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日光田母沢御用邸記念公園 - Wikipedia

日光にっこう田母沢たもざわ御用邸ごようてい記念きねん公園こうえん

栃木とちぎけん日光にっこうにある歴史れきし公園こうえん

日光にっこう田母沢たもざわ御用邸ごようてい記念きねん公園こうえん(にっこうたもざわごようていきねんこうえん)は、栃木とちぎけん日光にっこうにある栃木とちぎ県立けんりつ都市とし公園こうえん歴史れきし公園こうえん)である。もと皇太子こうたいし時代じだい大正天皇たいしょうてんのう静養せいようしょとして造営ぞうえいされたきゅう御用邸ごようてい建物たてもの庭園ていえん公園こうえんとして整備せいび一般いっぱん公開こうかいしている。明治めいじ以降いこう数多かずおおつくられた御用邸ごようてい建築けんちくのうち、全体ぜんたいがほぼかんそんする唯一ゆいいつれいとして貴重きちょうであり、建造けんぞうぶつぐんくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている。

日光にっこう田母沢たもざわ御用邸ごようてい記念きねん公園こうえん
庭園ていえんより御用邸ごようてい
分類ぶんるい 都市とし公園こうえん歴史れきし公園こうえん
所在地しょざいち
座標ざひょう 北緯ほくい3645ふん9びょう 東経とうけい13935ふん29びょう / 北緯ほくい36.75250 東経とうけい139.59139 / 36.75250; 139.59139座標ざひょう: 北緯ほくい3645ふん9びょう 東経とうけい13935ふん29びょう / 北緯ほくい36.75250 東経とうけい139.59139 / 36.75250; 139.59139
運営うんえいしゃ 栃木とちぎけん指定してい管理かんりしゃ公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん栃木とちぎ県民けんみん公園こうえん福祉ふくし協会きょうかい[1]
事務所じむしょ 日光にっこう田母沢たもざわ御用邸ごようてい記念きねん公園こうえん管理かんり事務所じむしょ
事務所じむしょ所在地しょざいち 栃木とちぎけん日光にっこう本町ほんちょう8-27
公式こうしきサイト 指定してい管理かんりしゃのサイト
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大正天皇たいしょうてんのう執務しつむしつとして機能きのうした「謁見えっけんしょ

概要がいよう

編集へんしゅう

日光にっこう観光かんこうのシンボルである神橋しんきょうから大谷川おおたにがわ(だいやがわ)を1kmほど上流じょうりゅうにさかのぼったところに位置いちする。御用邸ごようてい創設そうせつ明治めいじ32ねん1899ねん)で、病弱びょうじゃくであった皇太子こうたいしよしみじん親王しんのう大正天皇たいしょうてんのう)のなつ静養せいようしょとしてもうけられたものである。建物たてものはすべてがこのとき新築しんちくされたものではなく、もともとこの土地とちてられていた資産しさん別荘べっそうさい利用りようされており、東京とうきょう赤坂あかさか東宮御所とうぐうごしょから移築いちくされた建物たてもの(その主要しゅよう部分ぶぶん江戸えど時代じだい建築けんちく)もある。さらに、大正天皇たいしょうてんのう即位そくいにもおおくの部屋へや増築ぞうちくされ、江戸えど明治めいじ大正たいしょうかく時代じだい用途ようとことなる建築けんちく混在こんざいしているが、全体ぜんたいとして見事みごと調和ちょうわれている。

  • 敷地しきち面積めんせき
    • 御用邸ごようてい時代じだい 107,000m2(32,000つぼ
    • 現在げんざい 39,390m2(11,900つぼ
  • しつすう 106しつ
  • ゆか面積めんせき 4,471m2(1,352つぼ

