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西武大宮線 - Wikipedia

西武せいぶ大宮おおみやせん

埼玉さいたまけん川越かわごえ大宮おおみやむすんでいた西武鉄道せいぶてつどう路面ろめん電車でんしゃ

大宮おおみやせん(おおみやせん)は、かつて埼玉さいたまけん川越かわごえ川越かわごえ久保ひさやすまちえき大宮おおみやげんさいたま大宮おおみや)の大宮おおみやえきむすんでいた西武鉄道せいぶてつどう軌道きどう路線ろせんである。埼玉さいたまけん最初さいしょ電化でんか路線ろせんとして開業かいぎょうしたが、川越線かわごえせん開業かいぎょうともない1941ねん廃止はいしされた。

西武鉄道 大宮おおみやせん
川越電気鉄道時代の運行風景 (現在のさいたま市大宮区上小町付近)
川越かわごえ電気でんき鉄道てつどう時代じだい運行うんこう風景ふうけい
現在げんざいのさいたま大宮おおみや上小かみこまち付近ふきん
基本きほん情報じょうほう
現況げんきょう 廃止はいし
くに 日本の旗 日本にっぽん
所在地しょざいち 埼玉さいたまけん
種類しゅるい 路面ろめん電車でんしゃ軌道きどう
起点きてん 川越かわごえ久保ひさやすまちえき
終点しゅうてん 大宮おおみやえき
えきすう 15えき
開業かいぎょう 1906ねん4がつ16にち
廃止はいし 1941ねん2がつ25にち
所有しょゆうしゃ 西武鉄道せいぶてつどうきゅう
運営うんえいしゃ 西武鉄道せいぶてつどうきゅう
使用しよう車両しゃりょう 車両しゃりょうふし参照さんしょう
路線ろせんしょもと
路線ろせん距離きょり 12.8 km
軌間きかん 1,372 mm
線路せんろすう 単線たんせん
電化でんか方式ほうしき 直流ちょくりゅう600 V 架空かくう電車でんしゃせん方式ほうしき
テンプレートを表示ひょうじ
えき施設しせつ接続せつぞく路線ろせん
uexSTR+l uexSTR+r
uexSTR uexBHF
0.0 川越かわごえ久保ひさやすまちえき
uexABZg+l uexSTRr
uexBHF
0.2 成田なりたさんまええき
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新河岸川しんがしがわ
uexBHF
2.4 二ノ関にのせきえき
uexhKRZWae
きゅうじゅうがわ
uexBHF
2.9 沼端ぬまはたえき
uexBHF
4.0 黒須くろすえき
uexhKRZWae
荒川あらかわ
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5.1 しばえき
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6.4 高木たかぎえき
uexBHF
7.3 西遊馬にしあすまえき
uexBHF
8.8 五味ごみかいえき
uexBHF
9.7 内野ないやえき
uexhKRZWae
鴨川かもがわ
uexBHF
10.9 並木なみきえき
uexBHF
11.2 たねにわとりじょうまええき
uexhKRZWae
おおとり沼川ぬまかわ
uexBHF
12.1 大成たいせいえき
uexBHF
12.5 工場こうじょうまええき
uexSTRr
12.8 大宮おおみやえき
HUB
大宮おおみやえき
STRq
STRq
省線しょうせん東北本線とうほくほんせん
STR+r
総武そうぶ鉄道てつどう (II)

ほんこうでは、開業かいぎょう当初とうしょ事業じぎょうしゃである川越かわごえ電気でんき鉄道てつどうについてもしるす。

なお、ほん記事きじにおいて「西武鉄道せいぶてつどう」とは特記とっきなければ武蔵野むさしの鉄道てつどう合併がっぺいまえの(きゅう西武鉄道せいぶてつどうすものとする。大宮おおみやせん廃止はいしの1945ねん武蔵野むさしの鉄道てつどう合併がっぺいして、西武せいぶ農業のうぎょう鉄道てつどうとなり、1946ねん現在げんざい西武鉄道せいぶてつどうとなった。

