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風の又三郎 - Wikipedia

ふうまた三郎さぶろう

宮沢みやざわ賢治けんじ短編たんぺん小説しょうせつ

ふうまた三郎さぶろう』(かぜのまたさぶろう)は、宮沢みやざわ賢治けんじ短編たんぺん小説しょうせつ賢治けんじ翌年よくねん1934ねん)に発表はっぴょうされた作品さくひんである。谷川たにがわきしちいさな小学校しょうがっこうに、あるかぜつよ不思議ふしぎ少年しょうねん転校てんこうしてくる。少年しょうねん地元じもと子供こどもたちにかぜかみではないかという疑念ぎねんとともにれられ、さまざまな刺激しげきてき行動こうどうすえっていく。そのあいだむら子供こどもたちの心象しんしょう風景ふうけい現実げんじつ幻想げんそう交錯こうさくとしてえがいた物語ものがたり

成立せいりつ

編集へんしゅう

1931ねん昭和しょうわ6ねん)ごろから1933ねん昭和しょうわ8ねん)に、自身じしんによりすでに大正たいしょう年間ねんかんかれていたいくつかの先駆せんく作品さくひんをコラージュしながらげられたもの。まずふうせいのSFてき冒険ぼうけんだんである「ふうまた三郎さぶろう」をもとに、主人公しゅじんこう現実げんじつ人間にんげん変更へんこうされたうえで、むら子供こどもたちをえがいた「種山たねやまばら」、「さいかちふかし」などが挿話そうわとしてれられ[1]、より現実げんじつてき物語ものがたり変貌へんぼうしている。

1931ねん8がつかれた本人ほんにん書簡しょかんから、賢治けんじきた守将しゅしょうぐんさんにん兄弟きょうだい医者いしゃグスコーブドリの伝記でんきつづいてほんさく雑誌ざっし児童じどう文学ぶんがく』(佐藤さとう一英いちえい編集へんしゅう)に発表はっぴょうする構想こうそういていたことがわかっている[2]。しかしこれは雑誌ざっし廃刊はいかんにより実現じつげんしなかった。

なお、「きゅうがつにち」のしょうだけは、『校本こうほん宮澤みやざわ賢治けんじ全集ぜんしゅう』(筑摩書房ちくましょぼうほんさく収録しゅうろくされただい10かん刊行かんこうは1974ねん)の編集へんしゅうともな草稿そうこう調査ちょうさで、前記ぜんき書簡しょかんかれたタイミングよりもおそい1933ねん2がつ以降いこう執筆しっぴつされたことが判明はんめいしており、このしょうのみは「一郎いちろう」が「孝一こういち」となっている(後述こうじゅつの『あたらしおさむ宮沢みやざわ賢治けんじ全集ぜんしゅう』の本文ほんぶんでは「一郎いちろう」に統一とういつ[1]。また、「きゅうがついちにち」のしょう草稿そうこうには「さん年生ねんせいがないだけで」との記述きじゅつがあり、校本こうほん全集ぜんしゅう以前いぜん全集ぜんしゅうではそのままこれをかしていた。しかし、校本こうほん全集ぜんしゅう流布るふほんとして刊行かんこうされた『あたらしおさむ宮沢みやざわ賢治けんじ全集ぜんしゅう』においては、この記述きじゅつふる段階だんかいくわえられながら、「きゅうがつよんにち」から「きゅうがつじゅうにち」までのしょう追加ついかした(さん年生ねんせい生徒せいとがいる)そのつぎ推敲すいこうさいわすれと判断はんだんされて、本文ほんぶんからは除去じょきょされている[1]。これ以外いがいにも嘉助かすけ学年がくねん場面ばめんによってちがったり(「よん年生ねんせい」のれつにいる場面ばめんがある)、「きゅうがつよんにち」のしょうで「うえ野原のはら」にどものかず一定いっていしないといった整合せいごうがあり、『校本こうほん宮澤みやざわ賢治けんじ全集ぜんしゅう以降いこう全集ぜんしゅう本文ほんぶんはこれらを校訂こうていせずにそのままとしている[1]。『校本こうほん宮澤みやざわ賢治けんじ全集ぜんしゅう』よりもまえ全集ぜんしゅうでは、学年がくねんについては「さん年生ねんせいがないだけで」をかすかたちで、これらの整合せいごう改変かいへん修正しゅうせいしていた[3]