沿革えんかく

編集へんしゅう
  • 1896ねん明治めいじ29ねん) - 年末ねんまつより田母沢たもざわ御用邸ごようてい用地ようち買収ばいしゅう交渉こうしょう開始かいしされる。買収ばいしゅうまえ住民じゅうみん安川やすかわまち土地とち所有しょゆうしゃは、伯爵はくしゃくかつ海舟かいしゅうで、町名ちょうめいかち伯爵はくしゃくからたまわ安川やすかわまちとなった)へ集団しゅうだん移転いてんした[2]
  • 1897ねん明治めいじ30ねん) - 病弱びょうじゃくであった皇太子こうたいし避暑ひしょけの静養せいようさき候補こうほとして、明治めいじ以降いこう外国がいこくじん華族かぞく実業じつぎょう別荘べっそうとして開拓かいたくされた日光にっこう選定せんていされる。
  • 1898ねん明治めいじ31ねん) - 地元じもと出身しゅっしん銀行ぎんこう小林こばやしねんが、田母沢たもざわ所有しょゆうしていた別邸べってい赤坂あかさか離宮りきゅうよりきゅう紀州きしゅう徳川とくがわ江戸えど中屋敷なかやしき一部いちぶ移築いちくして御用邸ごようてい造営ぞうえい開始かいし[3]
  • 1899ねん明治めいじ32ねん)6がつ - 完成かんせい[4]
  • 1912ねん大正たいしょう元年がんねん) - 大正天皇たいしょうてんのう即位そくい
  • 1916ねん大正たいしょう5ねん) - 田母沢たもざわがわはさんだ対岸たいがん田母沢たもざわ御用邸ごようてい付属ふぞくてい建設けんせつされる。
  • 1917ねん大正たいしょう6ねん) - 公務こうむ心労しんろうなどがかさなり大正天皇たいしょうてんのう健康けんこう状態じょうたいわるくなり、静養せいようしょ拡充かくじゅう急務きゅうむとなる。
  • 1918ねん大正たいしょう7ねん) - 天皇てんのう滞在たいざいしょとして大増おおます改築かいちくおこなわれる。
  • 1920ねん大正たいしょう8ねん) - 大増おおます改築かいちく完了かんりょう
  • 1922ねん大正たいしょう10ねん) - 小規模しょうきぼ改築かいちくえて現在げんざい姿すがたとなる[3]
  • その大正天皇たいしょうてんのう病態びょうたい悪化あっか葉山はやま御用邸ごようてい療養りょうようする1925ねんころまで、まいなつ静養せいようしょとして機能きのうする。
  • 大正天皇たいしょうてんのう崩御ほうぎょは、昭和しょうわ天皇てんのうこうじゅん皇后こうごう避暑ひしょとして利用りようされる。
  • 1944ねん昭和しょうわ19ねん)7がつ - 東京とうきょうだい空襲くうしゅうそなえ、当時とうじ皇太子こうたいし学習がくしゅういん初等しょとう5年生ねんせい)であっただい125だい天皇てんのう明仁あきひと疎開そかいさきとなる[5]
  • 1945ねん昭和しょうわ20ねん) - 終戦しゅうせんにより田母沢たもざわ御用邸ごようていはいようとなり、大蔵省おおくらしょう関東かんとう財務局ざいむきょく管理かんりはいる。
  • 1947ねん昭和しょうわ22ねん)10がつ - 栃木とちぎけん観光かんこう協会きょうかいが、栃木とちぎけん経由けいゆして大蔵省おおくらしょうよりきゅう田母沢たもざわ御用邸ごようてい一般いっぱん公開こうかい[4]
  • 1948ねん昭和しょうわ23ねん)4がつ - 日光にっこう地形ちけい地質ちしつ動植物どうしょくぶつ歴史れきし工芸こうげいなどを紹介しょうかいする日光にっこう国立こくりつ公園こうえん博物館はくぶつかんとして一般いっぱん公開こうかい開始かいし[6]
  • 1950ねん昭和しょうわ25ねん) - 御用邸ごようてい本館ほんかん庭園ていえん一部いちぶのぞだい部分ぶぶん敷地しきち日光にっこう植物しょくぶつえん帰属きぞくする。
  • 1957ねん昭和しょうわ32ねんごろ - 日光にっこう博物館はくぶつかんきゅう日光にっこうパレスホテル移転いてんする[6]
  • 1960ねん昭和しょうわ35ねんごろ - 日光にっこう博物館はくぶつかんきゅう田母沢たもざわ御用邸ごようていないさいオープン[6]
  • 2006ねん平成へいせい8ねん) - 栃木とちぎけんくにより日光にっこう田母沢たもざわ御用邸ごようてい取得しゅとく一部いちぶくにから無償むしょう貸付かしつけ[7]
  • 2010ねん平成へいせい12ねん) - 修復しゅうふく工事こうじ完了かんりょうし、「日光にっこう田母沢たもざわ御用邸ごようてい記念きねん公園こうえん」として開園かいえん
  • 2011ねん平成へいせい13ねん) - 天皇てんのう明仁あきひと皇后こうごう美智子みちこ来訪らいほうし、明仁あきひと自身じしん皇后こうごう案内あんないしつつ疎開そかいおもなどをかたる。園内えんないイチイ植樹しょくじゅ
  • 2013ねん平成へいせい15ねん)12月 - 御用邸ごようていじゅうむねが、くに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされる。
  • 2020ねんれい2ねん)10がつ - 付属ふぞくてい跡地あとちカトープレジャーグループ運営うんえいする旅館りょかん「ふふ 日光にっこう」がオープン。
  • 2022ねんれい4ねん)1がつ9にち - 研修けんしゅうホールにて日光にっこう成人せいじんしき開催かいさい日光にっこう田母沢たもざわ御用邸ごようてい記念きねん公園こうえん成人せいじんしき会場かいじょうとなったのは今回こんかいはじめてである[8]