路線ろせんデータ

編集へんしゅう

沿革えんかく

編集へんしゅう

川越かわごえ馬車ばしゃ鉄道てつどう

編集へんしゅう

1902ねん明治めいじ35ねん)5がつ9にちだいはちじゅう国立こくりつ銀行ぎんこう取締役とりしまりやく綾部あやべ利右衛門りえもんらの発起ほっきによって川越かわごえ馬車ばしゃ鉄道てつどう川越かわごし設立せつりつされた。設立せつりつにおける役員やくいん構成こうせいは、取締役とりしまりやく5めいのうち社長しゃちょう綾部あやべをはじめ3めい入間いるまぐん川越かわごえまちげん川越かわごえ)の商人しょうにんであり、川越かわごえ馬車ばしゃ鉄道てつどう川越かわごえ商人しょうにん主導しゅどう経営けいえいされていたが、実際じっさいには馬車ばしゃ鉄道てつどうとしては開業かいぎょうはしなかった[1][注釈ちゅうしゃく 1]

川越かわごえ電灯でんとう川越かわごえ電気でんき鉄道てつどう

編集へんしゅう

これにつづいて、綾部あやべ川越かわごえ馬車ばしゃ鉄道てつどう設立せつりつにかかわった川越かわごえ商人しょうにんたちは電気でんき供給きょうきゅう事業じぎょう進出しんしゅつ目論もくろみ、資本しほんきん125,000えん川越かわごえ電灯でんとう設立せつりつ計画けいかくした。ただし、川越かわごえ電灯でんとうかり定款ていかん附則ふそくだい58じょう項目こうもくに「本社ほんしゃ川越かわごえ馬車ばしゃ鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ総会そうかいニ於テ合併がっぺい決議けつぎもとキ、成立せいりつうえどう会社かいしゃ合併がっぺい川越かわごえ大宮おおみやあいだ電気でんき鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ動力どうりょくへん更改こうかいしつらえスルごと」としていたように、設立せつりつ当初とうしょから川越かわごえ馬車ばしゃ鉄道てつどうとの合併がっぺい予定よていされていた。実際じっさい川越かわごえ電灯でんとうは、1903ねん明治めいじ36ねん)9がつ8にち設立せつりつされたあと、1903ねん9がつ26にち開催かいさいされた川越かわごえ馬車ばしゃ鉄道てつどう臨時りんじ株主かぶぬし総会そうかいでの合併がっぺい決議けつぎけ、同年どうねん10がつ21にち川越かわごえ馬車ばしゃ鉄道てつどう合併がっぺいした。このように、べつ会社かいしゃ設立せつりつによる資金しきん調達ちょうたつという方法ほうほうで、綾部あやべらは開業かいぎょう馬車ばしゃ鉄道てつどう電化でんか電灯でんとう供給きょうきゅう事業じぎょうへの進出しんしゅつたした。川越かわごえ馬車ばしゃ鉄道てつどう資本しほんきんは25まんえんとなり、1903ねん明治めいじ36ねん)12月には社名しゃめい川越かわごえ電気でんき鉄道てつどう改称かいしょうよく1904ねん3がつ電気でんき鉄道てつどう許可きょかた。

こうして成立せいりつした川越かわごえ電気でんき鉄道てつどうは、1904ねん明治めいじ37ねん)に、入間いるまぐん川越かわごえまちけん久保くぼ常磐ときわ炭田たんでん石炭せきたん燃料ねんりょうとする埼玉さいたまけんはつの100kW出力しゅつりょく発電はつでん2による川越かわごえ火力かりょく発電はつでんしょ出力しゅつりょく260kW)を建設けんせつ直流ちょくりゅう200ボルト送電そうでん開始かいしし、翌年よくねん1がつから川越かわごえ町内ちょうない431での電灯でんとう供給きょうきゅう開始かいしした。同社どうしゃ埼玉さいたまけんはじめて電灯でんとうともした電気でんき事業じぎょうしゃでもある。

一方いっぽう川越かわごえ - 大宮おおみやあいだ電気でんき鉄道てつどうは、1904ねん3がつ営業えいぎょう許可きょかけ、1906ねん4がつ開業かいぎょうした。埼玉さいたまけん最初さいしょはしった電車でんしゃである。これにともない、1906ねん明治めいじ39ねん)10がつ大宮おおみや電灯でんとう合併がっぺいし、北足立きたあだちぐん大宮おおみやまちおよび周辺しゅうへんへと配電はいでん地域ちいきひろげた。

