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白鳥の湖 - Wikipedia

白鳥はくちょうみずうみ

バレエ作品さくひん

白鳥はくちょうみずうみ』(はくちょうのみずうみ、 : Лебединое озеро, ふつ: Le Lac des cygnes, えい: Swan Lake)は、ピョートル・チャイコフスキー作曲さっきょくしたバレエ音楽おんがく作品さくひん20)、およびそれをもちいたバレエ作品さくひんである[2]

白鳥はくちょうみずうみ
Лебединое озеро
白鳥はくちょうみずうみ』オデットと王子おうじパ・ド・ドゥ
プティパ=イワノフばん
構成こうせい 3まく4じょう
振付ふりつけ M・プティパL・イワノフ
作曲さっきょく P・チャイコフスキー
編曲へんきょく R・ドリゴ
台本だいほん V・ベギチェフ、V・ゲリツェル(M・チャイコフスキー改訂かいてい
美術びじゅつ M・I・ボチャーロフ、H・レヴォット[1]
初演しょえん 1895ねん1がつ15にち
ロシア旧暦きゅうれき1がつ27にち
マリインスキー劇場げきじょう
おも初演しょえんしゃ 【オデット/オディール】P・レニャーニ
王子おうじP・ゲルト
ポータル 舞台ぶたい芸術げいじゅつ
ポータル クラシック音楽おんがく
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バレエ『白鳥はくちょうみずうみぜんまく
バレエ『白鳥はくちょうみずうみ』(ぜんまく
キーロフ・バレエ出演しゅつえんK・セルゲエフ英語えいごばん改訂かいてい振付ふりつけV・フェドートフ指揮しきマリインスキー劇場げきじょう管弦楽かんげんがくだん演奏えんそう
ワーナー・クラシックス英語えいごばん公式こうしきYouTubeより

ほんさくは、チャイコフスキーがはじめて発表はっぴょうしたバレエ音楽おんがくである[注釈ちゅうしゃく 1]。1877ねんモスクワボリショイ劇場げきじょう初演しょえんされたさいはあまり評価ひょうかられなかったが、チャイコフスキーの没後ぼつご振付ふりつけマリウス・プティパレフ・イワノフ大幅おおはば改訂かいていおこない、1895ねんサンクトペテルブルクマリインスキー劇場げきじょうえんじした[1]現在げんざい上演じょうえんされている『白鳥はくちょうみずうみ』のほとんどは、プティパ=イワノフばんもととしている[1]

ほんさくは、ドイツ舞台ぶたいに、悪魔あくまのろ白鳥しらとり姿すがたえられた王女おうじょオデットと、王子おうじジークフリートとの悲恋ひれんえがいた物語ものがたりである[3][4]クラシック・バレエ代表だいひょうする作品さくひんひとつであり、おなじくチャイコフスキーが作曲さっきょくした『ねむれるもり美女びじょ』『くるみ人形にんぎょう』とともに「3だいバレエ」ともばれている[5]

上演じょうえん

編集へんしゅう

創作そうさく背景はいけい

編集へんしゅう
 
初演しょえんばん舞台ぶたいデザイン

1875ねんはる、チャイコフスキーは、ボリショイ劇場げきじょうからバレエ音楽おんがく白鳥はくちょうみずうみ』の作曲さっきょく依頼いらいされた[6]当時とうじのバレエ音楽おんがくは、バレエせんもん作曲さっきょく手掛てがける職人しょくにんてき仕事しごとであり、オペラ交響曲こうきょうきょくくらべて芸術げいじゅつてき価値かちひくいとみなされていた[7][8]。チャイコフスキーはすでにオペラや交響こうきょうきょく分野ぶんや成功せいこうおさめていたが、以前いぜんからバレエ音楽おんがく興味きょうみっていたこともあり、作曲さっきょく承諾しょうだくした[8]。チャイコフスキーは友人ゆうじんリムスキー=コルサコフてた手紙てがみで、「この仕事しごとけたのはひとつにはおかねのためと、もうひとつはながあいだこのたね音楽おんがくいてみたかったからだ」といている[8]

白鳥はくちょうみずうみ』の創作そうさく過程かていについては不明ふめいてんおおいが、台本だいほんは、ボリショイ劇場げきじょう管理かんり部長ぶちょうであったウラジミール・ベギチェフと、ダンサーであったワシリー・ゲリツェルが手掛てがけたとされる[8][9]。また、チャイコフスキーは作曲さっきょくたり、振付ふりつけウェンツェル・レイジンゲル英語えいごばんわせをおこなっていたと推測すいそくされる[10]。チャイコフスキーは1875ねんなつ作曲さっきょくはじめ、よく1876ねんはる完成かんせいさせた[11]

