新聞しんぶん休刊きゅうかん翌々日よくよくじつも)の番組ばんぐみひょうせている(奄美あまみのローカル新聞しんぶんにも掲載けいさい)。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ れいとしては、1954ねん制定せいていされた奄美あまみ群島ぐんとう復興ふっこう特別とくべつ措置そちほう
  2. ^ かつてはエフエムせとうち放送ほうそうおこなっていたが2021ねん2がつまつ放送ほうそう休止きゅうししそのままはいきょくとなり、2022ねんにせとうちラジオ放送ほうそう(せとラジ)があらたに免許めんきょけて開局かいきょくした。
  3. ^ 現時点げんじてんではradiko無料むりょうばん鹿児島かごしま県内けんないであれば無料むりょう聴取ちょうしゅ可能かのう>、および有料ゆうりょう会員かいいんせい「radikoプレミアム」)などを経由けいゆしての聴取ちょうしゅのみになっている。なおエフエムたつごう・エフエムうけんでは、一部いちぶ時間じかんたい限定げんていではあるが、FM鹿児島かごしまμみゅーFM)の番組ばんぐみ同時どうじ配信はいしんされている(エフエムたつごう、2014ねん6がつ15にちづけ番組ばんぐみひょう)。
  4. ^ 九州きゅうしゅう山口やまぐちばんはブロック統一とういつばんであるため、番組ばんぐみひょう内容ないよう対象たいしょうとなる8けんまったおなじものである。

出典しゅってん

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  1. ^ 奄美あまみ群島ぐんとう(あまみぐんとう)とは”. コトバンク. 2018ねん3がつ25にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g 平成へいせい26年度ねんど奄美あまみ群島ぐんとう概況がいきょう鹿児島かごしまけん、2015ねん8がつ24にち閲覧えつらん
  3. ^ 奄美あまみ群島ぐんとう現状げんじょう課題かだいおよび これまでの奄振事業じぎょう成果せいかについて”. 鹿児島かごしまけん. 2020ねん4がつ21にち閲覧えつらん
  4. ^ 奄美あまみ群島ぐんとう振興しんこう開発かいはつ特別とくべつ措置そちほう昭和しょうわじゅうきゅうねん法律ほうりつだいひゃくはちじゅうきゅうごう”. e-Gov (2019ねん3がつ30にち). 2019ねん12月25にち閲覧えつらん。 “2019ねん3がつ30にち施行しこうぶん だい1じょう
  5. ^ づかなかった魅力みりょく満載まんさい奄美あまみ群島ぐんとう時々ときどき新聞しんぶん発行はっこう”. 離島りとう経済けいざい新聞しんぶんしゃ. 2020ねん4がつ21にち閲覧えつらん
  6. ^ くに広域こういき地名ちめいおよびその範囲はんいについての調査ちょうさ研究けんきゅう (PDF)海洋かいよう情報じょうほうわざほう」Vol.27、海上保安庁かいじょうほあんちょう海洋かいよう情報じょうほう海洋かいよう研究けんきゅうしつ 安城あきたつひこ・どう航海こうかい情報じょうほう 割田わりでん育生いくせい
  7. ^ 奄美あまみ群島ぐんとう』を決定けってい地名ちめい採用さいよう”. 2012ねん7がつ31にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん5がつ19にち閲覧えつらん 国土こくど地理ちりいん、2010ねん2がつ19にち
  8. ^ 気象きしょう警報けいほう注意報ちゅういほう天気てんき予報よほう発表はっぴょう区域くいき” (PDF). 気象庁きしょうちょう. 2023ねん1がつ16にち閲覧えつらん
  9. ^ 水谷みずたに知生ともお南西諸島なんせいしょとう地域ちいき名称めいしょう歴史れきしてきおよび政治せいじてき背景はいけい」(PDF)『地理ちりがく評論ひょうろん Series A』だい82かんだい4ごう日本にっぽん地理ちり学会がっかい、2009ねん、300-322ぺーじdoi:10.4157/grj.82.300 
  10. ^ 大相撲おおずもうジャーナル』2019ねん3がつごう p.97.
  11. ^ 奄美あまみサテライト教室きょうしつ”. 鹿児島大学かごしまだいがく法文学部ほうぶんがくぶ. 2018ねん7がつ29にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 奄美あまみ-自然しぜん文化ぶんか社会しゃかい-』(きゅう学会がっかい連合れんごう奄美あまみ調査ちょうさ委員いいんかいちょ松本まつもとやすしたけ弘文こうぶんどう、1982ねん ISBN 4335050038
  • 奄美あまみ 復帰ふっき50ねん ヤマトとナハのはざまで』(松本まつもとやすしたけ田畑たばた千秋ちあき、『現代げんだいのエスプリ別冊べっさつ至文しぶんどう、2004ねん ISBN 4784360328

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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