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道 (1954年の映画) - Wikipedia

みち (1954ねん映画えいが)

イタリアの映画えいが作品さくひん

みち』(みち、: La Strada; ラ・ストラーダ)は、1954ねん製作せいさく公開こうかいイタリア映画えいが

みち
La Strada
監督かんとく フェデリコ・フェリーニ
脚本きゃくほん フェデリコ・フェリーニ
トゥリオ・ピネッリ
エンニオ・フライアーノ協力きょうりょく
製作せいさく カルロ・ポンティ
ディノ・デ・ラウレンティス
出演しゅつえんしゃ アンソニー・クイン
ジュリエッタ・マシーナ
音楽おんがく ニーノ・ロータ
撮影さつえい オテッロ・マルテッリ
配給はいきゅう 日本の旗 イタリフィルム / NCC
公開こうかい イタリアの旗 1954ねん9がつ22にち
日本の旗 1957ねん5がつ25にち
上映じょうえい時間じかん 104ふん
製作せいさくこく イタリアの旗 イタリア
言語げんご イタリア
配給はいきゅう収入しゅうにゅう 1おく1156まんえん[1] 日本の旗
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作品さくひん概要がいよう

編集へんしゅう

フェデリコ・フェリーニ監督かんとく作品さくひんで、だい29かいアカデミーしょう外国がいこく映画えいがしょう」を受賞じゅしょうした[2]自他じたどもみとめるフェリーニの代表だいひょうさくひとつ。フェリーニの作品さくひんなかでは最後さいごネオリアリズム映画えいがといわれる。チネチッタ撮影さつえい映画えいが。ストーリーは道化師どうけしたちの悲哀ひあい展開てんかいし、破天荒はてんこう監督かんとくフェリーニの人生じんせい反映はんえいされている。おなじネオリアリズムの映画えいが監督かんとくであるビスコンティ伯爵はくしゃく貴族きぞくであったが、フェリーニは少年しょうねん神学校しんがっこう脱走だっそうしてサーカス小屋こやんでもどされたり、10代でちをしたり、ローマ放浪ほうろう生活せいかつをして詐欺さぎにまでなっていた過去かこがある。

家族かぞく主義しゅぎローマ・カトリック色濃いろこ国家こっかイタリアでまれそだったフェリーニ監督かんとく著書ちょしょわたし映画えいがだ / ゆめ回想かいそう』(1978ねん)に、映画えいがみち』にかんするつぎのような記述きじゅつがある[3]

  • 近代きんだいじんとしてのわたしたちのなやみは孤独こどくかんです。そしてこれはわたしたちの存在そんざい奥底おくそこからやってくるのです。どのような祝典しゅくてんも、政治せいじてき交響曲こうきょうきょくもそこからのがれようとのぞむことはできません。ただ人間にんげん人間にんげんのあいだでだけ、この孤独こどくつことができるし、ただ一人ひとりいちにん人間にんげんとおしてだけ、一種いっしゅのメッセージをつたえることができて、一人ひとり人間にんげんともう一人ひとり人間にんげんとの深遠しんえんきずなかれらに理解りかいさせ —— いや、発見はっけんさせることができるのです。
  • まったく人間にんげんてきでありふれたテーマを展開てんかいするとき、わたし自分じぶん忍耐にんたい限度げんどをはるかにえるくるしみと不運ふうんにしばしば直面ちょくめんしているのにづきます。直観ちょっかんまれるのはこのようなときです。それはまた、わたしたちの本性ほんしょう超越ちょうえつするさまざまな価値かちへの信仰しんこうまれるときでもあります。そのような場合ばあいに、わたし自分じぶん映画えいがせたがる大海たいかいとか、はるかなそらとかは、もはや十分じゅうぶんなものではありません。うみそらのかなたに、たぶんひどいくるしみか、なみだのなぐさめをとおして、かみをかいまることができるでしょう —— それは神学しんがくじょう信仰しんこうのことというよりも、たましいふか必要ひつようとするかみあいめぐみです。

