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ARTA - Wikipedia

ARTA(エーアールティーエー)は、もとレーシングドライバーの鈴木すずき久里くさとオートバックス提携ていけいして1997ねん設立せつりつした日本にっぽんモータースポーツプロジェクトおよびブランド。正式せいしき名称めいしょうは「AUTOBACS RACING TEAM AGURI(オートバックスレーシングチーム・アグリ)」。運営うんえい母体ぼたいは「株式会社かぶしきがいしゃアルネックス」。

株式会社かぶしきがいしゃアルネックス
ALNEX Co., Ltd.
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
102-0071
東京とうきょう千代田ちよだ富士見ふじみ2丁目ちょうめ2ばん3ごう
設立せつりつ 2010ねん1がつ
業種ぎょうしゅ サービスぎょう
法人ほうじん番号ばんごう 7080101007855
代表だいひょうしゃ 代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょう 鈴木すずき久里くさと
外部がいぶリンク https://www.alnex.jp/
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ARTA
ARTA NSX-GT(2022年度SUPER GT参戦車両)
ARTA NSX-GT(2022年度ねんどSUPER GT参戦さんせん車両しゃりょう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
チーム代表だいひょう 鈴木すずき久里くさと
関係かんけいしゃ 土屋つちやけい
金石かねいしみのるひろし
伊沢いさわ拓也たくや
塚越つかこし広大こうだいほか
活動かつどう期間きかん 1998ねん -
カテゴリ IRLFN全日本ぜんにほんF3
全日本ぜんにほんGTSUPER GT
チームズ
タイトル
SUPER GT (GT500) 1(2007
SUPER GT (GT300) 1(2019
ドライバーズ
タイトル
全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん(GT300)1(2002
SUPER GT (GT500) 1(2007)
SUPER GT (GT300) 1(2019)
公式こうしきサイト ARTA Project
2025ねんのSUPER GT (GT500)
エントリーめい ARTA
レーサー 8.
日本の旗 野尻のじり智紀ともき
日本の旗 松下まつした信治しんじ
16.
日本の旗 大津おおつ弘樹ひろき
日本の旗 佐藤さとうれん
マシン 8. ARTA MUGEN CIVIC TYPE R-GT #8
16. ARTA MUGEN CIVIC TYPE R-GT #16
タイヤ ブリヂストン
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概要がいよう

編集へんしゅう

F1でチャンピオンあらそいをできるような世界せかい通用つうようするドライバーを発掘はっくつ育成いくせいすることを目的もくてき設立せつりつされたプロジェクトで、当初とうしょは「ARTA F1 Project」としていたがF1文字もじ正式せいしき許可きょかなく使用しようしたことが問題もんだいとなり、のちに「ARTA Project」に変更へんこうした。

レーシングカート大会たいかい「ARTAチャレンジ」[ちゅう 1]主催しゅさい若年じゃくねんそう才能さいのう発掘はっくつ育成いくせい目指めざほか下位かいカテゴリーに参戦さんせんするわか才能さいのうへのサポートをおこない、レーシングチームとしてはフォーミュラ・ニッポン全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん(JGTC、げん SUPER GT)に参戦さんせん

2001ねんにはどうプロジェクトの支援しえんけた金石かねいしみのるひろしが、ドイツF3のシリーズチャンピオンにかがやいていた。2002ねんにはドイツF3に松浦まつうらたかしあきら、フランスF3に井出いでゆうおくんだ。2003ねんには金石かねいし勝智かつともドイツツーリングカー選手権せんしゅけん松浦まつうらたかしあきらをルノーV6シリーズ、伊沢いさわ拓也たくやをフォーミュラBMWシリーズにおくむなど世界せかい活動かつどうひろげてった。

2007ねんにはARTAとして参戦さんせん、あるいはドライバーのサポートをおこなっているカテゴリーが

とモータースポーツの底辺ていへんから頂点ちょうてんまでをめるようになり、世界せかい最大さいだい規模きぼのレーシングプロジェクト体系たいけいとなった[1]

しかし、2007ねんかぎりでIRLから撤退てったい。2008ねんにはスーパーアグリF1チームがシーズン途中とちゅう撤退てったい。2009ねん経済けいざい情勢じょうせい悪化あっかからフォーミュラ・ニッポン参戦さんせん断念だんねんするなど活動かつどう規模きぼ縮小しゅくしょうされたが、現在げんざい日本にっぽん有数ゆうすうのレーシングチームの1つである。

メジャーレースではホンダとのむすびつきがつよいが、アマチュアしょくつよツーリングカーレースラリーでは、他社たしゃマシンをもちいることもある[ちゅう 2]