賢治けんじ自身じしんのこした創作そうさくメモや、発表はっぴょう意思いしつたえた上記じょうき書簡しょかんでもタイトルは先駆せんく作品さくひんおなじ「ふうまた三郎さぶろう」であり、みずから「ふうまた三郎さぶろう」といたものは現存げんそんしない(草稿そうこうでは流用りゅうようした先駆せんく作品さくひんのタイトルがそのままになっている。また自筆じひつ表紙ひょうしされていたとされるがこれも現存げんそんしないため、この表紙ひょうし表記ひょうきがどのようになっていたかは不明ふめい)。

しかし、作中さくちゅう表現ひょうげんはほぼすべて「ふうまた三郎さぶろう」にあらためられていることや「ふうまた三郎さぶろう」とはあきらかに内容ないようことなることから、最初さいしょ出版しゅっぱん(1934ねん最初さいしょ全集ぜんしゅう以来いらいふうまた三郎さぶろう」がもちいられて今日きょういたっている。なお、現在げんざい全集ぜんしゅう最新さいしんばんである「【しん校本こうほん宮澤みやざわ賢治けんじ全集ぜんしゅう」(筑摩書房ちくましょぼう、1996ねん)では「ふう〔の〕また三郎さぶろう」と、タイトルに校訂こうてい部分ぶぶんあらわす〔〕がはいっている。

おも登場とうじょう人物じんぶつ

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ふうまた三郎さぶろう
地元じもと伝説でんせつとなっているかぜかみさまかみというよりも悪霊あくりょうちか存在そんざい作品さくひんちゅうでは、なぞ転校生てんこうせいのあだであり、直接ちょくせつ登場とうじょうしないものの、子供こどもたちの精神せいしん世界せかいにおける主役しゅやくである。
三郎さぶろう
本名ほんみょう高田たかだ三郎さぶろう北海道ほっかいどうからた、というむら転校てんこうしてきたなぞ少年しょうねん赤毛あかげ目立めだ姿すがた尋常じんじょう小学校しょうがっこう年生ねんせいだが、あつかましい友人ゆうじんに1ほんしかない鉛筆えんぴつをやったり、口論こうろんのちさきあやまったりするいさぎよさをっている。ひとこうとするめんがあり、意地悪いじわるたいして仕返しかえしたり、口論こうろんかし、手加減てかげんわすれて友達ともだちおぼれさせたりするような少年しょうねん鉱山こうざん技師ぎし説明せつめいされるが、むらたちかれを、ふうまた三郎さぶろうではないかとあやしむ。ほかの子供こどもたちがほぼ方言ほうげんだけで会話かいわしているのにたいして、三郎さぶろう標準ひょうじゅんちか言葉ことばはなしている。モリブデン採掘さいくつ仕事しごとむらたというしろふく父親ちちおやすこしだけ登場とうじょうし、「ちち会社かいしゃから電報でんぽうがあり、モリブデンの採掘さいくつ中止ちゅうしになったためさんろうたちむらった」こと最後さいご先生せんせいくちからげられる。母親ははおや登場とうじょうしないが健在けんざいであることがそのさいかたりからほどける。
一郎いちろう
学校がっこうでただ一人ひとりろく年生ねんせい級長きゅうちょうであり、みなから一目いちもくかれている。嘉助かすけ従兄弟いとこあにがいる。嘉助かすけの、高田たかだ三郎さぶろうふうまた三郎さぶろうではないかというせつしんじないがわであり、三郎さぶろう好奇心こうきしんしめしている。
嘉助かすけ
尋常じんじょう小学校しょうがっこう年生ねんせい最初さいしょから三郎さぶろうのことをまたさんろうだとしんじきり、「また三郎さぶろう」とぶ。ときおりまた三郎さぶろう人間にんげんか、認識にんしき戸惑とまどいがしょうじている。
こうすけ
三郎さぶろうをいじめて、仕返しかえしをけた挙句あげく口論こうろんしてけてしまう。
先生せんせい
尋常じんじょう小学校しょうがっこう教師きょうしむら学校がっこう生徒せいと一人ひとりっている。

むら小学校しょうがっこうについて

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物語ものがたり小学校しょうがっこうは、草山くさやまのふもとの谷川たにがわきしっている。教室きょうしつはひとつで、一人ひとり先生せんせい複式ふくしき学級がっきゅうっておしえている。クラスはさんろうふく総勢そうぜい39めいである(以下いか生徒せいと学年がくねんおよび人数にんずうはちくま文庫ぶんこばん宮沢みやざわ賢治けんじ全集ぜんしゅう 7』による。カタカナきの生徒せいと原文げんぶんママ)。