初演しょえん(1877ねん・レイジンゲルばん

編集へんしゅう
 
初演しょえんしゃ一人ひとりであるA・ソベシチャンスカヤ

1877ねん3月4にちロシア旧暦きゅうれき2がつ20日はつか)、ボリショイ劇場げきじょうにおいて、レイジンゲル振付ふりつけによる4まくのバレエ『白鳥はくちょうみずうみ』が初演しょえんされた[12]主演しゅえんのオデットやく(オディールやくとの一人ひとりやく)はダブルキャストで、初日しょにちから3かいはペラゲーヤ・カルパコワが、4かいはアンナ・ソベシチャンスカヤがえんじた[注釈ちゅうしゃく 2][13][14]本当ほんとうであれば、主役しゅやくのオデットをえんじる予定よていだったバレリーナは、アンナ・ソベシチャンスカヤだったが、モスクワの高官こうかんからの結婚けっこん承諾しょうだくしたのち、プレゼントされた宝石ほうせきをすべて売却ばいきゃくし、仲間なかまのダンサーとちしたと告発こくはつされ、解任かいにんされてしまった。

この公演こうえんは、振付ふりつけ舞台ぶたい美術びじゅつ・ダンサー・指揮しきしゃなどの水準すいじゅんひくかったことや、従来じゅうらいのバレエ音楽おんがくとはことなるチャイコフスキーの高度こうど楽曲がっきょく観客かんきゃく理解りかいされなかったことから、失敗しっぱいわったというのが通説つうせつである[15]

作曲さっきょくおとうと、モデスト・チャイコフスキーは、「作品さくひんまずしさ、すぐれたダンサーの不在ふざい、バレエマスターの想像そうぞうりょくよわさ、そして最後さいごにオーケストラ……これらすべてがあいまって、(チャイコフスキーは)失敗しっぱい責任せきにん他人たにんわせることができたのだ」としるしている[16]

しかし、完全かんぜん失敗しっぱいだったというせつには疑問ぎもんていされており、実際じっさいには観客かんきゃく評判ひょうばん賛否さんぴ両論りょうろんであったこと、初演しょえん以降いこうかえ上演じょうえんされており一定いってい人気にんきあつめていたこと、などが指摘してきされている[17]

レイジンゲルばん白鳥はくちょうみずうみ』は41かい上演じょうえんされたが、1883ねん1がつ上演じょうえん最後さいごにボリショイ劇場げきじょうのレパートリーからはずされてしまった[18]。その背景はいけいには、当時とうじのボリショイ劇場げきじょう経費けいひ人員じんいん削減さくげんすすめられていたという事情じじょうがあるとかんがえられている[18]。その1888ねんプラハだい2まく抜粋ばっすい上演じょうえんおこなわれるなど、再演さいえんこころみはあったものの、本格ほんかくてきぜんまく復活ふっかつ上演じょうえんは、後述こうじゅつするプティパ=イワノフばんまでたなければならなかった[19]

なお、初演しょえんばんかんしては、オディールがおどる「黒鳥くろとりグラン・パ・ド・ドゥ」の追加ついかきょくにまつわるエピソードが有名ゆうめいである[13]だい2キャストとして主演しゅえんしたソベシチャンスカヤは、自分じぶんやすため、レオン・ミンクス追加ついか楽曲がっきょくつくらせたが、そのことをったチャイコフスキーはもう反対はんたいし、みずかつくった新曲しんきょく挿入そうにゅうした[13]。このきょく上演じょうえんしばらくわすれられていたが、1953ねんさい発見はっけんされ、ウラジーミル・ブルメイステル英語えいごばんによるしん演出えんしゅつばん白鳥はくちょうみずうみ』で一部いちぶもちいられたほか、ジョージ・バランシンの『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』(1960ねん)で全曲ぜんきょく使用しようされた[13]

えんじ(1895ねん・プティパ=イワノフばん

編集へんしゅう
 
えんじばんのオデットと白鳥はくちょうたち(1895ねん
 
えんじばん主演しゅえんしたP・レニャーニ

1890年代ねんだい初頭しょとうサンクトペテルブルクマリインスキー劇場げきじょうでは、劇場げきじょう支配人しはいにんイワン・フセヴォロジスキー英語えいごばん主導しゅどうした、チャイコフスキー作曲さっきょくのバレエ『ねむれるもり美女びじょ』(1890ねん)と『くるみ人形にんぎょう』(1892ねん)が相次あいついで制作せいさくされていた[20]。フセヴォロジスキーはこのあいだ、あるいはそれ以前いぜんから『白鳥はくちょうみずうみ』の再演さいえん計画けいかくしていたが、1893ねん10月にチャイコフスキーが急逝きゅうせいする[20]。そこで急遽きゅうきょよく1894ねん2がつのチャイコフスキー追悼ついとう演奏えんそうかいにおいて、『白鳥はくちょうみずうみだい2まく湖畔こはん場面ばめん抜粋ばっすい上演じょうえんされることになった[21]振付ふりつけはマリインスキー劇場げきじょうふくバレエマスターであったレフ・イワノフ、オデットやくピエリーナ・レニャーニ王子おうじジークフリートやくパーヴェル・ゲルトつとめた[1][22]。この公演こうえん好評こうひょうはくしたことから、ぜんまくえんじけた準備じゅんび開始かいしされた[22]