21ねんとなる2018ねんより「ARTA Project」から「ARTA」へと改称かいしょうしロゴも一新いっしん。レーシングチームめいからスポーツブランドへ進化しんかしたことを発表はっぴょう[2]。それにともない2019ねんからエントラントめいも「AUTOBACS RACING TEAM AGURI」から「ARTA」に変更へんこうした。

2025ねん5がつ13にちづけで、オートバックスセブンが運営うんえい母体ぼたいであるアルネックスのぜん株式かぶしき取得しゅとくする予定よてい[3][4]

フォーミュラ・ニッポン

編集へんしゅう

1998ねん〜2003ねん

編集へんしゅう

フォーミュラ・ニッポン発足ほっそく(1996ねん)から参戦さんせんしていた「FUNAI SUPER AGURI(フナイ・スーパーアグリ)」が、1998ねんより「ARTA」となる。2002ねんまでに優勝ゆうしょうは3かいのみで、いずれのシーズンもチーム・ドライバーどもにチャンピオンあらそいにおおきくからむことはなかった。

2003ねんチームルマンとのジョイントチーム「Forum eng, ARTA Team LeMans(フォーラムエンジニアリング・エーアールティーエー・チームルマン)」で参戦さんせんしたが、実質じっしつてきにはチームルマンそのものであり、この体制たいせいは1ねん終了しゅうりょう。このシーズンをもってシリーズから一時いちじ撤退てったい

  • 1998ねん #55 金石かねいし勝智かつとも / #56 わきばん寿一ひさいちLOLA T97-51・無限むげんMF308)- ランキング3優勝ゆうしょう1かいわきばん
  • 1999ねん #55 金石かねいし勝智かつとも / #56 わきばん寿一ひさいち(LOLA B99-51 → REYNARD 99L・無限むげんMF308)- ランキング6
  • 2000ねん #55 金石かねいし勝智かつとも / #56 わきばん寿一ひさいち(REYNARD 99L・無限むげんMF308)- ランキング4
  • 2001ねん #55 わきばん寿一ひさいち / #56 土屋つちや武士たけし(REYNARD 2KL・無限むげんMF308)- ランキング3優勝ゆうしょう1かいわきばん
  • 2002ねん #55 わきばん寿一ひさいち / #56 金石かねいしみのるひろし(REYNARD 01L・無限むげんMF308)- ランキング3優勝ゆうしょう1かいわきばん
  • 2003ねん #7 金石きんせきねんひろし / #8 土屋つちや武士たけし(LOLA B351・無限むげんMF308)- ランキング2優勝ゆうしょう1かい金石かねいし

2006ねん〜2008ねん

編集へんしゅう

2006ねんより参戦さんせん再開さいかい。メンテナンスはSUPER GTと同様どうよう童夢どうむ委託いたく予選よせんでははやさをせるが決勝けっしょうでの結果けっかむすびつかず、同一どういつ態勢たいせいのぞんだ2007ねん精彩せいさいなくシーズンをえた。2008ねんには自社じしゃメンテ体制たいせい変更へんこうするも状況じょうきょう好転こうてんせず、経済けいざい情勢じょうせい悪化あっかなどもあって2009ねんよりふたた参戦さんせん休止きゅうしした。

全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん・SUPER GT

編集へんしゅう

1998ねんスカイラインGT-R参戦さんせんし、本山もとやまあきら土屋つちや武士たけし起用きようした。ちなみに、鈴木すずき久里くさとNISMOの2号車ごうしゃより参戦さんせんしており、1999ねんはこのチームにARTAがジョイントするかたちとなった。

2000ねんよりホンダとジョイントし、マシンをNSX変更へんこう初年度しょねんどはオーナードライバーの久里くさとくわえて土屋つちやけいがドライブした。2001ねんより久里くさとわって金石かねいし勝智かつともがドライブし、このとし最終さいしゅうせんまでタイトルあらそいをえんじた。

2003ねん金石かねいし勝智かつともドイツツーリングカー選手権せんしゅけん(DTM)参戦さんせんともない、従兄弟いとこ金石かねいしみのるひろしがドライブ。このとし土屋つちや現役げんえきドライバーを引退いんたいした。

2004ねんはDTMがえりの金石かねいし勝智かつとも伊藤いとう大輔だいすけがドライブした。このとし前年ぜんねん引退いんたいした土屋つちや監督かんとく就任しゅうにん。しかしマシンの不調ふちょうもあり、わずか2ポイントしか獲得かくとくできなかった。