  • 6年生ねんせい一郎いちろう
  • 5年生ねんせい嘉助かすけ[4]三郎さぶろう[5]・ほか6めい
  • 4年生ねんせい佐太郎さたろう喜蔵よしぞうきのえすけ・きよ[6]・ほか2めい
  • 3年生ねんせい:かよ[7]・ほか11めい
  • 2年生ねんせいうけたまわきち・ほか6めい
  • 1年生ねんせいしょうすけ・ほか3めい
  • 学年がくねんわからない生徒せいとこうすけ五郎ごろう、さの、悦治えつじ、コージ、リョウサク、ペきち喜作きさく吉郎よしろう嘉一きいち。 キッコは吉郎よしろうの、っこうはだれかのあだかんがえられる[8]
  • 9月1にち(木曜もくよう):やまあいのちいさな学校がっこう分教場ぶんきょうじょう)にわった姿すがた転校生てんこうせい高田たかだ三郎さぶろうあらわれた。みんなは伝説でんせつふうせいふうまたさんろうだとおもう。
  • 9月2にち(金曜きんよう):かれ学校がっこうすこわった態度たいどせ、みんなを緊張きんちょうさせる。
  • 9月4にち(日曜にちよう):みんなで高原こうげんあそびにく。嘉助かすけ牧場ぼくじょうしがらみけてしまう。げたうまった嘉助かすけは、ふかきりなかまよって昏倒こんとうし、幻想げんそうなかさんろうがガラスのマントをそら姿すがたる。づくとうま三郎さぶろうがすぐちかくにいた。
  • 9月6にち(火曜かよう):みんなと一緒いっしょにヤマブドウりにかけた三郎さぶろうはタバコはたけをむしってみんなの非難ひなんび(専売せんばいきょくしかられるという理由りゆう)、またこうすけふうについてあらそいをするが、最後さいごには仲直なかなおりをする。
  • 9月7にち(水曜すいよう):みんなはかわおよぎにき、大人おとな発破はっぱりょう遭遇そうぐうしたり、専売せんばいきょくからたようにえたおとこからさんろうまもろうとする。
  • 9月8にち(木曜もくよう):またかわあそぶ(佐太郎さたろう持参じさんした山椒さんしょうこなどくもみこころみるも失敗しっぱい)が、夢中むちゅうになってあそぶうちに天候てんこう急変きゅうへんして不穏ふおん雰囲気ふんいきとなるなか雨宿あまやどりするしたでだれかが、こちらへおよいでくるさんろうをはやしたて、みながそれにくわわる。みな合流ごうりゅうするとさんろう血相けっそうえ、ふるえながら追及ついきゅうするが、全員ぜんいんとぼけてこたえない。
  • 9月12にち(月曜げつよう):一郎いちろう三郎さぶろうからいたふううたゆめきる。おりからの台風たいふう一郎いちろう嘉助かすけ三郎さぶろうとのわかれを予感よかんし、はやめに登校とうこうする。するとあんじょう先生せんせいからさんろう前日ぜんじつ転校てんこうして学校がっこうからったことをらされる。

解説かいせつ

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高田たかだ三郎さぶろうむらっている常識じょうしき通用つうようしない転校生てんこうせいむら子供こどもたち三郎さぶろう異様いよう言動げんどう戸惑とまどいながらも野良のらあそびをとおして親交しんこうふかめてゆく。嘉助かすけたちは、利発りはつちからもある三郎さぶろう少年しょうねんかれながらも、最後さいごにはむらたちだけで結束けっそくしてさんろう疎外そがいしてしまう。それからふっつりと三郎さぶろうとの交流こうりゅう途絶とだえ、永久えいきゅうあそ機会きかいうしなってしまう。嘉助かすけは、三郎さぶろうったことをらされたとき三郎さぶろう正体しょうたいは、やはり伝説でんせつふうせいだったと結論けつろんづけて物語ものがたり終了しゅうりょうする。

少年しょうねんたちが野良のらあそびをたのしみながら墜落ついらく溺死できしあやうく回避かいひする経験けいけんとおして、「」の本質ほんしつ見抜みぬき、本能ほんのうてき団結だんけつして仲間なかまからしてしまうことでおさなさを卒業そつぎょうする。しかしその代償だいしょうとして二度にどふうせいとはあそべなくなってしまうという、いのちけた通過つうか儀礼ぎれいのプロセスが作品さくひんちゅうまれている。三郎さぶろうたんなる転校生てんこうせいだったというせつふうまたさんろうけていたというせつのほか、よそものである三郎さぶろうまたさんろう憑依ひょういしていたなどのせつがあるが、賢治けんじかれ正体しょうたいからずじまいでわらせている。

