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天叢雲剣 - Wikipedia

てん叢雲むらくもけん

日本にっぽん三種さんしゅ神器じんぎのひとつ、神剣しんけんまたは宝剣ほうけん

てん叢雲むらくもけん(あめのむらくものつるぎ、あまのむらくものつるぎ、あめのむらぐものつるぎ、あまのむらぐものつるぎ)は[1]三種さんしゅ神器じんぎひと[2][3][4]草薙くさなぎけん(くさなぎのつるぎ)[5]くさげい大刀たち(くさなぎのたち)ともわれる[6][7][8]熱田あつた神宮じんぐうにある本体ほんたいと、皇居こうきょにある形代かたしろの2つがある[9][10]

概要がいよう 編集へんしゅう

 
三種さんしゅ神器じんぎ(イメージ)

てん叢雲むらくもけん草薙くさなぎけんともわれ、三種さんしゅ神器じんぎひとつ(はち咫鏡はちしゃく瓊勾だま草薙くさなぎけん[11][12][13]三種さんしゅ神器じんぎなかでは天皇てんのう武力ぶりょく象徴しょうちょうであるとされる[14][15]日本にっぽん神話しんわにおいて、スサノオ出雲いずもこくヤマタノオロチはち岐大へび)を退治たいじしたとき[16]大蛇おろち体内たいない)からつかった神剣しんけんである[17][1][18]はち岐大へび退治たいじいた経緯けいいと、神剣しんけん名称めいしょうについては『古事記こじき』『日本書紀にほんしょき』で複数ふくすうつてがある[19]。 スサノオは、はち岐大へび由来ゆらい神剣しんけん高天原たかまがはらアマテラス献上けんじょうした[20][21]つづいて天孫てんそん降臨こうりんさい神器じんぎともニニギノミコトたくされ、地上ちじょうりた[22][23]たかしかみ天皇てんのう時代じだいてん叢雲むらくもけん形代かたしろつくられ、形代かたしろ宮中きゅうちゅう天皇てんのうがわ)にのこ[24][13]本来ほんらい神剣しんけん笠縫かさぬいみや経由けいゆして、伊勢神宮いせじんぐううつされたという[20][25]けいぎょう天皇てんのう時代じだい伊勢神宮いせじんぐうヤマトヒメノミコトは、東征とうせいかうヤマトタケル神剣しんけんてん叢雲むらくもけん/草薙くさなぎけん)をたく[26][27]。ヤマトタケルの死後しごてん叢雲むらくもけん神宮じんぐうもどることなくミヤズヒメ(ヤマトタケルつま)と尾張おわり尾張おわりこくまつつづけた[28][29]。これが名古屋なごや熱田あつた神宮じんぐう起源きげんである。熱田あつた神体しんたいとして本体ほんたいてん叢雲むらくもけんまつられている[30][31]

一方いっぽう形代かたしろてん叢雲むらくもけんは、うけたまわ寿ことぶきひさしらん源平げんぺい合戦かっせん)の最中さいちゅう安徳天皇あんとくてんのうだい81だい天皇てんのう)をほうじた平家ひらかにより、神器じんぎとともに西国さいこくち、みなもとかた擁立ようりつされた後鳥羽ごとば天皇てんのうだい82だい天皇てんのう)は三種さんしゅ神器じんぎがないまま即位そくいする[32][33]たいら滅亡めつぼう神璽しんじ神鏡しんきょう確保かくほできたが、神剣しんけん壇ノ浦だんのうらたたかにより関門海峡かんもんかいきょうしずみ、うしなわれた[13][34]。その朝廷ちょうてい伊勢神宮いせじんぐうより献上けんじょうされたけんを「てん叢雲むらくもけん」とした[13][35]神剣しんけん喪失そうしつにより、様々さまざま伝説でんせつ神話しんわまれることとなった(中世ちゅうせい神話しんわ[36]

南北なんぼくあさ時代じだい北朝ほくちょう陣営じんえい南朝なんちょう陣営じんえいとも三種さんしゅ神器じんぎ神剣しんけんふくむ)の所持しょじ主張しゅちょうして正統せいとうせいあらそい、この混乱こんらんこう小松こまつ天皇てんのうだい100だい天皇てんのう)における南北なんぼくあさ合一ごういつまでつづいた(明徳めいとくやく)。現在げんざい神剣しんけん形代かたしろ)は宮中きゅうちゅうまつられている[37]

表記ひょうき 編集へんしゅう

日本書紀にほんしょき』では「草薙くさなぎけん」「倶娑伎能都留つる伎」[6]、『古事記こじき』では「くさげい大刀たち」(はち俣大へび退治たいじ)「くさげいけん」(天孫てんそん降臨こうりん、ヤマトタケル)と表記ひょうきされる[38][39]。 「てん叢雲むらくもけん」の名称めいしょうは、日本書紀にほんしょき注記ちゅうきで、つて(「いちしょ」「いちうん」)としてしょしるされる[40][41]熱田あつた神宮じんぐうでは、草薙くさなぎ神剣しんけん(くさなぎのみつるぎ)としている。

象徴しょうちょう 編集へんしゅう

天台座主てんだいざしゅ慈円じえんは「天皇てんのう武力ぶりょく象徴しょうちょう」と解釈かいしゃくしている[15]北畠きたばたけ親房ちかふさ従来じゅうらい解釈かいしゃくくわえて、「劒ハつよし決断けつだんとくトス。智慧ちえ本源ほんげんナリ」という儒学じゅがくてき解釈かいしゃくおこなった[42]北畠きたばたけの『かみすめらぎ正統せいとう』では、かがみ正直しょうじき本源ほんげんたま慈悲じひ本源ほんげんけん知恵ちえ本源ほんげん[43][44]一条いちじょう兼良かねらは「かがみもちいたまじんとくけんいさむ[45]熊沢くまさわ蕃山ばんざんは「かがみぞう(しるし)、たまじんぞうけんいさむぞう」、田中たなか智學ちがくは「かがみてんあきら大神おおがみ知徳ちとくたま月読つきよみみこと仁慈じんじけん戔嗚みことたけいさむ」と解釈かいしゃくしている[45]。 またスサノオは出雲いずもこくはち岐大へび退治たいじしたときに、高天原たかまがはらのアマテラスに大蛇おろち由来ゆらい神剣しんけん草薙くさなぎけん/てん叢雲むらくもけん)を献上けんじょうしたが、この神話しんわについて天孫てんそん降臨こうりんおよびくにゆず伏線ふくせんとするせつもある[46][47]

動向どうこう 編集へんしゅう

神代かみしろ 編集へんしゅう

 
スサノオヤマタノオロチ

高天原たかまがはらから出雲いずもこくいたったスサノオもと戔嗚みこと)はクシナダヒメくし名田なたうり古事記こじき〉、稻田いなだひめ日本書紀にほんしょき〉)をたすけるため[48][49]じゅうこぶしけんヤマタノオロチはち俣大へび/はち俣遠りょさとし〉、はち岐大へび〉)[50][51]きざんだ[52][53][54]。 このときるとじゅうこぶしけんけ、なかからするど大刀たちてきた[55][56]。『古事記こじき』では、まず牟刈の大刀たち(つむがりのたち)と言及げんきゅうする[57][58]つづいて草薙くさなぎけんくさなぎの大刀たち)と表記ひょうきする[59][60]。『古事記こじき』の原文げんぶん[61][62]解釈かいしゃくぶん以下いかとお[63][64]