2005ねんからはTeam Honda Racingとして、TAKATA童夢どうむNSX同様どうようホンダワークスとなり、そう監督かんとく久里くさと監督かんとく童夢どうむ中村なかむら卓哉たくやむかえた体制たいせいとなった。ドライバーは昨年さくねんつづ伊藤いとうと、もう一人ひとり当初とうしょジョナサン・コシェだったが、開幕かいまく直前ちょくぜんもとF1ドライバーのラルフ・ファーマン変更へんこうした。シーズン序盤じょばんはやや苦戦くせん気味ぎみであったが、だい3せんセパン)からチームに先駆さきがけてターボエンジンからNAエンジンへかわそうしたのを復調ふくちょうポールポジションを3かい獲得かくとくし、だい7せんオートポリス)ではポールトゥーウィン優勝ゆうしょうげ、最終さいしゅうせんまでチャンピオンあらそいをひろげた。

2006ねんつづ伊藤いとうとファーマンのコンビで参戦さんせん久里くさとがスーパーアグリF1チームの運営うんえいともな土屋つちやけい監督かんとく就任しゅうにんし、そう監督かんとくには中村なかむら卓哉たくや兼任けんにんすることになった。開幕かいまくせんでは圧倒的あっとうてきはやさでポールポジションを獲得かくとくしたが、なかなか優勝ゆうしょうすることができないでいた。しかしだい4せん(セパン)でポール・トゥ・ウィンをかざことができた。一時いちじはポイントランキングトップにつけるも後半こうはんせん不運ふうん不運ふうんにより後退こうたい。ランキング7でシーズンをえた。

2007ねんはTeam Honda Racingを解散かいさんし、ふたたびARTAとして前年ぜんねんおな布陣ふじん参戦さんせんする。開幕かいまくせん鈴鹿すずか)では最終さいしゅうラップでリタイヤしたものの圧倒的あっとうてきはやさをせ(予選よせんでは鈴鹿すずかにおけるGT500のコースレコードを樹立じゅりつした)、だい2せん岡山おかやま)、だい5せん菅生すごう)で優勝ゆうしょうはやくも2しょうげる。さらにいきおいはまらず、ボーナスポイントのはいだい6せん鈴鹿すずか1000km)で2はいると、最終さいしゅうせんまえにしただい8せん(オートポリス)では優勝ゆうしょうかざり、ARTA NSXはHONDAにとって2度目どめとなるシリーズタイトルを最終さいしゅうせんたずして獲得かくとくした。これはJGTC時代じだいふくめてGT500史上しじょうはじめてのことである。

2008ねんは、メンテナンス体制たいせい自社じしゃ(スーパーアグリカンパニー)メンテ体制たいせい回帰かいきすることになり、ふたたびサテライトチームの位置いちづけにもどることになった。ドライバーも伊藤いとうがトヨタ陣営じんえいのチームルマンに移籍いせきしたため、ファーマンがエースの役目やくめたす一方いっぽうで、パートナーにはあらたにルーキーの伊沢いさわ拓也たくやえらばれることになった。だい4せんセパン)では22号車ごうしゃとのトップあらそいの最中さいちゅう伊沢いさわ判断はんだんミスもあり1コーナーで接触せっしょく、ドライブスルーペナルティをけて優勝ゆうしょうあらそいから脱落だつらくした(その驚異きょういてきはやさでげ3まで順位じゅんいもどすが、マシントラブルによりリタイア)。だい5せん菅生すごう)でも18号車ごうしゃはげしくトップをあらそうが、最終さいしゅうコーナーで300にまった道上みちがみそとからこうとした伊沢いさわはタイヤカスにあしられオーバーラン、はげしくクラッシュした。最終さいしゅうてきに3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくしたものの6せんすべてノーポイントにわりランキング7となった。

NSX最終さいしゅうねんとなった2009ねんは、前年ぜんねんつづきファーマンと伊沢いさわのコンビで参戦さんせんだい7せん富士ふじ)と最終さいしゅうせんもてぎ)で2しょうげ、ランキング2でシーズンをえている。

2010ねんは、車両しゃりょうHSV-010 GT変更へんこうした。だい6せん鈴鹿すずか)では、このレースのためにだい3ドライバーとして登録とうろくしていた小林こばやし崇志たかしがGT500史上しじょう最年少さいねんしょうとなるポールポジションを獲得かくとくし、レースも優勝ゆうしょうかざった。しかし、これ以外いがい精彩せいさいき、シリーズ11でシーズンをえた。

2011ねんは、小林こばやしがレギュラーに昇格しょうかく武藤むとう英紀ひでのりとコンビをんだが、チームランキング15、ドライバーズランキング14低迷ていめいした。よく2012ねん武藤むとうわってファーマンが復帰ふっきしたが、チームランキング15、ドライバーズランキング16わる。

