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餓死 - Wikipedia

餓死がし(がし、えい: starvation)とは、食物しょくもつ摂取せっしゅたれる(つ)ことにより、いちじるしい栄養失調えいようしっちょうから死亡しぼうすることをす。

人間にんげん餓死がし

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成人せいじんでは基礎きそ代謝たいしゃりょうのキロカロリーは、体重たいじゅうのキログラムの25ばいから30ばい、すなわち、体重たいじゅう60kgの男性だんせいなら1500キロカロリーから1800キロカロリー程度ていどである。ヒトは日々ひび活動かつどうのエネルギーげんとして、肝臓かんぞう筋肉きんにくグリコーゲンたくわえているが、これは、絶食ぜっしょくこうやく1にちですべて血糖けっとうグルコース)となり、全身ぜんしん使つかたされる。

グリコーゲンを使つかたした結果けっかちゅうグルコースが低下ていかすると、肝臓かんぞうちゅう脂肪酸しぼうさん分解ぶんかい経路けいろであるβべーた酸化さんか回路かいろ活性かっせいされ、肝臓かんぞうちゅう脂肪しぼうβべーた酸化さんかケトンたいβべーた-ヒドロキシ酪酸アセトンアセトアセチルCoA)に変化へんかし、りゅうちゅう流出りゅうしゅつする。アセトンをのぞくケトンたいは、全身ぜんしんでグルコースにわるエネルギーげんとして利用りようされる。

したがって、栄養えいよう欠乏けつぼうするとまず肝臓かんぞう筋肉きんにくちゅうのグリコーゲンが、ついでかん脂肪しぼうがエネルギーげんとして使つかわれる。飢餓きが状態じょうたいさらすすむと、からだ脂肪しぼう皮下脂肪ひかしぼうなど肝臓かんぞう以外いがい脂肪しぼうりゅうって肝臓かんぞうへとはこばれ、これもまた、肝臓かんぞうβべーた酸化さんかされてケトンたいわり、同様どうようにエネルギーげんとなる。これにより、ヒトは、理論りろんじょう水分すいぶん補給ほきゅうさえあれば絶食ぜっしょく状態じょうたいで2かげつから3かげつ程度ていど生存せいぞん可能かのうであり、この限界げんかいえれば餓死がしいたることになる。

たとえば、体重たいじゅう70kg、からだ脂肪しぼうりつ20%と仮定かていしたうえで、脂肪しぼうカロリーを9kcal/g、絶食ぜっしょくによって運動うんどう強度きょうどがった結果けっかとして低下ていかする基礎きそ代謝たいしゃりょうを1200kcal/にちとすると、70 kg × 0.2(からだ脂肪しぼうりつ)× 9 kcal/g / 1200 kcal/にち = 105にち、となり、この計算けいさんだと、ヒトは絶食ぜっしょく3かげつはんほど生存せいぞんできることになる。ただし、これはあくまでエネルギーの計算けいさんじょうというだけで、実際じっさいには健康けんこう状態じょうたい維持いじすることは不可能ふかのうちかい。

その理由りゆうは、ヒトの体内たいないではタンパク質たんぱくしつ核酸かくさん無機むき塩類えんるい、そのほかの様々さまざま生理せいり活性かっせい物質ぶっしつゆるやかに代謝たいしゃ回転かいてんしており、それらの新規しんき合成ごうせいのため、必須ひっすアミノ酸あみのさん必須ひっす脂肪酸しぼうさん、ミネラルるいや、様々さまざまなビタミンなどを食物しょくもつより摂取せっしゅする必要ひつようがあるからである。ぎゃくにこれらの摂取せっしゅがない場合ばあい筋肉きんにくなどが分解ぶんかいし、べつタンパク質たんぱくしつ合成ごうせいのためのアミノ酸あみのさんげんとして使つかわれることになる。