子供こどもたちのあそびの描写びょうしゃとおして、現実げんじつ世界せかい土着どちゃくてき信仰しんこうとのあいだれる子供こども特有とくゆう精神せいしん世界せかいあざやかにえがいている。作者さくしゃほか作品さくひん比較ひかくして幻想げんそうてき要素ようそ希薄きはくいちじるしく現実げんじつてきである。先駆せんくさくふうまた三郎さぶろう」からの変貌へんぼうぶりは作者さくしゃさい晩年ばんねん創作そうさく姿勢しせい変容へんよう体現たいげんしたものとして意義いぎふかい。

ふうの「また三郎さぶろう
岩手いわてけん新潟にいがたけんなど複数ふくすう地方ちほうにおいて、かぜかみを「ふう三郎さぶろうさま」とんで祭礼さいれいおこな風習ふうしゅうがある(かぜ三郎さぶろう神社じんじゃ参照さんしょう)。しかし、「ふうまた三郎さぶろう」という名前なまえんでいるケースは報告ほうこくされておらず、「ふう三郎さぶろう」をもと賢治けんじ造語ぞうごしたものであるとかんがえられている。
ひゃくじゅうにち
嘉助かすけ発言はつげんてくるひゃくじゅうにちとは立春りっしゅんからかぞえて210にちのこと。 9月1にちは、東北とうほくではふうれて農作物のうさくもつ被害ひがいけることがおおいとわれ、ふう神様かみさまをなだめるとしている地方ちほうおおい。嘉助かすけ転校生てんこうせいふうまたさんろうったのは自然しぜんきであった。 
モリブデンという鉱石こうせきについて
作品さくひんちゅうてくるモリブデン微弱びじゃくながら毒性どくせい金属きんぞくで、当時とうじ日本にっぽん軍用ぐんようヘルメットクロムモリブデンこうとう素材そざいとして需要じゅようがあった。また、空中くうちゅう窒素ちっそ固定こてい触媒しょくばいとして生物せいぶつがモリブデンを利用りようしていることもわかっていた。賢治けんじ鉱物こうぶつには博学はくがくであったので、このような知識ちしきゆうしていたとおもわれる。
さいかちふかし
花巻はなまき豊沢とよさわまち豊沢川とよさわがわに、当時とうじからのこっているサイカチ巨木きょぼくがあり、現実げんじつ存在そんざいする場所ばしょとして現在げんざい公園こうえん登録とうろくされている。ただし、作中さくちゅうえがかれたようなふち戦後せんご台風たいふうとその河川かせん改修かいしゅうによって現在げんざい消滅しょうめつした(最初さいしょ映画えいがばんはその付近ふきんでも撮影さつえいおこなっている[9])。跡地あとちちかくの石神いしがみまち[9]豊沢川とよさわがわ道地どうちきょうちかくには、ほんさく前身ぜんしんである「さいかちふかし」の一節いっせつきざんだ「さいかちふかしいしぶみ」がそれぞれ建立こんりゅうされている。

派生はせい作品さくひん

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実写じっしゃ映画えいが

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テレビドラマ

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劇場げきじょうアニメ

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舞台ぶたい戯曲ぎきょく

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初演しょえんのみしるす。

楽曲がっきょく

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  • イーハトーヴ交響こうきょうきょく(2012ねん)- 冨田とみたいさお作曲さっきょく初演しょえん.※ 冨田とみたいさお戦時せんじちゅう学生がくせい時代じだい岡崎おかざき日活にっかつばん映画えいがふうまたさんろう」を感銘かんめいけたとかたっている。
  • また三郎さぶろう」(2021ねん) - ヨルシカきょく。「現代げんだい社会しゃかい閉塞へいそくかんかぜこわしてほしい」というおもいがめられている。

関連かんれん文献ぶんけん

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評論ひょうろんとう過去かこ多数たすう存在そんざいするが、単行本たんこうぼんとしてほんさくをタイトルにふくみ、比較的ひかくてき入手にゅうしゅ容易よういなものをげる。