HSV-010最終さいしゅうねんとなる2013ねんは、前年ぜんねんまでGT300クラスに参戦さんせんしていた松浦まつうらたかしあきら小林こばやしわり、ファーマンとコンビをんで参戦さんせんだい4せん菅生すごう)では、天候てんこうまぐるしくわった影響えいきょうでトップグループが集団しゅうだんクラッシュすると、その間隙かんげきき、パンクに見舞みまわれたDENSO KOBELCO SC430のわきばん寿一ひさいちわす。直後ちょくごKeePer TOM'S SC430の伊藤いとう大輔だいすけをオーバーテイクし、もとARTAの2人ふたりのこり9しゅうでトップにつ。ファイナルラップ、GT300クラスのトップARTA CR-Z GTにいつくと、そのままランデブー走行そうこうひろげ2だい同時どうじにトップチェッカー。ARTA HSV-010にとって3ねんぶりの優勝ゆうしょう、ARTAはつりょうクラス同時どうじ優勝ゆうしょうかざった。[5][6]

2014ねんはファーマンにわってもとF1ドライバーのヴィタントニオ・リウッツィ起用きよう松浦まつうらとコンビをんだ。チームランキング14、ドライバーズランキング16

2017ねん小林こばやしが2012ねん以来いらいにGT500へ復帰ふっきし、野尻のじり智紀ともきとコンビをこととなった。だい5せん (富士ふじ) では開幕かいまくせんからつづいたレクサスの連勝れんしょうめるポールトゥウィン、2013ねんだい4せんときおなじく300クラスでもARTA M6が優勝ゆうしょうかざり、史上しじょうはつりょうカテゴリポールトゥウィンをげた。

2018ねんふたた小林こばやしわり国光こっこうから移籍いせき伊沢いさわ拓也たくや復帰ふっきした。伊沢いさわ昨年さくねんまでの不振ふしんはらだい3せん鈴鹿すずか)で優勝ゆうしょうたすと、だい6せん菅生すごう)でも2表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく最終さいしゅうせんもてぎ)ではポールトゥウィン優勝ゆうしょうするも、ドライバーズランキング、チームランキングともに3わった。

2020ねん伊沢いさわわり、福住ふくずみひとしみねがGT300クラスより昇格しょうかくし、野尻のじりとコンビをんだ。

2023ねん長年ながねんメンテナンスをおこなってきたセルブスジャパンとの提携ていけい解消かいしょうM-TECへと変更へんこうとなった。前年ぜんねんまでTEAM Red Bull MUGENとして参戦さんせんしていた16号車ごうしゃがエントラントをARTAへ変更へんこうし、チームとしてGT500でははつの2だい体制たいせいとなった。ドライバーは8号車ごうしゃ野尻のじり大湯おおゆじゅ、16号車ごうしゃ福住ふくずみ大津おおつ弘樹ひろきのラインナップとなった。

2024ねんはGT500での2だい体制たいせい継続けいぞくとなった。ドライバーはトヨタ陣営じんえい移籍いせきした大湯おおゆ福住ふくずみわり、8号車ごうしゃ野尻のじり松下まつした信治しんじ、16号車ごうしゃ大津おおつ2021ねんのGT300クラスに参戦さんせんしていた佐藤さとうれんというラインナップとなった。

2001ねんトヨタ・MR-S参戦さんせん開始かいし。2002ねんには新田にった守男もりお高木たかぎ真一しんいちのコンビでシリーズチャンピオンを獲得かくとくした。

2003ねんにマシンをオートバックスが独自どくじ開発かいはつしたガライヤにスイッチする。このとしはコーナリングはいいものの、日産にっさんから供給きょうきゅうされたSR20DET(シルビアと同一どういつエンジン)がパワー不足ふそくで、不本意ふほんい成績せいせきわる。よく2004ねんにはエンジンをおな日産にっさんせいVQ35DE(GT300クラスに参戦さんせんしたフェアレディZと同一どういつエンジン)かわそうするなどのパワーアップをはかり、2連勝れんしょうするなど活躍かつやくしチャンピオンあらそいをするが、1ポイントやぶれる。2005ねんだい7せん(オートポリス)までポイントランキングトップだったが、最終さいしゅうせんやぶれてシリーズ総合そうごう3わっている。シーズンちゅうに、監督かんとくの「チャンピオンになれなかったらチーム解散かいさん」という一言ひとことがあったことから、このとしかぎりに参戦さんせん終了しゅうりょうすることとなった。