原文げんぶん

 なんじそく須佐すさおとこいのち、拔した其所いちこれじゅうこぶしうえきり-其蛇いちものこえかわへん而流。きり其中いちときかたな刄毀。しかおもえかいかたなまえいちとげわり而見しゃざい牟刈大刀たちいち此大がたないちおもえ異物いぶついち而、しろ-うえ天照大御神あまてらすおおみかみいち也。しゃくさげい大刀たち也。げいおと

解釈かいしゃくぶん

 はち岐大へびさけってねむったすきて、はや須佐すさおとこいのちびたじゅうこぶしつかけんつるぎきて、はち岐大へびをずだずだにきざんだ。 ゆえにこえかわかはながれはにかわった。 はや須佐すさおとこいのち大蛇おろちなかほどのったときじゅうこぶしけんがすこしけてしまった。 あやしいとおもい、かたな切先きっさき大蛇おろちってみると、いちりの、かりがり大刀たちたち非常ひじょうするど大刀たち)があった。 はや須佐すさおとこいのち大蛇おろちなかからてきた大刀たちり、不思議ふしぎなものだとおもい、天照大御神あまてらすおおみかみ事情じじょう説明せつめいし、献上けんじょうした。 これがすなわち、後世こうせいくさくさげい大刀たちたちである。

日本書紀にほんしょき神代かみしろおさむじょうだいはちだん本文ほんぶんちゅうには「あるしょがいうに、もとてん叢雲むらくもけん大蛇おろちうえつね雲気うんき(くも)がかっていたため、かくづけたか。日本にっぽんたけ皇子おうじいたりて、あらためて草薙くさなぎ劒と曰ふといふ」とある[65][66][67]。 スサノオは「しん(あや)しきけんなり。われぞ敢へてわたしやす(お)けらむや〔これは不思議ふしぎ霊妙れいみょうけんだ。どうして自分じぶんものにできようか〕」(『日本書紀にほんしょきだいはちだん本文ほんぶん)とって[68][69][70]高天原たかまがはらてんあきら大神おおがみ(アマテラス)に献上けんじょうした[71][72][73]。『古語こご拾遺しゅうい』では天神てんじん(あまつかみ)と表記ひょうきしている[74][75]

一方いっぽう、ヤマタノオロチをころしてけたじゅうこぶしけんじゅうにぎけん)は[76][77]大蛇おろち麁正(をろちのあらまさ)[78][79]、もしくは天羽あもうこれけん/てんはえ斫剣(あめのはばきりのつるぎ)[80][81]として石上いしがみ神宮じんぐう石上いしがみぬのたましい神社じんじゃ)にまつられた[82][83][84]。 『日本書紀にほんしょき』(だいさんいちしょ)では、「へびかんすき(おろちのからさひ/おとりからさひ)のけん」として吉備きび神部かんべまつられた[85][86][87]

草薙くさなぎけんくさげいけん)は天孫てんそん降臨こうりんさいに、てんあきら大神だいじんから三種さんしゅ神器じんぎとしてニニギ(瓊瓊きねみこと)に手渡てわたされ[88][89]ふたた葦原よしわら中国ちゅうごくへとりた[90][91]かく神話しんわ差異さいがある[92]古事記こじきでは「はちしゃく勾玉まがたまかがみ草薙くさなぎけん[93][94]、『日本書紀にほんしょきだいいちいちしょでは「曲玉まがたまはち咫鏡、草薙くさなぎけん[95]古語こご拾遺しゅういでは「はち咫鏡、草薙くさなぎけんほこたま)」[96]日本書紀にほんしょきなかには言及げんきゅうしないものもある[97][98]

ひとだい 編集へんしゅう

 
月耕げっこう随筆ずいひつ 日本にっぽんたけたかし 草薙くさなぎけん

ニニギが所有しょゆうして以降いこう神武じんむ天皇てんのう東征とうせいかけはちだいとうてん叢雲むらくもけん草薙くさなぎけん)がどのようにあつかわれていたかは[99]、『古事記こじき』『日本書紀にほんしょき』とも記載きさいしていない[100][101]皇居こうきょうちてんあきら大神だいじん神体しんたいとされるはち咫鏡とともにまつられていたが、たかしかみ天皇てんのう時代じだいに、皇女おうじょトヨスキイリヒメ(ゆたか鍬入くわいれひめいのち)により、はち咫鏡とともに皇居こうきょそとやまと笠縫かさぬい)でまつられるようになった[100][102]。『古語こご拾遺しゅうい』には子細しさいかたられている。天目てんもくいち箇神イシコリドメ子孫しそんが「神鏡しんきょう」と「形代かたしろけん」(もうひとつの草薙くさなぎけん)をつくり、天皇てんのう護身ごしんようとして宮中きゅうちゅうのこされた[102][103]神威しんいはオリジナルとわらなかったという[104]つづいてたかしかみ天皇てんのう命令めいれいけたゆたか鍬入くわいれひめいのちは、やまと笠縫かさぬい神鏡しんきょう草薙くさなぎけんまつった[1][102]

たれじん天皇てんのう時代じだい、ヤマトヒメ(やまとひめいのち)にがれ、トヨスキイリヒメから、わせてやく60ねんをかけて現在げんざい伊勢神宮いせじんぐう内宮ないくういた(「60ねん以降いこう部分ぶぶんは『神道しんとうしょ』のひとつである『やまとひめいのち』にられる記述きじゅつである。詳細しょうさい記事きじもと伊勢いせ)。この時点じてんで、てん叢雲むらくもけん伊勢神宮いせじんぐうまつられることになった[105][106]

けいぎょう天皇てんのうだい12だい)の時代じだい[107]てん叢雲むらくもけん草薙くさなぎけん)は伊勢いせこく伊勢神宮いせじんぐう)のヤマトヒメから[108][109]東国とうごく制圧せいあつ東征とうせい)へかうヤマトタケル日本にっぽんたけたかし)にさづけられた[110][111][112]神剣しんけんさづけるにあたりヤマトヒメはヤマトタケルに言葉ことばをかけるが、複数ふくすうつてがある[113]。『古事記こじき』では、草薙くさなぎけんとも火打石ひうちいしりのふくろわたして「わか(も)しきゅう(にはか)なることらば、この嚢(ふくろ)のくちかい(と)きたまへ」とみことのり[114][115]。 『日本書紀にほんしょき』や『古語こご拾遺しゅうい』では「まきだる也(つつしんでおこたることなかれ)」と訓戒くんかいした[116][117]平安へいあん時代じだい熱田あつた神宮じんぐうつたわっていた記文きぶん由緒ゆいしょ)によれば、アマテラスはヤマトヒメにかみかかして「さきのむまれ、そさのをのみことたりしとき出雲いずもくににてはちまたのをろちののなかよりとりいでて、にあたへしつるぎなり(このけんは、そなた〔ヤマトタケル〕が前世ぜんせいでスサノオであったとき、出雲いずもこくはち岐大へびよりとりだして、わたし献上けんじょうしたけんです)」とつたえている[118]一説いっせつによると、ヤマトタケルは天皇てんのうからさずかったてんこうほこ/比比ひひ八尋やひろほこ(ひひらぎのやひろのほこ)を[119]神宮じんぐうあづけたという[120]