建築けんちくとしての田母沢たもざわ御用邸ごようてい

編集へんしゅう
 
中坪なかつぼ中庭なかにわしに南方なんぽうる。中央ちゅうおうひょう食堂しょくどう大正たいしょう増築ぞうちく)、おくさんかい御座所ござしょきゅう赤坂あかさか離宮りきゅうから移築いちく江戸えど時代じだい建築けんちく
 
謁見えっけんしょ
 
玉突たまつきしょ
 
謁見えっけんしょから学問がくもんしょいた廊下ろうかあたりは学問がくもんしょまるまど
 
学問がくもんしょまるまどよりのぞむ、中央ちゅうおう建物たてもの食堂しょくどう
 
はまぐりたにはまぐり(ぎゃくはまぐり)でなめらかにつながるどうきの屋根やね(2020ねん撮影さつえい)

建築けんちく概要がいよう

編集へんしゅう

田母沢たもざわ御用邸ごようていは1899ねん明治めいじ32ねん)に創設そうせつされたが、前述ぜんじゅつのようにすべての建物たてものがこのとき新築しんちくされたものではなく、もともとこの敷地しきちにあった小林こばやし別邸べってい建物たてもののこり、また、東京とうきょう赤坂あかさか離宮りきゅう東宮御所とうぐうごしょから移築いちくした建物たてものもある。さらに大正たいしょう時代じだいにもだい規模きぼ増築ぞうちくおこなわれたため、建築けんちくぐんなかに、江戸えど明治めいじ大正たいしょう建築けんちく様式ようしきることができる[9]

御用邸ごようてい創設そうせつ基本きほん設計せっけいみや内省ないせい内匠たくみりょう(たくみりょう)の技師ぎし木子きごしんけい(きこきよよし)が担当たんとうし、大正たいしょう時代じだい増築ぞうちく設計せっけいおなじく宮内くない省内しょうないたくみりょう技師ぎし木子きご幸三郎こうざぶろう木子きごしんけい)であった[9]

建物たてものぐんは2003ねん平成へいせい15ねん)12月、「きゅう日光にっこう田母澤たもざわ御用邸ごようてい 10むね」としてくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされた。重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していの10むね建物たてもの名称めいしょうつぎのとおりである[9]

  • 御座所ござしょ - 赤坂あかさか離宮りきゅうから移築いちく江戸えど時代じだい建物たてもの
  • 食堂しょくどう - 赤坂あかさか離宮りきゅうから移築いちく明治めいじ時代じだい建物たてもの
  • 皇后こうごう御座所ござしょ - もとから田母沢たもざわにあった銀行ぎんこう別荘べっそう明治めいじ時代じだい建物たてもの
  • 謁見えっけんしょ - 大正たいしょう時代じだい増築ぞうちく
  • 内謁ないえつ見所みどころ - 大正たいしょう時代じだい増築ぞうちく
  • 皇族こうぞくおよ臣下しんかきゅうしょ - 田母沢たもざわ御用邸ごようてい開設かいせつ新築しんちく一部いちぶ大正たいしょう時代じだい増築ぞうちく
  • 車寄くるまよせ - 赤坂あかさか離宮りきゅうから移築いちく明治めいじ時代じだい建物たてもの
  • しゅ殿しんがりりょう - 田母沢たもざわ御用邸ごようてい開設かいせつ新築しんちく
  • 調理ちょうりしょ - 一部いちぶ田母沢たもざわ御用邸ごようてい開設かいせつ新築しんちくだい部分ぶぶん大正たいしょう増築ぞうちく
  • 女官にょかん部屋へや - 田母沢たもざわ御用邸ごようてい開設かいせつ明治めいじ大正たいしょう増築ぞうちく部分ぶぶん