敷設ふせつ工事こうじ経費けいひ節減せつげんのため、当時とうじ発足ほっそくしたばかりだった赤羽あかはね工兵こうへいたい鉄道てつどう大隊だいたい演習えんしゅうをかねてった。このさい野戦やせん鉄道てつどう程度ていど整備せいび水準すいじゅん敷設ふせつしたため、軌道きどう地固じがためがきわめて不十分ふじゅうぶんだった。このため電車でんしゃ動揺どうようはげしく脱線だっせん事故じこ頻発ひんぱつし、1931ねん昭和しょうわ6ねん)にはついに脱線だっせんによる死亡しぼう事故じこ発生はっせいする事態じたいにもなった。しかしながら資金しきん不足ふそくにより軌道きどう整備せいびもままならなかったという[2]

武蔵むさしみずでん西武鉄道せいぶてつどう

編集へんしゅう

電灯でんとう電力でんりょく事業じぎょうはかなりの収益しゅうえきげ、1909ねん明治めいじ42ねん)、出力しゅつりょく900kWの水力すいりょく発電はつでんしょ秩父ちちぶぐん矢納やのうむら神流川かんながわ水系すいけい建設けんせつして、営業えいぎょう地域ちいき埼玉さいたまけん秩父ちちぶ地区ちく比企ひき地区ちく群馬ぐんまけん南部なんぶへも拡張かくちょうすることを計画けいかくした。この計画けいかくは、浅野あさの総一郎そういちろう資本しほんくわえたべつ会社かいしゃ事業じぎょう展開てんかいすることになり、1913ねん大正たいしょう2ねん)、資本しほんきん70まんえん神流川かんながわ水力すいりょく電気でんき設立せつりつされ、同年どうねん社名しゃめい武蔵むさしみずでん改称かいしょうした。同年どうねん7がつ川越かわごえ電気でんき鉄道てつどうから50kWを受電じゅでんして武蔵むさしみずでん開業かいぎょうし、水力すいりょく発電はつでんしょ完成かんせいけて翌年よくねん12がつ川越かわごえ電気でんき鉄道てつどう武蔵むさしみずでん合併がっぺいし、社名しゃめい武蔵むさしみずでんいだ。武蔵むさしみずでん1920ねん大正たいしょう9ねん)6がつ川越かわごえ鉄道てつどう現在げんざい西武せいぶ新宿しんじゅくせん国分寺線こくぶんじせん)を、翌年よくねん10がつ西武せいぶ軌道きどう都電とでん杉並すぎなみせん)を相次あいついで吸収きゅうしゅう合併がっぺいし3つの営業えいぎょうてつ軌道きどう所有しょゆうする会社かいしゃとなった。1922ねん大正たいしょう11ねん)11月、武蔵むさしみずでん電灯でんとう電力でんりょく事業じぎょう帝国ていこく電灯でんとう合併がっぺいされるが、てつ軌道きどう事業じぎょう新設しんせつ会社かいしゃ武蔵むさし鉄道てつどう譲渡ゆずりわたされることになった。武蔵むさし鉄道てつどうは8がつ西武鉄道せいぶてつどうとして設立せつりつされ11月に武蔵むさしみずでんてつ軌道きどう事業じぎょう譲受ゆずりうけした。帝国ていこく電灯でんとう電灯でんとう電力でんりょく事業じぎょう現在げんざいでは東京電力とうきょうでんりょく統合とうごうされている。また、前述ぜんじゅつ相次あいつ合併がっぺいなか川越かわごえひがしせん改称かいしょうしていたとうせんは、西武鉄道せいぶてつどう成立せいりつころ大宮おおみやせん改称かいしょうした。

最初さいしょ路線ろせん開業かいぎょう直前ちょくぜん社名しゃめい川越かわごえ馬車ばしゃ鉄道てつどうから川越かわごえ電気でんき鉄道てつどう変更へんこうしていることからわかるように、馬車ばしゃ鉄道てつどうではなく電気でんき軌道きどう路面ろめん電車でんしゃ)で開業かいぎょうたした。軌間きかんに1372mmの馬車ばしゃ採用さいようされたのは東京とうきょう市電しでんならったためだとされている。そのため車両しゃりょう東京とうきょう市電しでんからはらげられた車両しゃりょう使用しようした[注釈ちゅうしゃく 2]周囲しゅうい住民じゅうみんからは「チンチン電車でんしゃ」の愛称あいしょうばれていた。