その、ヤマトタケルはあいこく(『古事記こじき』および『古語こご拾遺しゅうい』)[121][122]もしくは駿河するがこく(『日本書紀にほんしょき』、熱田あつた神宮じんぐう伝聞でんぶん)で[123][124]てきはなった野火のびかこまれ窮地きゅうちおちいるが、けんくさばらい(拾遺しゅういのみ)[125][126]むか脱出だっしゅつする[127][128]日本書紀にほんしょきちゅうでは「一説いっせつには、てん叢雲むらくもけんみずかしてくさはらい、これによりなんのがれたためそのけん草薙くさなぎけん名付なづけた」とある[129]

東征とうせいのち、ヤマトタケルは尾張おわりこく結婚けっこんしたミヤズヒメ(みやひめ)のもとけんあづけたまま[130][131]伊吹山いぶきやま悪神あくじん荒神こうじん)を討伐とうばつしに[132][133]。『古語こご拾遺しゅうい』では「けんきてたく(いえ)にき、(たむなで)できでましてきも吹山にのぼり、どく(あしきいき)になか(あた)りて薨(かむさ)りましき。」として[116][134]草薙くさなぎけんをミヤズヒメのもといて出陣しゅつじんしたことで、ヤマトタケルは神剣しんけん加護かごうしなったと暗示あんじする[135]。 『尾張おわりこく風土記ふどき』においては、みやひめ屋敷やしき滞在たいざいしていたヤマトタケルは、夜中よなかかわやはいときわきくわけんけ、そのままわすれて部屋へやもどった[136][5]おもしてくわもどると、けん神々こうごうしく光輝ひかりかがやいてにすることができなかったという[136][137]。ミヤズヒメにヤマトタケルは「けんわたし形影けいえい(みかげ)としてまつるように」とげて出陣しゅつじんした[5][136]。 『尾張おわりこく熱田あつたふとし神宮じんぐう縁起えんぎ』(平安へいあん時代じだい初期しょき)では、ヤマトタケルはくわからひかりけんにとったものの、ミヤズヒメに「ゆかまもりとせよ」とげて出陣しゅつじんした[136]

結局けっきょく、ヤマトタケルは伊吹山いぶきやまかみしろいのしし〈『古事記こじき』〉[138][139]大蛇おろち〈『日本書紀にほんしょき』〉[140]はち岐大へび化身けしんとも[141])によってやまい[142][143]大和やまとこくかえ途中とちゅうで、最期さいごに「けん太刀たち、ああその太刀たちよ」()、もしくは「じょうおんなおとめの、ゆかあたりに、わがきし、つるぎ太刀たち、その太刀たちたちはや。」と草薙くさなぎけんんでくなってしまった[144][145][146]。 その、ミヤズヒメはおっと(ヤマトタケル)と草薙くさなぎけんまつ[147]、これがこう熱田あつた神宮じんぐうとなった[148][149]

古代こだい中世ちゅうせい 編集へんしゅう

天智天皇てんぢてんのう時代じだい668ねん)、しんじんによる盗難とうなん[150][151]一時いちじてき宮中きゅうちゅう保管ほかんされた(詳細しょうさい後述こうじゅつ[152][153]天武天皇てんむてんのう時代じだい朱鳥あすか元年がんねん、686ねん)、天皇てんのうやまいたおれると、うらなにより草薙くさなぎけんたた判明はんめい[154][155]神剣しんけんふたた熱田あつた神宮じんぐうもどされた[156][157]。だが天武天皇てんむてんのう回復かいふくせず崩御ほうぎょした[157]

平安へいあん時代じだい末期まっき寿ことぶきひさし4ねん3がつ24にち(1185ねん4がつ25にち)、壇ノ浦だんのうらたたかさいあま安徳天皇あんとくてんのうとともに形代かたしろ宝剣ほうけんいて入水じゅすいする[13]宝剣ほうけん形代かたしろ)は関門海峡かんもんかいきょうしずみ、うしなわれた[34]朝廷ちょうていみなもとぐん宝剣ほうけん形代かたしろ)の捜索そうさくおこない、寺社じしゃ加持かじ祈祷きとうおこなわせたりもしたが、結局けっきょくつからなかったため朝廷ちょうてい伊勢神宮いせじんぐうより献上けんじょうされたけんを「草薙くさなぎけん形代かたしろ)」とした[13][35]

室町むろまち時代ときよ嘉吉よしきち3ねん9がつ23にち1443ねん10月16にち)にこった禁闕きんけつへんさいに、宝剣ほうけん形代かたしろ)はこう南朝なんちょう勢力せいりょくにより勾玉まがたまとともに宮中きゅうちゅうからうばわれた。翌日よくじつあさ清水寺きよみずでらそう境内けいだい発見はっけんし、宝剣ほうけん形代かたしろ)は宮中きゅうちゅうもどされた。発見はっけんしたそう褒美ほうびとして美濃みのこく加納かのうさとたまわったという[158]

きん現代げんだい 編集へんしゅう

尾張おわり霊威れいい』によれば、天保てんぽう10ねん1がつ19にち1839ねん3月4にち)に盗難とうなん被害ひがいったが、犯人はんにんはすぐにつかまった[159]。このさいに、神殿しんでん改造かいぞうした[159]明治めいじ元年がんねん9月27にち1868ねん11月11にち)、東京とうきょう江戸えど)にかう明治天皇めいじてんのう熱田あつた神宮じんぐう宿泊しゅくはく東京とうきょう行幸ぎょうこう[159]。このとき熱田あつた神宮じんぐうまつられている神代かみよ由来ゆらいてん叢雲むらくもけんと、明治天皇めいじてんのうとともに動座どうざしてきていた形代かたしろ神剣しんけん同所どうしょ遭遇そうぐうすることになった[159][160]明治天皇めいじてんのうは1878ねん明治めいじ11ねん)10がつ28にち、1880ねん明治めいじ13ねん)7がつ2にちにも、熱田あつた神宮じんぐう行幸ぎょうこうした[160]

太平洋戦争たいへいようせんそう末期まっきの1945ねん昭和しょうわ20ねん)になると連合れんごう国軍こくぐんによる日本にっぽん本土ほんど空襲くうしゅうはげしさをし、熱田あつた神宮じんぐうがある名古屋なごや方面ほうめんはげしい空爆くうばくける。熱田あつた神宮じんぐう3月12にち5月17にち空襲くうしゅう多数たすう建物たてもの焼失しょうしつ本殿ほんでん一部いちぶ損傷そんしょうした[161]本土ほんど決戦けっせんけつごう作戦さくせんダウンフォール作戦さくせん)も視野しやはいり、草薙くさなぎけんあつかいが問題もんだいになる[162]7がつ31にち昭和しょうわ天皇てんのう内大臣ないだいじん木戸きど幸一こういち宮内みやうち大臣だいじん石渡いしわた荘太そうたろうたいして、三種さんしゅ神器じんぎ避難ひなん検討けんとうさせる[163]飛騨ひだ一宮いちのみや水無みずなし神社じんじゃ疎開そかい候補こうほとなり、伊勢神宮いせじんぐう関係かんけいしゃ以下いかにより視察しさつおこなわれた(陸軍りくぐん関係かんけいしゃにより、事前じぜん調査ちょうさみ)[162][163]。 また本土ほんど決戦けっせん最悪さいあく事態じたいとなった場合ばあい昭和しょうわ天皇てんのう伊勢神宮いせじんぐうはち咫鏡および熱田あつた神宮じんぐうてん叢雲むらくもけん草薙くさなぎけん)ともども長野ながのけん松代まつだい大本営だいほんえいうつり、運命うんめいともにする決意けついだったという[164]