増築ぞうちく移築いちくとう経緯けいいから文化財ぶんかざいとしての建物たてものめい上記じょうきの10むねかれているが、かく建物たてもの廊下ろうかでつながれて統一とういつてき内部ないぶ空間くうかん構成こうせいしており、屋根やねいちつながりになっている。

増築ぞうちく経緯けいい

編集へんしゅう
赤坂あかさか離宮りきゅうから移築いちくした部分ぶぶん江戸えど建設けんせつ
  • 1835ねん - 1840ねん天保てんぽう6ねん - 11ねん)、紀州きしゅう徳川とくがわ江戸えど中屋敷なかやしきとして赤坂あかさか現在げんざい東京とうきょうみなと元赤坂もとあかさか迎賓館げいひんかんのある場所ばしょ)に新築しんちくされたもの。江戸えど時代じだい後期こうき建築けんちく様式ようしきつたえる。この建物たてものは1872ねん明治めいじ5ねん)に皇室こうしつ献上けんじょうされ、赤坂あかさか離宮りきゅうとなった。よく1873ねん明治めいじ6ねん)には皇居こうきょ西にしまる御殿ごてん炎上えんじょうともない、この建物たてものかり皇居こうきょとなった。1889ねん明治めいじ22ねん)、明治めいじしん宮殿きゅうでん完成かんせいにより、この建物たてものふたた赤坂あかさか離宮りきゅうとなり、皇太子こうたいしよしみじん親王しんのう東宮御所とうぐうごしょはな御殿ごてん別称べっしょうあり)となった。1898ねん明治めいじ31ねん)に解体かいたいされ、翌年よくねん現在げんざい田母沢たもざわ移築いちくされた[9]
    • 御座所ござしょ」 1かい御座所ござしょ御次おつぎあいだ学問がくもんしょ/2かいにちはいしょ御寝ぎょしんしつつるぎ璽のあいだ/3かい展望てんぼうしつ
赤坂あかさか離宮りきゅうから移築いちくした部分ぶぶん明治めいじ建設けんせつ
  • 上記じょうき紀州きしゅう徳川とくがわ江戸えど中屋敷なかやしき東宮御所とうぐうごしょはな御殿ごてん)となったのちの1889ねん明治めいじ22ねん)に赤坂あかさか増設ぞうせつされた部分ぶぶん[9]
    • 食堂しょくどう食堂しょくどう御次おつぎあいだ化粧けしょう
    • 車寄くるまよせ唐破風からはふづくり車寄くるまよせのほか、受付うけつけ広間ひろまなど
きゅう小林こばやし別邸べってい
  • 御用邸ごようていができる以前いぜんからこの敷地しきちにあった、銀行ぎんこう別邸べっていさい利用りようしたもので、1887ねん明治めいじ20ねんごろ建築けんちく[9]
    • 皇后こうごう御座所ござしょ」 1かい皇后こうごう御座所ござしょ高等こうとう女官にょかん詰所つめしょ皇后こうごう呉服ごふくだな/2かい学問がくもんしょ御次おつぎあいだ
御用邸ごようてい開設かいせつ新築しんちく
  • 1899ねん明治めいじ32ねん) 、田母沢たもざわ御用邸ごようてい創設そうせつ現在地げんざいち新築しんちくされた部分ぶぶん明治めいじ時代じだい木造もくぞう和風わふう建築けんちく[9]
    • 皇族こうぞくおよ臣下しんかきゅうしょ」のだい部分ぶぶん 皇族こうぞくきゅうしょのほか、宮内みやうち大臣だいじん侍従じじゅうなどのひかえのあいだ
    • しゅ殿しんがりりょう」のだい部分ぶぶん しゅ殿しんがりりょう調度ちょうどりょう内蔵ないぞうりょう侍医じいりょうなど
    • 調理ちょうりしょ」の一部いちぶ
明治めいじ増築ぞうちく
  • 皇太子こうたいし大正天皇たいしょうてんのう成婚せいこんともない、1900ねん明治めいじ33ねん以降いこう増築ぞうちくした部分ぶぶん[9]
    • 皇后こうごう御座所ござしょ」の一部いちぶ 湯殿ゆどの
    • 女官にょかん部屋へや」のだい部分ぶぶん 高等こうとう女官にょかん部屋へや物置ものおきなど
大正たいしょうだい増築ぞうちく
  • 1919ねん大正たいしょう7ねん以降いこう増築ぞうちくされた部分ぶぶん謁見えっけんしょ内謁ないえつ見所みどころ皇后こうごう謁見えっけんしょ)、食堂しょくどうなどの公的こうてき部分ぶぶんのほか、女官にょかん雑仕ぞうしなどの使用人しようにん部屋へや調理ちょうりしつなども増築ぞうちくされた[9]
    • 謁見えっけんしょ謁見えっけんしょつぎこうしょおもて食堂しょくどう玉突たまつきしょビリヤードしつ)など
    • 内謁ないえつ見所みどころ
    • 女官にょかん部屋へや」の北半きたはん
    • 調理ちょうりしょ」の西にしはん