えんじにあたっては、台本だいほん振付ふりつけ音楽おんがく大幅おおはば改訂かいていおこなわれた。台本だいほん改訂かいてい経緯けいい複雑ふくざつであるが、まずチャイコフスキーのおとうとであるモデスト改訂かいていおこない、さらにフセヴォロジスキーの意見いけんもとづく修正しゅうせいくわえられたとかんがえられている[23]。この過程かていで、全体ぜんたい構成こうせいが4まくから3まく変更へんこうされ、初演しょえんだい1まくだい2まくは、だい1まくだい1じょうだい2じょうとなった[24]。また内容ないようめんでは、全体ぜんたいてき物語ものがたり簡素かんそし、王子おうじジークフリートの性格せいかくをよりこのましいものにするなどの改変かいへんおこなわれた[25]結末けつまつ展開てんかいおおきく変更へんこうされた。初演しょえんでは王子おうじがオデットのいのちうばい、2人ふたり洪水こうずいながされるという結末けつまつであったのにたいし、改訂かいていは、オデットがみずかえらんで王子おうじい、2人ふたり犠牲ぎせいによって悪魔あくまほろびるという筋書すじがきになった[23][26]

振付ふりつけは、抜粋ばっすい上演じょうえん振付ふりつけ担当たんとうしたイワノフと、かれでマリインスキー劇場げきじょう首席しゅせきバレエマスターであったマリウス・プティパ分担ぶんたんしてった[26][27]具体ぐたいてき分担ぶんたんは、だい1まくだい1じょううたげ場面ばめんはプティパ、だい1まくだい2じょう湖畔こはん場面ばめんはイワノフ、だい2まく舞踏ぶとうかい場面ばめんはプティパ(ただしナポリとハンガリーのおどりのみイワノフ)、だい3まく湖畔こはん場面ばめんはプティパの原案げんあんもとにイワノフ、というものであった[26]

音楽おんがくリッカルド・ドリゴが、原曲げんきょく一部いちぶ削除さくじょきょくじゅんえ、チャイコフスキーのべつ楽曲がっきょく挿入そうにゅうなどにより全面ぜんめんてき改訂かいていし、実際じっさい上演じょうえんたってはさらに改変かいへんくわえられた[26][28]。この改訂かいていにより原曲げんきょくの4ぶんの1ほどが削除さくじょされ、チャイコフスキーが緻密ちみつてた音楽おんがくてき構成こうせいくずれてしまったが、一方いっぽう舞踊ぶようげきとしての構成こうせい改善かいぜんされ、おどりの全体ぜんたいにバランスよく配置はいちされた[29]

1895ねん1がつ15にち(ロシア旧暦きゅうれき1がつ27にち)、マリインスキー劇場げきじょうにおいて『白鳥はくちょうみずうみぜんまくえんじおこなわれた[30]主演しゅえんは、前年ぜんねん抜粋ばっすい上演じょうえんおなじくレニャーニとゲルトがつとめ、この公演こうえんはチケットが完売かんばいするほどの評判ひょうばんとなった[1][31]

改訂かいてい演出えんしゅつ

編集へんしゅう

1895ねんえんじ以降いこうおおくの振付ふりつけが『白鳥はくちょうみずうみ』の改訂かいていばん創作そうさくしている。そのおおくはプティパ=イワノフばんもとにしているが、こまかい筋書すじがきや構成こうせい演出えんしゅつによってことなる。以下いか代表だいひょうてき改訂かいてい演出えんしゅつとその特徴とくちょうげる(括弧かっこない初演しょえんねんおよび初演しょえんバレエだん)。

