(Translated by https://www.hiragana.jp/)
DCブランド - Wikipedia

DCブランド(ディーシーブランド)は、1980年代ねんだい日本にっぽん国内こくないひろ社会しゃかいてきブームとなった、日本にっぽんアパレルメーカーによる高級こうきゅうファッションブランド総称そうしょう和製わせい英語えいご)。「DC」とはデザイナーズ(Designer's) & キャラクターズ(Character's)の略称りゃくしょうとされたが、一種いっしゅ流行りゅうこうバズワード)であり、明確めいかく定義ていぎがあるわけではない。

東京とうきょう青山あおやま原宿はらじゅく渋谷しぶやといった当時とうじ流行りゅうこう発信はっしんからひろがり、ラフォーレ原宿はらじゅく渋谷しぶやパルコがDCブランドの聖地せいちとされた。バブル景気けいき背景はいけいとする消費しょうひ拡大かくだいされ、地方ちほう都市としへも丸井まるいなどのファッションビルつうじて流行りゅうこう波及はきゅうした。しかし1990年代ねんだい以降いこうバブル崩壊ほうかいによる長期ちょうき不況ふきょうデフレ拡大かくだいにより、山口やまぐちけん発祥はっしょうユニクロなどに代表だいひょうされるファストファッション全国ぜんこくチェーン急速きゅうそく拡大かくだいし、DCブランドブームはバブル崩壊ほうかいとともに消滅しょうめつした。2000年代ねんだい以降いこうは「DCブランド」という呼称こしょうすたれ、バブル時代じだい象徴しょうちょうする死語しごのひとつとなっている。

概要がいよう

編集へんしゅう

DCブランドは、単品たんぴん大量たいりょう生産せいさん大手おおてメーカー(レナウン樫山かしやまVANJUNなど)の既製きせいふくたいするものとして、デザイナーの個性こせいかした定番ていばんつくらない品種ひんしゅ少量しょうりょう生産せいさんふくづくりを志向しこうしたもので、1970ねん前後ぜんこうにマンションの一室いっしつりてはじめるような小規模しょうきぼなメーカーからはじまった[1]のちにDCブランドの代表だいひょうとして有名ゆうめいになるデザイナーには、大川おおかわひとみMILK)、三宅みやけ一生かずおISSEY MIYAKE)、菊池きくち武夫たけおBIGI)、松田まつだ光弘みつひろニコル)、やまもと寛斎かんさい山本やまもと耀司(Y's[ワイズ])、川久保かわくぼれいコム・デ・ギャルソン)などがいる[1]

DCブランドが流行りゅうこう転機てんきとなったのは、1970年代ねんだい後半こうはん渋谷しぶやパルコのパート2やラフォーレ原宿はらじゅくといったファッションビルがそれらの個性こせいてきブティックあつめ、若者わかものけて情報じょうほう発信はっしんしたことによる[1][注釈ちゅうしゃく 1]

1980年代ねんだい初頭しょとう、「デザイナーズ」とばれていたそれらのブランドは急速きゅうそくれられ、影響えいきょうけた若者わかものたち(ニューウェイブスタイルのトンガリキッズくろずくめのカラスぞく、ティーンズを中心ちゅうしんとしたオリーブ少女しょうじょ)をんだ[1]。1984ねんごろからは若者わかものだけでなく中年ちゅうねんそうにもひろまり、1985ねんには渋谷しぶや新宿しんじゅく丸井まるいがDCブランド中心ちゅうしんのファッションビルとしてまれわり、1986ねんに「DCブランド」ブームは最盛さいせいむかえることとなる[1]

しかしブームになることで既製きせいふくのほとんどが「DCブランドふう」になってしまう事態じたいまね[1]。そして過剰かじょうなデザインでめまぐるしく流行りゅうこう変化へんかするDCブランドへの反発はんぱつから、1988ねんごろからは“シンプルできのこない定番ていばんアイテムをしなよくこなす”というコンセプトのしぶカジ日本にっぽんちゅう席巻せっけんすることとなった[3]