  • てんさわ退二郎たいじろうなぞき・ふうまた三郎さぶろう丸善まるぜん丸善まるぜんライブラリー 33〉、1991ねん12月。ISBN 4-621-05033-8 

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d てんさわ退二郎たいじろう本文ほんぶんについて」『宮沢みやざわ賢治けんじ全集ぜんしゅう 7』筑摩書房ちくましょぼう<ちくま文庫ぶんこ>、1985ねん、pp.589 - 594
  2. ^ てんさわ退二郎たいじろう解説かいせつ」『宮沢みやざわ賢治けんじ全集ぜんしゅう 7』筑摩書房ちくましょぼう<ちくま文庫ぶんこ>、1985ねん、p.618
  3. ^ 青空あおぞら文庫ぶんこ掲載けいさいされている岩波いわなみ文庫ぶんこはんはそうした本文ほんぶん採用さいようしている(ベースとなっているのは1956ねん刊行かんこう筑摩書房ちくましょぼうばん宮澤みやざわ賢治けんじ全集ぜんしゅう』)。
  4. ^ よん年生ねんせい」のれつにいる描写びょうしゃあり(ちくま文庫ぶんこばん全集ぜんしゅう7かん、p.304)。また、「年生ねんせいろく年生ねんせい掃除そうじ当番とうばん」のときに自分じぶんちがうと描写びょうしゃもある(ちくま文庫ぶんこばん全集ぜんしゅう7かん、p.310)。
  5. ^ よん年生ねんせい」のれつにいる描写びょうしゃあり(ちくま文庫ぶんこばん全集ぜんしゅう7かん、p.304)。
  6. ^ 嘉助かすけが「よん年生ねんせい」のれつにいる場面ばめんでそのうしろにいるとしるされている(ちくま文庫ぶんこばん全集ぜんしゅう7かん、p.304)。
  7. ^ 校本こうほん宮澤みやざわ賢治けんじ全集ぜんしゅう』よりもまえ刊行かんこうされた全集ぜんしゅうとうでは「年生ねんせい」に改変かいへんされていた。
  8. ^ 宮沢みやざわ賢治けんじふうまた三郎さぶろう』(新編しんぺん新潮社しんちょうしゃ東京とうきょう新潮しんちょう文庫ぶんこ〉、1989ねん3がつ1にちISBN 4-10-109204-4OCLC 33829969https://www.worldcat.org/oclc/33829969 [ようページ番号ばんごう]
  9. ^ a b 石神いしがみまち「さいかちふかしいしぶみ - 花巻はなまき宮沢みやざわ賢治けんじかい花巻はなまき賢治けんじ
  10. ^ 邦画ほうがフリーブッキングはいおさむベスト作品さくひん」『キネマ旬報きねまじゅんぽう1990ねん平成へいせい2ねん2がつ下旬げじゅんごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、1990ねん、175ぺーじ 
  11. ^ ふうまた三郎さぶろう あにめたまご2016”. 2019ねん12月3にち閲覧えつらん
  12. ^ a b “「極上ごくじょう文學ぶんがくだい12だん上演じょうえん決定けってい題材だいざい宮沢みやざわ賢治けんじふうまた三郎さぶろう・よだかのほし」”. ステージナタリー. (2017ねん5がつ3にち). https://natalie.mu/stage/news/231322 2017ねん5がつ4にち閲覧えつらん 
  13. ^ 仙台せんだいげきのまちトライアルシアター 高校生こうこうせいつく演劇えんげきまた三郎さぶろう - 仙台せんだい市民しみん文化ぶんか事業じぎょうだん

関連かんれん項目こうもく

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  • 種山たねやまばら
  • どんど - NHK連続れんぞくテレビ小説しょうせつ
  • 水沢みずさわ緯度いど観測かんそくしょ - ふうまた三郎さぶろう(「ふうまた三郎さぶろう」の先駆せんく作品さくひんひとつ)には水沢すいたく緯度いど観測かんそくしょでテニスにきょうじる「木村きむら博士はかせ」が登場とうじょうする場面ばめんがある。賢治けんじ自身じしん緯度いど観測かんそくしょ度々たびたび訪問ほうもんしており、そのさい見聞けんぶんもとづくものとされる。
  • きゅう細工ざいく中学校ちゅうがっこう - 奥州おうしゅう江刺えさしにあるふうまた三郎さぶろう舞台ぶたいとなった学校がっこうとされている。1957ねん昭和しょうわ32ねん制作せいさく東映とうえい教育きょういく映画えいがふうまた三郎さぶろう」ではロケに使つかわれている。

外部がいぶリンク

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