ボリショイ劇場げきじょうのバレエマスターであったゴルスキーは、4かいにわたりほんさく改訂かいていばん発表はっぴょうしたが、なかでも特徴とくちょうてきなのは1920ねんはんである。このはんでは、『白鳥はくちょうみずうみ』の上演じょうえん史上しじょうはじめてハッピーエンド採用さいようし、終幕しゅうまく悪魔あくまたおしたオデットと王子おうじが、いのちとさず現世げんせいむすばれるという展開てんかいをとった[33][34]。その背景はいけいには、内戦ないせんつづいていた当時とうじソ連それん社会しゃかいにおいて、勧善懲悪かんぜんちょうあく物語ものがたりもとめられていたことがある[33]ほかにも、宮廷きゅうてい場面ばめん道化どうけ登場とうじょうさせたり、従来じゅうらい一人ひとりやくであったオデットとオディールを別々べつべつのダンサーにおどらせたりといったあらたな演出えんしゅつこころみられた[33]。ただし、このはんには守旧しゅきゅうからの批判ひはんおおかったため、1922ねんはんではオデットとオディールはふたたいちにんやくとなり、終幕しゅうまく悲劇ひげきてきなものにもどされた[33]。しかし、1937ねんアサフ・メッセレル英語えいごばんがゴルスキーばん改訂かいていしたさいは、ふたたびハッピーエンドが採用さいようされた[33]
マリインスキー劇場げきじょう舞台ぶたい監督かんとくであったセルゲエフは、ロシア革命かくめいのち亡命ぼうめいしたさい、プティパ=イワノフばんの『白鳥はくちょうみずうみ』をふく舞踊ぶようしており、それをもとにヴィック・ウェルズ・バレエ(現在げんざい英国えいこくロイヤル・バレエだん)にほんさくけた[35]。この作品さくひんは、西にしヨーロッパはつの『白鳥はくちょうみずうみぜんまく上演じょうえんとなった[35]。その、ロイヤル・バレエだんでは、セルゲエフばんもとに、ニネット・ド・ヴァロアフレデリック・アシュトンアンソニー・ダウエルらによる改訂かいていかさねられた[35]
プティパ=イワノフばん初演しょえんしたマリインスキー劇場げきじょうでは、幾度いくどほんさく改訂かいていおこなわれたが、そのなかもっとながえんじられてきたのがセルゲエフばんである[36][37]。プティパ=イワノフばん雰囲気ふんいきまもりつつも、リアリズムてき演出えんしゅつれたことが特徴とくちょうであり、結末けつまつは、王子おうじ悪魔あくまいちにより、悪魔あくま羽根はねをもがれてぬというものになっている[38]
  • V・ブルメイステル英語えいごばんはん1953ねん、スタニスラフスキーおよびネミロヴィチ=ダンチェンコ劇場げきじょうモスクワ・アカデミー音楽おんがく劇場げきじょうバレエ(げん・モスクワ音楽おんがく劇場げきじょうバレエ)[39]
このはん特徴とくちょうは、楽曲がっきょく構成こうせいをできるかぎり1877ねん初演しょえんばんちかづけたことである[40]。たとえば「黒鳥くろとりのグラン・パ・ド・ドゥ」では、プティパ=イワノフばんとはことなり、初演しょえんにソベシチャンスカヤのためにつくられた追加ついか楽曲がっきょく使用しようされた(ただし、オディールのヴァリアシオンとコーダは、原曲げんきょくの「パ・ド・シス」より最後さいごの2きょくもちいられている)[40]全体ぜんたい構成こうせいはプロローグ・エピローグぜん4まくであり、プロローグで悪魔あくまがオデットにのろいをかける場面ばめんえんじられることで、物語ものがたり発端ほったん理解りかいしやすくなっている[40]。また、エピローグでは悪魔あくまほろび、オデットが人間にんげんもど様子ようすえんじられる[40]
 
ヌレエフはん上演じょうえん(2004ねん

ソ連それんでは、ゴルスキー=メッセレルばん以降いこうぜんあくほろぼすハッピーエンドの演出えんしゅつおおまれたが、西にしヨーロッパでは、オデットと王子おうじわる悲劇ひげきてき演出えんしゅつ主流しゅりゅうとなった[41]ドイツシュトゥットガルト・バレエだん初演しょえんされたジョン・クランコはん(1963ねん)や、その影響えいきょうけたルドルフ・ヌレエフはん(1964ねん)などが代表だいひょうてきである[41]

また、初演しょえんばんから踏襲とうしゅうされてきた物語ものがたり設定せっていおおきく変更へんこうし、現代げんだいてきさい解釈かいしゃくした演出えんしゅつもある。王子おうじジークフリートをバイエルンおうルードヴィヒ2せいかさわせたジョン・ノイマイヤーはん(1976ねん)、男性だんせいダンサーが白鳥はくちょうえんじたマシュー・ボーンばん(1995ねん)、英国えいこく王室おうしつダイアナもとをオデットのモデルとしたグレアム・マーフィ英語えいごばんはん(2002ねん)などがげられる[42][43]

日本にっぽんでの上演じょうえん

編集へんしゅう

日本にっぽんにおける『白鳥はくちょうみずうみぜんまく初演しょえんは、1946ねん8がつ9にちから同月どうげつ30にちまで、帝国ていこく劇場げきじょうにて東京とうきょうバレエだんおこなった公演こうえんである[44]。そのも、ほんさく国内外こくないがいのバレエだんによって頻繁ひんぱん上演じょうえんされている[注釈ちゅうしゃく 3]日本にっぽん手掛てがけられたほんさく改訂かいてい演出えんしゅつには、清水しみず哲太郎てつたろうはんしん白鳥はくちょうみずうみ』(1994ねん)や、熊川くまかわ哲也てつやはん(2003ねん)などがある[42][45]