主要しゅよう部屋へや

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  • 御座所ござしょ - 大正天皇たいしょうてんのう執務しつむしつ居間いま赤坂あかさか離宮りきゅうから移築いちくしたきゅう紀州きしゅう徳川とくがわ中屋敷なかやしき部分ぶぶんの1かいにある。ゆか(とこ)・たなもうけた和室わしつだが、ゆか(ゆか)にはじゅうたんき、天井てんじょうからはシャンデリアるした和洋折衷わようせっちゅう形式けいしきになる。この部屋へや学問がくもんしょ謁見えっけんしょのじゅうたんは20しょくのアキスミンスターである。
  • 学問がくもんしょ - 天皇てんのう書斎しょさいきゅう紀州きしゅう徳川とくがわ中屋敷なかやしき部分ぶぶんの1かいにある。ゆかあいだかべなどにうめじゅえがくことからうめあいだともばれる。
  • 御寝ぎょしんしつ - 天皇てんのう寝室しんしつきゅう紀州きしゅう徳川とくがわ中屋敷なかやしき部分ぶぶんの2かいにある。御座所ござしょ学問がくもんしょことなり、たたみきである。また、この部屋へやのみ電灯でんとうもちいず燭台しょくだいく。
  • つるぎ璽のあいだ - きゅう紀州きしゅう徳川とくがわ中屋敷なかやしき部分ぶぶんの2かいにある。皇位こうい継承けいしょう象徴しょうちょうであるてん叢雲むらくもけん複製ふくせいと、はちしゃく瓊勾だま安置あんちするための3じょうしょう部屋へやである。つるぎ璽は、天皇てんのうの1はく以上いじょう行幸ぎょうこうにはともにするならわしである。けん勾玉まがたま安置あんちしょには繧繝うんげんえん(うんげんべり)のたたみかれている。
  • にちはいしょ - 天皇てんのう祖先そせん遥拝ようはいする場所ばしょきゅう紀州きしゅう徳川とくがわ中屋敷なかやしき部分ぶぶんの2かいにある。ゆかにはじゅうたんをく。
  • 展望てんぼうしつ - きゅう紀州きしゅう徳川とくがわ中屋敷なかやしき部分ぶぶんの3かいにある。たたみきで、部屋へやことなり、数寄屋すきやふうのくつろいだつくりになっている。
  • 食堂しょくどう - 赤坂あかさか離宮りきゅうから移築いちくしたもので、明治めいじ時代じだい増築ぞうちくである。食堂しょくどう廊下ろうかのじゅうたんは4しょくのウィルトンりである。
  • 謁見えっけんしょ - 天皇てんのう来客らいきゃく公式こうしき面会めんかいする大正たいしょう時代じだい増築ぞうちくゆか(とこ)、たな書院しょいんもうけ、天井てんじょう格天井ごうてんじょう(ごうてんじょう)とした書院造しょいんづくりを基本きほんとしながら、ゆか(ゆか)はたたみにじゅうたんをいた和様わよう折衷せっちゅうとする。
  • おもて食堂しょくどう - 天皇てんのう臣下しんか賓客ひんきゃくなどと食事しょくじった部屋へや大正たいしょう増築ぞうちくふすまかべ天井てんじょうなどは和風わふうだが、ゆか洋風ようふうのケヤキいたりとする。使つかわれているゆがみのあるガラスは建築けんちく当時とうじのもの。
  • 玉突たまつきしょ - ビリヤード大正たいしょう時代じだい増築ぞうちくゆか洋風ようふういたり。
  • 皇后こうごう御座所ござしょ - 貞明皇后ていめいこうごう執務しつむしつ居間いまきゅう小林こばやし別邸べってい部分ぶぶんの1かいにある。小林こばやし別邸べっていはしら長押なげしなどにつが(つが)ざいもちいている。天皇てんのう御座所ござしょことなり、じゅうたんでなくたたみきとする。
  • 皇后こうごう御寝ぎょしんしつ - きゅう小林こばやし別邸べってい部分ぶぶんの1かいにある。
  • 内謁ないえつ見所みどころ - 皇后こうごう来客らいきゃく面会めんかいする大正たいしょう時代じだい増築ぞうちく