8がつ15にちポツダム宣言せんげん受諾じゅだく表明ひょうめい玉音ぎょくおん放送ほうそう[165]降伏ごうぶくした日本にっぽんへの連合れんごうぐん本土ほんど進駐しんちゅうさいし、てん叢雲むらくもけんは8がつ下旬げじゅんから9がつ中旬ちゅうじゅんまで、熱田あつた神宮じんぐうから水無みずなし神社じんじゃ遷座せんざした[166]。この経緯けいいについて『昭和しょうわ天皇てんのう実録じつろく』では以下いかのように記述きじゅつしている。

かんぬさ大社たいしゃ熱田あつた神宮じんぐうにおいて神剣しんけん奉遷ほうせんようそとばこ 白木しらきひのきづく新調しんちょう 皇室こうしつ経費けいひもっ制作せいさく したことにより、このみことのりふうかんする祭典さいてん執行しっこうにつき、勅使ちょくしとして侍従じじゅう小出こいでえいけいつかわされる。小出こいでどう神宮じんぐう神殿しんでんない参入さんにゅうし、従来じゅうらいそとばこみことのりふう 明治めいじじゅうよんねんがつじゅうにちみやしょう山岡やまおか鉄太郎てつたろうつかわされ、ほどこせしめたものき、新調しんちょうそとばこ神剣しんけん奉納ほうのうし、御名ぎょめい親筆しんぴつみことのりふうあさにて厳封げんぷううえ、さらに勅使ちょくしたる侍従じじゅうふうほどこしたのち従来じゅうらい奉納ほうのうそとばこちゅう奉安ほうあんし、施錠せじょうする。なお、かねてよりその疎開そかい計画けいかくちゅう熱田あつた神宮じんぐう神剣しんけんは、東海とうかいぐん管区かんく司令しれい協力きょうりょくのもと、翌月よくげつじゅうきゅうにちまでくにぬさ小社しょうしゃ水無みずなし神社じんじゃ 岐阜ぎふけん大野おおのぐんみやむら奉遷ほうせんされる。 — 昭和しょうわじゅうねんはちがつじゅうにち 水曜日すいようび宮内庁くないちょう編纂へんさん昭和しょうわ天皇てんのう実録じつろく だいきゅう 昭和しょうわじゅうはちねんいたり昭和しょうわじゅうねん』、789ページ

けん動座どうざそなトヨタ・センチュリーロイヤル後部こうぶ座席ざせきには、はちしゃく瓊勾だまてん叢雲むらくもけん安置あんちするための台座だいざ設置せっちできるようになっている。

由来ゆらい 編集へんしゅう

諸説しょせつあるが、実際じっさいはあまりわかっていない。牟刈大刀たち(つむがりのたち)[57]牟羽大刀たち(つむはのたち)[167]八重やえかきけん(やえがきのつるぎ)、くつなぎけん(くつなぎのけん)ともいう[168]。 『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』や各種かくしゅ系図けいず史料しりょうえるの尾張おわり系図けいず、その同族どうぞくである津守つもり系図けいずとうる「てん村雲むらくもいのち」との関係かんけい推測すいそくされ、またちゅうしんてん押雲いのち別名べつめい外宮げくうまつかん渡会わたらい祖先そせんにも「てん牟羅くもいのち」のえる(『ゆたか受大神宮じんぐう禰宜ねぎ補任ほにん次第しだい』)。

草薙くさなぎけん 編集へんしゅう

くさいだけん 編集へんしゅう

ヤマトタケルが伊勢神宮いせじんぐうでこれを拝受はいじゅし、東征とうせい途上とじょう駿河するがこく現在げんざい静岡しずおかけん中部ちゅうぶ)で、この神剣しんけんによって野火のびなんはらい、草薙くさなぎけん別名べつめいあたえた[169]。このせつひろられているが、『日本書紀にほんしょき』ではつてとされている。現在げんざい静岡しずおかけんには、焼津やいづ草薙くさなぎなど、この神話しんわ由来ゆらいする地名ちめいのこ[170]ゆたか受大神宮じんぐう伊勢神宮いせじんぐう外宮げくう摂社せっしゃには「くさ奈伎(くさなぎ)神社じんじゃ」があり、しめぎけん仗(みしるしのつるぎ)をまつるという(度会わたらい家行いえゆき類聚るいじゅう神祇じんぎ本源ほんげん』)[171]

へびけん 編集へんしゅう

クサはにおい、ナギはへびウナギ#名称めいしょうなどを参照さんしょう)で、原義げんぎは「へびけん」であるというせつ[172]神話しんわ記述きじゅつでも、このけんへび姿すがたをしたヤマタノオロチのからており、本来ほんらい伝承でんしょうではへびけんであったともかんがえられる[173]へび形状けいじょうをしたけんとして蛇行だこうけんがある。 高崎たかさきただししゅうは『神剣しんけんこう』「草薙くさなぎけんこう」において、クサ=くし=、で霊威れいいあるとし、ナギ=ナダ=へびであるとして、このけん名義めいぎを「霊妙れいみょうなるへびけん」といている[174]。また、そのはヤマタノオロチに生贄いけにえにされかけたクシナダヒメ(稲田いなだひめ)につうじるものであり、本来ほんらいクシナダヒメはれいへびひめ(くしなだひめ)と表記ひょうきしたのではと考察こうさつ[174]。ヤマタノオロチにたいする祭祀さいししゃでありながら同時どうじ出雲いずも支配しはいするおんなてき存在そんざいではなかったかとする。 なおたれじん天皇てんのう神話しんわでも、出雲いずも女性じょせいへびしんだった事例じれいがある[175]葦原よしわらしょくもとおとこ大神だいじん出雲いずも大社たいしゃ)のたたりがけたほまれ別命べつめいほん牟智和気わきおう)はこえちょううり結婚けっこんするが[176][177]こえちょううり正体しょうたいは「ひか大蛇おろち」だったという[178][179]

てん叢雲むらくもけん 編集へんしゅう

八俣遠呂智由来説 編集へんしゅう

日本書紀にほんしょき』の注記ちゅうきより。ヤマタノオロチの頭上ずじょうにはいつもくもがかかっていたので「てん叢雲むらくもけん」と名付なづけられた[8][180]実際じっさい出雲いずもなど山陰さんいん地方ちほうくもおおく、安来やすぎ地方ちほう山奥やまおく島根しまねけん奥出雲おくいずもまちにある船通山せんつうざんとりかみみね山頂さんちょうにはてん叢雲むらくもけんあらわこれいしぶみがあり、毎年まいとし7がつ28にち船通山せんつうざん記念きねんさい宣揚せんようさい開催かいさいされる。 また、「てん叢雲むらくもけん」の由来ゆらいである、「大蛇おろちうえ雲気うんきり」という表現ひょうげんや「生贄いけにえ乙女おとめすくい、りゅう退治たいじする」という物語ものがたり展開てんかいかんして中国ちゅうごく大陸たいりく中国ちゅうごく文化ぶんかけん)の影響えいきょう指摘してき[1][8]、『史記しき』や『漢書かんしょ』からの引用いんようだとかれることもある[181]

所在しょざい 編集へんしゅう

熱田あつた神宮じんぐう 編集へんしゅう

 
熱田あつた神宮じんぐう

草薙くさなぎけんは、日本にっぽん神話しんわ記述きじゅつとおりであれば、熱田あつた神宮じんぐう奥深おくふかくに神体しんたいとして安置あんちされている[41][182]