西武鉄道せいぶてつどう大宮おおみやせん改名かいめいした大正たいしょう末期まっき時点じてん路線ろせん老朽ろうきゅう指摘してきされており、地元じもとからは近代きんだい要望ようぼうされたが、政府せいふ荒川あらかわ河川かせん改修かいしゅう延期えんきさまたげとなって近代きんだい目途もくとはまったくたなかった。そこで地元じもとは1927ねん昭和しょうわ2ねん)に国有こくゆう鉄道てつどう敷設ふせつ期成きせい同盟どうめいかい結成けっせい川越かわごえ - 大宮おおみやあいだ国鉄こくてつせん誘致ゆうち運動うんどう開始かいしした。こうした状況じょうきょう同年どうねんなつ川越かわごえ久保ひさやすまちえき車庫しゃこ火災かさい発生はっせい当時とうじ大宮おおみやせん所属しょぞく電動でんどう客車きゃくしゃすべて(11りょう)を焼失しょうしつした。原因げんいん落雷らくらいとも漏電ろうでんともわれている。この火災かさい中古ちゅうこ車両しゃりょう補充ほじゅう運行うんこう再開さいかいしたが、1931ねん昭和しょうわ6ねん)に三橋みつはしむらうち脱線だっせん事故じここした。これにより川越かわごえ中学生ちゅうがくせい犠牲ぎせいとなったことから、西武鉄道せいぶてつどう大宮おおみやせん不備ふび連日れんじつセンセーショナルに報道ほうどうされた。

この事故じこ同線どうせん路盤ろばん車両しゃりょう老朽ろうきゅうからくる故障こしょう脱線だっせんこしつづけ、ついには川越かわごえ市民しみんから廃止はいし運動うんどうきる事態じたいにまで発展はってんした。この廃止はいし運動うんどう同線どうせん利用りようしていた通勤つうきんきゃくやく50めいからなる「川越かわごえ大宮おおみやあいだ交通こうつう改善かいぜんかい」がこしたもので、かれらは電車でんしゃより安全あんぜんなバスの運行うんこう要望ようぼうした。また西武鉄道せいぶてつどう大宮おおみやせん利用りようせずに自分じぶんたち自動車じどうしゃやとうなどのじょう運動うんどう展開てんかいした。この結果けっか西武鉄道せいぶてつどうが1933ねん昭和しょうわ8ねん)1がつから西武鉄道せいぶてつどう大宮おおみやせん並行へいこうしたバスを運行うんこう開始かいしした[3]。33往復おうふくあった同線どうせん便数びんすうは18往復おうふく半減はんげんし、1934ねん昭和しょうわ9ねん)に国鉄こくてつ川越線かわごえせん敷設ふせつ決定けっていされたことで、西武鉄道せいぶてつどう大宮おおみやせん廃止はいし決定的けっていてきなものとなった[4]

おおくの区間くかん道路どうろじょう敷設ふせつされる併用へいよう軌道きどうで、川越かわごえ久保ひさやすまちえき - 大宮おおみやえきあいだやく45ふんむすんでいた。川越かわごえ久保くぼまちえきから荒川あらかわ河川敷かせんしき付近ふきん現在げんざい荒川あらかわは、当時とうじ蛇行だこう部分ぶぶんをその河川かせん改修かいしゅう直線ちょくせんしたものであり、当時とうじとはかなりちがう)までは、一部いちぶのぞはいせんあと道路どうろとしてもあまりのこっていない。一方いっぽう荒川あらかわ河川敷かせんしき東側ひがしがわでは現在げんざい埼玉さいたまけんどう2ごうさいたま春日部かすかべせん並行へいこうし、県道けんどう2号線ごうせん路線ろせん開通かいつうつくられた国道こくどう17号線ごうせんとの交差点こうさてん桜木町さくらぎちょう交差点こうさてん)から大宮おおみやえきまでは直線ちょくせんむすんでいた。荒川あらかわ以東いとう路線ろせんあと一部いちぶのぞ現在げんざいでもほぼ道路どうろとしてのこっている。

1940ねん昭和しょうわ15ねん)に省線しょうせん 川越線かわごえせん開業かいぎょうし、川越かわごええき - 大宮おおみやえきあいだやく29ふんむすぶようになったことで大宮おおみやせん乗客じょうきゃく激減げきげんし、翌年よくねんはいせんとなった。設備せつび日本にっぽんはつ送電そうでん子会社こがいしゃである北海道ほっかいどう石炭せきたんへ40まんえん売却ばいきゃくされた[5]はいせん2020ねん時点じてんで、西武せいぶバス路線ろせんバスがほん川越かわごええき - 川越かわごえグリーンパークあいだ川越かわごえグリーンパーク - 大宮おおみやえき西口にしぐちあいだ運行うんこうされている

年表ねんぴょう

編集へんしゅう
  • 1902ねん明治めいじ35ねん5月9にち川越かわごえ馬車ばしゃ鉄道てつどう設立せつりつ
  • 1903ねん明治めいじ36ねん
    • 10月21にち川越かわごえ馬車ばしゃ鉄道てつどう川越かわごえ電灯でんとう合併がっぺい
    • 12月23にち川越かわごえ馬車ばしゃ鉄道てつどう川越かわごえ電気でんき鉄道てつどう改称かいしょう
  • 1904ねん明治めいじ37ねん12月31にち入間いるまぐん川越かわごえまちない川越かわごえ電気でんき鉄道てつどう電灯でんとう事業じぎょう開始かいし営利えいり事業じぎょうによる埼玉さいたま県内けんないはじめての点灯てんとう
  • 1906ねん明治めいじ39ねん
    • 4がつ16にち川越かわごえ久保ひさやすまちえき - 大宮おおみやえきあいだ電車でんしゃ営業えいぎょう開始かいし埼玉さいたま県内けんないはじめての電化でんか路線ろせん
    • 10月:北足立きたあだちぐん大宮おおみやまちへの電灯でんとう配電はいでん開始かいし
  • 1914ねん大正たいしょう3ねん)12月1にち川越かわごえ電気でんき鉄道てつどう武蔵むさしみずでん合併がっぺい[6][7]
  • 1920ねん大正たいしょう9ねん6月1にち武蔵むさしみずでん川越かわごえ鉄道てつどう現在げんざい西武せいぶ新宿しんじゅくせん国分寺線こくぶんじせん)を合併がっぺい[8] 川越かわごえ久保ひさやすまちえき - 大宮おおみやえきあいだ川越かわごえひがしせんとなる。
  • 1921ねん大正たいしょう10ねん10月1にち武蔵むさしみずでん西武せいぶ軌道きどう都電とでん杉並すぎなみせん)を合併がっぺい[9]
  • 1922ねん大正たいしょう11ねん
    • 8がつ15にち武蔵むさし鉄道てつどう西武鉄道せいぶてつどう改称かいしょう会社かいしゃ設立せつりつ[10][11]
    • 11月1にち武蔵むさしみずでん帝国ていこく電灯でんとう吸収きゅうしゅう合併がっぺい[12]
    • 11月16にち帝国ていこく電灯でんとうてつ軌道きどう部門ぶもん西武鉄道せいぶてつどう分離ぶんり譲渡じょうと[13]
    • 11月17にち川越かわごえひがしせん大宮おおみやせん改称かいしょう[14][注釈ちゅうしゃく 3]
  • 1927ねん昭和しょうわ2ねん8がつ28にち久保くぼまち車庫しゃこ火災かさいにより全焼ぜんしょう当時とうじ大宮おおみやせん所属しょぞく電動でんどう客車きゃくしゃすべて(11りょう)が焼失しょうしつしたほか、修繕しゅうぜん工場こうじょう詰所つめしょなどかく設備せつび被害ひがいた。[15][注釈ちゅうしゃく 4][16][注釈ちゅうしゃく 5]
  • 1940ねん昭和しょうわ15ねん
  • 1941ねん昭和しょうわ16ねん2がつ25にち全線ぜんせん廃止はいし。バスに転換てんかん

えき一覧いちらん

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駅名えきめい えきあいだキロ 営業えいぎょうキロ 接続せつぞく路線ろせん 線路せんろ 所在地しょざいち
川越かわごえ久保ひさやすまちえき - 0.0 川越かわごえ
成田なりたさんまええき 0.2 0.2
二ノ関にのせきえき 2.2 2.4 入間いるまぐん
古谷ふるやむら
沼端ぬまはたえき 0.5 2.9
黒須くろすえき 1.1 4.0
しばえき 1.1 5.1
高木たかぎえき 1.3 6.4 北足立きたあだちぐん うまみやむら
西遊馬にしあすまえき 0.9 7.3
五味ごみかいえき 1.5 8.8 指扇さしおうぎむら
内野ないやえき 0.9 9.7 大宮おおみや
並木なみきえき 1.2 10.9
たねにわとりじょうまええき 0.3 11.2
大成たいせいえき 0.9 12.1
工場こうじょうまええき 0.4 12.5
大宮おおみやえき 0.3 12.8 鉄道てつどうしょう東北本線とうほくほんせん高崎線たかさきせん川越線かわごえせん
総武そうぶ鉄道てつどう

輸送ゆそう収支しゅうし実績じっせき

編集へんしゅう
年度ねんど 輸送ゆそう人員じんいんひと 貨物かもつりょう(トン) 営業えいぎょう収入しゅうにゅうえん 営業えいぎょうえん 営業えいぎょう益金えききんえん その益金えききんえん その損金そんきんえん 支払しはらい利子りしえん
1908 277,949 4,314 43,338 45,033 ▲ 1,695 電燈でんとう23,158
電気でんき器具きぐ売買ばいばい収入しゅうにゅう160
利子りし528
電燈でんとう1,146
臨時りんじ1,089
1909 286,921 4,096 45,010 36,879 8,131 電燈でんとう23,775利子りし780 電燈でんとう6,775 1,176
1910 266,984 11,082 43,343 36,765 6,578 電燈でんとう23,947利子りし805 8,424
1911 283,176 13,324 47,083 41,134 5,949 電燈でんとう25,584利子りし777 電燈でんとう8,097
1912 296,841 13,061 51,474 44,227 7,247 電燈でんとう23,072その2,569
利子りし1,051
9,575
1913 287,068 12,028 50,735 45,233 5,502 電燈でんとう電力でんりょく29,033利子りし790 電燈でんとう電力でんりょく10,902
1914 246,034 14,881 46,466 46,430 36 電気でんき供給きょうきゅう65,052利子りし959 電気でんき供給きょうきゅう41,805
1915 264,055 9,769 39,886 25,429 14,457 電気でんき供給きょうきゅう175,730 電気でんき供給きょうきゅう80,796 35,020
1916 283,155 9,964 40,273 32,817 7,456 232,328 140,884
1917 319,239 10,780 46,578 33,071 13,507 電気でんき供給きょうきゅう296,501 179,297
1918 351,260 14,044 56,361 27,971 28,390 357,897 200,145
1919 435,627 13,828 77,280 47,155 30,125 484,839 235,815
1920 459,733 14,897 110,445 56,607 53,838 823,988 433,278
1921 478,058 13,516 116,719 57,640 59,079
1922 598,542 14,273 176,748 60,780 115,968
1923 629,407 14,522 149,039 73,069 75,970
1924 702,682 13,981 160,166 93,230 66,936
1925 679,054 7,173 158,963 98,998 59,965
1926 678,224 49,124
1927 659,319 6,935
1928 600,407 3,414
1929 614,747 3,138
1930 557,280 1,701
1931 485,869 1,059
1932 460,900 508
1933 361,672 618
1934 362,230 575
1935 320,309 454
1936 334,097 548
1937 344,890 554
  • 鉄道てつどういん年報ねんぽう鉄道てつどういん鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう鉄道てつどうしょう鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう鉄道てつどう統計とうけいかく年度ねんどばん

車両しゃりょう

編集へんしゅう

開業かいぎょうは2じく電動でんどう客車きゃくしゃ7りょう(1 - 7、番号ばんごう推定すいてい)、2じく附随ふずい客車きゃくしゃ2りょう(1・2)、2じく有蓋ゆうがい貨車かしゃ4りょう(ワブ1 - 4)、2じく無蓋むがい貨車かしゃ4りょう(ト1 - 4)。1925ねんには2じく電動でんどう客車きゃくしゃ4りょう製造せいぞうしょ不明ふめい)をふえ備し8 - 11とばんした。[16] 1927ねん8がつ久保くぼまち車庫しゃこ火災かさいにより大宮おおみやせん所属しょぞく電動でんどう客車きゃくしゃぜん車両しゃりょう(11りょう)が焼失しょうしつしたため、一時いちじ運転うんてん休止きゅうししたが、新宿しんじゅくせん都電とでん杉並すぎなみせん)より2じく電動でんどう客車きゃくしゃ2りょう(3はもと京都きょうと電気でんき鉄道てつどう、4はもと東京とうきょう市街しがい鉄道てつどう)を軌間きかん変更へんこう(1067mm→1372mm)のうえ移籍いせきし、また1927ねん12月に王子おうじ電気でんき軌道きどうから2じく電動でんどう客車きゃくしゃ5りょう借入かりいれ[19]運転うんてん再開さいかいした。王子おうじ電気でんき軌道きどうから借入かりいれした車両しゃりょうは1928ねん11月に正式せいしき譲受ゆずりうけ(5 - 9)した[20]。また1928ねん10がつはんはがねせい2じく電動でんどう客車きゃくしゃ2りょう(1・2)を日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞうしんせいぞう備した。[16]

なお1949ねん鉄道てつどうファンが久保くぼまち車庫しゃこあとおとずれてはい車体しゃたい確認かくにんしている[21]

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ 埼玉さいたまけん統計とうけいしょ 明治めいじ44ねん』177ぺーじには、川越かわごえ電気でんき鉄道てつどうについて「馬車ばしゃ鉄道てつどうとして設立せつりつ登記とうきしたが運輸うんゆ営業えいぎょう開始かいしせず、動力どうりょく変更へんこう認可にんか電気でんき鉄道てつどうとして運輸うんゆ営業えいぎょう開始かいしした」とある。
  2. ^ ただし、車両しゃりょう項目こうもく記載きさいとおとうせんもと東京とうきょう市電しでん車両しゃりょう確実かくじつ走行そうこうしたのは西武せいぶ大宮おおみやせん時代じだい川越かわごえ久保くぼまちえき車庫しゃこ火災かさい以降いこう焼失しょうしつ車両しゃりょう補填ほてんとして西武せいぶ新宿しんじゅくせん軌道きどうから転属てんぞくした車両しゃりょうであり、開業かいぎょう東京とうきょう市電しでんからの払下はらいさ車両しゃりょう存在そんざいしていたかどうかは不明ふめいである。
  3. ^ 川越かわごえひがしせん大宮おおみやせん西武せいぶせん新宿しんじゅくせん」への変更へんこう記載きさい西武せいぶせんもと西武せいぶ軌道きどう
  4. ^ 火災かさい保険ほけん項目こうもくに「本年ほんねんはちがつじゅうはちにち大宮おおみやせん修繕しゅうぜん工場こうじょう車庫しゃこ係員かかりいん詰所つめしょ線路せんろこう詰所つめしょ倉庫そうこ貨物かもつせきおろしじょう上屋うわや電動でんどう客車きゃくしゃ四輪車拾壹輛全焼、貨車かしゃ附随ふずいしゃいち半焼はんしょう」と記載きさい
  5. ^ 付随ふずいしゃ貨車かしゃ人力じんりき避難ひなんさせられたため焼失しょうしつまぬかれたとされる。