食糧しょくりょう事情じじょうわる場所ばしょ時代じだいにおいて、こころならずも餓死がしするれい歴史れきしじょう数多かずおおられる。また、ハンガー・ストライキ結果けっかとして餓死がしする場合ばあいもある。

日本にっぽんにおける餓死がし

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千葉ちばけん松戸まつど本土ほんどてら保管ほかんされている『本土ほんどてら過去かこちょう』には、300ねんわた関東かんとうにおける死者ししゃすう推移すいい記録きろくされている[1]。その推移すいいをグラフにすると、極端きょくたん死者ししゃすう増加ぞうかし「やま」や「みね」を形成けいせいする時代じだい散見さんけんされる[2]。こうした「やま」や「みね」が形成けいせいされる年代ねんだいは、史料しりょうから飢餓きがのあった年代ねんだい一致いっちしていることが判明はんめいしており[2]飢饉ききんによる餓死がしきわめておおかった可能かのうせい示唆しさされる[3]。こうした日本にっぽん中世ちゅうせい飢餓きがおおさの原因げんいんひとつとして、農業のうぎょう基盤きばん脆弱ぜいじゃくさが指摘してきされる[3]

この過去かこちょう記録きろくされる、中世ちゅうせいにおける餓死がしぶしにおいて一定いってい差異さいせる[4]餓死がししゃもっとおおくなるのが、旧暦きゅうれきはるから初夏しょかにかけてである[4]はるから初夏しょかにかけての端境期はざかいきが、食料しょくりょうそこをつくぶしであることがその理由りゆうである[4]。そして、それは「中世ちゅうせい地域ちいききるひと一般いっぱんてきなありかた」でもあった[4]なつむぎ収穫しゅうかくぶしである5がつえると、餓死がししゃかず劇的げきてき減少げんしょうしている[4]なつむぎ収穫しゅうかくによりえが緩和かんわされることが餓死がししゃ減少げんしょう理由りゆうである[4]中世ちゅうせい日本にっぽん寒冷かんれい飢餓きがおそわれた社会しゃかいであり[5]はるになると毎年まいとしのように顕著けんちょ食料しょくりょう不足ふそくおちいり、慢性まんせいてき飢餓きがおそわれていた[6]

日本にっぽんではだい世界せかい大戦たいせんとおして、戦死せんししゃよりもおおかず餓死がししゃ発生はっせいした。太平洋戦争たいへいようせんそうにおける日本にっぽんへい死者ししゃは250まんにんだが、このうち、7わりもが広義こうぎでの餓死がししゃであり、太平洋たいへいよう戦線せんせんにおいて戦域せんいき拡大かくだいぎ、兵站へいたんたれたため、これらの餓死がししゃ続出ぞくしゅつすることになるが、べつ地域ちいき内国ないこくゆうへい)では、配給はいきゅうじょう食料しょくりょう過多かたにおちいる兵士へいしている[7]

終戦しゅうせん直後ちょくごには、法令ほうれい遵守じゅんしゅ立場たちばからヤミ米やみごめ拒否きょひし、配給はいきゅうだけで生活せいかつしようとして餓死がしした判事はんじ山口やまぐち良忠よしただ有名ゆうめいとなった。食糧しょくりょう管理かんりほう遵守じゅんしゅして餓死がししたものとして、山口やまぐちほかには東京とうきょう高校こうこうドイツ教授きょうじゅ亀尾かめお英四郎えいしろう[8]青森あおもり地方裁判所ちほうさいばんしょ判事はんじ保科ほしな徳太郎とくたろう[9]つたえられている[10]

一方いっぽう当時とうじくらべ、飽食ほうしょくともわれるであるはずが、生活せいかつ保護ほごけず、あるいはけられず餓死がしするれい子供こども保護ほごしゃから虐待ぎゃくたい食事しょくじあたえられずに餓死がしする事件じけんこばめしょくしょう原因げんいん餓死がしする事例じれい発生はっせいしている。前者ぜんしゃれい格差かくさ増大ぞうだいれいとされることもあり、こばめしょくしょう事例じれいでは、こばめしょくしょう患者かんじゃ全体ぜんたいの2わり自殺じさつふくめ、最終さいしゅうてきには死亡しぼういたっている。