物語ものがたり

編集へんしゅう

原作げんさく

編集へんしゅう

白鳥はくちょうみずうみ』は、悪魔あくまのろいによって白鳥はくちょう姿すがたえられた王女おうじょ物語ものがたりであるが、直接ちょくせつ原作げんさくにあたる作品さくひんあきらかでない[46][注釈ちゅうしゃく 4]創作そうさく経緯けいいについては諸説しょせつあるが、もっと一般いっぱんてきせつは、特定とくてい原作げんさくはなく、既存きそん様々さまざま作品さくひんわせて物語ものがたりつくげたというものである[46]。そのひとつは、ドイツの作家さっかヨハン・カール・アウグスト・ムゼーウスが、世界中せかいじゅうられる白鳥しらとり処女しょじょ説話せつわ題材だいざいとしていた『うばわれたヴェール』である[46][47]ほかにもほんさく影響えいきょうあたえたとかんがえられる作品さくひんとしては、ダニエル=フランソワ=エスプリ・オベールのオペラ『妖精ようせいみずうみ英語えいごばん』や、『ジゼル』『ドナウのむすめ』などのロマンティック・バレエ作品さくひんぐんげられる[46]

創作そうさく経緯けいいかんするその仮説かせつとしては、ワーグナーのオペラ『タンホイザー』や『ローエングリン』の影響えいきょうけているというせつや、チャイコフスキーが1871ねん親戚しんせき子供こどもけに創作そうさくした家庭かてい演劇えんげき原型げんけいになっているというせつがある[48]。ただし後者こうしゃは、根拠こんきょとされているチャイコフスキーのめい回想かいそう曖昧あいまいであることなどから、真偽しんぎうたがわしい[49]

おも登場とうじょう人物じんぶつ

編集へんしゅう
 
オデット
 
オディール(ひだり)とジークフリート(みぎ
  • オデット - 悪魔あくまのろいによって白鳥はくちょう姿すがたえられた王女おうじょ
  • ジークフリート - オデットとこいちる王子おうじ
  • ロットバルト - オデットにのろいをかけた悪魔あくま
  • オディール - ロットバルトのむすめ。オデットやくのダンサーがやくえんじる。

演出えんしゅつによって物語ものがたり展開てんかい相違そういがあるが、あらすじはおおむねつぎのような内容ないようである[42][50][51]

だい1まくだい1じょう

編集へんしゅう

ドイツのとある王宮おうきゅう前庭ぜんてい王子おうじジークフリートの成人せいじんいわうたげひらかれており、王子おうじ友人ゆうじんたちが祝福しゅくふくおどりをおどっている。そこに王子おうじ母親ははおやあらわれ、明日あしたおこなわれる舞踏ぶとうかい花嫁はなよめえらぶようめいじる。まだ結婚けっこんしたくない王子おうじ憂鬱ゆううつ気分きぶんになる。やがてれると、白鳥はくちょうれがそらんでいくのがえ、王子おうじ白鳥はくちょうりをしようとみずうみかう。

だい1まくだい2じょう

編集へんしゅう
 
だい1まくだい2じょう 湖畔こはんでのパ・ド・ドゥ

しずかなみずうみのほとり。ゆみかまえている王子おうじまえで、1白鳥はくちょう岸辺きしべがり、うつくしいむすめ変身へんしんする。王子おうじ姿すがたづいたむすめおどろき、おびえるが、やがてうえばなしはじめる。むすめはオデットといい、とあるくに王女おうじょだったが、侍女じじょたちととも悪魔あくまロットバルトからのろいをかけられてしまった。そのためにひる白鳥はくちょう姿すがたとなり、よるだけ人間にんげん姿すがたもどるのである。こののろいをくただひとつの方法ほうほうは、まだだれにもあいちかったことのないおとこが、オデットにあいささげることである。2人ふたりかれい、王子おうじ自分じぶんあいちかおうともうるが、夜明よあけとともにオデットたちは白鳥はくちょう姿すがたもどり、ってく。

だい2まく

編集へんしゅう
 
だい2まく 舞踏ぶとうかいあらわれたオディール(中央ちゅうおう

王宮おうきゅう舞踏ぶとう会場かいじょう。ジークフリートの花嫁はなよめ候補こうほ様々さまざまくにからおとずれるが、王子おうじ彼女かのじょたちにはもくれず、オデットのことをおもつづけている。そこへ、客人きゃくじん変装へんそうした悪魔あくまロットバルトとそのむすめオディールがあらわれる。オディールは悪魔あくま魔法まほうによって、オデットとふりふたつの姿すがたになっている。オディールをオデットとおもんだ王子おうじは、その結婚けっこんちかいをててしまう。その途端とたん、ロットバルトたちは正体しょうたいあらわし、広間ひろままどうつかなしげなオデットの姿すがたしめしながら、王子おうじをあざわらってっていく。王子おうじ自分じぶんあやまちをい、いそいでオデットのもとへかう。

だい3まく

編集へんしゅう

ふたたみずうみのほとり。侍女じじょたちのもとへもどったオデットは、王子おうじちかいがやぶられたことをげる。ってきた王子おうじはオデットにゆるしをう。オデットは王子おうじゆるし、2人ふたりみずうみげる。2人ふたりあいちからまえにした悪魔あくまほろび、恋人こいびとたちのたましい永遠えいえんむすばれる。

演出えんしゅつによるちが

編集へんしゅう

上記じょうきは3まく4じょう構成こうせい場合ばあいのあらすじであるが、4まく構成こうせい上演じょうえんされる場合ばあいは、だい1まくだい1じょうだい2じょうがそれぞれだい1まくだい2まくとなる。また、物語ものがたり結末けつまつ演出えんしゅつによって様々さまざまである。上記じょうきのあらすじは、オデットと王子おうじいのちとすものの死後しご世界せかいむすばれる、というものであるが、2人ふたりみずうみしずんでわる悲劇ひげきてき結末けつまつや、悪魔あくまたおした2人ふたり現世げんせいむすばれるというハッピーエンドもある[41]

作品さくひん特徴とくちょう

編集へんしゅう

ほんさく特徴とくちょうひとつは、主演しゅえんバレリーナ一人ひとりやくをこなすことであり、清楚せいそ白鳥はくちょうオデットと、王子おうじ誘惑ゆうわくする妖艶ようえん黒鳥くろとりオディールという、対照たいしょうてき役柄やくがらえんけがどころとされている[51][52]。オディールが「黒鳥くろとりグラン・パ・ド・ドゥ」のクライマックスで披露ひろうする32回転かいてんフェッテは、1895ねんえんじばん主演しゅえんしたピエリーナ・レニャーニれたものであり、女性じょせいダンサーの高度こうどなテクニックのとして有名ゆうめいである[53][54]

また、オデットと王子おうじ出会であ湖畔こはん場面ばめんだい1まくだい2じょう)は、主役しゅやく2にんパ・ド・ドゥくわえ、刻々こくこくとフォーメーションをえていく白鳥はくちょうたちの群舞ぐんぶうつくしさがたか評価ひょうかされている[32][51]。この場面ばめん振付ふりつけはプティパ=イワノフばん影響えいきょうつよのこっており、しん演出えんしゅつこころみられるさいにもおおきな変更へんこうくわえられることはまれである[51]

楽曲がっきょく

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音楽おんがく音声おんせい外部がいぶリンク
オーケストラによる演奏えんそう抜粋ばっすいばん
  白鳥はくちょうみずうみ』(抜粋ばっすい演奏えんそう[注釈ちゅうしゃく 5]
B・ウィーヘルスオランダばん指揮しききたオランダ交響こうきょう楽団がくだん英語えいごばんによる演奏えんそう
オランダ公共こうきょう放送ほうそう公式こうしきYouTubeより

楽器がっき編成へんせい

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ピッコロフルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、コルネット2、トランペット4、トロンボーン3、チューバティンパニだい太鼓たいこ小太鼓こだいこタンブリンシンバルカスタネットタムタムトライアングルグロッケンシュピールハープつる[2]

作品さくひん構成こうせい

編集へんしゅう
 
ちいさな白鳥はくちょうたちのおどり(4白鳥はくちょうおどり)

以下いか楽曲がっきょく構成こうせいは、チャイコフスキーの全集ぜんしゅうばんスコア(1957ねん)にもとづく[55]演奏えんそう時間じかんやく2あいだ25ふんだい1まくやく40ふんだい2まくやく40ふんだい3まくやく40ふんだい4まくやく25ふん)である[2]

ただし、1895ねんのバレエえんじにあたって楽曲がっきょく大幅おおはば改変かいへんくわえられたため、現在げんざい上演じょうえんされているバレエの楽曲がっきょく構成こうせいは、以下いかのオリジナルばんとはことなる場合ばあいがほとんどである。えんじ変更へんこうてん多数たすうあるが、たとえば、だい1まくの「パ・ド・ドゥだい5きょく)」をだい3まく舞踏ぶとうかい場面ばめん移動いどうさせ「黒鳥くろとりのパ・ド・ドゥ」としたこと、だい2まくの「白鳥はくちょうたちのおどり(だい13きょく)」のきょくじゅんえたこと、だい3まくから「パ・ド・シス(だい19きょく)」とう削除さくじょしたこと、などがげられる[28]