このけん盗難とうなんったことがあり、天智天皇てんぢてんのう7ねん668ねん)にしんそう道行みちゆき(どうぎょう)が熱田あつた神宮じんぐうから草薙くさなぎけんぬすみ、しんかえろうとした(『日本書紀にほんしょきじゅうななかん天智天皇てんぢてんのう[183][153]。『尾張おわりこく熱田あつたふとし神宮じんぐう縁起えんぎ』では、いち度目どめ神剣しんけんみずか神宮じんぐうもどって失敗しっぱい[184]度目どめふね難破なんぱして失敗しっぱい神剣しんけん日本にっぽんがわ回収かいしゅうされた(草薙くさなぎけん盗難とうなん事件じけん参照さんしょう[153][184]

その草薙くさなぎけん宮中きゅうちゅう保管ほかんされていた[185]。 『平家ひらか物語ものがたり』では、天武天皇てんむてんのう草薙くさなぎけん内裏だいりうつしたとつたえる[186]朱鳥あすか元年がんねん686ねん)6がつ天武天皇てんむてんのうやまいたおれる[187]病気びょうき原因げんいんは「宮中きゅうちゅう神剣しんけんいたままにし、熱田あつたもどさないため神剣しんけんたたり」と判明はんめいした[188][189]陰陽いんようにより御祓おはらいおこない、あるいは恩赦おんしゃ仏教ぶっきょうによる功徳くどく期待きたいしてやまい回復かいふくいのるが、それでも神剣しんけんたたりがけなかったという[187]草薙くさなぎけん熱田あつた神宮じんぐうもどされたが[185]天皇てんのうは9月に崩御ほうぎょした[153][157]

鎌倉かまくら時代ときよ熱田あつた神宮じんぐう炎上えんじょうしたさいはばいちしゃくながよんしゃくうるしばこおさめられた神剣しんけんは、直接ちょくせつ被害ひがいけることはなかった[190]神宮じんぐう神職しんしょく確認かくにんすると、赤地あかじにしきぶくろがあったため、神剣しんけん判断はんだんして八剣やつるぎ殿どの(やつるぎのみや、708ねん創建そうけん)におさめたという[159][190]記文きぶんによれば、ヤマトタケルの前世ぜんせいもと戔嗚みことであったとしている[190]。『熱田あつたふとし神宮じんぐう御託宣ごたくせん』でも、久子ひさこ内親王ないしんのう後深草天皇ごふかくさてんのう皇女おうじょ関連かんれん同様どうよう伝承でんしょうつたえている[190]

戦国せんごく時代じだい熱田あつた神宮じんぐう神領しんりょううばわれて困窮こんきゅうする[191]安土あづち桃山ももやま時代じだいになると織田おだ信長のぶなが豊臣とよとみ秀吉ひでよし徳川とくがわ家康いえやすによって保護ほごされるが[192]江戸えど時代じだいになって荒廃こうはい[193]松尾まつお芭蕉ばしょうが『ざらし紀行きこう』で1684ねん貞享ていきょう元年がんねん当時とうじ惨状さんじょうを「かしこになわりて小社しょうしゃあとをしるし、爰にいしすえゑて其神とのる。」と記述きじゅつしている[194][195]。1686ねん貞享ていきょう3ねん)、江戸えど幕府ばくふだいだい将軍しょうぐん徳川とくがわ綱吉つなよしにより社殿しゃでん造営ぞうえい[194]再建さいけんされた熱田あつた神宮じんぐうおとずれた芭蕉ばしょうは「すり(とぎ)なをすかがみすまゆきはな」とんだ[194]

綱吉つなよし時代じだい熱田あつた神宮じんぐう改修かいしゅう工事こうじがあったとき前述ぜんじゅつ[194]神剣しんけんはいったひつふるくなったので、神剣しんけんあたらしいひつうつさい、4~5にん熱田あつただい宮司ぐうじ社家しゃけ神官しんかん神剣しんけんぬすたとの記録きろくがある[196][194]天野あまの信景さだかげ名古屋なごや藩士はんし国学こくがくしゃ)の随筆ずいひつ塩尻しおじり』によれば、神剣しんけんした関係かんけいしゃすうねんのうちにとがめをけたという[194]梅宮うめみや大社たいしゃ神職しんしょくしゃたれ神道しんとう学者がくしゃ玉木たまき正英まさひで(1671-1736ねん)の『たまくじしゅう裏書うらがきにある記載きさいは、明治めいじ31ねんの『神器じんぎ考証こうしょう』(栗田くりたひろしちょ)や『三種さんしゅ神器じんぎ考古学こうこがくてき検討けんとう』(後藤ごとう守一しゅいちちょ)で、られるようになった[194][197]上述じょうじゅつ著作ちょさくによれば、神剣しんけんまつられた土用どよう殿どの内部ないぶ雲霧うんむがたちこめていた[194]木製もくせいひつながしゃく)をつけてをけると、いしひつかれていてあいだ赤土あかつちめてあり、それをけるとさら赤土あかつちまっていて、なかにくりかれたくすのき丸木まるきがあり黄金おうごんかれていて、そのうえぬのつつまれたけんがあった[5][194]はこごとじょうがあり、だい宮司ぐうじ秘伝ひでんひとつのかぎすべてがひらくという。ぬのをほどいてけんると、ながさは2しゃく78すん(およそ85センチメートル)ほどで、刃先はさき菖蒲しょうぶており、けんなかほどはがっていてもとから6すん(およそ18センチメートル)ほどはふしってさかなの脊骨のようであり、全体ぜんたいてきしろっぽく、さびはなかったとある[194]。 この証言しょうげん記述きじゅつ)がただしければ、草薙くさなぎけん両刃りょうば白銅はくどうけんとなる[5][197]一方いっぽうで、後藤ごとう守一しゅいちは、(皇国こうこく史観しかん束縛そくばくがなくなった)太平洋戦争たいへいようせんそう終戦しゅうせん翌年よくねん(1946ねん)に明治大学めいじだいがくせん門部かとべ地理ちり歴史れきし夜学やがく)の講義こうぎで、神官しんかんぬすけん青黒あおぐろかったとの伝承でんしょう紹介しょうかいし、それが事実じじつなら、あかびるてつせいでなくおそらく青銅せいどうせいで、弥生やよい時代じだい九州きゅうしゅう文化ぶんかけん関連かんれんする可能かのうせいがあるとの推測すいそくべた(聴講ちょうこうした考古こうこ学者がくしゃ大塚おおつかはつじゅうによる回想かいそう[198]

なお神剣しんけんだい宮司ぐうじ流罪るざいとなり、ほかの神官しんかんたたりのやまいでことごとくくなり、さいわ一人ひとりだけなんまぬかれた松岡まつおか正直まさなおというもの相伝そうでんしたとの逸話いつわつたわっている[199][200]

明治めいじ時代じだい初期しょきには、草薙くさなぎけん調査ちょうさするため勅使ちょくし派遣はけんされた[5]最後さいごはこひらこうとしたとき三条さんじょう実美みみ当時とうじ太政大臣だじょうだいじん)から中止ちゅうし命令めいれいとどき、調査ちょうさおこなわれなかったという[5]川口かわぐちのぼる定本ていほん日本にっぽん刀剣とうけんぜん』には、「熱田あつただい宮司ぐうじ尾張おわりれん秘伝ひでん」として、神剣しんけん形状けいじょうおよびといだい(みひしろ)の想像そうぞう記載きさいされている[201]