しかし、2007ねん久里くさとの「プロジェクト発足ほっそく10ねんという節目ふしめとしに、どうしてもガライヤをはしらせたかった」というおもいから、ふたたび2005ねんおな布陣ふじんでの参戦さんせんまった。1ねんのブランクがあったものの元々もともとはやいマシンがゆえか、公式こうしきテストではけをらないポテンシャルをせた。シーズンでは開幕かいまく直後ちょくごこそトラブルとうかんばしくない成績せいせきのこしていたが、だい3せん富士ふじ)で優勝ゆうしょうたしている。しかし中盤ちゅうばんはは不運ふうん見舞みまわれることがおおくなかなか成果せいかのこせなかったものの、だい6せんだい7せん連続れんぞく表彰台ひょうしょうだいかえしをせチャンピオンあらそいにのこったが、結局けっきょくシリーズ4という結果けっかわりタイトル獲得かくとくにはいたらなかった。

2008ねんつづおな体制たいせい参戦さんせんすることになった。マシンは前年度ぜんねんど同様どうようガライヤであるがシャシーが新造しんぞうされており、だい2せん岡山おかやま)とだい5せん菅生すごう)で優勝ゆうしょう、46号車ごうしゃモーラ最後さいごまでタイトルをあらそった。46号車ごうしゃ最終さいしゅうラップ最終さいしゅうコーナーの時点じてんで7であり、ガライヤがタイトルをにしたかとおもわれたが、ストレートでおな日産にっさんの81号車ごうしゃダイシンアドバンZがスローダウン、46号車ごうしゃが6がり1ポイント逆転ぎゃくてんされシリーズ2でシーズンをえた。

2009ねん前年ぜんねん同様どうよう体制たいせい参戦さんせんし、だい3せん富士ふじ)で優勝ゆうしょう、チームランキング4、ドライバーズランキング5でシーズンをえている。

2010ねん新田にった高木たかぎコンビで参戦さんせんつづけたが、シーズンは勝利しょうり、ランキングも最終さいしゅうせんフェアレディZハセミモータースポーツ星野ほしの一樹かずき柳田やなぎだ真孝まさたかくみ逆転ぎゃくてんチャンピオンをゆるし、ランキング2わった。

2011ねん新田しんでんがチームをはなれ、わりのドライバーとして松浦まつうらたかしあきら起用きよう。さらに、それまでGT300クラスにはタイヤ供給きょうきゅうおこなっていなかったブリヂストンがガライヤのためだけにGT300ようタイヤを開発かいはつ供給きょうきゅうするという体制たいせいいどんだが、結果けっかはドライバーズランキング12、チームランキング10わる。ガライヤ最終さいしゅうねんの2012ねん同様どうよう体制たいせいで、ドライバーズランキング9、チームランキング8わった。

2013ねんは、マシンをホンダ・CR-Z変更へんこうし、カーナンバーも43から55に変更へんこうされる。ドライバーは前年ぜんねんまでGT500クラスに参戦さんせんしていた小林こばやし崇志たかし松浦まつうらわり、高木たかぎとコンビをむ。だい3せん(セパン)で優勝ゆうしょうし、CR-Z GTのはつ勝利しょうり、GT300におけるブリヂストンのはつ勝利しょうり、16号車ごうしゃ無限むげんCR-Z GTとともにワンツーフィニッシュをかざった[7]つづだい4せん菅生すごう)でもはやさと戦略せんりゃくたくみさを優勝ゆうしょう。2無限むげんCR-Z GTがはいり、2せん連続れんぞくCR-Z GTのワンツーフィニッシュとなった。また、ファイナルラップでいついたGT500のトップARTA HSV-010とランデブー走行そうこう同時どうじトップチェッカー、ARTAはつりょうクラス同時どうじ優勝ゆうしょうたした。[8][6]チームランキング、ドライバーズランキングいずれも7

2014ねんは2013ねん同様どうよう体制たいせいだい3せん(オートポリス)で優勝ゆうしょう、チームランキング10、ドライバーズランキング11

2016ねん昨年さくねんでCR-Z GTでの参戦さんせん終了しゅうりょうしたGT300クラスでは、あらたにBMW M6 GT3投入とうにゅう。ドライバーは昨年さくねん同様どうよう高木たかぎ小林こばやし起用きようされ、ドライバーズランキング5、チームランキング8

2017ねんはGT500クラスに昇格しょうかくした小林こばやしわってショーン・ウォーキンショー加入かにゅう高木たかぎとコンビをんだ。だい5せん富士ふじ)で優勝ゆうしょうかざ最終さいしゅうせんのタイトルあらそいにのこったが、ドライバーズランキング、チームランキングともに4でシーズンをえた。

2018ねん前年ぜんねん同様どうよう高木たかぎとウォーキンショーのコンビで参戦さんせんだい2せんだい5せん(ともに富士ふじ)で優勝ゆうしょうし、タイトルあらそいをリードするも最終さいしゅうせんで65号車ごうしゃLEON CVSTOS AMGをドライブする黒澤くろさわ治樹はるき蒲生がもう尚弥なおやくみ逆転ぎゃくてんゆるし、ドライバーズランキング、チームランキングともに2わった。

2023ねんはGT500クラスの2だい体制たいせい移行いこうともない、GT300クラスから撤退てったいする。

全日本ぜんにほんラリー選手権せんしゅけん

編集へんしゅう
 
全日本ぜんにほんラリーに参戦さんせんするARTAのトヨタ・ヴィッツ

2000年代ねんだいからフレッシュマン・ワンメイク・スピード行事ぎょうじ(F.O.S.club)の一環いっかんとしてトヨタ主催しゅさいするTRDヴィッツチャレンジげんTGRラリーチャレンジ)に参戦さんせん若手わかて育成いくせいおこなった。

2010年代ねんだいからは富山とやまけんのアフターパーツメーカーである株式会社かぶしきがいしゃピューマのオペレーションにより、ARTAオートバックスラリーチームとして全日本ぜんにほんラリー選手権せんしゅけんにも参戦さんせんし、石川いしかわ昌平しょうへい/石川いしかわきょうけいぐみが2015ねんスバル・BRZでJN4クラスタイトルを獲得かくとくした。2018ねん現在げんざい石川いしかわ昌平しょうへい/たけやぶ英樹ひできぐみがトヨタ・ヴィッツでJN3クラスに参戦さんせんしている。

インディカー・シリーズ

編集へんしゅう

2003ねんよりエイドリアン・フェルナンデスひきいるフェルナンデス・レーシング提携ていけいし「SUPER AGURI FERNANDEZ RACING(スーパーアグリ・フェルナンデス・レーシング)」として参戦さんせん。ドライバーにはロジャー安川やすかわ起用きよう。2004ねんからドライバーを松浦まつうらたかしあきら変更へんこう松浦まつうらはこのとしのルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得かくとくした。

2007ねん提携ていけいさきパンサー・レーシング変更へんこうし「SUPER AGURI PANTHER RACING(スーパーアグリ・パンサー・レーシング)」として参戦さんせんしたが、目立めだった成果せいかをあげることなくこのとしをもって撤退てったいした。

2006ねんからスーパーアグリF1チームがF1世界せかい選手権せんしゅけん参戦さんせん。チーム自体じたいはARTAの直接ちょくせつ運営うんえいではないが、オートバックスがスポンサーシップをおこない、オートバックスモータースポーツのCMや[9]、ARTA関係かんけいのイベントに登場とうじょう[10][11]、ARTAのホームページじょうでもARTA体系たいけい頂点ちょうてんしるされる[1]などARTA Projectの一部いちぶとしてなされた。

これによりARTAは、モータースポーツの底辺ていへんであるカートから頂点ちょうてんのF1までを網羅もうらするレーシングプロジェクト体系たいけい完成かんせい。スーパーアグリF1チームがARTA出身しゅっしん井出いでゆう起用きようしたことで設立せつりつ目的もくてきである「世界せかい通用つうようする人材じんざい(ドライバー)をそだ底辺ていへん(カート)から頂点ちょうてん(F1)までの道筋みちすじしめす」を達成たっせいした[1]

2008ねんシーズン途中とちゅうでスーパーアグリF1チームは資金しきんめん問題もんだいからF1から撤退てったい解散かいさんした。

ARTA GALS
基本きほん情報じょうほう
名称めいしょうARTA GALS
職種しょくしゅレースクイーン
職域しょくいき芸能人げいのうじん
詳細しょうさい情報じょうほう
就業しゅうぎょう分野ぶんやモータースポーツ
関連かんれん職業しょくぎょうモデルタレント女優じょゆうグラビアアイドル

ARTAのレースクイーンユニット[12]として1998ねん活動かつどう開始かいし2017ねんシーズンまではオレンジを基調きちょうとしたコスチュームだったが、2018ねん以降いこうくろ基調きちょうとしたスポーティーなコスチュームに変更へんこう[13]。「Aggressive&Passion」をテーマに、うつくしさやつよさを表現ひょうげんする「BEAUTY」、姿勢しせい所作しょさなどをしめす「PROFESSIONAL」、笑顔えがおやおもてなしの「HOSPITALITY」を体現たいげんした“サーキット・アテンダント”として進化しんかげている[13][14]