用語ようごについて

編集へんしゅう

DCブランドとは、かつてファッション雑誌ざっし百貨店ひゃっかてんファッションビルなどで使つかわれていた用語ようご。この用語ようごがいつごろから使つかわれはじめたかはあきらかではないが、1979ねん昭和しょうわ54ねん)の新聞しんぶんに、渋谷しぶやパルコPart2の地下ちか1かいメンズフロアの広告こうこくとして「デザイナーブランド(ただし英語えいご表記ひょうきではDesigner's Brand、のちにDesigners' Brand)」ののもとに、松田まつだ光弘みつひろ菊池きくち武夫たけお三宅みやけ一生かずお川久保かわくぼれい高橋たかはし幸宏ゆきひろめいおよびメンズファッションへのコメントをせたことが、この用語ようご社会しゃかいてき認知にんちさせる最初さいしょのきっかけであった。

これらのデザイナーは、松田まつだ光弘みつひろ菊池きくち武夫たけおはすでに一定いっていのファンそうつものとして、三宅みやけ一生かずお美術びじゅつてき側面そくめんからファッションにアプローチするものとして、川久保かわくぼれい新進しんしん若手わかてデザイナーとして、それぞれべつのポジションにあり、「デザイナーブランド」としていちくくりにされるような共通きょうつう特徴とくちょうっていたわけではなかったが、この当時とうじ午後ごご情報じょうほう番組ばんぐみすうめいのデザイナーが出演しゅつえんしファッションへのコメントをしたり、三宅みやけ一生かずおYMOなま演奏えんそうコラボレーションによるファッションショーが特番とくばんとしてまれるなど、一般人いっぱんじんからは職業しょくぎょうデザイナーとしていちくくりにられるようになった。三宅みやけ一生かずおや1980年代ねんだい中頃なかごろ以降いこう山本やまもと耀司は、文化ぶんか日本にっぽんてき意匠いしょう)としてのファッションを模索もさくした。

当初とうしょは「デザイナーズ&キャラクターズブランド」という用語ようごはなかった。結果けっかてきにこの用語ようご広告こうこくおよびファッションかいなかで、特定とくてい確立かくりつしたジャンルをあらわ意味いみとしては定着ていちゃくしなかった。実際じっさいかくブランドにたいして雑誌ざっし編集へんしゅう関心かんしんによりいちめんてき紹介しょうかいがされたため、この用語ようごにはかくブランドの特徴とくちょう見出みいだすことはできない。

現在げんざいはファッション業界ぎょうかいなかで、みずからをDCブランドとして位置付いちづけるアパレルメーカーはほぼなく、「DCブランド」という呼称こしょう自体じたい過去かこ遺物いぶつしている。なお、ファッションなどで解説かいせつされる「デザイナーズブランド」と「キャラクターズブランド」の意味いみ下記かきのとおりで、こうがくじょう意義いぎにとどまる。

デザイナーズブランド

編集へんしゅう

デザイナーブランドのイメージづくりから商品しょうひん企画きかく制作せいさくおおくの場合ばあいはるなつ秋冬あきふゆ2かいコレクション)またはふく生産せいさんまで主導しゅどうてきかかわる。デザイナー自身じしん会社かいしゃだい企業きぎょうぞくさない)の経営けいえいしゃまたは経営けいえいけんつことはあるが、クリスチャン・ディオールグッチのように被用者ひようしゃ立場たちばにあり該当がいとうしないものもある。そのジョルジオ・アルマーニドルチェ&ガッバーナなどがある。

日本にっぽんでは、経営けいえいけんつデザイナーには、コム・デ・ギャルソン川久保かわくぼれいアンダーカバー高橋たかはしたて該当がいとうする。そのイッセイ・ミヤケ三宅みやけ一生かずおや、かつての「ヨウジ・ヤマモト」の山本やまもと耀司、「ケンゾー」の高田たかだ賢三けんぞうなどが該当がいとうする。現在げんざいではドメスティックブランドとばれることもおおい。

キャラクターズブランド

編集へんしゅう

企業きぎょう経営けいえい戦略せんりゃくとして、企業きぎょう経営けいえいしゃがイメージづくりから商品しょうひん製作せいさくまで主導しゅどうてきおこなう。特定とくていのイメージ(=キャラクター)を消費しょうひしゃすことが企業きぎょう戦略せんりゃくとなる。基本きほんてき日本にっぽん業界ぎょうかい用語ようごであり、海外かいがいブランドがこうばれることはなく、日本にっぽんでも現在げんざいはほとんど使つかわれていない。