昭和しょうわ天皇てんのう侍従じじゅうちょうであった入江いりえしょうせい著書ちょしょ[202]によると、太平洋戦争たいへいようせんそう当時とうじ空襲くうしゅうけるために長野ながのけん木曾きそ山中さんちゅう疎開そかいさせようとするも、ひつおおきすぎてはこぶのに難儀なんぎしたため、入江いりえ長剣ちょうけんよう短剣たんけんようの2種類しゅるいはこ用意よういし、昭和しょうわ天皇てんのうみことのりふうたずさえて熱田あつた神宮じんぐうおもむ唐櫃からびつけたところ、明治めいじ時代じだい侍従じじゅうちょう山岡やまおか鉄舟てっしゅう侍従じじゅうふう(1881ねん5がつ25にち)があり[166]、それをいたところで明治天皇めいじてんのうみことのりふうがあったという。実物じつぶつ検分けんぶんしていないが、短剣たんけんようひつおさめたという。

皇居こうきょ 編集へんしゅう

草薙くさなぎけん形代かたしろは、たかしかみ天皇てんのうときに「神器じんぎ同居どうきょするのはおそおおい」という理由りゆうつくられた[102][203]。『古語こご拾遺しゅうい』によれば、天目てんもくいち箇神イシコリドメ子孫しそんが「神鏡しんきょうてんあきら大神おおがみ)」と「形代かたしろけん」(もうひとつの草薙くさなぎけん)をつくり、天皇てんのう護身ごしんようとして宮中きゅうちゅうのこした[100][102][204]現在げんざい皇居こうきょの「けん璽のあいだ」に勾玉まがたまとともに安置あんちされているが、かつて水没すいぼつ源平げんぺい合戦かっせん)、奪取だっしゅ偽造ぎぞう南北なんぼくあさ時代じだい)、消失しょうしつ様々さまざま遍歴へんれき辿たどった[205]源平げんぺい合戦かっせんいち喪失そうしつしており、また伝説でんせつ神話しんわ異説いせつ記録きろくから、草薙くさなぎけん複数ふくすう存在そんざいするという考察こうさつもある[206]

平安へいあん時代じだい陽成ようぜい天皇てんのうだいじゅうななだい)は[207]宮中きゅうちゅうてん叢雲むらくもけん草薙くさなぎけん)をいたという伝説でんせつがある[13][208]夜間やかんにもかかわらず御殿ごてんなかは「ひらひらとひらめきひかり」、恐怖きょうふした天皇てんのうすとてん叢雲むらくもけんみずかさやもどったという[208][186]天徳てんとく4ねん(960ねん)9がつ内裏だいり火災かさいがあり神鏡しんきょう破損はそんしたが、神剣しんけん神璽しんじ無事ぶじだった[209]

どう時代じだい末期まっき源平げんぺい合戦かっせんおり[210]平家ひらか源氏げんじぐん源義経みなもとのよしつね源範頼みなもとののりよりひとし)にめられ、壇ノ浦だんのうらたたかにて滅亡めつぼうする[211][212]あまは、当時とうじ8さい安徳天皇あんとくてんのうおよび宝剣ほうけん草薙くさなぎけん/てん叢雲むらくもけん)・はちしゃく瓊勾だま神璽しんじ)をいて入水じゅすいした[213][214]。このとき勾玉まがたまかがみ源氏げんじぐん回収かいしゅうされたが[210]てん叢雲むらくもけん安徳天皇あんとくてんのうともうしなわれたという[215][216]。 『吾妻あづまきょう』では文治ぶんじいちねんさんがつじゅうよんにちじょうで「ひん禅尼ぜんにあま)は宝剣ほうけん草薙くさなぎけん)をって、按察のきょく先帝せんてい安徳天皇あんとくてんのう)をいだたてまつって、とも海底かいていぼっする」とある[217]たたかいののち同年どうねんよんがつじゅういちにちじょうに、たたかいでのたいらかた戦死せんししゃ捕虜ほりょ報告ほうこくつづいて「内侍所ないしどころはち咫鏡)と神璽しんじ八坂やさか瓊曲だま)はすが、宝剣ほうけん草薙くさなぎけん)は紛失ふんしつ」としるされている[218]。 また、安徳天皇あんとくてんのう都落みやこお即位そくいした後鳥羽ごとば天皇てんのうは、三種さんしゅ神器じんぎいまま即位そくいした[219][220]平家ひらか滅亡めつぼう朝廷ちょうていこう白河しらかわ法皇ほうおう後鳥羽ごとば天皇てんのう)と源氏げんじぐんみなもと頼朝よりとも母親ははおや熱田あつた神宮じんぐうだい宮司ぐうじむすめ[221]源範頼みなもとののりより源義経みなもとのよしつね)は必死ひっし宝剣ほうけん捜索そうさくをおこない、あせった源義経みなもとのよしつね宇佐うさ神宮じんぐう願文がんもんほうじている[222]朝廷ちょうていがわ寺社じしゃへの寄進きしん加持かじ祈祷きとうによる神仏しんぶつちから神剣しんけんさがそうとしたが、結局けっきょくつからなかった[223]やく20年間ねんかん清涼せいりょう殿どのけんひる御座ぎょざけん)で代用だいようする[224][225]。『百錬ひゃくれんしょうとうによれば、寿ことぶきひさしねん(1183ねん)に伊勢神宮いせじんぐう当時とうじ祭主さいしゅ御中おんちゅうしんおやしゅん)からこう白河しらかわ法皇ほうおう献上けんじょうされていたけん形代かたしろけんとしていた[226][225]うけたまわもと4ねん土御門天皇つちみかどてんのうから順徳天皇じゅんとくてんのうわるとき伊勢神宮いせじんぐうから神剣しんけんおくられ、これが草薙くさなぎけんとなった(順徳天皇じゅんとくてんのうきんしょう』)[227][228]。また一説いっせつには、従来じゅうらいから使用しようしていたひる御座ぎょざけん後鳥羽ごとば天皇てんのう践祚せんそとき伊勢神宮いせじんぐうから献上けんじょうしたもの)を、順徳天皇じゅんとくてんのう正式せいしき神器じんぎとしてあつかうようになったともいう[224]

南北なんぼくあさ時代じだい足利尊氏あしかがたかうじ足利あしかが幕府ばくふ以下いか北朝ほくちょう陣営じんえい対立たいりつした後醍醐天皇ごだいごてんのうは、三種さんしゅ神器じんぎ偽造ぎぞうひんつくらせたことがあった[229][230]光明こうみょう天皇てんのう北朝ほくちょう2だい)と後醍醐天皇ごだいごてんのう南朝なんちょう)は、たがいに「自分じぶんたち本当ほんとう三種さんしゅ神器じんぎっていて、相手あいてのものは偽物にせものだ」と主張しゅちょうした[231][232]神器じんぎめぐ混乱こんらんこう亀山天皇かめやまてんのう南朝なんちょうだい99だい[233]こう小松こまつ天皇てんのうだい100だい)に神器じんぎ譲渡ゆずりわたして、一応いちおう決着けっちゃくした[229][234][235]。 また室町むろまち時代ときよには南朝なんちょう遺臣いしんらによって勾玉まがたまとともに強奪ごうだつされたこと(禁闕きんけつへん)があったが、なぜかけんだけが翌日よくじつ清水寺きよみずでら発見はっけんされ回収かいしゅうされた[236]。これが現在げんざい皇居こうきょ御所ごしょの「けん璽のあいだ」に安置あんちされているけんである[13]