旅芸人たびげいにんのザンパノはからだいたてつくさり大道芸だいどうげいものにしていたが、げいのアシスタントだったおんなんでしまったため、おんな故郷こきょうかい、おんないもうとで、あたまよわいがしん素直すなおなジェルソミーナをタダ同然どうぜんる。ジェルソミーナはザンパノとともにオートさんりんたびをするうち、げい仕込しこまれ、おんな道化師どうけしとなるが、言動げんどう粗野そやで、ときに暴力ぼうりょくるうザンパノに嫌気いやけし、かれのもとをす。

あてもなくあるいたすえにたどりいたまちで、ジェルソミーナは陽気ようき綱渡つなわた芸人げいにん通称つうしょう「イル・マット」のげい目撃もくげきする。いついたザンパノはジェルソミーナをもどし、あるサーカスだん合流ごうりゅうする。そこにはイル・マットがいた。イル・マットとザンパノは旧知きゅうちであるうえ、なんらかの理由りゆう作中さくちゅうでは明示めいじされない)で険悪けんあくなかだった。イル・マットはザンパノの出演しゅつえんちゅう客席きゃくせきから冗談じょうだんってかれ邪魔じゃまをする一方いっぽうで、ジェルソミーナにラッパをおしえる。

ある、イル・マットのからかいに我慢がまん限界げんかいえたザンパノは、ナイフをってかれいかけ、けた警察けいさつ逮捕たいほされる。この事件じけんのためサーカスだんまちらねばならなくなり、責任せきにんわれたイル・マットとザンパノはサーカスだん解雇かいこされる。ジェルソミーナはサーカスだん団長だんちょうに、同行どうこうするようさそわれるが、自分じぶん足手あしてまといになるとかんじた彼女かのじょまちのこることをえらぶ。それをったイル・マットは、「なかのすべてはなにかのやくっている。それはかみさまだけがご存知ぞんじだ。ジェルソミーナもザンパノのやくっているからこそもどされたんだ」とげ、ザンパノのオートさんりんって、かれ留置りゅうちされている警察けいさつしょへジェルソミーナをおくとどけ、る。釈放しゃくほうされたザンパノは、イル・マットが勝手かってにオートさんりん使つかったことをさとり、しぶ表情ひょうじょうせる。

ジェルソミーナとザンパノはふたたび2にんだけで大道芸だいどうげい披露ひろうする日々ひびおくる。あるザンパノは、路上ろじょう自動車じどうしゃ修理しゅうりするイル・マットをかけ、かれなぐばす。自動車じどうしゃ車体しゃたいあたまをぶつけたイル・マットは、どころわるく、そのままんでしまう。ザンパノは自動車じどうしゃ事故じこせかけるため、イル・マットの自動車じどうしゃがけとし、ジェルソミーナをれてそのる。それ以降いこう、ジェルソミーナは虚脱きょだつしたままなにもできなくなり、大道芸だいどうげいのアシスタントとしてやくにたなくなる。ザンパノはある居眠いねむりするジェルソミーナをりにする。

すうねん。ある海辺うみべまちくさりげい披露ひろうするザンパノだったが、年老としおいたかれげいはかつての精彩せいさいいていた。ザンパノはそこで、地元じもとむすめ耳慣みみなれたうたくちずさんでいるのをく。それはかつてジェルソミーナがラッパでいていたきょくであった。ザンパノはそのむすめから、ジェルソミーナとおもわれるおんながこのまちて、むすめいえにかくまわれ、やがてんだことをききだす。いたたまれなくなったザンパノは酒場さかば痛飲つういんし、だいあばれしたあげく、まちをさまよう。海岸かいがんにたどりいたザンパノは、砂浜すなはまたおみ、嗚咽おえつらした。

役名やくめい俳優はいゆう、テレビばん吹替声優せいゆう[4]じゅん記載きさい

  • ザンパノ:アンソニー・クイン小松こまつ方正ほうせい)- Zampanòという名前なまえ由来ゆらいzampa(ザンパ)は動物どうぶつあしひずめ諧謔かいぎゃく人間にんげんあしにも使つかわれる。粗野そや象徴しょうちょう有名ゆうめいぶた料理りょうりザンポーネZampone)はこれの語形ごけい変化へんか。ザンパノの粗暴そぼうは、同業どうぎょう綱渡つなわた道化師どうけしイル・マットをなぐだおし、自動車じどうしゃかわしずめ、ワイン酒場さかば喧嘩けんかをしてされ、みせがいいてあるドラム缶どらむかんをスクリーンのほうにげる。道化師どうけしとしてのかれは、ディケンズクリスマス・キャロル』さながらのくさりげい見世物みせものとする。これは、くさりむねけ、かぎ(フック)を破壊はかいして封印ふういんくという素朴そぼく怪力かいりきげいで、「鋼鉄こうてつはいおとこ」の異名いみょうつ。かれはアメリカせいのバイクで巡業じゅんぎょうする。このバイクは、『みち』の前年ぜんねん公開こうかいされたチネチッタ作品さくひんローマの休日きゅうじつ』の「ベスパ」のようなしょう洒落しゃれたところのない、おんぼろバイクである(『ローマの休日きゅうじつ』ヒロイン王女おうじょアンが序盤じょばんしのむ3りんトラックのような荷台にだいいている)。またおなじくチネチッタ作品さくひんクォ・ヴァディス』(1951ねん)についていえば、『みち』には「Dove vai?」(ドヴェ ヴァイ?)というザンパノの台詞せりふ終盤しゅうばんる。このイタリアラテン語らてんごQuo vadis?」(クォ ヴァディス?)と同義どうぎである(映画えいが『クォ・ヴァディス』は、イエスが「最後さいご晩餐ばんさん」のさい弟子でしペトロからわれたその言葉ことばQuo vadis? / どこへかれるのですか?」が映画えいが題名だいめいになっている)。『みち』のシーンの描写びょうしゃ度々どど示唆しさにとどめられてはっきりとわからない。ザンパノは旅先たびさき女性じょせいたちといいなかになるが、ラヴ・シーンの映像えいぞうはない。たび途中とちゅう、ザンパノとなにがあってジェルソミーナが実家じっかかえるとってはなれたのかわからない。神聖しんせい修道院しゅうどういん装飾そうしょくひんのシルバーハートを最終さいしゅうてきジャン・ヴァルジャンのようにぬすんでしまったのかわからない。脚本きゃくほんではザンパノは終盤しゅうばんのサーカスでくさりげい失敗しっぱいするが、映画えいが映像えいぞう失敗しっぱいしたかどうかはっきりわかる時点じてんまでをわず、あくまでザンパノのそれはスクリーンのこうの観覧かんらんしゃゆだねられる。
  • ジェルソミーナ:ジュリエッタ・マシーナ市原いちはら悦子えつこ)- Gelsomina[* 1]ジャスミンはな純粋じゅんすい象徴しょうちょう。このショートカット・ヘアのおんなジェルソミーナをえんじる俳優はいゆうジュリエッタ・マシーナはフェリーニ監督かんとくつまで、ムッソリーニ政権せいけんからかくれて生活せいかつしていた2人ふたり政権せいけん崩壊ほうかいの1943ねん10がつ結婚けっこんした。ジェルソミーナは映画えいがなかでザンパノからぞんざいにあつかわれ、ときに「Siete una bestia! / ケダモノ!」(スィエテ ウナ ベースティア!)とザンパノをののしる。彼女かのじょたび途中とちゅうトマト栽培さいばいしようとする突飛とっぴ行動こうどうて、かまわず巡業じゅんぎょう出発しゅっぱつするザンパノから「Che pomodori / ケッ、トマトだと」(ケッ ポモドーリ)とさげすまれつつ、リンゴわたされる[* 2]彼女かのじょ中盤ちゅうばん綱渡つなわた芸人げいにんイル・マットにしたがう。ザンパノがイル・マットをころしてからは、「うんうん」とこえをあげながら、うわごとをうようになる。ザンパノとはなれてなんねんかののち生命せいめいえる。ジェルソミーナは、まるで天使てんしのような役回やくまわ[6]
  • 綱渡つなわた芸人げいにんリチャード・ベイスハート愛川あいかわ欽也きんや)- il Matto狂人きょうじん意味いみ[* 3]映画えいがのオープニングクレジットタイトルに「Il “Matto”」という役名やくめいながれる。「イル・マット」や「キ印きじるし」(きじるし)とやくされることがある。げい達者たっしゃかれ綱渡つなわたりのつなうえにテーブルとイスをセットしてスパゲッティをべる。ローマのある公演こうえんでは空中くうちゅうブランコの曲芸きょくげい披露ひろう。このほか、小型こがたバイオリンをきこなしかなしいメロディ(映画えいがみち』テーマきょく)をかなでながら、自分じぶんしりけてジェルソミーナにラッパを「ブー」とかせるシーンがある。イル・マットはジェルソミーナに、ザンパノというおとこいぬおなじで、ジェルソミーナをきではなしをしたいのにえるしかないのだとく。かれはザンパノをとことんからかい、ザンパノはだい爆発ばくはつする。ザンパノは喜劇きげきライフルじゅうち、ライフルじゅう単語たんごfucile」(フチーレ)をきちんとわず、「ciufile」(チゥフィーレ)という馬鹿ばかっぽく人畜じんちく無害むがい印象いんしょうあたえるいいかたをして、そのせいでジェルソミーナはザンパノをこわがらない[7]。それにより人々ひとびとらを面白おもしろがらせるのだが、「鋼鉄こうてつはいおとこ」であるザンパノは、いちいちイル・マットから可愛かわいらしく「チゥフィーレ」ばわりされて相当そうとうあたまていた[* 4]。あるかれはザンパノの3はつのちにザンパノは2はつっている[* 5])でちどころをわるくしてんでしまう。イル・マットをなぐたおしたときかれは「チゥフィーレ」のおれいだと台詞せりふく。映画えいが評論ひょうろん淀川よどがわ長治ながはる解説かいせつでは、このイル・マットはかみである[8]

音声おんせい

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当時とうじのイタリア映画えいが慣習かんしゅうから、撮影さつえい音声おんせい録音ろくおんおこなわれず、会話かいわ音楽おんがく音響おんきょう効果こうかあと追加ついかされた[9]。ゆえに、キャストたちはそれぞれの日常にちじょう使用しよう言語げんご撮影さつえいちゅうはなし、クインとベイスハートは英語えいご、マシーナその面々めんめんはイタリアであった[10]

クインはメキシコ・チワワまれのアメリカそだち、ベイスハートはアメリカ・オハイオまれのアメリカそだちで、この2人ふたりはイタリアはなさず、イタリアのオリジナルばんにおける2人ふたりえであった[11]最初さいしょにザンパノのえをした声優せいゆう難色なんしょくしめしたフェリーニは、黒澤くろさわあきら羅生門らしょうもん』イタリアばんにおいて三船みふね敏郎としおこえ担当たんとうしたアルノルド・フォアen:Arnoldo Foà)の仕事しごと感銘かんめいけたことをおもし、瀬戸際せとぎわになってフォアを起用きようすることができた[12]

英語えいごばんにおいて、クインとベイスハートは自分じぶんやくえをしたが、マシーナはべつ声優せいゆうえをした[9]

日本にっぽんでは、NHK教育きょういくテレビ1971ねん11月23にちの10:30〜12:19に日本語にほんごばんでの放送ほうそうおこなわれた[4]。その日本語にほんご音源おんげんは、紀伊国屋きのくにや書店しょてんシネフィルブルーレイさい収録しゅうろくするため捜索そうさくしたものの、権利けんりもと音源おんげん紛失ふんしつしており、視聴しちょうしゃ録画ろくがもネットじょう公募こうぼしたが[13]つからなかったため、ソフト収録しゅうろく放映ほうえい出来できない状態じょうたいとなっている。

主題しゅだいきょく

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音楽おんがく音声おんせい外部がいぶリンク
  La Strada (Original Soundtrack - 1954) - YouTube

主題しゅだいきょくTema Della Strada)をはじめとするほんさく音楽おんがくは、フェデリコ・フェリーニ監督かんとく作品さくひん数多かずおお手掛てがけたニーノ・ロータ作曲さっきょくした。

主題しゅだいきょくは、のち歌詞かしけられ歌手かしゅたちにカバーされた。イタリアではミケーレ・ガルディエーリ(Michele Galdieri)が作詞さくししたうたをニラ・ピッツィ(Nilla Pizzi)らがうたっている。

ほんさく日本にっぽん公開こうかいされた1957ねんだい8かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせんで、「ジェルソミーナ」として中原なかはら美紗みさいとぐち日本語にほんご歌詞かしうたっている(訳詞やくし音羽おとわたかし)。ザ・ピーナッツあらかはひろし訳詞やくし宮城みやぎまり佐伯さえき孝夫たかお訳詞やくしカルメン・マキ島田しまだ祐子ゆうこ訳者やくしゃしょう日本語にほんご同様どうように「ジェルソミナ」という曲名きょくめいうたうたっている。

リュシエンヌ・ドリール(Lucienne Delyle)は、ホセ・しばさき(Jose Shibasaki)の日本語にほんごで「ジェルソミナ」、ロベール・シャブリエ(Robert Chabrier作詞さくしフランス語ふらんすごで「Gelsomina」をうたっている。

みずか作詞さくししてうたっている歌手かしゅに、沢田さわだ研二けんじ曲名きょくめい「ジェルソミーナ」)、美輪みわ明宏あきひろ曲名きょくめい「ジェルソミーナ」)がいる。

2010ねんバンクーバー冬季とうきオリンピックフィギュアスケート男子だんしシングル髙橋大輔だいすけがこのきょく採用さいようどう種目しゅもくにおいて日本人にっぽんじん選手せんしゅはつのメダリスト(どうメダル)になった。

受賞じゅしょうとノミネート

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とし しょう 部門ぶもん 候補こうほ 結果けっか
1954 ヴェネツィア国際こくさい映画えいがさい ぎん獅子しししょう フェデリコ・フェリーニ 受賞じゅしょう
きむ獅子しししょう フェデリコ・フェリーニ ノミネート
1955 ナストロ・ダルジェントしょう 最優秀さいゆうしゅう作品さくひん監督かんとくしょう フェデリコ・フェリーニ 受賞じゅしょう
最優秀さいゆうしゅうプロデューサーしょう ディノ・デ・ラウレンティス、カルロ・ポンティ 受賞じゅしょう
1956 ニューヨーク映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう 外国がいこく映画えいがしょう フェデリコ・フェリーニ 受賞じゅしょう
1956 ボディルしょう アメリカ映画えいがしょう フェデリコ・フェリーニ 受賞じゅしょう
1956 ナショナル・ボード・オブ・レビュー 外国がいこく映画えいがしょう フェデリコ・フェリーニ ノミネート
1956 英国えいこくアカデミーしょう 作品さくひんしょう フェデリコ・フェリーニ ノミネート
主演しゅえん女優じょゆうしょう ジュリエッタ・マシーナ ノミネート
1957 アカデミーしょう 外国がいこく映画えいがしょう ディノ・デ・ラウレンティスカルロ・ポンティ[2] 受賞じゅしょう
脚本きゃくほんしょう フェデリコ・フェリーニ、トゥリオ・ピネリ[14][2] ノミネート
1957 キネマ旬報きねまじゅんぽう 外国がいこく映画えいが監督かんとくしょう フェデリコ・フェリーニ 受賞じゅしょう
1957 ブルーリボンしょう 外国がいこく作品さくひんしょう フェデリコ・フェリーニ 受賞じゅしょう

イル・マットやくのベイスハートはだい28かいナショナル・ボード・オブ・レビュー(1956ねん)においてジョン・ヒューストン監督かんとく白鯨はくげいイシュメールやく助演じょえん男優だんゆうしょう獲得かくとく、ジェルソミーナやくのマシーナはだい10かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい(1957ねん)においてフェデリコ・フェリーニ監督かんとくカビリアのよる』カビリアやく女優じょゆうしょう獲得かくとく、ザンパノやくのクインはだい29かいアカデミーしょう(1957ねん)においてヴィンセント・ミネリ監督かんとくほのおひとゴッホポール・ゴーギャンやく助演じょえん男優だんゆうしょう獲得かくとくした[2]

影響えいきょう

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  • テレサ・テン映画えいがのヒロイン・ジェルソミーナの名前なまえいたうたジェルソミーナのあるいたみち」を1981ねんにリリースした。生前せいぜん最後さいご単独たんどくコンサート(1985ねん、NHKホール)で、テレサ・テンは純白じゅんぱくのウェディングドレスをてこのうた披露ひろうした。
  • 大槻おおつきケンヂ自著じちょ『くるぐる使づかい』にてどう映画えいがたいし「『みち』は大好だいすきな映画えいがで、ぼくなんてもホロホロいてしまうのです。」とべていて、表題ひょうだいさく短編たんぺん下敷したじきに使用しようしたことをかしている[15]
  • 荒木あらき哲郎てつろう監督かんとくのアニメ映画えいがバブル』において、とうさくのヒロインであるウタのもとネタはほんさくのヒロインジェルソミーナだという。

1984年版ねんばん

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文学ぶんがくが「ジェルソミーナ」のタイトルで舞台ぶたい主人公しゅじんこうをジェルソミーナに太地たいち喜和子きわこえんじた。

公演こうえん日程にってい
1984ねん10がつ26にち - 11月4にちPARCO西武せいぶ劇場げきじょう
スタッフ
共同きょうどう脚本きゃくほん金子かねこ成人しげと小林こばやし勝也かつや
演出えんしゅつ小林こばやし勝也かつや
音楽おんがく宇野うの誠一郎せいいちろう
舞台ぶたい監督かんとく鈴木すずきただしこう
出演しゅつえん
太地たいち喜和子きわこ北村きたむら和夫かずお玉井たまいあおい金内かなうち喜久夫きくお梅沢うめざわ昌代まさよ三木みき敏彦としひこ安井やすい裕美ひろみ鵜沢うざわ秀行ひでゆき山名やまなしげる田村たむら勝彦かつひこ篠倉ささくら伸子のぶこ熟田じゅくでん一久かずひさ永田ながた紀美子きみこ伊藤いとう喜久子きくこ菅生すごう隆之たかゆき塚本つかもと景子けいこ脇田わきたしげる奥山おくやまみどり岡本おかもと正巳まさみ水原みずはらしのぶ

2018年版ねんばん

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音楽おんがくげきみち」(La Strada)のタイトルで舞台ぶたい演出えんしゅつデヴィッド・ルヴォー主演しゅえん・ザンパノをくさ彅剛えんじる。

公演こうえん日程にってい
2018ねん12月8にち - 28にち日生劇場にっせいげきじょう
スタッフ
演出えんしゅつ:デヴィッド・ルヴォー
美術びじゅつ伊藤いとう雅子まさこ
衣裳いしょう前田まえだ文子ふみこ
音楽おんがく江草えぐさけいふと
振付ふりつけさんひがし瑠璃るり
歌唱かしょう指導しどう西野にしのまこと
舞台ぶたい監督かんとく徳永とくなが泰子やすこ
主催しゅさいぴあ梅田うめだ芸術げいじゅつ劇場げきじょう
脚本きゃくほんゲイブ・マッキンリー
翻訳ほんやく阿部あべのぞみ
照明しょうめい西川にしかわえんだい
ヘアメイク:UDA
音響おんきょう長野ながの朋美ともみ
クラウン指導しどうフィリップ・エマール
演出えんしゅつ助手じょしゅ山田やまだみどり
企画きかく制作せいさく梅田うめだ芸術げいじゅつ劇場げきじょう


出演しゅつえん
ザンパノ:くさ彅剛
ジェルソミーナ:蒔田まきたあやたま
イル・マット:海宝かいほう直人なおと
モリール:佐藤さとうりゅう
その池田いけだ有希子ゆきこ石井いしいさき上口かみぐち耕平こうへい、フィリップ・エマール、岡崎おかざき大樹だいき金子かねこ大介だいすけ鹿野かの真央まお土井どいケイト西川にしかわだいたか橋本はしもと好弘よしひろ春海はるみ四方しほう海風かいふう安田やすだカナ

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 男性だんせいがたは「gelsomino」(ジェルソミーノ)。
  2. ^ モノクロフィルムではっきりわからないが、これはリンゴ(: mela)である[5]。イタリアくと、リンゴ(mela; メーラ)、ナシpera; ペーラ)などの形状けいじょう果実かじつ総称そうしょうで「pomo」(ポモ)としてくくられる。トマト(単数たんすうがた: pomodoro; ポモドーロ、複数ふくすうがた: pomodori; ポモドーリ)の由来ゆらいは、「pomo」(ポモ) + 「d'oro / 黄金おうごんの」(ドーロ)である。「d'oro」は「de」(デ) + 「oro」(オーロ)。ザンパノは、黄金おうごん(おうごん)でない果実かじつをジェルソミーナにわたしたことになる。のヨーロッパ言語げんごにおいて、トマトは、英語えいごlove apple / あい果実かじつ」(ラヴ・アップル)、フランス語ふらんすごpomme d'amour / あい果実かじつ」(ポム・ダムール)、ドイツparadeisapfel / 天国てんごく果実かじつ」(パラディースアプフェル)とうとしてもられる。
  3. ^ また、タロットカードの「愚者ぐしゃ」はイタリアでは「il Matto」である。
  4. ^ 映画えいがみち』よりやく100ねんまえのイタリアオペラ『リゴレット』(1851ねん)でfucile由来ゆらいする名前なまえころスパラフチーレ(Sparafucile = 「じゅうて」の)が登場とうじょうする。
  5. ^ Gli ho dato solo due pugni / パンチをらわせてやったのは2はつだけだ」(リ オ ダート ソロ ドゥエ プーニ)。

出典しゅってん

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  1. ^ キネマ旬報きねまじゅんぽうベスト・テン85かいぜん-1924→2011』 (2012), p. 139
  2. ^ a b c d THE 29TH ACADEMY AWARDS / 1957” (英語えいご). Oscars.org. AMPAS. 2024ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  3. ^ とみじゅう純子じゅんこ 2017, p. 228.
  4. ^ a b アーカイブス放送ほうそう履歴りれき”. NHK. 2013ねん2がつ19にち閲覧えつらん
  5. ^ Fellini (1969), p. 199: "E Zampanò, rallegrato, le dà una mela."
  6. ^ 2015/3/7〜3/13上映じょうえい作品さくひん | フェデリコ・フェリーニ監督かんとく特集とくしゅうみち』/『あま生活せいかつ”. 早稲田わせだ松竹しょうちく.
  7. ^ Vincenzi & Casa (2019), p. 41: "Zampanò ha un fucile in spalla e lo mostra orgoglioso al pubblico, storpiandone il nome in “ciufile” per apparire ingenuo e innocuo e quindi non spaventare la vittima, che altrimenti si difenderebbe, mentre così abbassa le sue difese, pensando si tratti di uno scherzo."
  8. ^ 淀川よどがわ長治ながはる 世界せかいクラシック名画めいが撰集せんしゅうみち”.
  9. ^ a b Order & Thomas (2009)
  10. ^ Baxter (1993), p. 110
  11. ^ Jacobson, Michael. “La Strada”. DVD Movie Central. 6 October 2013閲覧えつらん
  12. ^ Kezich (2006), p. 150
  13. ^ シネフィルDVDさんのツイート:2013ねん11月7にち”.
  14. ^ Anthony Holden 2016.
  15. ^ 大槻おおつきケンヂ 1998, p. 256.
  16. ^ 「サワコのあさ山田やまだ洋次ようじとらさんがまれた〜」 2018ねん6がつ2にち放送ほうそう内容ないよう”.

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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