日本にっぽんでのキャラクターズブランドとしては、かつての「PERSON'S」があげられる。「PERSON'S」ブランドの製品せいひん現在げんざい洋服ようふく青山あおやまなどで販売はんばいされている。なお、プレイ・コム・デ・ギャルソンやクリスチャン・ディオールなどのライセンス日本にっぽん展開てんかいする製品せいひんは、特定とくていのキャラクターやロゴをもちいたワンポイントアイテムが主力しゅりょく商品しょうひんとなり、キャラクターブランド(キャラクターズではない)とばれるが意味いみことなる。

DCブランドの販売はんばいいん

編集へんしゅう

DCブランドの直営ちょくえいショップは「ブティック」とばれ、原宿はらじゅく青山あおやまなどの路面ろめんてんのほか、ファッションビルのテナントとして出店しゅってんするケースがおおかった。そこで自社じしゃふく接客せっきゃくする販売はんばいいんは「ハウスマヌカン」(えい: house + ふつ: mannequin)という造語ぞうごばれていた[4][5][6]

歌手かしゅややうたった1986ねんヒットきょく夜霧よぎりのハウスマヌカン」では、ショートヘアたハウスマヌカンの女性じょせいが、表参道おもてさんどうあこがれつつも薄給はっきゅうなかからしゃ販の洋服ようふくだいかれ、昼食ちゅうしょくシャケ弁当べんとうべながら頑張がんば姿すがたが、演歌えんか調しらべのメロディでコミカルにうたわれていた[7][8]当時とうじはそうした歌謡かようきょくがヒットするほど、最先端さいせんたんファッションに関心かんしんのないそうにもDCブランドが流行りゅうこうとしてひろられていた世相せそうがうかがえる。

DCブランドブーム

編集へんしゅう

1970年代ねんだいすえ、1970年代ねんだい前半ぜんはん散見さんけんされた既製きせいふく画一かくいつ傾向けいこう顕在けんざいし、業界ぎょうかい停滞ていたい商機しょうき減少げんしょうたいして、1960年代ねんだいまで日常にちじょうてきであった、個々ここ家庭かていでの自作じさくふくおよびまちちゅう洋装ようそうてんでの注文ちゅうもんふくによる多様たようせい個性こせいとをあらたな方法ほうほうによって復活ふっかつさせ、そこに商機しょうき活路かつろ見出みいだすことがはかられた。この方法ほうほう自体じたい結果けっかろんでは一般いっぱんてき流行りゅうこう反復はんぷくてき社会しゃかい現象げんしょうであるが、くちコミてき広告こうこく特徴とくちょうてきであり、具体ぐたいれいとして「an・an」や「non-no」、「MORE」、「チェックメイト」、「DANSEN(男子だんしせん)」などファッション専門せんもんによって積極せっきょくてきかぎられた数社すうしゃのブランドが紹介しょうかいされるという方法ほうほうがとられた。この方法ほうほうこうそうし、その週刊しゅうかん女性じょせい」や「POPEYE」、「ホットドッグ・プレス」など一般いっぱん特集とくしゅうとしてげ、全国ぜんこく一般いっぱんそうひろまった。そして、ブームの当初とうしょ路面ろめんてんパルコなどにかぎられていた販売はんばいは、購買こうばいそうからのニーズによって、伊勢丹いせたん試行しこうてき特設とくせつセールをて、丸井まるいかく百貨店ひゃっかてんでもテナントとして常設じょうせつされて拡張かくちょうしていった。なお、これと同時どうじにこれらDCブランドのショップの販売はんばいいんが「ハウスマヌカン」という名称めいしょうげられ、一時期いちじき人気にんき職種しょくしゅとなったこともある。当時とうじ、ニコルなど中堅ちゅうけん企業きぎょう新入しんにゅう社員しゃいん会社かいしゃ説明せつめいかい中規模ちゅうきぼコンサートホールでおこなわれるほど希望きぼうしゃがあふれ、DCブランド企業きぎょう注目ちゅうもくされていた。

ブームは1980ねんころから1987ねんころまでで、とくにMEN'S BIGIは、橋本はしもとおさむ青春せいしゅん大河たいが小説しょうせつ桃尻ももじりむすめ』やコント赤信号あかしんごうのネタのなかでそのげられていたほか、1983ねんごろの絶頂ぜっちょうには、渋谷しぶや原宿はらじゅくまた新宿しんじゅくなどの繁華はんかがいで、そのロゴりのスタジアムジャンパーを若者わかものかならられるほどの流行りゅうこうであった。ブームのさなか、MEN'S BIGIデザイナーの菊池きくち武夫たけお大手おおてアパレルブランドのワールド移籍いせきした。 ブーム初期しょき特設とくせつセールでは、混雑こんざつによって会場かいじょうないおおきなワゴンが通路つうろからズレて担当たんとうかべはさまれたり、最盛さいせいのセールでは、これらのブランドの店舗てんぽはいっていた丸井まるいやパルコなどは、周辺しゅうへん前日ぜんじつから行列ぎょうれつができるほどの盛況せいきょうだった。しかし、1986ねんころから徐々じょじょはじまったバブル景気けいきと、それをこした急激きゅうげきえんだか背景はいけいにした「ジョルジオ・アルマーニ」や「ラルフ・ローレン」などの高級こうきゅう輸入ゆにゅうブランドの国内こくない市場いちばへの本格ほんかくてき進出しんしゅつや、ボディコンブームなどによって1980年代ねんだいまつ終焉しゅうえんした。

このブームは、当初とうしょはドメスティックブランドの1つとして注目ちゅうもくされ、その、オリエンタリズムを標榜ひょうぼうして世界せかい一定いってい活躍かつやくつにいたった「イッセイミヤケ」や「ヨウジヤマモト」、アンチモードを展開てんかいした「コム・デ・ギャルソン」などのインターナショナルブランドと、昭和しょうわ30年代ねんだい以降いこうIVYブランドとしてショップ紙袋かみぶくろ効用こうよう知名度ちめいどアップをはかって、そのおおくのブランドのロゴ戦略せんりゃく手本てほんとなった「VAN」、ヨーロピアンスタイルへの転向てんこうリチャード・アヴェドン(Richard Avedon)など海外かいがい著名ちょめいなクリエイターを活用かつようした広告こうこく戦略せんりゃくによってインターナショナルブランドの製品せいひんてきイメージ戦略せんりゃく先駆さきがけとなった「JUN」、 媒体ばいたい紹介しょうかいたかい「BIGI」,「COMME CA DU MODE」など、コンセプトのことなるおおくのブランドをグループしたテナント販売はんばい戦略せんりゃくだった。この販売はんばいてき側面そくめんは、デザイナー各人かくじんのぞ方向ほうこうせいとはかならずしも一致いっちせず、国内こくない服飾ふくしょく文化ぶんか水準すいじゅんたかめようと結成けっせいされたが、その、このブームによってだい規模きぼされ目標もくひょう変化へんかしていったTD6から脱退だったいするデザイナーもいた。現在げんざいは、小売こうりてんでデザイナーズ&キャラクターズブランドというエリアめい使つかわれず、より高級こうきゅうステータス意味いみ海外かいがいメーカー各社かくしゃのブランドとわせてクリエイターズ、また、以前いぜんゆかたいするはこ意味いみでの「キャラクターズ」という総称そうしょう使つかわれている。

このDCブランドの特徴とくちょうについてオーバーシルエットがその代名詞だいめいしのようにわれることはあるが、当初とうしょは「イッセイミヤケ」や「コム・デ・ギャルソン」など一部いちぶのブランドのみで、だい多数たすうはブームのなか半期はんきであった。また、このブームがわり次代じだいのイタリアンファッションの流行はやった時期じきにも、オーバーシルエットはられたため、DCブランド特有とくゆうのスタイルではないことに注意ちゅういする必要ひつようはある。たとえば、オーバーシルエットの代表だいひょうかくとされる「ヨウジヤマモト」は、メンズブランド(Y's for men)のげやコラボレーションの先駆さきがけとなっとA.A.R. Yohji Yamamoto(ダーバン-レナウンとの共同きょうどう)では、タイトなシルエットにしていた。

DCブランドブームの初期しょきに、ジャケットやボトムスのすそのロールアップ、シャツのすそしやかさ、ジャケットのうえからのベルトめなど従来じゅうらい常識じょうしきてきこなしの様式ようしきやぶったコーディネイトが流行はやった。とくにシャツのすそしは、1990年代ねんだい以降いこう現在げんざいのファッションスタイルとして定着ていちゃくしている。

DCブランドの特徴とくちょうは、これらのになおおくが、当時とうじ20だいから30だいわか世代せだいであったこと、また、これらのファッションとどう時期じき活動かつどうしていたニューミュージックけい歌手かしゅやYMOなどの音楽おんがくバンドとの同期どうきてきなセールス(コラボレーション)であったことである。そのおおくはマンションの一室いっしつ事務所じむしょ設立せつりつして活動かつどうはじめた若手わかて起業きぎょうたちであった。また、ファッション雑誌ざっしに、中原なかはら理恵りえはBIGI(れい:シングル『東京とうきょうららばい』のジャケット)、庄野しょうの真代まさよNICOLEれい:アルバム『マスカレード』のジャケット)、山本やまもと潤子じゅんこはコム・デ・ギャルソン、竹内たけうちまりやY's秋川あきかわリサはBUZZ SHOPをきなブランドであるとの記事きじせられ、単一たんいつブランドによるトータルアイテムの斬新ざんしんさと芸能人げいのうじん洗練せんれんされた個性こせいをジョイントし、以前いぜんにはられないセールスをした。ちなみに、C-C-Bの『ないものねだりのI Want You』には、具体ぐたいてきおおくのブランドめいがフレーズとしてあげられていた。なお、YMOの高橋たかはし幸宏ゆきひろは、あに経営けいえいするBUZZ SHOPからみずからがデザインをがけたBricks monoというのブランドをし、YMOのステージ衣装いしょうなどもショップ販売はんばいしていた。なお、現在げんざいでは、北野きたのたけしがヨウジヤマモトのふくているが、DCブランドブーム当時とうじFicce uomo派手はでなセーターをていた。

DCブランドブームの前半ぜんはんは、日本にっぽん国内こくない独自どくじ百花繚乱ひゃっかりょうらんえる多様たようなファッションが展開てんかいされたてん特筆とくひつすべきことであった。これらDCブランドは、ブームまえのデザイナーブランドすうしゃにおいては、海外かいがい有名ゆうめいブランドに対抗たいこうる、若年じゃくねんそうよりもたか年齢ねんれいそう購入こうにゅうしゃとして想定そうていしていたが、マスコミや百貨店ひゃっかてんとう販売はんばい戦略せんりゃくのために、VANやJUNとおなじく若年じゃくねんそう購入こうにゅうしゃとしたが、若年じゃくねんそう全般ぜんぱんには高額こうがくであったことが、一方いっぽうで、そのの1990年代ねんだい初期しょきのバブル崩壊ほうかいいたるイタリアンファッションブーム終焉しゅうえんまでのあいだにその金銭きんせん感覚かんかく緩慢かんまん変化へんかさせ、また、他方たほうで、文化ぶんか雑貨ざっかてんはじまる廉価れんかひんのブランド当時とうじはチープシックとばれていた)が現在げんざいファストファッションのイメージ戦略せんりゃく先鞭せんべんとなったことに留意りゅういしなければならない。後半こうはんはモノトーンブームが、意識いしきてき無意識むいしきてき若年じゃくねんそう支持しじあつめ、さらに、チープシックのひろがりの影響えいきょうくわわって、前半ぜんはんにおけるような多様たようなファッション表現ひょうげん後退こうたいした。

なお、DCブランドとVANおよびJUNをブームというめんから比較ひかくすれば、VANおよびJUNは、その直接ちょくせつ購買こうばいそうでない小学校しょうがっこう高学年こうがくねんにまで認知にんちされていたのにたいし、DCブランドめい認知にんちはそれにおよばなかったこと、とくにJUNはリチャード・アヴェドン(Richard Avedon)による男装だんそうをイメージしたCM内容ないよう成人せいじんけにもかかわらず、1970年代ねんだい中頃なかごろ少年しょうねん漫画まんが週刊しゅうかん紹介しょうかいされるほどの反響はんきょうがあったのにたいして、DCブランド各社かくしゃにはそれに相当そうとうするものがなかったこと、また、VANではボタンダウンシャツ、JUNではレディスのROPEについて、そのファンの一部いちぶ自身じしんをROPEとうしょうして認知にんちされる傾向けいこうにあったのにたいし、DCブランドにはそれがなかったことがげられる。これらのちがいは、DCブランドの多様たようせい特徴とくちょうべつめんである。

なお、VANは国内こくないにおいてしょうざい発掘はっくつおこなった。たとえば、本来ほんらい広告こうこく販売はんばい促進そくしんのための配布はいふぶつであるおおきなロゴがプリントされたTてぃーシャツを販売はんばいして、そののJUNやDCブランド各社かくしゃおおきなロゴりアイテムの拡販かくはん基礎きそをつくった。ただし、DCブランドブーム以前いぜんのデザイナーブランドは、1980年代ねんだい初期しょきにおいて、このようなアイテムを販売はんばいする従来じゅうらいのブランドと一線いっせんかくし、デザイン主体しゅたいのアイテム展開てんかいおこない、そののDCブランドブームをみちびいた。現在げんざいおおきなロゴTてぃーシャツを販売はんばいするブランドはすくなく、デザイン主体しゅたいのブランドが大勢おおぜいめるようになった。なお、時計とけいのムーブメントやボタンなどにもちいられるブランドロゴは、プロダクトオーナー・プロダクトユーザーけの高級こうきゅうアイテムようであり、ベストクオリティーの意味合いみあいがつよ使つかみちことなる。また、チーフなどのアクセサリーや海外かいがいブランドのロゴりバッグなども同様どうようである。

現在げんざい、DCブランドブームで知名度ちめいどげたブランド各社かくしゃは、1980年代ねんだい初期しょきまでっていたそれぞれの独自どくじせいを、ワールドワイドな流行りゅうこうわせつつ、どのようにしてアイテムにかすかにデザインの関心かんしんうつってきている。その一方いっぽう景気けいき動向どうこう社内しゃない効率こうりつにより、業種ぎょうしゅにもひろくみられるOEMODM活用かつようをどの程度ていどにまでおよぼす必要ひつようはあるのかなど困難こんなん課題かだいがある。また、来店らいてんしゃ顧客こきゃくもとめるイメージにうものを、店内てんないにあるアイテムからおとさず的確てきかくさがとうトータルコーディネイトの応用おうようりょく売場うりば担当たんとう教育きょういくしたり、また顧客こきゃくそうとく若年じゃくねんそう上昇じょうしょう志向しこうをどのようにして商品しょうひん反映はんえいしてくかが、台頭たいとういちじるしいファストファッションへの対抗たいこうりょくとしての課題かだいである。ちなみに、ファストファッション(ユニクロGUH&Mひとし)では、トータルコーディネイトとうのサービスは、その価格かかく設定せっていじょうむずかしく、また、アイテムを契機けいきとする上昇じょうしょう志向しこうはサポートされていない。しかし、現在げんざいおおくのメーカーにられるタイトな外観がいかんのみによってちがいをそうとしたものではなく、トータルコーディネイトでの商品しょうひんがなければ、オーバーな外観がいかん依存いぞんしたDCブランドブームの盛衰せいすい同様どうようである。しかし、ファッションメーカーによるグレードけによるブランド販売はんばい戦略せんりゃくは、たとえば、家電かでんメーカーなどのジャンルの基本きほん機能きのう搭載とうさい製品せいひんから機能きのう搭載とうさい製品せいひん分別ふんべつ販売はんばい戦略せんりゃく一考いっこうあたえるものとなった。