現在げんざい皇位こうい継承けいしょう発生はっせいさいには、ただちに「けん璽等承継しょうけい(けんじとうしょうけい)の」がおこなわれる[237]明治天皇めいじてんのうから大正天皇たいしょうてんのう場合ばあい1912ねん大正たいしょう元年がんねん7がつ30にちおこなわれた[238]7がつ29にち午後ごご1040ふん明治天皇めいじてんのう崩御ほうぎょ宝算ほうさん61さい)、よく7がつ30にち午前ごぜん043ぶん公式こうしき発表はっぴょういた[239]同日どうじつ午前ごぜん1宮城みやぎ宮中きゅうちゅうさん殿どのにおいて皇族こうぞく一同いちどう東郷とうごう平八郎へいはちろう山縣やまがた有朋ありともなど重鎮じゅうちんおよび内閣ないかく閣僚かくりょう多数たすう列席れっせきのもとけん渡御とぎょおこなわれた[240]大正天皇たいしょうてんのうから昭和しょうわ天皇てんのう場合ばあい1926ねん昭和しょうわ元年がんねん12月25にちおこなわれた[241][242]同日どうじつ午前ごぜん125ふん葉山はやま御用邸ごようてい附属ふぞくてい大正天皇たいしょうてんのう崩御ほうぎょ宝算ほうさん48さい[243]同日どうじつ午前ごぜん3ぎ、どう御用邸ごようてい附属ふぞくてい内謁ないえつ見所みどころにてけん渡御とぎょおこなわれ、高松宮たかまつのみや宣仁のぶひと親王しんのう伏見ふしみみやひろしきょうおうなど皇族こうぞく一同いちどう東郷とうごう平八郎へいはちろう元帥げんすいなど重鎮じゅうちん多数たすう若槻わかつき礼次郎れいじろう内閣ないかく総理そうり大臣だいじんなど内閣ないかく閣僚かくりょう一同いちどうった[242]

昭和しょうわ天皇てんのうから明仁あきひと場合ばあいは1989ねん平成へいせい元年がんねん1がつ7にち午前ごぜん1001ふん宮中きゅうちゅう正殿せいでんまつあいだおこなわれた[244][245]2019ねんれい元年がんねん)5がつ1にち明仁あきひとからとくひとしへの皇位こうい継承けいしょうでは日本国にっぽんこく憲法けんぽうもとづく国事こくじ行為こういとしておこなわれた。

伝承でんしょう 編集へんしゅう

熱田あつた神宮じんぐうやその末社まっしゃつたわる伝承でんしょうでは、ヤマトタケルのつまのミヤズヒメ(みやひめ)のかんは、火上山ひあげざんかん現在げんざい氷上ひかみ姉子あねこ神社じんじゃ場所ばしょ)であるとする[110]。そしてヤマトタケルの死後しご、ミヤズヒメは尾張おわり一族いちぞくともんでいた火上山ひあげざんかんけんをしばらくたてまつとき守護しゅごしていたが、のちけんまつるためにけん熱田あつたうつし、熱田あつた神宮じんぐうてたという。またしん道行みちゆきけんぬすんださいとおったとされるきよしゆきもんは「開門かいもん(あかずのもん)」「むらさきふじもん(しとうもん)」とばれる[190][246]。これは道行みちゆき神剣しんけんぬすときとおった不吉ふきつもんとされ、なんひゃくねんひらかれていないという(本来ほんらい北門きたもんだったが、現在げんざいてっしゃがわ移築いちくされ、ひがしき)[246]二度にど皇居こうきょうつされないようにするためともいわれる。さらにもちすべ天皇てんのう時代じだい698ねん)には、神剣しんけん妖気ようきしずめて日本にっぽんたけたかしみやひめたましいしずめるため、天皇てんのう神剣しんけん熱田あつた神宮じんぐうから氷上ひかみ姉子あねこ神社じんじゃうつそうと計画けいかくしていたが、4ねんくなったためかなわなかったという。 また、現在げんざい愛知あいちけん名古屋なごや昭和しょうわ村雲むらくもまち由来ゆらいになったというせつがある。そのほか、静岡しずおか清水しみず草薙くさなぎは、神話しんわじょうおなじエピソードに関連かんれんするといわれる。

しん道行みちゆきけんぬすまれたのちけんもど皇居こうきょうつされることとなったが、熱田あつた神宮じんぐう返還へんかんされる以前いぜんに、現在げんざい奈良ならけん天理てんりにある出雲いずもけん神社じんじゃうつされ、けんたてまつときされていたとされる。出雲いずもけん神社じんじゃは、ご神体しんたい草薙くさなぎつるぎあらたましい(あらみたま)とされており、天武天皇てんむてんのうにより677ねん創設そうせつされた。

源平げんぺい合戦かっせん壇ノ浦だんのうらたたかにおける神剣しんけん草薙くさなぎけん/てん叢雲むらくもけん)の喪失そうしつは、人々ひとびとおおきな衝撃しょうげきあたえた[247]安徳天皇あんとくてんのうともうしなわれた神剣しんけんは、たかしかみ天皇てんのう時代じだいにつくられた宮中きゅうちゅう形代かたしろであるが[248]戔嗚みことはち岐大へびからした「てん叢雲むらくもけんそのもの」と做すしゃおおかった[247][249]天台座主てんだいざしゅ慈円じえんは『かんしょう』において「安徳天皇あんとくてんのう平清盛たいらのきよもり請願せいがんにより厳島いつくしま明神みょうじん厳島いつくしま神社じんじゃ)が化生かせい(けしょう)した存在そんざいだから竜王りゅうおうむすめであり、宝剣ほうけんともうみそこかえっていったのだろう」と推測すいそく[250][251]。 また「武士ぶしひょうって天皇てんのうまもるようになったため、天皇てんのう武力ぶりょく象徴しょうちょうたる宝剣ほうけん天皇てんのうからうしなわれた(宝剣ほうけん役目やくめえたので、うしなわれることを天照大御神あまてらすおおみかみ八幡はちまんだい菩薩ぼさつゆるしたのだ)」と考察こうさつしている[247][252][15]

徳島とくしまけん剣山けんざんには、安徳天皇あんとくてんのうてん叢雲むらくもけんおさめたという伝説でんせつがある[253]神剣しんけん奉納ほうのうにより太郎山たろうさんからげんしょうの「剣山けんざん」にわり、山頂さんちょうけん神社じんじゃ本宮ほんぐう戔男みこと安徳天皇あんとくてんのうまつったという[254]

平家ひらか物語ものがたり』では、陰陽いんようりょう博士はかせ言葉ことばとして「むかし出雲いずもこくこえかわうえにて戔烏みこところされほう大蛇おろち靈劍れいけんを惜むこころざしふかくしてはちくび(かしら)はちひょうごと(へうじ)としてひとおうはちじゅうだいのちはちさいみかど(みかど)となり靈劍れいけんかえして海底かいていしずきゅうふにこそ。」(八頭やつがしら八尾やおはち岐大へびはスサノオにうばわれた霊剣れいけん草薙くさなぎけん〉をしむ気持きもちがふかく、ひとおうはちじゅうだい安徳天皇あんとくてんのうとなり、はちさいときてん叢雲むらくもけんかえして海底かいていかえっていった)と記述きじゅつしている[36][247][255]。 『太平たいへい』でも「安徳天皇あんとくてんのうはち岐大へび化身けしんで、宝剣ほうけんともりゅう宮城みやぎかえった」という伝承でんしょう採用さいようしている[256][257]。 なお源平げんぺい合戦かっせん時代じだい安徳天皇あんとくてんのうだい81だい天皇てんのう)は[258]神功じんぐう皇后こうごうだい15だい天皇てんのう[259]大友皇子おおとものおうじ/弘文天皇こうぶんてんのうだい39だい天皇てんのう明治めいじ3ねん認定にんてい)にかぞえなかった場合ばあい[260][261]だい80だい天皇てんのうとなる[247]