出典しゅってん

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  1. ^ 中田なかたわた川越かわごえ馬車ばしゃ鉄道てつどう開業かいぎょうしなかった」『埼玉さいたま地方ちほう』No35、1996ねん
  2. ^ 三久保さんくぼまち町内ちょうない編集へんしゅう委員いいんかいへんかた町内ちょうないⅠ チンチン電車でんしゃ川越かわごえ三久保さんくぼまち自治じちかい、1988ねん 
  3. ^ 全国ぜんこく乗合のりあい自動車じどうしゃ総覧そうらん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  4. ^ 「ちんちん電車でんしゃがあったころ 昭和しょうわ初年しょねん川越かわごえ電車でんしゃ西武せいぶ大宮おおみやせん」『しょう江戸えどものがたり だいじゅうごう川越かわごしむかし工房こうぼう、2009ねん10がつ30にち
  5. ^ 野田のだただしきゅう西武鉄道せいぶてつどう経営けいえい地域ちいき社会しゃかい」『東村山ひがしむらやま研究けんきゅう』No.4、1995ねん、33ぺーじ
  6. ^ 鉄道てつどういん文書ぶんしょ武蔵むさしみずでん川越かわごえ電気でんき合併がっぺいけん』(国立こくりつ公文書こうぶんしょかん所蔵しょぞう
  7. ^ 川越かわごえ電気でんき鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ追加ついか登記とうき」『官報かんぽう』1914ねん12月21にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  8. ^ 鉄道てつどういん文書ぶんしょ川越かわごえ鉄道てつどう合併がっぺい武蔵むさしみずでん)のけん』(国立こくりつ公文書こうぶんしょかん所蔵しょぞう
  9. ^ 鉄道てつどうしょう文書ぶんしょ西武せいぶ軌道きどう武蔵むさしみずでん両社りょうしゃ合併がっぺいけん』(国立こくりつ公文書こうぶんしょかん所蔵しょぞう
  10. ^ 鉄道てつどうしょう文書ぶんしょ武蔵むさし鉄道てつどう西武鉄道せいぶてつどう改称かいしょう会社かいしゃ設立せつりつ登記とうき終了しゅうりょうなら定款ていかん変更へんこうとどけ』(国立こくりつ公文書こうぶんしょかん所蔵しょぞう鉄道てつどう免許めんきょ
  11. ^ 株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつ」『官報かんぽう』1923ねん1がつ16にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)"いち 商號しょうごう 西武鐵道せいぶてつどう株式會社かぶしきがいしゃいち 設立せつりつ年月日ねんがっぴ 大正たいしょうじゅういちねんはちがつじゅうにち"
  12. ^ 武蔵むさしみずでん株式会社かぶしきがいしゃ解散かいさん」『官報かんぽう』1923ねん1がつ11にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)"帝國ていこく電燈でんとう株式會社かぶしきがいしゃ合併がっぺいいん大正たいしょうじゅういちねんじゅういちがついちにち解散かいさんス"
  13. ^ 鉄道てつどうしょう鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう 大正たいしょう11年度ねんど p.139(国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)"帝國ていこく電燈でんとう武蔵むさし鐵道てつどうヘ(西武鐵道せいぶてつどう改稱かいしょう) 11.6.2〔許可きょか年月日ねんがっぴ〕 11.11.16〔実行じっこう年月日ねんがっぴ〕"
  14. ^ 鉄道てつどうしょう文書ぶんしょせんめい変更へんこうとどけ』(国立こくりつ公文書こうぶんしょかん所蔵しょぞう
  15. ^ 西武鉄道せいぶてつどう株式会社かぶしきがいしゃ 昭和しょうわねん下半期しもはんき昭和しょうわねんろくがついちにち-昭和しょうわねんじゅういちがつさんじゅうにちだいじゅういちかい営業えいぎょう報告ほうこく
  16. ^ a b c 写真しゃしん西武鉄道せいぶてつどう100ねん』ネコ・パブリッシング、2013ねん7がつ19にち発行はっこう ISBN 978-4777013760
  17. ^ 龍神りゅうじん由美ゆみ小泉こいずみいさお監修かんしゅう)『瓦版かわらばん川越かわごえ今昔こんじゃくものかたり』 その25からその36、みき書房しょぼう、2003ねんISBN 4902615118 
  18. ^ 中田なかたわた西武鉄道せいぶてつどう大宮おおみやせん小史しょうし」『埼玉さいたま地方ちほう』No.33 1995ねん
  19. ^ 鉄道てつどうしょう文書ぶんしょ王子おうじ電気でんき軌道きどう所属しょぞく車輌しゃりょう借入かりいれ使用しようけん』(国立こくりつ公文書こうぶんしょかん所蔵しょぞう
  20. ^ 鉄道てつどうしょう文書ぶんしょ王子おうじ電気でんき軌道きどう所属しょぞく電動でんどう客車きゃくしゃ譲受じょうじゅ使用しようけん』(国立こくりつ公文書こうぶんしょかん所蔵しょぞう
  21. ^ 飯島いいじまただし川越かわごえ久保ひさやすまち訪問ほうもんその」『復刻ふっこくRomanceCar』No.20、アテネ書房しょぼう、1983ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • えき茂夫しげお西武鉄道せいぶてつどうきゅう軌道きどうせん車両しゃりょう」『鉄道てつどうピクトリアル』No.716 2002ねん4がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう
  • 「ちんちん電車でんしゃがあったころ 昭和しょうわ初年しょねん川越かわごえ電車でんしゃ西武せいぶ大宮おおみやせん」『しょう江戸えどものがたり だいじゅうごう川越かわごしむかし工房こうぼう、2009ねん10がつ30にち

外部がいぶリンク

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