(【 】ない音盤おんばんなどで慣例かんれいてきもちいられている名称めいしょう

  • 序奏じょそうモデラートアッサイ
  • だい1まく
  • だい2まく
    • だい10きょく 情景じょうけい:モデラート
    • だい11きょく 情景じょうけい:アレグロ・モデラート - モデラート - アレグロ・ヴィーヴォ
    • だい12きょく 情景じょうけい:アレグロ
    • だい13きょく 白鳥はくちょうたちのおど
      1. テンポ・ディ・ヴァルス
      2. モデラート・アッサイ【オデット・ソロ】
      3. テンポ・ディ・ヴァルス【おおきな白鳥はくちょうたちのおどり】
      4. アレグロ・モデラート【ちいさな白鳥はくちょうたちのおどり(4白鳥はくちょうおどり)】
      5. パ・ダクシオン:アンダンテ - アンダンテ・ノン・トロッポ【オデットと王子おうじのパ・ダクシオン】
      6. テンポ・ディ・ヴァルス【全員ぜんいんおどり】
      7. コーダ:アレグロ・ヴィーヴォ
    • だい14きょく 情景じょうけい:モデラート
  • だい3まく
    • だい15きょく アレグロ・ジュスト
    • だい16きょく コール・ド・バレエと小人こどもたちのおどり:モデラート・アッサイ - アレグロ・ヴィーヴォ
    • だい17きょく 情景じょうけい招待客しょうたいきゃく入場にゅうじょうとワルツ):アレグロ - テンポ・ディ・ヴァルス
    • だい18きょく 情景じょうけい:アレグロ
    • だい19きょく パ・ド・シス
      1. イントラーダ:モデラート・アッサイ
      2. ヴァリアシオン I:アレグロ
      3. ヴァリアシオン II:アンダンテ・コン・モート
      4. ヴァリアシオン III:モデラート
      5. ヴァリアシオン IV:アレグロ
      6. ヴァリアシオン V:モデラート - アレグロ・センプリチェ
      7. コーダ:アレグロ・モルト
    • だい20きょく ハンガリーおどり(チャルダーシュ):モデラート・アッサイ - アレグロ・モデラート
    • だい21きょく スペインおどり:アレグロ・ノン・トロッポ(テンポ・ディ・ボレロ
    • だい22きょく ナポリおどり:アレグロ・モデラート - アンダンティーノ・クアジ・モデラート
    • だい23きょく マズルカ:テンポ・ディ・マズルカ
    • だい24きょく 情景じょうけい:アレグロ - テンポ・ディ・ヴァルス - アレグロ・ヴィーヴォ
  • だい4まく
    • だい25きょく 間奏かんそうきょく:モデラート
    • だい26きょく 情景じょうけい:アレグロ・ノン・トロッポ
    • だい27きょく ちいさな白鳥はくちょうたちのおどり:モデラート
    • だい28きょく 情景じょうけい:アレグロ・アジタート
    • だい29きょく フィナーレの情景じょうけい:アンダンテ - アレグロ・アジタート
  • だい3まくへの追加ついかきょく
    • だい19aきょく パ・ド・ドゥ
      1. イントラーダ:モデラート - アンダンテ
      2. ヴァリアシオン I:アレグロ・モデラート
      3. ヴァリアシオン II:アレグロ
      4. コーダ:アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ
    • だい20aきょく ロシアのおどり:モデラート - アンダンテ・センプリチェ

編曲へんきょくばん

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音楽おんがく音声おんせい外部がいぶリンク
組曲くみきょく白鳥はくちょうみずうみ
  組曲くみきょく白鳥はくちょうみずうみ』(全曲ぜんきょく - L・ホンジョン(はやし憲政のりまさ指揮しき、コリアン・シンフォニー・オーケストラによる演奏えんそう。コリアン・シンフォニー・オーケストラ公式こうしきYouTube。
  組曲くみきょく白鳥はくちょうみずうみ』(全曲ぜんきょく - I・ルス指揮しき、アジア・フィルハーモニー管弦楽かんげんがくだんによる演奏えんそう。Busan Maru International Music Festival公式こうしきYouTube。
  組曲くみきょく白鳥はくちょうみずうみ』(全曲ぜんきょく - Sylwia Anna Janiak指揮しき、Symphony Orchestra of the Feliks Nowowiejski Music School in Gdanskによる演奏えんそう。Akademia Filmu i Telewizji(映像えいぞう制作せいさくしゃ公式こうしきYouTube。
  だい2きょく「ワルツ」 - D・ミクルスキ指揮しきタイ・フィルハーモニック管弦楽かんげんがくだんによる演奏えんそう指揮しきしゃ自身じしん公式こうしきYouTube。
  だい2きょく「ワルツ」 - N・クラウゼ指揮しき、ONE Symphony Orchestraによる演奏えんそう指揮しきしゃ自身じしん公式こうしきYouTube。

ほんさくは、演奏えんそうかいよう組曲くみきょく作品さくひん20a)としても演奏えんそうされる。1882ねん、チャイコフスキーは楽譜がくふ出版しゅっぱんしゃユルゲンソンてた手紙てがみで、『白鳥はくちょうみずうみ』の組曲くみきょくつくりたいという意思いし表明ひょうめいしているが、その経緯けいいについては資料しりょうのこされていない[56]今日きょう演奏えんそうされている組曲くみきょく以下いかの6きょくからるが、指揮しきしゃによって曲目きょくもく多少たしょう変更へんこうされることもある[57]