公開こうかい

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庭園ていえんはしかくれる防空壕ぼうくうごう入口いりくちあと
  • 現在げんざい一般いっぱん公開こうかいされていないのは、3かい展望てんぼうしつと2かい皇后こうごう学問がくもんしょおよび一部いちぶ事務じむよう使用しようしている部屋へやのみであるが、ほとんどが廊下ろうかもしくは御次おつぎあいだからの見学けんがくで、たたみじき部屋へやはいさいは、絹織物きぬおりもの使用しようしているたたみえんまないよう注意ちゅういしなければならない(係員かかりいんつねかんしている)。
  • 見学けんがくさいしては、立入禁止たちいりきんし区域くいきへのりをのぞけば、このたね施設しせつとしては比較的ひかくてき自由じゆう見学けんがくができる。公園こうえんない撮影さつえいとう映画えいが撮影さつえいなど許可きょか必要ひつよう場合ばあいがあるものの、おこなうことができる(本稿ほんこう掲載けいさいされた写真しゃしん係員かかりいんより「写真しゃしん撮影さつえい制限せいげんなし」との承認しょうにんてのものである)。
  • 通常つうじょう非公開ひこうかいとされている2かい皇后こうごう学問がくもんしょは、樹齢じゅれいやく400ねんで4がつ中旬ちゅうじゅんから下旬げじゅん見頃みごろむかえるシダレザクラ庭園ていえんはな々の開花かいか時期じきにあわせてはる特別とくべつ企画きかくとして[10]、3かい展望てんぼうしつについては2003ねん平成へいせい15ねん)12月にくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していけたことを記念きねんしてふゆ特別とくべつ企画きかくとして[11]、それぞれ期間きかん限定げんていでの公開こうかいすうごとおこなわれている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 指定してい管理かんりしゃ制度せいど導入どうにゅう施設しせつ一覧いちらん
  2. ^ 岸野きしの, 2020 & p217.
  3. ^ a b やすせい, 2018 & p80.
  4. ^ a b やすせい, 2018 & p82.
  5. ^ やすせい, 2018 & p80-81.
  6. ^ a b c やすせい, 2018 & p83.
  7. ^ 岸野きしの, 2020 & p142.
  8. ^ マスク笑顔えがお再会さいかい 日光にっこうで2ねんぶり成人せいじんしき動画どうが下野げや新聞しんぶんS00N(2020ねん1がつ10日とおか)、2022ねん1がつ10にちづけ下野げや新聞しんぶん1めん
  9. ^ a b c d e f g h i 文化庁ぶんかちょう文化財ぶんかざいしん指定してい文化財ぶんかざい」『月刊げっかん文化財ぶんかざい』483、だいいち法規ほうき、2003、pp.15 - 19
  10. ^ はる特別とくべつ企画きかく ~二階皇后御学問所室内特別公開~ 栃木とちぎけん 生活せいかつ文化ぶんかスポーツ 文化ぶんか振興しんこう
  11. ^ 日光にっこう田母沢たもざわ御用邸ごようていさんかい展望てんぼうしつ特別とくべつ公開こうかい 日光にっこう公式こうしきかんWEB

参考さんこう文献ぶんけん

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  • やすせい信夫しのぶわすれられた明治めいじ日光にっこう 近代きんだい日光にっこう史跡しせきたずねて』随想ずいそうしゃ、2018ねん4がつ18にち、80-83ぺーじISBN 978-488748-348-4 
  • 岸野きしのみのる世界せかい遺産いさん日光にっこう 山内さんないみち下野新聞社しもつけしんぶんしゃ、2020ねん11月28にち、217ぺーじ 

外部がいぶリンク

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