道 (1954年 の映画 )
『
La Strada | |
フェデリコ・フェリーニ | |
フェデリコ・フェリーニ トゥリオ・ピネッリ エンニオ・フライアーノ( | |
カルロ・ポンティ ディノ・デ・ラウレンティス | |
アンソニー・クイン ジュリエッタ・マシーナ | |
ニーノ・ロータ | |
オテッロ・マルテッリ | |
イタリフィルム / NCC | |
1954 1957 | |
104 | |
イタリア | |
イタリア | |
1 |
作品 概要
フェデリコ・フェリーニ
近代 人 としての私 たちの悩 みは孤独 感 です。そしてこれは私 たちの存在 の奥底 からやってくるのです。どのような祝典 も、政治 的 交響曲 もそこから逃 れようと望 むことはできません。ただ人間 と人間 のあいだでだけ、この孤独 を断 つことができるし、ただ一人 一 人 の人間 を通 してだけ、一種 のメッセージを伝 えることができて、一人 の人間 ともう一人 の人間 との深遠 な絆 を彼 らに理解 させ —— いや、発見 させることができるのです。- まったく
人間 的 でありふれたテーマを展開 するとき、私 は自分 で忍耐 の限度 をはるかに越 える苦 しみと不運 にしばしば直面 しているのに気 づきます。直観 が生 まれ出 るのはこのようなときです。それはまた、私 たちの本性 を超越 するさまざまな価値 への信仰 が生 まれ出 るときでもあります。そのような場合 に、私 が自分 の映画 で見 せたがる大海 とか、はるかな空 とかは、もはや十分 なものではありません。海 や空 のかなたに、たぶんひどい苦 しみか、涙 のなぐさめを通 して、神 をかいま見 ることができるでしょう —— それは神学 上 の信仰 のことというよりも、魂 が深 く必要 とする神 の愛 と恵 みです。
ストーリー
あてもなく
ある
ジェルソミーナとザンパノは
キャスト
- ザンパノ:アンソニー・クイン(
小松 方正 )- Zampanòという名前 の由来 のzampa(ザンパ)は動物 の脚 やひずめ。諧謔 で人間 の脚 にも使 われる。粗野 の象徴 。有名 な豚 料理 ザンポーネ(Zampone)はこれの語形 変化 。ザンパノの粗暴 は、同業 の綱渡 り道化師 イル・マットを殴 り倒 し、自動車 を川 に沈 め、ワイン酒場 で喧嘩 をして追 い出 され、店 外 に置 いてあるドラム缶 をスクリーンのほうに放 り投 げる。道化師 としての彼 は、ディケンズ『クリスマス・キャロル』さながらの鎖 芸 を見世物 とする。これは、鎖 を胸 に巻 き付 け、鉤 (フック)を破壊 して封印 を解 くという素朴 な怪力 芸 で、「鋼鉄 の肺 の男 」の異名 を持 つ。彼 はアメリカ製 のバイクで巡業 する。このバイクは、『道 』の前年 に公開 されたチネチッタ作品 『ローマの休日 』の「ベスパ」のような小 洒落 たところのない、おんぼろバイクである(『ローマの休日 』ヒロイン王女 アンが序盤 で忍 び込 む3輪 トラックのような荷台 が付 いている)。また同 じくチネチッタ作品 『クォ・ヴァディス』(1951年 )についていえば、『道 』には「Dove vai?」(ドヴェ ヴァイ?)というザンパノの台詞 が終盤 に出 て来 る。このイタリア語 はラテン語 「Quo vadis?」(クォ ヴァディス?)と同義 である(映画 『クォ・ヴァディス』は、イエスが「最後 の晩餐 」の際 に弟子 ペトロから問 われたその言葉 「Quo vadis? / どこへ行 かれるのですか?」が映画 の題名 になっている)。『道 』のシーンの描写 は度々 、示唆 にとどめられてはっきりとわからない。ザンパノは旅先 で女性 たちといい仲 になるが、ラヴ・シーンの映像 はない。旅 の途中 、ザンパノと何 があってジェルソミーナが実家 へ帰 ると行 って離 れたのかわからない。神聖 な修道院 で装飾 品 のシルバーハートを最終 的 にジャン・ヴァルジャンのように盗 んでしまったのかわからない。脚本 ではザンパノは終盤 のサーカスで鎖 芸 を失敗 するが、映画 の映像 は失敗 したかどうかはっきりわかる時点 までを追 わず、あくまでザンパノのそれはスクリーンの向 こうの観覧 者 に委 ねられる。 - ジェルソミーナ:ジュリエッタ・マシーナ(
市原 悦子 )- Gelsomina[* 1]はジャスミンの花 。純粋 の象徴 。このショートカット・ヘアの女 の子 ジェルソミーナを演 じる俳優 ジュリエッタ・マシーナはフェリーニ監督 の妻 で、ムッソリーニ政権 から隠 れて生活 していた2人 は政権 崩壊 後 の1943年 10月 に結婚 した。ジェルソミーナは映画 の中 でザンパノからぞんざいに扱 われ、時 に「Siete una bestia! / ケダモノ!」(スィエテ ウナ ベースティア!)とザンパノを罵 る。彼女 は旅 の途中 でトマトを栽培 しようとする突飛 な行動 に出 て、構 わず巡業 に出発 するザンパノから「Che pomodori / ケッ、トマトだと」(ケッ ポモドーリ)と蔑 まれつつ、リンゴを渡 される[* 2]。彼女 は中盤 で綱渡 り芸人 イル・マットに付 き従 う。ザンパノがイル・マットを殺 してからは、「うんうん」と声 をあげながら、うわごとを言 うようになる。ザンパノと離 れて何 年 かの後 、生命 を終 える。ジェルソミーナは、まるで天使 のような役回 り[6]。 綱渡 り芸人 :リチャード・ベイスハート(愛川 欽也 )- il Matto:狂人 の意味 [* 3]。映画 のオープニングクレジットタイトルに「Il “Matto”」という役名 が流 れる。「イル・マット」や「キ印 」(きじるし)と訳 されることがある。芸 達者 な彼 は綱渡 りの綱 の上 にテーブルとイスをセットしてスパゲッティを食 べる。ローマのある公演 では空中 ブランコの曲芸 を披露 。このほか、小型 バイオリンを弾 きこなし悲 しいメロディ(映画 『道 』テーマ曲 )を奏 でながら、自分 の尻 に向 けてジェルソミーナにラッパを「ブー」と吹 かせるシーンがある。イル・マットはジェルソミーナに、ザンパノという男 は犬 と同 じで、ジェルソミーナを好 きで話 をしたいのに吠 えるしかないのだと説 く。彼 はザンパノをとことんからかい、ザンパノは大 爆発 する。ザンパノは喜劇 でライフル銃 を持 ち、ライフル銃 の意 の単語 「fucile」(フチーレ)をきちんと言 わず、「ciufile」(チゥフィーレ)という馬鹿 っぽく人畜 無害 な印象 を与 えるい方 をして、そのせいでジェルソミーナはザンパノを怖 がらない[7]。それにより人々 らを面白 がらせるのだが、「鋼鉄 の肺 を持 つ男 」であるザンパノは、いちいちイル・マットから可愛 らしく「チゥフィーレ」呼 ばわりされて相当 頭 に来 ていた[* 4]。ある日 、彼 はザンパノの3発 (後 にザンパノは2発 と言 っている[* 5])で打 ちどころを悪 くして死 んでしまう。イル・マットを殴 り倒 した時 、彼 は「チゥフィーレ」のお礼 だと捨 て台詞 を吐 く。映画 評論 家 ・淀川 長治 の解説 では、このイル・マットは神 である[8]。
音声
クインはメキシコ・チワワ
主題 曲
La Strada (Original Soundtrack - 1954) - YouTube |
リュシエンヌ・ドリール(Lucienne Delyle)は、ホセ・しばさき(Jose Shibasaki)の
2010
受賞 とノミネート
1954 | ヴェネツィア |
フェデリコ・フェリーニ | ||
フェデリコ・フェリーニ | ノミネート | |||
1955 | ナストロ・ダルジェント |
フェデリコ・フェリーニ | ||
ディノ・デ・ラウレンティス、カルロ・ポンティ | ||||
1956 | ニューヨーク |
フェデリコ・フェリーニ | ||
1956 | ボディル |
フェデリコ・フェリーニ | ||
1956 | ナショナル・ボード・オブ・レビュー | フェデリコ・フェリーニ | ノミネート | |
1956 | フェデリコ・フェリーニ | ノミネート | ||
ジュリエッタ・マシーナ | ノミネート | |||
1957 | アカデミー |
ディノ・デ・ラウレンティス、カルロ・ポンティ[2] | ||
フェデリコ・フェリーニ、トゥリオ・ピネリ[14][2] | ノミネート | |||
1957 | フェデリコ・フェリーニ | |||
1957 | ブルーリボン |
フェデリコ・フェリーニ |
イル・マット
影響
- テレサ・テンは
映画 のヒロイン・ジェルソミーナの名前 の付 いた歌 「ジェルソミーナの歩 いた道 」を1981年 にリリースした。生前 最後 の単独 コンサート(1985年 、NHKホール)で、テレサ・テンは純白 のウェディングドレスを着 てこの歌 を披露 した。
- フェリーニを
敬愛 している(井筒 和幸 2005)は、自身 の推薦 映画 を紹介 する自著 で、フェリーニの『8 1/2』『フェリーニのアマルコルド』と共 に、本 作 を推薦 している。
- NINTENDO64
用 ゲームワンダープロジェクトJ2 コルロの森 のジョゼットの大道芸 集団 のザンパーニュは、ザンパノがモデル。
舞台
1984年版
公演 日程 - 1984
年 10月 26日 - 11月4日 、PARCO西武 劇場
出演 太地 喜和子 、北村 和夫 、玉井 碧 、金内 喜久夫 、梅沢 昌代 、三木 敏彦 、安井 裕美 、鵜沢 秀行 、山名 秀 の、田村 勝彦 、篠倉 伸子 、熟田 一久 、永田 紀美子 、伊藤 喜久子 、菅生 隆之 、塚本 景子 、脇田 茂 、奥山 緑 、岡本 正巳 、水原 忍
2018年版
公演 日程 - 2018
年 12月8日 - 28日 、日生劇場
- スタッフ
脚本 家 :ゲイブ・マッキンリー翻訳 :阿部 のぞみ照明 :西川 園 代 - ヘアメイク:UDA
音響 :長野 朋美 - クラウン
指導 :フィリップ・エマール 演出 助手 :山田 翠 企画 ・制作 :梅田 芸術 劇場
脚注
注釈
- ^
男性 形 は「gelsomino」(ジェルソミーノ)。 - ^ モノクロフィルムではっきりわからないが、これはリンゴ(
伊 : mela)である[5]。イタリア語 を読 み解 くと、リンゴ(mela; メーラ)、ナシ(pera; ペーラ)などの形状 の果実 は総称 で「pomo」(ポモ)としてくくられる。トマト(単数 形 : pomodoro; ポモドーロ、複数 形 : pomodori; ポモドーリ)の由来 は、「pomo」(ポモ) + 「d'oro /黄金 の」(ドーロ)である。「d'oro」は「de」(デ) + 「oro」(オーロ)。ザンパノは、黄金 (おうごん)でない果実 をジェルソミーナに渡 したことになる。他 のヨーロッパ言語 において、トマトは、英語 「love apple /愛 の果実 」(ラヴ・アップル)、フランス語 「pomme d'amour /愛 の果実 」(ポム・ダムール)、ドイツ語 「paradeisapfel /天国 の果実 」(パラディースアプフェル)等 としても知 られる。 - ^ また、タロットカードの「
愚者 」はイタリア語 では「il Matto」である。 - ^
映画 『道 』より約 100年 前 のイタリアオペラ『リゴレット』(1851年 )でfucileに由来 する名前 の殺 し屋 スパラフチーレ(Sparafucile = 「銃 を撃 て」の意 )が登場 する。 - ^ 「Gli ho dato solo due pugni / パンチを
喰 らわせてやったのは2発 だけだ」(リ オ ダート ソロ ドゥエ プーニ)。
出典
- ^ 『
キネマ旬報 ベスト・テン85回 全 史 -1924→2011』 (2012), p. 139 - ^ a b c d “THE 29TH ACADEMY AWARDS / 1957” (
英語 ). Oscars.org. AMPAS. 2024年 3月 21日 閲覧 。 - ^
冨 重 純子 2017, p. 228. - ^ a b “アーカイブス
放送 履歴 ”. NHK. 2013年 2月 19日 閲覧 。 - ^ Fellini (1969), p. 199: "E Zampanò, rallegrato, le dà una mela."
- ^ “2015/3/7〜3/13
上映 作品 | フェデリコ・フェリーニ監督 特集 『道 』/『甘 い生活 』”.早稲田 松竹 . - ^ Vincenzi & Casa (2019), p. 41: "Zampanò ha un fucile in spalla e lo mostra orgoglioso al pubblico, storpiandone il nome in “ciufile” per apparire ingenuo e innocuo e quindi non spaventare la vittima, che altrimenti si difenderebbe, mentre così abbassa le sue difese, pensando si tratti di uno scherzo."
- ^ “
淀川 長治 世界 クラシック名画 撰集 :道 ”. - ^ a b Order & Thomas (2009)
- ^ Baxter (1993), p. 110
- ^ Jacobson, Michael. “La Strada”. DVD Movie Central. 6 October 2013
閲覧 。 - ^ Kezich (2006), p. 150
- ^ “シネフィルDVDさんのツイート:2013
年 11月7日 ”. - ^ Anthony Holden 2016.
- ^
大槻 ケンヂ 1998, p. 256. - ^ “「サワコの
朝 〜山田 洋次 ▽寅 さんが生 まれた日 〜」 2018年 6月 2日 (土 )放送 内容 ”.
参考 文献
- フェデリコ・フェリーニ
著 、岩本 憲 児 訳 『私 は映画 だ /夢 と回想 』フィルムアート社 、1978年 、新装 版 1995年 。ISBN 9784845978236 。 大槻 ケンヂ『くるぐる使 い』角川 文庫 、1998年 。ISBN 9784041847053 。井筒 和幸 『サルに教 える映画 の話 』バジリコ、2005年 。ISBN 9784901784801 。- 『
キネマ旬報 ベスト・テン85回 全 史 -1924→2011』キネマ旬報社 、2012年 。ISBN 9784873767550 。 冨 重 純子 「「道 」の映画 、「橋 」の映画 」『福岡大学 人文 論叢 』第 49巻 第 1号 、福岡大学 研究 推進 部 、2017年 6月 、223-239頁 、CRID 1050001202561303168、ISSN 0285-2764。- Federico Fellini (1969), Liliana Betti, Eschilo Tarquini, ed., Il primo Fellini: Lo sceicco bianco, I vitelloni, La strada, Il bidone, Cappelli
- John Baxter (1993), Fellini, St. Martin's Press, ISBN 0312112734
- Tullio Kezich (2006), Fellini: His Life and Work, Faber and Faber, ISBN 0571211682
- Van Order, M. Thomas (2009), Listening to Fellini: Music and Meaning in Black and White, Fairleigh Dickinson University Press, ISBN 9781611473889
- Anthony Holden (2016), The Oscars, Hachette UK, ISBN 9780349142432
- Monica Vincenzi, Luigi Casa (2019), Fellini metafisico: La riconciliazione tra sogno e realtà, Armando Editore, ISBN 9788869925993