歴代れきだいメンバー一覧いちらん

編集へんしゅう
オレンジコスチューム時代じだい(1998 - 2017)
とし メンバー
1998ねん 益子ましこ梨恵りえ田中たなかあや山本やまもと恭子きょうこ太田おおたまりうつ工藤くどう香織かおり
1999ねん 田村たむら美咲みさき太田おおたまりうつ矢野やの麻衣子まいこ山下やました真代まさよ西崎にしざきみわこ、松下まつした麻衣子まいこ
2000ねん 相沢あいざわ真紀まき朝倉あさくらはるか太田おおたまりうつ小島こじま由梨ゆり知久ともひさ美幸みゆき米山よねやま理恵子りえこ
2001ねん かとうりえこ、原口はらぐち亜由美あゆみ米山よねやま理恵子りえこ星川ほしかわみなみ、安堂あんどうふみ、小川おがわ亜希あき
2002ねん 浅岡あさおか志保しほ弓月ゆづきしほ、米倉よねくらほしみなみ岩川いわかわ河合かわい洋美ひろみ鈴木すずき由子ゆうこ
2003ねん 山川やまかわ敦子あつこ河合かわい洋美ひろみ高野たかの千紘ちひろ上島うえしまはるか、田中たなか真由美まゆみ渡邊わたなべ智子さとこ
2004ねん 桜井さくらいなお、佐藤さとう志津香しづか小倉おぐら愛菜あいな山本やまもとしゃ有里あり
2005ねん 中林なかばやしれもん、大塚おおつかひゃく松原まつばら朱里じゅり松江まつえまい佐野さの未来みらい
2006ねん 中林なかばやしれもん、松原まつばら朱里じゅり水木みずき杏奈あんな水木みずき由奈ゆな大塚おおつかひゃく大塚おおつか莉奈りな
2007ねん 高田たかだめぐみ梨子なしご大塚おおつか莉奈りな白石しらいし莉紗、西内にしうち裕美ひろみ
2008ねん 加藤かとう里奈りなくすのきしん矢田やたみなみ、永福えいふくアイリ
2009ねん 鶴見つるみ洋子ようこ葛巻くずまきけい黒澤くろさわ友美ゆみ河崎かわさき晴美はるみ
2010ねん 長谷川はせがわゆりや、村上むらかみあさ莉奈りな宇井うい小百合さゆり永井ながい麻央まお
2011ねん 宮田みやたあゆみ、柴原しばはら麻衣まい橋本はしもと雪乃ゆきの小林こばやし梨沙りさ
2012ねん 真野まの淳子じゅんこはやししゃひさし清田きよた絵里加えりか岩月いわつきセリナ
2013ねん はやししゃひさし久保くぼエイミー長谷川はせがわ真子しんじ山本やまもと沙梨さり
2014ねん はやししゃひさし久保くぼエイミー、森脇もりわきしゃ中島なかじまもえ
2015ねん 栗沢くりさわ綾乃あやの田中たなか梨乃りの森脇もりわきしゃ葉月はづきまりか
2016ねん 小林こばやし沙弥さや神崎かんざきゆかり莉子りこ黒田くろだみり、おきたてゆい
2017ねん[15] 宮崎みやざきあみ、近藤こんどうみやび成海なるみあずさおもねとめ夏海なつみ
サーキット・アテンダント時代じだい(2018 - 現在げんざい
とし メンバー
2018ねん[13] 結城ゆうきみい、星野ほしのそう安倍あべ有里子ゆりこ麻田あさだゆん
2019ねん[16] 横町よこちょうももこ綾瀬あやせまお、結城ゆうきみい、真木まきしおり
2020ねん[17] 綾瀬あやせまお、はらことは松田まつだあさいとぐち神尾かみお美月みづき藤澤ふじさわひびきはな真木まきしおり
2021ねん[18] 綾瀬あやせまお、はらことは、さわすみれ神尾かみお美月みづき藤澤ふじさわひびきはな真木まきしおり
2022ねん[14] はらことは、さわすみれ、神尾かみお美月みづき御子柴みこしばかな桜田さくらだ莉奈りな真木まきしおり
2023ねん[19] 木村きむら理恵りえ、はらことは、藤井ふじいマリーさわすみれ、今井いまいみどり真木まきしおり
2024ねん[20] 木村きむら理恵りえ、はらことは、川瀬かわせもえ広瀬ひろせ晏夕一之瀬いちのせ優香ゆか真木まきしおり
2025ねん[21] 川瀬かわせもえ、広瀬ひろせ晏夕、一之瀬いちのせ優香ゆか真木まきしおり

TOUGH & HIGH RESPONSEをコンセプトに、2022ねんにカスタマイズブランドとしてデビュー。カスタムカー製造せいぞうやアパレル産業さんぎょう展開てんかいしている。

カスタムカー

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ARTA MECHANICS “LEGAVELO”は、ホンダ・NSXベースのカスタムカー[22]

ARTA MECHANICS “VIGALE”は、トヨタ・GR86ベースのカスタムカー[23]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 2007ねんまでは単独たんどく大会たいかいだったが、2008ねんよりオープンマスターズカートにまれ、どうシリーズの「ARTAチャレンジクラス」となった。
  2. ^ 十勝とかち24あいだレースではトヨタけいドライバーとともトヨタ・アルテッツァ参戦さんせんしたことがある

