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玉蔵院 (さいたま市) - Wikipedia

玉蔵たまくらいん (さいたま)

埼玉さいたまけんさいたま浦和うらわにある真言宗しんごんしゅう豊山とよやま寺院じいん

玉蔵たまくらいん(ぎょくぞういん)は、埼玉さいたまけんさいたま浦和うらわにある真言宗しんごんしゅう豊山とよやま寺院じいん山号さんごう宝珠山ほうしゅやま本尊ほんぞん大日如来だいにちにょらい座像ざぞう北足立きたあだちはちじゅうはち箇所かしょ霊場れいじょう55ばん、88ばん札所ふだしょ[2]本堂ほんどうよこには樹齢じゅれい100ねん以上いじょうしだれさくらがあり、さくら名所めいしょとして有名ゆうめいである。

玉蔵たまくらいん
所在地しょざいち 埼玉さいたまけんさいたま浦和うらわ仲町なかまち2丁目ちょうめ13-22
位置いち 北緯ほくい3551ふん32.3びょう 東経とうけい13939ふん07.4びょう / 北緯ほくい35.858972 東経とうけい139.652056 / 35.858972; 139.652056座標ざひょう: 北緯ほくい3551ふん32.3びょう 東経とうけい13939ふん07.4びょう / 北緯ほくい35.858972 東経とうけい139.652056 / 35.858972; 139.652056
山号さんごう 宝珠山ほうしゅやま[1]
宗派しゅうは 真言宗しんごんしゅう豊山とよやま
本尊ほんぞん 大日如来だいにちにょらい[1]
創建そうけんねん 平安へいあん時代じだい
中興ちゅうこうねん 戦国せんごく時代じだい
中興ちゅうこう しるしとおる[1]
正式せいしきめい 寶珠山ほうしゅやま延命寺えんめいじ玉藏たまくらいん
別称べっしょう山号さんごう宝珠山ほうしゅやま[1]
札所ふだしょとう 北足立きたあだちはちじゅうはち箇所かしょ霊場れいじょう55ばん、88ばん
文化財ぶんかざい 木造もくぞう地蔵じぞう菩薩ぼさつ立像りつぞう1軀、絹本けんぽん着色ちゃくしょくりょうさかい曼荼羅まんだら2ぶく玉蔵たまくらいん文書ぶんしょ328つう以上いじょう埼玉さいたまけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい)、玉蔵たまくらいん地蔵堂じぞうどう玉蔵たまくらいん山門さんもん酒井さかい忠世ただよ書状しょじょう1ぶく玉蔵たまくらいん寺領じりょう寄進きしんじょうおよ朱印しゅいんじょう12つう守護しゅごさむらい不入ふにゅうせきくい1以上いじょうさいたま指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい
法人ほうじん番号ばんごう 5030005000038 ウィキデータを編集
玉蔵院の位置(埼玉県内)
玉蔵院
玉蔵たまくらいん
玉蔵たまくらいん (埼玉さいたまけん)
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玉蔵たまくらいん正面しょうめん
玉蔵たまくらいんのしだれさくら

伝承でんしょうによれば平安へいあん時代じだい初期しょき空海くうかいにより創建そうけんされたという。戦国せんごく時代じだい醍醐寺だいごじ三宝さんぼういんちょく末寺まつじとなった。また、学僧がくそうしるしとおる中興ちゅうこうした。1591ねん徳川とくがわ家康いえやすが10せき寺領じりょう寄進きしん江戸えど時代じだい長谷寺はせでら移転いてんてらとして出世しゅっせ1699ねん12月伽藍がらん焼失しょうしつ本堂ほんどう1701ねん再建さいけんされ、以後いご徐々じょじょ復興ふっこう1710ねん本尊ほんぞん大日如来だいにちにょらい坐像ざぞう完成かんせい昭和しょうわ20年代ねんだい墓地ぼち区画くかく整理せいりおこなわれ、墓地ぼち市内しない原山はらやまみどり)に移転いてんした。[3][2]江戸えど時代じだい浦和うらわ宿やどおこ以前いぜん浦和うらわ玉蔵たまくらいん調しらべ神社じんじゃ門前もんぜまちとしてさかえていた。戦後せんご境内けいだい整備せいびした浦和うらわ中央ちゅうおう公園こうえん隣接りんせつしている。

文化財ぶんかざい

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埼玉さいたまけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい

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  • 木造もくぞう地蔵じぞう菩薩ぼさつ立像りつぞう 1軀
  • 絹本けんぽん着色ちゃくしょくりょうさかい曼荼羅まんだら 2ぶく
  • 玉蔵たまくらいん文書ぶんしょ 328つう

さいたま指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい

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  • 玉蔵たまくらいん地蔵堂じぞうどう
  • 玉蔵たまくらいん山門さんもん
  • 酒井さかい忠世ただよ書状しょじょう 1ぶく
  • 玉蔵たまくらいん寺領じりょう寄進きしんじょうおよ朱印しゅいんじょう 12つう
  • 守護しゅごさむらい不入ふにゅうせきくい 1

行事ぎょうじ

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8がつ23にち施餓鬼せがきおこなわれる。玉蔵たまくらいん施餓鬼せがき関東かんとうさんだい施餓鬼せがきひとつである。この起源きげん1800ねんころわれる[2]

周辺しゅうへん施設しせつ道路どうろ

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玉蔵たまくらいんどお

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d 新編しんぺん武蔵むさし風土記ふどき稿こう 浦和うらわ宿やど.
  2. ^ a b c さいたま探訪たんぼうコース-玉蔵たまくらいん - さいたま商工しょうこう会議かいぎしょ
  3. ^ 玉蔵たまくらいん - 公益社こうえきしゃだん法人ほうじんさいたま観光かんこう国際こくさい協会きょうかい
  4. ^ さいたま都市としきょく都市とし計画けいかく都市とし総務そうむさいたま景観けいかんストーリーVol.10 たまぞういん」『さいたま korekara だい30ごう』、さいたま、2019ねん10がつ、11ぺーじ 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 青木あおきよしおさむ ちょ浦和うらわ郷土きょうど文化ぶんかかいへん へん玉蔵たまくらいん』(改訂かいていばん)さきたま出版会しゅっぱんかい浦和うらわ歴史れきし文化ぶんか叢書そうしょ; 3〉、2002ねんISBN 4878913630NCID BA59337009OCLC 675486608 

関連かんれん項目こうもく

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