  1. 情景じょうけいだい2まく だい10きょく
  2. ワルツ(だい1まく だい2きょく
  3. 白鳥はくちょうたちのおどり(だい2まく だい13きょく 4.)
  4. 情景じょうけいだい2まく だい13きょく 5.)
  5. チャールダーシュ:ハンガリーのおどり(だい3まく だい20きょく
  6. 情景じょうけいだい4まく だい28きょくだい29きょく冒頭ぼうとう26小節しょうせつ

またクロード・ドビュッシーは、わかころに、チャイコフスキーのパトロンであったナジェジダ・フォン・メックのおかかピアニストつとめていたが、1880ねん夫人ふじん指示しじで『白鳥はくちょうみずうみ』の一部いちぶをピアノ連弾れんだんよう編曲へんきょくし、ユルゲンソンから出版しゅっぱんしている[58]

ワーグナーからの影響えいきょう

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きんとい動機どうき」と「白鳥はくちょうのテーマ」
ワーグナーローエングリンだい1まくだい3じょうより[59]きんとい動機どうき
 
白鳥はくちょうみずうみだい2まくだい10きょく情景じょうけい』より[60]白鳥はくちょうのテーマ」
 

ほん作品さくひんにはワーグナーオペラローエングリン』からの影響えいきょう指摘してきされている[61][62][63]りょう作品さくひん白鳥はくちょう象徴しょうちょうてき意味いみつこと、『ローエングリン』のだい1まくだい3じょうあらわれる「きんとい動機どうき」と『白鳥はくちょうみずうみ』の「白鳥はくちょうのテーマ」との類似るいじせいれい参照さんしょう)、そしてチャイコフスキーがワーグナー作品さくひんなかで『ローエングリン』をとくたか評価ひょうかしていたことが根拠こんきょとしてげられている[61][62][63]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ チャイコフスキーがはじめてんだバレエ音楽おんがくは、1870ねんにボリショイ劇場げきじょうから依頼いらいけた『シンデレラ』であるが、なんらかの理由りゆう作曲さっきょく中断ちゅうだんしている。したがって、実際じっさい完成かんせいし、発表はっぴょうされたバレエ音楽おんがくは『白鳥はくちょうみずうみ』が最初さいしょである(森田もりたみのる 1999, pp. 95 - 96)。
  2. ^ 初演しょえんのポスターの配役はいやくひょうでは、オディールやくのダンサーめいは「***」とだけ記載きさいされており、名前なまえ明示めいじされていない。しかし、当時とうじやくおどひとをこのように記載きさいする習慣しゅうかんがあったことから、オデットとオディールは初演しょえんから一人ひとりやくであったとかんがえられる(森田もりたみのる 1999, pp. 129 - 130)。
  3. ^ 。1946ねんから2019ねんまでに日本にっぽん国内こくないほんさくぜんまく上演じょうえんされた回数かいすうは2057かいのぼり、演目えんもく上演じょうえん回数かいすうおおきく上回うわまわる(Performances 公演こうえん記録きろくさが”. バレエアーカイブ. 昭和音楽大学しょうわおんがくだいがく. 2021ねん4がつ22にち閲覧えつらん)。
  4. ^ ほんさくの「白鳥はくちょう」のモデルとなったとりについては、ハクチョウではなくツルであるというせつがある。音楽おんがく学者がくしゃ西岡にしおか信雄のぶおは、「ハクチョウはダンスをおどることはできない。白鳥はくちょうのモデルは求愛きゅうあいのダンスをおどるツルであり、タンチョウ存在そんざいする日本にっぽんちがってしろいツルがいなかったヨーロッパだったので、ツルのダンスにハクチョウのしろいイメージをあわせたのではないか」とべ、実際じっさいにツルの求愛きゅうあいのダンスとほんさくのダンスのきざむリズムがおなじであるとの研究けんきゅう成果せいか発表はっぴょうしている(白鳥はくちょうみずうみ、モデルはツル」『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』2003ねん5がつ19にち)。
  5. ^ 当該とうがい動画どうが付記ふきされた説明せつめいぶんによれば、この演奏えんそう子供こどもけにナレーションともなかたちおこなわれたが、当該とうがい動画どうが演奏えんそう部分ぶぶんのみを抜粋ばっすいして制作せいさくされている。なお、『白鳥はくちょうみずうみ』のナレーション演奏えんそうは、スロヴァキア放送ほうそう交響こうきょう楽団がくだんによるものがナクソスからリリースされている(チャイコフスキー:バレエ音楽おんがく白鳥はくちょうみずうみ」(子供こどものためのナレーションり)”. ナクソス・ジャパン. 2018ねん10がつ9にち閲覧えつらん)。また、日本にっぽん国内こくないでは、東京とうきょうシティ・バレエだんが2018ねん5がつにナレーション・台詞せりふきの公演こうえんおこなっている(”セリフき”バレエ「白鳥はくちょうみずうみ”. 東京とうきょうシティ・バレエだん (2018ねん5がつ27にち). 2018ねん10がつ9にち閲覧えつらん)。

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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