出典しゅってん

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  1. ^ a b c ARTA Project [だい2しょう くなき挑戦ちょうせん うみわたったARTA Spirits]
  2. ^ オートバックス、ARTAブランドサイトを開設かいせつ グッズ購入こうにゅう可能かのう”. Response.. 株式会社かぶしきがいしゃイード (2018ねん3がつ30にち). 2018ねん6がつ19にち閲覧えつらん
  3. ^ 株式会社かぶしきがいしゃアルネックスの株式かぶしき取得しゅとく子会社こがいしゃ)にかんするおらせオートバックスセブン 2025ねん4がつ1にち
  4. ^ オートバックス、レーシングチーム「ARTA」運営うんえいのアルネックスを買収ばいしゅう日本にっぽんM&Aセンター 2025ねん4がつ1にち
  5. ^ SUPER GT.NET Rd.4 決勝けっしょうGT500:衝撃しょうげきのサバイバルレースに!ARTA HSV-010が逆転ぎゃくてん勝利しょうり
  6. ^ a b ARTAのダブルウインに、久里ひさとけいだいよろこ
  7. ^ 【SUPER GT だい3せん】GT300はホンダCR-Z対決たいけつ…ARTA高木たかぎ&小林こばやしぐみ優勝ゆうしょう”. Response.. 株式会社かぶしきがいしゃイード (2013ねん6がつ17にち). 2023ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん
  8. ^ SUPER GT.NET Rd.4 決勝けっしょうGT300:チーム全員ぜんいんちから逆転ぎゃくてん!ARTA CR-Z GTが2連勝れんしょうたす
  9. ^ オートバックス モータースポーツCM 2007 - YouTube(2013ねん1がつ25にち公開こうかい)2023ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん
  10. ^ SAF1☆ARTA フェスタin鈴鹿すずかサーキット開催かいさい”. Response.. 株式会社かぶしきがいしゃイード (2006ねん10がつ16にち). 2023ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん
  11. ^ ARTA、ファンとの交流こうりゅうおおいにがる
  12. ^ artaracing.com. “GALS - ARTA レースクイーン”. 2022ねん7がつ26にち閲覧えつらん
  13. ^ a b c ARTA、レースクイーンからサーキットアテンダントへ! 新生しんせい「ARTA GALS」メンバーが決定けってい!”. ドライバーweb (2018ねん4がつ2にち). 2023ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん
  14. ^ a b ARTA GALSコスチュームのこだわり”. ARTA. オートバックスセブン (2022ねん4がつ18にち). 2023ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん
  15. ^ AUTOBACS RACING TEAM AGURI、2017ねんの『ARTA GALS』を発表はっぴょう”. auto sport web. 株式会社かぶしきがいしゃ三栄さんえい (2017ねん3がつ4にち). 2023ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん
  16. ^ 2019年度ねんど ARTA GALS 選出せんしゅつ』(プレスリリース)オートバックスセブン、2019ねん3がつ26にちhttps://www.autobacs.co.jp/ja/news/news-2019032686287715222312949377.html2023ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん 
  17. ^ オートバックス、「ARTA GALS」2020ねんメンバー発表はっぴょう”. Car Watch. インプレス (2020ねん3がつ25にち). 2023ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん
  18. ^ artaracing.com. “2021年度ねんど ARTA GALSメンバーについてのおらせ”. 2022ねん7がつ26にち閲覧えつらん
  19. ^ 2023年度ねんど ARTA GALSメンバーについてのおらせ”. ARTA. オートバックスセブン (2023ねん2がつ9にち). 2023ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん
  20. ^ 2024年度ねんど ARTA GALSメンバーについてのおらせ”. ARTA. オートバックスセブン (2024ねん2がつ10日とおか). 2024ねん2がつ16にち閲覧えつらん
  21. ^ 2025年度ねんど ARTA GALSメンバーについてのおらせ”. ARTA. オートバックスセブン (2025ねん3がつ10日とおか). 2025ねん3がつ16にち閲覧えつらん
  22. ^ 「ARTA MECHANICS LEGAVELO」 ~カスタムカーだいいちだんとして「TOKYO AUTO SALON 2022」にてはつ公開こうかい”. オートバックスセブン (2022ねん1がつ14にち). 2025ねん3がつ18にち閲覧えつらん
  23. ^ ARTA MECHANICSから「VIGALE」誕生たんじょう ~カスタムカーだい2だんとして「TOKYO AUTO SALON 2023」にてはつ公開こうかい”. オートバックスセブン (2023ねん1がつ13にち). 2025ねん3がつ18にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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