また、2022ねん人口じんこう動態どうたい統計とうけいによると[11]食糧しょくりょう不足ふそく(X53)」の死亡しぼうしゃすうは15にん男性だんせい:12にん女性じょせい:3にん)である。

おも餓死がし事件じけん人物じんぶつ

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日本にっぽん国内こくないかんしては国名こくめいはぶく。

餓死がしふく事件じけん

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餓死がし寸前すんぜん保護ほごされた事件じけん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 湯浅ゆあさ・179ぺーじ
  2. ^ a b 湯浅ゆあさ・180-181ぺーじ
  3. ^ a b 湯浅ゆあさ・181ぺーじ
  4. ^ a b c d e f 湯浅ゆあさ・182ぺーじ
  5. ^ 湯浅ゆあさ・178ぺーじ
  6. ^ 湯浅ゆあさ・182-183ぺーじ
  7. ^ 坂本さかもとゆう はたいく 半藤はんどう一利かずとし 保阪ほさかただしやすし昭和しょうわ論点ろんてん文春ぶんしゅん新書しんしょ 13さつ2018ねん(1さつ2000ねんISBN 978-4-16-660092-2、186-187ぺーじ陸軍りくぐんおもこめにこだわったため、はこべる兵站へいたんかぎられ、短期間たんきかん食料しょくりょうきたことや優秀ゆうしゅうなソナーしゅ輸送ゆそうせん護衛ごえいかんおくらなかったため、次々つぎつぎ撃沈げきちんされたことが指摘してきされている。
  8. ^ 1945ねん10がつ28にち 毎日新聞まいにちしんぶん同紙どうしには「過日かじつ静岡しずおかけんさんしょく外食がいしょくしゃ栄養失調えいようしっちょう死亡しぼうした」ともしるされている
  9. ^ 1947ねん12月9にち 北海道新聞ほっかいどうしんぶん
  10. ^ 十一月じゅういちがつななにちづけ日本海にほんかい新聞しんぶん鳥取とっとり)「社説しゃせつ」は、「話題わだいのぼらぬこのたね実話じつわはかなりおおくあるにちがいない」とする。げんに、佐賀さが新聞しんぶん山口やまぐち判事はんじ地元じもとであるにもかかわらず事件じけん当時とうじ一切いっさい報道ほうどうをしておらず、どう新聞しんぶん資料しりょう調査ちょうさしつによれば、「占領せんりょうぐん遠慮えんりょがあったのか」もしれないとされる。山形やまがた・24ぺーじ。また、食糧しょくりょう管理かんりほう完璧かんぺき遵守じゅんしゅしたかどうかはべつとしても、山口やまぐち同様どうよう結核けっかくたおれた裁判所さいばんしょ関係かんけいしゃじつおおく、栄養えいよう不足ふそくあしっぱられてんだものけつなくなかった。山形やまがた・252ぺーじ
  11. ^ 厚生こうせい労働省ろうどうしょう人口じんこう動態どうたい保健ほけん社会しゃかい統計とうけいしつ (2023ねん9がつ15にち). “人口じんこう動態どうたい調査ちょうさ / 人口じんこう動態どうたい統計とうけい かく定数ていすう 死亡しぼう 下巻げかん 死亡しぼうすうせい年齢ねんれい(5さい階級かいきゅう)・死因しいん(さんけた基本きほん分類ぶんるいべつ (2) ICD-10コード V~Y、U” (CSV). 厚生こうせい労働ろうどうしょう. 2024ねん5がつ11にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 湯浅ゆあさ治久はるひさ戦国せんごく仏教ぶっきょう」(中公新書ちゅうこうしんしょ) ISBN 978-4-12-101983-7

関連かんれん項目こうもく

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