源平げんぺい盛衰せいすい』では、法華経ほけきょうをまとった海女あま神剣しんけんさがすためりゅう宮城みやぎき、宝剣ほうけんてん叢雲むらくもけん/草薙くさなぎけん)をくちにくわえた大蛇おろちと、安徳あんとくみかど出会であったとべている[36]大蛇おろちかたったところによれば、宝剣ほうけん元々もともと竜宮りゅうぐうたからであり、スサノオにたおされたヤマタノオロチは大蛇おろち次男じなんであったという[251]。ヤマタノオロチは伊吹山いぶきやま大蛇おろちになってヤマトタケルをたおしたが、宝剣ほうけんもどせなかった[251]なん人間にんげん転生てんせいして奪還だっかんこころみたが失敗しっぱいし、安徳天皇あんとくてんのう転生てんせいしてようやく宝剣ほうけんもどせたとする[251]

太平たいへいだい25かんでは伊勢いせこくより「てんあきら大神おおがみ竜宮りゅうぐうたい神剣しんけん返上へんじょうするよう命令めいれいし、それによって海岸かいがんげられた」という「ひかけん」が献上けんじょうされる[262][263]日野ひのあきら足利あしかが直義ただよしいたるは「本物ほんもの神剣しんけん」と主張しゅちょうする[264]。だが勧修寺かんしゅうじけいあらわ反対はんたいし、けん平野ひらの神社じんじゃあづけられたという[265]

てん叢雲むらくもけん本来ほんらいぬしてんあきら大神おおがみであり、てん岩戸いわとがくさいおとしたという伝承でんしょうがある[203][104]はやし道春どうしゅん本朝ほんちょう神社じんじゃこう』の「熱田あつた」のらんにスサノオがてんあきら大神だいじん奉納ほうのうするさい、「わがてんいわおにかくれしとき、此のけんきんしゅうぬのやまとす。神剣しんけんなり。」との記述きじゅつがあり[266]、また源平げんぺい盛衰せいすいまきよんじゅうよんにも「太神おおがだいえつましまして、われ天岩戸あまのいわとに閉籠しとき近江おうみこくきも吹嶺たりしけんなりとぞあおのける。」とある[267]

天皇てんのう皇太子こうたいし刀剣とうけん 編集へんしゅう

てん叢雲むらくもけんレガリア役割やくわり天皇てんのう所有しょゆうするもっと重要じゅうよう刀剣とうけんであり、即位そくいれい大嘗祭だいじょうさい実施じっし宮中きゅうちゅうさん殿どの奉告ほうこくするなどの重要じゅうようたか皇室こうしつ儀式ぎしきさい天皇てんのうしたが従者じゅうしゃはこはいったこれをかかげてのぞむが、このほかの勅使ちょくしはつなどの皇室こうしつ儀式ぎしきさい天皇てんのうしたが従者じゅうしゃかかげる太刀たちが、天皇てんのうまもがたなの2ひる御座ぎょざ御剣みつるぎ(ひのおましのぎょけん)であり、平安へいあんから鎌倉かまくらの「豊後ぶんごこく行平ゆきひら」と「備前びぜんこく長光ちょうこう」の太刀たちがその役割やくわりになっている[268]

皇太子こうたいし東宮とうぐう相伝そうでん刀剣とうけんとしてはてん叢雲むらくもけんじゅんずるレガリアてき存在そんざい太刀たちとしてつぼきり御剣みつるぎがある。つぼきり御剣みつるぎは、三種さんしゅ神器じんぎ宮中きゅうちゅうさん殿どのとともにいわゆる由緒ゆいしょぶつなかでも別格べっかくあつかいをけており[269]立太子りったいしたて皇嗣こうし)ととも天皇てんのうから親授しんじゅされる。またつぼきり御剣みつるぎ親授しんじゅ先立さきだって行平ゆきひら御剣みつるぎひる御座ぎょざ御剣みつるぎおながたな工作こうさく)も相伝そうでんされる[270]

このほかにも天皇てんのう皇族こうぞく鬼丸おにまるなどのおおくの刀剣とうけんゆうしており、それらは皇族こうぞく私有しゆうひん御物ぎょもつとして管理かんりされている。また皇族こうぞくからくに寄贈きぞうされた刀剣とうけんさんまるなお蔵館くらだて収蔵しゅうぞうされている。これらの皇族こうぞく由来ゆらい刀剣とうけん文化財ぶんかざい文化財ぶんかざい保護ほごほう対象たいしょうがいであり、いずれも国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざいには指定していされていない。

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

  1. ^ a b c d 日本にっぽんがたなだい百科ひゃっか事典じてん1かん53-54ぺーじあめのむらくものつるぎてん叢雲むらくもけん
  2. ^ #かみすめらぎ正統せいとうせんコマ33(原本げんぽん16-17ぺーじ)「いちさん はち岐大へび
  3. ^ 岩波いわなみ日本書紀にほんしょき1かん95ぺーじ(ちゅういちよん)
  4. ^ 岩波いわなみ日本書紀にほんしょき(1)375-378ぺーじ「(まきだい)補注ほちゅういちきゅう さんしゅ神宝しんぽう(いちさんぺーじちゅういち)」
  5. ^ a b c d e f g 福永ふくなが日本にっぽんがたなだい百科ひゃっか事典じてん2かん140-141ぺーじくさなぎのつるぎ草薙くさなぎけん
  6. ^ a b 岩波いわなみ日本書紀にほんしょき(1)92ぺーじ
  7. ^ こんぶん古事記こじきコマ25(原本げんぽん29ぺーじ)〔△牟刈太刀たち 鋭利えいりなる大刀たちをほめたるしょう
  8. ^ a b c 西郷さいごう1975、古事記こじき注釈ちゅうしゃくいちかん379-380ぺーじ「○《くさなぎ大刀たち》」
  9. ^ 皇国こうこく敬神けいしんかい へん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション かんぬさ大社たいしゃ熱田あつた神宮じんぐう」『全国ぜんこく有名ゆうめい神社じんじゃ写真しゃしんじょう皇国こうこく敬神けいしんかい、1922ねん12月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966854/10 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション 
  10. ^ 岩波いわなみ日本書紀にほんしょき(2)108ぺーじ(本文ほんぶん)、109ぺーじ(ちゅうろく)
  11. ^ うばわれた三種さんしゅ神器じんぎ10-11ぺーじ三種さんしゅ神器じんぎとはなにか」
  12. ^ 伊勢神宮いせじんぐう三種さんしゅ神器じんぎ195-196ぺーじ「(2)三種さんしゅ神器じんぎ神話しんわ歴史れきし
  13. ^ a b c d e f g h 日本にっぽんがたなだい百科ひゃっか事典じてん1かん110-111ぺーじいまのほうけんいま宝剣ほうけん
  14. ^ #かみすめらぎ正統せいとうせんコマ35-36(原本げんぽん20-22ぺーじ)「いちなな さんしゅ神器じんぎろん
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関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう