(Translated by https://www.hiragana.jp/)
日生劇場 - Wikipedia

日生劇場にっせいげきじょう

東京とうきょう千代田ちよだにある劇場げきじょう

日生劇場にっせいげきじょう(にっせいげきじょう、英語えいごNissay Theatre)は、東京とうきょう千代田ちよだ有楽町ゆうらくちょう日比谷ひびや)の日本生命にほんせいめい日比谷ひびやビルなかにある劇場げきじょうである。1963ねん完成かんせい座席ざせきすうは1,358、現在げんざい座席ざせきすうは1,334となっている。設計せっけい村野むらの藤吾とうごで、重厚じゅうこう外観がいかん幻想げんそうてき内装ないそう建物たてものとしてられる。

日生劇場にっせいげきじょう
Nissay Theatre

日本生命日比谷ビル。同ビル内に日生劇場がある

地図
情報じょうほう
完成かんせい 1963ねん9月
開館かいかん 1963ねん10がつ20日はつか
開館かいかん公演こうえん ベルリン・ドイツ・オペラフィデリオ
収容しゅうよう人員じんいん 1,334にん
客席きゃくせきすう 1かい:738せき(オケピット96せき)、GC132せき、2かい:464せき
設備せつび レストラン、カフェ
用途ようと オペラ、ミュージカル
運営うんえい 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじんニッセイ文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん
所在地しょざいち 100-0006
東京とうきょう千代田ちよだ有楽町ゆうらくちょう1-1-1
位置いち 北緯ほくい3540ふん23.35びょう 東経とうけい13945ふん30.33びょう / 北緯ほくい35.6731528 東経とうけい139.7584250 / 35.6731528; 139.7584250 (日生劇場にっせいげきじょう
Nissay Theatre
)
座標ざひょう: 北緯ほくい3540ふん23.35びょう 東経とうけい13945ふん30.33びょう / 北緯ほくい35.6731528 東経とうけい139.7584250 / 35.6731528; 139.7584250 (日生劇場にっせいげきじょう
Nissay Theatre
)
アクセス 東京とうきょうメトロ日比谷ひびやえき有楽町ゆうらくちょうえき、A13出口でぐち
外部がいぶリンク 日生劇場にっせいげきじょう
テンプレートを表示ひょうじ
日生劇場にっせいげきじょう ピロティ
劇場げきじょう入口いりくち
オフィスロビー

沿革えんかく概要がいよう

編集へんしゅう

浅利あさり慶太けいた石原いしはら慎太郎しんたろうらは、かねてから東急とうきゅうグループ総帥そうすい五島ごしまのぼる劇場げきじょう建設けんせつばなしちかけていた。当初とうしょ渋谷しぶや東急とうきゅうけい映画えいがかん改装かいそうするという程度ていどはなしだったが、おなじころ、日本生命保険にほんせいめいほけん創業そうぎょう70周年しゅうねんむかえたことを記念きねんして劇場げきじょうつくりたいとの構想こうそうを、弘世ひろよげん社長しゃちょう五島ごしまけると、五島ごしま弘世ひろよ浅利あさりらを紹介しょうかいした。こうして、わか芸術げいじゅつたちの野心やしんと、スポンサーとしての弘世ひろよ並々なみなみならぬ尽力じんりょくによりまれたのが、日生劇場にっせいげきじょうである。

こけらおとは、1963ねん10がつ20日はつかベルリン・ドイツ・オペラまねいておこなわれた[1]。その現代げんだいげき歌舞伎かぶき、そしてオペラミュージカル公演こうえんなどに使用しようされた。1970ねん5がつからは、経営けいえいなん理由りゆう自主じしゅ制作せいさくからかし小屋こや方式ほうしき変更へんこうされ、よく1971ねんには五島ごしまのぼる社長しゃちょう浅利あさり慶太けいた石原いしはら慎太郎しんたろうりょう重役じゅうやく退陣たいじんした[2]劇団四季げきだんしき常設じょうせつ劇場げきじょうをもつまえにはとう劇場げきじょうでの公演こうえんおおかったほか、越路こしじ吹雪ふぶき1970年代ねんだい当時とうじ日本にっぽんもっともチケットの入手にゅうしゅ困難こんなんなステージのひとつともいわれた「ロングリサイタル」を長年ながねんにわたってった。また、沢田さわだ研二けんじがソロデビューの翌月よくげつ1971ねん12月にはつリサイタル開催かいさいしたのもとう劇場げきじょうである。しかし、その卓越たくえつした音響おんきょう効果こうかは「すぎて」クラシック音楽おんがくにはかないとわれており、実際じっさい近年きんねんでは著名ちょめいオーケストラによる公演こうえんおこなわれていない。

客席きゃくせきなかでは、ちゅう2かい相当そうとうする「グランドサークルせき」の人気にんきたかく、はやれることがおおい。

その事業じぎょう内容ないよう

編集へんしゅう

『すぐれた舞台ぶたい芸術げいじゅつ提供ていきょうするとともにその向上こうじょうをはかり、わがくに芸術げいじゅつ文化ぶんか振興しんこう寄与きよする』ことを事業じぎょう目的もくてき[3]とし、日生劇場にっせいげきじょう拠点きょてんとして運営うんえいしゃの「公益こうえき財団ざいだん法人ほうじんニッセイ文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん」が様々さまざま活動かつどうおこなっている。

  • 1964ねんより、日本生命保険にほんせいめいほけん共催きょうさいで、劇団四季げきだんしき出演しゅつえんによるミュージカルに都内とない小学生しょうがくせい学校がっこう単位たんい無料むりょう招待しょうたいする、「ニッセイ名作めいさく劇場げきじょう」を毎年まいとし実施じっししている。
  • 1979ねんより、中学ちゅうがく高校生こうこうせい対象たいしょう本格ほんかくてきなオペラを鑑賞かんしょうできる機会きかい安価あんか提供ていきょうする「日生劇場にっせいげきじょうオペラ教室きょうしつ」 を開催かいさいし、学校がっこう単位たんいでこれをおこなっている。
  • 1993ねんより、親子おやこ本格ほんかくてき舞台ぶたい芸術げいじゅつ安価あんかれられるようにと「日生劇場にっせいげきじょう国際こくさいファミリーフェスティヴァル」を毎年まいとし夏休なつやす期間きかんっている。

建築けんちく

編集へんしゅう

日本生命にほんせいめい日比谷ひびやビル・日生劇場にっせいげきじょう建築けんちく村野むらの藤吾とうご代表だいひょうさくのひとつで、1963ねん9月竣工しゅんこう設計せっけい村野むらのもり建築けんちく事務所じむしょ施工しこう大林組おおばやしぐみ)。鉄骨てっこつ鉄筋てっきんコンクリートづくり8かいけん地下ちか5かい。オフィス部分ぶぶん日生劇場にっせいげきじょうから構成こうせいされるふくあいビルである[1]

オフィス部分ぶぶんには、竣工しゅんこう日本橋にほんばし東京とうきょう日本生命にほんせいめいかん日本橋にほんばし髙島がテナントとしてはいる)7・8かい位置いちした日本生命にほんせいめい東京とうきょう総局そうきょくのち東京とうきょう本部ほんぶ)が移転いてんしてきた[1]。なお、東京とうきょう本部ほんぶは、1987ねん東宝とうほう日比谷ひびやビルへの移転いてんて、2004ねんにはまるうちオアゾうち完成かんせいした日本生命にほんせいめいまるうちビルに移転いてんしている。

劇場げきじょう客席きゃくせき天井てんじょうかべ音響おんきょう効果こうかじょう、うねるような曲面きょくめん構成こうせいされており、天井てんじょうには2まんまいものアコヤかい(実際じっさいには、マドかい)の貝殻かいがらりばめられている[4]建築けんちくかいにおいては、花崗岩かこうがん(岡山おかやまさんまんなりせき)で仕上しあげた古典こてん主義しゅぎてき外観がいかんやアコヤかい使つかった幻想げんそうてき内部ないぶ空間くうかんなどが、当時とうじ主流しゅりゅうであったモダニズム建築けんちく立場たちばから「反動はんどうまと」といった批判ひはんけたが、1964ねんには日本にっぽん建築けんちく学会がっかいしょう作品さくひんしょう日本生命にほんせいめい日比谷ひびやビル)を受賞じゅしょうしている。

2006ねんには、日本生命にほんせいめい日比谷ひびやビルとわせてDOCOMOMO JAPAN選定せんてい 日本にっぽんにおけるモダン・ムーブメントの建築けんちくえらばれている。

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ a b c 日本生命にほんせいめいきゅうじゅうねん』p.136
  2. ^ ひかりなかで』浅利あさり慶太けいた文春ぶんしゅん文庫ぶんこ、2009ねん1がつ10日とおか、p153
  3. ^ 財団ざいだん事業じぎょう概要がいよう
  4. ^ 劇場げきじょうからのご案内あんない

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • 日本生命保険にほんせいめいほけん相互そうご会社かいしゃへん日本生命にほんせいめいきゅうじゅうねん日本生命保険にほんせいめいほけん相互そうご会社かいしゃ、1980ねん

外部がいぶリンク

編集へんしゅう