モノトーンブーム

編集へんしゅう

1980ねんころ女性じょせいけファッション雑誌ざっし『an・an』に、デザイナーズブランドの1ファンとして現役げんえき男子だんし大学生だいがくせい連載れんさい記事きじとして紹介しょうかいされたことが、DCブランドブームにおけるモノトーンブームと、大学生だいがくせいなど社会しゃかいじんをメインにしたファッションブームのきっかけとなった[よう出典しゅってん]紹介しょうかいページには、YMOによる「テクノブーム」で流行りゅうこうしていた「テクノカット」のヘアスタイルに、レディースのキュロットを穿き、全身ぜんしんくろしろのコーディネイトで登場とうじょうし、「美容びようさんだとおもったら、現役げんえき文学部ぶんがくぶ学生がくせいさんでした」とその意外いがいせい宣伝せんでん文句もんくとしてゲストあつかいをされていた。記事きじ内容ないようおもに、従来じゅうらいのファッションスパイラルと距離きょりきつつ独自どくじのファッション哲学てつがくち、暖色だんしょくけい使つかわなかった「コム・デ・ギャルソン」および「ワイズ」の愛好あいこうしゃとして、川久保かわくぼれいおよび山本やまもと耀司のファッションにたいするかんがかたとうのコメントを要望ようぼうするものだった。実際じっさいには当時とうじの「ワイズ」は、モノトーンではなくアースカラー主体しゅたいとしていた。また「コム・デ・ギャルソン」は一部いちぶのアイテムのみがげられ、川久保かわくぼれい自身じしんは、みずからのブランドを「大人おとなのためのふく」として社会しゃかいじん対象たいしょうとすることを明確めいかくにしていた。この特集とくしゅうてき記事きじは、学生がくせい本人ほんにん編集へんしゅうしゃおよびスタイリストのこのみによるものがおおきく、りょうブランドのコンセプトをカバーするものではなかった。

DCブランドブーム以前いぜん注目ちゅうもくされたドメスティックブランド

編集へんしゅう

DCブランドブームのきっかけとなったデザイナーブランド

編集へんしゅう

DCブランドブーム注目ちゅうもくされたドメスティックブランド

編集へんしゅう
  • BIGI[9]
    • MEN'S BIGI
    • MOGA
    • half moon
    • BARBICHE
    • TAKEO KIKUCHI
      • Maul Ruck
    • MELROSE[16] - BIGIのニット・カットソー部門ぶもん独立どくりつ
      • MEN'S MELROSE
      • LABREA
    • PINK HOUSE - 金子かねこいさお設立せつりつ現在げんざいはメルローズが運営うんえい
      • INGEBORG
      • Karl Helmut
  • NICOLE[11]
    • boutique NICOLE
    • madame NICOLE
    • ZELDA
    • monsieur NICOLE
    • SEDUCTION de NICOLE
    • NICOLE CLUB
      • NICOLE CLUB for men
  • Y's[13]
    • Y's for men
  • Kansai Yamamoto - 山本やまもと寛斎かんさい
  • COMME CA DU MODE(ファイブフォックス)[17]
    • COMME ÇA DU MODE MEN
    • Tetsu COMME ÇA DU MODE
    • PEYTON PLACE - 1981ねんより展開てんかい開始かいし、2016ねん10がつ終了しゅうりょう[18]
      • PEYTON PLACE for men
  • MILK - 大川おおかわひとみ[19]
    • MILK BOY
  • FRANDLE[20]
    • MEN'S FRANDLE
  • HYSTERIC GLAMOUR[21]
  • PERSON'S[22] - 1976ねんより展開てんかい開始かいし
    • PERSON'S FOR MEN
    • GRASS[23] - Jun Saito
      • GRASS MEN'S[23]
      • GRASS LADY'S
  • PAZZO[24]
  • BA-TSU - 1971ねん設立せつりつ[25]
    • MEN'S BA-TSU
  • TOKIO KUMAGAI - 熊谷くまがい登喜夫ときお
  • BUZZ SHOP - 伊藤いとう美恵みえ高橋たかはし幸宏ゆきひろ実姉じっし
    • Bricks
    • Bricks Mono - 渋谷しぶやパルコPart3に店舗てんぽがあり、高橋たかはし幸宏ゆきひろがデザインしたふくあつかっていた。
  • VIVA YOU - 中野なかの裕通ひろみち
  • ATELIER SAB[26]
    • ATELIER SAB FOR MEN
  • PASHU (Shin Hosokawa) - 細川ほそかわしん[27]
  • LINEA FRESCA (Masayuki Abo) - えいゆう。1981ねん設立せつりつ
  • Yin&Yang - 1981ねん設立せつりつ
    • INCENSE
  • FICCE UOMO - 小西こにし良幸よしゆき
  • 45r.p.m. - 井上いのうえ保美やすみ
  • Scoop
    • ScoopBoys
    • Xing
    • Xing for men
    • Scoopman
  • CRAYON
    • CRAYON HOMME
  • POSH BOY
  • ABA-HOUSE
  • J-mago
  • TENORAS
  • K-FACTORY
  • KT pure homme
  • COZO
  • GALAMOND
  • LQ men
    • Borther
  • ZOUZOU
  • arrston volaju

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • アクロス編集へんしゅうしつへん『STREET FASHION 1945-1995 若者わかものスタイルの50ねん』パルコ出版しゅっぱん、1995ねん
  • 本文ほんぶん記載きさい新聞しんぶんおよび雑誌ざっし該当がいとうバックナンバー

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ ラフォーレ原宿はらじゅくは1978ねん渋谷しぶやパルコPart2は1975ねん渋谷しぶや109は1979ねんオープン[2]

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ a b c d e f アクロス編集へんしゅうしつへん『ストリートファッション - 若者わかものスタイルの50ねん』PARCO出版しゅっぱん、1995ねん、pp.200-202
  2. ^ 渡辺わたなべ明日香あすか『ストリートファッションろん - 日本にっぽんのファッションの可能かのうせいかんがえる』産業さんぎょう能率のうりつ大学だいがく出版しゅっぱん、2011ねん、p.177,187
  3. ^ アクロス編集へんしゅうしつへん『ストリートファッション - 若者わかものスタイルの50ねん』PARCO出版しゅっぱん、1995ねん、pp.216-217
  4. ^ “ハウスマヌカンってなに?”. ananweb. (2020ねん3がつ24にち). https://50.ananweb.jp/archives/anan-1983-0708/ 2020ねん5がつ19にち閲覧えつらん 
  5. ^ ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん. ブリタニカ・ジャパン. (2014) 
  6. ^ 松村まつむら, あきら (2006). 大辞林だいじりん だいさんはん. 三省堂さんせいどう 
  7. ^ 夜霧よぎりのハウスマヌカン やや 歌詞かし情報じょうほう”. うたまっぷ 歌詞かし無料むりょう検索けんさく. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  8. ^ やや 夜霧よぎりのハウスマヌカン 歌詞かし”. J-lyric.net. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  9. ^ a b BIGI CO.,LTD.”. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  10. ^ BIGI GROUP | ビギグループ”. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  11. ^ a b NICOLE- NICOLE official web site”. www.nicole-net.co.jp. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  12. ^ COMME des GARÇONS”. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  13. ^ a b Yohji Yamamoto (ヨウジヤマモト) Official Site”. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  14. ^ JUNKO KOSHINO”. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  15. ^ ISSEY MIYAKE INC. - イッセイ ミヤケ”. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  16. ^ 株式会社かぶしきがいしゃメルローズ 公式こうしきサイト | MELROSE CO., LTD.”. BIGI GROUP. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  17. ^ FIVE FOXes(ファイブフォックス)公式こうしきサイト”. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  18. ^ ファイブフォックスが「ペイトンプレイス」を終了しゅうりょう ぜん48店舗てんぽ閉鎖へいさ”. WWD JAPAN.com (2016ねん9がつ9にち). 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  19. ^ MILK (ミルク) 公式こうしきサイト”. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  20. ^ 株式会社かぶしきがいしゃ FLANDRE(フランドル)”. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  21. ^ HYSTERIC GLAMOUR”. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  22. ^ PERSON'S|パーソンズ”. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  23. ^ a b GRASS MEN’S”. PERSON'S DESIGN STUDIO. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  24. ^ PAZZO :: パッゾ”. 株式会社かぶしきがいしゃパッゾ. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  25. ^ BA-TSUの歴史れきし”. シバ製靴せいか|Shiba Shoes Co.,Ltd. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  26. ^ アトリエサブ:ATELIER SAB”. ファショコン通信つうしん. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  27. ^ シムシンホソカワ:SHIM SHIN HOSOKAWA”. ファショコン通信つうしん. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう